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中央教育審議会大学分科会

2001/10/03 議事録
中央教育審議会大学分科会/科学技術・学術審議会学術分科会 大学改革連絡会(第3回)

中央教育審議会大学分科会/科学技術・学術審議会学術分科会
大学改革連絡会(第3回)

日時    平成13年10月3日(水)10:30〜13:00
       
場所    学術総合センター   特別会議室101〜103(1階)
       
議題
  (1) 大学の構造改革の在り方等について(自由討議)
  (2) その他
       
配付資料
  資料 大学改革連絡会(第2回)議事録(案)   (略)
  資料 2−1 「国立大学法人」制度の概要
  資料 2−2 新しい「国立大学法人」像について(中間報告)   (略)
  資料 国立大学の再編・統合についての検討状況
  資料 4−1 世界最高水準の大学づくりプログラム   −国公私「トップ30」−
  資料 4−2 第2回大学改革連絡会の主な意見
  資料 4−3 大学の構造改革について
  資料 4−4 「トップ30」について(案)
  資料 4−5 我が国における学術機関等の学問分野構成の例
       
5 出席者
   
(委   員) 末松安晴(学術分科会長,司会),茂木友三郎(中央教育審議会副会長),井村裕夫,荻上紘一,黒田壽二,小林陽太郎,小平   桂一,立石   信雄
(事務局) 小野事務次官,青江文部科学審議官,御手洗文部科学審議官,結城官房長,工藤高等教育局長,遠藤研究振興局長,石川私学部長,清水高等教育局審議官,板東高等教育企画課長,合田大学課長,清木主任大学改革官   他
     
6 議   事
   
(1) 「大学の構造改革の在り方等について」事務局が資料を説明した後、自由討議が行われた。
     
  (○:委員,●:事務局)
     本日の議題であるが、大学の改革に関する議論として、まず、先般、中間まとめを出された国立大学の法人化の問題。2番目として、国立大学の再編・統合の考え方。そして3番目として、世界最高水準の大学、いわゆる「トップ30」の育成の考え方について、幅広くご議論いただきたい。
     
     少し質問をしたい。国立大学法人化する場合に非常に重要なことが幾つかあると思うのであるが、一つは、やはり公務員型を選択するのか非公務員型を選択するのか。これは、大学の将来の運営にとって非常に大きな影響が出ると思う。それについて、今は3つのオプションが書いてあるのだが、これを最終報告の段階でどこかに収斂していくのかどうなのか、その辺のお考え。最後まで3つのオプションのままというのはちょっと具合が悪いであろうから、やはり何らかの収斂をしないといかんのだが、それを1点、お伺いしたい。 
     
     それから第2の重要な点は、何といっても学長の選考法である。この文章の中にも大学の命運が学長にかかるということが書いてある。今までの学長選考法では、これからの法人の長にふさわしい人は必ずしも選べないというふうな仕組みになっているので、ここをかなり考える必要があるのではないか。
   これについても幾つかのことが書いてあるのだが、相当議論をしていただいて、是非、いい方法で学長が選べるように。これは諸外国の例も参考になると思う。日本のような形で全員投票で決めている国は、私の知る限り、先進国ではあまりない。やはり、サーチ・コミッティーのようなものの役割をうんと重視しないと、いい学長がなかなか選べないのではないだろうかという気がしているが、その2点について、少しお伺いする。
     
     学長の問題であるが、これは私も、非常に重要なポイントだと思う。今度、権限がかなり広がり、そうすると、急にやれと言ってもなかなか難しいと思う。今までおやりになったときと大分違う。だから、学長さんの教育というか、これが非常に重要になってくると思う。
   それからもう1つは、どう選ぶかという問題があると思う。今、諸外国のというお話があったが、私も全く同感である。私は去年までアメリカのコロンビア大学の理事をやっていたが、コロンビア大学で学長が変わる場合、1年前に学長をおりるということを学長が宣言して、サーチ・コミッティーで何百人かの中から絞っていくというプロセスとなる。これは全く外部の人ばかりで、理事が中心になってサーチ・コミッティーをやっている。このようなことを、やはりちゃんとやらないと。
   だから、学長の教育と、それから選ぶ方法、ここら辺をやはり相当詰めていかないと、せっかくの改革がうまく動かないということになると思う。学長の対象は、ここではやっぱり教育者ということになっているが、幅広く選べる方がいいのではないかというふうに思う。
     
     最初の、公務員型か非公務員型かということであるが、委員会の議論では、どちらかというと非公務員型の意見が多かったかと思うのであるが、両方視野に入れながら、今、検討中である。結論を出さなかったというか、出しにくかったのは、今、我々は一般公務員のあり方について、公務員制度改革が検討議論の俎上途中であるので、その帰趨を見ながら最終結論を出そうということである。
   そういう中であるが、この冊子の130ページをごらんいただくと、どういう違いがあるのかということを一覧にさせていただいている。既に委員の皆さん方はご存じの点も多いかと思うが、それぞれメリット・デメリットがあって、それをどう考えるかにもよるのであるが、一つは、公務員型の場合には身分保障というのが、一応、法律上身分保障されるのに対して、非公務員型ではそれは雇用契約に基づく。それは信頼関係で同じではないかという受け取り方もあるし、法律上の身分保障というのは相当重いという受け取り方もある。特に大学関係者の中で、若干、法人化に消極的な教職員が、今までとの継続性などを若干問題視していることもあるので、そのあたりをどう考えるか。
   労働基本権については、非公務員型の場合は争議権、ストライキ権まである。これはストライキ権はあってもなくても、その前の団体交渉権あるいは労働協約締結権、これがあればどうしようもないじゃないかという意見もあれば、いや、ストライキまで認めるのかというご意見もある。
   真ん中辺の、兼職・兼業、それから倫理法の扱いというのは、若干程度問題であるのだが、今、公務員制度全体についてもかなり弾力化されているので、若干、公務員型のほうがきついのであるが、そんな大きな差でもないのかもしれないというご意見である。
   一番大きいのは、下から3つ目の○であるが、外国人の任用である。公務員の場合は、法律以前の当然の法理なるものがあって、管理職には外国人は任用できないという前提がある。特に、アクティビティーの高い研究機関は、いわば国際競争の中で、外国からでもそのヘッドを持ってきたいという御希望なり御意見がある中で、それは非公務員型でないとそういう措置が取りにくいというのがある。
   それから一番最後のところ、これも労務関係、労使の信頼関係なのであるが、公務員型の場合は機関を越えた職員の異動というのは本人の同意は不要なのであるが、非公務員型になると、それぞれ機関がプツプツと切れてしまうので、一応、異動に当たっては職員の同意が必要という、若干ぎくしゃくした部分がある。これも運用の問題であるが、いずれにしても、先ほど申したように、最終報告までにはそれを整理していこうということである。
   学長の選考であるが、これは相当議論になって、本文の31ページに書いてあるが、基本的には学内外、国内外から、適任者を選ぶようにしっかりした選考をやろうじゃないかということであって、その仕組みについては、例えば、32ページの一番上と2つ目の○であるが、学内に選考委員会を置いて、複数の方々について学内の信任というかコンセンサスを得て、大臣に上申して任命してもらう。つまり、トップマネジメントをやろうということではあるのだが、やはりトップに立つ方について学内のコンセンサスとの調和というものが必要であるので、そういう学内の手続についてはそれなりのことをしなければいけないのではないか。ただし、委員が人気投票とおっしゃったのであるが、従来のように、どうぞ好きにやれと言うだけでいいのかというのがあって、そのあたりのシステム、仕組みはちょっと整理していこうじゃないかということである。
   それに伴って、先ほどお話があったように、そんなスーパーマンがあちこちにいるわけではないので、要は、学長が1人で何かをやれというのは大変なので、実際上は副学長というか、役員の理事の方々について一定の権限なりを差し上げて集団指導体制というか、役割分担をしながら学長が最終責任を負うという仕組みがどうしても必要ではないか。その場合の集団指導体制のボードを、株式会社のように法律上というか、整理権を落とし続けるのか、学内の事実上の話でやるのかということはちょっとコンセンサスは分かれているのである。いずれにしても、学長1人ではできないので、それぞれの役割分担にしながら、トップダウンでの組織運営、経営運営ができるようにしたいというのが大体の方向である。
     
     そのボードみたいなものはどこに来るのか。学長のA案、B案とあるが、囲んであるもの、これがボードみたいな格好になるわけか。
     
     そう。点線というのは、事実上というか、学内のどういう位置づけにするのかはあるのだが、実体上、置くべしという案で、C案は実線になっているように、正規のものとして位置づけたらどうかと。
   これは、基本的に独立行政法人というフレームワークの中で、大学にふさわしくないところの特例として大学にふさわしい制度設計をしようという議論で始まっているのであるが、独立行政法人制度は、ある組織のいわばトップを大臣が任命して、あなたに任せる、好きにやれという仕組みなのである。役員の任命から運営から、もう理事長に任せる。
   そういう意味では、大臣が任命するのは、監事は別であるが、役員の中では理事長だけなのである。C案になると、株式会社のイメージをとられるか学校法人のイメージをとられるかなのであるが、役員が複数いて、大臣は1人任命するのかその役員全部を任命するのかとなる。後者の場合だと独立行政法人のスキームからかなりはずれてくるし、代表権を1人にするのか複数なのかでまたかなりスキームが違ってくるので、そのあたりをもう少し議論、整理しなければいけないと思う。
   いずれにしても、学長1人ではできないというのは、皆さん、共通の認識の中で、サポート体制をどう組むか、それを正規のものにするか、実際上のものにするかという分け方である。
     
     C案が一番ボードに近いのか。
     
     そうである。
     
     今の関連なのであるが、公務員型か非公務員型かという場合に、もちろん、教職員の身分の連続性というような観点はあるかと思うのだが、それは逆に、学長なり何なり、アドミニストレーションに当たる側のある種の教育機関というか、コンティニュイティーを必要とするというような観点があるのではないか。それは、法人化すると非常に自主自律性ができる一方、マネジメントというかアドミニストレーションの責任というのは、学長を含め非常に重くなってくる。特にこの人事の問題は、現在の大学内でもうまくいってない。それに関し、もっと活性化したり有機的、フレキシビリティーを与えようということで法人化するわけなのであるが、その場合に働くのは市場競争原理が基本になった発想なわけである。
   そういう中で、教育・研究の上で学問的リーダーシップが取れるような方で、人事についての団体交渉を含めてまでの対応、これはサポートするスタッフを役員の中に入っていただくにしても、そういうものに、突如、日本の国立大学が移行していって、教育・研究の場としての大学がうまく機能するかということを慎重に見極める必要があるのではないかと思う。やはり法的に考えると、どちらかの方というふうに割り切らないといけないだろうという気はするが、例えば、基本は非公務員型に移行しておいて、一部、運営費交付金で一部の非公務員型の人材を雇えるとか、そのぐらいでスタートできると本当はいいのではないかという気がしている。
   もう一方、学長の選考であるが、現在のところから考えているので、もっぱら学内のコンセンサスをどう取るかというような側に配慮が傾きがちであるが、一方、これだけ責任が重くなると、教育先進諸国でやっているように、リサーチ・コミッティーがかなり一生懸命にやらなければならない。学内のコンセンサスとは別に、リサーチ・コミッティーのほうでこの人がいいと言っても、その人が、諸外国であるように、私がもしそういうことで行くのなら、これこれこういう条件で行きたいのであるがどうだろうかと言い、何度も大学を見て、スタッフとも議論をして、というような。今は大体いろいろなところの大学の次期学長選定というのは半年とか1年前からされているが、非常に重要な機関としての大学なり研究所の長のサーチ・コミッティーというのは、2年にも3年にもわたることだってあるわけである。そういう側面も十分配慮しないといけないのではないか。   
     
     先生が今、公務員と非公務員混合型を言われたわけであるが、それは学長は、公務員と非公務員、どちらでもいいという考えか。
     
     学長でもよろしいかと思うが。
     
     そういうことは可能なのだろうか。
     
     一部の御意見の中に、公務員型か非公務員型がミックスなり、選択型か、バリエーションとしてはあった。ただ、これは既に先行の独立行政法人のシステムの検討の際も、相当政府部内でご議論があって、ミックス型というのは相当ややこしいというので、早い段階で捨てられたオプションである。
   それからもう一つ、大学によって自分で選ばせる、公務員型を取るか、非公務員型を取るかという選択可能性ということについては、これも何となく魅力的なのではあるが、現在の独立行政法人のスキームが法人の性格によってどちらかにするという中で、A大学とB大学が性格が違うとも言いにくいということもあり、まだ議論は先送りにしてある。最終報告がでるまでには整理したい。
     
     次は、先ほど説明があった、国立大学の再編・統合の考え方についてである。特にその中で、一体どういう理由で統合するのかというようなこと。あるいは、どういう視点を尊重して再編・統合するのかというようなあたりについてご意見をいただきたい。
     
     国立大学が99もあり、それを全部支えていくことはもはや不可能であろうというふうに思われるので、再編・統合は不可欠であろう。
   ただ、その場合に、統合することによって、先ほどから説明があったように、やはり教育研究機能が向上していく方向に再編・統合してほしいということが一つあると思う。それから、何となく見ているとまだ府県単位が強いけれども、日本みたいに狭いところなので、もっと違った再編の仕方があってもいいのではないか。デンマークとスウェーデンは国境を越えたバーチャルな新しい大学をつくっており、ヨーロッパではそういう国境を越えたコンソーシアムというのは非常にたくさんできている。そういう時代に、何となく地理的近接性が主張されすぎて、何か同じ府県の大学だけが統合するという形でいいのだろうか。もっと府県の枠を越えても、そのほうが機能的によければ、そういった再編・統合を進めたほうがいいのではないかという気がしたわけである。その辺について、どういうふうに考えているのかどうか、伺いたい。
     
     例えば、総研大というのは、日本全国に散っている大学共同利用機関に学生を置いて博士課程教育をやっているわけで、今のような地域性の問題というのはしょっちゅうぶつかっているわけである。
   相当いろいろなネットワークができており、バーチャルにコンタクトできるのであるが、実際に苦労しているのは、特に日本人・日本文化の場合、言語の絶対性というか、それが欧米に比べて少し違うということ。つまり、言語で論理的に伝わる部分というよりも、もう少し感性的に伝わる部分というのが日本文化は多くて、そういう中での日本の大学教育という中では、やはり人間が近づくということを相当軽んじてはいけないなという気がしている。
   その中で問題になるのは、教官のほうはわりあい経費があったりして移動ができるのだが、学生の移動というのが、大学院生レベルは、多少、今度の科研費から雇用的な経費が出るということになっているが、基本的には自前でないとだめだというようなことがあるので、離れていると、学生は動くということは非常に現状では大変なのである。
   だから、単に近いからというだけでまとまるというのは確かにいけないのであるが、それ以外の教育あるいは学術研究を促進できる、あるいはコンプリメンタルになれるのだということで地域でまとまるというのは、メリットもかなりあるのではないかという気がしている。   
     
     ちょっとよろしいか。私は、全国的なコンソーシアムをつくったほうがいいとまでは思っていない。アンダーグラデュエート段階では無理であるだろうから。しかし、府県単位であるということまで縛ってしまうのはいかがなものだろうか。
   例えば、この前、マーストリヒト大学(オランダ)を訪問したのであるが、あそこの学生は自転車に乗ってベルギーのリエージュまで行く。それから車に乗るとアーヘン(ドイツ)まで行ける。だから、それぞれいい先生の講義があったらドイツで聞いて単位を取ってもいいし、ベルギーで聞いてもいいという、そういう形でやっている。その程度の地理的近接性を私は言っているわけであって、これを見ると全部同じ府県で合併しているというのが、それでいいのだろうかと気がかりである。
     
     むしろ、再編・統合の今後の進め方は先ほど申し上げたように、ギリギリ言えば設置者の責任でやれるのであろうが、私どもの省で勝手にどうだなどと言うわけにはいかない部分があり、大学それぞれに事情もあるし、地域の関係者との関係もあるので、それぞれ大学でご検討いただいて、私どもも相談に乗りながら、ある段階でそれをまとめていこうという手順を考えているわけである。
   その際に、あるクライテリアで再編がうまくできればいいが、そうでない部分があるわけで、そうはいっても、全く無原則に好きなようにやっていいのかというのもあるので、いろいろご議論いただきながら、場合によってその個別のケースなどもごらんいただきながら、クライテリアというか、全体のグランドデザインについてはおまとめいただくようなことをお願いしたいと思っている。
   その場合に、この2枚目に「視点の例」とあるが、まさにクライテリアのイメージであって、少なくとも先ほどの意見のように、単に機械的に統合するということではなくて、再編・統合によって足腰が強くなり、教育研究の質的な向上が図られるということが大前提であろうかと思う。
   そのほかに、どういうクライテリアがあるかというときに、地理的近接性とか、あるいはスケール・メリットとかというのをいくつかあげているが、この近接性が同一都道府県内であらねばならないということは決してなく、各大学のこれからの検討次第であるが、いろいろなケースがあり得る。例えば、両県を越えて、県境でそれなりにまとまるという可能性だってないわけではない。そういうことも含めて、いろいろな可能性がこれから出てくると思う。これからのいろいろな可能性を私どもも期待したいと思っている。
     
     何とか区切れよくつくれないか。(笑)もうちょっと柔軟にというか、もうちょっと広く将来を見て考えたほうがいいのではないかという気がした。
     
  実際に国立大学とはいいながら、いろいろな過程で今までできてきた中で、統合の例を拝見すると、「平成15年度の統合を目途に検討」という中で、例えば九州芸術工科大学とか、神戸商船大学とか、東京商船大学とか、東京水産大学とか、かなり特定の領域に特化した大学がある。例えばの話、商船大学が東京と神戸の両方に要るのか。別に神戸大学に神戸商船が一緒にならなくても、商船大学として一つのスケールのメリットを目指して、仮に東京がメインになったとしたら東京商船大学神戸キャンパスと、例えばそういうことはできないか。
多分、身近なところでお互いに探すというのは、これは企業の場合でもあり得るわけなので、それが多いということは仕方がないにしても、先ほどの意見のように、その範囲に限定するというのは、かなり将来の発展を、自ら手足を縛るようなところがある。
例えば、芸術工科大学という名前がついている大学は、随分全国にたくさんある。必ずしも国立ばかりとは限らないが、かなりファンクショナルなところでもう一遍見直して集中していく。地元にそういう名前がついたものが何か必要なら何々キャンパスとでもして、物理的になくすメリットとデメリットを別個に検討したっていいのではないかという気がする。今お話を伺うと、必ずしも都道府県の中に縛らなければいけないという厳密なルールがあるわけではないというお話なので。
しかし、実際にやっておられる方々は、何となく、一つは身近でやりやすいということと、やるならその辺かなというので検討しているとも思えるので、あるいはそういうルールが全体にないのだということなどを明確に示した方が、あるいはもう少し幅広く検討しようということにつながるかもしれないという意味においても、いいのかなという気もする。   
     
     これは実は、先ほど議論になった法人化の話と関係ないようで関係してくる。将来、足腰を強くして教育研究上の充実を図るという観点からすると、先行して統合・再編できるところを、私どもは後押ししながらお願いしているわけであるが、実際は、法人化した後にそれぞれの法人のかかえる大学の発展を考えたときに、また別のくくり・リシャッフルの可能性も出てくると思う。
   当面、今検討している中で、今おっしゃった商船は全国一つというのもあるではないかというのは、そういう可能性も含めて議論する必要がある。ただ、大学だけではなくて公立の水産高校であるとか、船をかかえている教育機関は結構あるので、それが全国に一つというのはなかなかしんどい部分もある。西と東でまとまるということであれば、近間の神戸大学と一緒になったほうが海洋関係の広がりが出てくるかなとか、水産と商船というのは海とか水に関係して近接した部分もあるので、そこでの新たな展開を考えようということなど、いろいろな議論を経ながらここまで来ている。
   ただ、おっしゃるように、いろいろな可能性があり得るので、今の段階でどうのこうのという話だけではなくて、近い将来でのリシャッフルも含めて、またいろいろご指導いただければと思う。   
     
     今の説明に関連するかと思うが、2枚目のところに、「法人化とも関連して、地方公共団体や学校法人との連携も検討課題」と書かれている。このペーパー自体は国立大学の再編・統合ということであるが、将来においては、現在でいえば国立大学あるいは私立大学などとの統合といったようなことも視野に入っているという、そういう意味の連携というふうに読んでよろしいのだろうか。
     
     これはいろいろな分野もあるのだが、例えば、教員養成を各県にある国立大学教育学部で行っているのであるが、いい先生を育てるというか確保する仕組みというのは3つのフェイズがあって、1つは養成、採用、それから採用後の研修であるが、第2、第3の段階は都道府県の教育委員会でやっていらっしゃる。昔の師範学校のように、もうむしろ養成段階も地方にお任せしたほうがいいのではないかというご意見もある。それは相手のある話であるので、どうするかということも含めて、まだ可能性をいろいろ探らなければならない。
   他方で、今のお話で言うと、一般論として公立大学も国立大学の法人化に合わせて、首長さんのご意向によっては法人化できるスキームをつくらなければいけないと思う。そうした場合に、学校法人とは違って、公立大学、国立大学は同じ税金を使っているパブリック・セクターであるので、主な出資者は違うというものの、そこは法人化してしまえば法人同士でいろいろな連携・協力のスキームが、今とは違う形でできてくるのではないか。あるいは、国と地方との共同立というスキームは今まではないが、将来的には、むしろもっと別の形でのアフィリエイトの仕方、例えば一緒になるとか、あるいは、公立大学がこういう部分をやっているのだったら、近くの国立大学は別のところをやるというような、役割分担も視野に入れながら。
   今までは、それぞれの大学が自己完結してしていた傾向があるが、もっと視野を広げながら、アフィリエイトした形でそれぞれの発展を図る、あるいは縮小するという可能性はあると思う。そういういろいろな可能性をこれから検討していきたいというのが私どものスタンスであるし、大学にもご検討をお願いしているところである。
     
     再編・統合も考えるべきなのであるが、この例を見てみると、学部の多い総合大学がいいんだという発想が、どうも裏にあるような感じがする。ところが、総合大学のスケール・メリットというのもあるのだが、それによるデメリットというのが国立大学の中で非常にはびこっているという現状がある。単科で特化する大学というのが、私はあっていいのではないか、そのほうが、うんとその分野では伸ばしていける、そういうふうに思う。
   それともう一つは、再編・統合の後に廃止というのが来るのかどうか、再編・統合で終わりなのかということをちょっとお聞きしたい。   
     
     今のところはそれぞれの地域で、各地での教育の機会均等とか、あるいは地域における産学連携も含めた研究だとか、それなりに頑張っていると私どもは評価しているのであるが、18歳人口の減少傾向の中、教育面において自己改革もできず学生が集まらない、あるいは研究のアクティビティーも沈滞するという状況になれば、やはり考え直さなければいけないこともあるのではないかと思う。そういうことがないように各大学には頑張ってほしい。
     
     やはりこれからの大学のあり方で世界に通用する大学というものを考えた場合に、国立間だけの統廃合だけではなく、これが法人格を持った後には、やはり県とか市とか府とかの大学とのいわゆる統合や、さらに、将来は私立大学との統合もやはり考えて、世界に通用する大学ということを考えた場合に、統合だけが目的ではないので、ぜひそこまでやっていくべきではないかというふうに私は思う。
     
     将来は私立まで入れて考えていただきたい。そこで、ご意見をいただいたのだが、資料3の2ページ目をお開きいただくと、再編・統合を進める理由と視点、それから進め方が書いてある。理由としては、教育研究基盤の強化ということと教育研究の充実発展とあるが、これはよろしいだろうか。また、視点についても若干いろいろなご指摘があったが、ほかにご意見があるか。
     
     この教育研究という表現であるが、この再編・統合を進める理由というのが科学技術創造立国の人材をつくるという観点から始まって、科学技術というのは、最近は科学・技術ではなくて科学技術という一つになって使われているのであるが、教育と研究というのも連続しているが、本来は違う側面を持っているわけである。それで、現在議論されている「トップ30」の議論も、国際競争ということをにらんで、研究を主眼とする研究大学というようなものでの人材育成を念頭に置いているが、本来であれば、やはり日本の社会の将来あるべき姿に対して、それを引っぱっていく人材、それを支えていく専門的な高度教育、それから高度な市民教育という、大きく分ければ3段階ぐらいのグランドデザインがあって、それで考えていかないといけない。科学技術という、経済、産業では強いかもしれないけれども、国民としての価値観というものをあまりはっきりさせないようなもので一国の教育全体を議論していく場合に、教育研究という言い方が「・」がなくなって、科学技術というのと同じように、国際競争力をつけるためだけの人材育成という方向に使われているのが大変気になる。
   これでいった場合に、教育を主眼とする、つまり高度な市民を教育するような大学というのが、一体どういう位置づけになってくるのかということが大変気になっていて、今後はその点もぜひ考えていかないといけないと思っている。教育研究という言葉の使い方、これは注意を要すると思う。
   私の概念では、教育研究というのは、大学における教育と研究は一体であるという、20世紀初頭にフンボルトがドイツのベルリン大学で始めたような、そういう思想。これは東大を頂点とする日本のミニ東大、ミニ京大をたくさんつくってきた系列に属する発想で、これからは教育に専念するような大学というのも非常に重要だというのが私の認識で、これが「・」を、やはり入れていただきたいという気がするわけである。教育または研究ということである。
     
     地理的近接性が一番に出てくるのがやはり気になって、むしろ合併・統合することによって大学が新しい特性を出せるというのは非常に大事だと思うのである。だから、他県の大学であっても合併することによって、例えば、日本では極めて弱いメディカルエンジニアリングなんかを強化しようとか、何か少し前向きなものがないと、近いところにいるから一緒になろうというのでは、ちょっと安易すぎるのではないか。
     
  それが1の○になっている。1が教育の面である。
     
     わかった。新分野の開拓が入っているのか。何となく地理的近接性がボンと前に出てしまい、この例を見ると全部同じ府県の近い大学が合併するというので、ほんとうに魅力が出せるのだろうか、合併のメリットが出せるのだろうかということは、かなりよく考えておかないといけない。
     
     6月に提言した構造改革の方針の1番が再編・統合であって、ここに既に「県域を越えた大学・学部間の再編・統合」というのが入っているわけであって、いわば教育研究の発展のために必要であれば、県境が間にあってもそういうことは気にしないという、当然の前提で検討をしてもらっている。
     
     ただ、これだけを見たらそうは見えない。場合によっては県域を越えてもいいというのをここで書いておく必要がある。
     
     統合・再編を検討する際の視点の中に、一つ言っておいたほうがいいと思うのは、統合することは非常にメリットは大きいと思うのであるが、同時に、統合と分権のバランスを取るということが統合する場合に非常に必要なことだと思うのである。だから、大きくなればいいよというものではない。そこら辺のバランスをどこか取る必要があるというのは入れておいたほうがいいのではないかと思う。分権ということ、要するに権限の委譲を同時に行うことが必要だということである。
     
     これも大変大事なファクターだと思うので、どこかにリマークしていただけるだろうか。あるいはお考えいただいて結構だと思う。
     
     再編・統合というのが本来何のために進めるのかというのは、今のままで経済的にも成り立ち、実際に教育そして研究の中身としても独自性がキープできるのなら、再編・統合などという話はもともと出てこないわけである。だから、先ほどの法人化の話なども、基本的には高等教育が迫られている要件の変化の中で、実際に経営的に存立していく基盤をどうやって確保していくのかというのは非常に重要なことだというのは明々白々で、今までの審議会の中でも随分議論されている。
   視点の例で2のところでは、教育研究に関連する諸要素という持って回った言い方をしないで、むしろ経営基盤の強化とかいうぐらいのことをきちんと言ったほうが、やっぱり視点もはっきりしてくるのではないかという気がする。それはその中で地域・産業界との関連も出てくるし、スケール・メリットの問題もまさにそこである。
   それから、上の教育研究の質的向上の中に、例えば1に教養教育、リベラル・アーツがあり、これは私も個人的に賛成であるが、全部の大学がリベラル・アーツを一生懸命にやる必要があるかどうかというのはまた問題である。1234というのは、おそらくは1よりは2を重視をしてやっていくところが出てきてもいいというのだろうと思うのであるが、これを読んでいると、せっかく統合するのだるから、みんなそれぞれ今までやってなかった教養教育もちゃんと体制整備しろよというふうにも読め、そうすると、逆に再編・統合の成果は薄まってしまうということもあるので、この辺のメッセージをもう少しクリアに出していったほうがいいのではないかという気がする。
     
     次は、世界最高水準「トップ30」の育成の考え方についてである。特に具体的に問題になるのは、先ほどご説明があった4−1の2ページ目に分野構成が入っていて、これが基準になって選んでいくということのようであるので、こういった分野構成が、こういうことでいいか、あるいはいろいろ考え直したほうがいい点があるのか等についてご意見をいただければと思う。この10の分類というのは、先ほど詳しい説明があって、従来の、例えば学術会議の分類等とは違った視点で構成されている、こういうようなことである。
     
     どう分けてもなかなか難しい問題であるから、概ねこういう分け方でいいのではないかと思うのだが、問題は、分野により研究者の非常に多いところとわりと少ないところがあり、そういう不公平が出てくる可能性があるので、研究者の多いところは30取ろう、少ないところは10にしようというふうなフレキシビリティーもあると考えていいのかどうか。
   もう1つの質問は、一つの分野で、ある大学が2つの専攻を出していいのかどうなのか。それによって散らばりが非常に違うわけである。1つしか出せなくて30選ぶとなると、相当これは散らばってしまうだろうが、2つ出せると、2つ取る大学がたくさん出てきて散らばりはうんと少なくなる。どちらがいいのかというのは非常に問題になると思う。
     
     まず1点目であるが、おっしゃったとおりである。細分野で見ていくと、あるいは大くくりの分野で見ても、研究者の数あるいは専攻の数はもちろんばらつきはあるし、それから、どんな申請が出てくるのか、申請の数もおそらく違うだろうし、申請の中身も、数は多いけれどもすぐれたものが少ないという場合もあるだろう。その辺を見ながら、御指摘のとおりに10から30ぐらいで、一律に20ずつということにはしないで弾力的に対応していってはどうかというふうに考えている。
   それから2点目であるが、御指摘のとおり、一つの分野の中で1大学は1件限りというふうに仮にした場合に、果たしてそれは自然な学問を通じた競い合いと言えるのかどうかという疑問がある。一方で、無制限に幾つ出してもいいとした場合に、特定の大学のみで占められてしまって、いわば、一般に今予想されているようなとおりのところが入っただけだということで、意外なところが入ってきて、活気ある競い合いがなされないということになる恐れもあるということもある。
   いずれにしても、私どもとしてはその点についてどうすればいいのかという確たる案を、現時点では持っていないところであり、その辺についてもご意見をいただければと考えている。
     
     30選ぶのだと、2つぐらい出すと適当な散らばりになるのではないか。1つずつだとあまりにも広がりすぎるし、3つ出させると一部の大学が独占してしまうので。今度ちょっと減ったので少し違うわけだ。しかも、非常に複雑になったのは、専攻を組み合わせてもいいということになると、これまた極めて複雑であって、2つの専攻のいい先生だけを出してきてやると、その専攻の平均値がわからなくなる可能性もあるわけだ。それでもいいと考えるのか、その辺の問題が出てくると思うので、ここもかなり慎重にしておかないと混乱を起こすのではないかという気がする。
     
     この「トップ30」を選ぶというのは大賛成で、ぜひともやってほしいと思うのであるが、専攻に当たっての審査委員会のあり方、これが非常に問題になってくると思う。今の話のように、1つの大学から2つしか出せないということになると、本来ならばナンバーワンであるべき研究機関がナンバーツーに譲るということになりかねない。
   だから、どうしても30の大学をつくらなければならないということで、ナンバーツーも含めて選んでいくのか、それとも、ほんとうの研究で選考していくのかは、この審査委員会にかかると思う。審査委員会でそういうところを配慮しながら選定をするかしないかということにかかってくる。各大学も1分野何専攻でもよろしいということで、大いに出し、たくさん出た中から審査委員会で選考していくというほうがフェアではないかと思う。最初から限定してしまうということはよくない。これは競争にも何もならない。ナンバーワンでありながらナンバーツーに譲っていくということになるから、そういうことは私はやるべきではないと思う。
   それから、今まで科研費などの選考において、審査委員というのが徒弟制度でずっと来ているわけだが、そういうことを廃止していただいて、ほんとうに立派な人を審査委員に選んでいただく。これは何も日本人だけではなく、外国の学者も中に入っていただいていいと思うのであるが、そういうことも加味しながら、実際に選考する機関というのをしっかりつくっていただければ、これはしっかりした組織がつくれるのではないかと思うので、ぜひお願いしたい。
     
     科研費で審査で徒弟制度のようになっているという話は、今、基盤研究の中心的なものは2年で委員をちゃんと交代するように、そういった点を注意するようにやっている。
     
     基本的なことだが、「トップ30」というのは資料に書いてあるような、世界最高水準の大学とはこういうもので、こういうことになる可能性を持ったところを、申請をベースにしてピックアップして、結果的にそういうのを30ぐらいつくろうという、そういうことか。
     
     30という数字は漠然とした数字ではあるが、大学の5%程度を世界最高水準といわれるようなものに育てていきたい。世界最高水準のイメージとしては、今、先生がおっしゃったような、ここに書いてあるような事柄である。それを育てていく方法、手法として、学問分野別に大学の博士課程の組織を第三者評価により選定して、そこに重点支援を継続的にしていってはどうかという構想である。
     
     例えば、その博士課程であるが、例えば10なら10の分野で博士課程があれば、平たく言えば、少なくともそのうちの7つぐらいが世界最高水準でなければ、今のイメージに当たらないだろう。その中のたまたま1つが世界最高水準で、ほかは三流だというのではどうなのか。多分、常識的にはそんなことはないと思うが、今の話で幾つ出してくるかという話のところには、たくさん出したら集中する、一つ一つを広げてというのであるが、一つ一つ出して、10のうち1つだけ特化して出していってOKになっても、ほかがだめだったら、多分このイメージに合わないのではないか。
   極端なことを言うと、最初からある程度こういう可能性のある大学というのは、もう見えているのだと割り切ってしまってもいいのではないか。「トップ30」が、ここに書いてあるように目指すものがあって、むしろこういうことをやること自体がどうかというご意見はまた別にあるわけだろうが、これでやると割り切るのなら、大体複数のところでレベルに達してなければ世界最高水準の大学とは言えないのであるから、それは自動的に対象は限定されると言ってもいいのではないか。参加するプロセスを尊重することはいいかもしれないが、そのぐらい割り切らないと、実際には目指すものというのはなかなかそれでは出てこないのではないか。高々一つぐらい該当しても、あまりそういうことをすること自体に意味があるのかどうか。
     
     今、おっしゃるとおりだと思う。ただ、いろいろな単科大学等で特にピカッと光っている部分があるところもチャレンジできるようにする道も必要かなとも考えられる。
   予算が非常に限られているので、結局、30大学、10分野で300になってしまうので、これを300で割ってしまうとほんとうに「トップ30」どころではなくなるので、その辺も勘案しないといけない。一方で、一生懸命に頑張って、全体はそうではないけれども、この部分はものすごく光っているところも伸びることを支援はしてあげたい。道を閉ざさないのも意味があるのかなという面が一部ある。私学等でいろいろ一生懸命に頑張っているところも支援していくのが大事だと思う。
     
     同じことであるが、制限をするのには反対である。結果としてどこかに集中することがあるかもしれないが、それは結果であって、とにかくそれぞれの分野で一番いいところ、トップのところを支援するという、そういう趣旨のはずであるから、最初から一つの大学で幾つなんていうようなことを決めるのは非常に趣旨に反する。
   それから質問であるが、複数専攻の組み合わせというのはどういうことなのか。これは科研費などとは違って、研究者をサポートするのではなくて、研究教育組織としてのドクターコースを専攻単位で、あるいは研究科単位で支援するということだと思うが。
     
     組み合わせといっても、あくまで組織としての組み合わせを念頭に置いている。例えば、バイオサイエンスの分野で幾つかの組織を組み合わせて、いわばグループを組むことによって、組織のグループとして世界最高水準を目指そうという構想を大学がお持ちになることも当然あると思う。そういう可能性にも道を開こうと。
   したがって、研究科というのは専攻という組織によって構成されているが、その専攻組織の組み合わせ、つまり結果として研究科単位で最高水準を目指そうということもあってよいという、そういう幅広い戦略の立て方を大学、学長にしていただけるような仕組みにしていきたいというねらいである。
     
     前回は、大学の学長のリーダーシップで出したほうがいいのではないかという考え方だったが、今回のは、「各組織に必要な経費を合算して、当該大学に配分する。大学では、関係組織に所要額を配分して、必要な経費に使用される」と書いてある。そうすると、その選ばれた専攻に行くと考えているのか。前回は、どちらかと言えば、わずかというと悪いのだが、それほど大きな額にならないから、大学が有効に使ったほうがいいのではないかという意見が強かった。専攻を選ぶ過程で、大学はかなり無理をしないといけない。例えばAという専攻とBという専攻とCという専攻があって、みんなかなり競い合っている。そのうちの1つを出したときに、ほかのB、Cの専攻へはお金が全く行かないということになってはまずいだろう。今度、合わせてもいいということになったので、ちょっとそこは違うのだが、その辺のお金の使い方も含めて質問をしたい。
     
     これは自動的にその専攻組織に丸ごと行くということではなくて、評価され、選定されたというのが専攻なり研究機関なり、あるいはグループの組織であるので、基本的にはそこを最高水準に育てるための計画に沿って使っていただく。ただ、その使い方は学長にお任せをしたいと。
   極端な場合、評価されたのと全く違うことに使うというのは、これは常識的には考えられないと思うが、そうではなく、基本的にはその組織を育てるために使っていただきたい。その組織以外の大学全体の基盤整備なども、その組織を最高水準に育てるためには必要だということもあろうと思うが、そのあたりは、まさに学長のご判断にゆだねたいという趣旨である。
     
     そうすると、あまり活動を制限することなく、数は制限しないで好きなだけ出してもらって競争したほうがいい。ある大学は5つ選ばれても仕方ないということになるだろう。そうでないと、学内で学長さんは非常にしんどい立場に立つわけだ。数を制限すれば、削らないといけないから。
     
     そうすると具体的には、各大学の学長が申請をするときは、当大学では以下の者を申請するというふうになるのか。それとも、個々に、別々に申請するのか。
     
     イメージとしては、例えば生命科学の分野では、我が大学ではこの博士課程の組織を申請すると。その申請の場合に、先ほどからご議論いただいているように、複数を認めるのか、あるいは一つなり二つなり、あるいは三つなりに絞ってもらうのかという点はあるが。大学としてまとめて申請する。
     
     私も、数は制限するべきではないと思う。数を制限したらおかしくなってしまう。たしかに1番がたくさんあって、幾つか譲って2番手、3番手が出てくるというのは、これはやっぱりどう考えても競争原理に反することである。ぜひそれはおやりにならないほうがいいのではないかと思う。
     
     分野構成について、大体こういうことでいいのか、あるいはもうちょっといろいろ変えたほうがいいのかという観点のご意見はあるだろうか。
     
     複数出してよく、しかも、分野で数も決めないのであれば、分野にこだわる必要はないのではないか。例えば生命科学を例に取ると、生物学で非常にいいグループの専攻がある、農学にも薬学にもあるという大学はあるわけだ。それを2つに絞れと言われると非常に苦しいが、3つ出してもいい、4つ出してもいいというのであれば、それはあまり問題ではない。この分類そのものはあまり問題にならなくなってくると思う。
     
     そうだ。ただ、数は制限される。今度、選ぶほうは制限されるから。
     
     それはそうだ。しかし、それもフレキシビリティーがあり10から30というわけだから、いいのがたくさん出た大学は30取れるかもしれないし、それが少ない大学は10になるかもしれないという、そういうフレキシビリティーもあるわけだから、あまり細かいことを議論する必要はない。
     
     この前、社会科学が少なすぎるのではないかという御指摘があった。この点は結論的なものは出てなかったと思うが、どうなったのか。
     
     私どもとしては、ほかにもご意見をいただきながら考えたいということで、まだそこの結論めいたものを持っているわけではない。ちなみに、社会科学の中に法学、政治学、経済学、経営学と入っているが、果たして法学・政治学グループ、あるいは経済学・経営学グループで1分野を構成する共通性というのがあるのかないのかというあたりもご意見を賜ればと思う。
     
     例えば、機械・材料と化学、地球科学を比較すると、機械・材料の材料部分というのは、むしろ化学のほうにいっていたほうがより近いのかという印象をちらっと受ける。物理化学の中に地球科学をむしろ移したほうがい近いのかなと。あるいは、社会科学についてももう少し強化するかというあたりについての意見はあるか。
     
     その辺は審査委員会の構成の仕方だと思う。今までもそうなのだが、どちらにもわたるようなものが出てくると、それは向こうの審査委員会でやってくれとかそういうことになるのであるが、精神から言うと、ほんとうは新しい学問も興そうということだから、何か審査委員会のほうを工夫すべき。結局は、申請の段階では学際的なものとか、新しく興そうとするようなものが、多分かなり出てくる可能性がある。
     
     もちろん、これでカバーできるわけのものではない。
     
     だから、むしろ審査委員会のほうを十分にそれに対応できる構成を考えていただきたい。
   それから、複数というときに、一つの大学で生命科学の中で幾つかという例は先ほど出たが、一つの大学で生命科学の生体工学と、それから、例えば機械・材料のところの機械工学というように2分野にわたるというか、分野が違うものを2つ出すということも考えられるのか。
     
     それは当然ある。
     
     この件は審査委員会の構成ということ、それからどういうふうに採択するかということ等に関係するので、先ほどの、社会科学はこれでいいのかというようなこととか、若干のモディフィケーションは考えるとして、大枠としてはこのような方向で進むということでよいか。
     
     後はお任せするになってしまう。数がフレキシブルになったわけなので、少し統合して大きくしたほうが整理がしやすければ、大きくしても、そこは30取れれば同じことである。それから小さいところができても、これは10であればあまり不公平は出ない。確かに化学と材料なんて一緒になったほうがいい、地球科学は物理についたほうがいいとか、そうすると1つぐらい減る可能性がある。だからそれも構わないのではないか。だから、後はもうお任せするということでいい。
     
     この辺は事務局で、いろいろ分野の数とか大学の数とかお考えになっていただきたい。
     
     必要があれば今月中にもう1度開催させていただくが、その場合にはご連絡をさせていただき、日程を調整させていただきたい。今後は、おおむね月に1回程度ということで開かせていただきたいので、よろしくお願いしたい。
     
     それでは、これで議事を終了する。長時間、ありがとう。

 

(高等教育局高等教育企画課)

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