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98年の答申以降進められてきた改革においては、学校が元気がないのではないか、つまり、教育委員会が元気で、行政が主導で改革を引っ張ってきたように感じる。すなわち、学校に改革や改善を自主的に進めていこうとする意欲、エネルギー、力量などが不足している。また、経営責任や学校評価などが強調される中で、校長や教員が自分のエネルギーを出していないと感じる。
今回挙げられた検討事項だけでなく、日本の学校を元気にするために学校にどんな権限をどのように与えていくのかというようなことも視野に置きながら検討する必要がある。例えば、教育内容について、基本的な内容をミニマムスタンダードとして学習指導要領で提示し、それをどのように展開するかは、直接学校に「中抜き・丸投げ」する。オランダなどでは直接学校に教育内容についての権限などを与え、学校の改善を図っていると聞いている。途中にいろいろなものが入ってしまうと結果的に文部科学省が目指したものが実現できなくなってしまうのではないか。
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どこが問題か、何が検討課題か、つまり、現状のどこに問題があるからこういうことを検討しなければいけないという現状把握がわからない。急な調査は無理だと思うが、既存の調査の中でも教育委員会制度と学校をつなぐパイプのどこが詰まっているかとか、それから校務分掌が複雑であることが、実際の教育活動のどういう足かせになっているかとか、学校の自主性・自律性を確保する目的は、よりよい教育をすることであることは間違いないと思うが、それが実現されていない原因はどこにあるのかをとらえられるデータがないか。文科省の改革と学校現場の受けとめ方の温度差とか、学校側から拙速な改革に見えて意欲がわかないのは仕組みの問題なのか、どこに問題があるのか。教員や教育委員会に対する調査などにおいて、教育委員会と学校との関係について、人事の仕組みも含め、どういう人がどういうルートで指導主事になっているかとか、そのことが実は学校現場から見ると、ふさわしくない人が管理する側に回っていることはないかとか、そういう問題点をまず挙げないと、机上の空論になってしまうのではないか。
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先生たちは、教育活動に専念できずとにかく忙しいと言うが、抜本的に学校が身軽になって先生がやりたことをできるように思い切って考えてみるべきではないか。データはあるもしれないが、そういう現実があるということはかなり世間の問題意識になっているのではないか。
また、教育委員会の権限を学校に渡しても、学校自身にそういう経験がないため、権限を十分に活用しきれていないという現実もある。
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全体としてリソースが拡大する時代であればお金をつけてくださいという話で済むが、お金が減ることを前提にして、その中でのリソースの活用といった場合、教育委員会にどれくらい免許を持った職員がいるかなど既存のリソースがどれだけあるのかを考えないといけない。例えば、学校に権限を渡すといった場合、総額裁量制の中で事務職員を雇用することが何らかの事務組織の合理化を伴いながらできて、それによって先生方の事務処理能力の負担を少しでも軽減することが制度的に可能なのかどうか。
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学校裁量権限ということで、例えば学校裁量予算でも各市町村がいろいろな仕組みつくっている。埼玉県志木市ではヒアリング方式、宇都宮市では交付金制度のような形で、横浜市では学校経常運営費とは別に、特色づくりの特枠を設けるという形で学校の自主性・自律性を財源的に保障する仕組みをつくっているが、一方で学校の中の事務処理体制がまだ確立しきれていない。受け皿がきちんとできていれば、裁量予算の趣旨が学校の中で生かされて、特色づくりの事業と予算がうまくかみ合って学校経営がなされていくが、そこがうまくいっていない場合、経常経費の補てんに終わってしまうという実態が多く出てきている。教育指導部門が学校組織の中心になっているが、管理運営部門というものもきちんと体制が整備されていかない限り学校裁量権限がおりてきたときに、学校組織としてうまく機能しないのではないか。
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今、教育現場では、「生きる力」が盛んに言われているが、教師自身に説明責任、結果責任に対する意識が希薄である。学校の裁量権限の拡大は、地方自治の本旨からいっても重要であるが、権限が来たら、その権限に基づく意思決定過程を明確にすることが必要である。学校では「忙しい、一人一役だ」といって責任が雲散霧消してしまう。教員の資質向上にあたっては、リーガル・マインドを教員自身に養成することが重要であると考える。意思決定過程の確立や教員一人一人の法的な責任というものを後回しにして、権限委譲さえすれば良いということではないと考えている。
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結果として今の学校は校長と教頭と二人で管理運営部門を担っている。教育を担うのがその他の職員であって、管理運営については校長と教頭と二人でやるという構図ができ上がっていて、長年そういう形で何とかやってこれたが現状に完全に合わなくなってきているのではないか。今回のこの検討部会では、その辺をもう一度見詰め直す必要があるのではないか。そういう点で、一人一人の先生が、組織運営と管理運営にどういうふうに意識を持つのか、実質的にどういうシステムをつくっていったらいいのか、そのよりどころの一つとして、民間で開発されてきた考え方、動かし方を、学校に導入することの是非がここでの一つの大きな検討事項になるのではないか。
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民間企業から県立学校の校長として就任した際に第一印象として感じたことであるが、まず学校は単年度行事遂行型の組織で先を見据えていない。また、連携、協調、協働、リーダーシップというものが苦手である。先を見据えていないからベクトルが合っていない。それから、手段が体系的に整理されておらず積み上げ方式になっているので捨てることができず忙しい。一番問題なのは先生方のところに情報があまりいっていない。社会がどんどん変化し、すばらしい学校も生まれているが、そういう情報が先生方のところにいってないので、先生の思考の幅が狭い。知の共有化が進んでおらず、個の知恵になっている。もっと授業というのは進化できるのではないかと感じた。さらに、業務の効率化、機械化が進んでいない。そのほか、学校は目標を達成するためのチームのはずだが、それができていないと感じた。
学校組織の在り方や権限については人事、予算、それから教育課程の問題などいろいろあるが、校長にそんなに権限がないわけではなく、要は校長が何をやりたいのかということが大事である。
校長を経験して2点思ったが、私が校長としてやったこと、考えていることが、横に広がっていかないということが非常に問題で、権限よりも何をやっていいかよくわからない、校長あるいは教頭として、何をやったらいいのかよくわからないというのが現状である。また、県全体では何千人という教員を抱えているが、大企業であれば人材育成を一生懸命やっており、人材育成をやらなければ競争に負けるということで、いろいろな幅広い勉強をやるが、そういうことが教職員集団の中でなされていないため、何をやったらいいかわからないということにつながっているのではないかと考える。
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教育委員会が校長や管理職がやりやすい制度を随分つくってきていると思うが、その成果を問うのが性急であるために、校長の方も何を出さなければいけない、こうしなければいけないというような意識が出てきているのかなということを感じる。それから、教育委員会からの指導というと、管理職の中にはやらされているという意識を持って思考が止まってしまう者もいる。自分がこの学校をこういうふうにつくっていこうということで、いろいろ考えたり、情報収集すれば、現実に教育委員会で受けとめてくれる部分があるにもかかわらず、何か教育というのはそういうのとなじまないという通念があるのではないか。学校現場としても、組織的に学校を運営していくためにはどうしたらいいかということを、管理職のみならず教員もきちんとわかるような意識改革を図る必要があるのではないか。
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仕組みをつくった先に成果が出てくるかが、本当は一番大事である。大学は先行して外部評価などにさらされているが、それによって実質、授業が変わっているかという問題との間に大きなギャップがある。これは組織論ではごみ箱モデルとか言われているが、目標と実際との間の関係がルーズリーにしか結びついてないということも組織論の常識である。教育組織を研究するときには、いつも目標自体が達成の測定が難しいものであるから、下手をすれば評価がアリバイになってしまい、それがどんな成果に結びついているかというところにつながらず、結局仕組みだけつくってまた忙しくなるということを繰り返すことになる。現状の学校の管理運営体制がその教育の成果にどういう弊害をもたらしているのかということがわからないと、結局は何のために作業しているのかというのがわからなくなる。
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中央教育審議会の様々な部会でも、学校の現状や問題点について相当具体的な形で報告がされている。また、この作業部会の中でも、例えば民間からお見えになった方が学校というものを御覧になって、具体的に学校の持っている課題等について報告いただくなど、背景となる事実については蓄積されてきているのではないか。
仕組みだけつくって、仏つくって魂入れずでは何にもならないが、仕組みをまずつくることが管理職のOJTに有効であることもある。例えば、職員会議をなくした学校が実際にあるが、そこでは前のような妙な多忙感はなくなったということもある。学校が試行錯誤を繰り返すこと自体が管理職に対するエンカレッジになることもある。
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校長が、任された学校をどうつくっていくのか展望を十分に示せないまま、その時々の問題に対応しているという状態が多く見られる。従って、何らかの研修やスクーリングの形を新たに考えていくことも重要になるのではないか。
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管理職の適材確保については、1970年代の後半ぐらいから教員研修の体系化や生涯を通しての研修体系ということで、各都道府県等々それぞれ取り組んで現状に至っていると思うが、結果としてそれをどう評価するのかということをもう一度見詰め直さなくてはいけない。要するに、管理職の養成あるいは管理職にふさわしい人材育成という観点から見ると何か足りなかったのか、違った養成システムを考えなければいけないのかどうなのかを改めて問い直さなくてはいけない。その象徴がいわゆる民間人校長という形になるのかどうなのか、民間人校長の検証を行うことも重要な一つの検討課題ではないか。
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これからは校長、教頭がどれだけ卓越性を持つかが非常に大事である。教員の中で卓越性のあるものが教頭、教頭の中で卓越性のあるものが校長になっていく。卓越性はものすごく幅広い要素があり、勉強する力をつけていくシステムをきちんとつくっていかないといけない。今はそれがないから民間の力を借りようとしているが、本来、教員が卓越性をどう身に付けるかということをやらなければいけない。例えばマネジメントといっても非常に奥が深く、リーダーシップも同様である。動機づけ、発想法、会議の進め方など身に付けないといけないスキルがたくさんある。民間でやっているコーチングも取り入れていかなければいけないものもある。卓越性をしっかり身に付けることをシステムの中に入れ込んでいかないと、これから先の学校の在り方としてはまずいのではないか。
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平成10年の答申の後、状況は変化しており、国、都道府県、市町村と学校の関係が、従来の垂直的な関係から、地方分権時代にふさわしいように水平的な関係に変わっていかなければならない。そうすると、それぞれの役割分担をどうしていくのか。国はナショナルスタンダードとして全国的な観点から必要なものをしっかりやるが、「画一と受け身から自律と創造へ」という視点で、実際に教育サービスが提供される学校現場により主体的な役割を持たせていくという大きなベクトルがある。しかし、学校現場が権限をしっかり受け止めて対応できるのかというと、受け皿がまだ十分ではないと思う。校長がリーダーシップを発揮して、学校が組織体として十分地域に信頼される学校として機能するための受け皿づくりをどうしていくのかという問題意識が背景にあり、これからの新しい時代の学校経営について新しい制度設計が必要で、現場の先生方にもその制度設計を御理解いただいて、主体的に取り組むインセンティブをどう与えていくのかということが、今後の議論になると思う。私どももそれに必要な資料とか、ヒアリングの機会を十分設けさせていただこうと思っているので、自由濶達な御議論をいただいて、今の制度の現状にとらわれることなく、やはり改革すべきは改革する、ここがおかしいなら、ここはこういうふうに改革すべきだという積極的な御提言をいただきたい。
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学習指導要領は、教育課程の基準として国がいわゆるミニマムスタンダードとして決めているものである。教育委員会がどうかかわるかということについては、中抜きの御議論もあったが、市町村立学校について都道府県が基準を設定するということはこれからはしない。最終的な責任は、学校の設置者である教育委員会が負うにしても、具体的には学校現場が主体性を発揮して地域性を踏まえた創意工夫を凝らした教育課程を編成して実施するということは変わらない。その際、最終的な結果責任を負う教育委員会と学校とのかかわりについては、これまでは学校管理規則において教育委員会が承認を与えるということもあったが、権限関係を明確化して、より学校の主体性を引き出すような関係づくりをすることも課題になると考えており、自由に御議論いただければと思っている。
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義務教育費国庫負担制度は総額裁量制で今後も維持されるという前提で、この作業部会では議論していいのか。
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三位一体改革の18年度までに総額4兆円の国庫補助負担金を縮減するという中で、義務教育費国庫負担金が大きなターゲットになっていることは我々も承知しているが、義務教育費国庫負担制度については、国の責任において義務教育の水準確保と機会均等をきちんと実現していくという、国としての責任の分野だと考えているので、これを踏まえて御議論をいただいて構わない。我々は財源は国で保障しつつ、地方の主体性や責任において創意工夫を凝らすよう地方の自由度を高めて、現場に合った形で実際の設計をするという形で考えているので、これを前提にしながら御議論を重ねていただきたいと思っている。
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今、構造改革は現実に進んでおり、垂直的な関係から水平的な関係へということで、権限、責任が移譲されている。一方で移譲された権限をうまく行使をして、説明責任を果たすことが求められている。これまでは、特に義務教育は全部同じという前提で、何から何までみんな同じにしなければならないという意識でやってきたが、これからは最低水準の部分は、当然やらなければならないが、色々なことについて知恵を出し、それについて評価を受けて地域住民や保護者の信頼を得ていかなければならない。
ところが、これまでの学校の組織体制はきちんとした意思決定や責任の体系ができていないことから、まず権限をしっかりと使いこなし、説明責任を果たせる体制をつくることが必要である。しかも、現場の先生方がそういうことに意外と気がついていない。多忙か多忙感かということはあるが、いずれにせよ、もっと学校の組織運営というものを効率化して、必要なところに時間とエネルギーを注ぎ込める余地は相当あると思う。ここでリアスティックに議論して、大きく提言していくことが必要だと思う。
また、公務員制度改革が平成18年度に設定されており、今年度から給与について各県の裁量権が大きくなっている。給与、職制、評価などこれまでタブーだった部分に手をつけられるようになっており、その上で信頼される学校をつくりあげていく必要がある。
今回の教育委員会制度全体の諮問の中で、学校に権限や責任をおろし、それを学校としてどう受けとめて、実施していくための体制をどうつくるかということが、本作業部会の明確に焦点化された課題である。結局スローガンに終わってしまったということだけは絶対したくないと思っているし、まさに作業部会であるので、極めてリアリスティックな目で、主査を中心に審議を進めていっていただきたい。 |