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中央教育審議会初等中等教育分科会

2003年6月23日 議事要旨
中央教育審議会初等中等教育分科会教育課程部会総則等作業部会(第2回)

中央教育審議会初等中等教育分科会教育課程部会
総則等作業部会(第2回)

1. 日   時   平成15年6月23日(月)15:00〜17:30

2. 場   所   霞山会館   まつ・たけの間

3. 議   題
  (1) 「総合的な学習の時間」の一層の充実について
  (2) 「個に応じた指導」の一層の充実について
  児島邦宏氏(東京学芸大学教育学部教授)からの意見聴取
  谷口俊郎氏(岡山県岡山市立福浜小学校長)からの意見聴取

4. 配付資料
資料1    当面の具体的な検討事項の例
資料2    「個に応じた指導」に関する学習指導要領上の規定と実施状況
資料3    「個に応じた指導」の効果について
資料4    「個に応じた指導」の実施上の課題について
資料5    「個に応じた指導」に対する文部科学省の支援策
資料6    「個に応じた指導」に関する学習指導要領上の規定の経緯
資料7    意見発表資料(児島邦宏氏)(PDF:146KB)
資料8    意見発表資料(谷口俊郎氏)(PDF:1,349KB)
資料9    今後の日程等(案)

  (机上資料)
          中央教育審議会答申、教育課程審議会答申
  小・中・高等学校等の学習指導要領
  総合的な学習の時間実践事例集(小学校編、中学校編)

5. 出席者
(委   員)
安彦主査,浅田委員,今井委員,小栗委員,小久保委員,中許委員,西村委員,船津委員

(意見発表者)
児島邦宏氏(東京学芸大学教育学部教授)
谷口俊郎氏(岡山県岡山市立福浜小学校長)

(事務局)  
文部科学省: 金森初等中等教育局審議官,河野主任視学官,大槻教育課程課長,今里教育課程企画室長
国立教育政策研究所:月岡教育課程研究センター長

6.議事等
(1)    事務局より前回の議事について説明の後,「総合的な学習の時間」の一層の充実について,自由討議が行われた。主な発言は以下のとおり。(○=委員)

○   「総合的な学習の時間」を行っていて,時々やりにくさを感じるときがある。生徒が関心を示してくれなかったり,例えば妨害さえ試みる生徒も存在していて,このような生徒への対応なしには「総合的な学習の時間」は成立しない。
   「総合的な学習の時間」の調査結果では,小学校よりも中学校の教員の方がネガティブな回答が多かったが,このようなことも理由の一つではないか。

○   「総合的な学習の時間」は,社会教育と学校教育の融合を具現化する時間であり,少年団体,青年団体も学校とさらに連携を図り,学校教育の現場の方を外へ出すようなこと,また,自らが積極的に学校の中へ入っていくことを,より促進すべきだと考えている。
   青少年団体は,戦後から国際的な活動を活発に展開してきており,「総合的な学習の時間」では,国際理解の面で一番かかわりを持つことが可能であり,より有効な資料や材料を提供できる。
   国際理解については,意欲的な教員であっても,実体験や生の材料が不足気味であれば,子どもが喜んで学ぶような授業が難しいと思うので,もう少し外部の教育資源を使っていただくような働きかけをシステムとして拡充していただきたい。

○   教育改革が現場にも浸透し始め,新しい取組も進んできているが,やや出遅れた感じがするのが「総合的な学習の時間」ではないか。その原因は,内容が示されていないということで,教員にはこのことが新しい経験となって,なかなか難しいという問題もある。
   2年ぐらい前までは「総合的な学習の時間」にも熱意があったが,今はどちらかというと学力のほうにスタンスが強くかかっている。普通の学校で,普通の教員が,「総合的な学習の時間」に積極的に取り組めるようにするにはどうしたらいいかということを考えている。
   現場で教育課程を編成する時間や,誰が中心になるかということが非常にあいまいで,教務主任が中心的にかかわっていても,底が浅いし,深みはまだない。教育課程を中心とした担当教員といったようなものができないだろうか。
   今後,「総合的な学習の時間」を充実するためには,なお一層の体制づくりが必要ではないか。学校の体制の中で誰を中心に,どういった形で中身を編成するかということをもう一度練り直さないと,形骸化していきそうな感じがする。

○   「教科学習」と「総合的な学習の時間」は二律背反的なものではなく,「教科学習」等が充実しているほど,「総合的な学習の時間」も充実していると思う。
   新学習指導要領の2年目でもあり,今こそ改めて「総合的な学習の時間」を一層充実させるという方向で進めていかなくてはいけない。
   学校としての全体計画の作成の中で,「総合的な学習の時間」を学校としてどう位置づけていくかが大きな課題である。多くの小学校では,特色ある学校づくりと「総合的な学習の時間」を二つ合わせて考えているのが実情ではないか。よって,学校としての「総合的な学習の時間」のとらえ方を明確に示す必要があるのではないか。
   また,「総合的な学習の時間」を誰がコーディネートするかが大切になっている。多くの学校ではそれを各学年に任せているが,少なくともそれをコーディネートする者が1人でもいないと難しい。
   小学校,中学校,高等学校の相互の情報の共有に努めることは大切であるが,実際問題としては難しい部分があり,あまり行われていないのでないか。よって,情報の共有ができるシステムづくりも大切ではないか。
   「総合的な学習の時間」に取り組むほど,そのための条件整備も課題になってくるので,その点もどこかにつけ加えておく必要がある。

○   高等学校では,「総合的な学習の時間」は,生徒たちに人生を考えさせたいという意味のとらえ方が多く,これからも,将来,人生一生を考えたときに,あなたたちはどう生きるかということを中心に考えさせる時間になるのではないか。
   「総合」というのは,教科横断の「総合」という意味もあるはずで,大学で教科横断的な出題を行うと,高等学校でもそういう方向性も含めて考えることになり,幅が広がっていくのではないか。
   また,「総合的な学習の時間」によってどれだけ力がついたかということを学力調査で問うていくことに興味があり,文部科学省や国立教育政策研究所で研究されるとありがたい。

○   課題の一つ目は,「総合的な学習の時間」の性格づけをどう考えるかである。カリキュラムの構造として,「教科」と「総合的な学習の時間」がどういう関係にあるかが一つの課題である。
   二つ目は,内容はどうやって決めていくのかである。教員は,内容を決めるときに,教える価値があるかどうかで判断するが,その判断基準として学習指導要領以外に何か考えられるのか。また,目標,能力,内容を考えるときに,学習指導要領はどういう基準として示せるのかが課題である。
   三つ目は,学校のカリキュラム開発をどう支援していくかである。教員にどういう力を求めるか,学校経営と行政,支援体制といった問題についてどう考えていくかである。
   四つ目は,「総合的な学習の時間」を具体的にどう考えるかである。現場では様々なタイプの取組が実践されているが,それらをすべて許容するのか,あるいは制約をつけるのか。自由度をどこまで認めるかとというのは,考えるべき問題である。
   この場では,方向性をどのように示すかということを議論するべきである。

○   「教科学習」と「総合的な学習の時間」は二律背反,二者択一ではなく,両方同時にやることが大事である。「教科学習」の覚える,理解するいうことと「総合的な学習の時間」の体験的,総合的な仕組みにおける「わかる」ということは違うのではないか。
   理科という教科をどうわからせるか,理科教育はなぜ必要かをわからせるために,「総合的な学習の時間」がバックアップとしてあるというようなことで,「教科学習」と「総合的な学習の時間」は両方が必要であり,そして完結するという車の両輪として考えている。

(2)    事務局より,資料2から資料6について説明が行われた。

(3)    児島邦宏氏(東京学芸大学教育学部教授)から,「個に応じた指導」の一層の充実について意見発表が行われた。意見の要旨は以下のとおり。

   原則的なことを確認するが,「個に応じた指導」の基本的なストラテジーとして,一つは,第15期の中央教育審議会の第二次答申に,「形式的平等主義から個性重視の教育へ」という一つのスローガンで,重心の移動を図ろうとした。これは「全員一斉かつ平等」から「それぞれの個性や能力・適性に応じた内容,方法,仕組みを」という内容で説明されている。同じことをそれぞれの子どもに応じて指導し,しっかりどの子にも確実に力をつけようというのが実質的平等主義,個性重視の原則であり,ここがしっかり押さえられていないと,「個に応じた指導」の言わんとするところがどこかにいってしまうのではないかという点が一つある。
   もう一つは,学力についての考え方で,平成12年12月の教育課程審議会の答申で,重ね餅的に積み上げていくという考え方が示されている。
   一番下の層に「体験」があり,その上に「基本的な生活能力」の層が,さらにその上に,「教科等の基礎・基本」の層がある。基礎・基本とは,学習指導要領に示す各教科等の基礎的・基本的な内容であり,知識や技能のみならず,意欲や思考力,判断力,表現力等も含まれ,教科のみならず,特別活動,道徳も含まれる。その基礎・基本の上に,知の活用・総合化ということで,教科で学んだものを使うことによって初めて世の中を,自分の足で世渡りができるようになっていく。こういう学習をもう一つ乗せようというのが[生きる力]のねらいで,[生きる力]が学校教育の到達目標である。
   [生きる力]は学校教育と社会教育との接点をなす一つの学力のレベルで,ここまで積み上げて世の中へ子どもを送り出していこうというのが学校のねらいとするところである。新学習指導要領のねらいは,教科等の基礎・基本の上に[生きる力]をはぐくむということで,この二つの層を[確かな学力]と呼んでいる。
   現在の取組を見ると,指導組織,指導体制上の課題は,学級組織という1対40をどのように弾力化して,きめ細かくそれぞれの子どもの学びに対応できるかである。学習集団の規模,教員の指導体制,教員の専門性,学習集団の質という四つの視点から,少人数加配,ティーム・ティーチング(TT),小学校の一部教科担任制,習熟度別指導などが,様々な組み合わせで行われている。
   教材の質の問題として,習熟の程度や学習のスタイルに応じた教材開発が行われている。子どもの体験不足という点から学習のリアリティをどう高めていくかという工夫も,教材づくりの一つのポイントである。教材を子どものそれぞれの学びに応じて,どのように工夫していくかということが大切である。また,指導法,指導技術の問題がある。
   その他,「個に応じた指導」には,個性を伸ばす教育という側面もある。
   「個に応じた指導」については当面する問題として,三点ある。
   一点目は,「個に応じた指導」の中で,習熟の程度に応じた指導をどのようにとらえるかである。小学校の学習指導要領には習熟度別指導についての記述がないが,調査結果では,小学校でも習熟度別指導に取り組んでいるのが一般的である。
   習熟の程度に応じた指導には,考え方が大きく分けると二つある。
   一つは,小・中学校に見られるマスタリーラーニング的なとらえ方である。習熟の程度の差を生み出さない指導で,どの子も一度でわかる指導をすることが原則である。しかし,力及ばずして診断的評価の結果,習熟の違いが生じた場合に,再度単元の習得の徹底を図るために,教員の側の指導の責任という視点から,二つ三つのコースを設定して指導して,どの子にも確実な定着を図っていく。より組織的に行う場合には,単元レベルで,その指導に充てる時間をあらかじめ確保しておく。
   それに対して,高等学校では,習熟の程度等に応じた弾力的な学級編制が認められており,あらかじめ子どもたちに,ある能力の違いがあることを前提にしていて,ある面では能力をやや固定的にとらえている。そして,事前テスト等の違いによって,新しい学習に入るに先立って,既に補充・定着・発展等のコースに学習者を振り分けて授業の中身に入っていくという考え方である。
   おそらくこれは小学校,中学校,高等学校と上にいくほど,同じ言葉を使いながら能力指導的な考え方が強まっていくような傾向がうかがわれる。そこで,習熟の程度に応じた指導と言いながらも,一体どのような考え方でこれを行っていくのか。その点を見ておく必要があるのではないか。
   また,言葉の問題として,「習熟の程度に応じた指導」の「程度」という言葉については批判があり,「習熟の状況に応じた指導」と表現すべきではないかという意見もある。
   二点目は,補充的な学習と発展的な学習で,学習指導要領の範囲の中なのか外なのかということをめぐって,二つの考え方が見られる。
   中学校の選択履修に見られるような学習指導要領の範囲を超えた内容の学習を発展的な学習ととらえている場合がある。もう一つは,習熟度別指導に見られるように,学習指導要領に示された学習の理解・習熟の上に,その基本原理の応用・深化を図るという学習を発展的な学習ととらえている場合で,両方受け入れるとすれば,別の表現が望ましい。
   小学校では,発展的な学習を通常の授業で全員に課すのか,習熟度別指導の中でのみ一部の児童に課すのかが問われ,中学校では,選択で扱う内容と必修で扱う内容の違い,また,補充・発展を必修で扱うべきかどうかを含めて問題となる。
   三点目は,小・中学校間の接続の問題である。指導法や指導体制をめぐって小・中学校間のギャップを解消し,そのスムーズな移行を目指し,学力の定着を確かなものにしようとする方向が求められる。例えば,教科担任制や選択学習などを小学校の高学年から始めることである。
   その際,中学校の教育の在り方を固定化し,それを前提に小学校に助走板をつくることによって先取りしていくというトップダウン方式のやり方が果たして妥当なのか,子どもの学習への適応にうまくマッチしているかどうかの検討が必要である。アメリカのミドルスクールでは,むしろ小学校の5,6年生のやり方を中学校1,2年生まで持ち上げていこうというやり方をとっている。
   もう一つ,「個に応じた指導」の場合に,中学校1年生の授業の在り方を少し考えてみる必要がある。なぜ小学校6年生から中学校1年生に行くときに,不登校が二倍以上に増加するのか。生活への適応がうまくいっていないところがあり,原因としては,学級担任制から教科担任制へ変わることや,じっくり学校生活へなじむ時間がなく授業を急発進することなどがあると思う。
   小・中学校間の接続の問題を,子どもの目からを考えていくことも,一人一人の子どもにきめ細かく対応するための一つの大きな要件になってきているのではないか。

(4)    谷口俊郎氏(岡山県岡山市立福浜小学校長)から,「個に応じた指導」の一層の充実について意見発表が行われた。意見の要旨は以下のとおり。

   本校は,児童数1,051名,32学級,1学級35人強の学校で、1年次(14年度)は,算数科について,「個に応じた指導」のために,授業の指導体制の改善と指導方法の工夫に取り組んだ。指導体制の改善として,TT,少人数指導,教科担任制,幼稚園との連携を考えた。指導方法の工夫については,家庭学習に結びつく授業として,「ショート6」(45分を火,水,木の3日間に15分ずつに分け,6時間目に行う。)を3年以上の学年で実施した。これは,復習や学び方につなげる在り方を探っている。また,課題別授業の在り方を研究した。
   基礎・基本を身に付けるストラテジーとして,研究仮説1『子どもが自らの興味・関心や今までに身に付けた力を発揮しながら,算数科の基礎・基本を身に付けるには,個に応じた「学びの道筋」がある』と研究仮説2『ふさわしいタイミングに,自分にとって必要な課題を自らの判断で選択し,繰り返し取り組むと,課題解決する学び方が身に付けやすい』を立てた。
   2年次(15年度)は,身に付けさせたい学力に着目した授業における「学びの道筋」の確立を研究主題とした。一年間の取組を終えて算数の学力検査を実施したところ,おおむね平均値は全国に達しているものの,個人差が大きく,全国達成率と比較して下回っている領域も見られた。また,岡山県が実施した小学校5年生学習到達度調査によると,学校外での学習時間が30分以内の児童と,ほとんどしない児童との平均点の差は比較的大きいことなどが挙げられた。
   これを踏まえて,「学びの道筋」の確立が必要と考え,3点に重点を置いた。1点目「授業の充実、学びの楽しさを感じる子ども」。2点目「評価の充実、学びを自己決定できる子ども」。3点目「学び方の充実、自ら学び続ける子ども」である。このための「教師の支援,取り組み」を考えた。
   私どもの学校で「習熟度別」ではなく「課題別授業」と呼んでいるのは,与えられた課題より自分で選んだ課題に取り組む方が,学習意欲が高まる。また,自己チェック等で今までに身に付けた力を確認した上で自分に必要な課題を選ぶことを繰り返していくと,主体的に課題を選択していく力や課題にかかわる力などが身に付いてくると考えているからである。すべてを習熟度別授業で取り組むことになると,等質集団になり問題解決の仕方や考え方の違いを生かしての思考力が育ちにくいと考える。推進体制は,担任とフリーの教員等で,少人数指導やTTに取り組んでいる。
   児童への意識調査の結果では,「算数が好き」「どちらかというと好き」と答えた児童が,学校全体で,1学期末では53%だったが,3学期初めには68%に上昇しており,取り組みの成果を感じている。同じく15年1月下旬に行った2年生以上の児童への調査でも,「計算が正しくできるようになりましたか」「自己チェックテストをして自分のわからないところがはっきりしましたか」「算数の授業はわかりやすかったですか」という各質問項目に対して,学校全体で70%以上の児童が肯定的な回答をしていた。課題は,高学年になると肯定的な回答が低くなっていることである。
   また,昨年度と本年度の表現処理の得点状況の結果を比較したところ,上位の子の割合が増え,下位の子の割合が少なくなり,散らばりが多少小さくなっている。自己チェックテストを生かした課題別授業により,意欲の高まりや主体的な取組による技能の習得や知識の獲得がしやすくなったと考えられる。
   15年1月には児童の感想を調査し,多くの肯定意見が見られたが,「できる人とできない人で区別される」という意見もあったので,このあたりは配慮する必要があると考えている。
   また,PTA総会で,保護者にTT,少人数指導,課題別授業,教科担任制についてビデオ等で説明した後,アンケート調査を14年7月に行ったが,TT等の指導体制をとることについては88%の方が賛成であった。15年1月の保護者の感想でも,肯定的な意見が多く見られた。
   15年6月に課題別授業を参観日で公開し,5年生の子どもと保護者に,今の方向をどの程度許容しているか調査したところ,課題別授業,「ショート6」,教科担任制とも,肯定意見の割合が高かった。
   課題別授業の配慮として,コースの人数配分を固定せずにグループを分け,本人の興味・関心や到達度差に合ったコース選定,課題のネーミングについて意欲をもてる工夫などを行っている。さらにコース変更もできるようにし,使用する教室にも配慮している。
   推進上の課題は,今後,興味・関心や到達度差に基づいて適切なコース選定ができるよう選定の在り方について深めていくことである。「学びの道筋」「自己チェック」「ショート6」「教科担任制」「少人数指導」等も,今後,取組を深めていきたい。

(5)    意見発表者と委員との間での意見交換及び「個に応じた指導」の一層の充実について,自由討議が行われた。主な発言は以下のとおり。(□=意見発表者,○=委員,△=事務局)

○   本校では,「個に応じた指導」として,成績によってクラスを分け,テストごとに一割ぐらいの生徒が入れ替わる習熟度別授業を積極的に取り入れており,非常に効果があがっている。これが習熟度だから良いのか,それとも少人数だから良いのかはわからないが,生徒も肯定的な見方をしている。本校では,生徒に劣等感を植え付けるということはなく,生徒自身もそれぞれのレベルで満足しているようである。
   習熟度別授業の課題は,教員の資質の均一性である。成績でクラス分けをしているため,教員の資質に差があると,生徒が納得しない。また,発展クラス,標準クラスと分けているが,クラスが多くなるほど差が広がっていくという課題がある。その他,習熟度別授業に必要となる教員の配置や施設・教室の確保が問題である。

□児島氏   習熟度別授業については,子どものグループと教員とのマッチングは難しい問題がある。ATI(適性処遇交互作用)によると,最も学習の困難を持った子どもに対して,最も指導力のある教員がついた場合に最も効果が上がるが,学習の進んだ子どもは,ベテランの指導力のある教員が教えても,若い教員が教えてもあまり差が出ないと言われている。習熟度別の編成によって効果が上がるのではなく,次の段階である子どもと教員のマッチングが問題である。
   また,グループ分けの際に,同一グループ内の子どもを等質集団と思ってしまいがちであるが,20%以上近似した集団をつくることはできないと言われている。ましてや単元レベルとなれば,ある瞬間の近似した点数の子どもを集めただけで,子どもの個性という点から見ると,わずか1%ぐらいの似た子を集めたに過ぎず,99%は違うのだという前提で指導していくのが,「個に応じた指導」の原則だと言われている。
   よって,どの教員がどのグループを教えても大丈夫という体制が理想であるが,教員の側の問題もあり,難しい面もあることが一般に指摘されている。

○   本校も,少人数指導で指定を受け,教員の加配を受けたが,少人数指導担当より学級担任が良いと言う。1年後,この研究は少人数指導担当が中心でないとうまくいかないということを教員全員がわかってきて,教務主任などの中心になっている者が少人数指導担当になるとよいという考え方が一般的になり,それ以降は意味を持つ研究になった。特定の教員だからできるということではなく,すべての教員が同じようにできることが大切である。例えば習熟度別であれば,どの教員でも様々なグループを同じように指導できないと困る。そのための入念な打ち合わせが必要であるという意識が浸透してきている。

□谷口氏   本校では「課題別授業」という言い方をしている。算数の授業について,一律習熟度別という考え方はとらず,単元によっては興味・関心別に分けている。保護者に,「できる,できない」で分けているとレッテルを張らせないよう,意図して行っているところである。

○   一つの特性に着目して子どもを分けることは,教える側にとっては教えやすいが,それがあまりうまくいかないというのは,ATIの研究で明らかである。少人数で分けた場合の,子ども同士がうまく学び合える適性人数については,明らかになっていないと思う。
   例えばアメリカの研究では,15人であれば通過率は20%以上上がると言われているが,それよりも多い人数になると,教員の力量の問題もあるが,30人でも40人でも通過率はあまり変わらない。日本では,大体25人平均で少人数指導が行われているが,アメリカの研究に基づいて考えれば,通過率はあまり変わらないことになる。今は新規性によって,ある程度効果が見られるかもしれないが,それが本当に少人数指導による効果であるのかを見極めなければならない。
   それから,グループに分けるというのは,教員が教えることを前提としている。できる子ができない子を教える,子どもが先生になるということを考えたときには,等質集団ではなく,実は異質集団のほうが成り立つ可能性がある。絶えず教員側が教えることを前提としているために,教員の資質は均質でなければいけないという考えになってしまう。学校教育のシステムとして少人数指導をどう考えていくのかについては,別の視点も必要である。
   また,TTが導入されたときに,学校としてうまく機能しない一番の理由は,TTを行わない学年の当事者意識がなくなってしまうことにある。学校でその学年にTTをつけると決めてしまうことに問題があり,内容によってどのような指導をすべきかということについて,学校が指導法を持てたところは,様々なTTの形が考えられる。よって,学校がどのような基準で,この単元はTTにすると決めたのかがポイントである。

□谷口氏   この研究が始まった時点で,本校の子どもたちの学力面に不安があったため,まずは算数の「数と計算」領域から取り組んだ。1年間取り組んでみて,これを重点単元として残すかどうかを,本校だけではなく中学校とも協議しながら,現在検討している。

○   児島氏はインディビデュアライゼーション(個別化)とパーソナリゼーション(個性化)を分けているが,TTを行うことによって,個性を育てることにつながるのか。個別化教育という方法と個性を育てる教育との関係について,どのようにお考えかお尋ねしたい。

□児島氏   TTは教員側の問題として昭和40年代に入ってきたが,最近のTTの考え方は,子どもの個性を生かすということで,個性のどの部分に着目して,1人の教員ではできない部分に対応するかということである。例えば,従来、1人の教員の場合には,学習スピードの早い子どもと遅い子どもには十分対応できなかったが,何人かの教員が組めば,それぞれ分担して,多様な子どもの個性に対応できる。
   個性重視の原則では,同じ学習であっても学習の仕方が違うので,「きめ細かな指導」により対応しようとするインディビデュアライゼーションの考え方と,それぞれの子どもの持ち味を積極的に伸ばしていこうとするパーソナリゼーションの考え方の両面がある。その両面を含めて[確かな学力]と言っている。「個別指導」や「個性を生かす教育」と様々な言い方があるが,「個に応じた指導」とは,どのことか言っているのか整理が必要ではないか。

○   例えば,学習指導要領総則にある「各教科の指導に当たっては,児童が学習内容を確実に身に付けることができるよう・・」という規定はあいまいなのだろうか。

□児島氏   学習指導要領の規定は,すべての子どもに共通の内容を身に付けさせるという意味では,グループ別指導や繰り返し指導もどちらかといえばインディビデュアライゼーションの方にウエートがかかっている。ただ,発展的な学習や選択学習は,パーソナリゼーション的な部分があるので,仕分けをしておいたほうがよい。

○   資料8の14ページに,算数が好きかについての意識調査の結果があるが,1年生から5年生までは肯定的な意識の児童の方が多いが,6年生になると急に少なくなっている。これに関する分析があれば,教えてほしい。

□谷口氏   まだ十分わかっていないが,一般的には,高学年になると,算数がわからないという子どもが増えている。学力,興味・関心等も含めて差が出ており,勉強したくない子は最初から授業も受けたくないという気持ちが出てしまっているのではないか。

○   小学校において「個に応じた指導」という場合,調査結果にもあるように,ほとんどが算数,次に国語で行われている。子どもたちの学習のスピードや興味・関心,学習スタイルの違いはあるが,教科の特性があり,算数は習熟度別を行うと効果が上がる。
   小学校で「個に応じた指導」のための教員加配があった場合,ほとんどが算数に充てると思うが,加配の少ない現状で,小学校に習熟度別をと言ってよいのかどうか。
   また,先ほど小・中学校のなめらかな接続という話があったが,教科担任制と全科担任制の違いが非常に大きなハードルになっており,なかなか連携できない。中学校の1学期までは全教科担任制で行うということも考えながら,小・中連携に取り組んできたが,なかなか難しいと感じた。

○   中学校1年生からの不登校が多く,また,中学校側は,中学校のシステムの中に入れようとする意識が非常に強い。保護者からも,中学校に入ったら途端に毎日が大変だという苦情が絶えずあった。校長の意識においても,小学校と中学校では大きな差がある。「個に応じた指導」や「総合的な学習の時間」とも関連すると思うが,小・中学校の接続の問題については,今後,課題意識を強めなければいけない。

○   二つお尋ねしたい。一つは,学習の「出口」についてで,「楽しく学ぶ」というのは,学ぶことが楽しいのか,学んだ結果わかったことが楽しいのか,どちらであるか。楽しく学べば自然にわかるのか,あるいは基本的には学ぶことはつらいことだと思うが,勉強というのは,わからなかったことがわかると,またわからないことが出てくる。そういうことを続けていくのが勉強であり,「わかった」という喜びを与えることによって,つらい学びを凌駕していける力がつくのではないかと思うが,どのようにお考えか。
   また,学習の「入口」については,各教科の教員が子どもたちに対して,年度当初などに各教科を学ぶことが自分にとってどうなるのか,それはなぜ学ぶ必要があるのかという説明の機会や時間を取れないものか。「わかった」という感動と,なぜ学ぶかという動機を形成することは,大切なことである。

□児島氏   「出口」については,本来子どもは,わからないことがわかるということが面白く,知りたがり屋であるが,今の子どもたちはテレビやゲームなどによって,体験を失い,感性が鈍っている。もっとしなやかな感性があれば,面白いとか,どうしてなんだろうとか,様々なことに気づくはずだが,それがないために,学校で理屈めいたことを出されると,学ぶことは覚えることで,耐えることになってしまっている。よって,学校には,具体的なものを提示して授業に入っていかなければ,なかなか子どもに入っていかないという難しさがある。おっしゃるとおり,知ることの面白さみたいなものがなければいけない。
   また,「入口」の問題については,そのとおりで,従来から,子どもは何でこれをやるのかわからないまま勉強している。「これをやっておくことがあなたにとってどんなに大事であるか」について教員はきちんと答えていない。だから,学ぶことの意味や意義を感じないままに学習している。
   「総合的な学習の時間」は,子どもたちにとって算数・数学などの教科で学んだことが力を持っているということを実感できる場面となっていて,特に中学生ぐらいでは,教科学習の活性化につながっている。

□谷口氏   従来は,「楽しく」ということは必要なかったが,今はまず楽しく学校に来てほしい。そのためにわかる授業や生活と密着するような設定を意識した授業を進めていきたい。

○   少年犯罪の一つの要素として,勉強がわからないということがある。その対応として,少人数教育は非常に有効で,一般の授業の中で全然手を挙げない生徒も,少人数の中では,授業への積極性が格段に違う。
   本校では少人数指導の際に,美術や体育の教員が教えている現状にあるが,人的配置は避けて通れない問題である。

○   資料7の3に「小・中学校間の段差」とあるが,これは指導法やシステム上の段差ということなのかお尋ねしたい。

□児島氏   小・中学校の間に問題があるということで,子どもにとって大きな壁がある。例えば,不登校がなぜ2倍に増えるのか,その原因としては文化の違いなど様々なことが言われている。小学校は学級担任制だが,中学校では教科担任制になるため,担任と縁遠くなり,ギャップを感じる子どもがいる。また,授業のスピードが中学校は小学校より早いなど,持っている文化が子どもにとって壁になっていて,子どもがその壁を乗り越えるには,もっと大きなスロープのかけ方をしていかないとうまくいかないのではないかということである。

○   環境移行の研究によると,学校が変わることによって,人間関係はリセットされるが,簡単に言えば,できる,できないという同じ評価システムによって,すぐにその構造がまた再生され,結局,できない子はますますできないというレッテルを張られてしまうということがある。小・中学校の連携というときに,小学校間の格差の問題を中学校がどのように考えるのかは問題だと思う。

□児島氏   子どもにとっての問題状況があるということで,それを乗り越えるために,小学校が中学校のやり方を前倒しで導入しているが,事は中学校に問題があるのではないか,中学校はそのままにして,小学校が対応するというやり方でこの問題は解決するのかということを,内容的にも検討しておく必要があるのではないか。

○   小・中学校の連携についてであるが,私どものペンフレンドクラブでは,小学校のクラブ活動で海外文通まで楽しむことのできる子どもを育てているが,その継続の要請を中学校の教員が受けとめてくれず,中学校の初めで終わってしまうことがしばしばある。クラブ活動での連携がその程度であるので,教科での連携がうまくいくのかという強い疑問がある。

(6)    事務局より今後の日程について説明があり,閉会となった。



(初等中等教育局教育課程課教育課程企画室)


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