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大学院部会医療系WG(第2回) 議事録・配布資料

1. 日時     平成16年11月24日(火曜日) 14時〜16時

2. 場所     三田共用会議所 第3特別会議室

3. 出席者    
(委員)   井村(座長)、福田(副座長)、青木、入來、笠原、北村、斎藤、舘、菱沼、南の各委員
(意見発表者)   東間教授、今中教授
(文部科学省)   徳永高等教育局審議官、泉高等教育局審議官、小松大学振興課長、石野医学教育課長、加藤(敏)医学教育課課長補佐、加藤(健)医学教育課課長補佐、他

4.  議題
(1) 医療系分野における大学院の機能強化について(討議)
【意見発表】
東京女子医科大学病院長   東間 紘   教授  

資料(PDF:162KB),補足資料

京都大学大学院
 医学研究科社会健康医学系専攻
  今中 雄一   教授   資料(PDF:31KB))

(2) その他

5.  配付資料
  資料1   大学院部会 医療系WG(第1回)議事要旨(案)
  資料2   大学院部会 学問分野別WGに係る審議について
  資料3−1   大学院部会 医療系WGの審議状況(前回における議論と意見募集より抄録)
  資料3−2   大学院部会 医療系WG各委員からの御意見について
  資料4−1   大学院部会 各WGにおける審議状況[医療系WG]
  資料4−2   大学院部会 各WGにおける審議状況[人社系WG]
  資料4−3   大学院部会 各WGにおける審議状況[理工農系WG]
  資料5   看護分野の大学院教育に関する懇談会 主な意見
  資料6   大学院部会 医療系WGの今後の日程について

(机上資料)
 大学院部会医療系WG関連資料集
 大学院部会における審議経過の概要
−国際的に魅力ある大学院教育の展開に向けて−
 我が国の高等教育の将来像(審議の概要)
 大学院部会関係基礎資料集
 「科学技術・学術審議会人材委員会第3次提言」及び
 「科学技術関係人材の育成・確保について(総合科学技術会議決定)」を含む
 高等教育関係基礎資料集
 文部科学統計要覧(平成16年版)
 大学設置審査要覧
 教育指標の国際比較(平成16年版)
 大学審議会全28答申・報告集
 中央教育審議会答申
  「大学等における社会人受入れの推進方策について」
「大学の質の保証に係る新たなシステムの構築について」
「大学院における高度専門職業人養成について」
「法科大学院の設置基準等について」
「新たな留学生政策の展開について」
「薬学教育の改善・充実について」
「新しい時代における教養教育の在り方について」
 国境を越えて教育を提供する大学の質保証について(審議のまとめ)
 科学技術・学術審議会人材委員会第1次提言
 科学技術・学術審議会人材委員会第2次提言

6.  議事
(1) 臨床系大学院の現状と諸課題について、東京女子医科大学病院長 東間 紘教授から資料等に基づき意見発表があり、その後意見交換がなされた。
(○:各委員、●:東間病院長)

各委員  現在大学院全体の問題が中教審で議論されているが、これからの大学院は研究者の養成と専門職の養成、どちらかに目的を分けていくべきであるという流れになっている。そのような流れの中で医学系において、基礎医学系では基礎研究者養成が目的になるが、臨床系では何を目的とするのか、又その目的は専門職育成型としていいのかということが問題になる。研究者の育成と臨床の基礎技術を持った人の育成、どちらで考えられているのか。

東間病院長  基本的な考えとしては、臨床の専門技術を持った人を養成するということで良いが、その中で研究的な意欲も持つ人が出た場合、基礎的な研究の方に行き来できる自由度がないと困ると思う。最初から専門職大学院として決めてしまうと、そのような移動が利かなくなるのではと危惧する。

各委員  自由度は大事なので、基礎医学系、臨床系相互に設けたほうが良い。ただ評価の際、研究者育成型では試験や論文等で評価が可能だが、臨床系大学院では、何をもって評価すれば良いかという問題がある。

東間病院長  日本では、専門技術を認定する、審査するということについてほとんどなじみがない。現状では、専門の学会に任されているが、そのこと自体が問題であり、第三者機関による基準の提示が必要である。

各委員  一般病院で行われる後期研修と、大学院に入って専門をやることの違いは何か。また、お話のあったような、市中病院勤務4年後に提出する論文・試験の結果により博士の学位をもらえる連携大学院制度や、市中病院に勤めたまま入学する社会人大学院入学制度と、大学病院に勤めることの違いが明確ではないのでないか。もう一つとして、実際の医大の例のようにした場合、大学院生に大学病院で診療をさせておいて、夜は外の病院にアルバイトで当直に行きなさいというようにもとられかねない。現在医療の安全等の問題が言われている時に、その運用には危険な面が伴うのではないか。

東間病院長  大学病院以外の病院で診療しようが自大学の病院で診療しようが、そういった人たちが大学院の研究生として在籍できるという制度が必要になると思われる。その時は研究生として、所定の専門的な技術研修を終えて、論文を作ることによって博士の学位を取れるようにすれば良いと思う。また、大学病院での勤務に対しての月給が非常に少なく、奨学金等の全体的な補助、社会的な手当が必要であると思う。

各委員  専門医制度が学会任せになっていることが問題であるということについて、社会的に見ればその分野の専門家の方々の集団である学会で評価ができなくて、第三者が入った方が客観的に専門医の評価が出来るというのは一般的に考えてあまりしっくり来ないが、それは学会の在り方に問題があるということになるのか。

東間病院長  現状は学会員でなければ認定されないことになっている。また、学会の会員同士のやりとりである程度の部分決まってしまうという弊害がある。しかし、専門医の技術を認定するには、専門医・職能集団が審査するしかないにせよ、その認定には、社会的なコンセンサスが得られるような形での透明性が必要である。その仕組みを保証するように、その上にある第三者機関が必要であろうと思う。

各委員  医療系の大学院として、基礎系を中心とした研究型大学院と、臨床型の高度専門医療人を養成する大学院双方が必要なのは確かであるが、臨床と基礎研究が連携して行う部分、例えば基礎研究で行うトランスレーショナルリサーチ的なもの、いわゆる中間にある臨床研究というものを担保する必要がある。日本ではこの分野が諸外国に比べて弱く、論文数も少なく質もかなり遅れている感じがする。臨床系大学院を職能大学院に特化してしまうと、そこが抜けてしまう可能性があると思う。その中間の第三のプロセスという視野が必要ではないかと思われる。

東間病院長  臨床系大学院が単なる職能大学院だけになることは危険であり、今の大学院の中に臨床系コースも含ませて臨床研究も保証することが望ましい。今までは、研究としては臨床研究が軽視されてきた経緯があり、臨床研究を重視するという大学院の在り方が大切である。そのためには、二つに分けたとしてもそれぞれの行き来ができるような形にすることが重要である。

(2) 日本での公衆衛生大学院の将来像について、京都大学大学院医学研究科社会健康医学系専攻 今中雄一教授から資料等により意見発表があり、その後意見交換がなされた。
(○:各委員、●:今中教授)

各委員  日本において今後、この分野でマスターを取った人が必要なのはおそらく行政やマスコミの世界であり、その分野での活躍も期待されている。更に、医学教育の分野が最近大きくなっていることも勘案した場合、この分野のマスターをとることも必須条件とすることも考えられる。そう考えていくと、日本ではSchool of Public Healthの大学院をいくつぐらい用意しておけば良いのか。

今中教授  School of Public Healthの大学院については、現状日本における教育資源側も限られていることからも、たくさんあるよりはある程度限られていて良いと思われる。実際問題として、就職先もそれほど多いものではなく、数は2〜3くらいに絞って、その大学の中身を充実させていった方が良いのではないかと思う。京都大学でも当初の構想としては、行政への就職も視野に入れていたが、現実問題として例えば国の行政は国の行政の方でキャリアパスがきっちりと固まっている。ただ、一方では、分野の横断的な試みとして地域医療福祉に関しての行政人の養成を行うということで、既に行政にいる人が入学したいと思うような魅力あるプログラムを考えた方が良いという議論もしている。また、マスコミに関しては、医学コミュニケーション分野を置いており、その中でマスメディアを通じての医療、国民へのインパクトということも含めた研究協力を行うという領域を考えている。現在教員の選定中である。

各委員  入学した学生が学ぶ場合、最初からいきなり一つ一つの専門に入ってしまうのか、また、公衆衛生大学院としてのコア科目のようなものがあるのか、更に、全員が共通にPublic Healthの勉強をし、同じ学位を与えていると思うが、その際、どのような水準を考えているのか。

今中教授  本学では五つのコア領域というのものを設定している。その中の例えば一つのコアコースは統計学、疫学、環境、医療マネジメント、行動学などの複数の分野で協力して教えており、それを取らないと卒業出来ないということになっている。最初の半年間位は基本的なところをこのコースワークで行い、全部で30単位必修となっている。そして最終的には実質1年半くらいかけて、課された課題研究を一生懸命やり、修士論文に相当する課題研究を2年生の1月頃に提出して、2日間に渡り一人ずつ発表をし、教員からかなりcriticalな批評を受け、やり直しを行うなどしてやっとパスするという状況になっている。

各委員  先ほど、将来展望として少数精鋭が望ましいという話があったが、外資系企業から日本のマーケティング・病院経営に、アメリカ出身のMBA等の学位を持つ人がどんどん流入してくるという流れの中で、日本側として対抗するために、国策上、少数精鋭でよいものかと思うが、その辺の展望はあるか。

今中教授  少数精鋭でいいということでなく、現材の限られた人的資源の中ではそのようにするしかないという意味である。我々の領域でも、海外のdegreeの人との競合の際や産学連携の際に、お金の面で、いいところは全部取られてしまうということもありながらやっている。いつまでも少数精鋭というのは確かにまずいと思っている。政策の中で、可能なかたちである程度のところまで拡大する必要があるし、社会的ニーズもあると思う。

各委員  臨床系大学院及び公衆衛生大学院双方に共通するのは大学院での専門職の扱いだと思う。臨床系の場合、専門医という位置づけ、これは各学会が認定しているという問題があるかもしれないが、一つのステータスとして標榜できる。一方で、公衆衛生大学院を卒業した人は、何を標榜できるのか、社会的にどのような需要があるのかという視点を考えておく必要がある。アメリカに公衆衛生大学院があるから日本でもやるのだということではなく、そのことよりも資格との関係をかなりよく考えておかないとけないのではないかと思う。例えば看護の方で助産師の専門職大学院ができたが、これは修了後に国家試験受験資格が与えられるという、資格が明確なものとリンクしており、大体うまくいくのではないかと思う。

今中教授  本学内の議論の中でも、国家資格とのリンクがなければいけないという指摘を良く受けており、是非ともそういった形で進めば良いと思う。しかし一方で、大学が出す学位自体にも価値を持たせるようにしなくてはいけないと思っている。例としてアメリカのMBAは国家資格ではないが、色々な意味で社会に行き渡って、必要とされるポジションも多い。国家資格とのリンクができれば更に良いが、我々が出すMPHという学位を持った人間が、きちんと社会に評価され、活躍していくことによってdegreeの価値を高めていくということが一つの本筋ではないかと考えている。

各委員  やはり日本では1〜2つくらいでは公衆衛生大学院は足りなく、将来的には増やしていく必要があるが、今のところは少しずつ増やして、教員を確保し、就職口が保証できるようにすべきだと思う。また、先ほど、臨床研究が日本は駄目だという意見が出たが、駄目な理由の一つはデザインが悪い。アメリカでは、デザインを組み立てる段階で、様々なポジションの者が関わっていく。また、そのようなポジションがいくらでもあり、Public Health Schoolの卒業生は様々な分野に入っていくと思われる。そういう人材の流動性が大きく欠けている日本社会の問題点も踏まえて今後Public Health Schoolをどういう風に日本で育てて行くのを考える必要がある。

(3) 医療系大学院における共通の問題点について自由討議を行った。
 発言の概要は以下の通り(○:各委員、●:事務局)

各委員  いままでの議論を事務局でまとめていただいたが、まだまだ論点としては不十分であろうと思う。問題が大きいと思われる臨床系大学院の在り方、これから日本で必要となるであろう公衆衛生大学院の在り方について、本日専門の先生からご意見をいただいた。しかし、それ以外にも医療系大学院で問題があると思われる。できるだけ問題点を指摘していただいて、次以降に議論をしてまとめていきたい。例えば、看護学の大学院では、専門ナースの養成と看護学という学問をこれからどのように発展させ、大学院がそれに対しどのように係わっていくのか、また、本当に4年制を出てすぐに大学院に入って良いのかという問題がある。医学は2年間臨床を行う。そこでいろいろな問題を見つける場合もあるし、問題点に遭遇し悩む場合がある。看護学でいきなり大学院に入るという形がよいものか。こういった問題が薬学や歯学にもあると思う。まずこういうものを議論した方が良いという事柄についてまず伺い、それを少しづつ整理したいと思うがどうか。

各委員  医療系で共通の問題は何かというものを挙げないといけないと思う。そうなると、専門職の養成ということと大学院としての教育というものの関係をどう考えるのかという問題になるのでないか。また、研究者の育成をどうするかという問題。この二つに絞られると思う。

各委員  2年制の修士課程は専門職育成型、後期課程になるとむしろ研究職育成型といった形が、工学をはじめとする実学では非常に多い。薬学は、6年制になってしまうと、最初の専門職の部分がなくなると思うがどのようになるか。

各委員  薬学の抱える問題として、学部の6年制が平成18年度から始動することや、新設の薬科大学が増加していくという問題があるが、基本的に大学院の問題については、研究者養成コースをどうするか、また、専門職の大学院をどうするかという医学系の問題とあまり変わらないと思う。専門職養成を行うにしても、薬科系大学は必ずしも病院を持っておらず、定員400〜500人がきちんと研修ができるのか、研修するにしても研修指導するきちんとした薬剤師がいるかというような問題がある。そのような問題をまず解決していかなければならないということがあり、大学院においてどのような専門職養成の在り方が適当かというのはその後にくる問題ということなる。また、研究者養成の部分は、薬学でも非常に重要な問題であるが、専門職者養成に比重が置かれると、その部分が非常に圧縮されてしまうのでないかという心配もある。

事務局  薬学の問題はさらに複雑な面があり、法律上薬学というのは4(年)と6(年)両方あり、基礎研究の部分は今まで通り4プラスプラス3で行くということが決まっており、多くの研究指向の大学は4年制の薬学部をそのまま存続させると思う。学部6年制の臨床薬学コースの更にその上に4年制の博士課程を設置する場合、さらにその中で機能をどのように細分化すべきかという問題もあり、更に複雑さを生んでいる状況である。

各委員  その辺の課題は、今の時点で決めてしまうのは難しく、6年制が動き出してから学生が何を求めるのかということを見ないといけないのだろう。2本立てといえば、医学も昔は医科大学と医専、工学部でも高等工業と大学工学部があった。2本立てが一概に悪いとも言えない。多様性という意味ではよいかも知れない。

各委員  医療系大学院を議論する上での論点としては、医療系大学院の研究者育成コースには何を求めるのかということ。その場合、コースワークは必要なのか。今は形としてはあるが大部分が形骸化していると思う。それを求めるのなら実際どういうものを求めるのか。これは医療系全ての分野で共通の課題であると思う。

各委員  今はコースワークが必要だという意識がだんだん強まり、共通の授業科目を開設するなど、コースワークを課している大学が増えているのではないかと思う。

各委員  必要に迫られてコースワークが増えているという状況になっている。例えば放射線を扱う資格を取るために講義を受けないといけなくなったということがある。また、研究者倫理のためにこのコースを取らないと患者全体を扱えないという資格ができている。これに加え、遺伝子を扱う技術、細胞を培養する技術など極めて実技的なものは博士課程の1年制の段階で授業を行っている。2年以上になるとそういったコースワークはなくなってしまう。

各委員  看護の分野は、研究者養成分野は後進であり、いかに他分野に追いつくかが課題となっていたため、現在ではコースワークを相当課している。本学では、研究方法のコースワークとして10単位程度課し、それで初めて研究計画書を出させ、その計画書の審査に通ってから研究を開始できるというシステムになっている。

各委員  アメリカの大学院の例では、研究者として独り立ちできるようにするという目的がはっきりしており、そのためのコースワークを課している。毎週のように、様々な問題を解決するための実験デザインを作ることをテーマとして課し、学生はそれを1週間かけてデザイン作りを勉強し、そのテーマに対する答えを出すということを1年間通して行っている。そうなると学生はどんな問題でも対応できる気になるという。そういう気にさせるというところが良いところらしい。数多くコースワークをやればいいというものではないと思うが、その分野の研究者として独立するためには、最低限学んでおかないといけないというものはこれだというもの、そういう基本的なものは博士課程の初期の段階で学ばせるべきだと思う。
 また、もう一つの問題は、論文を公表させるべきかということ。研究者を養成するのであるから、実験ができ、論文が書けて、その論文の審査に通ったものに学位を与えるということは当然であり、必要なことであるが、全てに雑誌の掲載を要求すべきかどうか。日本の論文は数が多いが、そのうち一度も引用されていないものが40%ぐらいあると聞く。論文の氾濫を防ぐという意味でもこのことについて検討すべきであると思う。

各委員  発表するのは各大学の判断だと思うが、医学は公表させているという面が多いと思う。

各委員  アメリカのパブリッシュという意味は、公表するという意味であり、雑誌に掲載するということと違うのでないか。そうなると新たな審査を受ける必要があり、そうしないと大学が学位を与えられないというのは合理的でないと思う。特に日本の文科系では雑誌に掲載することが一般的であるが、アメリカのパブリッシュは、誰にもその論文を読めるようにするという意味だと思う。学位規則上は「印刷公表する」ということになっているが、この意味は必ずしも雑誌に掲載しないといけないというものではなく、やはり誰でも読めるようにするという意味である。

各委員  論文を雑誌に掲載することについては弊害もある。日本では一つの英文のペーパーが出れば博士課程が終わったということになるが、アメリカではペーパーとしてパブリッシュしなくても、前提に対しこういうことをしたというストーリーを重視する。それが日本の学会での4〜5本文にも相当するものである。日本において博士号を授与する場合も、最初に建てたものがきちんと達成しているかどうかをきちんと評価すべきであると思う。

事務局  現在の仕組みとしては、大学が3か月以内に学位の授与にはこういった論文があったということの要旨と、その論文の審査の結果はこうだったということを、審査の状況とあわせて、要旨を公表するということになっており、それをもらった本人は、1年以内にその分を印刷公表する。これは雑誌などではなくて、例えば白い紙に普通に印刷して公表しても良く、要は誰でも読める状態にするということである。ただし、やむを得ないような場合は、大学が正当な理由であるということを認めれば、その要約したもので構わないとなっている。その場合は大学が求められた時は全文を公表できるようにしておくという体制になっている。

各委員  論文数はイギリスを抜いたが、引用件数はまだまだ及ばない。一番大事なのは、論文を雑誌掲載まで要求するのか、それともきちんと論文が書けるとか、実験ができるとか、自分の研究したこと以外のことにも関心を持っており、それに対するある程度の知識を持っているのかどうかを評価する方が、博士号にはあっていると思う。

各委員  研究指向の大学院の場合、コースワークにより全体のレベルを上げるということと、最先端の少数の部分を吸い上げるということを分離しないといけないのでないかと思う。アメリカ方式ではコースワークの充実により学生が一流のところまで上がると思うが、その先の深い洞察力を持った超一流を育てるというヨーロッパ式も必要であると思う。重点化した大学院ではそこは意識的に分離しないといけないのでないか。

各委員  大学院重点化した大学は、その面はとても重要である。単にステータスを上げるために大学院化した大学が多いのでないか。何をやろうとしているのか明確にしないまま大学院化するというのはおかしい。広く医療界からも意見を聞く機会を設けて良いのでないか。どういうニーズがあるのかを聞いても良いと思う。

各委員  適材があれば推薦願いたい。

各委員  各大学の大学院で何をやるのかという特徴を出す必要がある。ある大学は最先端のことをする、ある大学は地域の医療に貢献できる専門職を育てる、ある大学は地域医療に密着した研究、例えば自分の県に多い痴呆病の研究をするとか、そういう理念を出さないとだめだと思う。全ての大学院が世界に伍した研究をするというのも資源の無駄遣いだと思う。

各委員  非常に重要なポイントではあるが、その前に大学の理念を出すことも必要。日本の総合大学はどこも同じような学部を有している。アメリカのプリンストン大学のように、医学も工学も持たないけれども一流の大学であるというようなものが必要であると思う。日本では学部も大学院も同じ教員であり、大学全体でどのような個性を出すかが重要であり、その点を評価しないといけないと思う。

各委員  もう一つ非常に大きな問題は、論文博士をどう考えるかということである。論博があることによって博士号のイメージが変わってしまう。立派な論文を書かないと博士になれないということ。逆に言えば、他の知識がなくても立派な論文が一つあれば博士になれることになるということになり、このことが課程博士の授与の仕方にも影響を与えている。論博を残すべきかということは他分野を含めた全体の問題であるが、医療関係としてどう考えるかということになる。

7. 次回の日程
 次回は、12月2日(木曜日)10時〜12時30分に開催することとなった。
以上



(高等教育局医学教育課)

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