○ |
:法定賠償は何のために導入したいのか。抑止効果を求める発想があると思うが、それは懲罰的損害賠償と同じ発想で、民事的な救済が求めているものと違う。実際の損害の補填というのが民事は救済の方法だと思うが、一般予防を目的とするなら刑事制裁で解決するべきである。損害額が高額な侵害もあれば零細な侵害もあり、それを全て10万円としてしまうのは適切なのか疑問である。弁護士費用を賄うということであれば、10万円では少ないし、敗訴者負担の問題として考えるべきではないか。
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○ |
:ただ、ソフトウェアについては、流通の回数がわからない場合や公衆送信の送信可能化状態など、立証が困難な問題もあるので、最低ラインを作っておくというのは、下支えとして意味がある。それ以外については、同意見である。
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○ |
:ソフトの価格については、末端でコピーされた時に市場価格が損害であると、LEC事件で判断されている。この判決の考え方によれば、市場で販売されているものについては、市場価格で賠償をもらえるということになる。
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○ |
:最近はファイル交換ソフトによる侵害が多発しているが、「ソフトの価格=損害」というわけにはいかない。ダウンロード数などは膨大な手間をかけないと立証できないという場合が多いが、そうなると、大規模な事件についてはコストをかけても権利行使をしようということになるが、小規模な事件については権利行使が困難であるということになる。そういう小規模な事件について、法定賠償には意味がある。また、懲罰賠償の意味が含まれてしまうという点について、10万円であれば懲罰的側面は入らないと思う。弁護士費用の敗訴者負担では弁護士費用以外の費用についてはカバーできない。
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○ |
:ネットでの送信のように数量や権利者の単位当たり利益を算定できない場合はどうするのだろうか。しかし、法定賠償にすると金額で決めてしまうことになる、が、高く定めても低く定めても問題はあるので、柔軟性にかけるのではないか。それよりも、もっと推定規定を柔軟にしてはどうか。
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○ |
:確かに、法定賠償は柔軟性に欠ける。アメリカでも、著作物1件につきいくらという形での算定方法を使っているが、それは複製回数に関わらずに、1件についての損害額を算定しているのであり、もしも、複製回数がわかればもっと取りたいという考えがあるのならばそれは配慮されないということになる。多数回複製されたことを推定できるような場合については、114条の4を上手く運用した方が良いのではないか。
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△ |
:著作権については、これからは、全ての人に関わってくる問題である。ある人の写真を他の人がホームページに載せたというような小さな事件も多発するのではないか。このようなケースで賠償金を取りたいというときは、どのように損害額を算定するのか。
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○ |
:フォトエージェンシーというものがあって、そこで扱われている写真の利用料を参考にする。もう一つは、著作者人格権侵害として慰謝料でも取れる。
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△ |
:損害額が使用料相当額であるとすると、自分がライセンスしている使用料相当額でなくても良くて、世の中の人が使っている使用料で良いということか。
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○ |
:そういうことになる。使用料には3つ概念がある。一つ目は、直接取引きをしたことのある契約があるか。二つ目は、同種の契約があるか。三つ目は、一般的に使用料規定があるか。裁判所はなんらかの使用料を認定して、この規定を適用している。
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△ |
:そういう使用料の目安となるようなものがないような場合には、どうなのか。世の中で取り引きされていなくて、零細な利用があった場合にはどうなのか。
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○ |
:それでも類似の著作物についての使用料規定を原告側で探してきて、使用料を認定することは可能だ。
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△ |
:いずれにしても原告側が探してくるということか。
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○ |
:そういうことである。
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○ |
:ソフトウェアをアップロードしているのだが、流している本数がわからない場合のように、権利侵害はあるけれども、損害が実証できない場合がある。送信可能化だけでも法定賠償を認めるというのは、著作権法固有の問題として、議論としてはあってもいいのではないかと思う。
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○ |
:いずれにせよ、この件については、引き続き議論していくこととしてはどうか。
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○ |
:重畳的に推定賠償制度と法定賠償制度のどちらかを選択するという方法もあるのではないか。
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○ |
:それについては114条の4についても議論してみた方が良いと思う。
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○ |
:侵害数量がある部分で立証されれば、その2倍までが推定されるという制度の提案だが、推定だから当然反証があり得る。資料5の場合はその2倍の推定を働かせる場合に、合理的疑いがある場合にという要件を付け加えようと言っている。合理的疑いというのは多分いろいろな事情があると思う。何をもって合理的疑いがあると言えるのかという論点がある。
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○ |
:全ての合理的疑いがある場合をあらかじめ想定することはできないので、司法の判断にゆだねることとしてはどうか。
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○ |
:「合理的な疑いがある」というよりも「合理的な疑いをいだく相当の理由がある」という条文になるということか。原告がいくつかの事実をたくさんあげて、裁判所が相当な理由があるかどうかを評価するという構成になるのか。
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○ |
:そうなる。合理的な疑いがあったことの評価を基礎付ける事実について立証対象となるということだと思う。抗弁としては、合理的疑いを否定する別の事実を挙げても良いし、それだけでは、相当な理由があるとは言えないという反論でも良い。
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○ |
:双方、たくさん事実を並べて裁判所がそれを評価できるということか。そうなると証拠の優越で実際上は判断できるということになるわけか。
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○ |
:その場合、合理的な疑いというと、疑いがあれば数量の限定はしないということか。数量は限定するのか。
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○ |
:合理的な疑いはあるが、その数量はわからないという事情がある場合に、確実に立証できた分が1000個であるとしたならば、もう1000個あったとするということである。
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○ |
:そうなると、結局は、立証の厳しさが減ってくるということか。ただ、この場合だと、被告は否認すれば良いということになり、結局は原告が完全に立証しなければならないのと変わらないのではないか。資料の中で、被告の防御方法について述べている部分があるが、被告は否認すれば良くて、立証する必要がないとあるが、これはどういう意味か。
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○ |
:合理的な疑いがあるかないかはっきりしない場合には、推定は働かないという意味である。
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○ |
:合理的な疑いの限度では原告に立証責任があるということか。しかし、実際は、合理的な疑いを覆すためには証拠の優越がなくてはならない。単純否認でも良いのか。
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○ |
:実際は、単純否認だと、合理的な疑いがあるということになってしまうので、実際は間接反証が必要だと思う。
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○ |
:そうなると、その反証の程度も、原告の立証の程度も軽減されるということか。
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○ |
:いったん推定してしまった場合、その推定を覆すには、原告の立証責任と同程度の高いハードルの反証をしなければならないということか。被告側がやっていないことの証明は難しいのではないか。
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○ |
:この推定と言うのは、被告側がいくつ侵害物を作ったかという推定である。被告側はいくつ作ったかは、知っているはずなので、この位の推定は良いのではないか、という発想ではないか。
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○ |
:数量の推認の問題だが、私が言っているのは、LEC事件の判例の中で、本証として証明された部分を2倍できるようにするということで、資料6−2の立法案とは少し違う。立証できた分についての2倍である。立証の方法としては推認というものも当然あるので、それも含めた話をしている。初めに原告が1000個立証するとして、その1000個分を立証するのに、80%の確信を形成する立証をするのに対し、あと1000個については、被告は、証拠の優越として51%の証拠の優越で良いというのはおかしいと思う。証拠は被告が持っているのだから、反証は容易であるはずであり、バランスを欠いた結論を生み、証拠の優越のような新たな概念を入れるのはどうかと思う。
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○ |
:証拠の優越で良いと言っているわけではない。評価根拠事実の立証ということが、結果として証拠の優越に近い運用になるのではないかという指摘があったということである。今まで主張してきた数量を2倍と推定するということに対して、理解を得るためには、何かその2倍の根拠となる事実を設けた方が良いのではないか。
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○ |
:東京高裁でレコードの海賊版の裁判があって、113条1項1号のみなし侵害の問題だった。その中で、一部の製品について一審で認定した数量の2倍の数量が証明できたので、残りの部分についても倍量の侵害を主張したが、被告側が自白した部分の数量しか認められないという事例があった。この2倍の推定規定があれば、もっと認定されたのではないかと思う。
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△ |
:LEC事件の判例から言えば、西校舎以外の事業所について、どのように侵害が行われたのか立証がなかったのでその分は賠償が認められていないが、もし事業所の一部を調査して立証していたら、実際647台全てについての侵害が認められたかどうかということはわからないのではないか。もし、こういうケースで114条の4の規定がかなり働くのであれば、かなり有効だと思うが、それが実際どう運用されるのかは今後の訴訟の動きを見ていく必要がある。また、一つの店で侵害品が売っていた、他の店でも売っていた、しかし、あとどの位売られているのか全くわからないという時に、2倍の推定をしてしまうということが制度としてできるのか。また、侵害者が帳簿をつけていない場合、権利者が数量を把握できないので推定するとなると、被告側も反証できないことになるのではないか。
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○ |
:私が言いたいのは、LEC事件で言えば、西校の219台の推認をさらに右に伸ばしていくということではない。一つの店で一つの侵害品が売っていれば、その店について一個の2倍できるだけである。反証は、219台について実際にはそのような使い方はしていないという事を被告が主張できるという意味である。帳簿をつけていないということについては、このような推定規定があれば、自分の実際以上の侵害を認定されたくなければ、帳簿をつけるべきであり、あとから、証拠になるのを恐れて帳簿をつけないような人まで保護する必要はない。
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△ |
:先程申し上げたのは、帳簿をつけていない侵害者が気の毒ということではなく、侵害行為をしていないことの立証が極めて困難な場合に、一律に2倍賠償とすると、懲罰的賠償になるのではないかという法制的な観点からの意見である。
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○ |
:難しい議論であり、最終的に文章化したときに再度議論を確認したい。 |
○ |
:JASRACの訴訟実務においては、弁護士費用を請求したケースもあるが、和解によって解決した場合の弁護士費用は、着手金の半額くらいであった。
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○ |
:成功報酬は別で着手金の半分ということはかなり少ない額ではないか。
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△ |
:弁護士費用はどのように決めるのか。
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○ |
:仮処分か、本案訴訟かによっても違ってくるし、侵害されていた期間や、和解の場合の想定される損害額なども勘案して、決める。ただ、弁護士報酬規定というものに準拠してやっている。
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△ |
:着手金と成功報酬のほかに、調べものをする時などにかかる実費は別途請求するのか。
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○ |
:調べもののために費用は着手金と、成功報酬に含まれるのが普通ではないか。
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○ |
:ただ、外部委託したような場合は別途請求することもある。
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○ |
:学者が引用した場合や芸術作品が盗用された場合など、著作権侵害ではあるが実際には名誉毀損のような人格権訴訟のようなものもある。その場合、賠償額は数十万円となるが、労力はかかる。その場合には単に経済的価格では決められないという、弁護士側の事情がある。
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○ |
:著作権の訴訟は、著作権の帰属をめぐる争いなど、不法行為訴訟であることが多い。そうすると、相当因果関係が認められて、弁護士費用が損害賠償として認められることが多い。しかし、請求棄却の場合、被告にかかった弁護士費用はどうなるのかという問題がある。
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○ |
:著作権訴訟の場合、侵害があると明らかな権利行使のための場合と、侵害なのかどうかをめぐって神学論争的なものを争う場合とがあって、後者の場合に、結果的に負けた側に、弁護士費用を負担させるのはどうかと思う。
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○ |
:それについては、原則としては決めておいて、特段の事情として、裁判官の裁量で、増減ができるようにしておくべきだと思う。
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○ |
:敗訴者負担の制度ができるとすると、それは著作権の領域だけで、かかった金額、着手した金額などを決めることになるのか。
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○ |
:もし、敗訴者負担の制度ができれば、それは、訴訟の大きさや事案によって決めるのではないか。著作権だけの基準を作ることはないと思う。
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○ |
:著作権訴訟に特徴的であるところは、訴額は小さいが、市場の消長を決するような影響の大きいものがあるということである。中古品訴訟や、スターデジオ、ソフトウェア変更ソフトの販売、ファイルローグ事件など、そういうビジネスが世の中で許されるのか、許されないのかということを決めるものであり、訴額は極めて小さいが、市場に大きな影響を与えるものがある。
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