戻る

21世紀の社会と科学技術を考える懇談会
―  第1回会合 議事録  ―

1.日  時:平成11年3月16日(火)  10:00〜12:00   

2.場  所:東海大学校友会館  東海の間   

3.出席者:
  (委  員) 井村、石塚、吉川、廣田、石井、宇井、クリスティーヌ、河野、後藤、玉井、中島、西垣、安井、米本、鷲田の各委員
矢田部政策委員
  (事務局) 科学技術庁  加藤科学技術政策局長  他
文部省 工藤学術国際局長  他

4.議  事

・井村政策委員長
  このたび、科学技術会議の中に「21世紀の社会と科学技術を考える懇談会」というものを発足させることになり、先生方に委員をお願いしたところ、大変お忙しい中をご出席いただき、ありがとうございました。
  最初に、この懇談会の趣旨を簡単に説明させていただく。
  ご承知のように、現在進行中の行政改革の中で、科学技術会議は人文社会系も含めた総合科学技術会議として、その機能を強化することになっている。総合科学技術会議の総合は、単に自然科学系の大学に人文社会系をくっつけるということではなく、むしろ統合、インテグレーションでなければならない。しかし、それでは人文社会系の学問と自然科学系の学問をどのように統合して新しい科学技術政策を考えていくかということは、大変困難な課題である。
  総合科学技術会議が発足する2001年は、あたかも21世紀の始まる年であり、また、ミレニウムの転換期、大きな時代の変革のときであろうと思う。21世紀を考えるキーワードとしてはいろいろなことが考えられるが、ほぼ確実と考えられる幾つかの問題がある。まず1つは、科学の進歩が一層加速されるであろうということ。これは最近の生命科学あるいは宇宙科学などの進歩を見ても明らか。第2に、科学技術に対する社会的・経済的要請が高まるのではないかと思われること。メガコンペティションは恐らく当分の間続くだろう。その中で優れた科学技術を持たない国の経済的な繁栄は期待できないと考えられる。しかし、他方では地球環境の制約はますます増してくるだろう。また、21世紀の世界政治は大きく変動すると思われるが、そうしたことが科学技術にどのような影響を及ぼすのか。さらには、18世紀以来続いてきた工業技術文明が一つの大きな転換期を迎えているわけだが、21世紀の科学技術が新しい文明にどのように働き得るのかということも問題である。
  こうした状況の中で、新しい科学技術会議をどのような方向に発展させるべきかというのは、大変難しい課題。そこでこのような懇談会を設け、人間あるいは人間のつくる社会と科学技術の係わり合いを様々な側面を通して議論していただき、その中で科学技術政策のあり方を模索したいと考えている。もちろん、簡単に結論の得られる問題ではないが、少なくとも今後検討すべき課題だけは整理していきたいと考えている。どうぞよろしくお願いいたします。  

(井村委員が座長に、村上委員が座長代理をすることで決定。)  

(出席委員並びに事務局の自己紹介(所属・氏名のみ)の後、本懇談会の設置の趣旨・背景等について、事務局より  配付資料1−1 、1−2、1−3に基づき説明。)  

・座長  次に、この懇談会の公開についてお諮りしたい。政府の関係の審議会はできるだけ公開することが望ましく、この会についてもまず基本的な方針をお決めいただきたいと考えている。  

(本懇談会の公開方針についての案を、事務局より  配付資料1−4 に基づき説明。)  

・座長  この懇談会の親委員会である政策委員会も現在公開しており、その公開の原則とほぼ同じ原則を適用し、できるだけ透明性を確保したいと考えている。ご意見があればお伺いしたい。(案について特段の異議なく、公開方針を了承。)  

・座長  今日は第1回目であり、しかも初めてお目にかかる委員の方が非常に多いということでもあるので、自由にディスカッションしていただこうと考えている。議論の参考として、事務局である種の素案、たたき台とまでは至らないが、議論すべき項目のようなものをつくっているので、まずそれについて説明し、その後で各委員からご発言をいただきたい。  

(事務局より、  配付資料1−5 、  1−6 について説明。)  

・座長  事務局の方でいろいろ考えてくれたのが今の資料だが、気が遠くなるほど非常に多様な問題を含んでいる。これをどういうふうにしてこれから整理していくのかというのは非常に難しい問題だが、きょうは第1回目でもあるので、今の資料に全くこだわっていただく必要はないので、それぞれの委員から、ごく簡単な自己紹介も含めて、今考えておられるような問題について自由にご発言をいただこうと考えている。ご出席の方がかなりの人数に上るので、1人4分ぐらいという事務局の案だが、4分で21世紀の話などとてもできないだろうと思うので、何か一言だけでも結構なので、お話しいただければと思う。  

・委員  21世紀の科学を考えるとなると、科学技術者の方ではもうブレーンが相当おられるので、私の方で余り語れることはないと思う。ただ、21世紀というのは私達にとってみれば、もうあと2年で入るわけだが、未来を語るときには、今現在行われていることもきちんと見てからでないとできないと思う。よく言われる最先端の技術というのは、今日がそれであって、明日の技術が最先端なものではないと聞いたことがある。私が大変重要だと思うのは、今回文部省もかかわっていただいているので、なるべく教育という面からして私達の未来というものも考えていただきたいと思う。
  科学の分野の中で、先ほどの説明でもアメリカと日本とのいろいろな経済競争があるということが言われたが、私は、日本とアメリカとの一番大きな違いで日本が競争に負けていることの大きな点というのは、大学の研究室の中に企業からのちゃんとした寄附をいただけないということ、また寄付をもらって研究を進めたときに、その大学で行われた研究というものがちゃんとその経済の中でアメリカでは反映されているし、そういう投資の仕方というものも大変重要だと思う。それから、小学校とか中学、高校教育の中で、科学というものだけではなく、先ほどお話があったように、倫理教育や自然教育など、そういうものすべてが科学を支えているわけなので、これらをどのようにして統合していくのか、またはどういうシステムをつくることによって未来の日本のブレーンをきちんと育てるかということも考えていただきたいと思う。教育というものは子供の部分ではあるが、それが将来の日本の財産なので、それをちゃんと組み立ててつくっていくということもきちんと考えていかなければいけない。その視点でいろいろアイデアを出させていただきたいと思う。  

・委員  私の専門は法律ないし法律学の歴史で、実学的な法学の世界の中では虚学に属する専門です。
  自分の分野に引きつけて申し上げると、例えばヨーロッパで法律学がどのように発展してきたかと言うと、最初は要するに非常に単純に、国王の命令とか、教皇とか皇帝の勅法とか、あるいは裁判所の先例とか、そういうものが雑多にあった。それを適当につなぎ合わせて裁判をやっていた。ところが、だんだんそれを今度は分類するようになる。その分類をしてみると、一つのカテゴリーの中で矛盾するものがいっぱいあるということに気がつく。例えば、ローマの3世紀の皇帝がこう言ったというのと8世紀の教皇がこう言ったというのと結論が全くひっくり返っているということは幾らでもある。そこで人々はどうしたかと言うと、ラテン語でディスティンクティオーという、英語のディスティンクションだが、区別、差別をしていく。例えば、・という命題と×という命題があるときに、・が原則であって、×となるのはこういう例外の場合の特殊なケースについての命題だというような形で、様々な区別をしていく。そして、それが今度は体系化を必要とするようになる。その体系化するときに何にお呼びがかかるかと言うと、神学とか哲学。それを借りてきて法律学の体系というのはでき上がってきた。
  今度は世の中のパラダイムが変わって、知的なパラダイムが変わりそうになると、またもう一度その体系を崩してつくり直さなければならない。そのときにまた哲学にお呼びがかかる。カントとかヘーゲル等の法哲学というものは、当時の普通の法律学者がやった仕事に比べてはるかに息の長い、パースペクティブの長い内容を持ったものだった。何か根元的な問題にぶつかると、いまだに我々はカントとかヘーゲルに立ち戻らなければならない。そういう底流にずっと流れている知の体系、これがないと、先ほどの説明の言葉で言うと、知的存在感のある国にはならないのではないだろうか。お呼びがかかったときに、そこに何もない。目の前のことばかり追いかけていくと、結局世の中の大きな変わり目に対応し切れない。
  基礎研究とか基礎科学というのは何なのかということで、一つの比喩を申し上げる。大きな大きなダムに豊かで質のいい水をどうやってためていくのかということを一生懸命やっているのが、基礎的な研究者の仕事。これには、ダムの建設もあるだろう。そのダムの上流に木を植えて水をよくたまるようにするという仕事もあるだろう。ダムをつくるための道路を一生懸命、いかにいい道路をつくるかということを研究する人もいるだろう。それから気象学を研究する人もいるだろう。さまざまな分野の人が、少しでも知のダムの中に水を多くためることを少しずつ分担しながらやっている。その仕事というのは直接何に役に立つか見えない。見えないが、そうやってたまった知の水を今度は必要に応じて引いてきて、それで発電所をつくる、あるいは浄水場で飲み水をつくる、あるいは工業用水に引っ張るというような形でいわゆる応用的な学問・技術というものがその水を使って、はじめてダムに水を溜める仕事の有難味がわかる。こういった山奥の大きな大きなダムの水位を1ミリでも1センチでも高くしていく、これが基礎的な研究者の役割と言うか、やっていることだと私は思う。そういう知のダムみたいなものを豊かにしていくということこそ、21世紀に一番大事なことなのではないかと、我田引水で言わせていただいた。

・委員  今日配付された「資料1−5」では、「科学技術総合戦略」の構築へ向けて6つの問題点が指摘されている。最初に、現在の私の立場から、この資料に書かれていない問題点に簡単に触れたい。今後の科学技術政策を考えるとき、その出発点は当然平成7年に制定公布された「科学技術基本法」だろう。この基本法には、科学技術の振興に関して国と並んで地方公共団体の責務が明記されている。私の属する研究所は、この精神に基づいて、東京都が25年前に設立したものだが、一般的には、地方公共団体の責務としてはその地域住民の民生面に関するものが強調されていて、科学技術の振興についての関心がさして高くないという傾向がうかがわれる。21世紀には、地方公共団体にも科学技術の振興にもっと関心をもってもらうための方策について、私の今の立場を生かして可能なかぎり発言していきたいと考えている。
  さて、この「資料1−5」に戻って、私は「科学技術自体の抱える諸問題」に一番関心がある。ここでは、「学問分野の細分化による行き詰まり」が指摘されているが、私自身現役の研究者時代に「細分化」ばかりやって来たという反省がある。しかし、現役の研究者は厳しい競争に勝ち残るために「細分化」をいわば強制されるという立場にあり、現役を離れた私のようなものの議論が通用しない恐れもある。幸いにしてこの懇談会のメンバーには現役の大学教授が大勢参加しておられるので、その方々の「現場」の声を十分に伺っ上で議論を尽くしていきたいと思う。
  「資料1−5」の同じ個所に「科学技術が人々から疎遠に−」と書かれている。私もその通りだと思う。私は前々から、日本人にはサイエンスが嫌いな人が非常に多いと思っているが、その責任の一端は、我々科学者の方にある。すなわち、日本の科学者は自らの科学の面白さを一般の人たちに生き生きと語ることを怠ってきたのではないか。「細分化」してしまったために語るための言葉を失ってしまったという一面もあろう。また、自己の科学を語ることは説明責任(アカウンタビリテイー)を果たすことにもつながる。21世紀の日本の科学が解決するべき重要なテーマと理解している。
  「資料1−5」には、「激化する国際経済競争」「ポスト冷戦期の国際社会の課題」などが並んでいる。これらが「科学技術総合戦略の構築」にとって重要なキーワードであることは十分理解できるが、政治、経済、外交などに関し全く素人の自然科学者にとっては、どのような具体的な発言ができるか我ながら心もとない。

・委員  経済同友会の若手で構成している「次代を考える会」と言う21世紀を考える委員会の座長をやっていますが、そこで、去年いろいろなデータをまとめました。今お話のあったように、若くなればなるほど科学技術に対する関心がどんどん低下しているということや、当社の調査で言えば、理系の求人倍率、あるいはメーカーの人気が、1986年あたりからどんどん低下している等、科学技術に対しての関心が低下しているデータがたくさんある。当社はある意味では情報ソフト産業なので、この様なデータは大変赤信号がともっているという理解です。
  また、日本はアメリカに次いで研究費をかけているということを、去年出した本で私も発見してびっくりしている。なおかつ、人口当たりの研究者の数だと、日本はアメリカを超えており、人数も大変多いというデータも出ている。そういうことからすると、先ほどグローバルというお話があったが、日本の経済も含め、人材・技術が、なかなかそこがダイナミックに流動していないというか、移転がされていない。ここにもリエゾン関係の先生方がおられますが、そういったことには大変興味があり、何とかアメリカ的に、ダイナミックに流動することを、21世紀にはぜひぜひ実現したいと思っている。
  また、この間、他の会合で、食品会社の社長のお話を聞くことがあり、そこに出席された女性が、「“遺伝子組み替えの大豆”ということについてはっきり答えてくれ」と食品会社の社長に言ったのだが、お答えができなかった。遺伝子組み替えの大豆が入っているかどうかということが、アメリカでは公表しない、ヨーロッパは公表すると言った状態で、日本はどうするんだということをそこの場ではおっしゃれなかった。ある意味でこれは情報の公開ということなので、この会議でも情報公開ということを議論すべきで、またそういったことが一般の人に広く理解できるようにすることもこの会議の役割ではないかと思っている。
  いろいろ素人なので足を引っ張るかもしれないが、よろしくお願いします。

・委員  私は経済学を勉強していて、経済学部に所属していますが、2年ほど前に経営学の先生と一緒に大学の中にイノベーション研究センターというのをつくって、そちらの方で最近主に仕事をしています。
  私が申し上げたいことは3点ある。第1点は、日本の21世紀ということを考えたとき、経済成長を維持する上で技術進歩の役割というのが非常に重要になるということ。これは当たり前と言えば当たり前なのだが、特にGDPという生産物をつくるのに労働と資本とでつくるとすると、人口の高齢化で大体2010年ごろに人口がピークアウトする。労働人口はもっと早く減り始めるわけだから、GDPをつくる生産要素の一方の労働というものは増えるどころか減ってしまうということになる。それから、高齢化が進むと貯蓄率も当然落ちてくると考えられるので、資本も増えないということになる。資本も増えないで労働も増えないとういことになると、そういう中で例えば1%とか2%の成長率でも維持していくのが非常に難しい。これは数字で計算することができる。そうすると、そこを補うのは生産性を上げていくしかないわけで、生産性を上げるためには、技術進歩を実現していくということがどうしても必要になってくる。
  では、技術進歩を実現するために、国のイノベーションシステム、ナショナルイノベーションシステムというのはどういう形をしていることが重要か。特に21世紀の日本ということを考えたときにどういう点がポイントになるかというと、ナショナルイノベーションシステムというのは産業と大学と政府という3つのプレーヤーからなっていると考えるわけだが、私はその中で、大学の役割というのが極めて重要になるのではないかと思う。これはおいおい議論になっていくことだと思うし、時間もないので、詳しくは申し上げないが、非常に長い歴史の中で世界中の国を含めて大学の役割というのは時代時代で非常に変わってきている。21世紀に大学が日本の社会の中でどういう役割を果たすのか。産業界との係わりというのはそのうちの1つであるが、それ以外にも大学の役割はいろいろあると思うので、これが非常に重要なポイントになるのではないかと考える。
  あと2点は手短に申し上げるが、第2番目のポイントは、資料にも国際経済競争のことがあるが、技術進歩に係わる国際的なルールというものが非常に重要になってくるわけで、その典型的なものは知的所有権、知的財産権の問題だと思うが、そうした技術進歩に係わるルールを国際的にどのように調和させていくのか。調和という言葉がいいかどうかわからないが、その点は非常に大きな問題になるだろうと思う。
  最後に第3番目は、時間もないので簡単に申し上げるが、ここに書かれていないもので非常に重要だと思われる点は、安全保障の問題。資料にも触れていないが、科学技術というのはよかれあしかれ安全保障とか軍事の問題と切り離すことはできないわけで、これからはもう少し安全保障の問題と科学技術の問題を正面からきちんと考えていく必要があるのではないかと思う。  

・委員  私はもともと畑は法律で、その中で知的財産権というジャンルを勉強していて、最近は大学の技術を社会に円滑に移転するための仕組みをつくる、そのために私企業を設立するというような仕事をしています。
  いま委員が言われた、軍事との関係は非常に重要だと私も考えている。ほかにも、いろいろと重要だと思われることがあるが、本日は時間も限られているので、1点だけ申し上げる。
  大学、あるいは広く国等が行っている研究には、国益に係わる研究と、余り国益に係わらない研究との、2通りあると思う。そのうち、余り国益に係わらない研究が実は非常に重要である。というのは、これは性質上公共財だから、国等が支えなければ世の中では行われない。しかも、それはお金が儲かるというような、そういうちゃちなことではなくて、我々の生活を豊かにしてくれるものだからである。例えば、古代ローマの墓の配置を調べてみるとこういうことがわかったという論文を読むと、生きていてよかったという気になる、あるいはニュートリノに質量があるという話を聞くと、本当は何もわかってなくても、大したものだという気がするというようなことである。これは大変重要なことであり、しかも日本の世界における地位、立場を考えると、これからますます振興しなければいけないだろうと思う。
  しかし、それは一般に言われる基礎研究とは実はかなり違っていると思う。つまり、普通基礎研究と言われているものには、実は国益に係わるものが多いのではないか。そこをアメリカを含む諸外国はかなり明確に意識して、戦略的に強化しようとしているのではないかと思う。卑近な例を挙げると、例えばPCR法という遺伝子組み替え技術を使うためには必須不可欠な技術があるが、それは特許化されている。従ってそのたぐいの研究をするためには、少なくとも間接的にはその特許料を負担しないと一切研究ができないということになっているようだ。あるいは、C型肝炎という病気があり、その疾患のメカニズムの研究を世界中でやっているが、そのC型肝炎の基本的な遺伝子配列も特許化されており、その特許を使わなくては研究そのものができない。もちろん、研究は自由であるという観点から特許法に例外を設ける国が多いので、その場合は研究そのものにお金を払う必要はないわけだが、その特許を使ったさまざまな製品を使って研究するためには、当然間接的にライセンス料を払うことになる。そういった研究は、普通の言葉で言えば基礎研究なのだろうが、これはまさに国益を増進する研究であり、そういうところに非常に戦略的にお金を投入し、重視していく、あるいはそういう研究が進むようにしているというのが、諸外国における実情だろうと思う。
  我が国で基礎研究を重視するとよく言われるが、それが先ほど申し上げた意味での国益に余り関係ない研究に手厚く配慮しなければいけないという意味であれば、それはそのとおりだと思うが、そうではなくて、もともと国益に関係する研究についてまで、これは基礎研究だから世の中のためにならなくていいんだと受け取られることがある。これは少し違っているのではないかという気がしている次第である。

・委員  専攻は科学史で、17世紀のニュートンやフックなどについて調べていますが、もともとは物理学か物理学史の研究者になろうかというのが、大学に入ったころの考えでした。
  実際には科学史家になったわけだが、科学史家になってからいろいろな体験があり、15年ぐらい前に初めて外国に行き、ハンガリーのブダペストに行った。そのときは実は吉川先生と村上陽一郎先生が共同プロジェクトをやっておられて、その一員として連れていっていただいた。もう吉川先生はお忘れかもしれないが、そのプロジェクトを進める間、吉川先生にあることを言われて、そのことが心にものすごく残っている。「科学史には応用科学史というのはないんでしょうか。科学史で学位を取るのが難しいなら、応用科学史というのを考えれば、私の研究室で学位を上げましょう」と言われたのをはっきりと覚えている。その後応用科学史というのは何かということが非常に心の片隅に残っていた。そのころはオーバードクター問題が激しく、我々の世代は一番被害が大きかったが、私は村上陽一郎先生に拾っていただき、東大の先端研の草創期に、吉川先生の影響もあって、科学技術倫理という分野に務めた。応用科学史というのは何か、つまり、科学、技術、社会の間に生じるさまざまなインタフェースの不調といったものについて考えていくのが重要だろうということで、科学技術と社会、STSと最近漸く人口に膾炙されるようになったが、その分野の立ち上げを一生懸命やってきた。
  今それが一段落してみて、一つ反省することがある。それは、実は科学技術の残してきた負の側面の処理、科学技術の暗いところばかりやってきたというのが私の反省。生命倫理などに関心のある方には申しわけないのだが、どうも最近の話は暗いのではないか。生命倫理にしても、高齢化、少子化、不況、地球環境問題、アメリカに産業で負けているというのは、全部悪いことばかりで、どうも夢がない。ちょっと媚を売るようだが、今度はしばらく吉川先生のような明るい方にいったらどうかということで、ここから10年は科学技術の暗いものの処理はやめて明るいことを叫びたいというのが、これが私の応用科学史の第2だ。要するに、何か明るい戦略目標を立てることが、実は社会全体が暗い方向に向かっているときには、意外と大事かもしれないと思い、最近は非常に能天気な3つの目標を考えている。
  その第1の目標というのは、笑わないでいただきたいのだが、日本で2年に1つずつ科学関係のノーベル賞を取る、これを戦略目標にしてはどうか。それからもう1つは、インターネットで10年以内にアメリカに勝つというのを戦略目標にしてはどうか。最後に、それでは余りにも能天気であるという多少の反省も含めてであるが、どういうノーベル賞を取るのか、あるいはどういうふうにインターネットでアメリカに勝つのか、きちんと自己反省ができる、自分たちでやった科学技術の成果の評価ができる。この3つを大きな目標として掲げて日本は前進したらどうか。企業との協力など、細かいことはボトムアップでやってもいいのだが、やはりトップダウンの目標がないといけないのではないか。
  そこで、これはこの委員会の進め方の中で一つご提案申し上げたいのだが、アメリカがバネバー・ブッシュ以来非常に科学技術を振興してきた中には、戦略目標の立て方が非常に上手であったということがあるのではないかと思う。例えば、スプートニクショックが起きた後に、とにかく1960年代にアメリカは人類を月に送るという、この目標は能天気だが、実際にやるとなったら大変な目標。現在出ているアメリカの次の戦略目標はアンロッキング・アワ・フューチャーだが、これもある戦略目標を持ってやっている。日本も、せめてこのようなある意味でバラ色の、しかもみんなをイントリーグするようなトリガーとなるような戦略目標を何とかつくるための方策をここで議論できないだろうか、あるいはそのための仕組みを議論できないだろうかということについて、ぜひご提案したいと思う。

・委員  長年、国際関係に携わってきましたので、そういう観点からこの問題もアプローチしたいと思います。
  その意味で私は先ほど委員の言われた安全保障の観点というものにどうしても関心がいかざるを得ない。この1−5という資料は大変よくできていると思うが、やや日本的かと思うのは、まさに安全保障との関係が全く欠落しているという点だ。
  言うまでもなく、国際社会自体が今非常に変革期にあるわけで、21世紀の国際社会関係というものがどうなるかということはなかなか見通ししがたい現状である。そういう21世紀に入っていくときに、科学技術が21世紀の国際社会にどういう役割を演ずるのか、特に安全保障の観点から。振り返ってみると、20世紀の後半の国際秩序を維持してきたのは、異論の向きもあるかもしれないが、私は何と言ってもやはり核抑止力の均衡であったと思う。その核抑止力の均衡という国際政治的な現象は何によってもたらされたかというと、言うまでもなく19世紀末以来のキュリー夫人やアインシュタインなど、いろいろな方の研究のいきつくところにそういうものがあった。21世紀についても、そういうことが何に関連していつどのように起こるのかということは私は全く想像も及ばないが、しかしそういうことがあり得ると思う。したがって、21世紀の社会と科学技術を考えるという意味から言えば、1つの柱を立てていただくかどうかは別として、今申し上げたような観点をどうしても頭の片隅に置いていかざるを得ないと思う。狭い見方かもしれないが、私のコントリビュートできるのはそれだけなので。

・委員  私はもともとはコンピュータの仕事をしていましたが、今はもう少し広く情報社会の諸問題を考えています。特に人間に近いことを考えたいと思っています。
  この会の趣旨からすると、やはり一番肝心であろうと思うのは、いわゆる生命の問題、つまり地球環境とか医療という問題になるのだが、その問題に関してはここにもご専門の方がおられるので、きょうは私の専門のコンピュータに関して少し申し上げたいと思う。
  コンピュータに関して言うと、端的に言って、国家主導のコンピュータのリードというのが70年代ぐらいまではうまくいっていたと思うが、80年代ぐらいから余りうまくいっていないという印象を受けている。もうちょっと言ってしまうと、第5世代コンピュータ・プロジェクトというのは一体なんだったのかということ。第5世代コンピュータを作っていた方々は一生懸命やっていたので、私は決してそういう方に文句を言うつもりはない。ただ、現実として500億円ぐらいのお金を使って、成果はほとんど実用にならなかったということは、反省という意味で我々は謙虚に結果を受けとめて、これからのやり方に生かしていくべきだと思う。第5世代コンピュータは結局何だったのかというと、ああいう人工知能マシンのようなものではなくて、実はパソコンとかワークステーションだった、あるいはインターネットだった。つまり、人間にとって親和性のある開かれたシステムである。一方、プロジェクトで作った第5世代コンピュータというのはそうではなくて、コンピュータの中に一生懸命ブラックボックス的にいろいろなものを詰め込んでしまうというようなところがあった。もう少し専門的に言うと、ロジックマシンとしてハードウェアを組んでいくというようなことをやっていった。実は正解はそうではなくて、RISCに象徴されるように、ハードはなるべくシンプルにして、ソフトウェアでフレキシブルにいろいろ対応できる、つまりコミュニケーションということを重視した、そういうマシンが結局は新しい世代のコンピュータだった。そういう失敗を私どもはよく受けとめて考えてみなくてはいけないのではないか。
  そう思うと、夢というのにもいろいろな夢があり、夢自体は持っていいのだが、例えば、では複雑系のようなことをコンピュータに入れてみよう、あるいは人工生命のようなものはどうか、脳のようなコンピュータはどうか、そういうことはだれでも考える。そういう発想自体は全然新しくも何ともない。しかし、コンピュータというものが私たちにとって何を与えてくれるのかということを考えたときに、本当に役に立つかどうかということもきちんと考えるべきだと思う。私は、チューリングマシンというものの本質は、複雑系特有の創発性というか、思ってもみないことが起きるシステムとは性質が水と油ではないかという印象を受けており、チューリングマシンの開くべき未来というのは別のところにあるのではないかという意見を個人的に持っている。
  ではどうすればいいかというと、2つのことを思っており、1つは安全性ということ。これは、さっきお名前が出た村上陽一郎先生が『安全学』という本を書いておられて、私も大変大事なご意見だと思っている。これに関して今話題を集めているのはコンピューター2000年問題である。要するに2000年問題というのは、コンピュータの持っている非常に危険な部分、よくわからない部分の象徴であって、氷山の一角である。それにようやく気がついたというところがある。そういう点をどのようにしていくか。つまり、コンピュータというものを本当に我々のものにしていくには、もっといろいろなことをしなくてはいけない。それが第1点。
  それからもう1つは、やや関連するが、人間との親和性ということで、コンピュータは今はまだまだ使いにくい。とても使いにくいと思う。国際的な問題に関して、例えばいろいろな外国の人たちとどのようにインターネットでやりとりするかというようなことに関しても、まだまだクリアしなければいけないことがいっぱいある。言葉の問題を含めて、本当の意味での情報化社会をもたらすにはどうしたらいいかということを私なりに考え、そういう意味でもしコントリビュートができれば幸いであろうと思う。

・委員  私自身も、もともとは化学屋、材料屋なのだが、しかしある時期から環境適合型の材料というものに若干シフトして、平成9年度まで文部省の、今だと特定領域だが、昔だと重点領域の環境プロジェクトの代表をやっていた。5年間のプロジェクトで参加総人数400名とかいう非常に大きなものだったが、その研究をやっている過程でも一番気になったのは、研究者が持っている環境に関する知識と市民社会が持っている知識が余りにも乖離しているということ。それは、はっきり言って、恐らく今の学会が持っている情報を市民社会に伝達することをほぼマスコミに一方的に任せているのではないか、ジャーナリストに一方的に任せているのではないかという気が非常にした。それが終わってというか、その中間から始めたのだが、市民に対して正しい環境情報を伝え、そして環境をどのように考えるかという若干哲学的なサゼスチョンをしたいと考え、例えばインターネットを使って環境時事問題を解説してみたり、あるいは市民向けの著書を書いてみたり、そんなことを最近は自分のパワーの3割ぐらいはやっているという状態だ。
  地球環境問題と、それからダイオキシンのような局所的な汚染問題というのは、若干視点は違が、実際のところ、まとめて一括りにして考えるべき問題だろうと思っている。現在、私の理解だと、環境汚染の実態そのものは、ダイオキシン問題とか環境ホルモン問題とかいろいろあるが、全体的なトレンドとしては今実は改善方向にあると思っている。しかしながら非常に特定の領域で非常にホットな話題が出てしまうような状況がつくられている。それに余りとらわれると、いわゆるエネルギー、資源を大量投入して環境をもっともっとよくしないといけないという方向にどうしても走りがち。本当にそれがいいのかなという気がしている。それを余りやり過ぎると、ある意味の全く別方向の大量消費、大量廃棄社会をつくってしまうのではないかという気がしてしようがない。地球環境問題、ダイオキシン問題も含めて、科学技術というものが一体何をすべきかということに関しては、かなり問題がないわけではない。しかしながら、科学技術単独では多分できないけれど、科学技術がなければ解決もないということが多分正しいのではないかと考えている。
  あとは社会のシステムと市民がどういう哲学を持って、要するに利便性とか安全性、安全性といっても環境的な安全性だが、そういったものをどのくらい徹底的に追求するのか。要するに100%それを追求するのがいいのかどうかというあたり、この辺、考え方の問題だと思うが、そのあたりに何らかの貢献ができたらと思っている。

・委員  実は今日出てきて何とも申し上げようがないというか、私も同じように少し自分の経歴を申し上げると、私は1966年に田舎者のまま京都大学理学部に入って、2年後に大学紛争が起こり、それで自分の一生を決めてしまった。一生かかって京都大学理学部をつぶしてやろうと。そのためには、普通のサラリーマンをしながら何年もかかってもいいからまじめな学術論文を書いて、その上で普通のサラリーマンがホビーでこれだけのことができるのに、しかるに京都大学はと。私は非常にまじめな学生で田舎者で行ったために、京都大学理学部の素晴らしさということと、それから目の前で起こったことの余りのギャップに、この価値を私の残る余生というか、22〜23歳というのはとんでもない決断をするのだが、それで人生を設計してしまった。私は、実は卒論も書いてないし、指導教官もほとんどいないまま、大学に人事が来るような大きな会社も、何か当時は非常にそういう雰囲気だったので、大きな会社は悪い会社だと思っており、郷里に帰って中小企業に働いた。たまたま300人ぐらいの証券会社に拾われて。それで当時、私は2回落第したので、72年から76年まで、ニクソンショックの後、円がフロートになり無茶苦茶に混乱して、それから第1次オイルショックのころ、ずっと調査マンをやっていた。独学で科学史の論文を書いて、それで三菱化学生命科学研究所の社会生命科学研究室の前室長の中村桂子さんに完全に拾われた。生命科学研究所の研究員を取る資格としてはマスター卒業以上、実質上ドクターを持っていなければならないのだが、聞いたこともないそういう人間を正式の研究員として採用いただいた。
  この三菱化学生命科学研究所というのは、1971年に江上不二夫先生がまだ東大の理学部の定年を残して、当時非常にアカデミーというのは左派的な雰囲気があったのだが、フリーハンドを与えるということで、基礎医学、基礎生物学の実験研究所をつくられた。現在も20ぐらいの研究チームに分かれて基礎実験をやっているが、一つだけ、将来生命科学と社会の間に考えないといけないものがいっぱい出るであろうからというので、生命科学に社会をつけて社会生命科学研究室というのを最初からおつくりになり、それで中村桂子室長を初代に据えられた。私は、その5年目に文字どおり拾われた。
  私は1976年に入ったが、研究室は、当時日本で全然フォローしていなかった遺伝子組み替え論争を、非常に深刻な議論をアメリカの研究者はやっていたのをフォローしていた。それで、私は科学史担当というので、ではナチス優生学をやろうというので、これも全く独学でナチス優生学をやり出して、それでその延長線上に先端医療、研究対象で言えば生命倫理だが、それを80年代にやった。90年代に入って、ついでに地球環境もやってしまえというので、これは先ほど皆さんがご指摘になった問題をちょっと別な言い方で言うと、オリジナルな基礎研究というのは、実は非常に特殊な自然を対象としているので非常に地味なことしか言っていないのだが、それがほかの領域で引用されると、非常に自然科学というのは力を持っているかのような情報としてメッセージがどんどん肥大していく。そういう肥大したものが科学情報だと思っている常識の上で、例えば遺伝子組み替えとか温暖化とか、酸性雨交渉とか、そういった自然科学に立脚していると信じている普通の人達が、かなり過剰な規制、あるいは非常に禁欲的な政策立案をしがちであると。そこで、問題整理に割って入るということをやってきた。
  我が研究所でも非常にマイナーで、ともかく本流以外のところからインディペンデントに科学と社会の境界領域の問題を原資料にこつこつ当たるということでやってきたので、今日伺って、私のやってきたことと余りにも近過ぎるので、少しこれはやばいなと思い、むしろ私みたいな人間はもしかするとこういうフォーラムの外にいて、1人ぐらいあえて外にいて、鋭い批判をするような立場にいた方がいいのではないかと少し思っている。

・委員  専門は西洋現代の哲学並びに倫理学をやっています。
  私が専攻したこの哲学という学問は、日本では代々、重ければ重いほどいい、深ければ深いほどいい、それから歴史を通じて変わらないもの、普遍的なものを目指すんだということをずっと掲げてきたが、何か私は哲学の現代社会におけるあり方に関してかなり疑問を持っており、哲学の勉強としては認識論の問題とか規範論の問題をやってきたのだが、80年代からは、できるだけ表層的なもの、あるいは変化するものを変化の相でとらえたいというところで、たとえばファッション論なども哲学の立場からかかわってきた。最近は科学論の領域でもモード論というのが流行っているようで、全く勘違いでもなかったのではないかと(笑)思ったりもしている。
  それで、私どもの大学は、本年度、大学院の重点化が始まって、それに伴い私が所属している倫理学講座の方は臨床哲学講座という形で再発足することになった。この臨床哲学、クリニカル・フィロソフィーというのは、今申し上げた私自身の問題意識もあるが、現代社会の中で起こっている様々な問題に対して、哲学的なものの考え方、哲学的思考法をどういうふうにつないでいったらいいか、生かしていったらいいか、リンクしていったらいいか、そういうことを様々な分野でプロジェクトとしてやっていこうという、哲学の臨床版というか、そういうものを今試みている。
  我田引水になるのだが、米本さんは今、朝日新聞で論壇の批評をされているが、ちょうどそれをお手伝いするような委員会の仕事をやっていて、毎月様々な論壇の雑誌などを読んでいる。近年の論壇雑誌、オピニオン雑誌というものの内容を見ていたときに、かつてはこの社会の様々な問題というのは、最終的にはやはり政治の問題、経済の問題が一番根幹にあり、そこから考えていかなければいけないような、そういう政治経済雑誌というような趣が強かったのだが、最近は、ここ数年間この社会でいろいろな事件が起こり、少年の問題であるとか、老いの問題、性の問題、家族の問題、あるいは<私>とは一体何なのかといったような問題、そういういわば政治経済というより、むしろ社会秩序の根っこ、あるいは文化というものの根っこにかかわる問題、そこで起こっている静かだが深い変容というものを見定めようという論調が非常にある。そういう意味では哲学がそういうことに発言をきちんとできなかったら一体何のための哲学かというふうに考えたりもしている。
  こういう日本における哲学の問題性というのは、戦時中に東北大学に5年間勤務しておられたドイツ人の哲学者でカール・レーヴィットという人が、戦後日本の哲学のあり方を批判するときに、日本では哲学研究者は、1階では普通の市民の市井の生活をしていて、そして哲学をするときに2階に上がっていって、その2階にはヨーロッパの古代から現代までの哲学者の立派な肖像がずらっと並べてある、そしてその2階と1階の間にはしごがないんだ(笑)という批判をされていた。これはよく考えてみると、今私たちが科学技術ということを考えるときにも、ひょっとすれば同じようなことが起こっていないだろうか。科学技術に係わる人達というのは、あるいは科学技術そのものは、例えば医療であれ、住まい、あるいは機械、道具であれ、本来生活の中から問題が発生してきたものであるはずなのに、ヒューマンサイズというものを超えてしまって、2階では科学技術の研究がなされ、1階ではまたその研究者自身が普通の人として生活していて、その間になかなかうまいはしごがかからないというようなことが起こっているのではないだろうかといった印象を抱いている。
  そういう視点から、私が、科学技術ということを本当にきちんと考えたことのない人間が、この懇談会の中で何か意見を言わせていただけるとすれば、今、思いつきなのだが、3つぐらいの問題があろうかと思う。
  1つは、これまで科学あるいは科学技術というものは、知識の発展とか、あるいは増大ということを至上目標にしてきて、人間は一体何をどこまで知り得るかということを問うてきたと思うのだが、今私達に問題になっているのは、むしろ今何が一体知るに値することなのかということ。その問いを何を知り得るかということと内在的に関係づけて発しなければならないのではないかという問題が1つ。
  2番目に、科学技術、テクノロジーの問題を考えるときにもう一つ、人間自身のテクニックと言ったらいいのか、あるいはスキルと言った方がいいかもしれないが、とりわけ人間関係におけるスキル、例えば医療の場面での、あるいは教育やコミュニケーションという場面での人と人との間の関係におけるスキルという問題と、テクノロジーという問題をどう結びつけて考えていったらいいのかという問題。
  最後に、人間の技法とか技術というものがテクノロジー化することによって、各個人が持っている能力がどんどん外在化していくわけだが、人間がそういうふうに自分の能力をさらに発展させた形で、外部に様々な装置として、機械として持ったときに、個人の能力として私達が一体何を獲得し、そして何を失うのかということ。そのことをしっかり見定めておきたいという、大きく3つぐらいの問題を今考えている。

・委員  私は、大学を卒業してから大学にしばらくいたのだが、1975年に大学共同利用機関の分子科学研究所というのが岡崎にできて、その設立に係わっていたこともあり、そこへ入って研究三昧をさせていただいた。14年間そこで思う存分研究をさせていただいたので、少し何か社会還元をしたいと思っていたところ、ちょうど分子研の所長をしておられた長倉三郎先生が大学共同利用機関を集めて大学院大学をつくるということをされて、それが今の総研大だが、昭和63年、1988年に開学して、私は1990年だったか、それに入ることができて、以来その大学で活躍させていただいている。
  総研大では、博士課程の後期課程の教育だけをやっている。前期課程を置こうという動きはあるが、まだ実行していない。もう400人ぐらいドクターを出したが、一応そういう面の責任は果たしているかと思っている。総研大は、実はちょっと大それた目標があり、個別の大学共同利用機関では、もちろんその分野の世界的にもトップクラスの研究が行われているし、スタッフもいい方がたくさんそろっているが、それだけでなく、日本で新しい学問を何とかして立ち上げたいということで、この12の研究所のスタッフの知恵を結集して何か新しいトライアルをやろうと。そこで、本部で新しい研究科をつくって、学生も受入れてやってみようということで、文部省に説明し、理解してもらい、この4月から先導科学研究科という大それた名前をつけて、そこに時限つきの専攻を置き、葉山に本部があるが、そこで新しい試みがスタートしたところだ。
  それで、この総研大というのは、そういうふうに個別の非常に進んだ科学をやると同時に、よく言われていることだが、縦割り社会を何とかして解消する、深く学生の教育をやると同時に、視野の広い学生を育てなければいかんというようなことをずっとやっていて、総合研究大学院大学の総合というのはそういうところから出ている。創設のときから長倉先生の理念でそういうことをやっているのだが、やはりタコつぼを解消し、広い視野を持った研究者を育てるというのは至難の業であることを実感している。この10年間いろいろやってきた。各研究所の先生方にできるだけ集まっていただき、いろいろ方策を実地にトライアルするとか、先導科学研究科の準備のためにいろいろな共同研究をやってきた。本日ご欠席だが、立花隆さんに評価委員として来ていただいて数年間の共同研究の成果を披露したのだが、総合化はちっともできておらんという厳しいご批判をいただき、がっくりしたのを覚えている。自分でもそれはなかなか達成されていないなと思う。先導科学研究科で10年ぐらいその専攻をやって一つの目標を達成したいと思っているので、それまでもう少しお時間をいただきたい。
  それで、この社会と科学技術の関係というのは、私は全くの素人で、考えの深くない者だが、非常に重要な課題だということは及ばずながら認識しているつもり。サイエンスをやっていて深刻な悩みがある。社会全体は今資本主義社会で、いつごろからそういうふうになったのか、歴史に疎いものだからよくわからないが、この社会はやはり競争を基盤とすることによってこれだけ進歩発展してきたのだと思う。サイエンスもそれに劣らずに、やはり競争で活性化しているという基本的な面がある。だから、個々の研究者は、広い視野とか社会との接点とか、いろいろなことを言われても、ともかく自分が職業人としてサイエンティストとしてやっていくためには、やっぱり競争に打ち勝たなければ始まらない。日本という国の場合も、今は国際関係はいろいろあって、競争一辺倒ではもちろんないだろうが、やはり経済競争に勝たないと日本の国が滅んでしまうのではないかというおそれみたいなものがあり、人類はそういうのに駆り立てられてやっている。スローダウンしなければいかん、環境を考えなければいかんとか、いろいろ言われているが、その競争原理にかわるような哲学というのか、それがまだ十分確立されていない。科学者が技術、社会を考えるのは非常に重要なこと。ここには哲学の先生も参加いただいているようなので、大いに期待している。
  私は、この中では最も年寄りのうちの一人だと思うが、旧制度の教育をずっと受けてきた。旧制の中学を出て、旧制の一高を出て、旧制の大学、大学院まで旧制度。そろそろ博物館入りした方がいいのだが、昔の教育制度のいい面もあり、皆様方とは違った古い観点からの寄与も少し何かしたいなと思っている。

・委員  私の専門は工学というエンジニアリングの分野で、設計学という明るい学問をやっているわけです。(笑)
  エンジニアリングだから哲学など何もわからないのだが、設計というのは一つの行動だと考えると、やはりその行動というのは人間の置かれている外界に影響を受けている、これは間違いないこと。多分そこに哲学みたいなものも一つの外界の条件としてあって、私はイデオロジカル・インフラストラクチャーなんて妙な言葉を思っているのだが、要するに哲学、思想というのは、社会に起こるいろいろな行動の一つのインフラストラクチャーをつくっているのだと、そいうことがまずある。
  さてそこで今一番大きな問題というのは、非常に現実的に言うと、わかりやすく言えば、今、委員がまさに言われたことなのだが、環境時代なんだと、消費しちゃいけないんだということがかなり自明なことになってきた。しかし、一方で地域振興券を配ってどんどん消費せよと言っている。この矛盾というのは一体何なのかということ(笑)。これは結局、そういうところについて説明はできないということ自体が非常に悪い状況で、いわばこれはそういう2つの政策、環境をきれいにしよう、きれいにしよう、消費はなるべく控えようと言いながら、使え、使えと言っている。これはまさに我々大人にとっても、もっと子供にとってはまさに不信感というものをどんどん植えつけている。そこにいわば政策者の責任というのは極めて大きいというのが、こういう会が生まれてきた一つのポイントだと考えてもいいのかなと考えている。それを分析しなければいけない。なぜこういうことが起こったのか。
  私自身、もちろんささやかな分析というか、分析の手前みたいな話だが、多分これは、いわば人類の持っている大きな、先ほど言ったイデオロジカル・インフラストラクチャー、これは実は別の言葉で時代の精神と呼ばれている、時代の精神というものが今大きな変換を遂げている中で、例えば開発から維持へと行っている。そうした時代の精神の変化に従来のスキルがついて行かないことが環境と開発の自己矛盾を引き起こしている。そうすると、時代の精神を論じるのは哲学者であり、それは結局、科学がこういうふうに進展してきたことがどういうふうに影響しているのかということを分析しなければならない。一方、科学研究というのは、これから何をするのかという一つの可能性を提供するシナリオをつくるサイドにいるわけだから、これはやはり全く席を同じくして議論しなければならない時代が来た。これは、時代の精神の変換するときの基礎研究のあり方だと思っている。具体的にはそういうものを今、日本学術会議では俯瞰型プロジェクトと言っているが、要するに文科の人も哲学者も素粒子物理学者も一緒の研究プロジェクトの中で研究しなければいけないのではないかという提案をしている。
  そこで、私の考えるのは、現在まで世の中を引っ張ってきた、特に近代から現代というのを近世ずっと引っ張ってきたのは、これは多分未知のフロンティアを拡大するという時代の精神だった。多分これはヨーロッパで言えば14〜15世紀の大航海時代なんかに始まって、物理的に地理を拡大しよう、一方遠くを見ようとして望遠鏡を使う、小さいところを見ようとして顕微鏡を使う。どんどんそういう未知のフロンティアを拡大するということで、実は我々の持っている知識体系という、この知識体系というのは実は道具立てだから、その使える知識体系というのは実はそういう時代の精神にすっかりどっぷりつかってつくられてきたものだと思う。
  ところがそうではなくて、今、変化が起こっている。それは目の前のものの維持であるということだから、この維持というのは、実は未知のフロンティアなのだが、本質的に違うところがあって、これは人間と対象とを分けてもの考えるという一つの科学のあり方に対して、今度は人間込みの自然を考えなければいけないということ。維持というのは。人間活動そのものも対象になってくる。ここに今までやったことのない非常に難しい新しい科学というものが待っているのだが、それが実はできないという。我々が持っている過去に蓄積された手段を使って、例えば環境問題を解決しようとしても、これはできない。そういった大きな問題を抱えているので、やはり基礎研究が非常に重要であり、同時にそれは応用というものの反映でいかなければいけない。最初のご意見の中で、実はダムに水をためればいいんだと言われたけれども、私はやはり、もちろんそれは真実なのだが、今はそのダムの水を入れかえなければいけないのではないかと(笑)、そういう感じがしている。

・委員  科学技術会議はもう既に40年の歴史があるわけだが、40年間に、配布資料にもあるとおり、非常にたくさんの答申あるいは意見具申として科学技術の総合的な基本政策といったものを随時つくってきた。こういった過去の科学技術会議の答申あるいは意見具申を振り返ってみると、今、科学技術と社会の問題が非常にクローズアップされてきているわけだが、当時からそういう側面は全然検討しなかったかというと、決してそうではなくて、それぞれの時代の政策というものはそれぞれの時代の社会的な背景を踏まえてつくられているわけで、その掘り下げ方が浅いといったことはあったと思うが、社会的な問題、環境問題もクローズアップしてきたし、それから基礎研究が弱いといったような問題、あるいは資金が足りない、そういった時代、時代の背景を踏まえてはいたのだが、どちらかと言えば後追いになっていたのではないかということを率直なところ感じる。21世紀の科学政策を考えるに当たって、それを裏返しにした考え方、もっと先見性を持った、予見した上での計画あるいは政策をつくっていかなくてはいけない。そのためのメカニズムをどうするかというのが問題だろうと思う。政策だけではない。研究開発を進めるに当たっても、社会的な側面といったものをどのように予見していくかというメカニズムづくりが重要である。そのメカニズムとしてはいろいろ考えられようが、今、委員の言われた俯瞰的なアプローチの仕方もあると思う。
  2年前に国の研究開発の評価の大綱的な指針が科学技術会議の意見具申を受けて国の指針として出されたが、この評価自体の目的の一つは、社会と国の科学技術政策の接点である国民に対するアカウンタビリティーを果たすことであると位置づけられているわけだが、それだけではなくて、評価をする際には、研究開発の社会的側面というものもきちんと踏まえた評価が重要になるだろう。この指針ができてまだ2年、それぞれの研究所等で暗中模索というか、ようやく緒についたところで、まだいろいろと運用面で改善しなくてはいけない問題もあると思うが、21世紀における政策、あるいは研究を進めるに当たっての評価というものが、社会的側面について先見性を持たせるための手段にして行く必要があろうと考えている。

・座長  私の専攻は臨床医学ですが、このごろ臨床はあちこちにお株を奪われており、最も泥くさい臨床医学です。
  この50年近い間に、日本人の寿命はおよそ20年延びた。これはいろいろな要素があるが、やはり医学の力が非常に大きかったと思う。病気の診断も、治療も、非常に確かさを増した。しかし、医学が一般の人々に信頼されているかというと、決してそうではない。どうも科学としての医学が進めば進むほど、医学に対する不信感が強くなるのではないかという気がしている。
  その理由は幾つかあるわけで、先ほど委員が言われたように、医者が全部2階に上がってしまって、1階との間に十分なはしごがない。そういうところで、医学がなかなか理解されないということもあろうと思う。
  それから、近代科学としての医学は集団の医学。ある人間の集団をとって、その集団でいろいろのことを研究する、そしてその中から真実を見つけていくというのが科学の方法論だが、医療の現場では個人が問題になる。だから、個の医学というものがまだ成立していないというあたりが、2番目の問題ではないかと思っている。
  それ以外にもまだ幾つかの要素があるわけだが、しかし、この個の問題というのは、これは間もなくかなり大きく発展するのではないかという期待が持てる。それは、何と言っても2003年に人間のゲノムが解読される。それを受けて、恐らく2010年頃までに遺伝子の個人差というのがほとんど解明できるのではないか。そうすると、1人1人の遺伝的な特徴に応じた医療というのが行えるのではないだろうか。これによって、この問題はかなり解決していくのではないだろうかと思う。
  しかし、医学がもう一つ信用されない理由として、やはり近代科学の知というのはある意味では非常に冷たい知であり、そのことが患者さんにとってなじめない。だから、もう少し人間と人間の接触を通じて生まれるような医学の知というか、臨床の知というか、そういうものがあるのだが、それは極めて漠然としたもので、なかなか体系化できないし、うまく表現もできない。しかし、そういうものがこれから発展していかないと、医学が一般の人々に信頼されるということがないのではないだろうかと思っている。このあたりは、ぜひ哲学の鷲田先生あたりに教えていただきたい問題。
  21世紀を目前に控えて、いろいろなことをやっていかなければいけない。きょう、いろいろな方にお話しいただいたとおりだが、私は生命科学の分野に身を置いている者として、生命科学の重要性というものを少し強調させていただきたいと思う。それはなぜ重要かというと、1つは、生命科学の進歩によって我々は命というものの本質を深く理解することができる。それから、地球上に命が生まれてから今日までの歴史を読み解くことができるというのが第1点。第2点は、先ほどから申し上げているように、それが人間の健康の保持に非常に大きく役立つということ。第3点として、生命科学を基礎とした新しい技術、新しい産業というものが生まれていくであろう。これは、いわゆるポスト工業化社会の産業の一つの旗頭になるのではないだろうかということ。第4に、この地球上にいる様々な生物の相互関係が解明されることにより、地球上の生命世界を保持していく、それを守っていくということができるのではないか。そういうことから、私はやはり、生命科学というのは非常に重要な分野になると思っている。
  しかし、日本の現状を考えると、非常に憂慮すべき点がある。その1つは、基礎生物学を専門にする人が何と言っても少ないこと。今まで理学部の枠の中で基礎生物をやってきたから専門家が極めて少ない。それから、高校とか大学で生物を勉強する人が極めて少ない。特に、理科系を志望してくる人はほとんど生物を勉強しないで来るという現状がある。そうしたことから、日本の教育の中でも変えていかなければいけない一つの課題であろうと考えている。以上です。
  今日はそれぞれの委員の方々から自由にご発言をいただき、非常にいろいろなことを勉強させていただいた。あとの残された時間で今後の運営について少しお諮りしたいと思うが、それについて事務局から一応たたき台があるので、少し説明してもらう。

(本懇談会の今後の運営についての案を、事務局より  配付資料1−7 に基づき説明。)

・座長  今の説明のとおり、これはなかなか多岐にわたる問題をどのように整理していったらいいのか、非常に難しいことだが、とりあえず20世紀を振り返り、それを基礎にして少しでも将来が概観できるようなことを議論したいと考えている。それから、場合によってはこの委員の先生方の中から、あるいは外からお呼びしてもいいわけだが、そういう方に少しまとまった話をしていただき、それを基礎にして議論して、そして焦点を絞っていくということもいいのではないかと考えている。
  目標としては、今年度中にある程度のおよその枠組みをつくり、そしてそれをさらに議論を深めて、来年の夏ぐらいに最終報告をまとめたい。それを再来年の1月に発足する総合科学技術会議にお渡ししたいと考えている。
  総合科学技術会議の内容については、まだちょっと不明確な点があるが、少なくとも現在よりはかなり機能が強化されるので、総合科学技術会議でさらに引き続いていろいろな問題点を検討して、そして政策提言をしていくということが可能になるのではないか。その下敷きになるような報告がまとめられればと考えている。
  何か今後の進め方についてご意見があれば、少しお伺いしたいと思う。次回どういうふうにして議論していくかというのは一つの問題だが、何かご意見は。今日のような形で、今回お休みの方で次回出ていただいたら、少しご発言していただこうと思う。それぞれの方のバックグラウンドとか考え方がわかるから。しかし、いつまでもそれをやっていてもなかなか進まないので、少し違った形で意見の取りまとめをしていきたいと思う。例えば、きょうは欠席だが、村上先生に、少しまとまって発言をしていただき、それを基礎にして議論するというのも一つの方法かと思ったりしている。
  それでは、本日はこれで終わらせていただきたいと思う。大変お忙しい中をありがとうございました。今日のお話でもわかるように、いろいろな専門の方がおいでになり、その間でいろいろ議論をするのが非常にいいことだと思うので、できるだけ皆さん多くの方がご出席いただける機会を見つけていきたいと考えている。それから、今日ご指摘いただいた安全保障の問題、実は中でも議論したことはある。これは非常に重要な問題であり、そういう国際政治の専門の方も、今日は欠席だが入っていただいているので、そういったことも今後とも議題の一つに取り上げていきたいと考えている。

以上


記号   「21世紀の社会と科学技術を考える懇談会」のホームページへ

記号    審議経過のページへ