教員養成部会 専門職大学院ワーキンググループ(第9回) 配付資料

1.日時

平成17年9月13日(火曜日) 13時~15時30分

2.場所

東京會舘11階 エメラルドルーム

3.議題

  1. 教員養成における専門職大学院の在り方について
  2. その他

4.配付資料

4.概要

(1)教員養成における専門職大学院の在り方について

事務局からの配付資料の説明の後、自由討議が行われた。主な発言の概要は以下のとおり。

委員
 ワーキンググループでの審議経過報告を基本として、教員養成部会としての中間報告に向けて議論が行われていくこととされている。制度の骨格については既にWG報告としてまとめたところだが、他方、教職大学院が制度としてその効果を十分上げるためには、カリキュラムがその目的、趣旨に沿った充実したものになるということが必要。この点について梶田部教員養成会長より、本ワーキンググループにおいてカリキュラムの在り方や、それから実習の在り方など、その充実を図る観点からさらに議論を深めてほしいという依頼があった。このため、本ワーキンググループとして、今後具体的にはワーキンググループ報告書のうちの補論「教職大学院におけるカリキュラムについて」を深めていく方向で議論をしていきたい。

委員
 法科大学院と教員養成は同質に論ぜられない部分がやはりあるし、あまり大騒ぎ、鳴り物入りというのは危険な面がある。教育などの問題はやはり静かに進むという姿勢が正しいのではないか。ただ、あちこちにただできたでは困る。できたものはちゃんと効果がないといけない。
 また、すべての都道府県にある教育学部にこれができるかどうかという問題がある。できない県がでてくる。将来、教育管理の方向なる人は従来の修士課程ではなくて専門職大学院のコースを歩いたほうがいいというように見られれば、制度上の条件にはならないにせよ、そこを出たほうが好ましいという形になるのではないか。そうすると、各都道府県に1県1専門職大学院がない限り、その県からは校長、教頭を出すメカニズムを持っていないという形になることが、地域から見た場合には問題視される。しかし、教員養成学部全体の現状を考えた場合、各都道府県全部に許してしまったら、本当にたがの緩んでいないものになるのかどうか。この2つをしっかり工夫することが必要ではないかという論議が出ている。

委員
 関心の極めて高い方と冷淡な方と両方あるなというのが総じての印象。日本教育大学協会は、当然、今後の教員養成の組織をどの様なふうに持っていくのかということで関心が高い。また、教職大学院の創設に当たって評価の機構のプロジェクトを立てたほうがよいのではないかという話も一部では出てきている。一般の教員養成系の大学人の中で、実践経験を持つ大学教員を中心に、その大学にふさわしい教職大学院の在り方はどの様なものなのかを考え始めようという動きもある。ただ、審議経過報告だけであると具体的にどの様なものを構想したらいいのか考えあぐねているというところも、関心の高い人たちの中にあるのではないか。

委員
 まだ審議経過報告書の段階だが、学校現場でも話には出ている。ただ、実感として湧かないのは、予算があるのだろうかということ。もう1つは、長期研修でも大学院研修でも現在希望者が少なくなっていること。従って、手を挙げれば何なく選考通過してしまうような状況で、それが今現場では困っている。育てるべき人材が希望してこない傾向がある。高等学校になると管理職を指向する人間が減ってきている、そういう現状がある。よほど魅力と財力が保証されないとついてこない懸念がある。

委員
 教員を採用する立場からこの問題に非常に関心を持って、教職大学院ができるということを教職員に訴えている。教員採用について、集まった人材は100名近いのだが、率直に言って、学部卒に対して学科試験だけではなく模擬授業、スピーチ、面接を試験したがほとんどだめだった。教職課程あるいは大学学部、特に大学院を出ていても授業そのものができない。また、教師としての在り方あるいは自分の教師に対しての使命感のようなものも見られない。これではしようがないなと思う。問題ははっきりわかっているのではないかと思う。はっきりしているので、これをどう盛り立てるか、モチベートするような、むしろ推進運動をするほうがよいのではないか。例えばGPではないが、優れた学校を選定し、そこに予算を与えるというぐらいの施策を打たないと、教職の質はどんどん下がっていくのではないかと思う。また、教員免許状を取った者が教職に行かなくても何とかなるということに非常に問題があるのではないか。教員をやるんだという人材を輩出するべき。そういう意味では、やはり昔の師範学校のいい志を取り入れるべきという感じがしている。この構想がなくなったら日本の教育はだめになるんだという位の意気お願いしたい。

委員
 教育委員会や現場サイドの受け止め方はそれほど華々しく盛り上がっているということは言えないかもしれないが、教員の資質向上という全般的な課題からすれば期待感は非常にある。ただ、現状では、内容の具体的なイメージをつかむところまではなかなかいかないので、漠とした期待感という域にまだとどまっているとは思う。
 現職教員を送るためには、当然穴埋めの補充のための予算措置がいるわけで、それがどうなるのかが必ずしも見えてきていない。大学院に派遣する教員の枠をどれだけ確保できるかというのはどこの教育委員会でも頭を痛めている部分であり、それがどうなるのかなという懸念がある。
 もう1点は実習である。これは非常にボリュームが増えるので、附属学校でももちろんやるにしても、一般の小中高が引き受けると人数外で時間数が格段に増えるだろう。それに学校サイドが耐えきれるかどうか、ないしは十分なお世話ができるかどうか。その意味での関連した条件つくというあたりがむしろ懸念であり、関心の的になっているのではないかと思う。
 さらに言えばストレートマスターの評価である。現実、大都会は別としてそれ以外の多くの府県では依然採用試験の競争率は高い。10倍前後もあったと思う。合格する7・8割は学部を出てすぐの新規卒業者ではなくて、何年間か講師経験を積んだ人たち。そういう講師経験者と大学院2年を終えてきたストレートマスターにどれだけ優劣さがあるのかというあたりは、一概に言えない、非常に難しいところがあると思う。教職大学院修了者をいずれ採用することになった場合の採用試験の在り方や位置づけなどまだ曖昧としている。

事務局
 この間、自民党のほうでも特別部会があり、あるいは自民党部会長が教職大学院に関する勉強会をつくっていただき、その席に梶田部会長、横須賀主査あるいは上野先生また小関教育長にもご出席いただいたりしている。そういう中では、ある意見としては今回の報告は中途半端ではないかというものもあった。完全にここを出なければ教員になれないような制度を、時間がかかってもそういう全くの抜本的な教員養成体系の構築にすべきだというご意見もあるが、一方ではまたそういう意見の中にも、そうは言っても現実に首都圏や近畿圏を中心に教員の大量採用時代が始まる中、そういう時代に間に合わなければ、ある意味では意味がなく、そういう時代に間に合うように現実的に教員の推進策を改善していくのが先であるという意見もあった。そのような意味で、ワーキング委員や部会長に出席いただき勉強会の関係議員の理解を得られたのではないかと思う。

事務局
 後ほど資料をお配りするが、文部科学省の方で、この教職大学院とは直接関係はないが、ある程度教職大学院の狙いとするところの理論と実践の架橋というところを大学の教職課程で進めていただくという趣旨で、国公私を通じた共通的な予算を5.5億円(17年度予算)を計上し、これについてこの程具体的な選定を行い、運営・支援する大学を決めさせていただいた(教員養成GP)。これについても、教職大学院をどこにつくるかというようなことは正式には何もないが、実際のところ教職大学院の盛り上がりとは別に、教員養成GPのところでかなり盛り上がりがあり、後ほどその結果についてはご報告したい。同時に、大変厳しい財政状況の中であるが18年度概算要求を行った。大変苦しい予算要求の制約がある中で、教職の実践的な教育推進ということについては4億円増額要求をしたところである。そういったものについては明確に、さまざまな記者発表の席で、当然、これは教職大学院というものについて、こういったものを準備段階としても盛り上げるというか、さまざまなそういった準備を推進するという意味合いも含めということでやっている。決して文部科学省として何もしていないわけではない。いくつかつくるのかということは決めてないが、そういう中でそういったことを念頭に置いた形で教職大学院の予算を増額しており、そういう中では私どもの方ではかなり、もちろん大学間では明確にうちの大学につくるということはないのですが、個々の大学からは専門教育課の方に具体的に検討しているが具体的にどの様なことをしたらいいのかというような照会が多数あり、そういったことも含めて、具体的な実習のやり方とか、あるいは具体的にどの様なカリキュラムを組んだらいいのか、あるいは、どの様な実習を考えたらいいのかなど、逆に具体的に検討を進める中で助言を求めているその大学の反応もかなり多くなってくると思う。

事務局
 カリキュラムのイメージは、中央教育審議会でこういうものにするのだということよりも、告示等で決める部分もある。それはそれで大学の判断になる部分がある。ただ、そういった新しいことを想定するときに、一応の想定をして、イメージすること、これは本WGの考えにより1通りになるのか、あるいは複数示すのか。かえって複数示したほうが強制力はないということがわかっていいのかもしれない。あるいは実習のモデルのような場合、これは逆に、受け入れ学校との関連もあるので、こういったことについてのモデルカリキュラム的なものをある程度示すことが、教職大学院をつくる意味をより分かり易くすることができるのではないか。
 今まで中央教育審議会という場でこういったことをやったことはあまりない。多くの場合、医学教育、法学教育の方でやっているが、それは特別な協力者会議等をつくっていくのが多い。そういう意味で、いわば中央教育審議会の性格上、各大学の教育課程を決めうちをすることはできないが、そういったところは十分趣旨が伝わるような形で議論いただけると思うし、私どもも工夫する、是非このようなとことで議論を深めていただければありがたい。

委員
 カリキュラムイメージについて。法科大学院の場合、本ワーキンググループで補論のところで詳しく意見交換してきた部分と重なる書きぶりがかなりあると思う。総論の部分、またいわゆる実践そのものと関わった部分である。しかし、実践のみに従事するのではなく、そこを基礎論との往復の中でどのようにやっていくか。法科大学院の方はそうは言いつつ、基礎論にとって変えてしまわないように、といったことも少し杭が刺してあり、その辺の問題意識は共通しているのかと思う。そのような意味では、5つの柱を出したわけだが、このあたりのところを1つのモデルではなく複数挙げるのがいいのではないかと思う。こういう観点は必ず押さえるようにというふうにアドバイスのような形で書いていくことについては賛成である。

委員
 いくつかの大学で是非この機会に率先して設置したいという声が上がってきていることは事実。しかし一番困っているのは、補論という形で出された内容は、それぞれよくわかるところであるけれども、具体的なカリキュラムとしてどの様に組み立てていいか考えれば考えるほどわからなくなること。そのような意味で、イメージ作成に当たっての作業がほしい。ここでカリキュラムに近いものを示すことができれば、一気に検討が具体的に進むのではないか。

委員
 大学によっては、あまり規模を大きくしたくないという大学が多いと聞く。様子見を考えて、初めは定員をうんと小さくして出してみたいという。必要性はよくわかるが様子がよくわからないという感じを持っている大学は多いと思う。

委員
 審議経過報告の資料1の教員養成の専門職大学院の必要専任教員数の試算例にある必要教員数を見て、だから、学生定員の50人以下にする、など誘導のように従っているような感じがする。

委員
 定員30人でやっていこうとか、30人はちょっと恥ずかしい、50人ぐらいにするかなど、そのあたりなのではないか。それと、実務家教員の選考はどうしたらいいのかということも非常に苦労している。

委員
 国立大学の反応としては、無関心とか冷ややかということではないと思う。率直なところ、今法人として2年目であり、また最初の評価などもあり大学の中に落ち着きや余裕もないといった感じである。
 第1にここ1年のうちに教職の大学像をどう描くのかというところが迫られており、その判断の中に専門職大学院というのは当然入ってきている。ただ、それを本気でやるのかどうなのかというときに、小規模でというのは、投資をしてやる余力があるのだろうと思う。いち早く設置を考えている大学がある一方、他方過半数の大学は1・2年後だろうが、そのうちに本気で考えるようになるのではないか。ただ、その意味で我々も努力する必要がある。専門職大学院でどのような教師像、教師の資質をきちんとだせるのか、その意味ではやはりカリキュラムイメージということなのだろう。さまざまな型の新しい教師像を打ち出していくことを我々が取り組む必要がある。カリキュラムというのは、カリキュラムイメージも含めて非常に大事だという気がする。きちんとつく、それが従来の教員養成ではできなかったことをやるのだということを明確にここで打ち出せれば、これは各大学やらざるを得なくなる。それはこの1・2年の間にいずれ判断せざるを得なくなる。

委員
 共通科目だが、医学・歯学のように分野として共通の科目なのか、それとも個々の大学の中での共通なのかどっちなのか。もし医学部のようにどこにいてもコアとなれる知識であれば、1つの可能性として今検討しているのは、各大学に100パーセントまでの力がなく70パーセントしかない。それが協力し合えば100パーセント以上になる。大学院共通であれば、Aの大学の強い分野の教員でその科目をとって、足りないところをB大学でとることが可能なのではないかということが出てくる。そうすると、全部100パーセントの帯にもぴったり、たすきにもぴったりというところまでそろえなくても、若干帯に短しでも2つ合わせれば帯以上になるというのが可能で、あるインフォーマルなレベルでの大ざっぱな話し合いの中で出てきた。これは私学と国立の話だが、それぞれに欠点を持っているという。従ってこの共通というものがその大学だけに共通で全員がとらなければいけないものなのか、あるいは教職大学院として認可できる科目なのかということは、ある程度教科書のレベル、内容のレベルまで共通化していかないと、それはできないということで、それはまた作業が大変なことになってくるのだが、一体どっちなのかというところで各大学も見ているし、教育大学と協力してやれば若干力のない私学でも教職大学院を立てることができるのではないか。

委員
 自分もいくつか質問を受けたり、自分の大学でもどうするか考えている。資料3の全体構造の表、これは共通に理解しておかなければいけないことがあるのではないか。今の教員養成の修士課程は実はコース別選択科目の部分のみでできていて、共通科目というのはないと考えていい。従来はコース別選択科目部分が修士課程の本体を成しているが、今度はそれを逆転させて、共通科目のほうにウエートを置いて、ここが教職大学院だと言っているわけだが、そこは認識としては十分できておらず、どの様なコースをつくったらいいかというものの考え方のほうが先行しているということがあり、ここ点は確認しておいたほうがいい。つまり一般教養ではない。ここが教職大学院だということだと思う。

事務局
 一般の研究科の場合、教職または教科ということになっているが、教職大学院という形で一定の教育課程を考えていく以上、教職大学院としての共通的なものがあるというふうに思っている。従来、大学の教職課程に対する共通的なものは免許法というものになって、免許法の科目に基づいてカリキュラムを編成している。その延長でいえば当然前提としながらも、その中で教職大学院としてここのところをきちんと共通的にやっていこうということで、それが教職大学院と一般研究科の違いだという感覚を抱いているので、そういったことを今の指摘を含め審議を深めていただきたい。

委員
 この基本は、日本で医者の免許をとったものはこれだけはベースでほしいということである。よってA大はこういう共通、B大はこういう共通、ではなく、日本で医師の免許をとったら最小限ここだけは押さえておくということから共通化しているわけである。

委員
 学部は教員免許法で、実態的には共通科目になっていないが、単位名称だけが共通科目になっており、修士課程は全くそうなっていない。ここで全く発想を変えなければいけなくなっているわけである。

委員
 「コース(分野)別選択科目部分」のところでは、「例えば」と書いてあるわけであるが、ここの部分はこのワーキンググループとしては仕事の範囲に入らないと考えていいのか。その下の共通科目に、あるいは学校における実習に、コース(分野)別選択科目部分がどう影響するかというような議論が、少し細かくなると思うがあるかなと思う。

委員
 医学教育のコア・カリキュラムができるときは、もうコアは大体わかるけれど、それに知識量が年々増えてしまって、教授が自分が学会で発表したことだけを授業するから、全般的な、例えば木でいえば一番表面の大きな木の葉っぱだけを覚えさせて、中の幹とか枝が全然わからない学生が出てしまい、国家試験も割合それに近いという問題があった。これをどうしようかということで、もう既にあるものをトリミングする形で、幹と枝をはっきりさせる、必要な葉っぱは残しておくというのがこの作業だった。

委員
 今、基本の部分になる共通というのは、資料4の(1)の1から5まで書いてあるもの、それはすべて基本になると思う。そういうことを共通科目で全般的なところを学習するということ。

委員
 実際の中身が教育課程として始まったときにどの様な時間表を組むのか、具体的にどの様なシラバスをつくってやっていくかというところが、本当にきっちり1から5までできているかどうか少し気になる。

委員
 現場でいうとこれらの内容は必要なことである。

委員
 そこが非常にポイントで、教育現場、学校現場的に行くと1、2、3、4、5が全部必要であるし、この中身がどの様なものであるかという想定もほぼできるのではないか。ところが、大学のほうになると今まで経験がない。こういうことが共通だという経験がないため、これをやるとなると相当バラバラになってしまう可能性がある。

委員
 法科大学院もそのようになっているため、法科大学院に行きながら、大学の授業に行かないで予備校に行っている学生がおり、こういうことが現在非難されている。そうならないために、大学のほうで1から5が、現場しかわからないということではなく、大学が基礎を与えるのはこうだということを非常にしっかりとしたイメージをつくらないと厳しい状態になる。

委員
 共通科目のところがどれぐらいの割合があって、全体の大きさだけでなくて例えば各領域を単位数で規定することはできるのか。カリキュラム全体の構造として基本を強化する、専門職大学院については基本項目をこれだけ持たなければいけないということはどの様に表現するか。

委員
 カリキュラムイメージではそのようになると思うが、設置基準上ではどのようにするのか。体系的に編成すると言い方で2単位だけ置いておけばいいというのではないという話はしているわけである。しかし、ここで検討するのは、その例示になるのだろうと思う。

委員
 共通と書いてあるが、基本の科目のところをしっかりやるということは、この大きさによって、これがしっかりやれれば即戦力になるという、あるいは、今の現職でも足りない部分がかなり改善されるのではないか。

事務局
 共通(基本)科目部分の性格について、(補論)6ページの上から3つ目の○(まる)で、全領域からどの教職大学院もこの1から5については必ず開設して履修させるようにしなければならない、ただ、具体的な科目、配分については各大学において設定することとなる、と書いた上で、なおということで、全体が体系的にと言う以上は、その単位数の合計は実習を引いた分の半分位ということが目安になるだろうということで書いてある。この場合の目安は、法科大学院の場合も法令上の基準のところで4領域があり、これについては科目を開設しなければならないと規定されてあり、それぞれの領域の単位数というのは実は法令上の規定はない。だから、具体的な単位数、例えば憲法なら憲法は何単位ぐらいがいいんだということについては、関係者がつくったモデルカリキュラムで示され、各大学がそれを参考に従っているということになっている。このところは、大学としてどの程度きちっと制度的に決めなくてはいけないのかという点と、それから大学における建学の視点、自主性、多様性の部分の間のところで、そのような制度になっている。

事務局
 今、中身のことでとても大事なところに入っていると思う。結局、設置基準では項目しか出せない。例えば今の共通科目として教育課程の編成、実施に関する領域、教科等実践的な指導方法に関する領域は、このようにして出せないのだろうと思う。ところが、先ほどから話が出ているが、具体的にそこの中に何を入れておかなければいけないのだということを、この資料5の法科大学院にあるような形、あるいはこれはもう少し詳しくなくていいと思うが、出していかなければいけないだろう。
 本WGに是非お願いしたい具体的なイメージは、資料3だが、その5ページ、上のほうの2、教科等の実践的な指導方法に関する領域であるとか、具体的内容例が書いてある内容が、これでいいのかどうか、プラスアルファなどあるのか考えいただきたい。また、括弧の中に教科間の関連指導の工夫を含む、学習指導案の作成とあるが、これがもう少し詳しくなるといいという感じがする。そういうふうにしていけば、共通というか、ここだけはきちんとというか、例えば事業計画でも学習指導案というが、私だったら単元の指導案とその中でのポリジーとか、あるいはその中でどこか1つ例として、いわゆる細案が書けるようにするとか、などということまで含めて書けておくといい。今、細案だ、略案だとか、あるいは関連指導計画だといっても90年代はほとんど使わなくなってしまっているから、学校現場になかなかものがない。しかし、80年代以前だとまだやるところが残っている。だから、それを発掘して院生たちにぶつけるとか、そういう準備もできるだろうという感じがするので、そういうことで具体的な手がかりになるものが入っているといいと思う。
 もう1点は、実習の内容である。一種免許状を取る前のいわゆる教育実習があるが、これは各大学は工夫している。その上に何を工夫したらいいのかという点。今までやっている教育実習である、授業・先輩たちを見て、それから業務指導案をつくってみて、一度やってみて、まず先輩からそれに対して批判を受けてという程度でなく、大学院であるからもっとケーススタディ的な、あるいはフィールドリサーチ的なものになっていくには、例えば期間はどのぐらいならいいのか、現場に張り付けてある時期はやらなければいけないのではないか。例えばそうするためにはどうしたらいいかということが出てこないと、なかなかイメージができなく、形だけ設置基準に合致していても、中身が死んでしまうとおかしいと思う。

委員
 本大学ではカリキュラムフレームワークという名前で全学作業に入っている。これは、今まで免許法にあった科目は開講してきたが、その科目の中で付けるべき力は必ずしもお互いに問うてこなかったということで、共通のところをかなり書き出し、そして教員全員が自分の授業をチェックした。そうすると、一覧表で、教員養成課程だけだが、私どもの現状の大学で今、これぐらいの力を付けていて、ここが弱いということがわかり、また、あまりにも重なっていれば、その部分は他に譲る、この部分が担っているという部分がなければ、どれかの授業でこれは担わないといけないし、やらなければ新規開講も辞さないという形で、現状把握の状態だが、それをやっている。大学院の部分にはまだ着手できていないのだが、感じとしては表現自体はそれほど変わってこないだろうが、しかし、質がかなり変わるのではないかと予測している。少なくとも今、資料4の1から5まで書いているこのジャンルで、この科目を立てるというところは各大学できると思うのだが、その科目を立てたところである意味では教育委員会でも説明が付くわけである。うちの大学はこれだけのここまで力を付けて出していますということが、そういう説明責任も果たせると。こういう力はこの授業の中でちゃんとできるということを少し書き出せれば、各大学が考えやすいのかなと思う。

委員
 医学・歯学に関しては、全国統一の試験をやっている。厚生労働省の国家試験とは全く別に、医学部長会議がセンターを東京医科歯科大学に置いている。みんなどこかに集めてやるというのは大変な作業になってしまうので、試験は国家試験と別に、コンピュータで毎年2万題を目標に問題をつくって、試験はいつ受けてもいいと。例えば私どもの大学ではそのコンピュータでやる試験を通らないと臨床実習ができないという形をとっている。それを採用する学校が非常に増えている。従って、そういうコアができた場合に全国統一の1つの仕掛けができると、日本の教員であれば、ここまでは各科目できているという形が日本全国的にできるのではないか。ただし、その場合は極めて良質な問題をつくっておかないと非常に嫌われてしまう。問題を解くことによってスキルも非常に向上するというものを、今、医学教育では厳選して2万題を目指してやっている。各大学の教授が毎年、数題例えば10題出す。それがスクリーニングの委員会にかかり選別される。場合によっては1題もとってもらえないという感じでコンピュータの中に入れる。2万題もあるからカンニングも何もできない。そういう仕掛けをつくる。医学とはちょっと違う面がありますが、参考になれば。

委員
 教員養成系の学部を中心として、学部段階のコアカリキュラムの策定をここ数年やっており、昨年、答申を出した。それが各大学に取り入れられている部分もあれば、そうでない部分もあるというのが現状だと認識している。これはおそらくいろいろな理由があるだろうと思う。1つはあまりしっかりしたものをつくらなかったということもあるだろうと思うし、教員養成と医師養成との違いということもあるだろうと思うが、何よりも難しかったのはこれまでの、戦後の大学が発足してから50年余り、教職員免許法という法律がありながら実に多様な教師養成教育が行われてきたという実態を前に、その統一的なガイドラインというものをつくることの難しさであった。そのような経験を持ってこの場に参加していると、今回は教職大学院というのは新たな仕掛けをつくるところなので、そのコンテンツを具体的に示しておくということが、やるなら今だという状況だと理解している。その上で、今まで出てきた議論を聞きなかなか難しいと思うのは、例えば医学教育のモデルコアカリキュラムは、実際には小児科で開業したり、外科であったり、耳鼻咽喉科であったり、それぞれの診療科目で医師としての仕事に従事される方々が、そもそも人の体というのはどの様なものなのかとか、診療をするというのはどの様なものなのかということを共通して理解しておく、そのベースとしてのものである。教職大学院の共通部分という部分にそれをあてはめてみると、実際には中学校で数学を教えながらの教務主任や、小学校で専科で指導し担任を持ちながらいろいろな教科をするとかというような、実際の働き方はそれぞれだが、そもそもいろいろな学校でリーダー格の教員が学校というのはどの様なものなのかということについては、学部レベルよりはかなり上の実践的学校論というか、仕掛けについて理解しているということと、それを実際にやってみせるコミュニケーション能力を持っているということを統一して示せるものではないか。それに関して、できれば評価基準みたいなものも明確にあったほうがよく、これが求められているのだなということを理解はしてきたが、実際にこれをコンテンツにするとなるとどうなるのかというあたりは非常に難しい課題だと思う。

委員
 今まで各大学で教員養成をやってきて、我々がこれが理想の教師だろうという理想に基づいて教員養成をやって世に送り出してきたところがあるが、実際受け入れ側からすると、なにこの人たちということがだんだんはっきりしてきたことがある。今のイメージからすると、サプライサイドでずっと議論を進めてきたが、これからはオンデマンドである。実際、教育現場でどの様な人が求められているのか、どの様な対応ができる人か、それが具体的に上がってくれば、それを共通のコア知識に入れていくことができるのではないか。そのときに、サプライサイドだけでやっていくのではなくて、デマンドサイドをはっきり意識することが求められている。今後、カリキュラムを考えていくときにデマンドサイドの考え方を積極的に入れていく必要がある。そういう意味では教育委員会あるいは各校長・教頭からこういうものはしておいてもらいたいという教師としての常識、イロハ、これをどんどん挙げてもらうといいのではないかと思う。

委員
 デマンドサイドからいくと共通科目もいろいろあると思う。本当のコアのコアというと、2の実践的指導方法に関する領域で、授業力、授業の実践力そのもの、つまり50分の授業がちゃんとすぐできるかという、これはいろいろな要素があると思うが、それをここの中に何とか盛り込んでいただきたい。授業の実践力というと高等学校に何週間か実習に行って、ここでいくと10単位ということだが、大学院の中でできる実践だが、例えばロールプレーにしろ、プレゼンテーションにしろ、模擬授業にしろ、模擬授業だってビデオカメラに撮ったってできるから、そういうアイテムを使って授業の実践力というのをここに入れていただきたいと思う。もう1つは、デマンドサイドでいくと、共通する科目というのはほとんど教職員のミッションとか使命感とか、倫理観とか、人間力に関係する。従って5の教職員の在り方について、コアのコアといいますか、授業ができる教職員を是非養成してほしい。

委員
 この共通科目の領域は、これはいずれも大事だという意味では当然これに関する領域を開設するということになるとしても、これを全部1人の学生がやらなければいけないということにはならないだろう。5領域といっても、この中に科目はいくつも具体的にあるはずであり、3つか4つぐらいすぐ出てくるはず。授業に関してはいろいろな方法論の科目がある。そうすると何十時間あっても足りないわけで、45単位以上ですと、そのうち10単位分は実習であるから、残り35を共通科目とコース別選択科目に分けるとおよそ半々というわけなので、私が思うにこの共通科目は約20単位ぐらい、とすると残りは15ぐらいかなと。その20単位をやる場合でも、この5領域全部は無理だろうと私は思っている。もし機会があれば提示させてもらうが、5領域の中から3領域以上、合計20単位以上という仕方も可能ではないか。当然、指導的立場の教員がほかの教員に指導する場合は、それよりもマスターしておいたほうがいいに違いないが、共通に履修すべきという建前であっても、全員が必ず同一領域をとらなければならないかということについてはいささか疑問がある。

委員
 これは具体化していくときの重要な問題。個別の教職大学院が5領域を編成しなければいけないという、これは決まっていることだが、院生1人が全部をとらなければいけないのかというのは、これはまだ深まっていないと思う。ある種傾斜がかかる方がいいのか、そうではなくここは共通だから全部やり、その上で傾斜がかかるのはこの上のコース別の選択科目なんだというところははっきりさせた方がいいと思う。

事務局
 資料3の4ページの3の共通科目部分について、○(まる)の2番の部分、「このような」というところから「社会的要請に対応するためには、教職大学院においては、上記1で述べたとおり、高度な専門性を有する教員の養成のためにどのようなコース・選択をとる場合においても、すべての学生が共通に履修すべき授業科目群を設定し、その基本的要素を共通的に定めておく必要がある」という議論だが、議論のプロセスでは、コース別のところでの多様性の部分は生徒指導なのか、教科教育なのか、学校経営なのかというのはあるけれども、全員の学生が学ばなければならない内容と、その領域の幅ということで4つにするのか、5つにするのかということで5領域と定められている。従って、今合計数が20単位ということになってるが、これが20を超えて30設定をして、若干の傾斜、1のところだけ濃くするというのはあり得るのかもしれないが、20単位ぐらいについて、その中で5領域が含まれているということについては、全大学そして全学生共通という制度設計になっている。

委員
 私の大学でワーキングをつくり検討した際、同じような疑問があった。1つはこれは基本的な学部の話ではないかと。大学院ではこういうことというのは変ではないかというのが1つ。もう1つは、もし大学院でやるとしても、いくつかこの中から選択するということでやったらどうかということが出た。ただ、議論をしていく中で、1つは学部とダブってもより高度なものをやろうと、学部がいわば初級であれば、これは中級、上級でやるということで、同じような科目名を設定したとしてもシラバスの段階できちっと学部の、例えば本学では小学校の免許状を出しているわけだが、その人たちにやる生徒指導の話と、それから大学院でやるものはシラバスの中ではっきりと違いが見えるような形でやろうという話があった。もう1つは、教師というのはある意味で1点豪華主義でいけないところがあり、いろいろ目配りして全部やらなければいけないとところがある。例えば現職の教員が帰ってきてもう一度やっているときには、全領域をリフレッシュしてもらう。だから、この5領域全部をやってもらうということが前提でないといけない、ということ。細かいところに入っていくものは、コースがあるからそこでやると。心の教育のリーダーのコースなんていうのは生徒指導と同様にやるわけである。だから、これは共通科目でもやるわけだけれども、これよりはかなり深い、しかもケーススタディ的なものが入ったものをやろうと。あるいは授業実践のリーダーのコースもつくるわけだが、それも共通科目でもやり、しかもその共通科目でやるものも学部でやるよりもレベルは高くするわけだが、今度はより細かいところに入ったものを授業実践のリーダーのコースをやろうということで、あるいはスクールリーダーの名前を変えまして学校指導職コースという名前にしようとなった。学校指導職、つまり校長・教頭ということを頭に置いてやろうということになったわけである。そうするとこれも学部でやったこと、この教職大学院の共通でやったことと違う話が入る。どんどん深めていくとか、ある個別の非常にスペシフィックな問題に入っていくという形で、少なくともシラバスレベルでははっきりと違いを打ち出すことができるのではないかということで作業した。しかし、そのプロセスの中で問題提起があったことは事実であり、この辺は制度設計で非常に重要なところだと思う。

委員
 専門職大学院がほかの掲げるべきミッションの中には、授業ができる、という言葉を使うときに気を付けたほうがいいのではないかと思う。授業ができる教師という、できるという言葉はあまり使わないほうがいいのではないかと思う。ここでいう養成すべき教師というのは違うことを目指すと思う。授業というのは従来の授業ではない、教師一人ひとりが子どもの心情とか様子をきちっと震撼できるとか、同時に1人ひとりの子どもに応じた指導の内容をちゃんと組み立ててやること。また子どもたちの発達を刺激したり促進したり、そういう授業であると思う。従って、ここで授業のことを言うときに、授業ができるという表現をすると、すぐに学部レベルの話を真似てしまい専門職大学院としてのミッションというのはなかなか打ち出せないのではないかと思う。

委員
 学校における実習のところの議論がされていないが、ここも学校における教育実習とすると免許法上の教育実習と紛らわしいというよりは、そっちのイメージのほうが強くなってしまうので、教育をとって実習とだけしてあるわけだが。原理的にはこれは現職教員の場合の院生だった場合には、この中にとらなくてもいい形をとるという前提はしてあるが、わりに重要なところなのではないかと思う。また、いわゆる教壇実習と言われているが、授業をやっていけるという、ああいう意味ではないはずだと思う。

委員
 学校での実習の置き方、つまり実習生として置くのではなくて、臨時配置をして、そこの学校の教員として動かさないとこの実習はできないのではないか。

委員
 実習は、大学や大学院がやるだけでなく、教育現場は協力してくださいということ。教育委員会が一緒につくるという考え方がなかったらできない、つくっても意味がないということ。この点はそういう意味で基本的に重要である。

委員
 例えば学級崩壊という問題がある。これを現職の小学校の教員では、経験した人は90パーセントに達するという。それをどの様なふうにケアしていくか。教員にとっても大きなショックな話であるから。その場合、一番まずい例だとは思うが、40代から50代の脂の乗り切った教員が、それをお前たちも勉強になるからお前たちやれ、と新任の教員にこれを預ける例がある。私はとんでもないことだと思う。医学の例で言えば、難解な非常に難しい手術をこの間医者になったばかりの者にお前勉強になるからやれということであり、とんでもない話である。これをどうするかというと、そういうとんでもないことが起こったときにどうするかということをちゃんとマネジメントできる経験の厚い教員が現場にいて、新任の教員にそれを教えることが必要。しかし、指導的な教員もただ経験だけではやりきれない面ももちろんあるわけであり、そのときこそ、例えば専門職大学院のそういう問題ばかりを扱うような専門の教員がいて、そこに来て相談をすることができるようにするとか。心理学から何から相談を受け、大学側がそういう事例をファイルして、そのファイルをもとに専門職大学院に来た大学院生をその教員は教えていくなど、そういうことにすると、現場の問題から大学の今教育を受けている人までもきちっと現実の状態がうまく繋がっていくという仕掛けができるのではないか。こういうことが専門職大学院でできないか。教科に関しても同じである。どんどん新しい知識が出てくるが古い知識も基本的に非常に大事である。新しい方ばかりやったら中身はがらんどうになってしまう。これをどの様に結びつけたらいいか。現場のほうでそれを指導的な教員が新任の教員に教えると。指導的な教員が現場にいて、そこを中心に現場と教職大学院とが繋がっていくとわりあい流れができるのではないかという気がする。

委員
 そうならないとだめだと思う。

委員
 教職大学院という今度の仕掛けは大学にとってもいろいろ難題だが、実は教育現場にとっても難題が突きつけられている。今までのように大学がつくったのだから、それではどうぞ何人か送りましょうという話ではない。

委員
 そうすれば、大学にあなた行きなさいよではなくて、自ら行くようになるのではないか。

委員
 連携校をどうつくるか、そこにどの様な人事配置をするか、ここがリーダー的な学校になっているという、今までのような平均値的学校ではないものをつくろうという意味では、現場に対しても仕掛けをある意味で強要しているのだと思う。

委員
 新任の教員が試験問題をつくれないといけないと思う。医者でいえば医者になったけれども処方箋が書けない者、それをやはり現場で指導すること。その現場の指導格の教員が常に専門職大学院と横の連絡をとって、その指導格の教員は何も大学に入らなくても科目の履修生を現場の教員として相談に、ケースごとに行ったことが単位になるという資格もあっていいのではないか。

委員
 実習まで含めて、どの様な学校に依頼するか、その内容をどうするか、方法をどうするか。当然、これは共同作業的な要素が強いわけだが、実習だけがそうではないだろう。カリキュラムをつくることそのものが、大学サイドの、先に意見があったサプライサイドだけではすまない、逆にそうでないものをつくろうというのがまさに教職大学院だと思う。共通科目にしてもコース別にしても、大学との連携がどれぐらいできるかということが、中身の質を左右することにもなるし、それこそ魅力を持たせられるか、効果を発揮するかしないかの別れ道になるのではないかと思う。その点、従来のカリキュラム、科目設計、内容、シラバスのつくり方をそのまま踏襲されることがないようにお願いしたい。

委員
 連携校のところの書き方について、附属学校がどのように受け止めているのかも重要。

委員
 横浜市にも横浜国大の学生を3年時の実習だけではなく、1年時から派遣したい、そこで指導してくださいという話があり、私のほうも申出を出したが、まだ結果は来ないのだが、3人から4人ぐらいの学生を、それで4人ぐらい指導するリーダーになる教員がいる学校に募集をかけますということで、長期に渡り受け入れていくということで、週1回ずつ来るという話があった。実際に教育実習で4週間だけポンと固まったその間に来ても、学級もとてもすばらしい教員のいるクラスに配当するので、環境が既にでき上がっているし、子どもも協力しする。そうした中、私は指導力あるかなと思って出て行って、実際に現場に入る。採用試験に受かってきても小学校の場合はそこから自分もベテランの教員も同じ1人の教師として見られ、今大変厳しい親の批判がある中、指導力不足というレッテルがはられないかねない。そうすると新採用で何人も辞めていってしまうような現状がある中で、何かインターンというか1年間は、副担ぐらいの形で付けられるような形になって、実際にいい教員について一緒に学ぶ期間があるといい。それで5年・10年たった時に、専門職大学院でもう一度自分の実践を振り返っていくとなると、この共通科目なども実践を通して共通科目を受けますので、そうすると見えてくるものが違うだろうし、課題もはっきりしてくる。大学の学部にいる際は、実際のイメージが湧かないもの。それで実習に行くのだが、この場合、実践と理論が結びつかない。従って、専門職大学院というのが活きるためには、すぐ行く人もいるかもしれないけれども、現場経験をしながら、さらに指導力を高めて、リーダーシップがとれる人というふうになると、非常にいいなということを感じる。また、予算がないと、これは絶対に二極分化する可能性があり、学校現場が専門職大学院に行かせようという気にはならないので、その辺は是非お願いしたい。

委員
 学校というものは1年間で回っており、できれば週1日年間50日のような実習形態のほうがいいような気がする。実習に毎週行く、それで1年間が1つのサイクルとして、あらゆるものが見えるということがある。また、提携校や附属だけではなくて、私立学校だって受けられると思う。であるから、むしろ手を挙げさせてはどうか。挙げたいところに、熱心なところに提携していただくこと。

委員
 学部で授業力が付いているということの認識が、実態とは少しかけ離れているのではないか。学部で同じ授業をするのであっても大学院は高級なことをするということだけではなく、専門職大学院は実践と理論の融合なので、授業力ということを通じて、やはり教職のほとんどの部分がそこにいろいろな形で入ってくる。教科の授業だからクラスマネジメントしなくてもいいかといえば、そうはいかないと思う。

委員
 TOSSという団体があり、そこでは自費参加で南大東島から礼文島の小学校の教員が集まって授業力を高めることをやっている。先日8月4日、浅草公会堂で立ち見まで出てやっていた。みんな自費参加である。これだけ教員方は自分たちの力を強めたいという意欲がある。そこを見ていると一定の、柔道の型のような型が授業にはある。初めの15秒間でクラス全員を授業に引きつけないといけない。それをどの様にしたらいいか。子ども全員、40名いるけれども40名全員ときちんと目を合わせないといけない。非常に具体的なトレーニングをそこで、壇上に生徒になった教員が15人程上がって、そこに審査を受ける教員が上がっている。あれだけのエネルギーで教員方は何とか自分たちの授業力を高めたいと、こういう気持ちを持っている。基本のそういうところは、大学であれは教えられないのではないかと思い、何か民間の力というのもどこかの評価等に利用できないかなと思う。非常に大きなエネルギーが教員にはあると思った。そういうものがないとやっていけない。沖縄から来たら10万円かけて来ているわけである。自分のお金を使い。なぜそうかというと、それがないと教員はやっていけない。学級崩壊か何かあったりする中、自分の授業力に自信がないとやっていけない。だからそれを何とか付けようと。先ほどお話があったように、どんどん新しく教育現場に入ってくる教員が辞めていく。こういう現実がやはりあるようである。

委員
 連携協力校が今度の教職大学院のキーになると思う。いわゆる実習校ではないから、どの程度引き受けてもらうか。実習校との恒常的な対話をするために、大学と実習校との共同研究のような体制をつくっていかないといけない。どの様な特徴を持ったところでないといけないか。そこでどの様な活動をしたらいいのかということがある。その辺をかなり詰める必要がある。

委員
 今後ワーキンググループとしてカリキュラム・イメージを作成してみるということ。その場合、共通科目(基本科目)部分の5領域、従来だと教員養成考え方だとこの中からいくつかかとか、そういう考え方も出てきたが、教育現場をよく見て、教職としの共通部分、基本部分だという考え方で、ここの部分をカリキュラム・イメージとして作成してみる。それと、学校における実習との関係を追求してみる。コース別・選択科目部分というのは、ここではやることではないかもしれないが、その関連で言及することがあったら何か記述することとしたい。
 作成に当たっては、作業グループをつくり、たたき台を提供してみるということで進めるということでいいか。ただし、何度も強調されたように大学側の都合で、これならできるとか、従来こうやってきたというためにやるのだったら、それはほとんど意味がないわけである。
 作業グループとしては、岩田委員、上野委員、小原委員、菊池委員、平出委員、横須賀主査ということで作業班をつくってカリキュラム・イメージを検討するということでよろしくお願いしたい。

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