資料1 中央教育審議会 初等中等教育分科会 教員養成部会 専門職大学院ワーキンググループ(第6回) 議事要旨

中央教育審議会
初等中等教育分科会教育養成部会
専門職大学院ワーキンググループ(第9回)平成17年9月13日

1.日時

平成17年6月6日(月曜日) 13時~16時

2.場所

東京會舘11階 「エメラルドルーム」

3.出席者

委員

横須賀主査、小原副主査、岩田委員、上野委員、菊池委員、古賀委員、下谷委員、鈴木委員、野原委員、畑井委員、平出委員

文部科学省

徳永高等教育局担当審議官、樋口初等中等教育局担当審議官、杉野専門教育課長、戸渡教職員課長、他関係官

4.概要

(1)教員養成における専門職大学院の在り方について

 事務局からの配付資料の説明の後、自由討議が行われた。主な発言の概要は以下のとおり。

委員
 教員養成分野における専門職大学院の制度設計についてだいぶ煮詰まってきたが、教員養成における専門職大学院を議論する以前に、現在の学部及び修士課程の教員養成の改善が先なのではないか、という議論と、専門職大学院の活用は理解できるが、『教員養成分野の専門職大学院』という特別の仕掛けを作る必要があるのか、という議論がある。ワーキンググループのまとめにはそれが書かれていないといけないと思うが現在の案ではそれが十分に答えられているか。

委員
 素案では、いかに差別化していくかということが出ているので、それをもう少しアピールした形にする必要があると考える。また、今の制度を保とうとしている以上、教職員養成審議会の第1次、第2次、第3次答申を受けて、学部レベルがどう変わってきているか、また、連合大学院の博士課程が国全体における教員養成の在り方を何らかの形で抜本的に充実・整備していこうということが現れてきているか、ということも基本的な認識としてもう少し書き込むべきではないか。さらに、それでもなお今日の教育の課題を抜本的に解決していくためにはいかなる人材養成をしなくてはならないのか、ということが目に見えるように盛り込まれれば少し違ってくるのではないか。

委員
 教員養成を行う大学と地域の教育行政との連携が進んで、学部における教員養成が実践的な方向に改善した割には、逆に修士課程の方はアカデミックな専門内容を行う場になってしまっているのではないかという不安もある。

委員
 今日の教育学部は他の分野に比べて遅れて大学院を作ったため、他の研究科の後を追うという、より研究志向の傾向がある。学部はここ10年の間に実践的な傾向を強めてきたと思うが、例えば学部の教員人事の審査でも、大学院を担当できるかどうかということで判断される。この点は各大学変わっていないのではないだろうか。結局そこが全然変わっていないものだから全体として教員養成の改革に至っていないということは確かな事実としてあると思う。

委員
 なぜ教員養成の専門職大学院を設置するのか、既存の大学院を全て専門職大学院に変えるつもりなのか、或いは既存のものと併存するのであればどう住み分けをさせるつもりなのか、ということを最初に書く必要があるのではないか。
 また、実務家教員については、実務経験だけある人を呼んでくるのではなかなか難しく、ある専門性の高い、何か審査基準を作らないと、名前は大学院だが大学の後のただ単なる2年の極めてレベルの低いもの、というように見られるものとなってしまう危険がないか。

委員
 学部だけであれば相当改革は進んでいるが、大学院の修士課程では制度的にアカデミック・プログラムとプロフェッショナル・プログラムとの機能区分が曖昧であり、こういった改革を学部段階までで押さえてしまったりするきらいがあったということ。学部段階の着実な改善・充実と、大学院段階の見直し、制度的な検討について、もう少し強めて書けば専門職大学院を作ることのメリットというのは何かが分かるのではないか。

委員
 改革をしなくても現状の大学院を上手くやっていけばいいのではないか、という意見に対しての理論武装が必要。ここでは専門職大学院のことはたくさん書かれているが、今の大学院の延長ではできないという理論武装ができていないのではないか。

委員
 実務家教員が1つの大きなポイントになっている。実務家教員が配置されるから教職の専門職大学院の意味が大きいわけだが、一方で実務教員のイメージや基準については素案においてはかなり弱いところがあると思うがどうか。

委員
 実務家教員として必要な要件として、キャリアの中で後輩を指導するような立場に立ち、その中で本当に力を発揮したかどうかということと、論文ではなくても少なくとも教育関係の雑誌や学校の紀要などにポイントをまとめて書いている人でないとダメなのではないかと思う。そうしないと学生に語ることはできない。そういうことから、素案では、実務経験のある先生方をたくさん入ってもらうことがプラス要素であるということ、採用に当たってはアカデミックな場合と同じように論文何本以上というような形式論になってはいけないということ、それから、このような実務家教員をどう揃えるかでこの制度が今までと違うよい制度として評価されるか決まってくるということを盛り込んではどうか。

委員
 先発している専門職大学院や法科大学院では、実務経験者を入れるという規定になっているが、各分野で実務家教員の割合は規定されているのか。それとも各大学の判断に任されているのか。

事務局
 法科大学院の場合は実務経験者の比率が2割、一般の専門職大学院の場合は3割と規定されている。

委員
 この法科大学院の実務家教員を2割に減らしている理由は何か。

事務局
 法科大学院の場合には、卒業後直ちに法曹で活躍するということではないので、実務者の比率は一般より低くなっている。

委員
 実務家教員を専門職大学院のスタッフに入れる場合の考え方は非常に難しい。一定の基準を作るのは難しいし、教職経験何年以上の人という、キャリアによる基準を作ると、師範学校的なものができてしまうのではないかという批判に応えられない。そのため、厳格な基準を作るよりは、それまでの人を何となく実務家に読み替えて作ったような専門職大学院が、評価の中で淘汰されていくようなシステムとして、認証評価機構の設立ということが極めて大事になるだろうと思う。
 また、実践のキャリアについては、必ずしも学校現場だけではなくてよいということをもう少し書いてもいいのではないか。その場合は教育課題に関する強い関心と、それを踏まえながら研究とのやり取りがきちんとできる人という条件付けがあるとよいのではないか。

委員
 教育界以外でも、マネージメントやコミュニケーション力等の分野の実務経験者はいると思う。博士論文はなくてもある程度の経験により、実務家教員にできる仕組みを作ってはどうか。

委員
 これは設置審査との関係がある。今までもそういう工夫をしようという学部はあったが、設置審査でひっかかる。もしくは、ひっかかるだろうという学内の自己規制が働いて結局実現できていない。しかし、教職現場で働いている人が学生を教えることを通じて相当活性化している例をたくさん見てきているので、そういう人たちを実務家として考えることはそれほど危惧していない。ただ、論文を書いていないではないかという反論や、師範学校と変わらないのではないか、という反論をすると、今度は論文が必要だという話になってしまう。或いは設置審査においてひっかかってしまうという悪循環に入ってしまう。ここでは設置審査のことは触れられていないが、それが大事なことになるのではないか。

委員
 栄養教諭が制度化された際には、栄養関係の専門家と教職を橋渡しするものとして栄養教育論という科目をおいたが、その担当の教員の候補者として、学校栄養職員として15年程経験した、という方が相次いでいて、大学教育を担当することができるのかどうか何回も情報交換をした。このため、どこで実務家教員というものを審査するか相当困るのではないかと思う。

委員
 医学の話になるが、千葉大学で総合診療部の教授を選考する際に、論文が全くない開業医の人を総合診療部の教授にするということがあった。この場合には、学生の教育のために医療のゼネラリストとして必要ということで、その医者の患者への問診場面や、患者へのインタビューによって、教育上有効かどうかということを評価にあたる先生方が見たうえで、教授への就任をお願いし、かなりの効果を上げているということがある。そのため、評価の在り方を考えて、現場的な評価を大学院の教員がきちんとつけるというやり方さえきちんとできていれば、これも応用できるのではないかと思う。

委員
 設置基準の中に実務経験のある人の規定を作るか、各大学が審査を恐れてものすごく狭い範囲で実務家教員を考えるようなことにならないよう事前に列挙するなり、内規を作るなりしておいた方がいいと思う。

委員
 実務家教員の問題だが、実務家教員として養成を受けていないところに先生として迎えるということ自体が難しいと思う。実務家教員と呼ばれるものもまずはどこかで養成をし、その間は実務家教員の範囲を列挙することに加え、授業のうち3割は連携校や附属学校で教務主任やそのレベルに相応しい人と一緒にプロジェクトを行い、それを大学の教員が時折チェックをするという形で実務家教員をカバーできないだろうか。

委員
 素案にある、連携学校や大学院の形態について記述する際に、実務家教員との関係を書き込む必要があるのではないか。実務家教員はゼネラリストとか、そういう総合的なところで迎えるから意義がある。これは専門職学位課程の授業科目例をあげる時の1つのヒントになるのではないか。

委員
 教育の概念や教育が行われる場が拡大して、学校が背負いきれなくなってきているということを最初辺りで書き込んで、実務家教員のところで具体的に実務家という人はどういう人か、ということを引き出すためのリードを入れておく必要がある。また、連携に関する記述の箇所でもそういう内容を膨らませておく記述にすれば、少し印象が強まってくるのではないか。

委員
 大学院はもとより、学部教育でも現場との実習が連動しているということがはっきり出ているものを設置認可の柱にすべきではないか。地域との現場の実習を基本にして、学部から構成されているところに限ってこれを認可するという形ではどうかと考える。

委員
 学部で教員養成を行っているところが更に専門職としての教員を養成するというように考える方が自然だろうと思う。ただ、現在の学部をそのまま延長したものとなってはまずい。教員養成系学部ではいわゆる「ピーク制」という、特定の教科に重きを置いたカリキュラムモデルができており、教育組織もその教科ごとにできている。このことの弊害が色々といわれているが、教員養成系学部の規模を縮小する際にも教科ごとの教育組織、研究組織というのは基本的に崩していない。それとは違うものとして専門職大学院というものをたてていくという姿勢を出した方がよいのではないか。そこを強く出さないと、今の養成系教員の7割位を占めている教科専門の意識というのは簡単には変わらないだろう。
 小・中学校教員の別について制度上差は設けないという方針が出ているが、特定の教科の「ピーク」をそのまま上に伸ばすというようなものはやはりまずい。小学校なら小学校、中学校なら中学校で抱えている教育課題に関する全般的な機会をベースにするのだというような基本姿勢みたいなものを打ち出しておいた方がよいのではないか。
 このことから、カリキュラムにおいては、共通科目部分に総論的な内容というのが必要なのではないか。色々なタイプの養成コースが考えられると思うが、もっと全体に関わるカリキュラムの構成原理、現在学校の抱えている問題についての総論的な内容などが共通のものとしてあればいいのではないか。

委員
 教育課程について、あるべき教師像がかなり重要視されていると思う。各都道府県・政令市の教育委員会が出している採用方法のガイドラインには、社会人としてのコミュニケーション能力とか、責任とか、後は行動力とか実践力、明るさなどを持った人、という表現がずっと書いてある。そういうことから考えると、人間関係論とか、コミュニケーションとか、倫理とか、教職員のあるべき姿とか、そういう点は必要不可欠なことなので、共通科目に含めるべきではないか。

委員
 今、コミュニケーション論とか、人間関係論とか、プレゼンテーション論というのは発達しているので、そういうのは学校の世界以外の知見をこの際大いに取り入れるべきではないか。

委員
 専門職大学院で学んだ人たちがそこで学んだことはその人の教育についての見識になっていかないといけない。その見識論をどのように作っていくか、深めていくのかというところをしっかり書き込んでおかないと、結局大学の中では寄せ集め、オムニバスの授業で終わりかねない。
 生徒指導・教育相談に関しては、専門職大学院で育てる教師というのは、子どもたちの訴え1つから色々な可能性を探りだせるような教師でないといけない。生徒指導とか、教育相談というと臨床心理士などがすぐに出てくるが、私はあまり賛成ではない。その人たちが持っている専門性を傷つけるわけではないが、その専門性は相当に狭いうえ、そういう資格を持っている人に任せればよいということなってしまうのではないか。

委員
 学校の機能というのは一体何なのか、という考えが、今日抜けているのではないか。各分野を総括する科目にはなりえないと思うが、学校教育哲学みたいなものが必要ではないか。

委員
 総合的なものとか、人間に関する哲学のようなものは学部段階で行うのは難しい。むしろ現職教員や、大学院生のレベルで実現可能な状況が出てきているのではないか。教育学部の学生を見ていると、教育学部に来るということは、ある意味で文学部や理学部の細かい専門の勉強の代替で、それが教育学部で教えている先生の思考と一致いることが今の状況につながっている。そのため、現職教員や大学院生の段階で行うとするのが現実的だという考えを持っている。しかし、今の大学院の修士課程でそういうことができるかというと、それはできないという状況にあるので、専門職大学院でこそはっきり打ち出すべきではないか。

委員
 教職倫理について、オムニバス形式にならないように、専任教師を1人必ず置くということを条件にするとよいのではないか。

委員
 学部の学生にとっては学校はあってあたりまえのもの、子どもたちは学校に来るのは当然だろうという前提でいるし、大学もそう教える。しかし、専門職大学院に入ってくる10年位の経験を積んできた人たちは、学校の中でどういうような状況に直面しているか、例えば不登校の子に対して本当に子どもたちに学校にいく・来るという必要性をどう説いてあげられるかということが必要になる。つまり学校とは何なのかということが当たり前ではなくなってきている。教育という領域が拡大してきているという中で改めて学校で学ぶということを再構築してあげなくてはいけない。そういうことが学校に今問われているわけであって、専門職大学院にきて現場に戻っていく人たちにとってもその部分で学校教育を、地域教育を再構築できる、子どもたちや保護者に対しても学校に来るということはこんな意義があるということを、具体的に指導の方策として示すことができるような人だと思う。そういう授業が共通のものとしてある方がいい。

委員
 学部段階ではできないけれども基本的に人間を理解するのに必要なことはあると思う。例えば10年くらい経験のある先生方は、生徒指導でいじめの問題をどのように扱うのか、というような経験を豊富に持っているので、そういう教員が大学院に学生として入ってくるのならば、そもそも「人と人はなぜ憎み合うのか」とか、もう少し背景になるようなきちんとした人間理解を育てるというのが教師の専門への基礎を形づくる上で重要なものだろうと思う。ただ、それをどのように体系化してカリキュラムの中に、教師の専門性を形づくるものとして必要なものとして入れ込むのか、というのは本当に難しいと思う。

委員
 コミュニケーションは人間関係で1番重要だと思うが、教師だけではなくて、一般の社会人でもコミュニケーション能力が欠けているということがある。ただ、小・中・高校では、生徒に対しても、保護者に対しても、教員同士に対してもプレゼンテーションや対話能力が問われている。そのため、コミュニケーションが欠けている場合、教師として相当なハンディキャップだという思う。

委員
 国語学は学んでも、文章表現、発声、朗読、作文などは資質になっていない。そういう体と言葉の訓練は学部段階での教員養成の中では欠けている。そういうことも学部よりも専門職大学院の中で生きてくると思う。

委員
 そういったことは私学では既に行われているのではないか。

委員
 教員養成の専門職大学院においては、学校現場やデマンド・サイド(教員採用側)との連携を重視するというが、実際に採用をする側はどのくらい専門職大学院の設置の必要性について声をあげているのか。少しでもあるのならば書き込むべきだと思う。

委員
 教育現場の方からは、よいものだったらよいが、今までどおりのもならば不要だという意見があった。

委員
 専門職大学院では修士論文に相当するものがないので、履修して単位を累積すれば卒業ということなるが、合格すればそれなりの最低限の保証になるという、コンプリヘンシブイグザムのようなことを何らかの形で課してはどうか。

委員
 素案では専門職大学院に対する評価はかなり強く打ち出されているが、個々の学生、院生に対するいわば品質保証についてのことは何も触れていない。意外に大事なことなのではないか。

委員
 先生の評価ということが果たしてこの大学の中でできるかどうかということを疑問に思っている。評価を大学の中でやると適当にやってしまうから、先生の品質管理は、そういうものを評価する、外部のプロに各大学がお願いしていくということも1つの方法ではないか

委員
 品質保証というのは、現状のように個々の教員が単位を認定している限りできないのではないか。専門職大学院スタンダードというべきレベルを設定し、それを上回らないものは修了者として認めないというくらいのことを、第三者的な評価機構を使って行わせてはどうか。今までは修了させないのは教育の仕方が悪いのだといわれかねないので、どんどん卒業させてしまった。しかし、よい学生をしっかりと教育し、第三者的な評価機構に評価させ、あるレベルまでクリアしないと認定しないというくらいやらないと品質保証はできないのではないか。それこそ現場から来てくださいとはいわなくなるのではないか。

委員
 医学の分野では、コミュニケーションスキルに関しては、病院実習が始まる前にいつでもいいから試験するというやり方で、問題を全国の医学部長を通じて問題を集めてそれを整理して、学生がいつでも受けられるがそれを合格しなければ病院実習を始められないようにしている。しかしそれは国が決めているのではなくて、各大学が自主的にやっている。これを教育学部に当てはめると、1年生で小学校・中学校へいく学生は雑用をする、学年が進めば先生の仕事をする、それまでに一定のことを揃えておくということで、そういうテストがあってもよいのではないか。

委員
 専門職大学院の修了者に対する品質保証というか、力量の保証みたいなものはある程度つけないと説明責任がつかない。そのために権威ある第三者機関が必要なのではないか。ある名門私学では教職課程センターを設置し、教育実習に出る前の学生に教科専門のテストをして、それをパスしないと実習には出さないということをやっている。これはかなり難しく、それにパスできずに教育実習にいけなくて留年するという学生がいるという話も聞く。これはその名門大学が送り出す実習生として、一定以上のレベルをクリアしていないことは恥ずかしいからということなのだが、それを全ての大学に個別に期待するというのは難しい。このため、権威ある第三者機関がやはり修了者の水準に責任を負うという体制が望まれる。ただ、それを学会や協会が単独でそれだけのことを担うだけの力はないだろうと見ている。そこで、それらの垣根を取り払った上で信頼できる機関を設けていく必要性があるのではないか。

委員
 専任教員の経過措置については、教育専門職大学院としての設定を考えた方がよいのではないか。

以上

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高等教育局専門教育課