第3節 各分野の研究開発の推進方策

1.ライフサイエンス分野

(1)研究開発の推進方策

 ライフサイエンスは,ヒトや動植物などの生物が営む生命現象の複雑かつ精緻な生命現象を解明し,その成果を医療,環境,農林水産業をはじめとする種々の分野に応用するための総合的科学技術です。21世紀は「生命の世紀」と呼ばれています。「生命の仕組み」を解明し,その応用を目指すライフサイエンス分野の進展は,革新的な医療の実現や食料・環境問題の解決など,国民生活の向上と国民経済の発展に大きく寄与するものとして,大変期待されています。
 我が国のライフサイエンス政策の方針としては,内閣総理大臣の下に設置されたバイオテクノロジー戦略会議(平成14年7月〜)において決定された「バイオテクノロジー戦略大綱」(14年12月)や,「第3次対がん10か年総合戦略」(15年7月,文部科学省,厚生労働省)などのほか,「第3期科学技術基本計画」及び同計画に基づき総合科学技術会議が策定したライフサイエンス分野の分野別推進戦略があります。
 この分野別推進戦略においては,今後のライフサイエンス研究の推進に当たって,「生命現象の統合的全体像の理解」を目指した研究により,生命の神秘に迫っていくとともに,「研究成果の実用化のための橋渡し」を特に重視し,国民への成果還元を抜本的に強化していく必要があるとされています。これらの方針を具体化していくために,文部科学省では,総合科学技術会議の科学技術連携施策群の取組などを通して,関連府省との連携を図りながら,以下の戦略重点科学技術に沿って積極的に研究開発を推進しています。また,このほか,科学研究費補助金などにより,大学等における研究も推進しています。

(2)ライフサイエンス分野の主な取組

1生命プログラム再現科学技術(統合的全体像の理解で生命の神秘に迫る)

(ア)タンパク質の構造・機能解析の推進

 タンパク3000プロジェクトとして,最新の機器・設備の整備・高度化,産官学の研究能力の集結により,生命を司るのに重要なタンパク質のうち3分の1に相当する約3,000種以上のタンパク質の解析を行うプロジェクトを実施しています。平成18年3月末までに,目標数を超える3,268個のタンパク質の構造を解明し,タンパク質構造解析分野における我が国の国際的地位の向上に貢献するとともに,若手研究者の育成や構造機能解析技術の開発などの基盤作りに成果を上げています。

(イ)ゲノム機能解析等の推進

 平成15年4月の国際ヒトゲノムシーケンス決定コンソーシアムのヒトゲノム全塩基配列の解読完了(我が国においては,理化学研究所ゲノム科学総合研究センター,慶應義塾大学などが参加し,米欧に次ぐ6パーセントの塩基配列解読に貢献)を受け,次に解明すべき課題への対応として,遺伝子やタンパク質の相互作用等の集中的解析のデータ活用により,細胞からのシグナル伝達から転写に至るネットワークの解析を行い,各種疾患,生命現象のシステムを解明し,革新的な治療法,創薬などの実現を目指すプロジェクトを実施しています。
 また,理化学研究所では,ゲノム科学総合研究事業として,ゲノムレベルから個体レベルまでを対象に生命戦略を解明するための基盤とその応用展開のための基盤を構築しているほか,生体内のRNA分子の探索,機能の予測と探索,特定生命現象における詳細な機能解析を実施することにより,RNA新機能に関する先導的な研究を行っています。

(ウ)細胞・生体機能シミュレーション研究の推進

 実際の生体や細胞を用いて実施している薬剤応答解析・動物試験などを,生命情報技術・先端イメージング技術によってシミュレーションするプログラムを開発します。

(エ)生体の高次調節機構のシステム解明研究の推進

 理化学研究所において,脳機能の解明や脳疾患の治療,教育分野への貢献などを目指した脳を「知る」,「守る」,「創る」,「育む」の四つの領域の研究や免疫・アレルギー疾患の克服を目指した免疫システムの基礎的・総合的研究を推進しています。

2臨床研究・臨床への橋渡し研究

(ア)遺伝子多型研究の推進

 個人の遺伝情報に応じた医療の実現プロジェクトとして,30万症例規模のサンプルや臨床情報の収集,SNP(一塩基多型:個人ごとの塩基配列の違い)の解析や疾患関連遺伝子研究を実施しています。
 また,理化学研究所において,ヒトゲノムの遺伝子領域におけるSNP情報を活用して,心筋梗塞,関節リウマチなどの疾患について,疾患関連遺伝子を同定し,創薬をはじめとして新しい治療法や診断法などの開発に資するよう研究を実施しています。

(イ)発生・分化・再生科学研究の推進

 再生医療の実現化プロジェクトとして,細胞移植・細胞治療などによってこれまでの医療を根本的に変革する可能性を有する再生医療について,必要な幹細胞利用技術などを世界に先駆け確立し,その実用化を目指します。
 また,理化学研究所においては,細胞治療・組織再生など医学的応用につながるテーマの基礎的・モデル的研究を効率的に推進し,得られる成果を広く応用分野に発信するとともに,発生生物学の新たな展開に貢献します。

(ウ)分子イメージング研究の推進

 生物を構成するタンパク質などの様々な分子の挙動を生物が生きた状態のまま画像としてとらえる分子イメージング研究を,創薬と疾患研究を中心に推進します(参照:本章Topics 3)。

3標的治療等の革新的がん医療技術

 革新的ながん治療法等の開発に向けた研究については,戦略重点科学技術の一つとしてのみならず,がん対策基本法(平成18年6月)や「第3次対がん10か年総合戦略」などにおいても,その取組の強化が求められているところであり,文部科学省においては,次世代の革新的な診断・治療法の開発につなげるための橋渡し研究(トランスレーショナルリサーチ)を推進しています。
 また,重粒子線がん治療研究などの推進のため,放射線医学総合研究所において,膵がんなどの難治がんの治療法開発に向けた臨床試験の展開や,より効果的・効率的な治療を目指した研究開発などを推進しています(参照:本章Topics 2)。

4感染症研究の推進

 新興・再興感染症研究拠点形成プログラムに基づき,国内外に設置した研究拠点において新興・再興感染症の研究を推進して,我が国の感染症対策に資する基礎的知見の集積を図っています。また,この研究活動を通じて,人材の養成も行っています。

5国際競争力を向上させる安全な食料の生産・供給科学技術や生物機能活用による物質生産・環境改善科学技術

 理化学研究所において,植物の生長,形態形成,環境応答などの植物に特有な制御・応答メカニズムの解明研究を実施し,植物の質的・量的な生産力の向上を目指します。また,植物のゲノムや代謝機構を解析するための基盤を整備します。

6世界最高水準のライフサイエンス基盤整備

(ア)データベース構築等の推進

 統合データベースプロジェクトとして,我が国のライフサイエンス関係のデータベースの利便性の向上を図るため,データベースの統合化や利活用のための基盤技術開発,人材育成などを行い,データベースの統合的活用システムを構築します。
 また,バイオインフォマティクス(生命情報科学)研究の推進のため,科学技術振興機構において,膨大なゲノム情報等の解析の格段の効率化・省力化,利用の高度化等を実現するため,革新的なゲノム解析ツールの研究開発など,バイオインフォマティクス研究を推進します。

(イ)バイオリソース(生命遺伝資源)の戦略的な収集・保存・開発・提供体制の整備

 ナショナルバイオリソースプロジェクトとして,実験動植物(マウス等)や,各種細胞,各種生物の遺伝子材料などのバイオリソースのうち,国として戦略的に整備する必要があるものについて体系的に収集,保存し,提供するための体制の整備などを推進します。
 また,理化学研究所において,バイオリソースを有効に活用し,我が国のライフサイエンス研究の推進や基盤的整備を図り,ナショナルバイオリソースプロジェクトに収集・保存・提供を行う中核的機関として参画します。

▲15年間凍結保存(マイナス20度)した個体の精子から顕微授精(左)により生まれたマウス(右)(写真提供:理化学研究所)

(3)生命倫理・安全に関する取組

1生命倫理に関する問題への取組

 1997年(平成9年)に発表されたクローン(注)羊「ドリー」の誕生は,人のクローン個体がつくり出される可能性など生命倫理の問題についての議論を巻き起こしました。我が国では,人のクローン個体などを産生することを禁止した「ヒトに関するクローン技術等の規制に関する法律」が平成12年12月に公布されました。また,個体の産生に至らない人クローン胚などの取扱いに関しても,同法に基づく「特定胚の取扱いに関する指針」により,人クローン胚の作成や利用を当分の間は行わないこととするなど,厳しく規制しています。
 ヒト受精胚や人クローン胚などの取扱いについては,同法の規定などに基づき,平成13年8月から総合科学技術会議生命倫理専門調査会において検討が行われ,その結果,16年7月に総合科学技術会議で「ヒト胚の取扱いに関する基本的考え方」について文部科学省など関係府省に対する意見が取りまとめられました。この中で,難病等に関する治療のための基礎的な研究に限定した人クローン胚と,生殖補助医療研究のためのヒト受精胚の作成・利用に道が開かれ,それらの適切な取扱いを確保する枠組みの整備が求められました。これを受け,文部科学省では,科学技術・学術審議会生命倫理・安全部会の下に,人クローン胚研究利用作業部会及び生殖補助医療研究専門委員会を設置し,厚生労働省などの関係府省と連携しつつ検討を行っています。
 平成18年6月には,人クローン胚の作成・利用を例外的に認めるに当たって必要となる「特定胚の取扱いに関する指針」の改正に向けての基本的な考え方を取りまとめ,パブリックコメント(意見公募)などを実施しました。
 ヒトES細胞(胚性幹細胞)は,ほぼ無限に増殖でき,どのような細胞にも分化する可能性を持つため,再生医療などへの応用が期待されています。一方で,生命の萌芽であるヒト胚を滅失しなければならないという倫理的な問題があります。このため,文部科学省では,平成13年9月に策定した「ヒトES細胞の樹立及び使用に関する指針」に基づき,科学技術・学術審議会生命倫理・安全部会特定胚及びヒトES細胞研究専門委員会の審査を経て,研究計画の指針への適合性の確認などを行っています。18年11月末までに樹立計画1件(15年8月,我が国初のヒトES細胞樹立)と使用計画41件を確認しました。なお,同指針については,ヒトES細胞の研究の進展を踏まえ,見直しに関する検討を行い,18年6月に改正案を取りまとめ,パブリックコメントを実施,11月には総合科学技術会議に諮問を行いました。

  • (注)クローン
     遺伝的に同一である個体や細胞(の集合)のこと。クローン羊「ドリー」は,成体の体細胞の核を,核を除いた卵子と融合させることによって生じる体細胞クローンであり,ほ乳類では初めての例である。

2ライフサイエンスにおける安全性の確保

 遺伝子組換え生物等の使用による生物多様性への影響を防止することを目的とした「生物の多様性に関する条約のバイオセーフティに関するカルタヘナ議定書」(2000年(平成12年)1月採択)を締結するため,「遺伝子組換え生物等の使用等の規制による生物の多様性の確保に関する法律」が平成15年6月に公布され(環境省ほか5省共管),法律の実施に関する基本的事項,拡散防止措置を定める関係省令等を整備した上で,16年2月に施行されました。文部科学省では,本法律に基づき,研究開発に関する遺伝子組換え生物等の使用に関する規制を行っています。研究開発目的で行う第二種使用等(遺伝子組換え生物等の環境中への拡散を防止しつつ行う使用等)では,大臣の確認が必要なものについて,拡散防止措置の確認を行っています。なお,遺伝子組換え生物等の環境中への拡散を防止せずに行う第一種使用等については,17年12月から18年7月末までの承認申請はありませんでした。
 また,法施行後,遺伝子組換え生物等の不適切な使用等があったことから,平成18年11月末までに延べ54の機関に対して厳重注意を行うとともに,説明会などを開催することにより法令の周知徹底を図っています。

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