2.日本映像ソフト協会

●該当ページ及び項目

110頁- 第7章第3節の「補償の必要性」

●意見

 平成19年10月12日付「文化審議会著作権分科会私的録音録画小委員会中間整理」(以下「本中間整理」と言います。)中、第7章第3節「補償の必要性」について、以下のとおり意見を申し述べます。

【総論】

当協会として、著作権保護技術と補償の必要性については以下のように考えます。

  • 【1】複製禁止の著作権保護技術により現実に複製されていない場合及び著作権保護技術の利用にも拘わらず複製される事実は存するがその複製を著作権法が禁止している場合には、補償の必要は無いと考えます。
  • 【2】複製禁止の著作権保護技術が用いられているが、その実効性が充分でなく複製されている事実があり、かつ、その複製を著作権法が許容している場合(すなわち、当該著作権保護技術を回避して行われる複製行為が、私的複製に関する権利制限の適用範囲外とされていない場合)には補償の必要性が否定できないと考えます。
     この点、現状はCSSを回避する複製や無反応機による複製が行われている状況にあるのに加え、CSSを回避することは著作権侵害ではないとの見解が広く流布されているため、CSSが技術的保護手段であろうとなかろうと著作権法が許容する複製が行われているという状況が存在するという事実は、権利者に対する補償の必要性が否定できない事情となるものと考えます。
  • 【3】複製制限の著作権保護技術により現実に複製が制限されている場合であっても、一定範囲の複製が許容されている場合には、当該複製が、別途の補償措置の存在を前提とせず、各コンテンツの関係権利者の明確な意思に基づき選択・許容された複製でない限り、その許容されている範囲について補償が必要であると考えます。

上記に関連して、以下「本中間整理」中の記述について意見を申し述べます。

【各論】

(1)著作権保護技術の範囲内の録画と権利者の不利益について

 「本中間整理」114頁に「私的録音録画により著作物等を楽しむという社会現象は、確立された社会慣行であり、アのような特殊な例を除き、一定の範囲内で私的録音録画を認めることは、権利者も支持、許容するものである。」との記述があります。
 しかしながら、私的録画を楽しむのが「確立された社会慣行」であり「権利者が支持、許容する」ものだとすることには疑義があります。
 私的録画機器が広く一般家庭に普及するようになったのは、2分の1ビデオカセットレコーダーが発売された1975年以降だと思われますが、1973年3月の「著作権審議会第3小委員会報告書」ではすでに「私的使用の範囲をより限定すべきであるとの意見」もあり、将来の問題として報酬請求権制度導入が論じられています(第二章1(1))。
 その後「本中間整理5頁」以降に記されているような経過で、平成4年に政令で定めるデジタル録音録画機器・記録媒体を対象とした私的録音録画補償金制度が導入されましたが、その際も、デジタル方式の録画であろうとアナログ方式の録画であろうと、補償金の対象となっていない機器・記録媒体での私的録画を権利者が支持した事実があったとは思えません。
 「本中間整理」21頁のグラフが示すとおり、私的録画の大半は補償金制度の対象外のメディアになされています。このような私的録画状況を著作権者が支持したり、許容したなどとは聞いたことがありません。
 「著作権審議会第3小委員会報告書」の記述からも分かるとおり、私的録画問題に深い関係を有する著作権者は、私的録画について常に是正を求めつづけているのですから、「社会慣行」が確立したとする上記「本中間整理」の記述は不正確なのではないでしょうか。

 したがいまして、明確な根拠もなく私的録画を「確立された社会慣行」であると認定することには強く反対いたします。

(2)「本中間整理」116頁のイ-2の見解について

 「本中間整理」116頁に「権利者は提供された著作物等がどのような範囲で録音録画されるかを承知の上(著作権保護技術の内容により想定できる)で提供している」ので「補償の必要性はない」との見解(イ-2の見解)が示されています。
 しかしながら、コンテンツに用いられる著作権保護技術のすべてが、コンテンツ提供者や関係権利者の意思により選択されたものとは認めがたい状況の下では、著作権保護技術の内容により結果が想定できることと、想定された範囲内で補償を不要とすることとを直ちに結び付けることは到底不可能です。この点で「著作権保護技術が施されていれば、直ちに権利者はその範囲内の録音録画から補償を求めるべきでないとするのは不適切である」とする「イ-1」の見解が正当であると考えます。

(3)補償の必要性の有無について

 「本中間整理」117頁では、録画について、(a)タイムシフトの録画に経済的不利益があるか、(b)放送時点で広告収入により投資回収は完了している、(c)放送番組の二次利用は進んでいないので経済的不利益はない、等の意見が記されています。
 以下、これらについて意見を申し述べます。

  • (a) 「本中間整理」では、タイムシフトを「放送時間とは別の時間に視聴するための録音録画」と定義しています(111頁)。
     この定義によれば、番組を視聴しながらこれを録画する場合でも、その録画したものの視聴は放送時間とは別の時間に行われますし、録画して保存する場合でも、保存したものは放送時間とは別の時間に視聴するのですから、このタイムシフトの定義に該当することになります。
     したがって、この定義によれば、「タイムシフト」は単なる「録画」と同義であり、あえてタイムシフトという用語を用いる必要性は無いように思われます。(事実、「本中間整理」117頁では、「タイムシフトにより別の時間に視聴したからといって、録音録画物が視聴者の手元に残らない限り放送番組等の二次使用に支障が生じるとは考えにくい」と述べています。すなわち「タイムシフト」というだけでは二次使用に支障が生じるとは考えにくい場合を示すことができず、これをさらに限定する「録音録画物が視聴者の手元に残らない限り」との文言を加えることで、二次使用に支障が生じにくい場合を論じているのです。その当否は措くとして、この見解では、メルクマールは「録音録画物が視聴者の手元に残るかどうか」であって、「タイムシフト」ではありません。また、「本中間整理」111頁では、タイムシフトを括弧書きで「放送時間とは別の時間に視聴するための録音録画」と定義づけた上で「経済的不利益があるか疑問である。」との意見が記されていますが、これでは「私的録画に経済的不利益があるか疑問である」ということと同義であり、タイムシフトという用語を用いる意味はないと考えます。)
     にも拘わらず、敢えて、「録画」ではなく「タイムシフト」という用語を使用するのはなぜなのでしょうか。
     「本中間整理」119頁では、タイムシフトが「他の利用形態に比べて経済的不利益が相対的に低いことに異論はなく、これらの点は、補償金の額の設定に当たって考慮事項とすることが考えられる。」としています。
     しかし、「本中間整理」111頁の定義では、他の利用形態と比べようがなく、経済的不利益が相対的に低い利用形態ということはできないと思われます。
     さらに、「本中間整理」120頁では、著作権保護技術の普及によって補償の必要性が無くなる目安として「放送のタイムシフトのための録画に必要とされる回数をさらに制限するかどうか」を掲げていますが、「本中間整理」111頁の定義では、「録画」をタイムシフト概念で限定することができませんので、目安とすることは不可能です。
     そもそも「タイムシフト」という用語は、米国での「ベータマックス訴訟」でビデオデッキメーカーがフェアユースを主張する根拠として用いたもので、同事件の米国連邦最高裁判決では、「放送番組を録画して別の時間に一度視聴した上で消去すること」(「本中間整理」111頁脚注59)をいうと定義しています。この定義によれば、視聴者は、録画という著作物の利用行為により自身の好きな時間に視聴できるというプラスの効用を得ていますが、一度しか視聴しない点で放送の視聴と同じであり、著作物利用の効用が保存目的の録画とは異なると思われます。この意味で、米国連邦最高裁のいうタイムシフトは、録画という著作物の利用行為により新たな著作物の効用を獲得しているので補償を不要とはしないと考えますが、その額は相対的に低くなる基準となり得ると思われます。
     また、この定義によればタイムシフトに必要な回数は1回となり、それを下回る回数は0回即ち録画禁止を意味すると思われます。したがって、本来の意味での「タイムシフト」は、補償要否を判断する基準として機能する定義だと思われます。
     しかし、「本中間整理」においては、上記のとおりフェアユースの対象として一般に広く認知されている「タイムシフト」という言葉を、そもそもの定義よりも広く「録画」と同等の意味を持たせながら敢えてオリジナルの定義と異なる用語とし、それに対する補償の必要性を否定あるいは減殺する文脈で使用しているように思われます。このような混乱を生じかねない用語の使い方は避けるべきではないでしょうか。
     そして本来の意味での「タイムシフト」は、補償金の額が相対的に低くなる利用形態とはいえますが、録画という著作物の利用行為により新たな著作物の効用を獲得しているので補償の必要性はあると考えます。
  • (b) 「本中間整理」117頁では、「放送時点で広告収入により投資回収は完了していること」から経済的不利益に疑義を示す意見があったとしています。
     広告収入は、著作隣接権者である放送事業者の収入であり、著作権者の収入ではありません。
     したがって、放送時点での広告収入の存否と著作権者の投資回収とは無関係です。なお、放送を一次利用形態とするコンテンツについては、放送時点で権利者側における放送事業者からの収入が全くない(著作権者はもっぱら放送後の二次利用によって対価を回収する)ものがある点なども留意すべきであり、放送コンテンツを区分しない議論は全く無意味です。
  • (c) 放送番組の二次利用は進んでいないので経済的不利益はない、との意見もあります。
     放送番組の二次使用には、文藝・音楽・実演など番組に寄与している権利者の権利処理が複雑であり、一人でも「ノー」の場合には二次使用ができないという事情はありますが、権利処理をして二次使用することは進んでおり、二次使用が進んでいないとの認識には異論があります。
     また、一部に権利処理ができず二次使用できない放送番組が存在することは、放送番組の私的複製に経済的不利益がないという結論に結びつくものではありません。タイムシフトをフェアユースとした米国著作権法でも、「潜在的市場への影響」もフェアユースの成否の判断要素としている(米国連邦著作権法107条)のであり、二次利用が進んでいないことをもって経済的不利益がないという判断が是認されるものではないと考えます。

(4)録音録画禁止の著作権保護技術が用いられている場合の権利者の不利益について

 「本中間整理」114頁では、「権利者が複製禁止を選択した場合、そもそも私的録音録画ができないので権利者の不利益も生じていないものと考えられる。」としています。
 しかしながら、権利者に不利益があるか無いかは事実の問題であり、複製禁止の著作権保護技術が用いられているか否かで判断されるべきではありません。
 なぜならば、著作権保護技術が無効化されて複製されることがあるのは公知の事実です。しかも、「本中間整理」で、技術的保護手段とは別に「著作権保護技術」という概念を設けたことは、著作権法が無効化を許容している著作権保護技術が存在することを意味します。
 また、著作権法は、技術的保護手段の回避について「その事実を知りながら行う」という複製行為を権利侵害の要件としています(30条1項2号)。そのため、CSSが技術的保護手段に該当するとの前提に立っても、CSSはアクセス制御技術にすぎないと信じてこれを回避してコピーした場合には、それは著作権法が許容している複製ということになります。
 そうすると、権利者が複製禁止の著作権保護技術を用いることを選択した場合でも、著作権法が許容している私的複製によって権利者に不利益も生じていることが充分ありえます。
 ところで、「本中間整理」28頁のデジタル録画の録画源の記述には、DVDビデオを録画源とする録画に触れられていません。しかし、「本中間整理」でも引用されている「17年調査」(社団法人日本映像ソフト協会「映像ソフト及びAV機器の消費実態に関する調査研究報告書」(2006年3月))77頁によれば、DVDソフトを録画源とする録画を行っている人は10.1パーセントです。そして、その翌年の調査(社団法人日本映像ソフト協会「DVDビデオの消費実態に関する調査研究報告書」(2007年3月)73頁)によれば、DVDソフトを録画源とする人は16.2パーセントと増加し、デジタルTV放送を録画源とする人よりも多くなっています。
 この調査結果に照らすと、「本中間整理」の権利者に不利益が生じていないとの事実認識は、疑問だといわなければなりません。そして、権利者に不利益が生じているならば、不利益を生じさせている複製行為を否定して権利制限の範囲から除外する措置を講ずるべきであり、複製に関する著作権保護技術はすべて技術的保護手段と位置付けるべきです。また、無反応機器等が市場に存在できないようにする措置が必要です。
 ところで、現行著作権法2条1項20号の規定では、あるコピーツールが技術的保護手段を回避するものかどうかを、著作権者も消費者も判断できるものではありません。にもかかわらず、著作権法30条1項2号が「その事実を知りながら行う場合」に限定していては、事実上、技術的保護手段を回避する複製を自由にしているに等しいと思われます。
 したがしまして、何が技術的保護手段か、何が技術的保護手段を回避するツールなのかが、誰にでも分かるようにする措置が講じられる必要があります。
 このような措置が講じられず、現に存在する著作権者の不利益を放置するならば、複製権制限の代償措置としての補償金の必要性は否定できないと考えます。

以上

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