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大学院部会医療系WG(第3回) 議事録・配布資料

1. 日時     平成16年12月2日(木曜日) 10時〜12時

2. 場所     文部科学省10F1会議室

3. 出席者    
(委員)   井村(座長)、福田(副座長)、青木、入來、笠原、鹿島、北村、斎藤、舘、長野、菱沼、丸山、南の各委員
(文部科学省)   泉高等教育局審議官、小松大学振興課長、杉野専門教育課長、石野医学教育課長、加藤(健)医学教育課課長補佐、他

4.  議題
(1) 医療系分野における大学院の機能強化について(討議)
(2) その他

5.  配付資料
資料1−1   大学院部会 医療系WGの審議状況(前回までの議論と意見募集より抄録)
資料1−2   大学院部会 医療系WG各委員からの御意見について
資料2   医療系大学院の目的とそれに沿った教育の在り方について
資料3   大学院部会 医療系WGの今後の日程について

(机上資料
  大学院部会医療系WG関連資料集
  大学院部会における審議経過の概要
−国際的に魅力ある大学院教育の展開に向けて−
  我が国の高等教育の将来像(審議の概要)
  大学院部会関係基礎資料集
「科学技術・学術審議会人材委員会第3次提言」及び
「科学技術関係人材の育成と活用について(総合科学技術会議決定)」を含む
  高等教育関係基礎資料集
  文部科学統計要覧(平成16年版)
  大学設置審査要覧
  教育指標の国際比較(平成16年版)
  大学審議会全28答申・報告集
  中央教育審議会答申
「大学等における社会人受入れの推進方策について」
「大学の質の保証に係る新たなシステムの構築について」
「大学院における高度専門職業人養成について」
「法科大学院の設置基準等について」
「新たな留学生政策の展開について」
「薬学教育の改善・充実について」
「新しい時代における教養教育の在り方について」
  国境を越えて教育を提供する大学の質保証について(審議のまとめ)
  科学技術・学術審議会人材委員会第1次提言
  科学技術・学術審議会人材委員会第2次提言

6.  議事
 事務局から資料について説明後、「医療系大学院の目的とそれに沿った教育の在り方について(これまでの意見整理案)」(資料2)について意見交換が行われた。
(○:委員、●:事務局)

委員  「医療系大学院の目的・機能を、研究者養成なのか、優れた高度専門職業人養成なのかを明確にすること」についてであるが、医学、歯学、薬学、看護学、医療技術それぞれの分野で立場が違うと思う。その点についてご意見を伺いたい。特に薬学はトランジショナルなところであり、どう取り扱うのかということもある。その辺も含めご意見をお願いしたい。

委員  医学・歯学は学部が6年で大学院博士課程が4年、他は学部4年で、大学院は修士と博士がある。研究者養成か職業人養成かの議論は、修士と博士それぞれ区別して考えないといけない。

委員  医学は学部卒業後に臨床研修を終えてから大学院に入る。その点では4年制学部卒業直後に大学院に入る場合とは違ってくる。現在の医学・歯学では大学院を基礎系・臨床系、あるいは専門職養成型と研究者養成型とに初めから分けて、違った目標で大学院教育をしようということになっている。それ以外の看護学、薬学等をどう捉えていくかであるが、一般的に修士は専門職養成と研究者養成のミックス、博士は明らかに研究者養成という形になっていると思う。この辺をどう考えるか。

委員  医学系において、基礎と臨床を分けた方がよいとは思うが、その場合、臨床系大学院における組織と教員のインセンティブは何かということを考えないと、結局うまく運営が回らないのでないか。研究者に重きを置くという風潮や固定観念からなかなか抜けきれないという状況がある。また、研究費の配分でも研究拠点に集中させるような形に変化しつつあるが、その場合、臨床系は研究を一部やってはいるものの、臨床ということでハンディになってしまう。こういった、研究の拠点形成ということと臨床系大学院とどういう風に整合性を取るのかという問題がある。

委員  本来であれば、臨床的な力や教育的能力を適正に評価し、そういう人を教員にしていくようにすれば良いとは思う。日本の臨床は各科で教授が1人であり、その教授が臨床家であり教育者であり研究者であらねばならないことを求められる。そうなるといきおい、評価は研究面だけということになってしまう。アメリカでは例えば耳鼻科では何人もの教授がおり、それぞれ臨床に力を入れる者、あるいはほとんど研究だけを行う形になっている。日本でもそうなればよいのだろうが、なかなか難しく、結局教授にオールマイティーが求められてしまう。しかし実際はそういう人間というのはそんなにいるわけではなく、教育・研究・臨床のどれかに力を入れれば、ほかは手薄になってしまう。臨床の教室構造そのものを変えていかないと解決しない問題である。また、教員の増員がないと実現しないことでもあると思う。

委員  言葉の問題として、「優れた高度専門職業人(医師、歯科医師など)を養成」とあるが、医学部・歯学部を卒業すれば学士が与えられ、また、医師・歯科医師になれる。この時点で既に高度専門職業人養成をしているのでないか。法科大学院も医学部も同じ高度専門職業人養成であるとしないといけないのでないか。書くとしたら、医系の大学院は高度専門職業人を更にキャリアアップするための課程であるとか、更なる高度な、という含みにしないといけないと思う。

委員  アメリカでの薬剤師養成は6年であり、修了後にPharm.Dが与えられるが、これとPh.Dを両方持っている人はほとんどいない。そこはMDとは違うところ。リサーチ・ファーマシストというのは世界では日本ぐらいである。逆に言えば我が国における薬学のサイエンスの世界貢献が大きく、そのため、学部4年制を残し、博士5年で研究者養成を行うという形になっている。

委員  理学療法の分野について、アメリカでは修士を取っていないと理学療法士になれない。修士を取るには論文を出さなくてもよく、専門職大学院の形となっている。日本で大学院に入る者は、専門職を目的とした者、研究者を目的とした者、あと、一番多いのは専門学校の教員で学位取得を目的として入学している者とがいる。そういう意味では、修士においても、専門職養成、研究者養成に分けることが必要であると思う。そして研究者養成のところが博士に進むという形がよいと思う。博士課程で専門職養成を取り込むかどうかは今後の課題である。

委員  医療系大学院の修士課程は専門職育成と割り切って、研究者になりたい人は博士課程に行きなさいということではだめか。多くの学部はそうなっていると思うが。

委員  薬学の場合は、博士まで行かないと研究者として一人前でないという扱いである。

委員  看護学でいうと、修士課程の中で専門職養成と研究者養成に別れ、研究者養成の分は博士課程まで進むことを求められている。専門職養成の分は、2年のコースを修了後に現場に出るための専門看護師という別の資格と関連させるようなカリキュラムになっている。専門職業人というからにはやはり教育に6年間は必要である。看護の分野では、4年の学部での基礎教育を専門職業人と言ってはいるものの、やはり、実際問題として4年の学部と2年修士を修了した者を専門職業人として認められるという見解が多い。そう考えれば、医学の博士課程での養成は高度専門職業人養成といっても良いと思う。

委員  看護の場合、修士課程は専門職育成と割り切って、研究者になりたい人は博士課程(後期)へ、ということになると何か弊害が出るか。

委員  今のところはまだそれは考えていない。2年間の修士プラス3年間の博士が研究者養成である。看護研究の中にも、実践的なものというよりも基礎的なものもあるので、そういう人は実践家になろうとして大学院に来ているわけではなく、大学教員や研究者になろうとして来ている。

委員  医療系の学部教育そのものが既に専門職業人を育成している。その更に上のものを高度専門職業人といっているわけであるが、このことを他の分野と混在すると複雑になってしまう。大学院においては、専門職業人に対し更に細かい分野でより高度な教育を行っている。

委員  薬学の4プラス2の2は修士課程であり、ここで研究者養成の基礎をしようということだと思う。企業の方は相変わらず薬学の研究者を博士卒でなく修士卒から採用しようとしている。これは工学も同じ。薬学部に4年制を併存させた意味は、修士の2年のところに研究者養成機能を残したということになると思う。看護は4年制がやっと定着したところであり、いきなりその上は博士課程という状況ではないと思う。アメリカでも、第1専門職はようやく4年制になっている状況。修士課程又は博士課程前期の2年の課程に、研究者養成機能を残すということは、4年制を基盤にしてきた分野では必要だと思う。薬学はそういう認識で残したと思う。

委員  薬学で4プラス2のうちの大学院修士2年の部分をどう捉えるかは各大学で違うと思う。4年の学部を出てから、企業の研究者になるというのは皆無であり、採用してくれない。最低限修士卒でないと試験さえ受けさせてくれない。そう考えると2の部分は研究者養成といえると思う。しかし国公立は学部4プラス博士5という捉え方をしている大学が多く、博士後期3年修了してから企業の研究者になる場合が多いと思う。

委員  アメリカのメディカルスクールの場合、クリニカルプロフェッサー、リサーチプロフェッサーなどの複数のプロフェッサーがいるが、日本の医学もそのように研究と臨床を分担させないと先端のサイエンスはできないと思う。それと同時に他の医療系の分野においても、将来的には研究者養成と職業人養成は専門分化させる必要があると思うが、薬学で現在、専門職業人を養成に携わっている教員で博士を取得している者は、もともと基礎研究で博士を取り、その後臨床に携わっているというケースが多い。高度専門職業人を養成する場合、その大学院の教育スタッフを養成しないといけないが、その場合、基礎研究者としても優秀であり、かつ、高度な教育的スキルも身につけた博士号取得者が必要となるため、修士でも博士でもそのような専門性を持った養成が必要だと思う。

委員  それは研究職と考えて良いのでないか。臨床の指導者になるためには研究ができるという能力が必要。問題はその能力として何を求めるのかである。本来は実際の患者さんを診療して研究をするのであるが、これまでの医学はそういうことを軽視して、論文の書きやすい例えば遺伝子に関する研究を扱ってきていた。しかしそれであれば基礎と臨床の境界はなくなってしまっている。これからの臨床研究は実際に患者さんを対象として扱う研究、例えば新しい診断・治療技術を開発する研究を行っていかないといけないのであるが、実際それは大変であり、これまであまり取り組んでこなかった。それが日本の臨床医学研究が発展してこなかった原因でもある。

委員  複数プロフェッサーシステムは進めるべきである。優秀な臨床家を育てるのはその臨床の中でやらないといけないが、臨床の中にリサーチに特化したプロフェッサーがいても良いと思う。

委員  研究に特化した大学院とする場合、医学研究科で行わなければならないという研究は何かを明確にしないといけないと思う。今の学位論文を見ると、理学でも農学でも良いのでないかというものが多い。生命科学という括り方をするのか、あくまで医学ということにするのか。

委員  実際問題としてそれを整理することは不可能ではないか。研究というのは境界がなく、医学は農学や理学などともリンクしており、研究そのものは分けがたい。京都大学には理学、医学、工学、農学の分野が融合した生命科学研究科があるが、同じ研究でも医学からの視点、農学からの視点といったように、視点が違っていてもいいのではないか。

委員  職業人教育と研究者教育に分けるというのは医学においては極めて妥当であると思う。しかし、職業人養成というのが専門医(サブスペシャリティー)を育てるということであるとすれば様々な問題があると思う。例えば心臓外科専門医というサブスペシャリティーの場合、ある程度外科的素養がないとそこに入れないと思うが、そうなるとその入る時期はいつなのかという問題がある。卒後臨床研修終了後にいきなり専門の心臓外科医を育てるといっても無理であり、ある程度外科医として一人前になる後期研修終了後にするというのか、あるいは、卒後臨床研修終了後の早い段階がよいとするのかという問題。また、修了したときの資格は、研究者の資格である「博士」でよいのか、「臨床博士」とするのかという問題。また、学会の専門医教育は、一般市中病院でもかなりやっているが、それとどう違うのか、大学の方が本当により多くの症例を経験することができるのか。もう一つは、大学院学生が大学病院の大きな労働力になっているという現状を追認する形になってしまわないのかという問題もある。職業人教育と研究者教育に分ける場合、どのようにするのかの議論が必要。

委員  臨床医学の大学院と市中病院で専門医を取ることの違いは、やはり臨床研究をやること、または臨床研究に関する基礎知識(倫理、患者関係、心理)のコースワークを受けることで違いを付けてはどうかと思っている。また、臨床系大学院と専門医をリンクさせるとすれば、大学病院だけでは必要な症例の確保が難しく、一定期間、外の市中病院に出て診療に携わることを認めることもしないといけないと思う。基本的な考えとして、臨床系大学院を修了したら同時に専門医も取れるという形にしないといけないのでないかと思う。大学院修了後に、また再度専門医養成のコースに入らないといけないというのはいかがなものかと思う。また、その場合学位名称も変えた方がよいと思う。

委員  アメリカにはPh.Dがあるが、これに該当するものが日本の大学院にはない。したがって今の日本の大学院はもともと専門職大学院であったという考えも成り立つと思う。そう考えると、今の大学院の上にアメリカのPh.Dに相当する課程をおいて、そこで教育者・研究者・指導者養成を行えばよいのでないかと思う。ヨーロッパは、国によって違うが、例えばイギリスで学位に相当するのは3段階あり、日本の博士に相当するところよりも高く、教授クラスが取得する更に高い学位もあるので、日本にもこういったものを置くことにより指導者・研究者を養成するということにすれば、日本の社会の実情にあった学位制度が設計できるのではないか。こうやって考えていくと、日本の現在の学位は高度専門職業人の学位であって、指導者研究者養成をする場合は更に上の学位取得課程に進むという形にすると、移行がスムーズに行くのでないかと思う。格下げのような形にしてしまうとなかなかうまく行かないと思う。

委員  研究者養成である以上は、国際的にみてPh.D相当であると認めてくれるような基準を満たしていないといけないと思う。日本のPh.Dは必ずしもそれを満たしていない。それは特にコースワークを十分行っていないということが大きな違いだと思う。

委員  現在、大学院の重点化等で入学定員が増え、その定員を満たさないといけない状況になり、好むと好まざるとに関わらず大学院に入れさせられている。言葉は悪いが昔の紛争前夜に似ているという人もいる。そういう状況も変えていかないといけない。

委員  戦前の臨床系大学院は、患者を診ながら研究するということが中心となっており、分かりやすかったと思うが、今は生命科学的要素が多く入ってしまい、臨床研究なのかどうかわかりづらくなってしまっている。臨床系大学院の目的が何かということになると、高度専門医のみを養成する大学院であるというのは考え方としてあり得ないと思う。やはり研究マインドを持った医師・歯科医師養成ということでないと大学院としての存在理由がない。しかしその場合、具体的にどのようなことをするかが問題である。大学院と大学の専修医の違いもはっきりしておらず、将来、地域の病院における専門医養成のプログラムがしっかりしてくると、臨床の大学院においては何をやるのか、大学院に入ることで何がプラスになるのかを明確にしない限り、誰も入ろうとする人がいなくなるのでないか。専門医に関しては博士の資格は必要ないということになるかもしれない。そうなると、地道な臨床研究はどうなるということになるが、その点で論文博士の制度は残す必要があるのではないかと思う。

委員  大学自体の数が少なかった頃の大学院の機能は研究者・指導者養成であったが、高等教育の進学率の向上等で大学院進学者も増えたことにより、その中間層が高度専門職業人養成ということに実体的になっていると思う。大学院がそもそも研究者養成であり指導者養成であるという大学院本来の目的に着目すると、そんなに数が多いと困るわけであり、より上の大学院の制度が社会的に要請されている中、現在の最終学歴である博士制度をどうするかということが問題になってきたと思う。そうなると、今の博士課程を今後どう位置づけるのかとなれば、臨床にあっては高度な臨床医を育てる機関、基礎にあっては指導者にはならないにしても優れた研究遂行能力を養う機関という位置づけ、その上のさらに高度な研究者・指導者を養成する新しい制度を設けるというのが自然な気がする。

委員  現在、大学院部会で統一的な見解となっているのは、大学院は教育機関であるということである。大学院を卒業したからといって一人前になるわけではなく、基本的な教育を受けた人間ということになる。アメリカでは大学院を修了してさらに4年とか5年くらいポスドクをやり、その間は自分では研究テーマを持てないディペンデントなリサーチャーとして研究し、その後アシスタントプロフェッサーとして初めてインディペンデントな研究者となる。そこでリーダーになれるということになる。ただしアシスタントプロフェッサーは任期付きで、2期6年終わった後に昇任できなければそこで終わりになるという制度になっている。日本でも同じように、大学院というのは、研究者養成であれ専門職養成であれ、あくまでも教育機関であり、研究者又は高度専門職としての一通りの技量を身につけるためのものであるという理解を徹底した方がよいと思う。ある程度の幅広い、将来研究者として独り立ちできるような技術を身につけることが重要であり、日本はこれまでそこが曖昧であった。

委員  職業人養成の部分は連続性を持たせるのは良いが、そこから先の職業人の高度化の部分は、さらに連続性を持たせていくのかどうか。イメージとしては繋げた方がよいとは思うものの、それをどこに位置づけたらいいかということは明確にした方がよいと思う。アメリカのプロフェッショナルスクール、例えばMBAでも基本的には1回社会に出て3年以上の経験を持ってからということになっている。日本でもその動きはあるが、医療系においても将来的にずっと繋がるということではないと思う。1回社会に出るということを、医師の場合であれば、学部卒後2年間の臨床研修のことをいうのか、また、専門性の内容によっては、例えば外科医として活動して1人前になってから、専門の心臓外科医の養成をすることをいうのか。

委員  看護でも理学療法でも、本来は大学を出て大学院に入る前に1年なり2年なりの実務経験が無いといけないと思う。自分自身も手も動くし同時に指導者にもなれるという人間でないといけないと思うが、その辺の議論はこれまで何かあるか。

委員  看護学で4年制の学部を作り学年進行的に大学院を作っているところは、ストレートに学生を入れざるを得ないという状況もあるにはある。しかし多くの看護系で専門看護師という専門職業人を目指す人たちは、実質的には臨床経験をしてから入ってきている。それは将来研究的な方面に進みたいという人も含んでいる。

委員  看護大学の新設が相次いでいたとき、設置審の委員としてその大学の状況を見に行ったことがあるが、病院を持たないところが多く、本当に看護師の養成ができるのかと心配になった。医学以上に実務経験を求められる分野であると思う。看護の大学院に入る前には臨床を経験してから入学させることが望ましい、ということを基本的な考え方としてよいものか。

委員  看護の専門性の中には対人関係の部分が基礎となっている。そういう意味では実習時間も長く、実際に患者さんに触れるという意味での実習経験というのは医学よりも豊富かもしれない。病院を持たず、実習場所まで遠い状況というのは教育機関として確かに問題であるが、そのために今までそういった学生が来なかったところに学生が行くことにより、そこの看護が変わっていくという副産物が生じており、そういう意味では看護の大学が現在増えてきたことのメリットではないかと思う。また、大学院入学前に臨床の実務経験を課すことについて、現在もそういう学生が来ており、対応はできるとは思うしそれが望ましい姿ではあるが、義務付けることは難しいと思う。研究者養成はストレートで良いと思う。

委員  医療技術系においても、大学院に進む場合はやはり臨床の実務経験が必要であると思うが、将来研究者になることを目的として学部から大学院へ進む人もいるので、その場合はストレートで進むことのできる道を残す方がよいと思う。

委員  専門職業人を養成する大学院の場合、実務経験のない学生がストレートに入学するということは問題があると思う。医師も含め、実務経験をしないでいきなり専門職になってしまえば一般社会人は何を信用すれば良いのかということになる。東大の中でのディスカッションでは、医師養成として、学部6年を出て医師になって臨床研修2年を終えた後、更に3年間、例えば内科でいえば内科医と心臓内科医になるためのバックグランドの実習をやり、それから職業人養成のための大学院に入学し、そこで4年学んだ後、専門医と職業博士という2つのディグリーをもらうというのが理想であるという話をしている。年齢も34〜35歳ぐらいになってしまうが、それくらいのことをたたき台として考えている。

委員  卒後臨床研修2年のうち、ローテーションは1年目だけにし、2年目は外科なら一般外科を1年間やらせ、その後に専門に行くということであればかなり短縮できると思う。全員が2年間すべてローテーションで研修しないといけないのかといえば決してそうではないと思う。アメリカのようにファミリードクター制度があるのなら良いが、日本ではそういう制度がなく、ほとんどの医師が何らかの専門を標榜している以上、あまり現実的ではないと思う。

委員  これまでの議論は、国民一般にはなかなかわからないことだと思う。国民が望むのは質の高い医療であり、そのために学術研究は不可欠なのであるが、国民には直接それが医療に結びつくとは認識しにくい部分であり、重要性を理解してもらうよう説明責任を果たす必要があると思う。
 現在、法科大学院が多く設置されてきているが、学生がそこに集中してしまい、従来の法学研究科に在籍者がいないというところもあると聞く。法律家にはなりたいが法律学者にはなりたくないという学生が非常に増えている状況になっている。世の中全体が実務・実学だけを追い求めるという風潮がある。薬学でも学部4年制を残したが、そこに進む学生が本当に出てくるのだろうか、ニーズがあるのだろうかという心配もある。学部を卒業しさらに大学院で専門性を高めていくことと、社会のニーズとが合致していないのでないか。だとすれば、社会の認識の方に問題があり、専門的な研究が本来は尊重されないといけないと思う。そのことに対する国民の理解をどう求めていくべきかを切実に感じる。学術研究が荒廃したら国民につけが回るということをどうすれば納得してもらえるかということを、このWGとは別の場かもしれないが考えていかないといけない。
 また、日本は自由開業制であり、例えば心臓外科専門医でも一般医として開業している例が多い。アメリカでは総合診療の専門医でなければ開業はできないと聞く。日本もそれにならうとした場合、これだけ長い年月投資してきたのに将来開業さえできないということになる。そうなるとそこに投資しようとする人はいなくなってしまうのではないかと思う。したがって大学院でいったい何を養成するのかを再確認し、さらにその分野で専門性を高めていく道筋を明確にする必要がある。

委員  専門分野に対する素養を積んでもそれに対する見返りが日本では少ないという問題もある。例えば心臓外科手術の保険点数はあまりにも低く、また、一人前になるまで長い年月がかかる。かつ、心臓外科医として手術に携われる年齢もそんなに高齢では無理。したがって働く期間が短い割に収入が少ないので、これでは日本の心臓外科医はいなくなるという関係者の指摘もある。アメリカでは資格を取ればそれなりの報酬を得ることができるので、日本の医者は一体何をモチベーションとしているのかと聞かれる。

委員  これまでの議論を踏まえ、大学院というものは、高度の専門家を養成するところと、研究者を養成するところとの二つに分ける必要があること、そして、高度の専門家養成ということであれば、やはり一定の実務経験が必要であること、また、それにふさわしい教育課程が必要であること、一方、研究者養成であれば研究者として自立するだけの素養を身につけさせる必要があること、ということを基本的な方向とすることでよいか。そして、その二つの目的・機能を果たすためにはそれぞれどういうものが必要なのかということをまとめることとし、その内容については医学、歯学、薬学、看護学、医療技術系それぞれの分野で少しづつ違うので、各分野の先生方の意見を聞きながらまとめていくこととしたい。その場合、ある程度の理想的なものを打ち出すこととし、もちろん現実に合わない点は下げることとするが、はじめから現状肯定でないようなまとめ方をしたい。

委員  高度な専門家ということであれば大学院でなくても立派な医療施設があれば養成できる。したがって大学院での養成ということであれば、高度の意味をもう少し違う意味で考える必要がある。例えば「研究マインドを持った」医師・歯科医師の養成という書き方がよい。

委員  研究者養成機能の充実方策について、これまでいろいろと意見を伺ったが、これをうまく実現させようと思えば、やはり教員を増やさないとできないと思うし、学生にも支援が必要である。これを無視してとりまとめても絵に描いた餅になってしまう。財政状況が厳しいのはわかるが、そのことはやはりどこかに書いておかないといけないと思う。例えばコースワークを充実すべきといってもやはりそこには教員の配置が必要であり、そこの確保をどうするのかという問題になる。
 また、学位の問題であるが、研究者養成課程の学位というものをどのように位置づけるのか。アメリカのPh.Dとコンパラブルになるのか。なろうとするにはどうすればよいかなどの問題がある。

委員  研究者養成の充実をどう図っていくかが問題である。社会が求めていることは、研究ばかりやらずにしっかりした実務者を養成しろということで端的に表すことができる。入ってくる学生もそちらにシフトしており、次代の基礎研究者・指導者養成の部分にしわ寄せが来ている。いかに基礎研究を魅力あるものにするかを考え、支えていかないと教員も学生も来ない。教員の確保や、学生の経済的支援がないと無理だと思う。

委員  医学系大学院に修士課程がかなり増えており、これをどう位置づけるのかということも問題である。研究者育成とするのか専門職養成なのかということになる。

委員  基本的には、医学部卒以外の学生がここを修了して、医学の博士に進み、生命科学系の研究をするということに主眼をおいている。

委員  設置の理念はそうであるが、実際の学生は、修士を取ると就職に有利ということだけで入ってくる学生もおり、教員とのミスマッチも起こっている。

委員  論文博士制度の見直しとも関わってくると思うが、これまで医学・歯学以外の学部出身者が医学・歯学系の基礎研究を広く支えてきたことを考えると、この修士課程の充実は必要である。

委員  医学部出身者が医学の基礎系に進まないという現状があり、他学部の卒業生がこれからは医学の基礎的研究を支えていくことが必要となる。そのためにも修士課程も重要であり、充実が必要だと思う。あとは良い学生が来てくれるかどうかということである。

委員  医学修士修了で更に医学博士に入学するというのは、経済的にも相当余裕がないと無理な状況。また、ポストもなく、実際に博士に進む人間が減っているというのが現状であると思う。

委員  本学では、医学修士修了後に博士課程に進むことを前提として入学させており、そのため博士課程においてその部分の入学定員を優先的に確保している。このことから、医学部から博士に進む分の入学枠が減ってしまうため、どちらも公平に競争させてほしいという希望も出てきている。

委員  修士までであればなんとか自分で負担させるにしても、優秀な人間であれば博士の分を支援してやらないといけないが、今の奨学金は入学してみないとそれがもらえるかどうかわからない状況である。したがって、外国にあるようなバウチャー制度のように、修士の段階で、優秀な学生が博士を修了するまでは支援するということをあらかじめ約束できるような制度も検討する必要があると思う。それがあれば大学間の流動性も出てくる。例えば東大ではバウチャーがとれなくても他大学ではとれるということも可能になる。

事務局  教育のバウチャー制度についての提言はあることはあるのだが、実現の可能性についてはまだよくわからない。一定の人間にバウチャーを与えることが本当に良いのかどうかの議論が必要だと思う。

委員  オーストラリアのように収入が一定以上になれば返還するということにすれば導入もしやすいと思う。

委員  看護では、大抵5〜6年経験を積んでから大学院に入学するのがほとんどであり、年齢でも30歳前後の人間が現職を辞めてから入学している。修了後に就職できるかの保証はなく、そうすると博士課程に行く経済的余裕がないということが大きな問題である。したがって、博士課程入学後でないと奨学金がもらえるかどうかがわからないという制度でなく、入学前にある程度確約できているという扱いにすできるのであればよいことだと思う。

委員  医療系に限った問題ではないと思うが、学生の経済的支援方策については何らかの提言を行っていく必要があると思う。

委員  現在の臨床系大学院は、大学院生は大学病院で診療を行いながらもその分の報酬はないため、他の病院で当直のアルバイトを行い、疲れた身体のまま、大学病院の診療を行っているという危険な状況である。大学院で専門職の養成を行う場合、何らかの経済的支援が必要である。

7.  次回の日程
 次回は、12月16日(木曜日)に開催することとなった。
以上


(高等教育局医学教育課)

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