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中央教育審議会大学分科会

2004年7月13日 議事録
中央教育審議会大学分科会 制度部会(第10回)次第


  日時:   平成16年7月13日(火曜日)10時〜12時30分

  場所:   三田共用会議所第4特別会議室(4階)

  議事
(1) 評価機関の認証について
(2) 意見発表
「諸外国の高等教育改革について」【木村孟委員】
「高等教育の質保証について」【丹保憲仁放送大学長】
(3) その他

  配付資料
資料1   制度部会(第9回)議事要旨(案)
資料2−1   認証基準と申請内容との対比表(財団法人大学基準協会)(案)
資料2−2   評価基準と大学設置基準等との対比表(財団法人大学基準協会)
資料2−3   財団法人大学基準協会の実施する大学の評価に関する主な論点(案)
資料2−4   財団法人大学基準協会の行う評価の概要等について【参考】
資料2−5   評価機関の認証に係る審議の進め方等について【参考】
資料3−1   諸外国の高等教育改革について【木村委員資料】(PDF:73KB)
資料3−2   英国高等教育制度検討委員会(「デアリング委員会」)報告について
資料3−3   英国高等教育白書「高等教育の将来」(2003年)について
資料3−4   欧州における高等教育に関する動向について
資料4−1   大学の設置認可を巡る現状と課題【丹保学長資料】(PDF:53KB)
資料4−2   大学設置認可制度について
資料5   大学分科会制度部会に関する論点例
資料6   大学分科会関係の今後の日程について

机上資料)
 制度部会関係基礎資料集
 高等教育関係基礎資料集
 文部科学統計要覧(平成16年版)
 大学設置審査要覧
 教育指標の国際比較(平成16年版)
 大学審議会全28答申・報告集
 中央教育審議会答申「大学等における社会人受入れの推進方策について」
 中央教育審議会答申「大学の質の保証に係る新たなシステムの構築について」「大学院における高度専門職業人養成について」「法科大学院の設置基準等について」
 中央教育審議会答申「新たな留学生政策の展開について」
 中央教育審議会答申「薬学教育の改善・充実について」
 国境を越えて教育を提供する大学の質保証について(審議のまとめ)
 科学技術・学術審議会人材委員会第1次提言
 科学技術・学術審議会人材委員会第2次提言

 
出席者   (委員) 鳥居泰彦(会長)、岸本忠三(部会長)、木村孟(副部会長)の各委員
    (臨時委員) 天野郁夫、黒田壽二、島田あき子、関根秀和の各臨時委員
    (専門委員) 香川正弘、清成忠男、佐藤東洋士、高木不折、舘昭、中込三郎、福田益和、森脇道子、山内昭人、四ツ柳隆夫の各専門委員
    (文部科学省) 石川高等教育局長、井上国際統括官、泉高等教育局担当審議官、村田科学技術・学術総括官、惣脇高等教育企画課長、大槻私学行政課長 他

  議事
   
(1)  財団法人大学基準協会からの評価機関としての認証の申請について、前回の議論を踏まえた説明を事務局から行った後、審議が行われた。その結果、大学基準協会の認証が了承され、大学分科会への報告の取扱いが部会長と事務局に一任されることとなった。

 
(○: 委員、□発表者、●事務局)

 
委員  資料2−3に「『加盟判定審査』『相互評価』との一体的な運用」とあるが、この2つのいずれかを7年に1度行っていくのか。また、両者の内容は同じか。

事務局  「加盟判定審査」は非会員の大学が会員になるために受ける評価であり、「相互評価」は会員である大学が受ける評価である。いずれも認証評価としての評価にあたる。制度上は、認証を受けた評価機関による評価を7年以内に受ければよい。大学基準協会は「加盟判定審査」に会員としての最低ラインの確保、「相互評価」に会員の質の向上のための評価基準を設けている。2つの内容は異なるが、法律上はいずれも認証評価にあたる。

委員  異議申立てに対し、大学基準協会がどのように対応すべきかについての規定はあるか。

事務局  法令上は大学に申立ての機会を与えることが明示されているだけで、それに対する措置についての要件はない。大学基準協会で適切に対応して頂けると考えている。

委員  論点整理は適切。今回、大学基準協会は現在運用している評価制度を、基本的にそのまま認証評価制度として申請してきており、世間に対する誤解が生まれかねない面がある。例えば「加盟判定審査」の内容は基準をクリアしたものだと思うが、言葉上は認証評価であるとは理解されにくい。評価機関としての第三者性の確保は必要だが、「相互評価」の「相互」という言葉は「第三者」ではない印象を与えうる。こういった注意点をまとめて協会に伝えるとよいのではないか。
 また会員にならないと「加盟判定審査」以降の認証評価が受けられない点、会員制が複数の評価機関の中から評価を受ける機関を選ぶという制度を実質的に狭めかねない点、についても検討するよう伝えるのがよい。

委員  大学基準協会のような歴史のあるところが認証されないならば、それは制度そのものの根幹に係る大きな問題。
 大学基準協会は会員制を採っており、会費が同協会の財政基盤となっている。そういった点でアメリカ型の評価機関といえる。一方で財政基盤を国に持つ独立行政法人の大学評価・学位授与機構がある。これは事実上国立大学しかないヨーロッパ型の評価機関といえる。さらには日本私立大学協会も評価を始めようとしているが、財政基盤、成り立ちが上記の2つと全く異なる。
 このように性質の違う3つの評価機関が並立した場合、国公立大の大部分は大学評価・学位授与機構の評価を受け、私立大学は私大協の評価機関の評価を受けるといったように、利用者がグループ分けされていく危険性がかなりある。もちろん利用状況は審査料にも大きく左右されると思うが、いずれにしても、3者が競争を経て発展できるようにしていく必要がある。補助金を出すことも含めて考える必要があるのではないか。

委員  評価料についていえば、認証評価を受ける場合には「相互評価」費用に加えていくら必要なのか。財団法人大学基準協会寄附行為の目的及び事業にあたる第3条、第4条を認証とともに書き換える素案はあるのか。

事務局  「相互評価」が認証評価にあたるので、「相互評価」の手数料は認証評価の手数料に他ならない。すなわちプラス負担はない。

委員  会費と「相互評価」手数料で認証評価を受ける仕組みならば、非会員は認証評価を受けられないのではないか。

事務局  非会員には「加盟判定審査」を受けていただく。会費は評価料の前払い、あるいは分納という性質を持っており、認証評価を受ける際に必ずしも会員である必要はないと認識している。

委員  1度会員になるとずっと会費を払わなければならない。それならば別の機関による評価を受けようと基準協会を脱退するところが出てくる恐れがないか。しかるべき料金を取るけれども競争関係が生きている、という認証評価の仕組みが望ましい。

委員  基準協会はアメリカ的な相互扶助のアクレディテーション機関であり、会費が財政的基盤を成している。相互扶助に根ざすから、審査員の報酬は安い。ところが新しい制度では別に会員でなくても評価を受けられる。そうなると立ち行かなくなることも考えられる。
 一方では審査料が安く、審査員の報酬もきちんと払う独立行政法人がある。国という財政基盤をもつものと財政基盤のほとんどないものが不完全な形で競争する危険性が高い。その観点からすると会員制を否定してしまうのは問題であり、会員制を認めるべきではないか。

委員  会員制を前提として制度を運用することは申請の通り。その点に関しては資料2−3の1−(2)をつけるかどうかという問題がある。非会員が高い料金を一括で払って評価を受けるというのも新しい財政基盤となりうるので検討はしてもらうほうがよい。
 一体的運用には色々な側面があるので(1)の記述はつけるべき。

委員  1−(2)について。会員以外の大学が評価を受けるのは、例外的ではあるが、認めるとよい。費用は会員と別に設定する必要があるが、記述自体は残してよい。ただし、「できるだけ早い時期に実現」という表現は強すぎるのではないか。
 評価は質保証の一環として捉えられており、国際的な標準を作ろうという声もあった。現在OECDにおいて世界の高等教育機関のデータベースを作る動きがあり、その中では高等教育機関をアクレディットの有無等を含めて登録することになる見通し。そうなった場合、基準協会の「加盟判定審査」「相互評価」の一体的な運用は国際的に説明が難しいのではないか。できるだけ簡便なシステムにしてデータベースに載せていくことを基準協会は今後考えるとよい。
 大学評価・学位授与機構も評価費用は基準協会の動向に留意して定める必要がある。ただし、会費を評価の一環として捉えると大変な費用となり、この問題をどこかできちんと考えていかねばならないだろう。

   
(2)  木村孟委員から諸外国の高等教育改革について意見発表があり、続いて質疑応答が行われた。

【木村委員による発表】

 ケルンサミットでイギリスがknowledge-based societyという言葉を使い始めてから、知識を基盤とした社会の形成が先進国の大きなキーワードとなった。また、それを契機に知の源泉である大学の役割が非常に重視されるようになり、高等教育改革の動きが世界中で活発になった。
 現在、大学が置かれている状況を一言でいうと「拡大と競争の時代」である。デアリング報告に高等教育参入者の増加なくして国際競争力は得られないという議論があり、各国でも同様の認識の下に規模を拡大する動きがある。イギリスでは依然として特殊な経済的バックグラウンドを有する人達の高等教育参入率が非常に低く、これを増やすことが国是となっている。
 高等教育の活発化に伴って機関数が増加してくると当然質の低下が懸念されてくる。また、高等教育に割ける資金の量には限りがある。その対策として質の維持向上と資金の有効活用を達成する必要があり、各国において大学評価の動きがでてきた。
 また、EUにおいては労働市場のモビリティ拡大に伴い、共通の学位制度等をもった1つの大きな高等教育圏を作ろうという動きがある。これまで独特の学位制度を持っていたドイツ、フランスでさえアングロサクソン系の学位制度に合わせ始めている。こうした中で教育の質を考えると、どうしても学位の国際的通用性が必要になってくるだろう。
 以下、各国での状況を少し具体的に述べる。

 アメリカは大戦後の経済発展を背景に他国に先駆け高等教育が拡大した。80年代初めにはパートタイム学生を含めた進学率が60%を越えるという驚異的な高等教育の大衆化の背景には、高い収入に対する期待だけでなく、奨学金の充実もある。現在、何らかの奨学金を受給する学部学生が5割を超えている。またクリントン前大統領の2期目にHOPE scholarshipというものができ、最低2年間の高等教育に希望者全員を参入させることを目標に、学部1、2年の学生を持つ家庭に対し1500ドルを限度として授業料相当額を免税している。
 アメリカの特徴として民間のアクレディテーション活動が非常に普及していることが挙げられる。民間とはいっても元は大学人の集まりであり、きちんとした大学作りを目指す動きの中から始まった。
 大学評価も活発であり、ほとんどの州で州立大学の評価を行っている。しかしそれを予算配分へ反映させている州は1/3に留まっている。理由としては州立大学の予算の約半分がNSF、DOE、NIH、NASA等からの競争的資金であり、改めて評価を予算に反映させる意味が希薄な面があることが挙げられる。
 各州で財政が逼迫しており、授業料の値上げ、教職員の削減、大学組織のスリム化、運営の効率化等が行われている。

 イギリスはバッキンガム大学だけが補助金を受けていない私立大学で、あとは全て国立大学といえる。
 先に挙げたデアリング報告に「21世紀の知識基盤型経済におけるイギリスの国際競争力と国の繁栄は高等教育が支える」との記述があり、また、ブレア首相が「Education, education and education」との発言をしたように、イギリスは教育に非常に力を入れている。外国人留学生の授業料が高等教育費用の3.5%を占めていることから、イギリスの教育は売り物になるともいえる。
 同報告に挙げられているlearning society、生涯学習社会の実現は日本を倣ったもの。
 同報告は受益者負担にも触れており、ついに授業料をとるようになった。
 いずれにしても、高等教育参入者が多いほど国際競争力が増すのだというコンセプトの下、高等教育改革が進行している。
 EU加盟に向けて高等教育の参入率を高めるべく、1980年代後半からポリテクを次々に大学へ昇格させたこともあり、現在ではパートタイム学生を含めた進学率が106%になっている。社会に出てから大学で学ぶ学生等のため100%を超えている。政府目標として30歳までの青年層の進学率を43%から50%に上げることが掲げられており、これらの高い進学率を奨学金の充実が支えている。何らかの奨学金を受けていない学生がいないくらいに普及している。
 最近の話題として就学形態の多様化の動きがある。政府主導でインターネットを利用した「e-ユニバーシティー」が設立され、ケンブリッジ大学やロンドン大学等が世界に学位プログラムの提供を開始している。現在は非常に狭い分野に留まっているが、この事業が本格化すると日本の大学に対して大きな影響が出るだろう。
 評価も厳しく、研究評価はHEFCE、教育評価はQAAが行っており、前者の評価結果は研究補助金の配分に反映されている。教育評価は基本的に予算反映がない。
 先に述べたようにイギリスでも授業料を取るようになり、最近、一律1000ポンドであったものが最大3000ポンドまで可能になった。しかし、本当に特筆すべきは研究費を含む高等教育への公財政支出増大計画であり、2005年度までに2兆円まで増額するつもりである。2003年比にして30%、対GDP比にして0.1%にあたる大幅な増額である。

 フランスも高等教育機関の国際競争力を目指した改革を推進中であり、グランゼコールに代表される独特のシステムが、極めてアングロサクソン寄りに変貌してきている。
 1984年には契約政策が出され、大学は4年間の発展方向を示す「全学計画」を出すことで国と契約し、教員配置、施設整備、経常費の交付を受けることとなった。2003年には更に大学裁量権と自己責任原則の拡大が行われ、第三者評価が義務化された。この一連の動きは日本のそれと全く同じである。
 フランスの特徴としては教育とは国が行うものだという信念が強く、高等教育費用の実に8割を国家予算でまかなっていることが挙げられる。国家予算に占める高等教育費用の割合は最近でも増えており、財源の多様化をすべきとの意見が国会を中心にでてきている。

 ドイツは元々学問に自信のある国であったが、このところ翳りが見えてきたこともあり、トップ大学プログラムを始めた。これはハーバードのような国際的なトップ大学と競合できる大学の確立を目指すもので、最大5校を対象に2006年から5年間、年額最高60億円の助成を行う。
 マイスター制度があるため、高等教育の進学率は30%程度で伸びは緩やかである。職業教育システムが確立されており、今後高等教育へのなだれ込みが起こることも考えにくい。
 高等教育大綱の改正が行われ、高等教育機関の裁量権の拡大、業績主義及び評価の導入が一体となって進行している。

 中国の高等教育進学率は15〜16%であり、政府目標として2010年までに20%以上とすることを掲げている。高等教育機関の拡大の中でインターネット大学、ラジオ・テレビ大学等の様々な大学が開校されている。
 2002年から全ての高等教育機関を対象に「教育評価」を5年毎に義務付け、教育状況を「優良」「良好」「合格」「不合格」により判定した上で、予算配分に反映するようにしている。また日本に先駆けて、大学の自立的運営の確保に向け、1980年代半ば以降、裁量権を拡大する改革を継続的に実施してきている。
 世界に通用する大学作りとして211工程、985工程等を実施し、特定の大学に対する徹底的な集中投資を行っている。
 その他に全教員に対する契約任期制の導入、優秀な研究者の破格の待遇による招聘等を行っている。

 アメリカを除く4国は大学の裁量権を拡大して自助努力を促すとともに、厳しい評価を行うという方向にある。
 ユネスコ、OECD等の国際会議に出て強く感じることは、日本の学位制度に国際的通用性を持たせる必要があること、大学の質を確保し、国際的に発信して認められることの2点である。

 
委員  イギリスの大学数はどの程度なのか。

発表者  ポリテクをほとんど全て大学にしたので、イングランドだけで100程度に達していると思う。その全てに教育経費は渡しているものの、研究経費は従来から大学として有名な20〜30校にしか渡していない。その意味では重点投資を行っているといえる。

委員  国際的な標準の学位制度はどういう方向に収斂していっているのか。

発表者  学士、修士、博士の3つに集約されてきている。ドイツ、フランスは独特の学位を持っているが、アングロサクソン系の学位に統一されつつある。これは労働市場におけるモビリティの高まりによって拍車がかかっている。

委員  ボローニャ・プロセスの考え方でいうと学士課程は3年以上ということになるが、ヨーロッパの義務教育が日本より早い5歳から始まっていることを考えると、日本の学士を全て単純に3年にすればよいということではないのではないか。
 アングロサクソンと一口にいってもアメリカタイプとイギリスタイプの2つがある。ヨーロッパはイギリスタイプに合わせようとしているが、教育課程として日本はアメリカタイプに似ている。アメリカでは学士の前にアソシエイトディグリーがあり、イギリスでも2年間のファンデーションディグリーができた。これはknowledge-based societyの構築に向け、職業系を中心に発達していたサブディグリーを強化し、学位として位置づけたもの。学位の国際的通用性を考えるときには、両方のシステムを見ていく必要がある。

発表者  日本がアメリカ、イギリスのどちらに向かっていくかは相当考えなければならない。
 先に述べたデータベース作成で一番の問題はディグリー・ミル。それらの存在をアメリカが許していることから、国際会議の場で南米を中心に「我々がディグリー・ミルの被害者」との共同宣言が出されるほど反発されている。

委員  国際的な質保証の問題からすると、プログラムの内容だけでなく実際に学位を取得したときのレベルも大事。確かにアメリカにはディグリー・ミルもたくさんあるが、実際に学位取得まで到達するのは25〜30%程度。イギリスを除く諸国も学位取得率は低い。これはカリキュラム以外にも様々なチェックシステムが機能していることを表している。
 日本の場合はプログラムレベルのチェックは行われているものの、学位レベルのチェックは行われておらず、入れば9割が卒業してしまっている。この状態で国際的な質保証の枠組みに入ると、認証評価機関のアクレディットを受けた大学がアメリカのディグリー・ミル程度の学位しか出していないことが明らかになるケースがかなりでてくる。それにより日本の学位の国際的評価が非常に低くなってしまうことが考えられる。

発表者  私も同様の危機感を抱いている。認証評価機関により悪い評価を受けても国に閉鎖する権限がないためにディグリー・ミルが出てくる可能性がある。もちろん見識の高い学校経営者ならば結果を受けて見直しをするだろうが、何らかの対策が必要ではないか。既に高等教育の世界で地位を確保しているアメリカはよいが、そうでない日本においてディグリー・ミルが出てきてしまったら大変な問題。それを防ぐためにはたとえ法令違反がなくとも、認証評価で悪い結果が出た場合に国が改善する方向に持っていく仕組みが必要。そういった仕組みがないと認証評価そのものが信用されないのではないか。
 学位の質に関していえば、例えばJABEEが行っているようなプログラム評価をきちんとやらないと国際的通用性は得られないのではないか。現時点で実行可能かどうかは分からないが、JABEEは大きな試金石といえる。

委員  質に関する国際協定を結ぶ等、質保証の国際的活動に参加していくべき。

(3)  丹保憲仁放送大学長から高等教育の質保証について意見発表があり、続いて質疑応答が行われた。

【丹保放送大学長による発表】

 最近大学設置の自由化が進み、色々な問題点を持つようになった。「基本的認識」に書いてあるように、第三者評価をきちんとして事前規制から事後評価へ持って行くという流れは基本的には正しい方向だと理解している。しかし、事後評価が全面的には導入されていない、事後評価により大学を廃止することが難しい、評価が行われるまでの空白を放置することはできない、等の理由から一定の事前関与は必要である。
 特に最後に挙げた時間遅れの問題が大きく、大学選択のリスクを全て学生に負わせるわけにはいかない。第三者評価制度も十分な機能を果たしていない中、事後評価中心に現実の組織を動かすことは危険である。

 先日まで私は大学設置・学校法人審議会の委員だったが、学校教育法や大学設置基準が定性的な規定であるために準則主義に則る認可の可否判断で色々と苦労してきた。基準を明文化すると運用が硬直化してしまうので、そこに設置審の存在意義があったものと感じている。
 最近、設置審で議論となった事柄には株式会社立大学、専門学校や学部との区別が不明確な専門職大学院、専任教員の定義、実務家教員が大部分を占める大学、教授・助教授・講師の差異、実務家としての業績評価、科目履修生が過大である大学、研究室や図書の問題等が挙げられる。
 現行は従来の設置基準に事後評価を加えただけになっており、事後評価重視に則った設置基準の制度設計を考えなければならない時期にきている。簡単に変えられる問題ではないので、まずは審査過程における申請者と設置審のやり取りを通じて、申請者が社会への説明責任を果たす方法を検討すべきではないか。また、申請者による情報公開を前提に、設置審側も現在の「留意事項」を拡大する等して審査過程における議論等、評価機関や学生、保護者に有益な情報を公開していくべき。また事後評価とリンクした工程管理として「履行状況調査」をきちんと行い、その結果を公開していかねばならないだろう。
 審査の手続きについては申請の形態が多様化してきており、柔軟な審査が必要となっている。これらを全て設置審だけで対応するのは難しく、関係団体等の関与を加えるのも有益である。また専門職大学院、株式会社立大学、大学院通信課程等、新しい概念の大学の審査が非常に定性的で難しい。にも関わらず審査を短期間で行うことが要求され、十分な議論ができなくなっている。事前審査を事後評価につながる一連のものと捉え、審査期間に対する配慮をお願いしたい。

 問題の根幹は大学の定義にある。日本の大学は千差万別であるが、学校教育法52条の定義では「大学は、学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを目的とする」とされており、限定的な機能しか持っていないものをどう扱うかという問題がでてくる。大学が育てるのは、全人的な学習が必要な個人であり、機械部品のような「社会の歯車」を養成するのは大学の本質ではないが、それさえもままならない教育では困るわけで、52条をどう考えるかという問題。
 一口に大学といっても英語の表現はUniversity、College(Medical, Engineering, Arts, Agricultural, Teacher's)等様々である。大学院大学Graduate research schoolに至っては従来の学部の上にある大学院ではなく、schoolよりも小さいprogramのものも登場するかもしれない。それらのディグリーをどうするのか議論がある。  日本の大学をカリキュラムレベルに応じて分類した図を載せたが、実に様々である。その中の「学士」レベルの教育ひとつをとっても、その内容は高度の講義、論文、ディシプリンに属しない基礎、キャップロック等様々である。日本では各学校種毎の議論は行われているが、全高等教育システムの中でそれぞれがどういう役割を果たし、他学校とどのようにつながっていくかについての議論はほとんど行われていない。

 学校教育法52条を大学の望ましい姿と考えるならば、単科大学等52条のフルスペックを持たない大学のスペックをいかにして補っていくかが大事であろう。単独の大学院レベルのプログラム群、専門学校・高等専門学校等の専門職教育は今後増加が予想され、この問題は益々重要になるだろう。空白部分の補填に放送大学等の通信教育を利用するのは1つの方法。その他には短期大学と基礎・教養型教育部分との連携等が考えられる。
 プログラムに関していえば、今後専門化したプログラムだけで構成される大学院がたくさんできてくるだろう。その際にはプログラムの認定と大学としての認定をきちんと分け、それぞれを的確に判断していくことが重要ではないか。
 現在の授業料システムは学科と年次で額が決まり、内容によらない。このようなブラックボックス型の授業料よりも、単位あたりで授業料を払うのが普通ではないだろうか。それにより基礎科目、基幹科目、専門科目といった教育課程を、元に戻ったり、他大学に行ったり、外国に行ったりすることも含め樹枝状に設計することが可能になる。

 以上より、これからの将来に向けて次のようなシステムを提案したい。
 「52条型大学」が主たる高等教育機関であることはおそらく間違いない。そのため、これは丁寧に時間をかけて評価し、機関認定を行うべき。イギリスでもかなり時間をかけて評価し、認定しており、日本のように簡単に大学を作れるのは問題である。
 各種プログラムはレベルを明確にし、一定基準で公開した上で事後評価をきちんと行うのがよい。それが可能であれば届出でもよく、通信・通学も問わない。専門職大学院等だけでなく、学会・職能団体の評価も可能である。
 学生はしかるべき機関の助けを借りて学習設計を行い、当該機関にキャリアー記録登録を行う方式がよい。登録費用は入学料相当であり、機関としては認定を受けた大学、JABEE等の専門機関といったところが考えられる。学習結果は登録大学等に戻し、最終的には大学評価・学位授与機構等により判定を受け、しかるべき学位を取得する仕組みを作る。授業料は科目毎に支払い、学位認定料も別に設ける。これにより消費者である学生の保護、学習プロセスの柔軟化、教育機関の競争化を進めることができる。
 このようなシステム作りを行わない限り、従来のルールにただ単に評価を加えただけでは、システムとしてうまく機能しないのではないか。

 
委員  学校教育法における「大学」という用語の使い方を再整理する必要がある。そのため52〜67条の辺りを詳しく審議する機会も必要ではないか。
 設置審は「大学設置・学校法人審議会」の略であり「大学設置審議会」と「学校法人審議会」の2つの審議会が合併してできた。「大学設置審議会」は理論上は国立・公立・私立の設置認可を行っているが、運用上は公・私立については審議を行っているものの、国立は意見伺いという形での審議のみ行っている。今後、国立大学の法人化を契機に国立大学法人あるいは公立大学法人の設置認可を同審議会で司るかどうか検討しておいたほうがよいのではないか。また「学校法人審議会」はかつて「私立大学審議会」といい、土地や資産、組織といった法人としての審査をする審議会であった。今後は国立大学法人等のチェックをするのかどうか、するならば同審議会で行うのかどうかを、どこで検討すべきかも含めて、決めていかなければいけないのではないか。

委員  以前は国公私の設置形態を超えた「大学」というコミュニティが存在しており、文部科学省も含めた中で52条の解釈について共通理解が得られていた。近年は異なるカルチャーを有する人たちが事前規制から事後チェックの流れの中でどんどん参入してきている。カルチャーの違いは52条の解釈の違いに現れる。そのため、具体的、客観的なルールが必要となる。これがないと裁量行政ということになり、事実、株式会社立大学側から裁量行政との批判もある。
 カルチャー、コンセプトが違うままに認可をしてしまうと、彼らの方法で物事が展開されていってしまう。そうなったときに質の保証や評価といったものをどうするか非常に問題になる。
 カルチャーの違いは他の局面でも生まれてくる。例えば産学連携の際には民間企業のカルチャーと付き合う必要があるし、質保証のグローバル化の際には外国の大学のカルチャーと触れることになる。
 現状として、これらの問題は設置や評価の審査の現場で取り扱われており、幅広い議論ができていない。大学分科会等において大学、大学院とは何かを新しい視点から考え直し、制度設計を行っていく必要があるのではないか。

委員  事後評価と事前・課程評価を協同的に運用するという考えに賛成である。別々の制度がバラバラにあっても質の保証はできないだろう。事後評価を念頭に置いた設置基準の在り方という話があったが、今からスタートする認証評価、特に機関評価によって質の保証をきちんとできると考えているのかどうか。また設置認可と事後評価としての認証評価システムとの関係をどのように考えているか。

発表者  設置審はプログラム評価を中心に行っており、大学基準協会等では機関評価を行っていた。設置が規制緩和された今、後者が認証評価を行う際にはプログラム評価もきちんとやるシステムが必要だろう。特に大学は大小様々であり、大きな大学においてはプログラム評価と機関評価のギャップがかなり存在することに注意を要する。ただこれらを一手に行うのはおそらく不可能であり、専門分野についてはJABEE等の協力が必要になってくるだろう。
 また教員の質の評価をきちんとするシステム作りも必要であり、これが一番大事であろう。プライバシーという理由で隠すことなく教員のバックグラウンド等を公開し、その人が所属のレベルに対応できる教員なのかを評価できないか。

委員  今は事前規制と事後チェックの狭間である。事後チェックの実質化の前に事前規制が緩和されたために、質の低い大学が出てくると思われる。今後はそういった大学をいかに撤退させるかが課題となってくる。設置審の学校法人分科会はそれを行っていかなければならない。昨年、教育体制に対する段階的な指導が可能となったが、それだけでは不十分であり、撤退システムの確立には難しい処置がたくさん残っている。
 撤退をさせないならばディグリー・ミルが生じる恐れがある。それらときちんとした大学との差をどのようにしてつけ、社会の中で考慮していくか議論をする必要があるのではないか。

委員  大学基準協会は設置認可を受けた大学を評価していたわけだが、昨年度初めて加盟判定審査で4件不合格を出した。プログラム評価は合格でも機関評価として不合格だったわけである。こういったケースは今後増加すると思われ、基準協会ではクレーム対策の委員会を設けた。
 規制改革・民間開放推進会議がいうように大学設置自体を届出にすると、設置基準そのものが不要になり事後評価のしようがないものまで出てくる。そもそも参入の自由化は参入規制により消費者が不利益を被っている場合に行われるべきであり、大方の学習ニーズを満たしている実態を考えると大学に関してはその必要はない。設置の届出化による混乱で困るのは消費者の学生なり受験生である。この論理を公の場で明確にしていく必要がある。
 事前規制と事後評価のバランスをとることが質の保証に向けた最適の方法である。

委員  木村委員の話にもあった学位の国際的通用性を確保するためには質の保証が大事であり、それにはやはり事前規制と事後チェックのバランスが非常に重要である。現在は事前規制の異常な弾力化が起こっているといえるのではないか。

(4)  制度部会における議論のまとめ案に関し、その作成を部会長への一任の下、事務局と数名の作業委員の協力により行うこととなった。

  次回の日程
     次回は、7月29日(木曜日)14時〜16時に開催することとなった。


(高等教育局高等教育企画課高等教育政策室)

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