平成18年4月13日(木曜日) 16時~18時
三田共用会議所 第4特別会議室(4階)
安西祐一郎(部会長),郷通子(副部会長),相澤益男(分科会長),木村孟の各委員
天野郁夫,荻上紘一,黒田壽二,佐々木正峰,佐藤弘毅,田中成明,長田豊臣,中津井泉,森脇道子,矢崎義弘の各臨時委員
梶山千里,雀部博之,杉山武彦,舘昭,光田好孝,吉田文,米澤彰純,米山宏の各専門委員
石川高等教育局長,徳永高等教育局担当審議官,磯田高等教育局担当審議官,清木高等教育企画課長,小松国立大学法人支援課長,中岡大学振興課長,浅田専門教育課長,安藤私学部参事官,加藤国際企画室長,大西大学設置室長 他
(□:意見発表者,○:委員,●:事務局)
(1)事務局から,「大学設置基準等の改正」,「大学の設置等の認可申請・届出に係る手続等の改正」及び「年次計画履行状況調査の結果等」について報告があった。
(2)事務局から,「設置認可制度の現状と課題」について説明があった後,設置基準や設置審査における視点の明確化について,佐藤弘毅臨時委員から意見発表があり,その後,質疑応答が行われた。意見発表と質疑応答の内容は以下のとおりである。
現在の社会等の急激な変化に法令等の整備が十分追いついていないのではないか。大学設置基準等の法令や設置審査の視点について明確な整備がなされていない。審査する側,される側双方に混乱が生じている。審査の視点を明確化する必要がある。
現在の高等教育状況を取り巻く全体の流れは事前チェックから事後チェックへという流れになっている。このこと自体は結構なことであるが,事前チェックにおいて国の関与を全て否定するような風潮があることは大いに疑問を感じる。事前チェックで改善すべきは参入規制であり,規則に基づくチェックは必要不可欠であり,その重要性は変わっていない。事前・事後のチェックは双方が相まって大学の質を担保するという重要な役割を果たせるのではないか。
規制緩和の流れの中で,とりわけ,平成15(2003)年の大学設置基準等の改正の影響が大きいと思われる。まず,大学等の設置の抑制方針が撤廃された。これにより,大学の規模が拡大し需給バランスが崩れ,大学入学者数と入学定員が一致するいわゆる「大学全入時代」が2年前倒しで平成19(2007)年に到来すると言われている。少子化の進行と最近の新増設が続く状況から「設置バブル」「過当競争」だと指摘する声もある。
次に設置審査に係る基準の準則主義化である。これにより,設置審査の簡素化が進み,事前チェックが機能しないとの懸念を持つ者も多数いる。「法令で禁じていないことは何をやってもよい」という考え方が流布しているのではないか。重大な問題を抱えている事案であっても,準則主義に基づき認可せざるを得ない状況にも直面している。
届出制が導入されたことにより,平成18年度開設に係る案件のうち約74パーセントが届出により開設されたものとなっている。公私立大学にとっては,学部等の改組が迅速にできるという点で届出制は歓迎できる反面,届出で開設した学部等のフォローアップの仕組みがまだ完全に出来ていない等の問題点がある。
構造改革特区により株式会社が大学の設置主体となることも認められるようになったが,株式会社が教育に馴染むのかという基本的な疑問はまだ残る。異なる価値観を持つ者の参入は一定の意義を認めるものの,長年培ってきた大学文化から乖離し,大学人の意識に変化を及ぼすのではないかと危惧している。総じて,事前チェックが機能しておらず,このままでは学生や社会に対して大きな損失を与えかねない。
一部には大学の正否は市場が判断するとする市場万能主義的な考え方があるが,この考え方には大きな落とし穴がある。まず,大学を選択する学生には大学の実際の姿は見えにくい。また,第三者評価も7年に一度(専門職大学院は5年に一度)であり,評価と評価の間の時間差が大きい。昨今,一連の規制緩和により,安易な設置計画で申請する例が増えている。このことは昨年11月の大学設置・学校法人審議会長のコメントにも表れている。
具体的な問題事例を検証してみると,資格取得や技能の習得に特化した大学に問題が多いのではないか。株式会社立大学にその傾向があるようだが,既設の学校法人立の大学にもそういった例が見られるようになってきている。法科大学院の設置の際には,司法試験予備校との連携を明示しなかった大学の設置が不可となった例もある。このほかにも,予備校の施設・教員をそのまま利用するという計画の大学が認可されていたり,学生に短期留学を義務づけながら開学後も提携先が決まらなかったり,英語教育を重視すると言いながら,英語の専任教授が配置されていない等の事例もある。
教職員組織についても,担当時間や給料が極端に少ない専任教員がいたり,他に本務を持っている者が専任教員となっている事例がある。このような待遇で教育・研究や学生の指導に専念できるのか,専任教員としての職務を全うできるのか疑念が残る。また,研究業績のない実務家教員が大部分を占める大学,教育課程と教員配置の間に整合性がとれていない大学,教育の年齢構成に著しい偏りがある大学等,全体として教員組織のバランスを欠いている大学が散見される。さらに,教員の教育研究活動や学生の学習を支援する職員の体制が十分ではない大学も存在している。
研究室・図書館についても定量的な基準が存在しないため,研究室が狭隘であっても,研究費が過少であっても,審議会として意見が出来ない状況である。校舎面積について,校舎面積基準が経済効率性を無視しているとの意見もある。また,運動場については,必置にする必要はないとの意見もある。
これらの問題は結局は「大学とは何か」という根元的な問題に帰着するのではないか。大学というコミュニティとしての文化が崩壊しつつある現在,公正な競争のため,また,質保証のため大学設置基準等の曖昧さを改め,抽象的な表現を補い,より公正なルールを作る必要がある。また,専任教員の要件については,さらに明確化が必要であり,早急に具体的な議論する必要があるのではないか。さらに,事前チェックで指摘した事項について,完成年度を過ぎた後にフォローする明確な仕組みが現在ない状況である。事前チェックから事後チェックに至るまでの一貫した継続的な仕組みを作る必要があるのではないか。
委員
大学設置基準について議論する際には「大学とは何か」という問題に常に直面する。中央教育審議会答申「我が国の高等教育の将来像」をまとめる際にも同様の議論があった。今こそ「大学とは何か」について議論する場が必要なのではないか。
委員
そのとおりだ。
委員
時代の要請に柔軟に対応できる教育研究体制を作るため,大学のマネジメントがそれに寄与するようなシナリオが必要ではないか。大学運営に携わる者のモラルについては,「大学とは何か」を論じる際に「これまでの大学像を堅持する」という考え方とは趣を異にすると考える。「モラル」と「大学像」については,分けて考えるべきではないか。大学運営に携わる者のモラルは近年低下しているのか。それともこれまでも問題になっていたのか。
意見発表者
昨年11月の大学設置・学校法人審議会長のコメントの中でいう「モラル」とは虚偽申請等を念頭に置いているのではないか。モラルが低下しているかどうかについては,様々議論があるが,教育者・研究者として持っていなければならない価値観や信念といったものが揺らいでいるような気がする。
委員
認証評価制度を導入する際の大きな流れとしては,事前チェックである設置認可よりも事後チェックである認証評価に重点を置くということであった。認証評価については,評価機関が複数存在し,ある機関では大学として認めるが,他の機関では認めないということが起こり得る。そうすると,「大学とは何か」ということを一義的に決めてしまうのは問題があるのではないか。
教員の問題については,いわゆる「フルタイム教員」が専任教員であることは明確であり,そうではない者については,専任教員ではないと取り扱うべきではないか。「フルタイム」とは何かを定義すれば,この問題は解決するのではないか。
「大学とは何か」という問題は,結局は評価機関の多様性の中に求められている問題ではないのか。
意見発表者
「大学とは何か」という問題は,単一のモデルを作り出そうとすることではない。大学とは大学設置基準第12条をはじめとしていくつかの法令に定められているように,多様な存在ではある。よって,大学の可能性を探る中で,最低限の共通認識を持つことが必要だと考える。大学の目的は社会や時代の要請に応じて刻々と変化するものであるが,どの部分は変化に対応し,どの部分は変化してはいけないということも合わせて議論すべきではないか。
専任教員の問題については,フルタイム教員を専任教員と定義する考え方に賛成である。今回の大学設置基準の改正では,専任教員について十分には規定されていない。改正後の大学設置基準第12条の規定は原則論の定義に過ぎない。「専ら」という表現では不十分である。例外規定は確かにあるが,教員1人1人の問題と大学全体の問題ではとらえ方が違う。例外規定が適用される教員が多数とならないよう留意しなければならない。規定の運用に当たっては一定のルールを作る必要があるのではないか。大学設置基準は大学の最低基準を定めたものであり,専任教員数については,別表1では学部の種類に応じた専任教員数が,別表2では大学全体の収容定員に応じた専任教員数が定められている。例えば,別表1で定める専任教員については,例外なく全員をフルタイム教員とするような運用を行っても良いのではないか。
委員
「大学とは何か」について議論するのであれば,大学だけではなく,初等中等教育機関を含めて全体を見通した議論をしなければならない。
現在,昔の大学の概念は崩れつつある。設置基準については,基準を緩和しすぎた面がある。今後,校地・校舎の自己所有要件も緩和される方向にある。学部,大学院を通じた大学教育全体の在り方についても議論すべきではないか。
設置認可は,これまで性善説に基づき行われてきた。しかし,虚偽申請等が行われる実態を見るにつけ,性悪説に立つ必要もあるのではないか。基準の緩和により,学校法人分科会では,認可することに疑問を感じるような案件についても,準則主義化により基準に適合しているため認可せざるを得ない案件も出てきている。
委員
設置認可の仕組みは,質保証のための仕組みとして,日本の文化に合ったものであると考える。今後もこの仕組みを活用することは重要なことと考える。
しかしながら,大学設置基準を時代の要請に見合った形に改正していくことも検討しなければならない。先ほどからモラルの低下について議論があったが,そのことを見通した形での改正が必要ではないか。
意見発表者
設置認可という事前チェックが必要であるということに異論はない。また,設置基準上,明確になっていない規定等については,明確化が必要であると考える。
一方,事後の評価については,日本に評価の文化が根付くまで時間がかかり,当面は試行錯誤の状況が続くと予測される。事前チェックを緩和することばかりを考えるのではなく,事後チェックとの連携について考えるべきである。
委員
問題事例が挙がっているのは,職業教育に関する分野である。この分野は専門学校との境界も曖昧であり,また,専門職大学院制度が創設されたことで,より一層棲み分けが複雑になっている。従来のように,大綱化された設置基準のみで審査をするのは困難になっているのではないか。
大学院については,特にその状況が顕著である。現在,法科大学院以外は分野別の評価の仕組みがない。大学院の評価をどのように行うのかについても検討する必要がある。 学部段階においても,職業教育については,特別な評価の仕組みが必要ではないか。
委員
大学を作りたいと考えるのには,教育と別の要因が存在するのではないか。教育を産業と捉えているのではないか。
委員
今後,当面は質保証の問題を中心に議論していきたい。「大学とは何か」という問題は避けては通れないのではないか。
(3)事務局から,「国境を越えて提供される高等教育の質保証」及び「大学院教育振興施策要綱」について報告があった。
次回は,平成18年5月23日(火曜日)16時30分~18時30分に開催することとなった。
高等教育局高等教育企画課高等教育政策室
-- 登録:平成21年以前 --