6 議事
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事務局より、資料についての説明があった。 |
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関係委員より、飛び入学の実施状況についての事例報告があり、その後に質疑応答が行われた。 |
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(□:事例報告者、○:委員、●:事務局)
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【事例報告】 |
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千葉大学先進科学研究教育センター長 上野信雄委員 |
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千葉大学の取り組んでいる飛び入学について簡単にご紹介する。
当初、私たちも如何にして大学をよくできるか考えてみようということで、計画を始めた。
平成10年に工学部の物理学関係の分野において第1期生の入学に至り、その後、理学部の物理学科との共同運営、それから平成15年には、物理学コースに加えてフロンティア・テクノロジーコースを開始した。その後、人間探求コースで学生を入学させている。来年4月からは、さらに分野の拡大を予定しており、工学部の化学以外の全学科で受け入れを開始する。
重要なことは、着実に学内の先生方、事務職員の方々の意識改革が進行しているということ。これに加えて、高校の先生方及び社会の全般的な気持ちの変化も着実に進行している。
当初、学生たちの持てる力を一層伸長させてあげようというのが第一の考え方であった。今で言うと「個性に応じた教育」ということになる。もう一つ大事なことは、公平・一律的な教育から脱却しないと何もできないということだった。更に、このような取組には必ず時間がかかるという考えを共有した。毎年毎年評価をしないといけないという気持ちはあったが、本件についてはじっくり考えていこうという気持ちを、私たち全員が共有して取組を行うこととした。
当初、高等学校及び教育界から強く反対をされた。私たちの経験から言えることは、飛び入学は、不公平な教育、悪い意味でのエリート教育と見られた。そのため、先生方によっては、1年早いということに非常に不安を持っていた。その不安は、全く未経験な試みへの不安、心配、反対につながった。他方、「高校教育の破壊」ということも言われた。言葉は少し言い過ぎかもしれないが、青田を買うことをやるのだというように、色々な先生方が捉えていた。結果として、学生の個性を伸長させるというところへ意識を変えることが非常に困難であった。
現在、学内的には、飛び入学生は極めて元気で躍動的。1年間早く入学したことによる人間的な成長に関する心配は、今のところ全くない。勉強を自発的、積極的に行っている。一般学生へも精神的な波及がかなり出ていて、「自分たちもやらせてくれ」というような積極性を一般学生が持ってきている。教員、事務職員には、気持ちの変化が起こっており、飛び入学に関することだけではなく、色々な意味で学内の教育支援に関する努力を行うことができつつある。それから、卒業生が、自分の大学へ新たな誇りを持ち始めているというのは、非常に大きな成果の一つ。
学生選抜については、筆記試験を実質的に7時間半行う。この重要な点は、物理学・人文社会科学系の問題、必ずしも正しい答えがあるとは限らない問題、正しい答えが一つとは限らないような問題、この3種類について、着想や課題発見能力などを問う問題を出しているところ。これに加え、現在は、極めて基礎的な数学の問題を必修として課している。これは、大学の講義についてこられるかどうかは、数学の授業についてこられるかどうかというところにあるためである。また、筆記試験は、広い所で悠々と行う。教科書を持ち込んでいただいても構わない。食事、休憩は全く自由。自由な雰囲気の中でやるようにしている。その後、面接を行う。面接は、生徒が書いたことに対して、かなり徹底した議論をすると同時に、様々なコミュニケーションを交わす。およそ1人に45分から1時間かけている。それらの総合判定を行うが、大事なことは、足し算でない判定方法を採っていること。生徒の特長を高く評価する方法を採っている。
入学後のカリキュラムは、基本的には普通の学生と大きな違いはない。決定的な違いは、先進科学セミナーというセミナーに1年次から取り組んでいること。それから、もう一つ大事な点として、国際性を高める教育に努力している。1年生を、8月の半ばからおよそ1カ月、米国での研修に派遣している。すなわち高校3年生の年齢でアメリカ体験をするということになる。これが非常に学生を活性化させ、目を輝かさせている。
一番大事な学生へのケアは、教職員とのコミュニケーションを重視するということ。すなわち、1年生からコミュニケーションを重視したセミナーを開講している。それから、学生と教職員、先輩と後輩が近接して存在する空間を学内に確保した。また、多彩な方々との接触機会を提供している。これらが、さまざまな経験を促して、非常に人間形成に役に立っている。
もう一つ大事なことは、17歳といえども、大学に入った以上、彼らを大人として扱っている。これが、大きな互いの信頼を勝ち取ることにつながっている。
これまで、沖縄から北海道、外国からも受験生が来ている。卒業あるいは修了した者全員が大学院に進んでいる。
私たちも、高大連携にはかなり取り組んできている。一般的な高大連携の取組を、広範囲に行っている。これ以外に、非常に大事な活動であったのが、「千葉大方式」と呼ばせていただくのがよいかと思うが、高校の先生と大学の先生方の間の率直な意見交換ネットワークを構築したこと。当初の目的は、大学の先生方が高校の状況を正しく知るということを目標にし、もう1点、高校の先生方に大学の状況を正しく知っていただくという、この2点を前提にした活動を行ってきた。結果としては、率直な意見をお聞かせいただけるような場を作ることに成功して、取組を先へ進めていくことができた。こういうことが、いわゆる高大連携の催しを計画することにも寄与してきた。
飛び入学実施に伴った課題については、第1に、日本で初めて17歳の入学をさせたために、社会的に特別なケアを大学に要求されたということがあった。もう一つは、大学の内部だけでなくて、高等学校界や社会の意識改革の必要性が当時あった。ポイントとして、若い生徒の力をなかなか信頼しきれないということがあったと思う。それから、教育に関する公平の意味のとらえ方の問題。また、大事なのは、必ず新しいことをやると仕事が増える。この仕事が増えるということに対して、組織がどう手当をするか、もしくは先生方がどれだけ、何かをやろうとする情熱を強く持つかということを、ちゃんとお互いに理解しないといけないということが、内部的に大きな問題であった。更に、正確な情報を関係者に如何にして流すかというのも大きな問題であった。
意外と忘れがちだが、飛び入学については、まだある程度、教育行政の問題として捉える必要があると考えている。行政上の努力と教育現場の努力を、お互いの理解をもとに、更に行わないといけない。
今後の課題は、まず、受け入れ分野の拡大。それから新たな受け入れの方法の検討とその導入を考えないといけない。次に、広報の問題。学内外への正確な情報発信の在り方を検討している。また、大事な問題は後継者問題がある。高校の先生方と連携を取ろうとすると、年齢ギャップが生じていて、若い高校の先生が、今ほとんどいない。これが、後継者を育てるために大きな問題と考えている。大学の先生の場合には比較的余裕があるので、今は我々の大学では後継者を育てつつあるところ。
千葉大学の取組は、ゼロからイチへの立ち上げを伴うものであった。ところが、今はそれはクリアされているので、第2段階の今日行う方法と、私たちが採った方法とは同じ方法である必要はないということが非常に大事なポイント。
最後に、トップに明確な意思と目標がないと、部下も機能しないと考えている。
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名城大学教授 四方義啓委員 |
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名城大学での4年間の飛び入学の取組の報告をさせていただく。
私は、千葉大学が飛び入学を計画した頃には、文部省(当時)の検討会の委員であった。その際、委員から色々な危惧が出た。教育現場に混乱を招かないかとか、全人格教育を阻害するのではないか、あるいは飛び入学をそもそも始めることに意義があるのか、といった具合。そのときの千葉大学の意見は、とにかく実験や実践が大事だ、しっかり配慮をするから人格の発達は十分可能だ、更に今をどういう時代とお考えか、といったものであった。
当時は、バブルが崩壊し、金融破綻が起き、それから、韓国、中国、インドが日本を追い上げてきた頃。それ以降、我が国の状況を見てみると、我が国は科学技術立国と叫ばれていたが、本当はその頭脳をどう育てるかということを、実はきちんと議論をしていなかった。それから、情報受信から情報発信へ変わらなければいけないというスローガンは叫ばれていたが、高等教育はそれに期するものを与えていなかった。
そして今度は、今から4年前に、私が飛び入学を実施する側に回った。、回ってみると、千葉大側の懸念に加えて、私どもとして、高等教育の気になる問題点があった。まず第一に目につくことは、教育において、護送船団方式を採ってきたなということ。勉学の一番の目的は、入試にパスしていい会社に行けば、それでいいのだと考えられていた。それから、何者にも年齢平等が優先されている。もっとよく勉強したい者も、常に頭打ちになってしまう。和を保つというのは良いのだが、多少学習意欲がある高校生が言うには、「表面上は和を保っているのだが、何か一旦その表面の和が溶けてしまうと、ばらばらになってしまうというのが我々の和である」とのことであった。私は、「ある一定のレベルの労働者を大量に、一度に供給しなければいけない時代もあった、その時代には、護送船団方式が非常によく機能したのだ。」と彼らに説いたのだが、結局彼らは納得しない。このような経緯を経て、飛び入学導入に踏み切った。
我が国教育の問題点は幾つかある。問題の一つは入り口。入り口に対して、護送船団方式を続けていいのか。これはまさに高大接続問題、それから早期教育、能力教育かもしれない。これは、この協議会のテーマでもある。それから、大学の中はこのままでいいのだろうか。大学は、普通、入学した者は、ほぼ全員卒業ということで、大学入学イコール大学卒業になっている。おまけに社会も大学教育にそれほど期待していない。
かといって、こうなってしまったのは、大学で与えるべきものは一体何かということを、我々が持っていないことに理由がある可能性がある。持っていなくて、今、細分化されたスキル、数学に関して言うと、公式とか定理とか証明とか、そういうことばかり教える。むしろ、なぜそういう行為や定義があったのかということを考えることが大事ではないかと思う。学問というのは現実そのものであってもいけないし、単なる理論であってもいけない。
これらを踏まえて、名城大学に第1期の飛び入学生を迎えた。
導入における経過として、大学それから高校、学識経験者、社会人などを交えて協議会を設置した。そこでの議論も踏まえ、導入に踏み切った。踏み切るようになった最大の私どもの眼目は、やはり大学改革、これをどこかでやらなければいけないだろうということ。そのために、大学の中では、本物の勉強ができるようにした。
入試については、プレゼンテーション入試としている。夏に大学側がセミナーを行い、そこで、大学の担当者が講義を行い、それを高校生が聞き、ある意味お見合いをする。それと同時に、入学したいのであればプレゼンテーションをやらなければいけないので、プレゼンテーションのテーマをこの場で探すこととなる。プレゼンテーションは、パソコンソフトを使ってやるので、必ず上級生と共同作業しなければならない。そうすると、やはり全人格性がないとプレゼンテーションができない。この方式により全人格性が確認できる。
カリキュラムについては、特別な単位を、24単位分作っている。そこでのカリキュラムは無学年制で、数学、物理、生物、化学等の細かいジャンル分けはしない。
飛び入学の取組で、受動ではなく能動の方向の学問に変えていきたいと考えている。これまでの大学での講義は、どちらかというと先生の言うことをそのままノートして、もう後に使わないというものであったが、やはり自ら使うようにしなければならない。
また、形式的な評価ではなく、実質的な評価への転換を目指している。試験をして何点というのではなく、学生を見て、ここがまずいんだというような言い方をしたい。
これまでの日本の教育の一つの問題点は、日本の教育は、ペーパーテストで測れるもの、記憶学であったということ。しかし、何か問題にぶつかったときにどう行動するかという、ダイナミックなスキルは、アメリカやヨーロッパと比べ我々は確かに遅れている。ここが教育の目的の違うところかと思う。我々は、ダイナミックなスキルを大事にしなければならないというのが一つの答え。
名城大学の飛び入学は、新しい学問の流れを求める者(中学生、高校生、ナイジェリア等のアフリカ諸国、バルカン諸国等)から非常に高い評価を受けている。一方、そうでない、保守層というのもおり、何故そういう苦労をしなければならないのか、中止した方がよいのではないか、という評価をいただくこともある。それから、このタイプの教育は、リーダーの人格に帰属し、文書化・形式化が非常に困難であり、そのため後継難に陥っている。しかし、まだ日本にも能力の高い者がいるので、その力を結集することが大切ではないかと思っている。
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【質疑応答】 |
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飛び入学を、世間は様子見している。大学・高校側はもちろん、生徒も保護者も同じ。もうしばらく時間がかかるかもしれないが、異才の者をどんどん出すということについては、誰も異議がないわけで、後戻りすることはいけない。したがって、飛び入学の取組に対して上手に背中を押してあげることが大切だろうと思う。また、意識の変革がもう少し進めばと思う。
この子は色々な才能があるというふうに、誰もが判断できるような仕組みがあれば、かなりスピードアップできるのではないか。そこから高大連携の必要性も出てくる。大学側で講義や実験をやった中でその生徒を見る。本人にも希望があり、大学の先生方もこの生徒は良いですよというのがあれば、高校も保護者も本人も自信を持てる。
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制度が定着するためには、評価の問題が課題となると思う。どのような問題意識を持って、どのように評価結果を発表していくことを考えているのか。
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上野委員 |
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評価の問題は、私たちは実は当初から問い続けている。私たちの気持ちでは、人間の評価をするには、おおらかな気持ちで見てあげたいと思っている。しかし、具体的にどうだということを外部から聞かれる場合には必ず報告しており、例えば、1年早く入学して成績はどうかということは必ず聞かれる。成績には2通りあり、例えば、一般的な県立高校等から来た生徒は、1年間学習が遅れており、高校2年生までで全部学習が終わってしまっているような生徒と比べて、判断の仕方を変えないといけない。前者の場合は、後で伸びてくる。
それから、私たちは、例えば物理学関連の分野に関して飛び入学を始めたが、別の分野へ転向しても構わないという方針を取っている。転向して生き生きとやり出したら、それに対しては高い評価をしている。例えば、大学院には、全員合格しますとお話すると、意外と多くの人が満足してくださるのだが、大学院に合格することが、その人のいい評価ではない。私たちは、自分たちが教えている学生が、極めて活動的に育っているということに高い評価をしている。
前回、例えば典型的な意見として、「飛び入学の学生が、普通の高校生が経験している文化祭の様子を見て寂しそうな顔をしていた」というものがあった。そのとおりだと思うが、彼らはそれとは違った、別種の経験をしている。だから、プラスに考えてあげることが、人を育てる上で一番大事なことではないかと思っている。
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四方委員 |
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名城大学の飛び入学生が大学院に進学したときに、その行き先を見ておもしろいなと思った。数学を学んだら数学だけしかやれないのでは、飛び入学の意義は下がってしまうと思うが、飛び入学生は、数学を非常に総合化させており、数学を独立させず、言語との共生を探るというようなこともやっており、それぞれの夢を持って大学院へ進学している。15、16、17歳といった辺りに、人間の一生を決める、非常に重要なアクティビティーが隠されているような感じがする。そういうときをうまくつかまえて、本当に動いていくところに触れさせる。それが、彼らの一生を決めていくのではないか。
飛び入学の取組が社会的に成功するかどうか、もう少し長い目で見てやってほしいと、私からも切にお願いする。
また、大学間で考え方をまとめ、入口を整備することが非常に大事だと思う。これこそがこの協議会の最大目的と考える。
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現在、飛び入学を実施している大学や、これから実施したいと検討している大学は、研究者になるため大学に入学したい者を早く採ることにより、そういう才能を持っている学生を育てていくことが一番大きなねらいと考える。もちろん、そういう志向を持つ高校生もいると思うので、高校2年終了後、大学へ入れる機会を作るということはあっていいと思うが、高校生などを一般に見ていると、もう少し色々なタイプがあり、3年間勉強している中で文系・理系を決めきれていない生徒や、高校生活の3年間を勉強だけでなく行事や部活動に熱中したいという生徒もいる。色々なタイプに合った間口を大学で用意いただきたい。
高校生活の3年間を行事や部活動に熱中したいという生徒に対しては、私自身はもう少し専門的な勉強を高校で行わせたいと思っている。正課の授業の中で、受験につながるような勉強が主になってしまって、本来は能力があって意欲もあるはずなのだが、部活等で時間が無くて、勉強をし始めたときには、受験のための勉強しか手が回らないという生徒に対し、大学に進んでからの向学心、夢、目的につながるような、課題研究的なもの、例えば総合学習等を行わせることはできないかと思っている。
そういう色々なタイプの高校生がいるので、今は早期入学のことが中心の話になっているが、高大の接続の改善ということで、色々なタイプの子どもに対し、それぞれの趣向に合わせて、大学の協力も得ながら高校で取り組んでいる事項にも、ぜひ対応していただければと思う。
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高校での勉強では広がりを持てないため、早く大学へ行きたいという人たちが飛び入学で集まっているということであれば、高校で十分色々なことをやりたい人よりも、大学へ早く行きたいという人たちだけを、どんどん飛び入学させていくような気がしてならない。そうすると、自ずとそういった子どもたちの割合というものは決まっているので、飛び入学全体のパーセンテージはあまり広まらないのではないかと思う。
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今回、飛び入学した学生が元気で躍動的であり、1年早い入学は心配がないというのを伺って安心した。
千葉大学では1年生のときに米国研修を行っているとのことだが、4年間を通して、国際活動をどのように経験しているのか、伺いたい。
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上野委員 |
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1年時は、米国での研修を行っている。高学年時は、大学から資金を出す訳ではないが、飛び入学生は自らの希望で外国に行っている。また、外国から人を呼んでいる。そういう意味で、各学年において、日常的に、国際的な経験を行えるようになりつつある。
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四方委員 |
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飛び入学生に対して、高校が面白くなかったのか聞いてみると、面白くなかったと答えてしまうと思うが、実は、彼らの言葉を補うと、高校でも決して面白くないのではないが、高校にないものが大学にある場合があるということだと思う。
英語に関しては、場数を踏んでないのが一番問題となる。私どもの大学では、学生に対して例えば英語で数学の講義をさせたり、ナイジェリア大使と話させたり、英語で伝える場面が出てくるので、これはかなりの刺激になっているような気がする。
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過去、旧制高等学校への飛び入学が認められていた。その頃は、飛び入学という意識はなくて、秀でているのであれば、さっさと旧制高等学校へ行ってしまう、中学は終わりであると、普通に思っていた。そのころ旧制高等学校というのは、ジェネラルアーツみたいなもので、飛び入学をしても特段の問題がなかったのかもしれない。また逆に言うと、今のように大学が細分化されていると、飛び入学は昔と随分違ったことになるのかもしれない。したがって、学部・学科システムで、専門を分けている大学に飛び入学するとどうなるか、あるいはジェネラルアーツをきちんと教えているような大学に飛び入学する場合はどうなのか等、色々なケースを検討しなければいけない。
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7 次回の日程 |
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次回は、日程調整の上、決定することとなった。 |