2月某日。科学技術週間のポスターに採用された「リヒテンベルク図形」についてのお話を伺うため、東京都文京区本郷にある東京大学工学系研究科の熊田亜紀子教授のお部屋にお邪魔しました。(写真提供:熊田先生)
― 本日はお忙しい中ありがとうございます。いきなり本題ですいません。「リヒテンベルク図形」って何ですか?
熊田 すごく簡単に言ってしまうと「放電の跡を可視化したもの」をリヒテンベルク図形と呼ぶことにしているんですよ。
― すごく単純なんですね。もう少し詳しく教えてください。
熊田 電気を通さないもの、絶縁体に高い電圧をかけると、なんとかして電気が通ろうとします。その結果、絶縁体の表面に電気が通ることがあります。これを沿面(えんめん)放電と呼びます。その電気が通った跡には電荷(静電気)が残っているのですが、静電気は普通は見えませんよね。でも、例えばコピーのトナーをふりかけるとその粉が電荷に引き寄せられます。下敷きをこすると髪の毛やほこりが引き寄せられるのと同じ原理ですね。そうやって、普通は見ることができない電気が通った跡を見えるようにした結果見えたもの、それがリヒテンベルク図形なんです。
放電後に液体窒素に浸して霜を発生させて可視化する、なんてこともあるんですよ。
― 沿面放電、ですか。この写真の場合は電荷ではなく木の焦げ跡として残っている、ということですね。
熊田 そうですね。この写真の木材はどうやって電圧をかけているんでしょうね。一気にここまでできるわけではないので…どのくらいの時間をかけているのかしら。交流(電源)を使えば何度も+(プラス)、-(マイナス)が変わる時に電気が通ろうとするので放っておけば1秒間に100回以上跡ができていくことになりますね。(編集部注:詳しくは「(2)リヒテンベルク図形ができるまで」を御覧下さい)
― ところで、この「リヒテンベルク」というのは人の名前でしょうか。
熊田 はい、1742年にドイツの牧師の17番目の子として生まれました。大学で数学、物理学を教えていて、今回の「リヒテンベルク図形」のように実験物理学の分野に優れた業績を残しています。著述家、啓蒙主義者としても知られているんですよ。もしかしたらこの記事を読まれる方の中には啓蒙主義者として知っている方も多いかもしれないですね。
― 沿面放電やリヒテンベルク図形については分かったのですが、素人目には「へー、きれいだな」で終わってしまうのですが、きれいだな、の先にあるものは何ですか。この現象がどのようなことに使われているか、この現象で何が分かるかなどあれば教えてください。
熊田 沿面放電は電気を通さないものに電気が通る現象です。このことは2つの意味を持つんですね。
― 2つの意味、ですか。
熊田 電気を通さない、ということと、電気を通す、ということです。「電気を通さないようにしたい」とする側からすれば、電気が通ることは不都合なわけですから、放電の跡を見ることは弱点を見ることになります。その弱点を分析してより「電気を通さない」ことを目指すことになります。一方で、「電気を通したい」側からすれば、電気を通さないはずのものに電気が通ることは利用価値が上がる良いことですから、どのように放電が起こったか見ることで、より放電を活用することを目指せるわけです。
― 1つの現象でも視点が変わることでいろんな解釈ができるんですね。この実験はどのような分野に応用されていますか。
熊田 今世界中にはたくさんの電子部品がありますよね。例えば携帯電話やテレビ、パソコンなどは電子部品の塊ですし、その中は高い電圧がかかっています。これらの電子部品の中にはその機能を活かすために「電気が通って欲しい部分」と「電気が通ってはいけない部分」があります。電気が通ってはいけない部分には沿面放電は起こってはいけないわけですから、部品に使う材料の「電気の通しやすさ」の性質を知らないといけないわけです。今の携帯電話などの電子部品はとても小さく複雑ですから、この実験はこのような電子部品に使われる材料開発の分野では重要なものです。また、沿面放電により化学的な活性種を発生させることで医療へも応用されていますね。
― 先生は、この沿面放電に関連した研究も行っていらっしゃしますが、どのような研究をされているんですか。
熊田 沿面放電がどのように発生しているのかについては実はまだよく分かっていないことが多いのです。なので、沿面放電の測定と解析を行うことが重要です。測定と解析を行うとともに、より精密に測定するためのセンサの開発や、より精緻なシミュレーションを行う手法を開発しています。
― 2百数十年を経てもまだ分からないこと、新しい発見があるんですね。先生の研究室では他にどのような研究を行っていますか。また、先生の今の一番の研究テーマはどのようなものですか。
熊田 高電圧工学、放電プラズマ工学を対象としていますが、高電圧工学というのは、効率よく電気を送るために、放電しないよう高電圧を保つにはどうすればいいか、という「電力輸送」と密接に関係しています。光の屈折率が電界により変化する現象や、分子や電子の密度変化により屈折率が変化する現象を利用したセンサの開発に取り組み、高電圧の分野に応用しています。例えば、これ(下の図)は、シャックハルトマンセンサという、トンボの複眼のように細さいレンズをたくさん配置してレーザ光の波面を測る装置を使った測定系ですが、これを利用して、アーク放電の中の電子密度を測定することで、電力系統のスイッチの中で生じるアーク放電をいかにしてうまく消すにはどうすればいいか議論したりしています。
熊田 また、近年再生可能エネルギー源の大量導入、直流送電の復権など、いままでとは違った送電システムへのパラダイムシフトが起きています。それに伴い電力伝送技術、電力機器分野においても新しい課題が発生しています。放電が生じないよう、材料の誘電率を考慮して設計していたものが、今度は抵抗率を考慮して設計する必要があります。そこで、量子化学計算や機械学習を利用した絶縁材料探索、絶縁材料特性解明にも、とりくみ始めています。
― 今回は「科学の美」というテーマで写真を募集しましたが、先生が目にする「科学の美」はどのようなものがあるのでしょうか。
熊田 放電現象は、色といい形状といい、多彩でとてもきれいです。あとは、個人的には、高電圧発生装置のように(下の写真)、高電圧の機器は放電が起きないように丸みを帯びさせたり独特のフォルムで面白いですよ。
(一番左の白い柱のようなものが、コンデンサ、真ん中のはしご型回路がインパルスジェネレータ、右側、茶色のブッシングがたっている装置が、500kVの試験用変圧器)
― 今日はお忙しいところ、ありがとうございました。