有識者インタビュー

GIGAスクール構想×個別最適な学び
(上智大学 教授 奈須正裕 氏)



 「令和答申(※1)」では、『これからの学校教育においては、子供が ICT も活用しながら自ら学習を調整しながら学んでいくことができるよう、「個に応じた指導」を充実することが必要である。』と示されています。
(※1)「令和の日本型学校教育」の構築を目指して~全ての子供たちの可能性を引き出す,個別最適な学びと,協働的な学びの実現~(答申)【本文】 (mext.go.jp)
 今回はGIGAスクール構想の環境下における「個別最適な学び」について、上智大学 奈須正裕教授に伺いました。(令和5年5月30日掲載)

 
○ 「個別最適な学び」と一斉指導
○ 「当たり前」を問い直す
○ ヒントは幼児教育にある
○ 教師と子供の情報格差をなくす


 

「個別最適な学び」と一斉指導

― 「個別最適な学び」について改めて教えてください。
 そもそも、「個別最適な学び」という言葉自体は新しいですが、「個に応じた指導」という言葉は、平成元年の学習指導要領の総則から入っています。ですから、考え方として新しいわけではなく、これまでも大切にされてきて、その上でどうもうまくやれていなかったことなのです。もっと遡ると、そういう考え方につながる草の根の実践というのは、日本では100年ぐらい前からあります。
(参考)平成元年改訂学習指導要領では「個性を生かす教育の充実に努めなければならない」(小学校学習指導要領(平成元年3月) 第1章 総則 第1の1※)、「個に応じた指導など指導方法の工夫改善に努めること」(小学校学習指導要領(平成元年3月) 第1章 総則第4の2(4)※)との記述が盛り込まれた。※平成元年改訂中・高等学校学習指導要領にも同旨記載。

 学級単位の一斉指導は、明治時代からあります。令和4年で学制150周年となりましたが、その前にはなかったという認識がまず大事ですね。江戸時代には一斉指導はありませんでした。一斉指導は、ある意味当時の最新テクノロジーだったわけです。江戸時代の寺子屋では、一人一人に応じた教材が渡されて、一人で勉強して、時々教師が子供を呼んで学習内容を見るという、要するに個別指導をしていました。明治維新以後、当時の時代背景に合わせた近代学校制度によって、一斉指導が始まりました。教育の内容、方法も全国一律としました。教科書もない当時は、教師が掛図を指して、子供たちに正解を教え、それを一人ずつ復唱し、全員で一斉に声を揃えて読む、というような教授法がなされていました。「正解主義と同調圧力からの脱却」と「令和答申」にありますが、一斉指導が始まった当初はまさにこのような状況がありましたし、我が国の経済発展を支えるために、「みんなと同じことができる」「言われたことを言われたとおりにできる」上質で均質な労働者の育成が高度経済成長期までの社会の要請として学校教育に求められてきたという指摘も一説にはあるわけです。
 新しい時代を迎え、これからどうするかを考える時に、これまでどういう取組がされてきたのかを振り返ることが大切です。そして、なぜその取組をやっているかを問い直すべきなのです。なぜなら、「個別最適な学び」は、形ではなく、そもそも理念が重要だからです。
 つまり、一斉指導とは何かを問い直さないと、「個別最適な学び」とは何かということは見えてきません。
 
 

「当たり前」を問い直す

― 問い直す観点にはどういったものがあるか教えてください。
 例えば、授業の始めと終わりの挨拶は、なぜするのでしょうか。なぜチャイムを鳴らすのでしょうか。学習に誠実にとりくむ「学習モラル」は、いよいよ大切だと思いますが、他律的で管理統制的な「学習規律」は、本当に必要なのでしょうか。「起立、礼、着席」という挨拶なども、歴史をたどれば軍隊式の訓練から来ている部分もあります。それが、今の学校でも必要なのか、望ましいのか、改めて考えるべき時が来ているように思います。
 「個別最適な学び」は、個別化すると同時に自立化するということです。だから、「個別最適な学び」というのは、一斉指導の上に付け加えるとか、ちょっと置き換えるのではなくて、一斉指導でやってきたことを原理的に問い直して、「子供のためには何がいいか」を徹底的に考えるべきなのです。
 一人一人が自分に合ったやり方を選び、自分に必要な学びを自分でつくれる、つまり「個別最適な学び」を「自己調整」して進める力を育成するためには、多様な子供のニーズに合わせた多様な選択肢を用意し、それぞれのペースで個性的に取り組めるように工夫する必要があります。
 ただ、昔と大きく違うのは、今の教室はGIGAスクール構想の環境下にあるということです。
 例えば、小学校4年生(以前の学習指導要領では5年生)の社会科で伝統工芸を学ぶ単元があります。教科書に掲載されている京友禅や、鎌倉彫について学習した後、最終的には「地元の物を調べよう」という実践をよく拝見しましたが、一人一人の興味が異なることを踏まえると、子供にとって関心の高い物、例えばお家の人の出身地にまつわる物や、自分が興味のある塗り物を選んでも構わないですよね。
 そういった、子供が課題を設定、あるいは選択し、興味・関心をもとに追究する、という学習は、これまでも多くの教室で大切にされてきており、私たちも昔からそのような実践をやってきたわけですが、事前準備等が本当に大変でした。
(参考)【社会編】小学校学習指導要領(平成29年告示)解説P.48 (mext.go.jp)
 
 20年以上前の実践になりますが、まず、子供がどの地域のどのような伝統工芸品に興味をもつか分からないわけですから、当時は全国47都道府県の主要な伝統工芸の資料を、全部紙で用意しました。段ボールで5箱ぐらいありましたね。そして、それらを、オープンスペースや、会議室、廊下に並べて、子供が自由に見て、自己決定し、調べたことをレポートにまとめるという実践でした。
 子供たちを想っての実践でしたが、大量の資料をアナログで集めるのは、とても大変でした。さらに、集めた資料が子供たちのやりたいことと合致していたかというと、微妙にずれていることがありました。しかも、段ボールの資料は、次年度に引き継ぎたくてもすぐにボロボロになってしまって困りました。
 そういう意味で、GIGAスクール構想の環境下では、一人一人に合った教材や学習環境の準備が、圧倒的に手軽になりました。クラウドにデータを保存しておくと、いつでも子供がアクセスできますし、今や、多くの自治体のホームページに、地域の伝統工芸品の情報が載っていて、動画や問合せ先が掲載されている場合もあります。授業中に問合せ先へメールをしたら、翌日返信がきて、レポートに反映させた、という実践もあります。直接人と会って学ぶことも大切ですが、遠隔地とオンラインでつながれるということは、ICTの大きな利点です。
 先日、ある学校の子供がブラックホールについて調べている授業を拝見しました。端末で検索して、何やら難しそうな文章を読んでいる子供がいたので、「読めるの?」と聞いたら、「大体わかるけど、分からないところがあるから、これを書いた人に聞いてみる。」と言って、論文にあった大学の先生のメールアドレスに連絡していました。ICTはこうした素敵な挑戦が可能になります。これまでも、一人一人の個性を大切にしようとアナログでやってきましたが、大変だからなかなか続かない、というジレンマがありました。でも、今ではそれがすごく楽になりました。URLや二次元コードを使うだけですぐに共有できます。これは、経費と業務量の両面から大きなコスト削減になります。
 GIGAスクール構想の環境下では、クラウドが利用できることが、やはりこれまでと圧倒的に違います。しかし、考え方は決して新しくはありません。一人一人の子供が自分に必要なものを自分で選んで学び、必要に応じて教師が支援をするという発想自体は、オーソドックスなものです。ただ、これを実現しようと思うと、アナログだと大変だったわけです。
 しかも、アナログでやる限りは、教師が準備した物の中で子供たちは学習するわけで、結局、その中に必ずある宝を探す、宝探しみたいになってしまう側面もあります。
 クラウドやインターネットを使うと、最初に共有した情報をベースにしながら、子供がどんどん学びを広げていけます。逆に、今、私が悩んでいるのは、「ガードレール」をどうするかということです。「ガードレール」というのは、例えば、最初に「まずこの動画を見てごらん。」「まず、この資料を読んでごらん。」というベースとなるおすすめの学習材や利用可能な学習環境のことです。
(参考)「クラウド活用によって起こる授業の変化」GIGAスクール構想×クラウド活用(東京学芸大学 教授 高橋純 氏):文部科学省 (mext.go.jp)

   

ヒントは幼児教育にある

― 「ガードレール」は単元の中でどのような役割なのか教えてください。
 「ガートレール」というのは、単元を通した学習内容とつながるものです。自由にやりなさいと言っただけでは、関係のないところに行ってしまうかもしれません。
 ですから、私が期待したいのは、授業を単元で構想することです。今回の学習指導要領総則の改訂のポイントの一つは、「単元」という言葉の復活だと、私は思っています。
 単元とは、教育内容と教育方法を結びつけるものです。つまり、この内容をどのように単元化するかというように、単元は内容の方法化なのです。だから、1時間単位で授業構想するのではなく、8時間や10時間などという大きな枠組みの中で、単元で授業を構想することが大事です。
 また、単元とは元々子供にとって意味のあるまとまりのことです。つまり、子供にとって意味のある学習プロセスのまとまりなので、そこにストーリーがあると思います。最初にこういうことをやって、次にこうなってと、すべての時間が全部有機的に結びつきながら進んでいきます。そのまとまりを、教師が意識して指導することが大切です。
 「個別最適な学び」では、教師が行う授業の一部が個別になるとか、形式の話ではなく、子供が自己調整できているかどうかが重要です。単元の中で自ら計画を立て、学んで、その進捗をメタ認知しながら進められるようにします。そのためには、単元を通して子供に委ねていかないといけません。いきなり全ての単元でやるのは難しいかもしれませんが、少しずつ取組んでいく必要があります。「令和答申」で一番大切だと私が思っているのは、「自立した学習者の育成」です。つまり、8時間や10時間の単元の学習内容を、自分で計画を立てて、自分で進められる力を育成する必要があります。教師が教室の前に立って指示してくれないと学習できないようでは、将来自分から学習するようにはならないのではないか、と思うのです。
 自分で計画を立て、自分のペースで進めていくような授業など、イメージがわかないという人が多いのですが、図画工作科や美術科の授業の多くは、すでにそうなっているはずです。
 そして、幼児教育に「個別最適な学び」の大きなヒントがあります。例えば幼稚園では、子供が利用可能なものが全部あらかじめ環境の中に意図的に準備されています。子供は必要な時に、必要な物を取りに行き、遊びの中で学習していきます。これはまさに「クラウド」の考え方そのものです。
 幼稚園では、様々な遊びの道具や材料が、環境内に教育的な意図を伴って整備されています。クラウドベースで構築された学習環境では、教科学習に用いることができる情報や教材がデジタル化され、クラウド上に置かれています。原理は同じで、教師があらかじめ、子供が利用可能なものを全部出しておくわけです。それを子供が必要になったタイミングで、その時必要な物を取りにいくのです。そのため、一人一人のペースや行動が異なる非同期型コミュニケーション(※2)の状況が生まれます。
 つまり、子供の自立に向けて大事なのは、できるだけ多くの情報や教材がいつでも使える形で、単元の冒頭に全て開示されることです。
(※2)非同期型コミュニケーション…個々人が都合の良いタイミングで情報を共有するコミュニケーションスタイル。対して、同期型は、同時に情報を共有すること。
 
 

教師と子供の情報格差をなくす

― これまでの授業を変えていくためには何から見直せばよいか教えてください。
 最初の一歩はすごく大事です。どの方向に向かうかで、100歩先の方向は大きく変わりますから。
 一歩目としてお願いしたいのは、教師と子供の間に情報格差がない状態を作ってから、単元をスタートすることではないでしょうか。毎時間、教師が導入をし、「めあて」を黒板に書いて初めて、子供がこの時間何をするかわかるような授業では、主体性も学習の自己調整も、育つはずがありません。単元の開始時に、学習の「めあて」や流れ、評価に関する情報を開示したり、共有したりしていくと、子供は長期的な見通しがもて、それをもとに自ら動いたり、また動き方が変わったりして、「もっと子供に任せられるのではないか」と、だんだん教師の意識も変わってくると思います。そして、子供の姿が変わると成果を実感できると思います。要するに情報格差があるから、教師が主導権を握れる、握ってしまう、ということがあるのかもしれないですね。子供に単元指導案を渡すくらいの情報開示をして、子供に任せて委ねることを大切にしようというのは、ICT活用の有無に関わらず、単元で授業をデザインする上で重要です。
(参考)「子供たちの学びの変容」GIGAスクール構想×学校マネジメント(春日井市立高森台中学校 校長 水谷年孝 氏 札幌市立稲穂小学校 校長 菅野光明 氏):文部科学省 (mext.go.jp)
 
 完全に子供に任せる授業をし、子供が自立的に学ぶようになると、ある意味では、教師が手持ち無沙汰になります。しかし、罪悪感を抱く必要はありませんし、教師としてすべきことはちゃんとあります。これも幼児教育がヒントになりますが、もっと子供を丁寧に見ることです。すると、意外な子供が成長する姿を見つけたり、支援するタイミングを見逃さないようにしたりできます。
 また、事前にクラウドで文字言語の形で学習に関わる様々な情報を共有しておくと、音声言語だと消えてしまう情報を確実に子供たちに届けることも容易になります。
 誤解してはいけないのは、いわゆる「デジタル一斉指導」はしないということです。一斉指導ベースで1人1台端末を使おうとすると、必要な場面が感じられないでしょう。伝統的な一斉指導は、いわゆる同期型のコミュニケーションを基盤にしています。いわば、35人の子供を相手に電話をかけているようなもので、コミュニケーションとしてかなり無理のある状態だったのです。これは、クラウドの非同期型とは正反対の状態です。
 (図)はブランソンが1990年に出した有名なモデルです。口頭継承パラダイム(過去のモデル)・現在のパラダイム・情報技術パラダイム(未来のモデル)の3つがありますが、「口頭継承パラダイム」は、教師側から子供に一方的にしか情報が行かないと示されています。

Rranson1990

 「現在のパラダイム」は現在、多くの学校で見られる姿であり、「情報技術パラダイム」は、教師と子供、子供と子供の間にすごく豊かな相互作用があると考えられます。
 協働には、教師が「これから5分間で、この内容を5人グループでやってみよう」と指示して取り組ませるものもありますが、もう一つ、自立的に個別的に学んでいる子供たちが声をかけ合って、教師を介さず横に協働するものもあります。これは、先に述べた幼児教育での環境による教育や、クラウドによる非同期型の情報共有がなされている場合に、よりよく成立します。つまり、クラウドで何が変わったかというと、同期型から非同期型にコミュニケーションのシステムが変わったのです。これが「情報技術パラダイム」の姿の一部ではないでしょうか。
 同期型を非同期型に変えようと思うと、やはり学びを子供のペースに委ねることが必要です。子供にとっては、自ら学ぶということです。自ら学ぶということは、自分で歩むと言えるかもしれません。最終的には、やはり、教科の学習で飛び上がって喜ぶ子供を育てたいと私は願っています。「何だかよく分からない。」と困っていた子供が、不安になりながらも必要な情報を使い自ら学びを進め、時に友達と協働しながら、何とかやり切って喜ぶ姿を見たいですね。
 従来の授業では、そういう困っている姿を見つけると、教師がすぐに教えていました。それでわかる、できるようになるかもしれませんが、いつも、いつもそうしていたのでは、子供は自分の力で学び進められるようになっていきません。いつまでも、教師が横についていられるわけではないのです。私たち教師がいなくても大丈夫なようにするために、今日、教師は何をすべきなのか。しっかり教えてわかる、できるようにしてきた従来のやり方に加えて、この点を考えに入れた教育を推進できればと思いますし、そこにこそ、ICTやクラウドの強みがあると思います。