【対談】特別対談「スポーツ庁長官 室伏広治のアスリート近影」 木村敬一選手(パラ競泳)編《後編》

【対談】特別対談「スポーツ庁長官 室伏広治のアスリート近影」 木村敬一選手(パラ競泳)編《後編》

 この動画は、令和2年12月に撮影したものです。
(※「YouTube」スポーツ庁動画チャンネルへリンク)

 

 

もくじ
競技を通して何かを発信する力を、自分たちアスリートは持っている。
木村選手の考える、障害者スポーツのこれから
海外の選手は、東京という街にすごく期待してくれている
番外編! 動画に入りきらなかったこぼれ話 ~4度目のパラリンピック、そこに至るまでの取り組み~


新型コロナウイルス感染症の影響により、2020年はこれまでとは環境が大きく変わった1年になりました。その中において、トップアスリートたちは延期となった東京2020大会に向けた努力を重ねてきました。

東京2020大会での活躍が期待されるトップアスリートの言葉を通じて、競技やアスリート自身の魅力を再発見するとともに、スポーツがもたらす前向きな力を発信していくため、室伏スポーツ庁長官との対談動画をシリーズで公開します。

今回は、木村敬一選手(パラ競泳)です(プロフィールはこちら)。
 

競技を通して何かを発信する力を、自分たちアスリートは持っている。


櫻木
    コロナ禍の中で、改めてスポーツにはどういう力があるというのを感じられましたか。

木村
    徐々に無観客でも野球とかが始まったりしたときに、やっぱり選手たちが思い切りプレーしている姿というのは、何か元気をもらうものがあるなという風に思ったんです。それを、僕ら選手は体現できる権利を持っているわけであって、だからこそ、そこから何か発信する力を自分たちは持っているのかもしれないなっていう、自分が何かできることってあるんだな、ということを感じました。

【対談】特別対談「スポーツ庁長官 室伏広治のアスリート近影」 木村敬一選手(パラ競泳)編《後編》1

室伏
    今おっしゃったように、自分が競技することで皆を元気にさせることができるんじゃないかと思った、そういう自覚をされたことは素晴らしいですね。私も、現役の最後のほうに、もう完全な下り坂だったんですけども、東日本大震災の被災地に、震災の3ヶ月後に行ったときには、友達を亡くしてしまったり、家を流されてしまったりという子たちがいたのですが、一緒にスポーツや運動をすることで、最後笑顔になって、前向きになって。彼らが中学生だったのが、もう立派な大人になって、地元を牽引しているわけですから、そういう姿を見ると、やっぱりスポーツって力あるなと思います。アスリートが積極的に困ったところに行って元気づけてあげたりということでも、若い人たちは随分影響を受けると思います。木村選手は多くの方を元気づけていただける方だと思いますから、御自身の競技に加えて、時間があるときにでも是非頑張って欲しいですね。

木村
    ありがとうございます。
    言い方が適切か分からないのですけど、長官のパーソナリティの大きさというか、器の大きさみたいなものが、どうやって培われていったのかなというのをずっと思っていまして。僕は、福島に一緒に行かせていただいたことをきっかけに、多分、室伏広治という男が一番世の中で尊敬している男だと思うんです。まず、帰りのサービスエリアで、肉まんを30個注文されていて、僕、本当に自分が馬鹿だったと思ったんですけど、この人やっぱりいっぱい食べるんだって思って(笑)。バスの中で全員に配り始めて、一流はそういうことだというのを思い知らされ。
    そういうのって、どこかで培われていくと思うんですけど、何かありますか。

室伏
    いや、それはね、木村さんがお腹空いてそうな顔をしていたから、それが動かしたんですよ(笑)。僕は、障害者スポーツも健常者スポーツも別にそこは分け隔て、関係ないと思っていますね。
    そのときは、一緒に運動会で玉転がしをやって、僕が木村選手から学んだことは、もう、木村選手は突進していくんですよ。当たるのが怖くないというか、大丈夫かなこの人って。もうとりあえず全力で。「それ以上行くと危ない!」と思うんですけど、それを超えてしまうくらいコロコロ。ストップって言わないと。

木村
    勝たなくてはいけないかなと思っていまして。

室伏
    執念を感じたというかね。

櫻木
    勝負は勝つ…。

室伏

    勝つための執念がすごいなと思って見ていました。でもね、楽しくて、みんな喜んでいましたよ。子どもたちもね。是非そんなような活動も、今はちょっとやれることに限りがあるんですけども、またコロナが終息したらそういう活動もしたいですし、トレーニングの合間に是非またね。

櫻木

    一緒に楽しめるのもスポーツの魅力でもありますよね。笑顔になれますしね。
 

木村選手の考える、障害者スポーツのこれから


室伏
    障害者スポーツの方々の環境については、現在、どう変わってきていて、今後どういう風になっていくと思われますか?

木村
    もう変わってきたという話だと、変わりすぎているなという風に思っています。それは、トレーニングの環境ですね。施設的にもそうですし、支援してもらえる金額とかももう全然桁が違うと思うし、関わってくださる方の人数も全然違うし、そういう意味でかなり進んできているなという風に思うんですよ。今、パラのトップアスリートとしてというところはすごく変わってきて、ただ、これが、どのレベルまで浸透して変わってきたのかが分からないなという風に思っています。今トップでやっている選手たちがいなくなったときに、若い選手たちが下から上がってくるというのはどれくらい現実的なのかはよく分からないなと思っています。ただ、大学に進むとか、企業に入るとかという、支援を受けるチャンスはすごく増えてきていると思うんです。
    だから、本当に過渡期であって、今おそらく一番色々考えないといけない、乗り越えていかないといけない時なのかもしれないなという風に思っています。

【対談】特別対談「スポーツ庁長官 室伏広治のアスリート近影」 木村敬一選手(パラ競泳)編《後編》2

室伏
    日本全国で、各自治体でも、障害者スポーツがより一層環境を整えるように、そちらもやっていく必要があると思います。障害者スポーツや障害者というところで、一般の方の受け止めなどはどうですか。

木村
    知ってもらえるようになったなというのはすごく感じていて、SNSフォロワーの伸びとか、メディアに取り上げていただけることが増えたりだとか。パラリンピックという言葉自体も、もうほとんど知らない人はいないんじゃないかなという風に思いますし、ストレートに、障害を持った人がスポーツをしていることに対するリスペクトとかもすごく持ってくれているんだろうなという風に感じていて、そのあたりの変化というのもすごく大きく感じています。
 

海外の選手は、東京という街にすごく期待してくれている


櫻木
    最後に改めて木村選手から、この動画を視聴いただいている皆様に伝えたいメッセージをお願いします。

木村
    東京大会ではまず、何よりも僕自身がまだ獲っていない金メダルをしっかりと獲得したいなという風に思っております。それから、せっかくこの自分の生まれた国でオリンピック・パラリンピックをやるというのは、それを選手として迎えられるのはすごくラッキーなことだと思いますし、これを機に日本中が盛り上がっていくという、その盛り上がりのお祭りの中に自分も加わっていきたいなという風に強く感じております。
    それから最後に、これはたぶん自分がアメリカに行っていて感じたのだと思うんですけど、海外の選手たちっていうのは、すごく東京という街に期待してくれているなという風に思っていて、彼らは日本に行くこととか、東京で泳ぐことを楽しみにしてくれています。僕は選手であると同時に、一人の日本人として、彼らを出迎える、ホストする立場であると思っていますので、海外から来た選手たちが、東京って良かったなとか、良い大会だったなという風に思ってくれるような、大会にしていきたいなという風に思っています。

室伏
    東京という街、また日本を好きなファンの海外の方はたくさんいますし、期待も本当にしているなと私も思います。是非そういった日本の良さをまた見せて行ければ良いですね。そして、何よりもやっぱり、木村さんが頑張ってくれないとね。うまく調整していただいて、きっと素晴らしい活躍をしてくださると思います。

櫻木
    楽しみですね。今回は、パラ競泳の木村敬一選手にお話を伺いました。木村選手ありがとうございました。

木村
    ありがとうございました。
 

番外編! 動画に入りきらなかったこぼれ話 ~4度目のパラリンピック、そこに至るまでの取り組み~


櫻木
    長官も4度オリンピックに出場されていますが、木村選手も、次の東京大会が4度目ということで、やはり思いはそれぞれの大会で大きく違うものでしょうか。

室伏
    私も最初のオリンピックはうまくいかなくて、悔しい思いをしました。それで、アテネ大会でうまくいった(注:室伏長官は、アテネ大会で金メダルを獲得)。最後に出場したロンドン大会は、もう、選手としては完全に下り坂だったんですけども、トレーニングのやり方やコンディショニング、ピーキングを合わすということを上手にすることを意識していました。その頃は、年に2試合しか出なかったんです。若い頃は、1年に十何試合も出て、いろんな遠征をしましたけども、ロンドン大会では、そういう形で温存して大会に出て、銅メダルを獲りました。どの大会も意味が全然違って、でも自分を成長させてくれたなと思いますね。悔しい思いももちろんしたし。

木村
    僕はまだ金メダルを獲れていないので、その大会ごとに目標値って上がっていっています。最初は出場だけでしたし、次はメダルを獲りたいなって思ったし。そういう感じで少しずつ目標値が上がっていっているので、そういった意味で、毎回全然違う思いで臨んでいます。

櫻木
    昨年11月には、およそ10ヶ月ぶりに、パラ水泳の国内大会が開催されたということなんですけども、久しぶりの実戦の場というのは、いかがでしたでしょうか。

木村
    緊張しました。すごく。先ほど長官が、年に2回しか試合に出なかったっておっしゃいましたけど、試合勘というか、その瞬間の力の出し方って、すごく難しいなって思いました。

室伏
    そうですね。試合勘って、やっぱりないとね。練習とは違いますよね。

木村
    はい。年に2回しか試合に出ないって、すごいですね…。

櫻木
    どうそこに集中するかということですかね。

木村
    もちろん試合に持ってくるまでも大変ですし、試合の後のダメージとかも、練習とは比べものにならないくらい、体に負荷がかかってきて。そのあと数週間すごくしんどいので、そういうことも含めて、練習として出る試合って大事だなと思ったのですけど、そこを、室伏長官はそんなに絞ってやってらっしゃったということを今聞いて、衝撃を受けております。

室伏
    年齢を重ねてから1年に何試合も重ねるというのは難しくて、怪我をしないようにトレーニングの強度も徐々にしか上げられないので、だから絞ってやるんですけど、試合形式のことを練習でやっておいてとか、そういう工夫をしてやっていました。木村選手も、試合が再開されて、新たな気付きもあってよかったですね。

【対談】特別対談「スポーツ庁長官 室伏広治のアスリート近影」 木村敬一選手(パラ競泳)編《後編》3

木村選手との対談 前編はこちら!


  【プロフィール】
木村 敬一(きむら・けいいち)
2歳の時に病気のため視力を失う。小学4年生から水泳を始め、2008年の北京パラリンピックに初出場。2012年のロンドンパラリンピックでは銀・銅1つずつのメダルを取り、前回のリオデジャネイロパラリンピックでは、日本人最多となる銀2つ銅2つのメダルを獲得した。東京大会は、100mバタフライ(S11クラス)で代表に内定している。

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