入学者数の低迷・経営危機を乗り越えた先の、大人の教室づくり

学校法人札幌慈恵学園 札幌新陽高等学校

 「なぜ新陽高校がうまくいくのか、そんなことは入って、一緒に汗を流さないと分からない。How toだけを知っても学校は変わらない。覚悟があれば学校は変わる」。本気で高校改革に挑み、覚悟ある決断も行ってきた校長から発せられる言葉は重く、鋭い。生徒数確保の可否が経営の安定性に直結してしまう私学特有の条件の中で、入学者数を回復させ、かつ本気の激変ともいえる改革を行った集団の一端には、「覚悟」と「安心」という、一見相反するようなキーワードがありそうだ。

活気ある職員室の様子(取材時)

活気ある職員室の様子(取材時)

目次

何を目指す?(ビジョン)

 学校法人札幌慈恵学園 札幌新陽高等学校(以下、「新陽高校」。)。ここに足を踏み入れると、まず一番に驚くことがある。校舎の壁に大きく掲げられた、「本気で日本一に挑戦する人の母校」というプリンシプル(主義、信条)だ。その気迫ある文字に思わず圧倒されそうになる。
 1958年に「札幌慈恵女子高等学校」として立ち上げられ、60年を超える歴史を持つ新陽高校。しかし、公立高校志向が強いとされる土地柄の中で、生徒数減少という不穏な影がじわじわと近づいていた。生徒数は2016年に過去最低を迎え、学校法人札幌慈恵学園としても、経営の不安定さを隠せなくなっていた。荒井校長が、民間企業・社長室での経験を経て、祖父の築いた学校を引き継ぐと、「覚悟」を決めて新陽高校にやってきたのは、こうしたタイミングであった。
 「3年で学校を変える。」2016年2月の出来事だ。

 まず荒井校長が取り掛かったこと、それは、とにかく中学生を、そして中学生の保護者を惹きつけることだ。「学校におけるInput」と位置付ける生徒募集に自らの強み、持ちうる資源を集中投下した。そして、次々に集まってくる生徒に対応できる新たな教員、校長の右腕、進路指導のプロ、あらゆる人材を求めた。新陽高校に生徒が集まるとともに、新たな大人が集まり始め、改革は加速度を増していくこととなる。

共通の、誰にでもわかるプリンシプル(主義、信条)を、リーダーが見出す

 2017年に新陽高校にやってきた中原先生(荒井校長の「右腕」という役職を持ち、現在は2018年に新設した探究コースのコース長を担っている)、櫛田先生(現在の新陽高校の副校長)の両名が、着任早々に口を揃えて指摘したことがある。
この職員室じゃ変わらない
 彼らは、本気で日本一を挑戦する生徒づくりに向き合うべく、本気で日本一を挑戦する大人づくりに挑むこととなる(詳細は後述)。
 もちろん新陽高校の改革には、中学生の保護者に真剣に向き合う入学者募集、生徒のキャリアに真剣に向き合う進路指導、探究コースの新設など、様々な取組が散りばめられている。しかし、これらの取組にすべて通底しているのは、「本気で日本一に挑戦する人の母校」というプリンシプルであり、ビジョンであるように思われる。この「本気で日本一に挑戦する人の母校」の実現に必要なパーツが、大人改革であり、各種の取組なのだ。ビジョン設定について、荒井校長は次のように話す。
 「僕がいなくなっても、新陽高校は残ります。だから、僕がいなくても、ずっと生き続け残り続けるプリンシプルを、仲間全員に共有し続けなければいけません。そのプリンシプルは、『誰にとってもわかりやすいもの』であること、そして『トップから見出す』こと、『ぶれない』こと。これはビジョン設定に当たっての最低条件のように思います。」

手段と目的は変わりやすい。だからこそ「何のために」を問い続ける

 荒井校長は続ける。
「新陽高校の各種の取組は、新陽高校の目指すビジョンに基づいていますし、そういったビジョンを実現するために行っています。だから、取組だけを、他の学校が真似しても、それは全く違うものになりますし、失敗すると思います。『何のためにするのか』と常に今やっていることの目的を問い続け、自分たちの決めたビジョンを実現するために行っていると腹落ちしなければなりません。『新陽高校がやっていたから』という理由では、取組は意味をなさないですよ。How toに踊らされないこと、安易に飛びつかないこと、これは極めて重要です。ベストプラクティスなんて、真似したってうまくいかない。だって汎用的なものも、画一的なものも学校現場ではないでしょ。

 「成功」した新陽高校を参考に、さっそくビジョンを旗で掲げる高校、生徒募集のHP作成等に力を込める高校などがあると聞く。しかし校長はこうした態度を一蹴する。「新陽の真似をしたら、潰れますよ」。集団の新陽高校での職歴、高校教員歴はそれぞれ違えども、一人ひとりの生徒に向き合い、一人ひとりの挑戦に本気で向き合おうと「覚悟」している集団だからこそ、一つひとつの学校がその存続・発展について自ら考え、挑戦することを求める言葉にも、凄みを感じさせる。

どのように進めていく?(ミッション)

企業の経営再生とほとんど同じ。でも校長には果たせない役割がある。

 「札幌新陽高校の取材をしてくれる人は大体みんな同じことを聞きますね。どうやって生徒数を増やしたのですか、と。でも、How toやメソッドは企業の経営再生とほとんど同じですよ。でもね、本質は違う。すべてを投げ捨てて新陽高校に飛び込んでみないと分からないんですよ。」そう話してくれるのは、荒井校長だ。
 荒井校長の取る戦略は、需要側である中学生あるいは中学生の保護者のニーズに徹底的に向き合うものである。入学者獲得という命題に向け、マーケットの変化、他の競合高校の戦略を見ている。しかし、学校には学校の特殊性がある、とも言う。
僕は教室の中のことは分からないから。教育のことは素人だし。それは現場の先生の方が僕よりずっとプロだと思う。」荒井校長は、校長の役割はあくまで経営の安定性を維持しながらチームを差配する「監督」だと位置付け、現場でのプレーは、キャプテンたる「教頭」を筆頭に、外部の人材ではなく、改革前の新陽高校で経験を培ってきた教員を中心に充てている。
 校長は監督、副校長は監督代理、教頭はキャプテン。そしてこのほかに、監督を支える参謀というスタッフを複数名抱えながら、それぞれの「人間性」を見極め個別にミッションを与えている。まさに「適材適所」とも言える配置をし、仲間の実際の働きを見ながら、ミッションも、人選も、都度変えていく。この見極めの秘訣を伺ったところ、荒井校長は笑ってこう答えた。「僕、人を見極めるの、めちゃくちゃ得意なの。持って生まれたものだね。

何をする?(アクション)

「この職員室では変わらない」

 上述したように、櫛田先生、中原先生の「この職員室じゃ変わらない」の指摘をきっかけに、新陽高校は「大人改革」から学校を変えていくと旗を揚げた。荒井校長体制下における改革前後の職員室の雰囲気について話してくれたのは、新陽高校での教員一筋、そして前教頭の高橋淳郎先生だ。
 中原先生や櫛田副校長が来るまでの職員室は、高橋先生の目から見ると、二極化していたという。「経営危機を脱してくれる、そんなリーダーが来ることを渇望していた層」と「変革を求めていない層」である。ここを繋ぐことは「意識改革」でもあり、とても難しく、今なおこの溝は残っているようだ。
 しかし、職員室改革を引き受けた中原先生は諦めなかった。「僕が来たときは、全然対話がない職員室でしたね。しーんとしていた。でも対話がないと、意識を変えていくことは難しい。教職員の皆が考えていることを、開示して、対話していかないと、どこにすれ違いがあるのかわからないでしょ。だから僕は、まずは利害関係のない、一見意味のないナゾナゾなどの会話からはじめて、こつこつ、毎日『話すという事実』を積み重ねていきました。小さいことからですが、職員室の中に圧倒的な対話が生まれるように仕掛けたんです。大変そう、と周りに聞かれることもありますが、もともと『不都合が当たり前』と思っていましたし、覚悟を決めて挑戦しようと思って新陽高校に来てましたから、職員室改革は、むしろ思ったよりうまくいくなぁとさえ思うほどでしたよ。(笑)」
 確かに我々が見た2019年の職員室は、スピーディーに意思疎通を行う活気ある職員室だ。

意識改革の他は、あくまでツール

 変えるべきは、共通のビジョンに向かっていくための意識であり、作るべきものは、そういった意識が醸成される文化である。櫛田副校長は大人改革について、このように話してくれる。
 「職員室は、大人の教室みたいなもんだから。だからここが、仲間である教職員にとって居心地の良い、安心できる場にしなきゃいけないし、そういう場を作っていくのは大事だよ。失敗しても、『仲間だろ!』と失敗を許せる場にしないといけないよ。」と話してくれた。北海道の公立高校で教鞭をとり続けた櫛田副校長の発言には、経験からにじみ出る重みがある。
 確かに職員室という場が、教職員にとって「安心」できる場でなければ、本質的な対話は生まれないだろうし、意識の摺り合わせもできないだろう。小手先のツールやHow toではなく、本質を変えることに向き合い続ける人だから出る発言なのかもしれない。現に、我々が職員室にお邪魔したたった数時間でも、副校長は絶え間なく職員を席に呼び、生徒について、教員の体調について、研修について対話を積み重ねていた。
 職員室の中に、おしゃれなアウトドア用品を入れて対話の生まれやすい空間を作ったり、あるいは職員会議の効率化のためにペーパーレス化を徹底したり、働き方改革の検討を開始し給与規定を見直したり、新陳代謝の良い組織づくりのために1年単位の契約を行ったり、と大人改革につながりそうなHow toは、少し目を凝らせばいくつも出てくる。しかし、「それらはただのツールでしかないと思う」と荒井校長は述べる。

働き方改革に着手する覚悟

 前教頭の高橋先生は、教頭職を昨年退き、現在学校法人札幌慈恵学園の法人本部で副本部長として働き方改革を担当している。
 「私自身は生徒のためなら、何時でも、土日でも働くといった感じでした。働き方改革の逆行にあったような自分だったからこそ、なぜ働き方改革がうまくいかないかの課題は、担当になってから徐々に見えてきました。現場に働き方改革が浸透しないのは、働き方改革を行うことの「目的」が、『自分事として腹落ち』できないことにあると思います。働き方改革を実行する意義や目的を理解するためのキーワードは2つだと思っています。一つは、働き方改革はSDGs(持続可能性)に寄与する取組であること、もう一つは、働き方改革は、『安心できる居場所づくり』に寄与する取組であることです。そうだと気づいてからは、働き方改革を進めなければと、本気で思い、今は社労士の資格も取ろうかと思っているほどです。」
 ここでもまた「安心」という言葉が出てきた新陽高校で進められる取組は、「なぜやるのか?」について、教職員がそれぞれ腹落ちできるまで、対話の中で作り上げられたものなのだろう。この圧倒的な対話量があるからこそ、教職員間に「なぜやるのか」の共通認識・共通言語が共有できていることを感じさせる。

 しかし、働き方改革は安易には進められない劇薬であることにも言及があった。特に私学にとっては、給与や有休の見直しは、経営に直結する。荒井校長も、着任後すぐにでも実行したい取組の一つが働き方改革だったが、「経営の安定性や法人運営メンバーの方向性の共通化などの盤石な素地がなければ、成功しない」と思い、踏み止まった。「大人改革、職員室改革は『学校を潰しかねない』という怖さもはらんでいる」、と荒井校長は話す。実際に新陽高校では、荒井校長着任から3年後の今、ようやく働き方改革に着手できたという

どう振り返る?(リフレクション)

参謀を抱えながら常に「競争」戦略を最新のものに

 新陽高校の荒井校長には、「校長の右腕」というキャッチ―な名称のスタッフがいる。(現在は中原先生が担当。)それ以外にも、経営企画の壁打ち相手になる経営再生の専門家、広報の専門家、また時には「道内随一の進路指導のプロ」と呼ばれる教員をスカウトするなど、参謀を常に脇に抱えている。
 「生徒を集めなければ経営は成り立ちませんから。競合校の動きもキャッチしながら、戦略を立てるのは、当たり前のことですよね。」と荒井校長は話す。
 自分の既存のアイディアに固執することなく、専門性を持つ参謀たちを信頼し、耳を傾けながら、常に自分の描く「競争戦略」ブラッシュアップを続けている。マーケットの変化に敏感な実業家である荒井校長にとってみれば、振り返り(リフレクション)はごく当たり前にあることなのかもしれない。

もう一歩先へ!(プロモーション)

10年以内に日本の教育システムを変える

 荒井校長は、新陽高校を変えることだけで満足しているのではなさそうだ。10年以内に日本の教育システムを本気で変えたい、学校に来ることに苦しみを覚えている生徒に本気で向き合うことをしたい、と思っている。本気で描く夢があり、そこに覚悟を持って挑んでいるからこそ、グッドプラクティスに頼りがちに見える学校現場に警鐘を鳴らしたいとも思っている。
 「結局はね、自分で考えて、自分で覚悟を持ってやらないと変わらないんですよ。でも本気でやったら、失敗するかもしれないけど、それを受け止めて立ち上がって、また次に進めるでしょ。多くの人は、その失敗した後の立ち上がりを見ていると思うんです。覚悟を持ってやる、それだけです。」

戦略的な広報活用

 10年で日本の教育システムを変える、そして新陽高校の改革をさらに進めるために、荒井校長はメディアも「活用」する。参謀の一人である広報担当者と相談しながら、今年度からはあえて学校説明の広報ペーパーに顔を出さない、取材オファーも意図的に取捨選択している。「出すべき情報」と「出さざるべき情報」を使い分け、戦略的にメディアを使っている。
 「開かれた学校」や、「情報公開」というワードに困る学校とは逆の発想で、改革を進めるための1つのパーツとしてメディアを使っているように見える。
 「もちつもたれつの関係ですから。彼らにとっても、僕や新陽高校を取材したい何かの理由があるはずです。僕も同じ。
1つ言えるのは、学校運営であっても、外との対外的な接点を持ち続けることは極めて重要ですよね。だってマーケットのニーズを見るには、外に情報を取りにいかないといけないから。」

新陽高校は変わったのか

 この劇的な変化をずっとそばで見ている高橋先生はこう語る。
 「最初はね、去っていく仲間たちもいて、疲弊しました。変化をどう受け止めようか、と思いましたが、受け止めるではなく、変化に飛び込んでしまえば、一気に楽になりましたね。荒井校長も他の新しいメンバーも、個性が強烈なんですけど、憎めないっていうか。要は彼らってね、失敗しても認めてくれるんですよ。やっぱり家族だなって安心させてくれるんですよ。だから、自分事として、前の新陽高校でも、今の新陽高校でも続けられている気がします。いろんな取材をお受けしますけど、まだ新陽高校が変わったという感じはそんなにしないです。大人も生徒も、スイッチが入り始めたくらいなのかな。」
 その言葉には、激変の本質をしっかりと自分の目で捉える、高橋先生の気概を感じた。