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去年の秋から、この検討委員会におきまして審議を続けてまいりました。その状況についてては、審議経過の中間的な整理という形で、インターネットを通て公表しており、意見募集等も含めて広くご意見を伺っている。
今日は、会議の前半において関係の団体の皆様からのヒアリングを行い、後半で新職、新助手等の名称と新職等の若手教員への支援のあり方等についてもご審議いただきたい。
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意見募集の状況については、11月22日に取りまとめた中間的な整理を、12月1日の大学分科会でのご議論を踏まえて、12月10日に審議経過の中間的な整理として文部科学省のホームページに掲載し、その内容について締切を1月10日として意見募集を行っている。その際、新しい職の名称についての意見募集も、12月20日の締め切りであわせて行っている。
同時に、すべての大学、短期大学、高等専門学校に、この審議経過の中間的な整理をお送りし、意見の提出をお願いするとともに、独立行政法人科学技術振興機構が運営している研究開発支援総合ディレクトリという研究者一覧から無作為に抽出した助教授及び助手の方々、それぞれ約400名に、メールでこの中間的な整理をお送りして意見を求めている。
また、それ以外にも日本私立医科大学協会、歯科大学協会といった助手をたくさん抱えている団体のところにもご意見をお願いしたところである。
それ以外の、文部科学省の大学院部会、大学設置分科会、科学技術・学術審議会の先生方にも参考資料としてこの中間的な整理を配付している。
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【関係団体からのヒアリング】
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国立大学協会
国立大学協会としては、時間的な余裕が少しなかったので、今回述べることは企画委員会で検討してきたことを、私でまとめてここにご報告させていただく。
この助手の問題は国大協でも古くから検討してきた懸案事項の一つである。当時は、名称の問題、仕事の内容の問題それから処遇の問題、3つの問題に関連して検討してきたところである。今回、この中間整理案について企画委員会で検討した内容について二、三申し述べたい。
個別的な事項と全般的な事項というふうに分けて述べたいと思うが、個別的な事項の問題においては、現在の助手は文系、理系で、本当に大きな違いがあり、この助手の問題を分けてお考えいただいたということには敬意を評したい。
しかし、「新職」という問題に関して、第1の点として、6ページに「大学、学部等によって定められた特定の事項、授業科目、研究指導等に限って責務を担うものとすべきである」とあるが、特定の事項を定めて助手の指導を行うというのが、教授あるいは現在の助教授であるとすれば、教授や助教授の教育研究を「新職」はある程度助ける必要があるのではないかというふうに考えている。責務を担うという点においては、授業を担当する以上は、責任を担うというのは当然のことではあるが、全体的には教授が責任をとるというものであり、責務を担うということになる、「新職」の責任は大変に重くなるということがある。また、これは前項で述べられているが、助手は研究に尽くしてという点において、かなり時間的余裕がなくなってくるのではないだろうかという懸念もある。
それから第2の点として、この制度では、教授、准教授、「新職」と、ほとんど横並びの状態であり、この辺はうまく組織的にもいくような感じはするが、実際にはグループでやっている仕事内容においては、縦の相互扶助的な仕組みというものに欠けてくるのではないだろうかということが懸念される。特に、臨床系、附属病院に関する点においては、大変大きな問題が生じるのではないかというふうに思っている。それから、「新職」がこれまでの仕事の上にさらに授業をも担当をするということは、非常にいいことであるが、一方で、「新職」が授業を担当するということであれば、処遇の改善が必要になってくるのではないかと考えている。
次に、現行の助手は制度改正後には、「新職」になるのか、あるいは「(新)助手」になるのかという問題がある。これは自ら定めるのか、それとも博士号修士号取得の有無によってこのように分かれるのか、又は教授の判断によって行われるのかという問題である。それから「(新)助手」は、博士修士を持たない者にとって「新職」の前段階として考えられるものなのか。これは10ページにもあるが、この「(新)助手」も准教授、教授になるということが書いていることを考えると、やはり前段階的な職であることも考えられるのかと思っている。そうなると、この「新職」と「(新)助手」の根本的な差というのは、授業を担当するということにあるのか。
また、「(新)助手」は、「新職」の教育、研究を補助をもすることになるのか。つまり、「新職」が授業を担当するということになると、この「(新)助手」というのは、教育的あるいは実験的な指導、補佐をするということになり、「(新)助手」は「新職」の補佐をするのかという問題がある。そして、特に医学部の附属病院、臨床においては、「新職」と「(新)助手」というものの区別はまず考えられないと思われる。
准教授については、特に異論はなく、このような形でやっていただければありがたい。
以下では医学部の附属病院の臨床医の立場から、この「新職」、「(新)助手」というものを考える。
医師になるのには医学部を卒業して、臨床研修を行い、専門研修を行い、そして生涯研修を行うということが必要である。そうなると、現在は医学部学生6年終わって、臨床研修が2年終わり、それから博士号を持たないで助手になるということがある。あるいは、臨床研修2年終わって大学院を4年終わり、それから一年医員をやることもあるが、大学院を卒業して博士号あるいは修士号をとって助手になるということがある。それから、講師になって助教授なり教授になるというようなキャリアパスが存在する。ここで「新職」を設けると、学部学生6年終わり、臨床研修2年終わり、大学院を4年ないしは2年終わって、博士号を持って「新職」につくわけであるが、多くの場合はこういったケースにおいては、海外研修といって、大体3年間海外の大学に留学する。それから講師なり准教授になるという形態をとることとなる。これまでの間に助手という制度があれば、その中で専門研修という期間を十分設けていくことができるが、教育研究を責任においてやるという形になっていく「新職」においては、実際に専門研修を行う機会というのはどれだけ設けられるか、時間的余裕があるかということになってくる。一人前の医師になるのは、研修を終わってすぐでは一人前の医師としてほとんど扱えない。助手として専門研修は7年ぐらい行うというのは、大体の分野における一人前の医師としての養成期間になると思うが、この養成期間というのはほとんどなくなる。そうすると、臨床経験の少ない臨床医が非常にたくさん養成される危険性が出てくる。という点で、臨床医としての問題が非常に危惧される。
次に、「(新)助手」について考えてみると、「(新)助手」はどちらかというとテクニシャン的なものになるので、医学部学生6年終わってそれから「(新)助手」になるというふうな方はまずいないであろう。それから、医学部の先生で臨床研修を終わらせて、一度ドクターになって、それで「(新)助手」になるという人がいるかというと、これもまず考えられない。恐らくひとまず職がない場合の腰掛的な存在になるであろうし、専門研修にも身が入ってこないと思われる。
こういった問題があり、少なくとも医学部の附属病院に関する臨床医養成としては、「新職」と「(新)助手」というな区別というのは大変難しいのではないかというふうに考えている。
また、全般的な事項として、まず1として、教授、准教授あるいは「新職」、「(新)助手」の数は大学の運営上、財政上の判断によって、幾らつくってもよいのかというのが一つお尋ねしたい点。それからもう一つは、文中に自らとか、あるいは置かないことができるという言葉が各所、随所に見られるが、大学の裁量によって、いろいろな形において決めていくというふうなことができるのか。つまり、全体を通じて法令上の取り扱い以外の部分は、各大学の個別的運用を可能にするような制度設計にしていただければというふうに考えている。
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◎ |
公立大学協会
資料2−1に、公立大学協会としての意見をまとめている。
1.教育研究職、教育職の職務と名称について、現行法の職務規定で「助教授は教授を助ける」「助手は教授・助教授を助ける」の「助ける」を削除すること、それに伴う新しい職名を准教授及び「新職」とすることに、基本的に賛成である。ただ、「新職」の授業担当が可能であるということになると、従来からあるいわゆる「講師」との関係について、大学の現場で混乱が起こらないよう整理をする必要がある。
2.「(新)助手」について、これからの大学は、従来の教育・研究に加えて社会貢献や地域貢献、学生に対する支援といった、色々な役割が期待されている。特に、公立大学等では地域貢献という役割が、従来にも増して重みを増してきている。そういう中で教育研究職、事務職の枠におさまらないさまざまなスタッフが必要であったわけであるが、従来の教育・研究以外の大学に課せられた使命を果たしていくために、新しい助手というものを設けることが必要であろうと思う。ただ、それを設けるに際して、これまで助手の果たしている教育・研究という役割に限定しない、新しい時代に大学に要求されるような使命に対応した役割も担当できるものとして、積極的な位置づけを期待したい。
同時に、そうなると、現在の技官や医務吏員等をどういうふうに区別していくのかということが一つの課題になってくるかと思う。また、従来「助手」の位置づけが各大学で様々であったという実情を踏まえ、新しい役割についても各大学である程度、主体的・柔軟に設計ができるような整備が望ましい。
3.講座製・学科目制等の教員組織の在り方については、大学が自主性・自律性を確保するためには、大学設置基準の第7条〜第9条を削除することには原則として賛成である。ただ、削除した場合に、各教員の役割分担やそれらがどういうふうに連携をして組織的な体制がつくられるのか、またその組織的な体制を維持する法的な基礎が明確に規定できるかどうかということがあり、これがなければ、大学の現場で、大学の経営あるいは学部・学科の運営等にいろいろ差し支えが出てくるかもしれない。また、従来助手として位置づけられていた人たちに新しい職が与えられるとしても、基本的に全体としての責任がどこにあるのか、このことが明確になるような規定にする必要があるのではないか。その辺の判断や手続に関して、十分検討いただいて、現場に混乱が起きないようにしていただきたい。
これは、公立大学協会の全体なべての意見であるので、各公立大学は非常に多種多様ということもあり、それぞれ分野ごとに固有の問題等もあるかと思うが、それについてはこの委員会の委員も、公立大学の先生方もおられるので、必要に応じてコメントを追加させていただければと思っている。
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日本私立大学団体連合会
資料の2−2をご覧頂きたい。まず最初に基本的な部分に関しては、現行の学校教育法の規定では、助教授は教授に対して、助手は教授、助教授に対して従属的な位置づけという印象があるが、それを改めて教授、准教授、「新職」、「(新)助手」とし、それぞれの職務を明確に規定して、位置づけを明らかにするということを中間的な整理の基本理念としていると理解しており、その点では賛意を表したい。
一方、中間的整理で強調されている国際的な通用性という問題に関しては、欧米各国でも教員組織というのは国ごとに違っているので、例えば准教授をアソシエイトプロフェッサーと英訳しても、アメリカの大学のアソシエイトプロフェッサーに類似して理解はしてくれるだろうとは思うが、やはり国際的な通用性が保証されるか否かについては疑問があり、我が国における教員制度として、世界各国から認知されるような努力をしなければいけないのではないかと思っている。
それから2番目として、個別的な項目について、少し意見を述べたい。
まず、一つは、准教授の職務内容であるが、助教授の名称が教授の職務を助けるという意味で、教授に対する従属的な印象を与えており、特に、私立大学の場合、講座制や学科目制をとっている大学はほとんどないので現行の助教授の規定は私立大学における助教授の勤務実態とはかなり乖離している。そういう意味で「助ける」という字を使用しないで「准」を使用することには賛成である。しかしながら、この准教授の職務を、教授の職務と全く同一に規定するということは、同一の職務の遂行に、なぜ2種類の職を設ける必要があるのかという疑問が出てくる。したがって、私どもとしては、准教授の職務は「教授の職務に準ずる」とするのが適当ではないかと思っている。教授と同等に近い職務を遂行する准教授を制度上設けても、その運用に関しては経験とか業績などを勘案して、各大学がそれぞれ基準を設けることによって運用に支障がないようにするということは可能であろうと考えている。
二つ目は、中間的な整理で提案されている「新職」について、これは大学設置基準上の専任教員とするのか否かということで、これは、私どもにとってはかなり重要なことだと考えている。博士の学位を持っていて、あるいはそれと同等以上の研究能力を有して、学生実験あるいは演習などで直接学生に指導をしているような者に対して、助けるというアシスタントという職名を与えることは改善を要する事項であることは言うまでもないことであり、そういう意味でもって、「新職」を設けることは賛成であるが、先ほど述べたように、「新職」を大学設置基準の第13条に規定する専任教員数に含むか否かということは、私立大学として大変重要な関心事である。「新職」を、この大学設置基準13条で決めるような専任教員数に含めない場合には、中間的な整理で述べられている、「自ら教育研究を行うことを主たる職務とし、授業科目を担当する」という内容は理解できない。一方、「新職」を専任教員数に含めることとするのであれば、現在多くの大学における専任の講師の実態に近くなるのではないかと想像される。その場合でも、「新職」が必ずしも教授会のメンバーに自動的に含まずに、特に参加を必要とする場合を除いては、教授会の構成員にしないで、大学や学部等の組織としての方針の決定に参画することを期待しないという意味では、教授、准教授との職務を区別するということは可能であると考えている。
三つ目は、今述べた「新職」と専任の講師との関係である。学校教育法で講師は「教授または助教授に準ずる職務に従事する」と規定されているわけであるが、実態として見ると、教員の職階としては、現在教授、助教授それから専任の講師、助手というように、助教授の次に位置づけられるということが多いのではないかと思っている。また、私立大学においては、教授ごと、助教授ごとの定員が定められているという例はほとんどないと思われる。そうすると、ここで専任の講師という職階を入れると、教員の職階としては、「新職」を入れたことによって、大学設置基準上専任教員として「新職」を認めた場合であるが、既に3階層になっていくので、その上にさらに講師を加える4階層にしなければならないという理由は見当たらない。したがって、「新職」を大学設置基準上の専任教員とするのであれば、この専任の講師というのは、教員組織から削除してよいのではないかというのが私どもの意見である。
四つ目は、「(新)助手」の職務内容であるが、教育・研究に関する職務内容を明確にして、その次に文章では「補助業務」という概念を導入しないと書いている。その意味は、教授、准教授、「新職」を助けるという意味の概念は導入しないことが望ましいと考えているということであると理解される。したがって、「(新)助手」の職務は、今述べたような教授、准教授、「新職」を助けるという職務ではなくて、教育・研究の要員として独自の職務が規定されるべきであると考える。
五つ目は、組織体としての業務遂行体制である。大学の業務を遂行する上で、教育研究に関して各個人の創意が尊重されるということが望ましいが、やはり組織体として方針、計画等を決定して、その方針、計画に従って役割の分担をして、そして組織的に教育・研究業務を行うということが必要である。特に組織的に業務を行う場合に関しては、指揮・命令系統を明確に定めておく必要があると思われる。
それから3番目の、私学助成とのかかわりであるが、現行の私学助成に関しては、教員、事務職の区分に従って異なる単価で人件費等の補助が算定されているので、私学としては今回の新しい教員組織において、「(新)助手」が私学助成を決める上での教員の方に分類されるのか、あるいは事務職員の方に分類されるのかということは明確にしておく必要があるかと思っている。
それから4番目に種々の資格認定条件における現行助手の取り扱いとの連続性あるいは整合性の確保の問題がある。これは他の省庁の管轄の資格試験、例えば介護福祉士などの資格取得やそのための受験資格取得を大学卒業生に与える場合には、教育課程の編成に際し助手を置くことが求められている。したがって、「(新)助手」を、これらの教育課程の認定において助手として参入できるように、資格認定試験との整合性を十分にご配慮いただきたいと思っている。
5番目、最後は経過措置であるが、大学を見てみると、今度の准教授にしても「新職」にしても、「(新)助手」にしても、非常に大勢の人事にかかわるようなことであるので、その実施に当たっては、ある程度の猶予期間を設けるとか、経過措置を考えていく必要があるのではないかと思う。
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日本私立短期大学協会
今月理事会を開いて検討したが、もう少し時間が欲しいという意見が大変多かった。ここではその理事会で出た話題をもとにして、取りまとめたことを中心に述べたいと思っている。
この大学の教員組織という問題は、平成8年の大学審議会で指摘されて以来、長期にわたって具体的な検討内容が示されなかったように、相当根深い問題が含まれていると思う。このように重大な問題であることを十分に認識した上で、本協会としての意見を述べたい。
中間整理で提案されている内容については、これまでに指摘されている教員組織の問題点をかなり的確にとらえ、おおむねそれに対応した制度設計になっていると思う。したがって、全体としては賛同するが、個々の点では述べたいことが幾つかある。
なお、短期大学はそもそも講座制から出発しておらず、それぞれの短期大学の努力目的に沿って教員組織を設定してきたので、今回の提案は賛同しやすいものがある。
それでは、個々の問題に移っていく。
助教授を准教授とし、その職務内容を教育、研究指導、自らの研究に従事することとして、教授と全く同様の職務内容をすることは、短期大学の実態にむしろ合ったもので、適切な提言と考える。
「新職」を設けることについては、若手研究者の早急の養成ということからすれば、大学院を有する大学の場合はこれを考えるが、教員の職種が多様になることによって短期大学教育に悪い影響が出ないよう、短期大学も含めた教員組織全体を考慮に入れた「新職」の位置づけや職務内容を明確にしていただきたい。
「(新)助手」の位置づけも、教授等を助けるのか、教育研究を補助するのか明らかでない。職務内容も明らかでない。「(新)助手」は教育職なのか、技術職なのか、あるいは事務職なのか、あいまいである。この点を明らかにしていただきたい。
さらに、教育職であるか否かは、私学助成の経常費補助に深い関係がある。このことにも十分配慮していただきたい。
最後に、短期大学基準協会は、認証評価機構として第三者評価を行うことを目前にしているが、その評価基準の中には教員組織について点検評価することになっている。なるべく早く、適切な教員組織のあり方を示されるよう強く要望する。
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【質疑応答】
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国大協がおっしゃったことについて、企画委員会で医学部付属病院に関する問題等について色々ご議論されたと思うが、それ以外の一般的な学部・研究科の教員組織について、今回の委員会の考え方について、どういう議論があったのかお教えいただきたい。
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国立大学協会
医学部の方の問題については、余りこれは議論がなかった。というのは、実際の臨床に携わっている方々というのが余りにも少な過ぎて、これが出てこなかったのであるが、私が個別的な事項として述べていける点において、ほぼまとめた意見である。
ただし、個々に一人一人が独立してやっている主に文系の方々と、それからグループで仕事をする主に理系の方々の職務内容というのは余りにも違い過ぎるというところで、大きなディスクレパンシーがあるんではないかと思っている。
問題は、先ほどからも意見が出ているように、事務官、教務職員という点についてどのように考えるかという点である。前の国大協においても、仕事の内容と処遇という点で問題になったわけであり、その際には助手という職を講師あるいは助手の方に振り分けるという考え方があったようであるけれども、これもいろいろ大変で、処遇の問題もあり、議論をしたが結論にまでいかなかったということがある。
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日本私立大学団体連合会のお話しされたことで教えていただきたいが、職務の内容が全く同じであることで矛盾が生じるということで、例えば准教授が教授に準じるといった、何か違いがないと、三職同じだというのはおかしいという意見もはよく分かる。
また、「(新)助手」の職務内容について、「(新)助手」の職務は補助業務ではなく、教育研究要員として独自の職務が規定されるべきだということであったが、これはまたほかの「新職」と同じように、独立した教育研究の職務があるということでお書きになっているのか、ここのところをもうちょっと教えていただきたい。
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日本私立大学団体連合会
教育研究における補助業務の存在を否定しているのではなくて、「(新)助手」の業務を教授、助教授の業務を助けるという意味での補助業務ということにすると、「(新)助手」の地位がやはり現在の助教授や助手が持っているような、いわば従属的な地位ということになるかと思う。それでここで私どもが述べたかったことは、「(新)助手」というのは、実際に行っている仕事自身は、それは確かに教育研究の補助業務であることは事実であるが、ポジションとしては、そういう業務をやる人であって、教授、准教授、「新職」というものに従属するというような形ではない方がいいだろうというのがその意見である。
そうすると、一つの疑問として出てくるのは、それでは教授以下この新しい助手に至るまで、各人がばらばらに勝手な判断をして仕事をするというようなことになると、これは組織体としての仕事ができなくなるのではないかということである。それでこの次の(5)に書いたように、やはり組織体としての業務をやっていく上での体制はきちっとしておかなければならない。これは「(新)助手」に限らず、むしろ教授、准教授、「新職」も含めて、例えば学長、学部長、研究科長も入るかもしれないが、そういう管理体制とのかかわりで、どういうふうな業務体制をとるかということを明確にしておく必要があるかと思う。
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基本的にこういったことで能力ある若手に独立性を与えることは、大変結構なことだろうと思う。同時に、これをうまくやるためには、財政的な支援が十分必要ではないかと思う。若手が独立していくためには、まずスペースが相当必要とするであろう。それから、同様にして研究費さらに教育費といったものが必要になるだろう。
それからもう一つは、若手に独立性を持たせるためには、やはり事務支援をしっかりしなければ、多分若手は事務的な仕事に忙殺されて、今回の独立した研究教育を行えないんではないと考える。
したがいまして、若手の教員の独立性と、それから組織の運営をうまく考えていく必要があると思っている。特に財政面の配慮が全く考えられていないんではないかと思っている。総量だけでなく、やはり教育費、研究費の配分方法にも配慮が必要ではないかと思っている。
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国大協に伺いたいが、助手問題はご指摘のように、医学部が一番影響が大きいと思うが、講座制の問題と深くかかわっていると思う。講座制を厳しくとってきたのは国立大学の一部と医学部であり、医学部が一番講座制が守られている。助手問題は、まさに講座制の問題として出現したわけであり、教員組織問題と不可分にかかわっている。この辺のことについて、国大協あるいは医学関係者の間で議論があったのかどうかということを伺わせていただきたい。
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◎ |
国立大学協会
先ほどから申し上げているように、医学部附属病院の問題に関しては、国大協の企画委員会では特に議論という形では存在しなかった。したがって、国大協としての意見にはならないが、今のご質問にお答えしたい。
医学部でも、講座制とは別の組織をとるということが進んでおり、講座制は何らかの別の形になっていくんではないかというふうに考えている。
ただ、医学部の臨床医の場合には、教育、研究の他に、臨床というのはすごく大きなウエートを占める。非常にわかりやすい例で言うと、手術の技術の問題を考えてみたときに、1年上の技術というものを習うときには、1年上であると大変な差があるというぐらいに、研修期間というのは大変重要な問題である。こういう技術をいろんな面で教わっていくと、恐らく助手ですら教わるという形になってしまう。お互いに手術をする場合にはグループで手術をする、一人で手術はできないので、だんだん大きな仕事になればなるほど、皆が一致協力してやっていかなければ手術はできまない。こういった医学の臨床分野においては、助け合うとか補充するというものが存在しなければやっていけないと思う。
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◎ |
日本私立大学団体連合会
医学系として発言したい。今の時代に教育、研究、医学系であれば診療も入るが、それぞれが全く同じユニットで動いているわけではない。それから殊に医療系についても、最近医学、薬学、歯学において、学士課程における教育の体制と、それからそれぞれの学問を支えている教育研究の体制とが一致しないということがある。このミスマッチがもう既に昔から起こっているわけである。したがって、講座制という問題は、まさにそういうことを一つにくくれば、極めて硬直しているわけであるが、それぞれの教育の単位、研究の単位、そして診療の単位、それぞれ別々に考えなければならない。それも、何年か後に、またその組織そのものを考え直していただかなければならない体制だろうと思うので、こういう組織の中では、そのようなフレキシブルなあり方というものを検討いただければと思う。
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今、2人の先生の指摘はそのとおりだと思う。講座制というのはこれまで非常に硬い枠としてあったので、それではやっていけないということははっきりしていたが、同時に、講座制をなくしたからといって、縦の相互扶助関係抜きでやっていくわけにはいかないので、これはほかの学部でも実は同じだと思う。講座制や学科目制がなくなったあと、どういうユニットで教育活動をしていったらいいのか、ここにはかなりフリーに大学が考えた意見の形になってるけれども、それだけでいいのかというのは、私は少なくとも委員の一人としては思っており、何らかのチームの組み方なり、ユニットの組み方を考えていかなければならない。
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医学系については、講座制が非常に硬直化しているということであるが、実際に今、教育面での改革が進んでいる中で、講座単位のグループ体制というのはあり得ない。例えば生理学があり生化学があり、薬理学がある。それらが独立した講義体制というのは、今多くの大学でとられていないと思う。というのは、呼吸なら呼吸という臓器を単位として生化学の先生が来て講義をし、生物の先生が来て講義をするというような、そういう体系に現場はなっているので、それに対応するように、実際に講座組織のあり方も、大学間に温度差はあるけれども、かなり変わってきているという実情があると思う。確かに学問体系にこだわる先生方もいるけれども、若い研究者の人たち、あるいは教員の人たちは、そういう古い体制に対しても、かなり激しく改革に向けて取り組んでいるし、あるいは臨床の現場でも、従来第一、第二、第三というナンバー内科的な、あるいはナンバー外科的な取り組み方で、同じ大学でも診療日によって手術のやり方が違うということが言われているけれども、そういう体制についての改革というもの随分進んできている。いずれにしても、大講座に向けた動きは必然的な取り組みだと思うし、その中で教育を行っていく上で、どうしてもこれは海外でも同じであるけれども、年次の違う人の経験というのは、臨床の上でかなり違うので、1年違えば下のものを教育する義務があるというような、そういう体制を維持しないと、やはり経験を積んだ人の経験を下に伝えるという取り組みが現場で求められる。
それから国大協のおっしゃった医学系については、私立医科大学協会の中でも、「新職」というのはいわゆる我々の言う助手に相当する、そういう認識は皆さん共通にしているところである。したがって他学部においての「(新)助手」についての認識というのは、やはりどうしても我々には理解しにくいところがあるのは、同じであろうと思う。
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医学系に対してお尋ねしたい。今の「(新)助手」に期待される職務内容というものを医学系では現在どなたがやっているのか、それからこれから先どなたがやっていこうとしているのかということ、あるいはそういう職がないのか。
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◎ |
国立大学協会
今の新助手にかわるものというのは、どちらかというと技官的な仕事であるが、特別の機器を使う場合には、例えば手術場での機器の扱いなどは助手が行っている。実際には助手というものを今のような「(新)助手」に分けて補佐的な体制になってしまうと、技官との区別は一体どうなんだろうかということで問題が起こる。
では、医学部6年卒業して、あるいは2年研修終わって8年間やって、そして「(新)助手」になる人はいるかというと、それはいない。皆さんキャリアパスの形でもって教育研究を行うというような形をとっている。問題なのは、この「(新)助手」というものが、本人の、あるいは研修の仕方によってはキャリアパスの形として准教授になるとかという、上に行くことも可能であるというふうに書いてあるが、これは、ちょっとよくわからない。はっきりと区別しているようなことを言いながらも、これは区別していないというところで、この「(新)助手」というものを一体どのように考えているのかという気がする。
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現在、医学系、特に臨床系においては、ここで言うところの「(新)助手」に期待されるような職務内容を現在も助手がやっていらっしゃることがあるということか。そうすると、現在の助手の中には授業を行い研究も行い、「(新)助手」に期待されるところ職務内容もやるということで、非常に大変な仕事の者もいるではないかと思うが。
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◎ |
国立大学協会
先生がおっしゃるとおりの仕事をしている者もいるのが現状である。というのは、例えば手術においては新しい機器を導入する場合には、これは医師が全部自分でこれを理解し、自分たちが動かさないと、生命にかかわる。これも普通のテクニシャンが動かすわけにはいかない。
それからもう一つ、私言いたいことは、この医学の分野においては、上から下まで、いろんなキャリアパスの段階があるが、やはり教わるということが、単なるテクニックだけではなくて、フィロソフィー、メディカルエシップスというものを教えてもらうというのに大変重要である。こういうふうな教育的な問題というものを踏まえても、我々は補佐をするとか、助けるとかということがある程度あってもいいのかなという感じはしている。もちろん今の従属の問題であるとか、若手の独立性の問題は十分考える必要があるが、これは大変重要なことだと思っている。
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臨床の場合においては、例えば大学病院によっても違いがあるかもしれないが、医療職の方々がかなりいるので、非医師、そういう人たちがトータルで約3,000名ぐらいの人がいて、そのうちの教員の資格は500名ぐらい。したがって、それ以外は看護師、あるいは事務系の人とか、あるいはレントゲンの技師さんに相当するような方々もいる。現場ではそういう人たちが一緒になっての医療を展開することになる。
ただ、教育研究面になると、いわゆる教員として正式に採用されている以外に、トレーニングを踏んでいる医師がたくさんいる。これは臨床研修医であり、それを含めた後の、これは専修医と言うけれども、年齢をだんだん積みながら専門医の資格を求める、そういう立場の人というのはかなり多くいる。
それ以外に、研究教育などを行うときに、いろいろな立場での事務的なことをやってもらうような人を雇っている。そういう人たちに事務的なことをゆだねるというようなこともおこなっている。したがって、医師の仕事はかなり多くあるけれども、そういうことで一部サポートを受けながら取り組んでいることが大学の実態かと思う。
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一つ、誤解を解いておきたいと思うのは、「(新)助手」から准教授や教授になることができると書いてあるのは、私の理解では、これはどんな職業があっても、准教授や教授にアプライすることはできるのであり、「(新)助手」だけを制限する理由はないのではないかということだと捉えている。
質問は、先生のおっしゃることだとすると、今の医学部の助手の方々は「新職」になればいいということになるのか。
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◎ |
国立大学協会
そういうことである。「(新)助手」というのはない。「新職」ができれば、皆さんが「新職」になる。
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先ほどご質問があったことが2つあった。事務的なことを申し上げると、制度的には教授、准教授、「新職」をどのような構成で置くかということについて、ある種の規律を決めるとか、たがをはめるということは、今の議論になっていないと同時に、制度的にもそのようなことを予定していないので、まず基本的にはそれは各大学の設計によるということが第1点である。
それから2点目として、主だった大学の職種として、今でいうと3つ4つ5つぐらいの階層と、それから職務の分担によって分かれるが、それ以外については、学内でどういうものを置くかということについては、これは自由である。現行制度で言うと、教授、助教授、助手は基本的には必置であり、そのほかのものについては、必要な職員を置くことができることになっている。その中に講師も入っており、自由に設計するということになっている。大学制度全体としては、各国と同じように、数種類の基本的なものが定まっており、その中の主な職務が定まっており、それ以外は自由に各大学でいろんな構成をするという考え方である。
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【ヒアリング終了】
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今のいろいろなご意見、団体からのご意見等も含めて、今日予定しているここでの議論というのは、新職と新助手の名称についてということである。このことも絡めて、若い人たちがいかにこれからの国を背負っていけるか、この道筋を示してやるというのがこの委員会のやるべき一番基本だというふうに考えているので、そのことは改めて申し上げておきたい。
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一点確認しておきたいが、「新職」がテニュアトラックなのかということは非常に大きい問題である。それによって、教授、准教授との関係も大いに変わってくるのではないかと思う。
それからもう一つ、「新職」につくためのキャリアパスとしてポスドクを経由させることを考えるとすれば、ポスドクのクオリティーをすごく上げなければいけないないと思う。今の日本のポスドクはたくさんいるが、これのクオリティーが非常に低いのではないかと思う。これをどうするかという問題がある。財政支援が一番基本になるけれども、これのトレーニングを日本でやるのか、あるいは欧米諸国にゆだねるのか、財政も含めてこれは大変大きな問題になると思う。
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テニュアの問題関係をどうするかという議論は最初の頃から出ていたと思うが、どこかで議論していく必要がある。
それから、この審議概要の7ページのところに、「新職」のキャリアパスというのがあり、ここに「新職」につく者としては、例えば大学院博士課程終了後、ポスドク等へ経た者などが想定されるという記述があるが、8ページに「新職」の資格のところには、基本的に修士または専門職学位の資格を求めることが適当であるとなっており、ここも議論が必要であろう。
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今までに出ていることとの関係で述べると、6ページ目の のあたりから、現在の助手等が大学院学生に対して行っている日常的な指導の重要性ということを考える必要があること、そして7ページの一番上の方のCというところで、診療等も含めて、場合によっては指揮・監督といったようなものも必要な場合が出てくること等があって、それを受けて「新職」のキャリアパスについては、ポスドクを標準的な形として入れていくべきであるとしている。また「新職」につく者としては7ページの一番下で、例えばポスドク終了後等を想定しており、それを大きく活用する必要があるとし、それから8ページ目では、テニュアのことは、アメリカの例としてはテニュアの取得がこういう形になっているということで、これを取り入れて日本のその制度にするかしないかということについては、議論が分かれていたが、一致していたところは、そういう優秀な人材の適切な確保や人材の流動性を図るという観点では、任期制だけでなくて再審制みたいなものや、あるいは例えばアメリカではなくヨーロッパ型の学内昇格原則禁止制度といったものを幾つかいれてチェックをするということが必要という議論があった。そして今指摘のあった「新職」の資格要件が修士または博士というのは、今のような形でさまざまなものがあり得るとすると、最低限としてはこういう形かなということで、とりあえずそこまで進めてきた。
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テニュアが持っている教授、准教授というのは、大学に帰属意識を十分持って、責任を持ち得ると思う。ところが、テニュアトラックである場合には、帰属意識を持てと言っても無理なところがある。したがって、研究には非常に特化するけれども、いわゆるサービスに力を入れるということは非常に難しいんではないかと思うわけです。そうすると、それをだれが受け持つかということで、「(新)助手」は、また大変重要になるんではないかと思う。
独立性をみんなに持たせると、研究のためにはいいけれども、サービスできない業務がどうしてもおろそかになるということがあるんではないかと思う。
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私は、この議論のスタートは、日本の大学の競争力を飛躍的に上げたいという思い、そこの最大のエンジンをつくりたいという気持ちが強かったと思う。それは、とりもなおさず、キャリアトラックという前提のもとでの「新職」だったと私は思っている。したがって、それを確保した上で、そのために必要なものはこれから補強するという、ぜひ将来志向で考えていただきたい。
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賛成である。
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今の議論に全く賛成であり、先ほど事務局から説明があったように、テニュアトラックとして現在の助手で研究活動ができる者を伸ばしてあげるということは、やはり原則論だと思う。それをヒエラルキーの下に押しつぶさないということが一番大事で、しかも年限を経て再審査するなり、できれば流動性を保って異動するといったことも確保されなければならないが、それがまだ外部の方には十分に理解されていないと思う。准教授についても、一定の期間を評価した上で教授に昇進させるとちゃんと書いてあり、階層性もある程度保ってやっているが、それをあえて同じような型に押し込もうとするという発想が抜けないといけない。我々は十分議論してきたので、その辺のことはわかっているが、初めて聞く大学の先生方にとってみれば「何だこれは?」となってしまうことも仕方のないことかと思うので、名称とか階層ということだけでなく、事務局から説明のあったことは、外部に十分伝えることがまず第一に必要であると感じた。
それからもう一つは、「(新)助手」は従来の助手とは明らかに違う概念だということも十分に伝わっていないのではないか。これは教育研究の支援職というふうに位置づけを変えたので、そこへの人数の確保や財政的支援をきっちりさせることが一番大事である。
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私たちの書き方に不十分な点があったのかと逆に思っていて、私たちはディスカッションの上で書いているつもりであるけれども、外部の方には十分い伝わっていなかったのかもしれない。
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中教審大学分科会においても、やはりなぜこれをやろうとしているのかということの理念、考え方、趣旨を十分に書き込んでほしいというご意見があり、これは必要なことだと思うので、ぜひそのようにしていければと思う。
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先ほどのお話では研究の視点が強調されたが、学部教育に心血注いでやってくれる教員を確保するといったことも必要であり、テニュアは必要と言いつつも、そこで若い人たちが将来の大学教員を目指してトレーニングを積み、かつ意欲のある人が准教授、教授に上がっていくというような制度設計をしていく必要があると思う。教育の点も是非忘れない制度設計にしていただきたい。
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まとめさせていただきたいが、私の理解としては、高校生、大学生なりの若い人たちが、将来研究者あるいは教育者を含めて、そういうキャリアパスをたどっていきたいということを具体的にイメージできるということはこれからの日本にとって非常に重要で、そのことを目指してこの委員会にやっていただければなと思ってお引き受けしている次第である。それがきちんと確保できれば、制度設計としては、分野によって違いはあるけれども、それぞれの分野の最小公倍数的なものでいいのではないかと考えている。
ここで、これが全くできない、整理できていないということで全く改革しないということになると、これまでの戦後60年を築いてきた日本の高等教育、研究教育の世界がそのままずっと衰微してしまうんではないかなというふうに個人的には思っている。
また、ポスドク一つとっても、理工系でも自然関係の分野と技術系の分野は全く様子が違う。必ずポスドクを経ないとアシスタントプロフェッサーもないということになるかという点も分野によってかなり違っている。結局突き詰めていくと、それぞれの大学がきちっと襟を正して自己評価をしながらいい仕事をしていかなければならないことになると思う。
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それでは、事務局側で名称等についていろいろ考えていただいているので、そちらについて議論をしたい。
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(資料3−1、資料3−2、資料3−3、資料4について説明)
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日本語で名前を考える際に、英語の名称を想定しておくべき。したがって、現在考えている教授あるいは准教授を、プロフェッサーあるいはアソシエートプロフェッサーとし、この「新職」の英語名称はアシスタントプロフェッサーと決めると日本語でもつけやすい。現在アカデミアの組織はアメリカのネーミングが世界的スタンダードであり、そういう意味でいえば、アシスタントプロフェッサーという名称は、世界的な意味での内容、通用性もあると思う。
それから、「(新)助手」については、サポーティングスタッフ的な性格ではないかと思う。
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レクチャラーというのは、教授、助教授のかわりをしてくれる、外からお呼びしてというものであると思うので、ランクとは違うこととなっている。
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「新職」をアシスタントプロフェッサーと考えるということには全く賛成である。
ただ、これまでに何人かの若手の方と名刺交換をすると、表には講師と書いてあって、裏側にアシスタントプロフェッサーと書いている人もおれば、助手と書いてあっても裏側はアシスタントプロフェッサーと書いておられる方も結構多い。そういう意味で、本人の意識の問題と制度の問題とが、必ずしもリンクしないである。したがって、やはり慎重にアシスタントプロフェッサーにふさわしい「新職」の名前を考えるべきではないかと思っいる。
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「新職」については、ある意味でグローバルスタンダードの面はあるかと思うが、アシスタントプロフェッサーというイメージを持って、今後考えていくということでよろしいか。
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アメリカにはインストラクターがおり、相当歳をとっている。アカデミックラダーを上がっていくというアンビションは捨てているが、教育を一生懸命やったり学生の世話をしている。
したがって、私は「新職」も2段階くらいあって、下がアシスタントでその上がインストラクターであってもいいなというような気がする。アシスタントプロフェッサーは賛成だが、その場合には、今の現状の講師というのは、階層としての講師ではなくて、授業を講ずるというものにして、今の講師の方はおそらく准教授とするということであれば賛成である。
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今の講師は枠外になっているが、医学部では置くことになっている。ランクづけは教授、助教授、講師、助手という位置づけがあり、一律に助手を助教授に上げると今度は給与面で負担増になってくる。また、助教授と講師が逆転のイメージになってしまう。
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現状は、医学部は他学部と違うかもしれないが、教授、助教授何名、助教授、講師何名というふうにはっきりと定員枠が固定されて助手も定員が決まっている。そういう従来の方式でいくと、助教授の人たちは、医学部の人はみんなアソシエイトプロフェッサーという認識でやっている。講師がアシスタントプロフェッサーということでやってきている。
したがって、講師は扱いが違うということであるが、これは認識が今述べたようなことであるので、新しい方向に動くのであるから考え方を変えるべきであろうけれども、「新職」がアシスタントプロフェッサーとなったときに、講師の扱いというのはどういうふうにすべきなのか、名称はきちっとしておいた方が良い。
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そのとおりだと思う。その講師、専任の講師、常勤の講師はないよというメッセージだとすると、今の専任講師は、シニアの方はアソシエートプロフェッサーになり、ジュニアの方はもう少しアシスタントプロフェッサーで待っててくれということになる。一方、助手の方でテニュアトラックになってくる人たちが、アシスタントプロフェッサーとなり、専任講師とジュニアの人たち一緒になって、そこで競争して、それでアソシエートプロフェッサーになる、こういう感じになるのではないか。医学部はまた少し違うかもしれないが。
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私が先ほど、インストラクターというポジションは非常にいいと思ったのは、大学の先生を目指してやっている中にも、将来はそれをやめて、教授になることをあきらめてというと語弊があるけれども、それよりも教育に専念するというか、そういう職があってもいいのではないかと思う。今現状を申し上げると、古手の40才を過ぎた助手の方がおられるけれども、この方は助教授、教授と上がる以外に退路を絶たれている。それで、いろんな不幸なことが起こっている。その中には学生の世話などをするのが非常に上手な方もおられる。将来恐らく研究も去ることながら、教育というものが大学で重視されるようになると、そういう道をつくってあげて、非研究職、教育職みたいなことで処遇するということもあるのではないかと思っている。
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人文社会系では助手はほとんどおらず、専任講師も1割程度。理学系や工学系になると、差はあるが、やはり圧倒的に多いのは教授、助教授ということになる。講師は工学系には1割ぐらいいて後は助手。保健系は全く違った構造になっており、保健系では25ページにあるが、まず助手が5割、専任講師が約2割という構造になっているので、名称の問題についても、どうしても医学系は他とは一緒にできないなというのがこの数字を見るとわかる。他の領域は助手と専任講師の壁をとっぱってもそれほど数量的な問題は起こってこないと思うが、分野別の違いがありまして、特に医学系はどうするかというのは、相当医学関係者の間では問題としてあるのではないか。
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現状をこの資料で見ると、やはり保健系、特に医学系の講師の使い方が特殊である。完全に教授、助教授、講師、助手というように、講師を3番目に位置付けている。医学系以外では必ずしもそういう使い方をしておらず、まさに学校教育法に近いような使い方をしておることが多いのではないかと思うが、医学系の場合はほとんどそこに補てんしているのではないかと思う。助手の数が多いということも大きな特色ではあるけれども、講師の位置づけはやはり大きな特色ではないかと思うが、そういう理解でよろしいか。
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医学系では、講師という職がピラミッドの中に1層ある。
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現在の教授の方は、講師を経由して上がってこられたのか、あるいはそうではなくて、一生懸命やっても講師どまりの方がいるのか。
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いる。医学系では流動性は非常に高い。例えば助手は3年ぐらいでどんどん異動していく。講師でも病院に出て行く。逆に交換を促進しているくらいである。助教授になると、ある程度流動性は減ってくるが、講師まではかなり流動性は高いというのが現状である。
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場合によっては講師から教授になることは医学の場合よくあることであり、病院の仕事から教授ということもありえるし、それはむしろ柔軟だけれども、一方で、かなり人事のシステムがヒエラルキーがあって、相当自由に上の方が動かせる仕組みになっているからではないかということも多少推測されている。
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短期大学では、学校の人事制度というのが講師、助教授、教授というふうになっており、専任でとるときに講師でとり、そして中での教育研究で助教授、教授に上がっていくということが、大方の昇格のルールになっていると思われる。
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私の大学では、始まったときから教授、准教授、助教授というシステムをとっており、それに対応する英語の名称はプロフェッサー、アソシエイトプロフェッサー、アシスタントプロフェッサーとなっている。そのほかに語学の先生などで、このインストラクターという言葉を使っている場合もあるが、これはビジティング的なものではない。ビジティングは、ビジティングアシスタントプロフェッサーなどとなる。いずれにせよ、基本は助教授、准教授、教授、アシスタント、アソシエイト、プロフェッサーということで、非常にスムーズにいっているという経験がある。
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この職の割合がどのようになるかということが、3段階にしても4段階にしても大きい。アメリカのように、アシスタントプロフェッサーがテニュアトラックであるアソシエイトプロフェッサーとすると、アソシエイトは非常に少ない。アソシエイトに閉じ込めておくメリットが余り大学としてはない。テニュアをとった後数年アソシエートをするわけであるが、すぐプロフェッサーにしてしまう。
日本はどうしてもヒエラルキーをつくろうとするが、アメリカの場合にはもうできるだけ個人で、フルスイングさせようというのが自然科学系では主なのではないかと思う。
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いろいろご意見をいただいているが、事務局サイドとしては、本日、「新職」の職名それから「(新)助手」の職名について、ある程度ここでご意見をいただいて、幾つかに一応絞った上で、それをいろいろなところで聞いていきたいという希望があるとのことである。もう一つは、財政の支援について資料4として資料を1枚配付しており、これについてもある程度考えていかなければいけないと思われる。事務局から資料4について説明いただきたい。
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資料4について簡単にご説明させていただきたい。
「新職」等若手教員への支援として考えられる対応策ということで、幾つか論点ということで上げている。
まず最初はCOEなどのような教育研究拠点の形成を通じた「新職」等若手教員の活躍の場の確保ということで、COEの採択や施設の整備などにおいて、こうした若手教員の活躍の場が確保されているかどうかというのを一つのチェックポイントとするといういうような形で、こうした「新職」等の活躍の場が確保されることを推し進めていくとうものである。
その次の「新職」等若手教員の競争的資金の確保については、科研費等の競争的資金の確保において何らかの対応をしていくかどうかという観点がある。
3つ目の「新職」等の若手教員のスタートアップのために必要な環境、設備費、研究費の整備であるが、「新職」の方が別から来られたときに、その方の研究を始めていくために、何らかの設備ないしは研究施設を、スタートアップから整えていくことも考えられるのではないか。
4つ目は、研究スペースの問題であり、新職の方々が研究されるためにスペースの確保ということに関してどのように考えていくかということである。
その他ということで、当然これらに限られないと思うが、それ以外の新職の方々の支援で考えられるものがあれば、そのようなものについてもご議論いただければということで挙げている。
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基本的な流れは、すべていい方向に向かっていると思っている。
資料4の中に「新職」の方が例えば講義を行うことになると、今までなかったような職務の手当などが必要になるのか、その辺は何かお考えがあるか。
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教育研究の仕事を新たにしていただくのであるからという処遇の問題については、新たにしていただく方もいるかもしれないが、基本的な考え方は、既存の助手の中から教育研究を中心になさっている方を切り分けるということである。したがって原則的としては、これによる処遇アップとか待遇増というようなことは予定はしておらないという考え方である。その点はご理解をいただければと思っている。
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私もそのとおりだと思う。これは仕方がないということがあり、並行して是非進めていかなければならない。大学全体が貧しい中で一生懸命やってきた、そういうところからたどり着いたのが今ではないかと思うので、高等教育全体の財政の問題については、国公私を問わず、ぜひこれからも並行してご尽力いただければと思っている。
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同じくおっしゃるとおりだと思う。今、私立大学においては教育のデューティーが重いというふうに言われているが、むしろ国立大学において、教育のデューティーが欧米に比べて少な過ぎのではないかと思っているので、国立大学については先生方にしっかり教育に力を入れていただきたいと思っている。それがデューティーと考えるよりも、研究の方にもはね返っていい面もあるんだろうと思う。教育への関心が少し薄いので、それを高めていただくいい機会ではないかとむしろ思っている。
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財政のことについては、それぞれ委員の皆様に、資料4のこと等の課題についてもお考えいただければと思う。
それから、「新職」と「(新)助手」の名称のことであるが、これはどうするか。
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本日は時間が迫っているので、委員の先生方から事務局に後日名称についての御意見をお送りいただくということでいかがか。
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そういうことにさせていただきたい。
ただ一つだけ、先ほどからある講師というのは一体何者かということは、一応設置基準の条文とおりということで理解してよろしいか。今現実には、階層の中に組み込まれた形になっているが、階層に組み込まれた形をそのままにして、さらに「新職」をということになってくると、かなり複雑な様相を呈してくる。
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その場合、やはり今日お話が出たように、医学部については既成事実がかなりある。私学の個別の事情は分からないが、講師あるいはそれに類するような名前の専任の職を置かれていることもあると思う。
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今のところの例で言えば、端的に言って、助教授が余りふえると問題があるので、一応専任講師というのを置いて待っていてもらうという感じだと思う。そこに、もし「新職」ができれば、おそらくアソシエイトプロフェッサーになるのと、アシスタントプロフェッサーにある意味で横滑りするのと、キャリアやいろんな業績でもって分かれてくるのではないかというふうに思う。ただ、今ついている専任講師という職名を外していくと、すぐにあしたから変えてくださいということはなかなか難しいと思うので、ある期間経過措置を十分取らなければならないと思う。私学系の専任講師についてはそういう感覚を持っているが、医学系はまた違っているのかもしれない。ただ、そこへ踏み込まないと本当には進まないのではないかとも思われる。
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今、私立医科大学協会として、各大学に「中間的な整理」を送って意見を求めているところであるが、その説明の中では、3段階というふうには申し上げていなくて、ニュアンスは「新職」というのは今までで言う医学部の助手に相当するというような説明で、いかがでしょうかという意見の求め方をした。
したがって、もし医学部も3段階にしなければならないということになれば、もう一度その点改めてきちっとした話を各大学にさせていただく必要がある。あるいは医学部は助手が圧倒的に多いものですから、そこをすべて専任講師あるいは講師ということで、皆さんが対応するのかどうか、意見をもう一度求め直す必要があるという気がする。
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色刷りの図の資料をご覧いただきたいが、これは左側は現行制度で、右側が中間の段階で提案している制度ということになるが、左側でも講師というのは教授または助教授に準ずるということで、いろんな使い方ができるというふうに規定されている。特に医学部ではこれを助教授と助手の間に位置付けて、ほとんど固定的に使っているということだと思う。それは右側の方にいっても、もしそういう使い方をするのであれば、その限りのことではないと思うので、それでよろしいのではないか。基本的な階層としては教授、准教授、「新職」と。講師はそれと別にここにあるけれども、もし医学分野でどうしてもこれをどこかに組み込んで使いたいということであれば、それはご自由におやりなさいという理解でよろしいのではないか。
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もし講師との関係についてご意見があれば、必要に応じてコメントをつけていただいて、名称の意見とともに出していただくということでいかがか。
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では、講師に関するコメントがあれば、それをつけて事務局に提出していただくこととしたい。
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