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中央教育審議会大学分科会

2003年12月3日 議事録
中央教育審議会大学分科会  大学の教員組織の在り方に関する検討委員会(第2回)議事次第

中央教育審議会   大学分科会
大学の教員組織の在り方に関する検討委員会(第2回)議事次第

1  日時    平成15年12月3日(木)   9:30〜11:00

2  場所    三田共用会議所   第2特別会議室(2階)

  議題
(1) 大学の教員組織の在り方及び職の在り方について
(2) その他

  配付資料
資料1   大学の教員組織の在り方に関する検討委員会(第1回)議事要旨(案)
資料2   第一回検討委員会における意見の概要(案)
資料3   大学における各職の職務内容、資格等
資料4   大学教員の流動性について
資料5   大学教員の職別・分野別データ集
資料6   諸外国の大学教員の比較(PDF:14KB)
資料7   欧米諸国における大学教員の職について
資料8   大学の教員組織の在り方に関する検討課題例(案)

(机上資料)
教員組織の在り方に関する基礎資料
高等教育関係基礎資料集
大学審議会全28答申・報告集
大学設置審査要覧
教育指標の国際比較(平成15年版)

5  出席者  
( 臨時委員 ) 安西祐一郎(座長)、荻上紘一(座長代理)、天野郁夫、井村裕夫の各臨時委員
( 専門委員 ) 伊藤文雄、岩田啓靖、川村正幸、福田康一郎、森脇道子、四ツ柳隆夫の各専門委員
(文部科学省) 遠藤高等教育局長、清水高等教育局審議官、清木大学課長、杉野専門教育課長   他

  議   事
事務局から資料についての説明があり、その後、教員組織の在り方について自由討議を行った。

   (○:委員、●:事務局)

   助手の問題を論ずる際に、テニュア制度を日本においてどう考えるのかというのが一つ観点である。フランスのある方と話をした際、フランスも教員組織が非常に硬直化してしまいどんどんと年齢が上がっていく傾向にある。いったん就任すると終身保障され、若手の人が伸びる機会が非常に乏しくなっているので、ドイツのジュニア・プロフェッサーのように、テニュアトラックを設け任期付で一定期間、そういう制度を導入するということを今真剣に考えている、と語っていた。日本には、その一定期間のうちの半分くらいを外国で実施できるようにしたいとの理由で来たようだった。いずれにしろ、将来研究者となる人が、任期付で一定期間、きちんとした資格を与えられ研究費も優先的に付くようにし、テニュアトラックにのった人にチャンスを与えることを検討するべきではないか。助手の在り方を考える際に、それをテニュアトラックとして考えるならば、独立して研究できる仕組みを考えなければならないのではないかと思う。テニュア制度というものは、後でテニュアを付与する際の選考がフェアであれば、これほど優れた組織はないのではないだろうかということを言っている方もおられるが、そのようなことも参考にしながら、日本でテニュア制度を導入できるのかどうかを議論しておくことが重要である。

   教授、助教授、助手の職位と職務内容規定というのは、設置基準の講座制・学科目制と非常に関係が深く、その発足から言っても、講座制を前提にして職階と職務内容が決められている。この2つは不可分のものであったが、しだいに曖昧になってきて、講座・学科目以外のどのような組織編成をとってもいいというところまできており、当然、「助教授は教授を助ける」とか、「助手は教授、助教授を助ける」という規定は変えられるべきであったのに放置してしまい、実態がどんどん変わってきてしまっている。また、設置基準に書き込まれ設置認可の基準になっているが、この教授、助教授、助手の職務内容や、それに基づく審査というのは、現在も有効性を持っているのか。いろいろな人達が教授や助教授になったりして基準が非常に曖昧模糊としてきている。大学には教授から助手まで置かなければいけないとなっているが、助手を置かずに設置認可される大学も多数あり、明らかに空文化している。規定と実態とのずれをどのように認識しているのか。

   助手を置かない大学については、学園紛争などを契機として助手を置かないことにしたという大学もあるやに聞いている。設置認可については、専任教員数という観点から見ているのではないかと思う。専任教員数が何人いるのかということ、また、その半数以上は教授でなければいけないということ、それぞれの専任教員の方の研究業績や実務経験などで教育上ふさわしい能力をもっているかという観点から見ているのが実態ではないかと思う。この学校教育法の条文の助教授が教授を助けているというような観点からみているというようなことは実態上ないのではないか。

   高専の場合は、教育体系、教育が重視される学校種の中で、実験・実習の重要性が非常に高い。実験・実習の担当者自体が単に支援的・補助的な職でなくて、それ自身非常に重要な技官的スペシャリストというか、学問的に非常に深い、同時に自分自身が研究しながら、研究のおもしろさとか感激が学生に伝わるような実験実習をしなければいけない。これから、特に技術関係のエキスパートを育てれば大事な教育体系になっていくと思うが、そういう時に、そこは今までの慣例では助手が担当する部分となってしまっている。助手よりは少し違う教育上のスペシャリストとしての妥当な職位と扱いが可能な体制も考えてはどうか。それと併せて、そこを一つのテニュアトラックとする事もできると思う。高専の場合は、講座制ではないのでドクターコースを出てすぐその人を育てていくという体制においては、大学とちょっとハンディキャップがあるので、ある程度そういうキャリアを持ってかなり育った人がそこに付いてくるようなテニュアトラックも考えられる。高専についても、日本の技術系の高等教育の全体系の中でお互いに占める位置付けを補完しあい日本の科学技術立国の技術者養成の部分を作っていく考えの中に入れていただければと思う。

   助手という職位・職階は事実上空文化しており、非常に曖昧なポストになっている。曖昧なポストに、様々な曖昧さを利用して役割が押しつけられ、ありとあらゆる雑務をそこで背負っている。日本の講座制や研究室制度において、助手が科研費のきりもりから学生の世話まで雑務を全部背負っているポストになってしまった。講座制をとっていないところでは助手がいてもたいして必要性がないので助手ポストを振替え教授にし、講座制をとっているところでは、助手の身分がポスドクと比べると非常に悪くなっている。ポスドクは特別研究員になって多額の研究費を貰っており研究に専念できるが、助手はそれと同じか若干低い給料を貰っており実は雑務の固まりをやっている。これは非常に気の毒な状態なので、助手と言う職名そのものをなくし、あるいはそういう職業が本当に必要なのかということも抜本的に考えないといけない。確かに実習をする人が必要だとか、学生の面倒見る人も必要だとか、講座の事務を見る人も必要だと言う意見もあるが、それらを全てまとめて背負わされる曖昧なポストとして助手を置くことにはほとんど意味がなくなくなっているので、助手制度を廃止すべきだと思う。また、職務をいくつかに分けるとか、或いは若手研究者のキャリアパスとして新しい職位をつくるか。そうしないと、もう制度としてなりたっていないという気がする。

   助手の曖昧なままの状況を今まで放置していたというのは問題だと思う。この機会にきちんと改めるべき。また、テニュア制においては、それ以外の助手があってもいいと思う。それは別の名前にしたらいい。例えば、一生研究・教育の補助だけをするとか、秘書的な役割をする人、そういう人は別の名前にしたらいいのではないか。また、将来教員になるのであれば、研究・教育の両方について学ばないといけないし、一定期間そういうことを訓練し、その人がさらに昇進するに値すると判断ができたら終身雇用権を与える形にしたらよいと思う。将来教員になる人だったら、助手という名前にせずに、他の名称を与えたほうがよいのではないかと思う。また、テニュア制を終身雇用権と訳すのは非常に誤解がある。例えば、メリーランド州立大学においては、教員の給料で大学が出すのは25%であとは自分で稼がないといけない。NIHとかいろんなグラントをとってきてその中に含めるとか、あるいは、それ以外の分野だとサマースクールに行って収入を得るとか。いろいろなところで75%を自分で稼がないといけない。終身雇用権というのは、大学におろうと思えばおれますよという権利だけであり、大学が収入を保障するものではない。

   助手制度の見直しというのは賛成であるが、小規模の公立大学等の場合、助手制度や若手教員の形を見ていくと、地域への進出というか地域貢献と一般に言われているような新しい分野が教育上重要になってきている。学校教育法上の助手の定義は、だいたいは実験・実習的なものに助手をおきなさいというもので、これは、だいたいキャンパスの内部に職務を固定するというイメージで定義されているように思える。ところがインターンシップとかの地域への教育を主導する場合に、助手の教育力、例えば、単位の認定権とか、授業そのものに責任をもって主体的にその管理できるとか、学生に起こるかもしれない事故とかに対して大学を代表して交渉できるような主体性をというかそういうものを付与してあげないと、学外へ出て多様な教育に助手が適用できない。どんどん学生を外へ出していくプログラムを作ろうとするが、人的にそこがうまくカバーできない。そこに非常に大きなためらいがある。したがって、教育の面からも従来の助手の定義を見直してだいて、助手に十分な教育的な主権を与えるようにすべきではないか。

   社会科学の領域の場合、助手の使い方が非常に多様であり、今意見が出ているような像にあう助手というのがほとんどいないというのが実態である。そのような教授、助教授に準じた形で扱う助手というものはどういうものかということを、ある程度明確に仕分けをした上で議論をしたほうがよいのではないか。併せて、国立大学法人の場合、これまで助手という形で一本で給与が出ていたものを、今後どのような形で出していくのか。文科省も考え方を整理しなければならない。

   領域によっては、助手の位置付け、あるい助けてもらう使い方がかなり多様だということがあるので、教育に研究に独立して活動できるポストとして、新たなものをつくるべきだと思うが、それ以外の使い方のところでは、かつて教務職員という存在があったが、この下支えをするような技術系職員について、これをどう位置付けるか、どう確保していくかというのが大事なことだと思う。また、それを俸給職上どういう位置付けにしていくか。助手が教育職のランクを上げていくとなると、やはりお金がかかる話であるし、階級だけ上げていくだけでは実態としてはやはりちょっとどうかと思う。下支えの技術系職員等をどのように確保していくのかということが前提にないと、誰が下支えをするんだという大きな問題が出てくるので、是非その辺も包括して議論していただければと思う。もうひとつは、独立して行うようになると、教授、助教授、講師というひとつのまとまりでやっていく場合の不都合がある程度生じてくるのではないか。そこをどううまく調整するか検討していただきたい。

   助手の弊害を改革するのには、制度、名称をまず変えるということをやらないと全体が変わっていかないのではないか。いろいろな役割が曖昧なままであるという中に、組織上の問題もある。私学の場合、人件費の問題について任期付という形で解決するということだと思うが、その辺も目配りをする必要があるだろうと思うのと、教育や社会科学系あるいは技術系の現場がどう活性化していくかというところ、下支えという見方もあるが、そこが教育型の大学の場合には教育上の活性化しなければならないそういうポイントであるということも、今後、助手をなくした後に重視する必要があるのではではないか。

   自分が助手をしていた時は、専任講師の一歩手前に助手が位置付けられていた。最近は、教育面でいうと、教授・助教授の補佐をしていく役割というのはむしろTAになっている。研究の方はどうかというと、最近COEとかいろいろな科研費の大型プロジェクトの中に特別研究員が入っており、助手をいっても、役割に大きな変化が起きているのではないかと。これからどんどんTA制度が充実し、また、リサーチアソシエイトのようなプロジェクトが充実していくと、説明いただいた今までのような教授や助教授を補佐するような形の助手の役割が大きく変わっていくることがあるのではないか。

   教育にしろ、研究にしろ、それを支援する人材が必要ではないかと思う。その層が薄かったというのが日本の大きな問題点ではないか。研究面に関しては、今後さらに科学研究費補助金を増やし、その研究費である程度雇用できるようにすることで解決がはかられると考えるが、教育面に関しては、今後検討し支援をするということしていかないといけない。そういうところはある程度整理していく必要があるだろう。また、今後の期待として一つは、研究費の間接経費がある。30%を目標に増やしていく傾向にあるが、そういうものが増えてくると大学は自由に使うことができるのでいろいろな形で優秀な研究補助者を雇っていくことも可能になると思うが、現在では、残念ながら6%か7%しかついていないという状況である。国立大学も法人化する中、新しい制度を設け、それどのようにしてそれを運営していくのかというのは非常に難しい問題であるが、そういう人材が相当必要だということは文部科学省も考えていただき、例えば国立大学への運営費交付金を減らさないように是非がんばっていただきたい思う。

   大学がどういう職名の教員・職員をどれだけ置くかというのは全く大学の自由なのか、それとも、教授、助教授、助手というような職名を守らなくてはいけないのか。都立大学で準教授という職名を置くことを検討中との話もあるが、教授の名称や中身がいろいろ多様になってきており、またグレーゾーンもできている。そのような状況の中、今後も事後チェックシステムに移行する過程においても設置基準や学校教育法に規定をしつづけるのか。これは根本に関わる問題で、助手があるべきかあるべきでないという以前に、そういう規制の仕方を文部省として行政の一環として行う考えなのか。

   学長、教授、助教授以外のポストについては、東京都立大学で、助教授を準教授、助手を研究員にするといった報道があり、都に確認したところ、法律上は助教授だが、呼び方としては準教授にしたいと担当者が言っていた。ただ、実態としてどうかということもあるし、学長、教授、助教授、助手、事務職員を必ず置かなければいけないことになっているので、その必置のものはものはどのようなものかということを議論していただければと思う。

   今指摘をされた件はこの問題の根幹であり、学校教育法において、必置職員とその職務内容を規定している意味は一体何なのかという問題である。現実に則して言えば、教授の職の中で様々な名称を設けるとか、学校教育法に定められているもの以外職員を置けるのか置けないのか、という議論だろうと。今までは、学校教育法以外の職はおおよそあり得ないという想定のもと行われていたが、今後国立大学が法人化され、どのような職員の種類を置くのか、また、雇用上の扱いをどう整理していくかが問題となる。

   整理をすると、1点は、助手の中身が極めて多様になっており、また、特別な技術職員、教務職員的な仕事もあるし、雑用的なものもあるし、それをはっきり分けていった方がいいのではないかという考え。それからもうひとつは、それに伴って、学校教育法と大学設置基準を改正したほうがいいのではないかという考え。それから、第3点は名称の問題で、助手という一つの言葉でくくってしまうのは、先ほどの第1点の面でおかしいのではないかと。助手という名前は変えた方がいいのではないかという考え。また、若手研究者のテニュアトラックポジション等は第1点の非常に重要な論点だと思うし、教育にきちっと携わるような若手の方々の名称をきちっとして保障するというか、そういうことも重要ではないか。そういったことをこの委員会がきちんと議論をしていかなくてはならない。

   教育中心でも研究中心でもいいが、将来教員になるポジションとした場合に、テニュアトラックのような形の制度を、大学に強制するわけにはできないが、任期付であるのが望ましいのかどうなのかというのは少し議論をしておいた方がいいのではないかと思う。

   アメリカの例で言うと、分野によって違うが、基本的にはプロフェッサーとつくのは、教育ポジションで、純粋に研究だけというのは例えば、リサーチサイエンティストとか、シニアリサーチサイエンティストとかそういう別の名前もある。また、いくつか名前を分けると、それでまた差別や序列が出来てしまう可能性もある。そういった事も検討しておかなくてはならない。

  次回の日程
次回は、12月11日(木)に開催することとなった。



(高等教育局大学課)

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