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中央教育審議会大学分科会制度部会(第11回)議事録・配布資料


1 日時: 平成16年7月29日(木曜日)14時〜16時

2 場所: 三田共用会議所第3特別会議室(3階)

 議事
(1) 制度部会での審議の中間的な整理について
(2) その他

 配付資料
資料1   制度部会(第10回)議事要旨(案)
資料2-1   制度部会での審議状況について
(平成16年7月23日 第35回大学分科会資料)
資料2-2   大学院部会での審議状況について
(平成16年7月23日 第35回大学分科会資料)
資料3   大学分科会制度部会での審議の中間的な整理(案)
資料4   大学分科会関係の今後の日程について

机上資料)
  制度部会関係基礎資料集
  高等教育関係基礎資料集
  文部科学統計要覧(平成16年版)
  大学設置審査要覧
  教育指標の国際比較(平成16年版)
  大学審議会全28答申・報告集
  中央教育審議会答申「大学等における社会人受入れの推進方策について」
  中央教育審議会答申「大学の質の保証に係る新たなシステムの構築について」「大学院における高度専門職業人養成について」「法科大学院の設置基準等について」
  中央教育審議会答申「新たな留学生政策の展開について」
  中央教育審議会答申「薬学教育の改善・充実について」
  国境を越えて教育を提供する大学の質保証について(審議のまとめ)
  科学技術・学術審議会人材委員会第1次提言
  科学技術・学術審議会人材委員会第2次提言
  科学技術・学術審議会人材委員会第3次提言
  科学技術関係人材の育成・確保について(総合科学技術会議決定)

 出席者
 (委員)   鳥居泰彦(会長)、岸本忠三(部会長)、木村孟(副部会長)、黒田玲子の各委員
 (臨時委員)   天野郁夫、生駒俊明、島田Y子、関根秀和の各臨時委員
 (専門委員)   清成忠男、佐藤東洋士、高木不折、舘昭、中込三郎、福田益和、森脇道子、山内昭人、四ツ柳隆夫の各専門委員
 (文部科学省)   結城文部科学審議官、石川高等教育局長、金森私学部長、徳永高等教育局担当審議官、泉高等教育局担当審議官、瀬山大臣官房担当審議官、村田科学技術・学術総括官、惣脇高等教育企画課長、小松大学振興課長、大槻私学行政課長 他

 議事
(1)  「大学分科会制度部会での審議の中間的な整理(案)」について、各項目ごとに順次、事務局からの説明と意見交換が行われた。

  (○:委員、●:事務局)

【基本的事項について】

  委員  「第三の使命」で社会貢献といったとき、大学が社会にサービスすることのみに限定されているイメージがある。
 社会の教育力を取り込んだ高等教育機関という考え方が必要ではないか。実際に、学生を現場に出すことでこれから何を学ぶべきか、問題意識を与えている。そのほうが教育効果も大きい。キーワードは「社会とともに次世代を育てる」ということではないか。

  委員  大学の役割として人格形成等、個人と関わる次元のものが1つある。
 「社会貢献」は果たして「第三の使命」なのか。社会公共性や社会の安定性への寄与といったものはもともとあったのではないか。それらと冒頭の「社会・経済の発展や国際競争力の確保」はまとめて「公共性」として強調したほうがよいのではないか。
 義務教育と違い、高等教育には入学試験、授業料等による排他性が存在するので完全な公共財ではない。しかし、高等教育が果たす役割には「公共性」が求められる。
 オリックスの宮内会長が「入学試験等がなく真に公共性が担保されているという条件に限定すれば、株式会社を含め誰が大学を作ってもいい」とおっしゃっていたが、この考え方は妥当であろう。

  委員  「言うまでもなく」以降の記述にあるように教育・研究も社会貢献であり、「第三の使命」として「社会貢献」を挙げると矛盾をきたすのではないか。
 アメリカでは社会貢献一般ではなく、教育・研究・社会サービス(social service)という区分けになっている。社会サービスは教員が州の政策を助けるという実効的な行為も含む。「第三の使命」として「社会サービス」を採用するならば、日本語のサービスと英語のserviceのニュアンスの違いに注意が必要である。
 「社会貢献」のもう1つの捉え方は産学連携等、研究・教育が大学だけでできなくなり、大学が社会性をもってきたという「直接的な社会貢献」が適当であろう。

  委員  「大学は知的共有財産である」と言われるように、大学には公共性の一面がある。
 「社会」という言葉がどの「社会」を指しているのか分からない。大学側も答えを見つけておらず、この辺りの整理が必要ではないか。

  委員  大学の社会貢献とは「研究と教育の成果を通しての社会貢献」だけであり、米国的な「社会サービス」は使命として考えるべきではない。そうすると間違った方向に行ってしまうだろう。
 これまでは研究の成果を社会に分かりやすく説明することを怠ってきた。教育についても、これまでは個人の教育に終始していたが、これからは教育を受けた個人が社会に出てきちんと役割を果たせるようなカリキュラムを組む等、社会の要請に応じた教育が必要ではないか。

  委員  最初のしろまる3つで高等教育について述べ、そのあとのしろまるで大学について述べている。後ろに短大や高専の議論が出てくることを考えると、ここでは高等教育の広がりを明示し、その中で大学の位置付けをはっきりさせる必要がある。
 大学の役割としては、高等教育機関の中核としての重要性を挙げても良いのではないか。

【学部段階の教育課程の在り方について】

  委員  従来より学部は学問的見地に立った職業教育を行っていたが、最近は一般的な職業教育にも取組む傾向がある。仕事の重要性を意識してきているのだろう。現実問題として、学生は自分のスキルを活かしながら学べる高等教育機関を探しており、大学が職業教育を行うのはよいことなのかもしれない。しかし、大学と専門学校の区分けを考えると、大学の職業教育は医師養成教育のような学問的見地に立つものであるべきではないか。事実、大学におけるそのような職業教育には素晴らしいものがある。
 大学における職業教育に対する議論が十分に行われていないのではないか。

  委員  専門職大学院制度ができたことで学部レベルの職業教育を見直す必要があるのではないか。取組みやすいというイメージを持っていることもあり、専門学校を持つ法人が次々に専門職大学院を設置しようとしている。その中には目先のスキルや知識を教えれば良いと思い込んでいる法人もある。しかし本来は大学院である以上、たとえ高度であってもすぐに陳腐化するような技術を教えるところであってはならない。教える技術の量が減ったとしても、変化に対応できる力をきちんと身につけさせることが必要である。この辺りの議論が制度設計のときに不十分だったのではないか。
 学部の職業教育でも独創的な能力を育てる等、きちんとした「学」が必要で、資格につながるからいいというものではない。この意識が設置しようとする申請者側に欠けている。
 学校教育法における学部の職業教育の目的規定が明確でなく、議論をしたほうが良いのではないか。

  委員  2においても多様な高等教育機関の存在とそれぞれの視点・論点の整理を行うべきではないか。
 高専は中学校卒業後という早い時期から創造性に目を向けた教育を一貫して行っている。単純な職業教育ではなく、様々な変化に対応できる基盤的総合力を持った技術者を育成する教育であり、science-based technologyを教えていると言える。
 最近は本科を卒業した後に大学や専攻科に行く例が増え、本来の役割と違うのではないかという意見もある。高専は高度経済成長期を前に中級技術者の不足が予想され、その対策として作られた。当然、求められている技術者像は高度経済成長期と現在で異なってくる。

  委員  「我が国では、職業教育志向もかなり強い」という記述があるが、海外でも職業教育志向は存在する。「我が国では」は記述として強すぎるのではないか。「職業教育志向もかなり強い」の部分は「学部で必要な職業教育が拡大してきている」と言った方が良い。教員養成に見られるように戦後早くから職業教育は行われていたが、それが高度化して学位レベルや準学士レベルになっている。
 「職業教育完成型」とあるが、教育機関では職業教育は完成しないという見方もあり、言葉として使わないほうが良いのではないか。
 「専門分野の枠を超えて共通に求められる知識や思考法等」という記述には無理がある。共通の部分は小さすぎるからだ。それぞれの専門分野の重要な知識や思考法を体系的に身につけることが重要ではないか。
 コア・カリキュラムは限定されたカリキュラム編成原理であり、望ましいとするには無理があるのではないか。体系的で学生のニーズに即したカリキュラム編成にすることが大事である。

  委員  「大学教育の改善について」という答申によって教養課程が廃止されたが、それをどうやって再編するかという問題である。廃止によって専門教育・職業教育を低学年で行うことや教養型の学部ができること等が期待されたが、現実には前者が支配的になり専門学校と何が違うのか問題になってきた。どういう学士課程教育を行うかが大事なわけだが、「総合型教養教育」が何を指すのかわからないし、「職業教育完成型」など職業教育に触れるなら、一定の教養、一般教育も必要であるという特徴を明確にする必要がある。
 コア・カリキュラムについて論じるなら、技術者の養成において教養教育が必要だという認識があることが必要である。なければ教養教育はさらに締め出されていってしまうだろう。
 このように教養教育と職業教育はそれぞれ単独でなく、統括的に扱うべきではないか。
 「教養教育に携わる教員には高い力量が求められる」とあるが、教員については教養教育を専任とする教員を置くのかという制度的な問題があり、あえて書く意味は乏しいのではないか。
 学力低下の問題があり、特にエリートにおける教養の必要性が叫ばれる今、なぜ学士課程3年制が必要なのか明確になっていない。

  委員  従来、学部でも専門職業教育が中心であった。それに対し、学部は教養を中心にある程度専門性のある教育を、大学院は非常に専門性、職業性を有する教育を行うようにしようという流れであり、その中で学部3年制を視野に入れるという話ではなかったか。

  事務局  御指摘の通りであり、一律にとか分野ごとに3年制にしようということではなく、多様化の中で選択肢としてありうるのではないかという問題意識である。

【短期大学教育の在り方について】

  委員  6頁の1つ目のしろまるにある「他の機関」とは他の短期高等教育機関という意味か。

  事務局  その通り。

  委員  高専が「他の機関」になり、「理論的背景を持った分析的・批判的見地」からの教育ではない印象を受ける。高専ではscience-based technologyを教えており、実務だけ教えているわけではない。誤解を招くのではないか。

  委員  短大は長い間苦しんで、実態が変わってきた。それがきちんと捉えられている。
 教養教育、職業教育、専門基礎教育が融合して展開され、相当地域に密着してきている。生涯学習といったときに社会人の受け入れに特化している印象を受けるが、それ以外にも生涯に渡って大学で学ぶための基礎をしっかりと教えているという事実がある。この側面をきちんと捉えていただきたい。

  委員  大学教育についての記述が短大の項にあるが良いのか。
 大学教育の特徴は学校教育法の目的規定だけでは表せなくなってきている。そのときに「理論的背景を持った分析的・批判的見地から」という特徴を持ち出すのは外国の高等教育の文献に良く見られることで、個人的には賛成である。
 学士を学位にしたことで、学位が内容的に世界的なデグリーに近づき、デグリーを出すのが高等教育機関であるという位置付けになってきた。そこにはデグリーとは何か、高等教育機関とは何かという問題がある。
 準学士を学位にするかどうかについて考察するならば、高専も加えて議論する必要がある。

  委員  実態に即した表現ということだったが、果たしてそうか。教養教育重点型と生涯学習型に収斂しつつあると見て良いのか。
 依然として短大で多いのは教育・家政・保健である。最近は教員養成のための専門職大学院を作るべきとの議論もある。看護も専門職大学院にするという意見がある。家政も資格教育との関連や4年制大学との競合から縮小すると思われる。一体どこが残り、どこを強調することで高等教育システムを構成する1つの重要な短期高等教育機関という位置付けになるのだろうか。果たして教養教育重点型、生涯学習型でいいのか。その辺りの議論を十分にする必要があるのではないか。

  委員  現在2年間の準学士課程に対するニーズが確かにあるが、高度化の中でニーズがなくなれば使命が終わったということだろう。
 保健等の分野における職業教育が2年で十分だとは教える側も学生も思ってはいない。
 ほとんどの短大で職業教育を行っているが、「職業人としての在り方、生き方」という基礎をしっかりと教えている。資格を含めた専門教育においても「専門職業人として自分が生涯に渡ってどのように勉強を続けていけば良いか」ということを教えている。
 学部もそうであるが、短大は社会に出た人に対するフォローアップという生涯学習時代に合った転換を遂げつつある。

【高等専門学校の在り方について】

  委員  以下の点を訂正してから御議論いただきたい。
 1つ目のしろまるに「設置目的」という言葉がある。40年前の設置目的がずっと使われてきたが、今年から国立高専の場合は、高専機構法第3条において「創造的な」技術者養成が従来の「実践的」技術者養成に加えて新たに設定された。修文として「5年一貫の実践的かつ創造力ある技術者の養成という新たな教育目的や、早期からの体験重視型の専門教育という特色」にしていただきたい。また「今後とも」以降を「特色ある高等教育機関」に簡略化していただきたい。そのほうが限定的にならずによいのではないか。
 二つ目のしろまるの冒頭に「このような早期の創造教育を基盤として」を加えていただきたい。中学校を出てすぐの時期から体験重視型の創造教育を通じてscience-based technologyを教え、それにより多様な進路に進むための技術者としての広い素養、必要に応じて工夫して問題に対処する能力を養っており、学生はそれを身につけて社会に出ていくということを明確にする。また「一方で」以降を「高等専門学校の準学士課程を修了する多くの学生にとっても早期創造性教育が技術者として成長していく上での基盤として生かされるような生涯教育課程を整備することが重要である」にしていただきたい。今では半分以上の人が専攻科や大学に進学していくが、本科で修了していく学生にとっても早期の創造性教育が生涯において生きているという意味を明らかにする。
 「短期大学教育の在り方について」の最後のしろまるの「短期大学」を「高等専門学校」に変えて、最後のしろまるの上に入れてほしい。高専でも準学士の学位としての位置付けは重要である。

  委員  削除依頼のあった「高等専門学校の役割や位置づけが相対化し、本来の個性・特色が不明確になることのないよう留意すること」を消してしまうと、一体工学部とどこが違うのかという問題が出てくるのではないか。

  委員  創造性教育は大学からでは遅く、それを15才という早期に行うことに意味がある。高校での受験勉強と体験重視型の創造性教育は両立しない。その時期にエンジニア教育ができるのは高専だけであり、世界にもあまり例がない。下の3年は切り捨てるわけにはいかない。それがあるからこそ高専5ヵ年の意義があり、基盤となっている。大学や大学院に進学してもその意義は失わない。
 企業から一番評価が高いのは高専の本科を卒業した後、大学に編入し、マスターを修了した者である。大学からの本科卒業生に対する評価も高く、大学側が3年編入枠を拡大する例等もある。進学率、就職率はともにほぼ100%である。
 日本にとって特色あるユニークな教育機関であり、専攻科によって進学が多くなったからといって、高専本科の意義が失われたわけではない。生涯教育の中で若い時期に工夫するエンジニアとして育てられた基盤は生きていくのである。
 生涯学習の取組みとして技科大と協力したジョイント大学院の試みもある。

  委員  先の部分は残して良いのではないか。もちろん創造性のくだりは入れて構わない。

  委員  名称の問題とは何か。

  委員  創設以前に国会において短期高等教育機関の名称として「専科大学」を用いることが議論されたことを指すものと思われる。

  委員  なぜ準学士の学位としての扱いの項が高専にはないのか。

  事務局  議論の過程では特に短期大学での準学士の扱いが問題になっていた。議論の濃淡を反映したもの。

  委員  「実践的技術者養成」という設置目的は工業系のみに当てはまる。高専の制度としては職業に必要な能力を育成するということのみである。最初は工業高専だけだったが、今はデザイン系等あらゆる分野に拡大されており、この記述は制度としては限定的すぎるのではないか。
 確かに国立高専は機構になり、「創造的」が加わったが、数は少ないものの公立や私立の高専も存在する。制度としての記述なので、これを包含した記述に変えるべきではないか。
 専攻科の役割が大きくなってきており、その重要性を含め議論してはどうか。工業に限り本科の高等教育部分と専攻科を合わせて4年以上の課程と見なし、JABEEによるアクレディテーションが行われている。
 中等教育とつながった準学士課程となっているが、全体を通して付与される準学士の称号はデグリーとして見るべきではないか。現在は大学評価・学位授与機構によってしか学位は与えられていないが、内容的には本科は準学士課程であり、専攻科は学士後期課程であるということを書くと良いのではないか。

  事務局  平成3年の法改正以降にできた特徴的なものとして札幌市立のデザイン高専があるが、実態は従来通り工業高専、商船高専、電波高専が大半である。法律に基づくか、実態に基づくかという問題だと認識している。

  委員  実態としては確かにそうだが、政策誘導として高専を工業系以外のものにも拡大しようとしたことは明らかである。
 名称問題は中教審でも扱われた。例えば名称に「大学」が入り、その上で準学士課程として統一されてくれば私立の参入が考えられる。制度としてきちんと検討したほうがいいのではないか。

【専門学校の在り方について】

  委員  二つ目のしろまるで「対比」と書かれると、専門学校では「教養教育」「専門基礎教育」を全くしていないと捉えられかねない。3頁の2つ目のしろまるで「教養教育」「専門基礎教育」「職業教育」のウエイトは時代によって変わり、様々な性格の大学ができることにも言及されていることから、「更なる専門学校の機能の充実」といった形でまとめてはどうか。

  委員  「大学とは何か」を含めた前からの流れの中では、専門学校は教養教育を行ってはいるが専門技術教育が主であることから、「対比」のままのほうが分かりやすいのではないか。

  委員  学校種で役割を切り分けるのはいかがなものか。4頁の2つ目のしろまるにおいても「誰もがアクセスしやすい高等教育システム」とあり、実際に編入等、学校種横断的になってきている。

  委員  多様なものが様々にあって良いが、ある程度のカテゴライズは必要である。それがないと収拾がつかなくなる。「実践的な職業教育・専門技術教育機関」で良いのではないか。

  委員  文章の流れから教養教育を全くしていない印象を受けることが問題であろう。専門基礎教育を全く行わずに職業教育を行うことは基本的にはできない。教養教育と言ったときにどの科目が相当するのかわからないが、ある部分において様々な形で取り入れられているのは確かである。

  委員  専門学校は1条校の体系に入らないもののうち、ある条件を有するものの総体であり、種別の議論はできない。教養教育を行っているところがあるのも確かである。学校教育法において「職業若しくは実際生活に必要な能力を育成し、又は教養の向上を図ることを目的」と書かれているように、そもそも専修学校は教養の機関でも良いという制度になっている。専門学校に学校種として「実践的な職業教育・専門技術教育だけを行う機関」と言うのなら、学校教育法を改正しなければならないだろう。
 大学との違いは学術性の保証の有無にある。大学は設置審査で教員の研究能力、学問能力等が試されることにより、制度としては一応の学術性の保証があると考えられている。専門学校は学術性があるかもしれないが保証はされていない。この2つが編入によって、つながりうるようになったので分かりにくくなっている。
 学校種として4年制の専門学校卒業者に大学院入学資格を保証すると、大学と一緒になるので反対である。実態として保証するに足るものもあるかもしれないが、大学と同等である制度的な保証はなく、大学院がそれぞれの専門学校における教育内容を学士課程と同等と扱うかどうか、個別に判断すべきではないか。

  委員  今、大学で職業教育を行おうという流れにあるが、大学の本来の理念はどこにいくのか、疑念を抱いてしまう。
 4年制の専門学校における教養、専門基礎教育のレベルは高く、それが社会からの強いニーズに表れている。
 4年制の専門学校を卒業した学生が勉強を通じ、自分の持つスキルをさらに高められる場所は実際問題として大学院しかない。その扉を閉ざすのは学生の将来を考えたときに非常に問題ではないか。学生にとって何が一番良いかを実態的に考えねばならず、大学院入学資格を付与することは「強く」検討していただきたい。

【高等教育の質の保証システムについて】

  委員  質の保証は大事であり、書かれていることに対する異論はないものと考える。

  委員  事前と事後のバランスが必要なのは良いが、経過的な問題なのか恒常的な問題なのか明らかにしていただきたい。前者は事後的な質保証の仕組みができていない段階で規制を緩和してはならないという認識であり、後者は質保証の機能や社会的なコスト負担を考えたときにそもそもバランスが必要であるとするものである。
 「多様な大学が設置される」とあるが、もっとはっきりと「質の悪い大学」と書いて良いのではないか。
 事前規制が緩和されることで過剰参入が起こる。実際に高校しか持たない法人が通学制を飛び越して通信制の大学を申請したり、専門学校を有する法人が大学ではなく専門職大学院を申請したりする。これらは大学とは何かに関する理解、カルチャーが異なることを表している。18歳人口の減少もあり、これからは過剰参入・過当競争・大量倒産の時代であろう。迷惑するのは受験生・学生という消費者であり、当面は事前規制を残すべきではないか。
 機関別評価の前提として分野別評価をやらざるを得ないが、分野別評価自体のニーズはあまりない。その2つを切り離すことについてここまで書き込んで良いのだろうか。

  委員  UNESCO(ユネスコ)、OECD、WTOの議論を考えると、9頁の2つ目のしろまるをもう少し分かりやすい書き方にしたほうが良いのではないか。教育サービスに「一般性」と「特殊性」の2つの面があることは良いし、「サービスとしての市場性」に至ってはWTOにおいてtradablecomodityとはっきりと言われている。ただ「教育サービスの質そのもの」の議論が大事であるとWTOやOECDは言っており、それらの国際的な議論に合わせるためには「教育サービスの提供プロセスそのもの」の部分を簡単に「教育サービスの質そのもの」にしたほうが良いのではないか。背景には教育サービスの効果の永続性とconsumer protectionの考え方がある。質の悪い教育を受けた効果も永続するため、消費者である学生をその問題から守るわけである。

  委員  評価に関する部分の文章は現状では専門学校を除いた学校種に該当している。専門学校は多様であり、設置時の評価も学術性の保証等において違うと言わざるを得ない。
 事後評価体制の中で専門学校をどうしていくのかが大事であり、専門学校の事後評価システムについて触れるべきではないか。大学と同等の内容かどうかをチェックする認証評価機関が出てくれば、その結果を大学院入学の判断に活用できる。

  委員  東京都においては既に専門学校に対する評価・研究機構が立ち上げられている。

  委員  専門学校の評価については専門学校の項に「教育内容・方法や経営状態に関する積極的な情報開示や充実した事後評価の仕組みの確立」と、すでに記述がある。

【全体について】

  委員  全体として議論が非常に混乱しているとの印象を受ける。グランドデザインの一部の議論のはずだが、現状の記述に留まってしまっているのではないか。
 グランドデザインは本来の高等教育の在り方について、国民に対してどのような多様性を提供すれば将来の日本にとって良いかという観点から議論するものである。原案の流れでは、専門学校、高専全てが大学になりたがっている印象を受け、一様性を求めているように聞こえる。
 議論の仕方も間違っている。我々は国民の望みと国としての競争力強化の両方の視点からマッチングが取れているかを議論しないといけない。

  委員  ここでの審議を取りまとめて大学分科会に報告し、そこで更に御指摘のような議論を継続することになる。

(2)  これまで行われた制度部会での審議の中間的な整理を8月6日の大学分科会に報告することが了承され、その内容に関する修正は部会長に一任されることとなった。

 次回の日程
次回は、日程調整の上、決定することとなった。



(高等教育局高等教育企画課高等教育政策室)

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