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高専は中堅技術者の育成から現在では創造的な人材の育成に方向転換したということだが、同じ教員が教育することでもあり、何が変わったのか。
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本科卒業生の約40%が専攻科や大学院への進学を希望している状況である。卒業生の大学院での評判は非常に良い。追跡調査をしたら、大学院修士課程修了時に上位3分の1以内に高専出身者がほぼ含まれていたという例もあった。早期の創造性教育が高く評価されたのだと思う。「高専を卒業した後大学院修士課程を修了した学生が1番信頼できるエンジニアだ」という企業からの評価も定まりつつある。高等学校から引き続いて教育を行う世界でも極めて珍しい事例であり、日本らしい創造的エンジニアの育成ができつつあるのではないか。
現在高専は大学と様々な連携を進めており、高専の4〜5年次における教育は大学の水準と同等な方が望ましいという要請もある。同時に、高専の中で本科と専攻科を統括したJABEEの認定に対応するシステム設計も可能である。しかし繰り返しになるが、年度内に大学評価・学位授与機構から学士の学位をもらうには10月には卒業論文を提出しないと審査が間に合わないという事態が発生している。大学と比べると3ヶ月ほど早いために、論文の内容が少し迫力に欠けてしまう。実質的な教育の質の改善にもなるし、大学と高専の連携体系のシステム化のためにも、検討頂きたい。
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現在、高専の担う分野は工学のみに限定されているわけではない。今後の発展の見通しを伺いたい。
大学評価・学位授与機構の制度は、本来、学習修了者が申請するものである。それにもかかわらず短大や高専から専攻科を修了した段階で学位が欲しいという要請があったために、少し早く学習成果を提出いただくようにしている。課題があることは理解するが、機構の制度上これ以上対応するのは困難な面もあるのではないか。
大学評価・学位授与機構は専攻科について認定作業をしているが、同時に評価部門が高専の認証評価を行うことになっている。同じ機関が一つの学校種に対して二回評価をすることになっている。加えて工学部門に関してはJABEEの評価もあり、整理が必要なのではないか。
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現在、高専の分野が工学のみに限定されていないということに関しては、商船分野の専攻科が設置されておらず、これを今後どう扱っていくか、まず検討したいと考えている。それから経営など文系に近い学科も含まれているが、これについても専攻科の中で複合的に統括して評価可能な体系を構築したい。ソシアルサイエンスでもテクニカルサイエンスでも基盤の考え方は一つなので、統括の可能性はあるのではないか。
大学評価・学位授与機構に関しては、防衛大学校など他の大学校と同等の対応をしていただきたい。それには何らかの実質的証明が必要なので、JABEEが一つの材料にならないだろうか。いずれは1月まで卒業研究を行った後、2月に提出しても審査が間に合うような体制ができればありがたい。
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現在4年制大学の工学部の卒業者が約10万人、修士課程の修了者が約3万人いる。一方、高専の卒業生は約1万人いるが、進学者が4割を超えており、高専を卒業して直ちに職業に就く者は5〜6,000人である。しかも更に進学率が上昇する方向に進むということになると、高専の本来の役割とは一体何なのかという問題が提起されるのではないか。つまり、専攻科もできて徐々に大学に近くなってきている。加えて学位の授与ももっと簡単にということになると、従来の4年制大学の下に3年間の高等学校があるということとどう違うのか。高専で7年間教育をすることの意味が問われるのではないか。年間約14万人の技術者が育成されているが、そのくらいの数になると一括して議論するのは難しい。その中で高専はどういった特色を出していくのか見えにくくなってきているのではないか。
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高専卒業者は多様な進路を選択できるが、必ず本科の教育は経験する。したがって本科で何を教育するかが高専の意義だと思う。高度成長期は専攻科もなく、本科で完成した教育を行い、専門領域の基礎的素養を身につけたエンジニアを育成していた。今は加えて早期の創造性教育のトレーニングをしっかり受けた技術者を育成することを目標としている。その後は、大学進学や専攻科進学など多様なコースを用意している。現在、技術科学大と協力してジョイント大学院のようなものを検討しており、今年の秋から一部動き始める。ただ、やはり1番の柱は本科であり、若い頭脳に対して早期創造性教育を施しファンデーションディグリーを持ったエンジニアを育成するのが高専の大事な役目と考える。
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早期創造性は非常に重要だが、逆に高校レベルまでの教養教育が手薄になってしまうのではないか。専門的知識の習得からはじめてしまうと、人間性の涵養が十分でない技術者が育成されてしまう可能性がある。
また、高専に専攻科を設置したために豊橋と長岡の技術科学大学の存在意義が薄くなっている。両大学の今後を検討する必要がある。高専が非常に重要な技術者の育成機関であるのは間違いないが、あまりにも大学のほうに寄りすぎている印象を受ける。専攻科の先生の中には科研費を取って研究をするために、教育がおざなりになってしまう例もあるのではないか。
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専門職大学院などが増えてくると、学部は一般教育の比重が高くなってくる。一方、高専は高校の段階から専門教育を行うという、むしろ逆の方向に向かっている。以前は中堅技術者を育成するという要請があったが、現在は社会状況の変化に伴い専攻科を設置するなど大学により近くなってきており、高専の存在意義が問われる状況になっているのではないか。
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確かに本科修了時で相当高い専門的基盤を作ろうとするため、教養科目の教育時間が不足する。そのため専攻科の中に英語や社会学の科目を設定し、バランスを取る工夫をしている。
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短大について学校種別ではなく、学位を主とした教育課程に移行すべきという話があったが、それとは別にユニークさ、教養教育を伴った専門性・職業教育は今後も維持したいというふうに理解していいか。
4年制の専門学校が増加し、大学院で勉強したいという人が卒業生の約20%いるという話だった。しかしカリキュラム等を見ても、専門に特化しており教養の面が非常に薄い印象を受ける。大学独自の判定によって個別に入学資格を与えることは可能だし、医療系などでは専門学校から大学院に入学する者も実際にいる。ただ単純に同じ4年間だから、という問題ではないと思う。むしろ専門学校は職業教育に特化しているところに特色があるのだから、同じ取扱いにすると特色が薄まってしまうのではないか。
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4年制の専門学校卒業生全てに大学院入学資格を与えて欲しいとは考えていない。例えば、医療系の場合は、法令で規定されているので、大学、短期大学とカリキュラムが類似している。そして同じ試験を受け、同じ国家資格を得ている。そこまでが一緒で、大学院入学になると違いがでてくる。ある程度オーソライズされている分野に関しては考慮いただけないだろうか。確かに時間が同じだからという問題ではないということは理解しているので、考慮に値するということであれば、これから議論して詰めていかなければいけないと思う。
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短大の特性については、おっしゃるとおりだと思う。今回敢えて短大の意義等について取りあげなかったのは、ここはグランドデザインを検討する場であり、総括的に高等教育はどうあるべきかという観点から考えを述べ合う必要があると考えたからである。短大が今の時代になってあたかも無用化したかのような議論が出てくるのは、性別による役割意識が変化する中で、女子の高等教育機関として一定の社会的な役割を果たしてきた短大がその変化に対応しきれなかった面があったからである。しかし、今はどんどん変化してきており、先ほど述べた学位教育課程に基づいた考え方からいっても、短大は既にそういった形を整えてきているといえるのではないか。
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社会人受入れと公開講座の現状について伺いたい。
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短大の社会人の受入れ割合は現状としては少ないが、今、急速に増えてきている。
今は多くの人が教育を受け、新しい技術を身につけ自己再生産をしなければならない時代である。そこで、短大の仕事として忘れてはいけないのは、単に新しい職業技術を身につけさせるだけではなく、例えばリストラで職を失った人のセルフアイデンティティの再形成をどれだけサポートできるかなどといった点にも留意する必要があるということである。短大の教養教育はその一端を担うことになるのではないか。
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専門学校は多種多様の教育をしているので、各専門学校で社会人向け又は地域の活性化のために無料の公開講座を多数行っている。
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専門学校の教育に対して、短大は技能+αという話だった。しかし、学生の変化に伴い高等教育全体の中での短大の位置付けも大きく変わってきているのではないか。技術を効率的に再獲得したいという社会の要望を汲んだ機関の価値が高くなってくると思う。
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繰り返しになるが、短期大学は学位教育課程たる実質を既に備えているということが前提ではないか。
学位教育課程と資格取得のための課程は整理した方がいいと思う。無理に結びつけたら資格教育の意義が失われてしまう。資格教育はもっと自由で、これからの色々な社会的な状況において多彩でなければいけないと思う。資格取得の課程と学位教育課程との違いは、教養教育である。教養教育とはアイデンティティの形成・再形成である。例えば高齢化社会においては介護教育が重要な問題だが、加えて段々加齢化していく中で自分自身のアイデンティティを再構築し、本当の意味で人生を生きることも大変重要である。
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