中央教育審議会初等中等教育分科会
2003年7月17日 議事要旨中央教育審議会初等中等教育分科会教育課程部会総則等作業部会(第5回) |
中央教育審議会初等中等教育分科会教育課程部会
総則等作業部会(第5回)
1. | 日 時 平成15年7月17日(木)15:30〜18:00 |
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2. | 場 所 如水会館 松風の間 |
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3. | 議 題 議論のまとめ(1) |
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4. | 配付資料
(机上資料)
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5. | 出席者 (委 員) 安彦主査,赤田委員,浅田委員,今井委員,小栗委員,小久保委員,中許委員,西村委員,船津委員 (事務局)
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(1) | 事務局より,資料2及び資料3について説明が行われた。 |
(2) | 資料2について,自由討議が行われた。(○=委員,△=事務局) |
○ 「1−(3) 『学力』の総合的な状況の把握のための取組の必要性」で,「学力」と記述されている部分は,ペーパーテストで測れる学力という印象がある。ペーパーテストで測れる学力は,[確かな学力]の一部であるということをはっきりさせておかなければ,学校間の序列化につながる恐れもあり,表現に注意する必要がある。
○ 「学力」と,表題からすべてかぎ括弧をつけてあるが,意図があるのか。
△ 「学力」という言葉が出てくるところに「総合的な状況」と繰り返し記述し,ペーパーテストで測れるような学力だけではないという意味を込めている。狭い意味での学力ととらえられてはいけないと,かぎ括弧つきにしたが,指摘された趣旨での整理は必要と思う。
△ 資料2としてお示しているのは,これまでの議論や意見を整理したもので,相矛盾する,あるいは重なっているものもあり,今後整理する際の課題と考えている。
また,教科別専門部会で,資料1の検討事項の特定の課題に関する調査について審議しており,その中でも平成13年度等に行った学力調査だけでは,学力のすべては測れないという意見が出ている。ご指摘のように,幅広い学力をとらえる必要があることを示したほうがよいと思う。
○ かぎ括弧で,いろいろなニュアンスが含まれている言葉であると注意を喚起しているようであるが,括弧をつける,つけないなどの表現方法については検討したい。
○ 新学習指導要領が実施され,文部科学省も状況を分析した上で[確かな学力]というスタンスを強調したととらえている。13年度の学力調査もあり,このことをつけ加えながら[確かな学力]を強調していくべきではないかと思う。
○ 「学力」にかぎ括弧がついているが故に,余計混乱を招くのではないか。学力という言葉は,「学歴偏重」に結びついてしまうように,「学力というのは,総合的かつ全体的にバランスよく」という表現をしても,実際に広報を行う時には,多大な努力が必要である。言葉を換える必要はないが,「学力は知的な資質である」など,補完的な語句をつけなければ,学力の固定概念から抜け出ることはできないと思う。
○ まず,理解力,創造力,問題解決能力,挑戦力等は,本当にペーパーで測ることができるのかを考えなければならない。このような力はどこの企業でも必要とする力であり,大学においても同様である。しかし,大学のペーパー入試では,未だそれを問うことができていないことが矛盾している。よって,このような力は,こういう問題に答えられる力であるということを示さない限り,国民一般としては,学力は,知識量を問うペーパーテストでいい点数がとれる力であるという考え方からは脱却できないと思う。
保護者の関心の大部分は,上級学校への進学にあるため,理解力などの力をつけたとしても,進学の役に立たなければ,意味がないということになる。よって,大学に理解力などを問うような出題の指針を示さない限り,問題は解決しないと思う。
また,「総合的な学習の時間」で培っていく力は,これからの日本を支えていくためには必要であるが,現段階では,ペーパーテストでは測れない。保護者も我が子の力がどの程度あるか判断できない不安から,この学力の問題が生じている気がする。
○ 現在,学力を測るための手段として,ペーパーテストを用いているが,今後は別の方法と絡めて提言しないといけない。全国的な調査でも,ペーパーテスト以外の調査方法を加えて調査するべきであるということを示したほうがよいか。
○ 全国調査や各教育委員会の調査は,[確かな学力]の一層の充実を図るための手段として位置づけているのであって,ペーパーテストで学力のすべてが測れるかどうかの議論を始めると,テスト法の開発の話になってしまう。
新学習指導要領の実施にあたり,[確かな学力]の充実を図るための手段として,国や県などが行う学力調査がどういう意味を持つのかということを示すべきである。「実態の把握」ではなく,むしろ「改善に役立つ」調査として位置づけることが大事であり,「的確な把握」と表現するのではなく,むしろ,実態を改善するための調査研究をどのように考えるのかを明記すればよい。
また,[確かな学力]や[生きる力]を「個性を生かす教育」を行うことによって達成しようということだと思うが,「個性を生かす」とはどういうことであるかを明確にすべきである。
○ 次に,「2−(1) 学習指導要領の『基準性』の一層の明確化」についてはどうか。
○ 基準は最低基準で良いが,大学に限らず,中学校,高等学校においても,「本校で受け入れる児童生徒に関しては,こういうことが基礎的な学力としてついていることを要求します」ということが出てきかねない。公立学校にはある程度のはどめがかかると思うが,私立学校に関しては,そういう動きが出てこないとは限らない。よって,例えば「入試においては学習指導要領の内容を逸脱しないように配慮するものとする」というような表現が,混乱を生じさせないためにも必要であると思う。
○ 「基準性」には,最低基準で,国としてすべての子どもに保障するという意味での示し方と,能力の高い子どもにはそれなりのものを保障していくという意味での示し方の二つがある。後者の場合は,飛び級という問題があり,法整備という問題があるが,来年4月からの実施であれば,範囲が限定される。将来的なものも答申に書いてよいのか。
△ 学習指導要領の性格論については引き続きの課題であると認識しており,今回は,来年4月の適用を前提にご審議願いたい。
○ 「はどめ規定」については,「児童生徒一人一人の実態に応じた指導を行う際には,この規定にかかわらず指導することも可能なものであるということを一層明確化することが必要ではないか。」と記述されているが,これでは,子どもたちの負担を考えずに指導が無制限になる可能性も強い。
また,9ページで,「『補充的な学習』,『発展的な学習』をより効果的に実施する上で,学習指導要領において指導内容が2学年にわたり示されているものについては,指導形態の工夫として学年の枠をはずして」と記述されているが,その学年の内容の深化という部分に焦点を当てていくことも明示しておいたほうがよい。学習指導要領では,ある程度その学年で教わるべきことの深化・発展を,という程度にしておく必要があると思う。
○ その点は,学習指導要領を大綱化したこととの兼ね合いで表現が難しいが,次回,具体的に検討したい。
○ 新学習指導要領で検定に合格した教科書を何種類か比較したところ,課題解決的な記述の多い教科書がある一方で,知識面で情報量の多い教科書もあった。補充しなければいけない部分は教員が副教材的なものを提示するべきなのだろうが,教科書の記述ぶりにかなり違いがあるので,学力試験を実施した場合,採択した教科書によって差が生じるのではないか。
○ 次に「2−(2) [生きる力]をはぐくむために必要な学習指導時間の確保」の現状と課題及び今後の方策について意見をいただきたい。
○ 現在,この問題は,特に公立高等学校の存立基盤を揺るがしている部分であり,進学校においては,ほとんどの学校が上級学校への進学のため,土曜日に補習・補講をやらざるを得ない状況にある。私立高等学校では6日制の学校がある一方で,すべての公立高等学校が5日制である。各公立学校が5日制か6日制かを選択できるよう,検討をお願いしたい。
また,「長期休業日の減」という文言は削っていただきたい。長期休業日は,高校生が部活動や林間教室等により,自ら学び,自ら考え,行動する[生きる力]をつける非常に大切な機会である。長期休業日を減らすことになると,冷房整備の問題も出てくる。本当に夏季休業を削って授業を行うことが可能かどうか,考える必要がある。冷房設備がある学校とない学校で決定的な差がついてしまうのではないか。
○ 長期休業日については,教育委員会で決められるようになり,事情を考慮して個々に判断できるようになっている。長期休業日について,留意しなければいけないことは指摘できると思う。
○ 地方自治体において,冷房設備については,財政的に厳しいため整備されていないが,常に議会等でも問題となっている。
また,長期休業中には,様々な行事があり,子どもたちの様々な過ごし方があるため,長期休業を授業時数に変えることについては積極的になれない。
○ 必要な学習指導時間とは,学習指導要領に示す内容を到達させるために必要な時間である。内容を到達できれば,標準授業時数を下回っても良いのであれば,学習指導時間を確保するよりも,内容を達成するための授業の工夫が必要であることを示した方が良い。二学期制などによる時間の確保ではなく,例えば合科的な指導のように,教育指導を工夫することで時間を生み出すことが可能となるような余地を認める提案をすると,教員は工夫をするだろう。
○ 「2−(2)の【充実・改善方策】」の1点目は,そういう趣旨を込めて書いてあると思うが,「必要な」ということの意味を前面に出して,表現するということか。
○ 現場の感覚としては,先ほどの意見を5日制で実施することは不可能であり,物理的に日数を増やさざるを得ない。
○ 5日制が前提であり,法改正の言及もあったが,今回はタイミングとして無理である。
○ 合科的な指導という話があったが,現実にはあまり行われていない。
「2−(2)の【現状と課題】」の2点目に,9割の小学校において実績が「標準」を上回っているとの記述があるが,時数は時間割により確保されているが,運動会,始業式等,様々な行事があり,授業時数は確保されていないのではないか。今はどう授業時数を確保するかが大きな課題であり,同時に,【充実・改善方策】の1点目の「指導方法,指導体制の質的な改善を図る」ことが大切で,この部分を強調すべきである。
○ 今の意見のように,この問題は,まずは,標準授業時数を満たせない問題をどう解決するかという段階である。様々な工夫により時数を満たした上で,次の段階として,それが本当に必要な時間として妥当なのかということがある。
次に,「2−(3) 『総合的な学習の時間』の一層の充実」についてはどうか。
○ 以前は,教員の教育指導には工夫する余地が少ないという意見が多かったが,「総合的な学習の時間」は自由に取り組めるにもかかわらず,今度は「どうやったらいいかわからない」という意見が多い。子どもたちに考える力をつけようという記述だけでなく,教員自身も考え,工夫しなさいという字句を強調するべきである。教える動機を持つためには,結局,教員が工夫し,考えることが大切であるという大前提を示すべきである。
「総合的な学習の時間」についても評価はできると思う。「総合的な学習の時間」等,教科以外の時間では,個性を生かす前に,個性の発見をすることが大切である。個性の発見は,「これがだめだった」「これが足りなかった」というネガティブな発見がベースになり,そこから,「こういうことも,ああいうこともやっていこう」という動機につながる。データ化して,個別の指標で優劣をつけるのは難しいが,「総合的な学習の時間」後に,自分がどういう発見をしたか,それに基づいて自分にどういう変化があったか等の,生徒が意見を発露する機会を設けるべきであり,成果は20年後にしか出ないという話ではないと思う。
全体として,より明確に,教員自身が教育方法についても考えなさい,どうすれば子どもたちが理解できるかを考えなさい,という表現を強調すべきである。
○ 兵庫県では,「トライやる・ウィーク」を実施しているが,教員の子どもや地域への認識不足に驚いた。「総合的な学習の時間」は,教員自身も勉強する機会だととらえて取り組むべきである。
また,高等学校の「総合的な学習の時間」はうまくいっていないことが多いようであるが,教員が一緒に悩み,考え,行動するという姿勢を身に付ける意味でも,ぜひ取り組んでもらいたい。国際理解教育や「総合的な学習の時間」は,進学に必要な授業を優先してほしいという保護者の希望や,教材・資料がなく,やり方がわからないという理由でうまく実施されていないようなので,「2−(3)の【充実・改善方策】」を強調していただきたい。
○ 高等学校においても,「総合的な学習の時間」は,人生を考える哲学の時間であったりするなど,非常に大切な時間である。ただ,限られた時間数の中で,「総合的な学習の時間」と他の教科の時間とのバランスをどうするかという問題がある。
○ 「総合的な学習の時間」と教科の学習との関係がこの中では示されていない。「総合的な学習の時間」と教科の間に壁を作るのではなく,学校として[生きる力]を子どもたちにはぐくむために,学習指導要領の中に「総合的な学習の時間」をどう位置づけるかであり,第4の領域として考えるかどうかは大きな問題である。
学校全体のカリキュラムの中での「総合的な学習の時間」の位置づけを考えなければ充実したものとはならない。全体計画の中には,教科との関係をどう考えるかを示す必要がある。総合的な学習の時間をうまく指導できないのは,今まで教員がそのためのトレーニングを受けていないからである。各学校から行きやすいように地域拠点校の中に地域カリキュラムセンターを設置する等,具体的に実現可能なものを示す必要がある。
○ 「総合的な学習の時間」だけではなく,教科においても教員と児童生徒が相互に作用する形で授業を進めていくような工夫が必要である。
○ 「2−(3)の【充実・改善方策】」の3点目には,「『総合的な学習の時間』の円滑な実施を図るために(中略)時間を確保できるようにすることが必要ではないか」とあるが,会議等が多く,「時間の確保」は非常に難しい問題である。
○ 先ほどの「総合的な学習の時間」の性質については賛成であるが,例えばセンター試験に「総合」の教科を設けて,総合的な学習のモデルを提示するということもあるのではないか。
○ 「総合的な学習の時間」については,輪郭をさらにはっきりさせなければいけない段階だと思う。
次に,「2−(4) の『個に応じた指導』の一層の充実」について意見を伺いたい。
○ 少人数編成の授業は理解度を高めることは明らかであり,どこの学校においても「個に応じた指導」の充実は異論のないところであろうが,教員数や教室数などの条件整備が問題である。
○ 「個に応じた」には2つの意味があり,「個性」「個性を生かす」と,個人差を少なくするための底上げである「習熟度」があり,本来は両方必要であるが,個人差,理解度の差を縮める「習熟度」の意味が強く表現されているように感じる。「『個に応じた指導』等」の「等」の部分をより具体的に表現すべきである。
○ 現場でも「個に応じた」というと習熟度につながる傾向が強いが,今の教育課程で「個に応じる」という場合には,子どもの意思が反映されると思える面もある。例えば,選択教科の選び方は,以前と違い,子どもたち自身が選択教科を選んでいる。また,習熟度を編成するときでも,子どもたちの意思で選択させている。
○ 「個に応じた指導等」については,「個性を生かす」という部分を明確に位置づけて膨らませる。
○ 我々青少年団体も,常にグループで指導しているが,それぞれが持っている良いもの,「個の深み」を引き出すよう努力しており,「習熟度」だけではよくないと思う。
○ 「個に応じた教育」,「個性を尊重」,「能力別」などあるが,先ほど指摘があったように,まず教室の確保,選択教科における希望教科の集中,消耗品などの経費不足など基本的な条件の整備の問題が山積している。
○ 条件の整備については課題である。
「2−(5) 保護者や地域住民等の理解と支援等」と「2−(6) 新学習指導要領の趣旨やねらいについての継続的かつ積極的な周知」,そして全体を通して,意見を伺いたい。
○ 「個に応じた」,「個性」が関わってくる場面では,子どもが自ら学ぶことの「動機」をどのように発見するか,きっかけを得るかということが大切であり,「動機づけ」という言葉がどこかに必要である。「動機」が起こってきて「学ぶ意欲」につながる。
○ 「意欲」というのは,「意志」と「欲求」であり,単なる「動機」だけではない。今の意見は検討したい。
○ 「2−(5)の【充実・改善方策】」の1点目には,同意する。「総合的な学習の時間」は,教員にとっては,これまで行ってこなかった指導であり,また,保護者は,まだ内容がよく理解できていない。その意味でも,「総合的な学習の時間」をより充実させていくためには,保護者,地域住民の十分な理解・協力・支援が必要不可欠である。
また,「個に応じた指導」も,子どもたちの興味・関心,学習スタイル,学習速度など,個々に違うが,その違いは,親が実際に自分の子どもを見ることによってしか理解してもらえない部分があり,積極的に保護者,地域住民に公開し,連携していくことが何よりも必要である。
○ 地域に対する学校の説明責任は必要であるが,現状は,教員が主導権をとり,学校の都合で,学校に招き入れる形での協力や連携になっているようである。それは地域にとってどういうメリットがあるのだろうか。現状は,学校のメリットだけで行われており,地域は与えるだけになっていないか。連携として長く続けるためには,学校・地域双方にメリットがある互恵的な関係になる必要があり,関係する表現を工夫していただきたい。
○ 学校も,保護者も,あるいは学校の存在する地域も,ともにこの地域の子どもたちを育てるのだという当事者意識を持つことが大切であり,そのためには,「開いていく」ことや,「見せていく」こと,「一緒に入ってもらう」ということが必要である。
(3) | 事務局より今後の日程について説明があり,閉会となった。 |
(初等中等教育局教育課程課教育課程企画室)