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第3章 各種ビームの横断的利用を支えるプラットフォームの整備と人材育成
第1節 各種量子ビームの横断的利用への取組みと具体事例
 各種の量子ビームは、それぞれ固有の物理的特性(波長、エネルギー、スピン等)と物質との相互作用(電気、磁気、核反応等)の違いにより、計測・分析・加工等においてそれぞれ利用できる分野や範囲が異なっている。したがって、これら特性の違いを有効に生かし、複数の量子ビームを相補的に利用することにより、対象物質の構造・機能を俯瞰したより高度な計測・分析・加工等が可能となる。
 本節では、原子力機構や他の研究機関等における各種量子ビームの横断的利用の具体事例を紹介する。今後はこうした横断的利用を効果的に促進すべく、各々のビームに関わるコーディネータ間の連携等を通じ、組織横断的な利用支援体制の構築や窓口機能の一本化等を図ることが望まれる。

<中性子ビーム及び放射光の横断的利用事例>
・タンパク質の構造・機能解析
 現状のタンパク質構造情報に基づく薬物設計は、放射光X線回折やNMR等により得られた構造情報をベースに進められている。放射光X線回折によるタンパク質の構造解析では、骨格構造の炭素、酸素、窒素等の原子位置を精密に決定できる一方、水素原子の散乱能が小さいため、その位置に関する実験的情報を得ることが難しい。そのため、水素原子の位置は単純化したモデルを用いて決定されているが、当該位置は構造多形と絡む場合が多いこと、電子が脱離した水素は原理的にX線では観測困難であることから、上述のモデル解析では実態とかけ離れた結果が出ることが多い。
 一方、水素原子の中性子散乱能は大きいため、中性子回折では、生体内でのタンパク質の機能発現に重要な意味を持つ水和水の配向まで含め、水素原子の位置を高い信頼性をもって決めることができる。ただし、現状では中性子のビーム強度はX線に比べて弱いため、中性子回折には大きなタンパク質の結晶を得る必要がある。しかし、J-PARC/MLFの完成により、現状のJRR-3等の中性子ビームの数百倍のピーク強度が得られることから、これまでは結晶サイズが1〜3ミリメートル程度必要であったものを数百マイクロメートル程度まで小さくすることが可能となる。
 これら回折実験に利用される中性子ビームのエネルギー(数MeV(メガ電子ボルト)〜数十MeV(メガ電子ボルト))は、結晶格子の振動エネルギーと同程度であるため、散乱によるエネルギーのやり取り(非弾性散乱)からタンパク質の運動状態に関する知見を得て、非破壊的に運動と機能の情報を得ることができる。他方、X線を用いた同様の実験で散乱によるエネルギーのやり取りを散乱前後のエネルギーの差として測定することは、X線のエネルギーが中性子の百万倍もあるため(数keV(キロ電子ボルト)〜数十keV(キロ電子ボルト))、最近の高輝度放射光を用いて可能になりつつあるとはいえ、特に生体高分子の実験では困難である。
 以上のことから、まず放射光X線回折でタンパク質の精密な骨格構造を決め、中性子回折により水素・水和構造を含む構造を決定するとともに(全原子完全構造解析)、中性子非弾性散乱による運動状態観測も併せ実施することにより、タンパク質構築原理や運動・機能の効率的な解明、これを踏まえたより合理的かつ高精度の薬物設計が可能となるものと期待される。
 なお、大型中性子ビーム施設利用に係る産業界及び一般ユーザーの「敷居の高さ」を克服する上で、実験室規模の小型量子ビームの開発・活用も有効と考えられる。一例として、近年急速な発展を遂げたテラヘルツ分光が、タンパク質の動的状態解析等に有効であることが示されており、テラヘルツ分光による予備段階の解析を行うことにより、中性子散乱を利用した構造ダイナミクス解析への動機付け・橋渡しを効果的に行うことができるものと期待される。

・酸化物高温超伝導のメカニズム解明
 1987年に発見された酸化物高温超伝導体は、基礎・応用研究から産業利用にいたる多大なインパクトをもたらすものであるが、その微視的な超伝導メカニズムは未だに解明されていない。超伝導を担う電子対が形成されるメカニズムが現象解明の鍵となるが、それには現在大別して、電子−磁気相互作用と電子−格子相互作用の2種類が提案されている。実験的には、中性子磁気非弾性散乱を用いた実験により前者の鍵となる情報が、放射光X線非弾性散乱及び光電子分光等により後者のメカニズムに関連するフォノン(音響子)及び電子状態に関する情報が得られつつある。特に、我が国は高温超伝導及び関連する強相関電子系物質とそれらの高品位単結晶の開発において世界をリードしており、今後国内においては、中性子・放射光両ビームの特長を生かした系統的かつ総合的な研究を進めることが重要である。

・実用機器・製品の内部構造評価
 人体内部を観察・診断するために用いる医療用レントゲンのように、放射線を物体に透過させて内部構造を観察する手法は「ラジオグラフィ」と呼ばれている。このような放射光(X線)や中性子等の量子ビームを用いた非破壊透過試験法は、工業分野においても、一般的な機器・製品に対する健全性評価のためのツールとして既に有効に利用されている。
 中性子ビームの透過性は、一般的に原子番号に対して不規則に変化し、特に水素では低い。一方、X線の透過性は、原子番号に対して規則的に変化し、重金属に対して低く、軽元素で構成されている材料に対しては高い。そのため、プラスチックと金属の両者で構成されている一般的な機器・製品に対して、中性子ビームではプラスチック部品の像が、X線では金属部品の像が、それぞれ鮮明に取得できる。また、自動車エンジンではピストン等の金属をX線で、潤滑油の流動を中性子により、それぞれ明瞭に観察することができる。このように、中性子とX線を相補的に利用することにより、実用機器・製品内部における欠陥・損傷等の個所を的確かつ効率的に調べることができ、これら品質管理等を高信頼度で行うことが可能となる。

・物質中の微量元素分析
 放射光を用いた蛍光X線分析は、表面から数マイクロメートル付近における広範囲な元素を高感度で分析できる一方、中性子ビームを用いた即発ガンマ線分析や放射化分析は、表面から数ミリメートル〜数センチメートル深さの材料内部の微量分析が可能であり、特に水素やホウ素の検出能力に優れている。例えばジェットエンジンに使用されているTi(チタン)合金中の水素による脆化問題や動物の臓器内の有害元素分析等への活用が期待されている。

・構造物等の残留応力評価
構造物の残留応力評価においては、部材の表面及び内部における残留応力状態が大きく異なる場合があることから、表面から内部にかけての残留応力状態を系統的に評価し、その構造物において将来的に破壊の起こり得る箇所を正確に予測することが重要である。放射光と中性子ビームでは侵入深さの違いがあり(前者で数マイクロメートル〜数十マイクロメートル、後者で数ミリメートル〜数センチメートル)、両ビームを組み合わせることにより、材料の表面から内部までの詳細な残留応力の分布状態を把握することが可能となる。これにより、例えば大型の構造材料や自動車エンジン部材等の応力破壊の予測及び耐久性評価の精度・信頼性を格段に向上させることができる。更に、レーザー照射による表面層の残留応力除去等の新たな技術発展を促進することも期待される。

<中性子ビーム及び放射光、イオンビームの横断的利用事例>
・燃料電池の開発
現時点における燃料電池の3大開発要素として、1水素供給源(大吸蔵量・低温活性・長寿命水素吸蔵材料)の開発、2プロトン伝導膜(高伝導率・長寿命プロトン透過高分子膜)の開発、3生成水高除去能(高排水能力)構造体の開発が挙げられる。特に3は、国際的な競争が激しい分野であり、米国においては本件開発を促すための専用の中性子ラジオグラフィ装置を国立標準技術研究所(NIST)に設置し、企業の利用に供し始めている。
1の水素吸蔵材料開発においては、水素等軽元素の散乱・吸収能の高い中性子ビームと、中重元素の散乱・吸収能の高い放射光の両者を活用した回折・分光による材料設計(カーボンナノチューブやNaAlH4(アラネード水素化物)合金等)が有効である。また、2の透過高分子膜の開発においては、イオンビームによるプロトン高分子膜の作製(加工)とともに、上述の散乱・吸収能の特性を生かした中性子及び放射光による回折・分光を行うことが、的確な材料設計を行う上で有効である。更に、3の生成水の高排出能構造体の開発には、中性子ラジオグラフィによるその場観察が排水構造体の設計・評価に有効である。

<中性子ビーム及びミュオンビームの横断的利用事例>
・超伝導状態における渦糸状態及び特異な磁性の解明
中性子ビームとミュオンビームでは、カバーできる実空間領域及び時間領域が異なることから、両者の解析結果を重ね合わせることにより、空間的・時間的な現象の全体像を明らかにできる。例えば、超伝導線材等に使用される第二種超伝導体の超伝導状態に印加された磁場は渦糸状に分断されて入り込むが、中性子小角散乱実験では各渦糸が形成する格子状態の配列を決定でき、ミュオンスピン回転実験では当該配列を基に各渦糸内での磁場分布を決定できる。これらにより詳細に決められた渦糸状態は、超伝導を担う電子対間の相互作用を知る重要な手掛かりとなるため、両実験の組み合わせによる総合的な研究を進めることが望まれる。
 また、スピン揺らぎを媒介とした超伝導体の代表であるCeCu2Si2(セリウム化合物)の磁性研究では、中性子回折実験により長周期の変調構造を持つ反強磁性状態のスピン配列が決定され、ミュオンスピン緩和実験では磁気秩序状態の割合、磁気モーメントの大きさ及びスピンの揺らぎを知ることができる。
この両者の研究により磁気的状態、磁性に対する量子効果の影響、スピン揺らぎに基づく超伝導状態といった全体像が明らかになり、超伝導発現メカニズムの解明につながるものと期待される。

<定常中性子とパルス中性子の横断的利用事例>
 中性子ラジオグラフィは、非破壊で物体の内部構造を観測できるが、時間積分強度の強い原子炉中性子(JRR-3等)を用いた静的な構造評価あるいは遅い運動状態の観測と、ピーク強度が著しく強いパルス中性子(J-PARC/MLF等)を用いた速い動的な観測による相補的利用が期待されている。例えば、自動車エンジン内部の高分解能可視化像は既に原子炉中性子で得られているが、今後はパルス中性子により機械部分のみならず燃料や潤滑油の循環等の数ミリ秒オーダーの運動状態の可視化が可能となり、燃料電池中の水の流れ、熱交換器中のニ相流の挙動解析等に役立つものと期待される。
 一方、両ビームによりが異なる時間・空間スケールを観測できることから、高温超伝導機構の解明を目指した研究が既に活発に行われている他、非晶質やガラス材料の原子間の短距離〜長距離の構造評価等のような材料研究開発に積極的に利用されている。

 (参考)欧米・アジアでの原子炉及び加速器中性子の相補的利用状況

 同じ中性子でありながら、原子炉からの定常中性子と加速器からのパルス中性子は異なったエネルギー分布と時間特性を持つため、それぞれ異なった時間・空間領域を計測する相補性を有する。このような両中性子源の相補的利用は、先進的な計測手法として戦略的に進められており、米国ではオークリッジ国立研究所(ORNL)におけるSNS(加速器中性子)とHFIR(原子炉中性子)、欧州では英ラザフォードアップルトン研究所のISIS(加速器中性子)と英独仏共同運営のラウエランジュバン研究所(ILL)のHFR(原子炉中性子)の相補的利用が推進ないし計画されている。我が国では建設中のJ-PARCにおける加速器中性子と、近接して稼働中のJRR-3原子炉中性子がまさにこうした相補的利用にてきしたものであり、国際的にみてもユニークな環境が整っている。アジア諸国で建設が進んでいる原子炉(豪州OPAL、韓国HANARO等)中性子利用者も、我が国のJ-PARC/MLFを相補的に利用する機会を待望している状況である。


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