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第1章 科学技術政策における量子ビーム研究開発・利用の重要性

  第1節 我が国の量子ビーム研究開発・利用の現状・動向

  <量子ビーム研究開発・利用の概観>
 加速器や研究用原子炉等の大型研究施設は、その時々の最先端科学技術を駆使して初めて建設・整備が可能となるものである。一方、これらの施設の建設後の有効な利用は科学技術の最先端を切り拓き、国の科学技術の進歩、産業の発展等に大きく貢献する。
 これら大型研究施設の建設・運用には多くの資金と人材を必要とするため、我が国では特定の研究機関にそれらを集中する形で実施されてきた。一つは施設とともに研究者も集中し、そこで研究を行うとの考えで設けられた現在の日本原子力研究所(原研)及び理化学研究所(理研)等、もう一つは関連する研究者コミュニティの共用施設として整備し、全国の大学等研究者が共同利用・共同研究する場としての考えで設けられた大学共同利用機関法人であり、高エネルギー加速器研究機構(高エネ機構)等がその代表的機関である。前者においては計画的なプロジェクト実施、民間への技術移転、当該施設の外部利用等を図る一方、後者においては全国大学共同利用による自由闊達な学術研究を推進している。
 元々これらの大型研究施設(Large Facility)は、素粒子実験のような、多数の研究者による単一あるいは限られた研究目的(Large Science)のために建設されたものであり、“Large Science at Large Facility”と呼び得るものである。一方、Large Scienceのために建設された大型研究施設からの各種量子ビームが、物質の構造・機能の解析等ものを「観る」ための極めてユニークな手段(「探索子」:プローブ)として活用できることや、材料の加工等ものを「創る」ための強力な手段(「作用子」)として利用できることが分かり、初期の副次的利用から発展し、量子ビーム利用のための専用の大型実験施設が建設されるに至った。
 これらの研究分野は、広範な物質科学、生命科学の基礎研究から応用研究に拡大し、さらには産業利用や医療応用へと発展しているが、各々の研究は比較的少数(場合によっては一人)の研究者で実施できることからSmall Scienceと呼ばれている。すなわち、大型研究施設を利用するこれらの研究は、“Small Science at Large Facility”としての特徴があり、ハードとしての実験設備のみならず、ソフトとしての運用や利用体制にも独特の工夫を要するものである。かつては研究用原子炉で発生する安定した(熱)中性子を用いた物質科学の研究手段としての中性子回折・散乱実験が唯一のSmall Science at Large Facilityであったが、我が国においては、1970年代に放射光が、続いて1980年代にはミュオンが新たなビーム源として加わった。

<量子ビーム施設の発展経緯と研究開発の動向>
 量子ビーム研究開発・利用の発展は、量子ビーム施設の発展・整備と表裏一体のものである。我が国においては、1937年に理研の仁科芳雄が国内初(世界で2番目)のサイクロトロン加速器(サイクロトロン)を建造したことにはじまり、イオンビームによる原子核物理、核化学、放射線生物学の開拓的研究が開始され、大阪大学でもサイクロトロンを用いた実験が行われる等、1930年代においては最先端の研究が行われていた。さらに、1943年には理研で当時世界最大級のサイクロトロンが完成した。
 その後、第二次世界大戦により加速器の建設はしばらく途絶えたが、1950年代になって再開され復興期に入った。1952年には大阪大学、京都大学、科研(現理研)において、戦前と同規模のサイクロトロンの建設が開始され、さらに1950年代後半には東京大学原子核研究所(東大核研)のサイクロトロンが完成した。次いで東大核研に電子シンクロトロン加速器(シンクロトロン)が完成し、理研にサイクロトロンが建設されたが、世界最先端の加速器には及ばなかった。
 このように遅れていた我が国の加速器のレベルが欧米に比肩するようになったのは1970年代に入ってからであり、世界トップレベルの加速器が次々に整備されていった。1980年代半ばまでの15年間に、我が国では高エネ研(現高エネ機構)の陽子加速器、大阪大学核物理研究センター及び東大核研のサイクロトロン、東北大学の電子リニアック加速器(リニアック)や放射線医学総合研究所(放医研)の中性子治療用サイクロトロンが建設され、さらに多目的加速器として、原研高崎研究所の加速器施設(TIARA)、原研東海研究所のタンデム・バンデグラフ(TRIAC)や東北大学サイクロトロンRIセンターのサイクロトロン等が建設された。なお、当時世界最先端の施設として計画された高エネ研(現高エネ機構)のトリスタン、理研のリングサイクロトロンは1986年に完成した。
 1990年代になると、さらに大型の加速器計画が進められ、原研高崎研究所の加速器施設(TIARA)、理研・原研による大型放射光施設SPring-8、放医研の重粒子線がん治療施設(HIMAC)、高エネ機構のBファクトリー(KEKB)が完成し、いずれも国際的に特筆すべき成果を挙げている。現在、世界最先端施設である理研のRIBFが2006年度、原研・高エネ機構のJ-PARCが2008年度のビーム供用開始に向け、着実に整備が進められている。

 一方、原子炉を供給源とする中性子ビームについては、我が国においては、1960年代初頭に中性子回折実験のできる原子炉JRR-2(原研、東海村)が建設したが、欧米先進国に遅れること15〜20年の差があった。しかし、我が国は中性子回折実験が最も得意とする磁性研究において国際的に高いレベルを保持していたことから、ビーム開発の遅れは次第に狭まり、1990年に改造した原子炉JRR-3(原研、20メガワット)によって世界最高水準の中性子源を持つに至った。
 また、1960年代半ばには、加速器によって発生する中性子を用いた回折・散乱実験の可能性が示され、東北大学理学部付属原子核理学研究施設での実証実験は世界の先鞭を付けた。その後、1980年に高エネ研(現高エネ機構)の陽子シンクロトロン(KEK-PS)のブースターを用いた世界初の専用加速器パルス中性子源(KENS)が建設され、各種のユニークな装置開発を通じ多くの成果を挙げるとともに、その後海外で建設されたパルス中性子施設に本施設の経験が多く取り入れられた。中でも、英国・ラザフォードアップルトン研究所(RAL)のISISパルス中性子施設(現在世界最高陽子ビーム出力160キロワット)に日英協力で建設されたMARI分光器は国際的に高い評価を得ており、特に高温超伝導体等の物性物理の分野で傑出した成果を輩出している。
 さらに、2001年から原研・高エネ機構が共同で建設中のJ-PARCは、1メガワット大強度陽子加速器を共通基盤とする5つの施設から構成されるユニークなプロジェクトであり、第1期計画分は2008年に運転開始予定である。中でも、1メガワット陽子ビーム出力、25ヘルツ運転により核破砕反応で発生する世界最高のパルス中性子強度を有する中性子施設JSNSは、物質科学や生命科学の基礎から応用研究の最先端を切り拓き、さらに産業利用への貢献が期待されている。2008年以降には、原研東海研キャンパスに、稼働中の原子炉JRR-3と建設中の世界第一線のパルス中性子施設JSNSが800メートルの距離で隣接することになり、国際的に極めてユニークな研究環境が実現する。(類似の研究環境を有するのは、稼働中の原子炉HFIRと建設中のパルス中性子施設SNSが同一研究所内に立地する米国オークリッジ国立研究所(ORNL:テネシー州)のみであるが、両施設は数キロメートル離れている。)
 なお、低出力(4キロワット)ながら先駆的施設と位置づけられるKENSは、今年度でその活動を停止し、J-PARCの中性子施設 JSNSに移行する方針としている。

 また、放射光は、元来、素粒子実験用の加速器であるシンクロトロンにとって、エネルギー損失に過ぎないと見なされており、加速エネルギーを高くすればするほど放射により損失するエネルギーも大きくなることから、加速器の高エネルギー化にとっての障壁となっていた。しかし、物性研究において試料の超精密な電子状態解析等にその利用の有効性が見出され、これを積極的に利用しようとしたものが放射光利用のはじめである(第一世代放射光源)。我が国では、1965年に東大核研の原子核研究用電子シンクロトロン(INS-ES)で一連の実験がなされている。但し、これらの実験はいずれも、加速器から捨てられる光を一時的に使用するという副次的な利用であった。1970年代に入ってからは、この放射光を専用に発生するための加速器施設が造られはじめた(第二世代放射光源)。我が国においては、世界に先駆けて1975年に東京大学物性研究所のSOR-RINGが整備され、これに続いて1980年代に入ると電子技術総合研究所(現産総研)のTERASが、高エネ研(現高エネ機構)に放射光研究施設(KEK-PF:1982年)が、分子科学研究所にUVSOR(1984年)が整備され、それぞれの機関の目的に応じて利用研究が進められている。なかでもKEK-PFは我が国で初めてX線を利用できる放射光施設として広く利用されている。さらに、1990年代に入ると、世界各地でより高い輝度の光を放射する挿入光源を多数設置可能な放射光源(第三世代放射光源)の開発が進められ、欧州ESRF(European Synchrotron Radiation Facility:1994年)、米国APS(Advanced Photon Source:1996年)に続き、1997年に理研・原研による大型放射光施設SPring-8が整備され、以来共用施設として広く利用研究が進められている。

 レーザーは、1960年にルビー結晶を媒質とするものが初めて発振に成功して以来、同年中にはヘリウム・ネオンの希ガスを媒質とするレーザーが開発され、さらに、各種色素溶液を媒質とする色素レーザー、Nd:YAG等を用いる固体レーザー、希ガスとハロゲンガスの組み合わせによるエキシマーレーザー、半導体素子を媒質とする半導体レーザー等、媒質の種類により様々なタイプのレーザーが開発されてきた。これらは、光ファイバーを始めとする光学素子の進展と相まって、それぞれの特質に対応して、既に光ディスク等の情報通信分野、レーザーメスや眼底治療等の医療分野、レーザー加工や微細形状計測等の製造技術分野等々、学術のみならず産業における幅広い分野で日常的に応用されるに至っている。
 我が国の主な高出力レーザー拠点として、大阪大学ではレーザーにより極限的な物質の状態を作り出し、レーザー核融合や宇宙物理実験等の学術研究を、また原研では小型超高ピーク出力のテラワットレーザー等の開発を行い、これらを用いた小型がん治療装置の開発やレーザーによる物質加工や物質分離等が進められている。現在、より広範な分野での更なる利用拡大に向け、レーザーの波長領域の拡大(X線レーザー、テラヘルツ・レーザー等)、高出力化(レーザー核融合等)、短パルス化(フェムト秒〜アト秒パルスレーザー等)等、光源の研究開発が進められるとともに、それらと並行して共焦点顕微鏡技術等ライフサイエンスを始めとする先端科学研究分野への応用、光と電子工学を融合したオプトエレクトロニクス等先端産業技術分野への展開等、様々な利用・応用技術の研究開発が進められているところである。

 ミュオンビームを用いた研究は、1970年代半ばにパイ中間子及びミュオンを大量に発生するために建設された陽子サイクロトロン(スイス・ポールシェラー研究所PSI、カナダ・トライアンフ研究所TRIUMF)による連続ミュオンビーム源が開発され、強いスピン偏極ミュオンビームが得られてから広まった。現在国内外で4箇所の加速器施設、PSI、TRIUMF、高エネ機構、英国・ラザフォードアップルトン研究所(RAL)においてミュオンビームを用いた実験が行われている。
 国内では1980年に高エネ研(現高エネ機構)KEK-PSブースターシンクロトロン施設内に東京大学付属施設(UT-MSL、現在は高エネ機構KEK-MSL)として、世界に先駆けてパルス状ミュオンビーム源の開発等に成功した。当該施設は、今日に至るまで国内で唯一の施設として全国共同利用に供され、高温超伝導特性や半導体の電気活性解明等に成果を挙げてきている。また、我が国のパルス状ミュオンビーム源の開発は、パルス源に適した測定手法及び装置の開発と相まって、極めて有用な実験手段であることを世界に示すこととなり、1987年にはRALのISIS施設にパルス状ミュオン源が建設された。一方、1988年には東京大学が日加協力によりTRIUMFに超伝導ミュオンチャンネルを、さらに1994年からは理研がRALにビームチャンネルラインを設置する等日本は世界のミュオン科学分野での主要な役割を担い続けている。KEK-MSLは今年度で活動を停止し、J-PARCのミュオン施設に引き継がれる予定であり、KEK-MSLより2桁強い世界最大強度のミュオンビームが得られることにより、物質科学をはじめとした幅広い分野での基礎研究や産業利用への期待が持たれている。

 これらの代表的な量子ビーム及び量子ビーム施設は、これまで我が国の基礎科学研究のみならず、産業応用を強力に牽引してきている。各量子ビーム施設の利用に対する需要は、近年のビームの多様化・高性能化に伴い、いずれも継続的に増加傾向にあり、利用対象となる研究分野もより多様な領域に拡大しつつあるが、主要なビーム施設の利用は既に施設供用能力の限度に達しつつある。このことを踏まえ、産業応用の需要・期待の高い領域については、既存施設の能力拡充、あるいは早急に新たな供用施設を確保することが望まれる。
(図表1:JRR-3(研究用原子炉)におけるビーム利用の推移)(PDF:28KB)
(図表2:SPring-8の共同利用及び専用施設利用の推移)(PDF:413KB)
(図表3:理研加速器施設(RARF)の利用の推移状況)(PDF:20KB)

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