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大学への早期入学及び高等学校・大学間の接続の改善に関する協議会(第7回)議事録・配付資料

1. 日時
平成18年10月4日(水曜日)14時〜16時

2. 場所
三菱ビル地下一階 M1会議室

3. 議題
(1) 高校生を対象とした各種コンテストについて
  東京大学生産技術研究所 渡辺正教授
(2) 「飛び入学」制度に関するアンケート結果について
(3) その他

4. 配付資料
資料1   大学への早期入学及び高等学校・大学間の接続の改善に関する協議会(第6回)議事要旨(案)
資料2 高校生を対象とした各種コンテストの事例について
資料3 渡辺教授発表資料(PDF:249KB)
資料4 「飛び入学」制度に関するアンケート 結果概要

(机上資料)
委員  大学への早期入学及び高等学校・大学間の接続の改善に関する協議会 第1回〜第6回 配付資料
委員  文部科学統計要覧(平成18年版)
委員  大学設置審査要覧(平成18年度)
委員  教育指標の国際比較(平成18年版)
委員  臨時教育審議会 第一次答申、第二次答申、第四次答申(抜粋)
委員  大学審議会全28答申・報告集
委員  中央教育審議会答申
  「新しい時代に対応する教育の諸制度の改革について」
「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について(第二次答申)」
「初等中等教育と高等教育との接続の改善について(答申)」
「我が国の高等教育の将来像(答申)」
委員  教育上の例外措置に関する調査研究協力者会議 審議のまとめ
委員  教育改革国民会議報告 −教育を変える17の提案−

5. 出席者
(委員) 丹保憲仁(座長)、荻上紘一(副座長)、岩間博、上田高弘、上野信雄、大塚雄作、佐々木恒男、四方義啓、松下倶子、矢内光一、吉田文の各委員
(文部科学省) 中岡大学振興課長、伊藤大学改革推進室長 他

6. 議事
(1)  事務局より、資料についての説明があった。
(2)  東京大学生産技術研究所渡辺正教授より、資料に沿って事例紹介があった。
(3)  質疑応答が行われた。概要は次の通り。

(□:事例報告者、○:委員、●:事務局)

【事例報告】
事例報告者 東京大学生産技術研究所 渡辺正教授
 日本が参加している科学オリンピックは先ほど説明があったように5科目あるが、その歴史は新しいもので20年、ものによっては50年ほど前から行われている。日本が初めて参加したのは数学オリンピックで1990年。これが一番長く、他はここ数年の間にようやく出場し始めたという状況。
 各オリンピックとも多くの国が参加しており、最近まで先進国で出場していなかったのは日本だけという状況であった。そういうこともあって、小坂文部科学大臣や松田科学技術政策担当大臣が、日本科学オリンピック委員会立ち上げに向けてご尽力されるなど、今後の国による支援に期待している。
 国際化学オリンピックは1968年に東欧のチェコ、ハンガリー、ポーランドの3カ国で始まり、毎年行っているものである。アジアで最初に参加したのはクエートで、1980年。日本は2003年アテネ大会に初参加。この大会は持ち回りで主催するが、4年後の2010年、日本で開催することが決まっている。
 国内予選の一次選考は7月に行うが、今年は1,300人くらいの高校生が全国30会場に集まった。一次選考は筆記試験の3時間。最初に筆記で1,300人のうちから上位60人を選び、二次試験として、実験を3時間やる。
 問題は、筆記も実験も日本の大学入試よりも遥かに難しい内容となっている。国際オリンピックに出題される程度のレベルを設定しており、日本では理科系の大学1年の学生がやるような中身も含まれている。
 化学の場合は一次選考で60人選ばれるが、そのうち1、2年生が例年10人ぐらいいる。これらの生徒がその次の年に開催される国際化学オリンピックの代表になりうる。
 今回国際化学オリンピックに行ったある生徒は、数学オリンピックでも、国内で7位か8位くらいの成績であった。私は国際化学オリンピックを目指す多くの生徒を目にしてきたが、このような例など、何かの科目に特化してできる子供は、他の科目も大概優秀な成績であるというような印象を持っている。
 7、8月の段階では、1、2年生の中から8人程度をオリンピック代表候補に選ぶ。そして、翌年のオリンピック主催国は、年が明けた2月の頭ぐらいに準備問題集なるものをネットで流すが、それが英語であるため、我々はすぐに日本語に直して8人に与える。地方の生徒にもかならず一名の指導者をつけ、彼らとともに問題にチャレンジしてもらう。
 その準備問題集というのはA4の紙で30枚とか40枚ぐらいになるようなもので、それをまずこなさないと話にならないということで、個人的にやってもらう。3月の春休みに主に筆記のトレーニング、トレーニング的な合宿をやって、最後の日に選抜試験をやって4名をそこで選んでしまう。あとの4名のうちの何名かは補欠になる。5月の連休に代表に選んだ4名の子供たちに実験のトレーニングを1日、2日かけてやる。そうやって7月に派遣するというのが我々のやり方。
 中国も台湾もほとんど国家事業としてやっており、中国の場合は一次選考に出てくる生徒の数が10万人、台湾は1万人。アメリカはあの広い国で1万人、韓国が5,000人程度。
 中国の場合は相当な報酬を用意しており、一次スクリーニングで10万人から20人に絞られるが、この20人に選ばれたらばどこの大学でもフリーパスで入れる。韓国は、本大会で金メダルをとって、さらに理工系の大学に進めば、1万ドルかける4年の奨学金がもらえる。
 我々はどんな問題ができる生徒を選んでいるかというと、基礎概念はそんなに突飛な問題ではなく、日本の高校でも習う内容となっている。ただし、じっくり論理をたどっていかないと、正解に辿り着けないというもの。また、計算は電卓を使うので、手計算は必要ない。我々が国体でやるときもそういうレベルの問題を出題している。
 具体的な内容としては、主催国が当該年度の大会に出題する内容の範囲をあらかじめ公表するが、それが400項目ほど1〜3のレベル分けをされて示される。レベル1というのは、ほぼ全部の高校でやっているはずの中身であるが、s軌道・p軌道やフントの規則、ベンゼンが共鳴により安定化するなどの内容は日本だったら理科系の大学に入って1年または2年で身につける話。レベル2も大抵の国の高校でやっているはずだという内容であるが、核反応とかエンタルピー、エントロピー、マルコフニコフ則など、このあたりの内容になると日本では大学1、2年または3年でやっている内容である。
 大事なことは、こういう話をほかの国は高校できちっとやっている。私自身、20年ほど前からある出版社の高校の教科書を書いていて、文部科学省とも検定等で関わり合うこともあるが、日本の高校までの化学とか生物などの科目は内容が最新の状況に追いついていない印象がある。例えば、高校の教科書にゴシックで書いてある用語の中にも大学に入ったら一切使わないものもある。高等学校教育と大学教育の教育内容の間に断崖絶壁があるような感じで、その溝は昔よりも深くなっているのではないか。これが、国際化学オリンピックに日本が参加するか否かを決断するに当たって、最大の問題であった。
 このようなことを踏まえると、余りにも性急に飛び入学というものをやると生徒が困惑するのではないかという考えもある。ただ、逆に、先ほど申し上げた通り、化学の場合であれば千何百人から60人に絞っても、10人くらいは必ず1、2年生が残るのであって、しかも、この2年生の中には他の科目でもオリンピックに行き損ねた者がいるという状況もあるので、非常にわずかな割合で相当優秀な生徒がいることは確かである。少なくとも理科系の場合は、例えば2年生、3年生を区別せずに大学を受けさせても問題ないのではないかと考える。
 本年の韓国大会の個人の成績は、金1人、銀3人という成績であった。トータル100点満点で、実験が40点、筆記が60点という採点の仕方をしている。出場者の平均点の国別順位は中国が1番。中国は日本が参加している5科目の国際科学オリンピック全てでトップの成績を収めている。以降、台湾、韓国、ロシア、ベトナム、タイ、日本と続く。国の力の入れ方とも関係すると思われるが、例えばアメリカは18位、イギリスは29位などとなっている。
 国際化学オリンピック出場者等のその後の進路について、まだ多くの実績があるわけではなく、網羅的に把握しているわけでもないが、一次選考を通過した者で見ると、3分の1から半数近くが東大、その他も多く旧帝国大学に進学しているようである。
 また、10年近く国内大会の開始から化学オリンピックに携わってきて感じるのは、初めは日本が世界に通用するという心配があったが、トップ10に入ってくるような生徒たちは相当優秀であるということが分かり、最初のころの心配は杞憂であったというのが印象である。
 最終的に行くのは、国際化学オリンピックは4人であるが、一次選考を通過する60人に入る程度の生徒であれば相当優秀だなということも分かってきた。まだあまり広まってはいないが、複数の大学において、このようなコンテストにおいてある一定の成績を収めた者に対し、入学者選抜上の優遇措置を設けている。
 本大会に出場する者は本当に優れており、ある分野で金をとった者が他の分野の大会でもメダルを獲得するなど、ある分野に秀でた者は他の分野でも優秀な成績を収めるというのが実感である。国としてこのようなコンテストに対する支援の機運も高まっており、今後、このようなものが世の中も知られ、様々な場面で評価を受けることを期待している。

【質疑応答】
委員  このような試み、大変おもしろく伺った。早期入学という視点から、参加する生徒たちは、例えば高校の化学の授業よりも更にその先へ進みたいなどといった具体的な要望を持っているのか。

事例報告者 渡辺教授
 2つケースがあるようで、1つは幸いにも知りたい子供にはとことん教えるという先生がいて、そういった先生から教わるタイプ。2つ目は、そういう先生がおらず、化学が好きだから自分で大学レベルのものを勉強するというタイプ。

委員  非常に刺激的な話であった。大臣級でこのようなコンテストの支援に力を入れているという話もあったが、直接この協議会と連動するものではないだろうが、全体の学力の底上げの問題やトップ層を引き上げるという問題が、この国の教育にとって喫緊の課題になっているという認識を全体として共有しているのだろうということも感じた。
 「特に優れた資質」の考えうる基準というものが検討課題としてあるこの協議会において、本日の話は非常に示唆的であった。文芸、スポーツ等の優れた生徒を特別に受け入れるときに、文化、芸能は、基本的に国内基準しかないが、それに対してスポーツはオリンピックに出るという形でS基準というものがあり、基準の立て方が違ってくる。化学等についてはS基準に当たるものがあるということを確認させていただいた。
 また、進学先に関する情報があったが、「特に優れた資質」を高等学校段階までに持っていた生徒たちが、その後なお一層資質を花開かせることができるかどうかということの追跡は重要だと思う。日本は近年参加したということがあってまだ資料がないとは思うが、世界的にこの種のコンクールに出た者たちが例えば超一流の研究者になっているなど、資料化されていなくても、何らかの情報があれば教えていただきたい。

事例報告者 渡辺教授
 私たちも知りたいと思っているが、調べることはできていない。次回のオリンピックの時に各国の引率者にそのような情報の提供を求めるということも考えられる。日本は参加して間もないから10年くらい経たないと分からないが、各国は情報があると思うので、役に立つかもしれない。

委員  日本から2年生で出場するのは何人くらいいるのか。

事例報告者 渡辺教授
 今年も一人いる。毎年一人か二人は二年生が出場している。つまり、前年では1年生。

委員  国内のコンテストに出場する生徒の学年分布というものは分かるか。

事例報告者 渡辺教授
 3年生が一番多いが、国際オリンピックにも出場するということになって、1、2年生の出場者が増えた。確か、2年生が3割程度、1年生が1割〜2割程度であったと思う。

委員  もし分かれば物理や数学の年齢分布も知りたい。

事例報告者 渡辺教授
 数学の場合は中学生も出場している。化学オリンピックに出場したある生徒は中学3年生のときから数学オリンピックにもチャレンジしている。私立の学校の生徒であるが、家庭環境や先生の力の入れ方の違いというのもあるのだろう。

委員  他の国では、例えば小学生が飛び級で高校生になっていてオリンピックに出場するという例もあるのか。

事例報告者 渡辺教授
 いるかもしれないが、大がかりな調査をしないと分からない。
 会期は10日間あるが、引率者が自由になるのは1日しかない。開会式、主催国から提示される問題に関する討議、問題の翻訳、また、採点に関しても主催者側と引率者が協議をして決める。

委員  出題される問題は、専門の化学者が問題を解こうとすれば難なく解ける類のものか。

事例報告者 渡辺教授
 大学1、2年ほどのレベルであるから解けると思う。

委員  数学オリンピックの問題ではなかなかそうはいかないと思うが。
 我々は学問の内容は置き忘れ、国際オリンピックの方法ばかりに目を奪われている可能性はないかという考えがよぎった。

事例報告者 渡辺教授
 国際化学オリンピックの出題内容は大学の教育内容に円滑に接続するような内容になっていると思う。
 日本の高校での教育内容を考えるならばこのような出題にならないと思うが、それは、日本の教科書検定というものに起因するもののように思う。他の国は民間が作った教科書について国が検定や認定ということは行っていないのではないか。化学だけに限って言うならば、内容が非常に古臭く、大学に入ったら全て忘れなければいけないような内容になっていると思う。

委員  国際科学オリンピックというのは、与えた課題に対してトライさせるものだが、自由研究の世界大会というものもある。これは随分昔からやっていて、そこで賞をとってノーベル賞をとった者も結構いる。そういう大会で行っている内容を見てみると、大変高級なことをやっている印象である。
 何が違うかと思い、色々と話を聞いてみると、高度なことを教える高校の先生がいて、その人たちが熱心に生徒に独自に高度な内容を教えている。そのような姿勢が現在では少なくなっているかと思う。
 高級なことというのは、特別に高級な内容を教えるということでもなくて、例えば、基礎的なことを徹底的にやらせる高級さとか、徹底的に様々な考え方があることを教えるとか。それを徹底的に行っているということに感心する。
 日本では読売科学賞や朝日新聞社のJSECなどというものがある。

委員  国際科学オリンピックで行っているものは自然科学系の基礎科目ということになるが、社会科学系でも大変困っていることがある。それは高等学校の政治経済の中で教えている、例えば企業や会社などの概念が大変古いものとなっている。未だに企業性悪説に基づいて利潤極大化などの概念が用いられているが、今は皆さんご存じのように企業や会社は利潤極大だけでは動かない。こういう内容を学んできた学生が、経済学部や経営学部に入ってきて、いざ経済学や経営学を勉強し始めると、教官の言っていることと高等学校で学んできた内容が全く違うということになり、今まで学んできた頭を入れ替えなければならないという事態が生じる。
 その意味では、社会科学系では飛び入学というものは難しいのではないかと感じる。

委員  非常に難しい話。本日は飛び入学にどのような判断基準を持ちうるかということを中心課題として議論しているところだが、数学や物理などの分野では飛び入学の実績が多いが、自然科学系でないところではなかなか難しい。原因は色々とあるのだと思うが、一般ルールとしてやるとしたら、かなり議論が分かれることになるかと思う。

事例報告者 渡辺教授
 その点質問があるのだが、飛び入学の場合は普通の受験生と同じ程度の試験を受けることになるのか。

委員  今のルールでは、特に優れた資質を持つ者を高校2年から大学に入れることができるということになっており、特別な学生とは何なのか、それを誰が判定するのかというようなことが議論されている。
 我々の時代は、進学校だと、学年の約1割は旧制高等学校へ飛び入学していた。そこでは飛び入学というものは何も特別な話ではなかった。ただし、現在はそういう時代でなくて、今は50パーセントも大学に入っている。

事例報告者 渡辺教授
 その時代は飛び入学する者も通常の入学試験を受けたのか。

委員  通常の受験をした。

事例報告者 渡辺教授
 今は普通の入試と同じレベルの入学試験を受けるのか。

委員  もっと難しい試験を受ける。試験の内容については外部の高等学校長の経験者の方などにも参加していただいて検討を行っているが、高等学校の教育内容の範囲から逸脱していないかという観点から多くの指摘を受ける。ただし、我々は一歩一歩筋道を辿っていけば習っていなくても到達できるという問題を出しているので、通常の感覚で言うと非常に難しい問題となっていると思う。

事例報告者 渡辺教授
 その点はオリンピックの問題も同様である。
 飛び入学とは高校2年生が終わったら自由に入試を受けられるということだと思っていたが、そのようなことは現在の法令ではできないということか。

委員  そのような議論は当初からこの協議会でもあった。ただし、現在、高校2年から大学を受けられるとすれば、大学の種類が違いすぎるという問題がある。

事例報告者 渡辺教授
 現在、大学入学資格で年齢は定められているのか。

事務局  通常は高等学校の卒業が必要となるが、中学を卒業し、高卒認定試験に合格すれば大学受験資格を得る。ただし、基本的には18歳になっていることが必要。
 その例外として飛び入学制度ができたわけだが、中央教育審議会や国会における審議の中で、各教科万遍なくできるような受験エリートに17歳から競って有名大学に行かせるというようなことを目指すのが果たして良いのかというような議論があった。そこで、まずは特定分野において優れた能力がある者については、3年間高校で他の教科までやるよりも、早くその能力を伸ばしていく方が教育方法論としても良いのではないかということで現在の制度ができている。しかしながら、あまり取組み広がっていないところであり、その原因は何かということでこの協議会が立ち上がった。

事例報告者 渡辺教授
 高校2年生が終わったら受験して良いということにすれば相当の生徒が受けるのではないか。

委員  それらを議論すると、永遠に答えがでないので、ここで一度テーマを区切り、次のテーマに移りたいと思う。

【「飛び入学」制度に関するアンケート結果について】
委員  私なりに言うと、非常に優秀な学生を受け入れて大変手厚い面倒をみるという千葉大学のケースがある。一方、広く高校2年生から受験資格を認めて、自由にどんどん大学に入学させ、駄目なら挫折するしかないというやり方がある。その2つの対極の中でどのような議論ができるのかということになるかと思う。

委員  相当高いレベルの学生は低学年で高度な教育を受け、今あるシステムで受け入れられる旧帝国大学の方に行くのではないか。逆に、もっと飛び入学が一般的になれば、多くの大学がリメディアル教育をやらなければならないような状態にある中で、こうしたところにエネルギーを注げるのかということが問題になってくると思う。早期入学を議論するということは、国家を挙げて民主的にやっていかなければならない底上げの部分と、一方、国家の問題として、非民主的であれ、高いレベルの学生を引き上げていくという部分があろうかと思うが、そこでの課題としてどのように突出する突破口を設けるかということだと思う。
 また、先ほど話があったが、高度な学生を引き上げていく部分と、自由にどんどん大学に入学させるという部分の間にはもう一つ違うものがあると思う。例えば、私立一貫の学園においては、高校3年生までに比較的早く教育課程を終え、高校に在学しながら大学の学びを導入し、大学の学部と大学院の間の早期入学が比較的容易であるという形で既に実践されている。成績優秀者でなおかつ大学院進学を目標とするような者について、高校3年生の段階で大学の教育を始めながら、大学院までの長期の時間的なスパンを圧縮する。そういう意味で、これはとりわけ、入試というものを間に挟んでおらず、高校と大学が接続している一貫教育の学園ならではだと思うが、中間的な部分というものがあり得るのではないか。それも一つの早期入学のカテゴリーに入るのではないかと考えた。
 その際、そのような大学では、もちろんCOEというような高度な研究も進めたいと思う反面、在学している学生は広い意味で見ると中位のレベルであると思うが、その中位のレベルをどのように厚くしていくのかというところが一つの教育的な目のつけどころになるだろうと思う。

委員  昔は、中学校は5年制だった。今、高等学校の3年を2年に縮めるという話になると、中学から一貫でやっているところとそうでないところは全く違ったことになってくると思う。飛び級・飛び入学と見るか、高大連携のスムーズな接続と見るかということについては議論があろうかと思うが、今の話はそういう形でつなげていくということも一つの道としてありうるということだろうと思う。

委員  先ほどのアンケート結果を見ても、「特に優れた資質」というものをどのように捉えるか、あるいは選抜するかということは大きな問題だと思う。「特に優れた資質」というものについては、ある程度詳細に、もう少し細かく分類するということを経ていく必要があるのではないかと思う。海外の早期入学の例を見てみると、一つの領域を特化するやり方とか、人格的に豊かにしていくことに力を注ぐというようなアプローチも行っている。高いレベルの能力というものは色々なパターンがあって、理工系と社会科学や人文系、あるいは芸術系とは全く違い、更に数学や物理などの分野によっても違ってくる。そのあたりのことをある程度認識した上で議論していかないと、議論が食い違ってくるのではないか。
 また、カリキュラムの問題でも、例えば、私の友人で東大の教授をやっている者がいるが、彼は文系の数学を選択して、余った時間でどんどん自分で進んで学んだという。トップをいく生徒というのはそういうもので、カリキュラムの内容とは関係ないというレベルがあるのだろうと思う。一方、底上げということを考えたら、やはりカリキュラムを充実していくということは大事で、そのような視点も大事になってくる。
 また、十数年前に放送大学がモニター調査をやったときに、ある科学クラブみたいなものに入っていた理科の好きな生徒が放送大学の番組を見て自信をなくしたということがあったらしい。そのあたりのケアが必要なレベルもある。
 そういった色々なタイプがおり、一括して「早期入学」ということではなくて、それぞれの多様性を伸ばすような政策というものが求められるのではないか。多様性を持てるということは国の力にもつながっていくことではないかと思うので、そのあたりの視点を入れていく必要もある。

委員  今の話について、特別に才能のある者の才能を特別に伸ばすということが「飛び入学」なのか、それとも足踏みしないですっと大学に入れる者は自由に入ってもらってあとは自分の歩調で歩いてもらうというのが良いのかということとも関連すると思う。
 千葉大学でやっているようなある種の特別な能力のある者を伸ばすという取組みは、しかも最初は能力が判定しやすい領域であった物理、数学の分野に限っていたわけだが、そういった領域だけに高校生がいるわけではない。また、自由に歩かせたらどうかという話や6年制の一貫と3年制から出てくる生徒との違いなど、それらをみんなチョイスだと考えればそれはまた非常に多様なことがある。その違いに余計なバイアスをかけない方がいいというように考えるか、それとも、ある者については特別な手当てをしようというように考えるか。現状では特別な者に特別な手当をしようということになっているから、それとは違うやり方についても議論をしておくことも有効だと思う。

委員  アンケート結果の3の1)にあるように、高等学校で様々な分野を学んでいないと大学の授業についてこられないのではないかという懸念があるが、現状として、多くの高等学校では学年制になっており、教科書や指導体制も1年生ではこれを習う、2年生ではこれを習うというように、学年の制約があると思う。すると、3年生を抜かして大学に入学するということが問題視されることもあると思うし、先ほど渡辺先生も2年生、3年生という区別をせずに学んだ方がいいのではないかとおっしゃったように思う。伸ばしたい能力に関する分野に関して、学問的な体系に沿って体系的なものに組んでおいて、学年が何であろうと、1年生でも基礎が分かった人は次のステップに進めるというように、自由な学びをすることができるような試みをやってみて、その者たちが能力を発揮して早い時期に大学を受けるというようなことも考えてみるのも面白いと思った。
 また、私は千葉大学の取組みに非常に興味を持っているが、飛び入学で入った者たちが大学院修了後、社会に出てからの成果をまだ見ていないように思う。日本ではモデルがどうかということが気にされるので、飛び入学で入学した者について、どのような効果が表れているかということが多くの高等学校にもっと知らされる必要があるのではないかと思う。実際に高等学校関係者からそのような話をうかがったこともあり、その点についての情報を広く出すということが大事である。

委員  今の話は、千葉大学のケースをもう少し発信していただくように、文科省にも少し努力してもらえないかという話につながることと思う。
 また、今、日本の大学と高等学校がそれぞれ違うことをやっているかもしれないという示唆があったと思うが、現状では、順番ではなく、学生が何々学部何々学科という箱に入って、その箱の6割方をクリアすれば卒業できるというような体制になっているように思う。放送大学は段々と積んでいく方式を採っているが、そこでは飛び級の発想はない。自分が持っているものは持っているもの、ないものは足していくというやり方で、それが教育のシステムになれば飛び級・飛び入学などという議論は消えていくのだろうと思う。しかし、何々学部何々学科という箱があると、例えば基礎という場合、個人の基礎ではく、学科の基礎が問われることとなる。そこのあたり、大学のつくり方も考えなければならないし、高等学校の教育というものが本当の基礎教育だったらばあまりバラバラの内容になっても困るかなという気がする。例えば、物理が得意な者が物理をどんどん積んでいけば遥かに先へ行くことができるが、その者が歴史が不得意ということであれば、歴史は駄目と言わなければならない。そのあたりをトータルで考えることはできないか。
 飛び級があれば原級留め置きというのがあることが通常ではないかという話をしたことがあって、中学校、高等学校で原級留め置きということをやっているかと聞いたら、現状ではやっていないという話であったと思う。原級留め置きというのは何でも不名誉ではなくて、どんどんいってしまう者がいれば、例えば英語のできない者がいれば英語で足踏みをすることもある。そういうことが高等学校の中でできるのかどうかという問題もあるかと思う。

委員  先ほど体系という話があったが、それは高等学校の中の教育体系というか学問体系という話であったと思う。ただ、大げさに言えば、少なくとも化学の場合は今の高校の中身をどこでやめたとしても一度頭をリセットしなければならないということに変わりないと思う。

委員  我々の大学でも数学の飛び入学をやっているが、それは先ほど話があった自由研究で測るタイプ。そうすると、むしろ体系を崩し、リセットした方が簡単だということに気がついた。
 また、私の経験だと、例えば思考力なり、歴史的な分析力なりがぐんと伸びてくる時期がある。それが高校2年生くらいまでに集中していると感じる。そのときに伸び損ねると後で問題の種になる。箱も大事だが、そのときにどれが伸びてくるかということをよく見て、そ伸びてくるものを引っ張るということが非常に重要になろうと思う。

委員  そこで最も重要なのは、先生の力量であり、少なくとも小学校、中学校あたりでは何が好きになるか、好きにならないかというのは、9割方は先生によるのではないかと思う。

委員  その逆のケースがあって、ある者がある大学の英文と教養の英語を教えていて、殆どの学生がそれを聞いたらみんな英語が好きになってしまって、みんな文学部にいってしまった。贅沢な悩みではあろうが。

委員  大学への早期入学ということは、大学1年生に入ってくることが前提の話になっているが、特定の少数の大学を除くと、大学の学士課程教育の実態も憂うべき状況になっているのではないか。高校の数学力が下がったという話があるが、大学の教育力、教員の教育力も相当下がっている。であるから、飛び入学ということで、高校の延長のような学部1年に飛び入学することに果たして何の意味があるのかと感じる。入れとすれば後期課程3年生くらいということを考えてはどうか。極端なことを言えば大学院に入れるという考えもある。

委員  理科系でいきなり3年生というのは無理だと思う。

委員  百何十万人もいる子供たちについて、一様なキーワード、同じ範疇で話をしない方が良いと思う。大学によっては特に優れた資質を持つ学生を上手く育てていけるところと、大学の方針によっては上手く育てていけないところがある。例えば学問の分野によってはこうした方がいいという分野もあろうし、別の方法をとった方がいいという分野もある。それをえてして一緒に議論してしまいがちだが、そのあたりは根本的に考えを改めた方が良い。
 前回、大学以降と高等学校までの固さというものがまるで違うという話があったが、実質今の高等学校がどのようになっているかというと、小さいドアのついた籠の中に鳥、生徒が入っている。「入れ」と言ってぱっと閉めて、1年間いさせる。ぱっとふたを開けて「次、2年生、全部入れ」と無理に押し込んでまたふたを閉めて1年間やる。3年生になるときに急にぱんと開けて「早く出ろ」という感じである。しかし、この籠は小さなドアがいつも開けっ放しにしてあるというのが自然の姿ではないかと思う。戸を全て取り去ってしまうという野放図は全般的に考えない方が良いと思う一方、小さな穴というのは常にあった方が良いと思う。
 ある理系の科目ができる者は、我々の経験でも別の理系科目もできるものであり、さらに文系の科目もできる。そういう者はどんな試験も通るし、何をやらせてもできる。そういう者については放っておくことが教育として一番大事な方法になってくる。一方、生まれながらの能力、隠れた能力がフィフティーで、良い教育をフィフティー注ぎ込んであげると飛躍的に花咲くグループがいる。今、日本ではそこを上手く活用できていない印象がある。
 もう一度言うが、全ての生徒・学生について一律に考えるという発想を改めねば本当に良い資質とは何かという議論ができず、その点が飛び入学などについて筋道を立てて考える際に肝要になると思う。

委員  高等学校の立場から話させていただこうと思う。私がかつて勤めていた学校で、数学と物理に関しては入学段階で相当自分で勉強を進めており、知能検査の状況を見てもこの子は頭の構造がまるで違うなと思う生徒がいた。
 しかし、対人的な面は未熟で、初めはクラスでも変人扱いであった。ただ、授業で発表の機会を設けるなどすると明らかにレベルが違うので、やがて生徒たちは彼を教授と呼んで、数学の授業のときは先生ではなくその子に聞くなどして、先生と2人でチームティーチングをやるような感じになっていた。高校生活を通じて彼は初めて周りの同世代の生徒との関わりが上手く持てるようになって、次第に人格的にも成長していったと思う。
 しかし、数学や物理の分野に関しては、先生方がその子の能力を十分伸ばしたかというと、客観的に見ていて伸ばし切れていないのではないかというのが実感であった。
 私は一昨年まで県の教育委員会にいたが、愛知県の「知と技の探求教育特区」について、その企画・運営を担当していた。そのときの発想はその生徒にある。高校の段階で数学や物理などの特定の分野に極めて関心がありながら、残念ながら高校の先生方で十分それを伸ばし切ることができずに、あるいは、周りの友達からもその能力を十分に認められないままに、高校生活の中でくすんでいる生徒たちがいるとすれば、その子たちに光を当てる取り組みが必要ではないかという発想である。
 ただし、高校を2年で終えて、飛び入学という形でそういう生徒たちに道を開くことについては、率直に言って、高校関係者あるいは保護者の中でかなりの不安と抵抗がある。それは、そういった生徒の能力が、どんなに難しい試験であったとしても、短時間の試験の結果で長い将来を見据えてその子たちの可能性を本当に判定することができるのかどうかという不安である。それならば、飛び入学ではなくて、ある程度長い期間で大学の高いレベルのものに触れさせて、その中でその子たちの能力を伸ばしながら、かつ、高校での在籍を確保するというバランスがどこかでとれないかということで特区の発想を進めていった。
 現実には課題もあって、様々な批判などがあったが、実際に希望者を集めて大学での10日なり、更なるステップの学習を進めたときには、高校の先生方も、大学の先生が長い目で生徒たちを見て、その上でこの子はこういう資質があるという判断をし、大学の方で面倒をみたいということの裏づけがされるなら送り出してもいいのではないかという声が多くあった。一方で、大学の先生方も、長期間の指導期間あるいは関わりを経て、この子たちを育てていけるなら自分の大学で面倒をみる方法を考えたいという話であった。
 科学コンクールは中高一貫の生徒が殆どであったが、公立高校の中にも色々な可能性を持った生徒たちが沢山いる。ただ、公立高校では中高一貫のように高校段階で大学の内容を授業の中で取り組むことは現実には不可能である。そういった埋もれているかもしれない生徒たちについて、小さな窓からすっと上がれることも一つの方法であるし、在籍しながら大学との関わりで導いてやる方法もあると思う。色々な手立てで多様な選択肢を考えていくことが重要である。

委員  来年のオリンピックの候補生が8人いるが、そのうち4人が県立高校の生徒である。私立が2人、国立が2人、公立が4人。1人か2人は本大会まで残るのではないかと思う。

委員  この協議会は飛び入学などについて議論をするところであるからそれに絞って議論をする必要はあるが、今の日本の教育の基本的な考え方というのが学年主義をベースにしていることについて、それが本当に良いのかどうかということは根本的に検討することを別の場で是非やっていただきたい。

委員  もう1つ、子供の立場からすると、18とか19歳でここに才能があるから大学に行きなさいということにしても18とか19歳では分からないと思う。もし飛び入学で入れるというのであれば、最大限の努力をし、しっかり面倒を見ないとならないのではないか。

委員  学年主義を改めるということには賛成である。例えば、言語能力というのは小学校の時代にできている。それから、それを抽象化して文字を使う能力、数学の数式は小学生で十分にできている。であるから、我々の教育というものは結構な足踏みをしているように思う。17、18歳というのは一番まずい時期で、もっと早い時期に言語能力や抽象能力、現象を解決する能力ができてしまうように思う。
 自由研究のテーマとして、数学だけではなしに、サイエンスということであれば色々なところから選びうるが、できる者はできるなりのテーマを選ぶし、そうでない者は習っていたテーマしか選ばない。そういったことを見極めることも重要かと思う。

委員  かなり手厚いことをしないといけないのではないかという意見もあった。束縛をかけないで自由にやらせた方が機能するのではないかという意見もあった。それには高校のつくりや大学のつくりというものは今のつくりのままで良いのかなど、色々な基本的なことを含めた議論があったように思う。それから、私立の6年制と公立高校の違いがあり、それをどのように導くかということもある。
 我々はいろいろなチョイスを持っているので、大学がそれぞれのケースに応じてという話が出ないわけでもないが、一つ、成功例に近いところとして千葉大学や名城大学の例がある。それをどのように課題として我々が使っていくかという話もある。その上で、現行制度では無理だということであれば、高校や大学の仕組みを変えることを含め、中教審で議論をするということも必要になるかもしれない。本日の話を非常に乱暴に括ると、そのようなことであったかと思う。次回は高大連携を通じて、本日話した内容も含め更に具体的なご提案を聞かせていただければと思う。

7. 次回の日程
 次回は、日程調整の上、決定することとなった。

(高等教育局大学振興課大学改革推進室)


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