b グローバルな規模で文化活動が行われる中で、自国では保護が終了している一方、相手国では保護期間が残っている際には、相手国の作品に自分の国では価値を認めていないという状況が生じ、相手国の作家とはやりとりがしにくい。海外で著作権が生きている作品を、日本では自由に使えるからといって、喜ぶべき状況ではなく、国同士で作品を尊重し合うことが重要である。
c そのときには時代を先走っていた作品が、別の場面で突如として評価される例も多い。その際に著作権の保護期間が終了していたら何にもならないので、世界の趨勢に合わせておくべき。
一方で、その逆の観点から、次のような指摘もなされている。
a 欧米の水準に合わせることがなぜ望ましいのか、日本の文化振興にどのようなメリットがあるのか合理的に説明すべき。
b 「世界の趨勢に合わせる」ことについては、そもそも最低の保護水準はベルヌ条約で一応の統一がなされており、70年にしないと何らかの弊害があって、国際調和が必要であるというならば、まずWIPOで議論してからその結果に従うのが筋ではないか。
c 国際的な平準化のために70年に延長しても、アジア・アフリカ諸国など、50年の国との調和が問題になるのではないか。
d 日本と欧米で著作権制度が異なる点は多々あるはずなのに、なぜ保護期間延長に限って合わせなければならないのか。罰則は世界に先駆けて保護水準を強化した。都合のいいところに合わせるだけではないか。
a インターネット等で著作物が簡単に国境を越える時代にあって、保護期間が切れている国にサーバを置いて著作物を発信すれば、まだ保護期間が切れていない国からでもダウンロードができてしまう。著作物等の保護の実効性を高めるためには、保護期間について国際的調和を図る必要がある。
日本は海外頒布用レコードの還流防止に取り組んできたが、一方で、日本で著作権が切れたものを海外で並行輸入することになれば、それと同じことを日本自らがすることになってしまう。
b 国境を越えてインターネットで著作物が提供されることへの対処が必要だということと、保護期間の20年延長が必要であることとは関係がないのではないか。
c 保護期間の差により欧米で流通ができないとの理由で、より保護期間が長い方に調和させて、日本でも流通できなくするような保護期間延長の発想は不合理である。
a 生涯保障のない世界で、自らの創作物によって自分と家族の糧を得て生きる創作者にとって、長寿高齢化が進む中で、遺された家族の未来を考えれば、保護期間を延長すべきとの思いは当然である。
b 創作者は、形にならない財産しか残せない。他の職業で形のある財産を残した場合には子、孫にも残るのだから、存続させても構わないのではないか。
c 近時は、他の職業も保障があるわけではないし、財産を有形で残すかどうかはどういう財産を購入するかだけの話ではないか。
d 生前には理解されず、死後に評価される作品もあるが、そういう作品の場合、創作は家族を犠牲にして行われていることを考えれば、遺族にも成果が還元されるべきではないか。
e 演劇、美術の分野では、公的な支援が不可欠であり、公的支援を受けた成果について、創作者の創作を支えているのは、家族だけではなく、作品を購入する社会の経済的余剰であり、過去の文化遺産の蓄積であり、社会全体である。このような考え方からは、生まれた成果を特定個人等が囲い込むべきではない。
また、どの範囲の遺族までを対象と考えるべきかについても、次のような意見があった。
a 保護の恩恵を受けるのは、創作に関わる意識が共有できる範囲の直系親族に限定(子が亡くなるまでの期間)すべき。仮に子どもの生活保障が最低限必要だと考えると、最長で創作者の死後すぐに生まれた子が大学卒業するまで25年の保護期間で十分である。孫世代まで収入保障をする必要はなく、孫を育てるのは子世代の責任である。
b 祖父が偉大だからといって孫やひ孫を保護することが社会正義として妥当なのか。著作権は、孫の生活を保障するものなのか。そうだとすれば、少子化によって一人当たりの取り分が増えることなど別の考慮も必要になるし、そういう問題ではない。
c 孫まで保護すべきというのは、現行法の趣旨は少なくともそうなっているのではないか。
d 孫の代まで経済的価値が残っている著作物は1パーセント以下だと思われるが、そのために残る99パーセントの潜在的な著作物の利用が阻害されるおそれがあることが問題。
e 孫の代まで著作権を与えるのは、生活保障というよりは著作物利用の決定権を与えるということ。死後の人格的利益の保護の規定(第60条)では利用の相手方を選べない。このような選択権を遺族に補償する必要があるかどうかが判断の決め手となるのではないか。
a 現在、日本の著作権の国際収支は年間6,000億円の赤字であるというデータもあり、保護期間延長は、輸入超過や国際的な知財の偏在を固定化してしまうおそれがある。
b 将来的に、日本が知的財産立国を目指して、文学作品、漫画、アニメ等が海外へ進出することを考えれば、保護期間を延長することは、創作者が収入を得るチャンスを増やすという点で、国策でもあるクリエーターへのリターンの強化、知的財産の保護の強化になり、著作権保護が切れてしまうのは、国家的な財産の喪失とも考えられる。
c 30年後の世界の知財の状況を踏まえて決めるべきで、現時点で、欧米の古い作品の延命を日本が後押しをする理由はない。
d 建築、ファッション、漫画、アニメ等、保護や権威が薄い分野では、保護がないために、開拓精神、チャレンジ精神が育ち、日本の文化が世界に通用するものになり、我が国の生産力につながっている。
また、その他、国際収支以外でも国の利益を確保する観点からの考え方として、次のような指摘があった。
a 国益ということであれば、短期的な国際収支だけではなく、中長期的には、海賊版防止条約の提唱国といった世界の先進国、リーダー国として発言していけるのか、そういったことも考えるべき。
b 日本が目指す知的財産立国は、一国知財主義ではなく、知財による国際貢献を目指すものであるべきであり、アジア・アフリカ諸国との連帯を準備すべき。
a 死後50年であれば、創作するインセンティブがないが、これを20年延びるならインセンティブが生じるということがあり得るのか。20年の延長で、どの程度情報の豊富化に役立つのか。
b 実証的な調査は行っていないが、現行の死後50年でも著作物の公表は行われており、現行制度によって創作意欲が失われているとは思えない。
c 今後創作される著作物について保護期間を延長する場合は、創作者の創作インセンティブを促進する側面があるのは明らか(ただし程度は低い)だが、延長による利用制限効果と創作制限効果の比較分析をして判断すべきで、書籍出版については、保護期間を延長した場合の創作者のインセンティブの増加は、1〜2パーセントあるいは、1パーセント以下と研究されている。
d 創作者にとって、金銭ではなく、死後に評価されて過去の文豪並びの評価を受ける可能性がある期間が延びるという事実が創作のインセンティブとなる。
e 創作作環境として、権利が少しでも与えられるなら、創作者はプラスだと思う、そういう単純なものもプラス材料として捉えられる。
f 例えば、英語教室の事業では、自社開発の教材を他社が使わないようにするためのビジネスの戦略的なツールとして著作権が用いられている。このように優れた教材を作って社会に貢献する企業にとっては、保護期間延長が、そのままビジネス活動の延長になり、優良な著作物の制作に投資するインセンティブになる。
a 著作物の利用についての取引費用(著作物探索コスト、契約コスト、適正利用監視コスト)は、著作権保護がない作品に比べて、著作物の利用を抑制する効果を持つ。権利者にとってもプラスにならない。著作物の取引費用を軽減するための投資が行われるのは商業的な価値がある著作物に限られるため、死後50年の時点で投資に見合う十分な商業的な価値を持たない大半の著作物は、延長によって、20年間取引されず、死蔵される可能性が極めて高い。
b 経年により死亡する人間が増加し、相続により許諾を得なければならない人数の増加、拡散することにより、一部の権利者の反対によって利用拒絶を受ける可能性が高まる。
c 近時は少子化が進んでおり、経年によっても相続人がそれほど拡散しないと考えられる。
d 遺族が創作者の意図した通りの権利行使を行わない場合もあり、保護期間が延長されれば、創作者の意図を理解しない相続人にまで権利が承継され、作品の利用を理解されない危険が増える。真の理解者を得るために出来る限り多くの人に創作物を流通させるべきである。
e 遺族が無理解だと思うのは、利用者側の勝手であり、相続者としては、亡き創作者の心を推しはかって守るのが使命である。
a 創作は、先人の文化的遺産を土台にして生まれるものであり、保護期間の延長は、この円滑な利用における取引費用を増大させるおそれがあり、過去の著作物が利用されなくなれば、未来の創造活動を阻害するリスクがある。
b 著作権法では、アイディアは保護されないため、そっくり同じものをそのまま利用するのでなければ、過去の著作物の利用は自由にできるのではないか。また、二次創作については、何でも自由に使えることが良いわけではなく、権利承継者である遺族の許諾を得られるような質の高い作品を生み出すよう絶えず努力することで、良い二次創作が生まれる。
c 著作権の中には翻案権があり、同じものを使わなければいいというものではない。
d 翻案権、二次著作物を利用する権利のみは延長しないということも、検討の選択肢の一つになりうるのではないか。
a 書籍出版、映画の例では、パブリックドメインになることで、新規事業者の参入によって、それまでなかった流通ルートや新たな利用者が開拓されるなど、利用方法の革新が生じる。
b 例えば、シャーロックホームズの二次著作などの関連作品は、保護期間が切れる付近から出回る量が相当増えている。
c ネットワーク化の下で一億総クリエーターと言われる中で、カバー作品、アナザーストーリーなどの再創造作品が生じやすくなっており、ネットワーク化の下では、パブリックドメインの意義が高まっている。
d インターネットの活用やアーカイブは、保護期間内でも、手続を経れば可能であり、保護期間が切れればインターネットの利便性が活かせるとの関係ではないのではないか。そして、インターネットによる著作物の利用の拡大は、それは保護を犠牲にして起こったものではなく、保護期間を延長しなければ、従来の保護水準を維持したまま、公正な利用が拡大し、文化の発展につなげられる。
e 過度な著作権保護は、批判精神やパロディーを抑制し、新しいものを作ろうとする個々のチャレンジ精神や、我が国の将来の表現力を失わせるおそれがあるのではないか。
a コンテンツ立国を考えるのであれば、コンテンツにアクセスしやすい環境(入手性、価格、利便性)を整えることが、文化的に豊かな状況をもたらすと考えられる。
b 欧米は、インターネットの効用が明確でない段階で保護期間を延長したが、日本は、多くの人が平等に容易に著作物に触れられるなどのインターネットの利点を生かした文化振興のモデルを検討すべき。
先の文化を土台とて行われる創作に与える影響についての観点から、次のような意見があった。
a 新たな創作を生むには、先人の作品を土台とした部分が9割、自分のオリジナリティは1割という意見がある。延長することによって許諾を要する期間が増え、また、保護期間延長によって、著作物がさらに20年間死蔵される場合、過去の著作物の利用を土台とした次なる創作の機会を奪うことになる。
b 開花された個性を保護するとの方法の一方、海外では、個性を殺して模写することで伝統を学び取るとの模写教育が重要になっている。優れた芸術作品は、模写や改良によって系統発生するものであり、保護はできるだけ短くして、伝統の中から新しい文化が生じるシステムを重視すべき。
c 先人の作品から着想を得て作品が生まれるのは確かだが、そのことは、保護期間の内でも外でもある話で、保護期間延長の話とは関係がない。
d 芸術は模倣から始まるとの考えもあるが、オリジナリティのある作品を手厚く保護することが基本であり、保護することは文化・芸術の発展に資するものである。無料になったから使うという使い方は、商業的観点の利用を偏重する考え方であり、安易に過去の思想・感情・表現を借用した作品が大量に流通することにはなっても、創作的な表現を本質とする豊かな文化芸術の発展にはならず、文化芸術の愛好家、消費者に不利益となる。
また、直接に創作活動に対して行われる支援を確保する観点からは、次のような意見があった。
a 著作権に関して支払われる対価は、創作者の創作活動の基盤となるだけでなく、出版社、レコード会社等によって新たな創作に投資されることで、現在の創作者や次代を担う新人に創作の機会が与えられる。このような創作サイクルの源泉を豊にすることが、新たな才能に機会を与え、意欲を刺激することになる。
b 演劇、美術の分野において、公的支援を受けた成果について、個人の権利として主張することに、国民のコンセンサスが得られるのか。
c 死後の保護期間の延長よりも、生存中の公的支援の拡充などを国民に訴える方が芸術界にとって重要ではないか。
そのほか、社会全体の創作に対する姿勢や考え方への影響について、次のような意見があった。
a 過度な著作権保護は、批判精神やパロディーを抑制し、新しいものを作ろうとする個々のチャレンジ精神や、我が国の将来の表現力を失わせるおそれがある。
b 創作に挑んだ者への敬意を忘れない世の中にするためにも法的手段が重要である。どのように活用するかという仕組みづくりによって価値創造の力が上がっていくことになる
a 著作権と著作隣接権とで、保護期間に格差を設ける合理的な根拠はない。また、音楽文化は、楽曲創作、実演提供、原盤製作が一体となっているものであり、三者の保護期間は調和的に設定されるべき。
b 実演家については、存命中に権利を失う場合もあり、実演の著作隣接権の保護期間を「実演家の死後」起算に改めるか、平均寿命の一般的な伸長を加味した加味した年数に改めるべき。
c レコードは物理的媒体に固定されており、劣化を防ぎレコード文化の承継、発展に寄与するためには、デジタル化、リマスタリング等の費用負担が必要となるほか、保護期間延長が、過去のレコードの商品化のインセンティブにもなる。また、レコード製作者の著作隣接権は、類似する音を固定したレコード製作には及ばないため、保護期間を延長しても、新たな創作に対する制約にはならない。実際に、既に21カ国が50年を超える期間を保護している。