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「文化審議会著作権分科会法制問題小委員会審議の経過」に対する意見募集に寄せられた御意見

※いただいた御意見は項目ごとに整理させていただいておりますが、原文のまま掲載しております。
項目 意見
4.契約・利用について
(1)著作権法と契約法の関係について(契約による著作権のオーバーライド) 「著作権法における30条以下の権利制限規定は、それぞれの立法理由が個別にあると思います。それぞれの根拠に基づいた判断をする必要があると考えます」

権利制限の趣旨にもよるが、例えば引用禁止は表現の自由と抵触すると考えられ、強行法規と理解すべきであろう。
また、契約を認めうる場合であっても、権利制限を認めた趣旨からすれば、原則は個別的な契約によるべきであり、包括的契約を認めるには一定の特段事項が必要というべきであろう。

契約によるオーバーライドは可能であるが、少なくとも引用と試験問題としての複製に関しては、前者が憲法上の言論・表現の自由との兼ね合いで認められ、後者が人の学識技能を公正に判断すべき要請により認められているという事情から、いずれも強行規定と解されるべきであるとの意見を述べておく。

著作権法はその1条で述べられているように、著作権者の権利保護を図りつつ文化の発展に寄与するために設けられたのが法制定の趣旨であり、そこには創作者と利用者の利益衡量があって個々の規定が設けられているのである。
他方、我が民事法は私的自治の原則をとっており市民法関係においては当事者間で自由に債権債務関係を形成してよいわけである。
よって、契約で財産権である著作権の権利の所属は勿論その内容においても決めても構わないことになろう。著作権法の権利制限規定を排除する契約も私的自治の原則のもとでは許されることになる。
しかしながら、それでは利用者は本来著作権法では認められる著作権と言う財産権の利用権が消滅することになる。これは文化の発展に資することになるであろうか。
この場合に、民法には90条のような一般条項があって私的自治を補完しているのが参考になる。
つまり、著作権法にもそのような一般条項を設けることによって制限規定が設けられた趣旨を没却するものは無効とすることが妥当である。
その場合に、何が無効とされるべきかは、制限規定を個別検討してもいいが、法が認めているものは原則的には無効ではないかと解する。

中にある
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イ. 著作権法の権利制限規定によって許されている行為を禁止する契約はその限りにおいて無効である。
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という趣旨に強く賛同する。理由は「イ」の理由の通りである。
なお、「ア」の理由に「当事者が合意したのであれば」というくだりがあるが、著作者が契約に合意しない限り、著作物の利用を許諾しないという対応を行なった場合は、契約の強制に該当すると考える。
一方、利用者に「著作権法の権利制限規定によって許されている行為を禁止する契約」に合意して著作物を利用するか、合意せずに著作物を利用するかの選択が可能な場合に限っては、「著作権法の権利制限規定によって許されている行為を禁止する契約」を有効とみなすことも可能だと考える。
具体的な例として、ソフトウェアを無サポートで利用するか、ソフトウェアに関するサポートが提供される代わりにソフトウェアの著作権法の権利制限規定によって許されている行為を禁止する契約を締結して利用するかを利用者が選択することが可能な場合に、利用者の自由意志で締結された契約は有効だと考えられる。

(2)許諾に係る利用方法及び条件の性質(第63条第2項の解釈) 「違反すると著作権侵害となる事項」と「違反しても単なる契約違反にしかならない事項」の区別の実益は、民事的にはなく、刑事罰の有無にのみあろう。
許諾支分権内では契約違反、許諾支分権をこえれば著作権侵害というと考える。

著作物の利用許諾ライセンス契約に違反してライセンシーが著作物を利用した場合の「著作権侵害となる事項」と「単なる契約違反になる事項」については事案ごとに解釈して運用すれば足ることと思料します。

【意見の概要】
「著作物の利用」はいわゆる商業的著作権にかかるものであり(著作者人格権は「利用の許諾」にかかる権利の対象とはなり得ない)、鑑賞的・消費的使用(私的使用)は、これ(著作権)には含まれないことを明記することを望む。
【意見】
著作権の対象となる著作物とは無体財産であるが、著作物を鑑賞的・消費的に使用するためには、なんらかの媒体(有体物)に固定させる必要がある。
著作権は原則としては「固定された媒体の所有権には及ばない」が、貸与権等によって、準物権としての性質も持つ。これにより、「利用の許諾」が媒体に固定された著作物が産む経済的価値を著作権者に帰せることを意味するが、「利用の許諾」が及ぶ範囲もその限りであることも、同時に明確である。
著作者人格権が一身に専属し譲渡できないことから、「利用の許諾」の対象とならないことは明らかである。
一般の消費者が媒体に固定された著作物を個人で私的に使用(鑑賞的・消費的使用)する限りにおいては、当該著作物が著作権者に帰すべき新たな経済価値を産むことがないのは明らかであり、「利用の許諾」の対象となる性質のものではない(ワードプロセッサを使用して創作された小説による経済的利益を、ワードプロセッサの著作権者に帰すべき理由はない)。
著作物を私的に使用できる回数や期間を制限することは、私的な使用が「利用の許諾」の対象となるべきものではないことから、同意に基づいた契約として行われていると考えるのが自然である。
少なくとも、いわゆる「利用許諾契約」における全ての条項が「利用の許諾」にかかる利用の対象でないことは明白であり、解釈論に委ねる必要はない。

解釈論に任せるという立場に賛同する。

(3)著作権の譲渡契約の書面化について 著作権のみ要式契約とすべき合理性は少ない。国民の著作権意識の向上により解決されていくように思われ、法律による措置は不要であると考える。

書面を要求するかどうかについては検討を要するだろうが、仮に書面を要求するとした場合には、インターネットの普及によって一般私人がウェブ上で著作物を発表することが増え、それに伴ってその権利処理を行う必要性も増えていることから、書面は電磁的記録(民事訴訟法第11条3項参照)でもよいとされることを望む。

「審議の経過」45ページに「我が国において同様の立法することは、譲渡契約一般が要式契約とされていない我が国の法制度の中で、著作権の譲渡契約についてのみ要式契約とするだけの合理的な理由を見いだせない等の法制面の理由、また多様な場面で行われる著作権の譲渡に一律に契約書面を要求するのは適切ではないという実体面の理由から、必ずしも適切であるとはいえない。」とあるが、全くその通りであり、著作権譲渡契約の書面化が成立要件とすると著作物の広範な流通が阻害される可能性が出てくる。

譲渡契約の書面化は大切だが立法化する必要はない。

(4)一部譲渡における権利の細分化の限界(第61条第1項の解釈) あくまで対抗要件制度の関係で問題となろう。細分化により利用が困難になるのであれば、利用者救済をすれば足り、あえて当事者契約そのものに介入する必要はない。

譲渡又は一部譲渡にせよ当事者間の契約によって行われるが著作権の保護期間が延長される傾向にある中の登録制度見直しで「一部の単位」や利用形態、期間、地域による細分化の範囲を検討願いたい。

(5)第61条第2項の存置の必要性について そもそも27条、28条の規定が特殊であり、61条2項について議論するのであれば、根本的に解決するべきと考える。

第27条(翻訳権、翻案権等)第28条(二次的著作物の利用に関する原著作者の権利)に規定する権利が譲渡の目的として「特掲」されていれば両条に言う権利者の権利が契約の範囲内で制約され、結果として二次的著作物の著作者の利用範囲が拡大される。あえて廃止する必要はない。

(6)未知の利用方法に係る契約について 契約解釈の問題で足りる。

現時点において立法措置を講じる必要は無いという方向性に賛同する。

その他 契約に関連して、著作物の利用許諾が契約としてのみ行えるのか、単独行為としても行うことができるのかが立法上明らかにされることを期待する。
(63条の文言は契約を前提としているようだが、自由利用マーク等の存在を考えた時に単独行為と考えざるを得ないこともあるため。)
また、著作財産権と並んで権利処理が必要となる著作者人格権についても、それを契約で制限できるのか、権利の放棄や権利行使の放棄はどうか等について規定が設けられることを望む。



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