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「文化審議会著作権分科会法制問題小委員会審議の経過」に対する意見募集に寄せられた御意見

※いただいた御意見は項目ごとに整理させていただいておりますが、原文のまま掲載しております。
項目 意見
2.私的録音録画補償金の見直しについて
(5)その他(私的録音録画補償金制度の課題について) 現行の制度見直しについて論点が、「現状の儲かりそうな物への課金、しかも対象がもともとの音源、映像などの制作者に対する保護制度では無い」ように思えます。そもそも本であればコピー、レコードなどであってもDATなど以前からこの様な話はあったはず。特定の商品が広まってきたら課金などと発泡酒と同じような考え方の状況では、「文化審議会著作権分科会法制問題小委員会審議などの委員会などの運営資金の調達」に一般消費者からは思えてなりません。そもそも一般の方からの意見より、この様な状況の中で誰が損をするのか?その人達は現行の仕組み(iPodなどが広まりつつある状況の中で)の中でどの様な生き残りの為の努力をしたのか?そーいった事の中での問題点が何なのか?とゆう事の方が興味があります。兎に角、クルマが広まってきたら税金、テレビが広がりつつあれば受信料など、搾取する方法より静観してテクノロジーの開発に水をさす様な事をしないで頂きたいと強く思います。

○改善を速やかに図る必要があるとの意見について
直ちに改善すべき。
保証金はその全額を著作権保有者に配分し、すべての資金の流れを誰もが容易に無料でアクセスできるような手段のもとで公開されるべき。保証金返還の手続きが簡素である必要があることはもちろん、返還に際して必要となる費用は、正当な理由無く徴収した側の負担でなければ公正さに欠ける。

利用者の多くはデジタル・アナログ両方式を意識して使い分けていないし(再生に応じて劣化し、音質もさほどよくないカセットテープとそれがなく高速な頭出しが可能なMD/CDくらいの認識はあるだろうが、それだけにすぎない)デジタル方式では完全なコピーが作成可能と言っても、何世代にもわたるコピーを行う利用者も少ない。販売目的でのコピー、つまり海賊版は別途取り締まるべきであるが私的複製という目的の元ではデジタルでもアナログでも利用者にとっては大差はない。それなのにコピーを行うに利用するメディアが、わずかデジタルかアナログかの差だけで補償金が発生したりしなかったりするのはおかしい。
また、将来的にアナログ方式の機器が駆逐され、デジタル方式に切り替わる事が十分に想定されるにもかかわらず現行法を見直す事なく拡張し利用し続ける事は、全ての私的複製に対し課金する事となるのは明白である。そもそもその補償金においても、利用者から見れば全く持って不透明な物であり、分配方法も公平ではない。利用者が支払った補償金はコピーした楽曲の権利者の元へ補償されるわけではなく『権利者』全体に分配される。これによりメジャーな楽曲を好む利用者とマイナーな楽曲を好む利用者の支払う補償金に差が生まれ、DRM等による個別課金に対し、非常に不公平であると思われる。
また、コピー元を入手する際にCD購入、レンタル、オンライン購入、等のいずれの手段においても何らかの課金がなされている場合の方が圧倒的に多く、二重課金であることは間違いない。現行制度はアナログ方式による録音が主力である時代に策定されデジタル方式が主となった現在には時代に対応した新しい制度が必要と考える。故に、補償金制度の廃止をも視野に入れた、根本的な見直しをすべきである。廃止しないにしても、現行制度は時代にあっておらず少なからず変更が必要であり補償金対象追加による収入拡大を目論む前に、補償金用途等の情報を明らかにするなど、成すべき事が多くある。利用者の多くは補償金を払う事に関してはやぶさかではないが、それはあくまで著作権者への対価であり、用途不明な訳の分からないものに対してではないと思われる。

デジタル機器を含め、記録媒体に課金する制度に反対します。
iPod等のデバイスの出現に対し新たに課金したいとの業界からの要望に応え法改正しようとするのはいかがなものかと考えます。むしろ、記録媒体に対して課金する制度そのもののあり方も見直すべきと考えます。
私的複製に対して課金しない訳にはいかないでしょうが、今後はiTMSのような課金モデルとコピーの制限を採るべきだと思います。仮にデバイスに一律に課金されると、私的複製以外の用途での購入者からも徴収することとなり問題だと思います。
消費者と著作権者のそれぞれの権利の保護を一律の制度で網羅すること自体無理があるのかもしれませんが、もっと海外の制度を参考に公平な負担をできるよう制度設計をしてください。

課金に反対です。
課金すると著作権を完璧に管理できるのでしょうか?財源の捻出のためのこじつけが無理矢理な法案だ。パソコンや携帯やPDAにも課金するのか?こんな案が出ること自体に失望した。

以前から、デジタル音楽データのコピー制限を行ってきており、一般消費者の自由を制限してきた上で、さらにそのメディアに補償金をつける。いわば、2重徴収しているようなところがあると考えられる。
また、私的に使用しているデジタルメディアにさえ、補償金を徴収し、制度上返金される仕組みにはされているが、なぜか事務手数料というものがあり、本来払わなくても良いにも関わらず、事実上返金されない仕組みとなっている。逆に、著作権者も補償金を受けられない仕組みなのではないか。補償金徴収制度は著作権者でも消費者でも無い中間層で飯を食う人を養う制度になっている。
レンタルCDを借りてきて、個人的に音楽を楽しむための録音は認められている訳で、デジタルコピーは、回数制限されており、これで十分と考えられる。ましてや、個人で購入したCDまで規制されているのは、問題外と思う。
それに対して、さらに媒体にまで規制(補償金徴収)するのは、消費者の権利というものがどこかに追いやられ、利益重視になりすぎているのではないだろうか。

私的録音補償金制度に反対いたします。
当方も、著作物を作成・販売して生計を立てている者ですが、著作物という点では同一であるにも関わらず、補償金を取られるばかりで当方には一切還元されておりません。現法律は、JASRAC(ジャスラック)が利益を得る為のみに存在している法律であり、特定企業・団体のみを政府が法で保護するという点において、非常に望ましくない制度・法律であると考えます。
著作物作成の対価は、販売する著作物により賄うべきであり、第三者から徴税的に搾取するべきではないと考えます。

著作権を保護することは非常に大切なことだが、著作権を持っている者を保護することが重要であり、その周りにいる者や会社の利益を保護するものではないと思う。私的録音録画補償金制度は、その周りに居る者を保護しているように思えてならない。現在のデジタル社会においての著作権の保護の方法を改めて考えなおすべきである。以上の理由により、現行の制度はすみやかに廃止すべきである。

なにかとかこつけて金銭をたかるのは朝鮮人でもないのに日本人として恥だと思います。私は音楽関係の仕事をしていますがそうゆう上司や思想を持つ同僚と仕事が一緒になると創造力が著しく鈍化します。私は今年で25になりますが、後輩など20代前半などの意見に耳を傾けるとレコードやカセットテープ等のメディアの存在を的確に述べられた者などほぼいません。あなたがたが光学ディスクメディアに感動したように彼等は次のメディアに興味を持つのではないでしょうか。また、音楽と権利をあなたがたの私欲で混同されますと最終的にはアーティストの制作意欲及びアーティスト生命を枯らせてしまい、リスナーを遠ざけてしまう結果を招き、苦しむのはあなたがた自身じゃないでしょうか?世界で2位の経済大国の国民が、ここまで自国の文化に疎いのはあなたがたが確実に文化の種を暴利によって詐取してきた結果によるものであると私は考えます。
死ねばいいのに

本来の趣旨であるならば、デジタル・アナログ等の録音方式に関わらず著作物の複製全てに課金し、補償金は複製された著作物の著作者に配分されるべきものであるが、現制度は課金の容易性を優先してバランスを欠く負担と不透明な分配が行われており、著作物利用者の観点からは公平性の上で問題が多すぎると考える。
また、著作者にとっても自分の著作物の正当な対価を得られておらず創作活動の動機付けを損なうことにもなる。しかし現実の問題として、個人が行う全ての形態の私的複製行為を個別に監視することは不可能であり、私的録画補償金の考え方そのものが非現実的であると言わざるを得ない。そもそもの問題の発端は不正な複製による著作権者の経済的損失をどうするかということであり、これは不正コピーに対する罰則強化と厳正な取り締まり、教育現場を含む啓蒙活動(不正コピー防止を訴えるだけでなく、著作者を支援するために著作物にお金を払っているという意識付けを行うことも重要)等によって対応すべき問題である。
技術の観点からは、著作物利用形態が様々に広がる中、本来であれば新たなビジネスチャンスを求めてビジネスモデルを転換すべき業界が本制度によって結果的に保護された状態になっており、現制度の継続は技術発展の阻害要因になる可能性が高い(既得権益に捕らわれ、新たな技術に投資をしにくい体質を作り上げている)。このような状態が続けば既にグローバル化が始まっている著作物の配付技術で日本が大きく後れを取ることになり(既に明らかに出遅れているが)、将来の日本経済にも影響を与えかねない。
以上のことから、本制度は段階的に縮小・廃止するとともに不正な複製(私的利用以外の複製)に対する厳格な対応が進むべき方向であると考える。また本制度同様に本来の意義を失い業界保護システムとなってしまっている再販制度の見直しも避けて通れないと考える。

同制度については既に破綻をきたしており、速やかに廃止すべき‐とあるが、賛成である。安価になり、新規需要も喚起でき、最終的に現著作権者にも有利になると思われる。
(2)制度の内容および実態について一層の周知‐とあるが、実態については消費者には情報は全く伝わっていない。特に、著作権を管理する費用がいくらかかっており、管理団体の長から一般社員の給与水準が一般の会社に比べてどうなのかを公表すべきである。

今回の問題について思いましたが、私的録音画補償金は本当に必要なのでしょうか?このまま行けばレコード会社は自らの首を絞め現在よりもCDが売れなくなるのは間違いないでしょう。どこからでも取れる所から取るでは一般人は良い印象をいだかないでしょう。

また、既に問題として認識されているように現行の補償金制度には録画を行わない購入者からも徴収するなど、制度上の不備があります。また、対象となる機器の個別指定という方法では、指定がなされるまでの時間差により権利者の利益を損なう可能性もあります。そのようなことが無いように、放送事業者の著作物使用料には、複製されることも考慮した上での料金設定を行い徴収することが必要だと考えます。これにより、放送の録画・録音が指定外の機器でなされていても金銭的な補償はなされるためです。
つまり、私的録音録画補償金制度により補償するということは現実的な対応とは言えません。

「私的録音録画補償金の見直し」について
同制度の撤廃、あるいは適用範囲の大幅な縮小を強く求めます。
同制度はアナログ時代、不可避であった違法コピーに対応するための制度であり、デジタル技術でコピー・コントロールが可能となった現代においては、全く不適当な制度といえます。音楽著作権者は、自らの創造物である「音楽」のみから正当な著作権料を徴収すべきであり、録音機器や録音メディアは音楽著作権者の成果物ではありません。我々消費者から見れば「不当」な課金といえます。
アップル社のiTunes Music Storeの成功を皮切りに音楽配信がブレークしようとしている今、私的録音録画補償金のような古い時代の制度を適用すべきでは決してありません。

著作権とは、それを作った人の権利を保護するためにあります。こういう音楽プレイヤーに課金することで、音楽を作った人たちが喜びますか?実際にその方々が望むなら検討すべきでしょう。しかし、現実には、著作権を管理している団体が勝手に主張しているだけでしょう。
こういう音楽プレーヤーに音楽を入れるためには、CDを購入したり、ダウンロードしたりする必要があります。そのときに既にミュージシャンにはお金が払われている訳です。それで十分でしょう。
大切なことは、あまり大きな声が出せない弱者からこそこそと小銭を集めることではないと思います。

私的録音録画補償金精度は、そもそも
(1).コピーしても音質が劣化しない。
(2).無限にコピーできる。
以上の2つの理由から始まった。しかし、CDからMD、CDからMP3へのコピーは音質が劣化する。また、放送からHDD・DVD への録画も、画質・音質は劣化する。よって、(1)は成立しない。DAT・MD には SCMS と言う世代コントロールがあるので、2度目のコピーはできない。よって、(2)も成立しない。
以上により、私的録音録画補償金が課せられる根拠は破綻している。
また、楽譜・歌詞のデータはデジタルデータである。コピーにより多少文字がピンぼけする事はあっても、楽譜のドレミや歌詞の内容が変わる事はない。しかし、紙や鉛筆に私的楽譜・歌詞記録補償金はついていず、公平性に欠ける。
さらに、駆け出しの音楽家がプロデビューを目指して、自分の曲を MD に録音して練習したり、配るとする。所が、その MD には私的録音保証金により、既に稼いでいるプロの音楽家の元へと収入が入る。保証金を受け取るには厳しい審査があり、アマチュアの音楽家は受け取る事ができない。何故アマチュアの音楽家がプロになるために、プロにお金を払わなければならないのか?これは音楽業界が新規参入を阻んでいると言っても過言ではない。私的録音保証金の用途には音楽振興も入っていると言うが、私的録音保証金により安くスタジオが借りられると言った事がない限り、アマチュアの音楽家への還元は無い。

「課金には反対」
現状でさえ日本の音楽産業は旧弊的な部分が多く、世界的に見てサービスの質や量と共に時代に遅れているのが事実です。この状態に課金を加えることになると、世界的なサービスの流れに対してますます後れをとり、結局被害を被るのは消費者で、それがまわりにまわって結局は音楽業界の停滞につながると思います。課金などの足かせを付け加えるのではなく、もっと自由でオープンにして産業全体の活性化を促すべきです。なぜならそれが音楽業界、消費者、国としても一番良い結果を招くからです。

私は、私的録音負担金そのもののあり方が、今後、疑問視されていくことになると思っています。
例えば、著作権がAさんにある音楽がCD-Rに私的にコピーされたなら、CD-Rに含まれる私的録音補償金はAさんに還元されるべきです。しかし、CD-Rディスクを買った時点で補償金を取る仕組みでは、対価の還元先が未知です。「権利者の為に」と言いますが、誰のための徴収でしょう?私は、著作を持っている本人に還元されないのに、補償金も何もないと思っています。
電子手帳、データストレージなど、音楽再生以外の機能を包含したデジタル家電は、如何にデジタルプレーヤーと称しても対象外になると考えています。ある人にとっては音楽を聴く道具であっても、またある人にとっては音楽を聴くための道具にはなり得ません。
私は、かつて音楽再生できるデジタルカメラを買ったことがありましたが、使い終えるまでの3年間、とうとう一度も音楽再生しませんでした。デジタル家電は、使い手の使い方で何にでも変化します。音楽再生機能があっても、写真などのデータストレージ、スケジュール帳などが目的で、必ずしも音楽を聴くことに使われるとは限らないのです。
もし今後、私的録音補償金が、国民総意で適切な制度と理解される徴収制度として存在し続けるならば、それはソフトウェアに課金する制度になると思います。どう使われるか未知なハードウェアではなく、まず転送するであろう音楽を購入する段階で課金する方が、まだ合点が行きます。これなら売れる曲を作った人(=著作権者)に還元できます。文化発展に寄与する側面も強調できます。矛盾ある制度が、国内の消費や工業技術をも含めた文化の発展を阻害する温床になりはしませんでしょうか。
私は、文化庁は国民の文化的生活の発展を趣旨としていると捕らえています。現状を短絡的に判断するのではなく、著作権者の権利を守ると同時に世界に胸を張れる日本のデジタル家電の今後の進展、そして国民の文化的な生活に配慮した、海外の模範にもなるようなご判断に期待申し上げます。

どうもこんにちは。意見を聞くのに、これだけ煩雑な聞き方はないでしょう?もちろん、この聞き方も理解できます。ただ、この聞き方は、プロ、もしくは有知識者にたいしてですよね。広く一般の意見を求めたかったら、自由記載とイエスorノーで聞くほうがよろしいと思うのです。
さて、本題。基本的に時代遅れのものですね。デジタル時代の著作権をきちんと考えた方がよい。もちろん音楽だけの話ではありませんよ。音楽だけの今回の「私的録音録画補償金の見直し」については、いったん全てを無にして下さい。ネット音楽配信で著作権料を取られ、さらにとられるなんて、あまりにもおかしい。また、デジタルデバイスは、音楽だけのために買うのではなくて、デジカメのバックアップ専用にすることもあります。こういった使用するのになんで著作権料を取られなくてはいけないのか???
もう少しましな仕事して下さいね。
では、一般的な国民より。

私的録音録画補償金制度は、私的録音録画により著作権者等の経済的利益が損なわれるのを補償することが目的であり、著作権法第三十条一項の私的使用を目的とした複製が禁止されたわけではない。しかし、現在の議論は著作権者等の経済的損失の有無にはなく、機器や記録媒体が著作物の複製に使用されているか否かに拠っており、補償金制度の目的を逸脱している。
現在では映像・音楽ともデジタルコンテンツのライセンス保護技術を利用することが可能であり、補償金制度に依存しなくても著作権者等の経済的利益を保護することができる。したがって、選択の余地がなく用途も不透明な補償金制度は速やかに撤廃すべきである。

日本は法治国家であるはずです。たとえ建前であっても。
世の中には時代に見合わなくなった法律や不合理な制度はゴマンとありますが、それに「納得行かないから」という非常に主観的な主張で守らなくて良いとするなら、法律とはいったい何なのでしょうか。法律が時代に見合わなくなったのなら、変えるべきです。でも、変える努力をする前に「法律がおかしいんだから違反してもいいんだ」と開き直る姿勢を許しているのは、法律を書いた文化庁として侮辱されている気になりませんか。
iPodが専用機器か汎用機器かという議論自体が非常にナンセンスです。仮にiPodが「汎用機器」であったとしても、そこにデジタル録音される音楽について、権利者に何の補償もされていないことは厳然たる事実です。そこを見ずして、「法律がおかしいから」「制度がおかしいから」払いたくないというメーカーの主張は、そもそも一般的に通用する理屈なのでしょうか。立ちションや赤信号を渡ることが「納得いかないから」「制度として破綻しているから」やらなくていいという理屈は、どこに行ったら通じるのでしょうか。納税制度が「実態に合っていない」から脱税しても、「制度の根本的な見直し」が先ですか。それに、「個別課金できるから」補償金制度を廃止したとすると、デジタル形式による私的複製は自動的に禁止されることになります。すべて個別課金するそのお金は、もはや補償金ではなくて複製使用料ですよね。私的複製が自由であることの補償が、補償金制度なのですから。メーカーはそのことを言っていない。卑怯です。
わたしは決して一方的な権利者の味方ではありません。権利者も、権利の上にあぐらをかいて消費者やメーカーがカネを払って当り前だという考え方は今すぐ改めてもらいたいと思っています。著作権という非常に強い権利を、何の努力も費用も要せず獲得でき、自動的に自分の死後50年保護されるのは決して「当り前」ではないはずです。権利を主張するには、それなりの義務もコストもつきものです。職業に尊卑はありません。芸術文化を創っているからエラくて便器を作っているからエラくないのではない。

普通にモノをつくっている企業や人に比べて、自分達は非常に恵まれた立場にあることを著作者は自覚し、1つの工夫として、著作権のうち人格権を除く財産権部分について登録制を導入し若干のコストを権利者に負担させ、自らの権利に対する意識をしっかり自覚させるべきと考えます。
保護要件に登録制を導入することが条約違反なら、別の形でもなんでもいいです、「権利のうえに眠れるものは保護せず」という民法の大原則を反映させた著作権制度をぜひ作っていただきたい。
私的録音補償金問題は、表面的な問題にすぎないはずです。こんな些細なことに、有能な行政官や偉い先生方が何時間もかけているのは、あまりにも時間と税金と能力の無駄です。もっと根本的な著作権制度全体の見直しを、本気でやってください。文化庁がやらずに、どこがやるんですか。

私的録音補償金が適切に分配されているかどうか、消費者に分からないことに問題があると思います。配分比率、配分先、配分された金額を含めて全情報の公開を行うべき。

補償金制度はひどいと思います。消費者から補償金を二重どりしている点です。たとえばCDを買いそれをCD-Rにコピーしたとします
CDをコピーする機器とCD-Rメディアに補償金がかかるというのはどう考えてもおかしいです
最近電車に私的録音補償金管理協会の広告があるんですが補償金うんぬんより私的録音補償金管理協会自体を保護しようという広告に思えます
分配金も流れも不透明でアーティスト側に本当にわたっているのか疑問です
私的録音補償金管理協会存続に使われているのではないのでしょうか?
補償金制度廃止すべきです

今まで述べた様に現行法第30条第2項は様々な問題を抱えている為、廃止、もしくは範囲を縮小するのが望ましいと考える。代替の補償制度については以下の理由から不要と考える
・音楽配信による楽曲については権利者と消費者間で個別の課金が成立しており法の範囲での複製が権利条項として含まれている
・従来の提供方法(CD販売、レンタル)については再販制度や複製を見込んだ価格設定により私的複製の損失を吸収可能である

すでにもとになるCDなどを購入したときに著作権料を支払い済みなのに再度デジタルオーデオ機器に費用を課金するのは反対である。

<デジタル放送は補償金を払った記録媒体でもコピーはできない。>
1)先日DVDレコーダを使ってWOWOW(デジタル放送)をCPRM対応の録画用DVD-Rにコピーしようとしたがコピーできなかった。このようにデジタル放送になると補償金がとられている記録媒体でコピーできなくなる。今後100パーセントデジタル放送化に向かう中で現行の補償金制度は成り立たなくなるのではないか。よってこの補償金制度は廃止すべきである。
<補償金の配分に疑問>
1)共通目的基金に補償金収入の20パーセントが使われているが、これはおかしいと思う。補償金は100パーセント権利者に支払うべきで権利者に80パーセントしか払っていないのなら補償金は現在徴収している金額の80パーセントに下げるべきである。また、利用者の具体的な使用実態(どのコンテンツをコピーしているのか)がわからないのに、どのように権利者を確定しているのか疑問である。

一般消費者の見地からすると、”購入”したものや録画した放送を他の録音録画機器等に複製して利用したとしても個人の利用しやすい状態にて利用したりPCのデータ同様にトラブル発生時のバックアップを取得しているのみであり本来の”私的な利用の範囲”においては著作権者の権利を一切侵害しておらず著作権者の被っている損害も皆無ではないでしょうか
そう考えますと私的録音録画補償金そのものの妥当性に疑問があります
昔からある友人知人間での貸し借りやネットにおける不正流通等の私的”外”録音録画の補償金であるならばまだ理解できますが私的録音録画補償金から私的”外”録音録画補償金に変更するのも私的録音録画補償金から私的”外”録音録画補償金に変更するのも不正行為の免罪符となってしまうため無理がありますし私的録音録画補償金は廃止するべきではないでしょうか

デジタルメディアプレイヤーを課金対象に追加する事に反対します。
ユーザーとしても今後のデジタル市場を考えても制限がかかりすぎる。デジタル録音が可能な機器すべてに課金するのであればともかく、一部の対象物のみに課金していくのは、おかしな話。今後テレビもラジオもデジタル化が見えているこの段階で必要な事は、著作権の保護と配信者の責任規定であると考える。利権保護を優先すると将来性を見失い、国益にも反する。一部分のみを見るのではなく、他の市場を含めた幅広い目をもって考えて下さい。これ以上は良識あるであろう行政に日本の将来を委ねます。

私は補償金制度は無くしていくのが望ましいと思っていますが、もし存続するのであれば以下のように変更するのが良いでしょう。
現状では録音・録画機器やメディアに課金されていますが、これを止め、音楽CDや映像DVDなどの録音録画される「ソース」に全て課金するようにします。ただし、課金の度合いはDRMの施し方によって変えて、音楽CDなどは簡単にコピーできるので高くし、映像DVDなどはコピーが困難なので低くします。そして、課金額を商品に明記するのです。これによって「コピーをする権利も含めて購入している」という意識を消費者に目覚めさせることができるでしょう。もしも、音楽CDを直接聴くだけでコピーしない人には不公平だというなら、DRMを施した商品を安価に併売すれば良いでしょう。また、レンタルCDなどは実質的に「コピーの機会」を販売しているといえるので、ここに課金しても良いでしょう。ソース側に課金すれば回収にコストはかかりませんし、徴収・分配をより公平にすることができます。また、音楽配信などへの課金との整合性をはかることができ、二重課金を避けることができます。現行の補償金制度が抱えている問題点を、ほぼ解消することができるでしょう。
「音楽や映像を売買する」ことに関しては、これからの技術革新によってまったく新しいサービス形態が次々と登場するでしょう。現状の補償金制度では、対応が追いつかなくなるは必至です。小手先の改正ではなく、長期的な視野に立った抜本的な改正(廃止も含む)を希望します。

ここに書いてある項目については大賛成です。ぜひとも進めてください。

そもそも「音楽配信」というノンパッケージビジネスがスタートし、それを音楽業界/権利団体が認め更には推進している時点で”複製権”の概念はある部分でほころび始めていて、そうした現状の中で複製権/私的複製の枠組の再度見直しを行うべきであって、私的録音録画補償金の見直し(適用範囲の拡大も廃止も含め)はその後行われるべきであろうと考えます。
複製権=複製物(CDというパッケージ)を作って更にそれを売って商売をする為の権利の事だと思っていて、音楽配信のような”ノンパッケージビジネス”では「売る為の複製物」を作る(コピーする、あるいはバーニングする)行為を購入者・消費者が代替するフローになっていると言えます。(そしてその代替する複製行為”には現状法での「私的複製」の範囲が含まれざるを得ない)
複製の技術の進歩やそれをベースにした(音楽配信のような”ノンパッケージビジネスに代表される)流通の変化が急速に進んでいる現状に於いて、音楽の世界に限らず「複製/私的複製の概念」の見直しや、もっと大枠での著作権法の見直しがまず進められるべきでしょう。

その規制案でいくと、サーバーや企業で使用するハードディスクも対象になります。
と言うことはパソコン自体に課金されると同じですね。
サーバーや企業で壊れたハードディスクを交換するたびに、音楽のファイルがなくても著作権料として、課金されたハードディスクを買わなければいけないと言うのはおかしいです。
そもそもこんな規制案を考えること事態おかしいと思う。

新たな機器を私的録音録画補償金の対象として追加すべきかどうかを議論する以前に、私的録音録画補償金という制度自体が現在の私的録音や録画という環境に合っているのかどうかということを議論すべきだと考えます。少なくとも、この制度が作られた頃には、合法的なオンラインでの音楽販売などがなかったので、根本的な考え方が現在の環境に合っていないのは明らかです。
合法的はオンライン販売で著作権対価を払い、それを聞くための機器でまた別に補償金を負担するというのはどう考えても理解できないですし、この制度自体が、本当に私的録音録画の補償となっているのかが非常に不明確です。
著作物の権利を守るために、利用者が何らかの対価を支払うということは必要なことですし、当然のことだと考えます。しかし、本当にその目的に使われているのかさえわからないようなものを、利用者に見えない形で課金するというやり方には反対です。

私的録音録画補償金制度は廃止すべきである。わたしは作者の著作権は尊重したいし、利用に対して適切な対価を支払いたいと思う。だから不正コピーの流通を行なうような人たちが社会に増殖することのないような終身刑的法制度を設ける必要もあるだろう。一方で、わたしが支払いたいのは、けっして利用することのない、演歌などの音楽の著作権者に対してではない。ところが補償金制度のもとでは、そうした望んでもいない人たちへも分配にもとづく支払いが生じてしまうのだ。今日のIT社会のもとでは、電子データの利用に対して支払いを行なう制度の構築が、もはや困難なことではなくなっている。「利用されれば対価」であり、「利用されない」人たちは存続できなくても仕方のないことではないだろうか?これはけっして弱肉強食ではない。インターネットが普及した今日では、よい作物を作りたいという農家の個人的努力の成果を産直として中間マージンを搾取されることなく営業もできる時代になっている。そして、やりたいことによる収入は、さほど多くの顧客を確保しなくてもよくなっており、少数顧客を確保するような営業をインターネットは可能にした、というのが今日の現実だからだ。そして、今回の議案のもととなった iPod の利用者はほぼ100パーセントがインターネットの利用者でもある。だから不労所得を保証する、録音録画可能な機器への課税処置ともいえるこの補償金制度は早急に廃止すべきである。

【意見】
私的録音録画補償金制度を全廃することは難しいと思われるが、少なくとも縮小の方向で検討を始めるべきである。また、「当面の運用」における「改善」は速やかに行なわねばならない。

【理由】
本来補償金を課すべき私的複製につき個別に課金する(コピーされた著作物の権利者を特定することも含む)制度を確立することが理想である。もっとも、一度対価が支払われた著作物については(私的利用の範囲において)自由かつ無償で利用できるとすべきである。
ただし、そうした理想的な個別徴収が実現する見通しが立つまで、補償金制度自体を存続するのはやむを得ない。とは言え、現行制度の問題点は放置できず、改善していくべきなのは言うまでもない。
また、消費者とのコンセンサスの形成(補償金を課すべき私的複製の特定と、その根拠の論理的・実証的説明が必須である。現状ではそれが全く為されていない)に努力しなければ、この制度は存続不可能である。

「当面の運用」にかかる「改善」については、以下のように考える。
補償金配分の比率見直しに関し、各権利者団体は配分の方法等情報公開をより詳細に進めていくべきである。たとえばレンタルなどを基準とした配分に関し、その具体的な数値(表)や計算式を公開しなければ消費者の理解を得ることなど出来ないだろう。消費者の間では、各権利者団体の配分方法は「不透明」だという印象が一般的であり、現状の情報公開には全く納得していない。
補償金制度の周知については、制度の論理的検討も並行して行なわれることが望まれる。いままでどこまで真剣に論理的検討を経たのか定かでないが、「不利益」というマジックワードに頼った観念論に陥ることなく、具体的・論理的・実証的な検討が無ければ消費者の理解など到底得られまい。ここで著作権・著作隣接権で保護されるべき権利者の経済的利益の範囲を明確にせねば、今後も権利制限のバランスを崩すような権利者側の要求が続くと考えられる。その際の判断に資する論理的検討の蓄積が必要であろう。
返還制度の簡略化は絶対に行なうべきである。私的録音録画補償金を一部でも存続させるのであれば、返還制度を実効性あるものに改善しなければならない。制度の周知徹底はもちろん、管理協会側の迅速な対応が可能となるように文化庁が監督していくことが求められる(返還制度に目立った改善がみられない時は、補償金制度を廃止すべきである)。なお、既に対価を支払い済みの著作物(自ら買い求めたCD・レンタルCD・ネット配信楽曲など)の私的複製に使った指定機器・記録媒体についても補償金返還への道を開くべきである。
共通目的事業を国の予算で行なうようにすることについては、それが実現可能であれば望ましいことではある(どのように国民全体のコンセンサスを得るかという問題が残っているが)。しかし、共通目的事業への支出を減らしていくためには、補償金の分配が利用実態へ近づくよう努力が必要である。もともとは分配の粗さを吸収するために共通目的事業(権利者全体への間接的分配)が設けられたのであって、これと同じ事業が国の予算で行なわれるようになったからと言って、補償金分配からこぼれた権利者への「間接的分配」を廃止しても良いという根拠にはならない。適正な分配が確保された時点で共通目的事業への支出を廃止すべきである。

私的録音録画補償金制度自体の根本見直しを行なうべきである。理由は以下の通り。
私的録音・録画のさまざまな態様について、権利者の経済的不利益がどれほど発生するのかを具体的に検討することなしに消費者の理解を得ることなど出来ない。このまま私的録音録画補償金制度が続いていけば、著作権制度自体への不信感を喚起していくことにもなりかねない。
特に、既に対価が支払われている著作物(正規に購入されたもの・レンタルされたもの・ネット配信で購入されたものなど)の私的複製や、一時的な私的録音・録画(主にハードディスク・フラッシュメモリ等に記録するようなもの)、アーカイブとして保存されている私的複製物などについて、明確な区別が必要である。
なぜ著作権者(および著作隣接権者)の利益を保護しなければならないのかきちんと説明すべきである。権利者が正規商品を売ることで得る利益が保護されるべきとの考えについては、国民の理解が広く得られているものと考えられる。しかし私的録音録画補償金制度については、これによって「補償」される「利益」と権利者の本来得るべき「利益」との因果関係が曖昧なまま議論されていると言わざるを得ない。ここで改めて再検討し、消費者の理解を得られるような明解な根拠を示す必要がある。

結論:現行の私的録音録画補償金制度は現行のまま運用すべき

制度自体を廃止すべきとの意見が出されておりますが、問題はあるにせよ、現行運用されている制度を突然廃止することには賛成できません。制度創設時の趣旨や国際的な動向を鑑みても、私的録音録画補償金制度自体は必要な制度であると思われます。
また、現行指定されている機器媒体だけでは、ハードディスク内蔵型録音機器に取って代わられ、ゆくゆくは補償金制度が無意味なものになってしまうとの意見もあります。しかし、これについて私は、補償金制度がDAPと音楽配信の台頭によりその役目を終えていくものではないかと考えております。音楽配信ビジネスは個別具体的にその著作権使用料を徴収できる理想的なシステムを持っています。つまり、ある程度大雑把な徴収と分配を前提とした現行私的録音録画補償金制度は必要ありません。
よって、現行制度はそのまま据え置きで運用していくべきものと考えます。

補償金は払わないにこした事はありませんが、アーティストにきちんと分配され、新たな創作意欲につながるのであればやぶさかではありません。良いものを生み出してほしいものです。

私的録音録画補償金制度に関しては、将来的には廃止されるべき制度だと思います。
しかし、現状は過渡期であるため、私的録音録画補償金制度を維持するべきだと思います。
音楽や録画、放送や出版などを取り巻く環境が、ここ数年で劇的に変化しつつあります。
技術的には、DRMを用いる事によって、一曲一曲の個別管理も夢ではない時代にあると認識しております。
ただ、現状ではDRMはまだまだ普及しておりません。
私的録音録画補償金制度を維持しつつ、DRMが十分に普及するタイミングで私的録音録画補償金制度は廃止し、アクセス権を導入することで、権利者の権利を保護するというのが理想だと考えます。

私的録音録画補償金制度を全廃することは難しいと思われるが、少なくとも縮小の方向で検討を始めるべきです。また、「当面の運用」における「改善」は速やかに行なうことを強く望みます。
その理由として、
対価支払い済の私的複製の権利制限について。
一度、対価が支払われた著作物については(私的利用の範囲において)自由かつ無償で利用できるとすべきです。まず、個別課金は、個別分配の方向をとる。本来、補償金を課すべき私的複製につき個別に課金(コピーされた著作物の権利者を特定することも含む)する制度を確立することが理想なのでは?
情報公開については、補償金配分の比率の見直しに関連し、各権利者団体は配分の方法等情報公開をより詳細に進めていくべきです。たとえばレンタルなどを基準とした配分に関し、その具体的な数値(表)や計算式を公開しなければ消費者の理解を得られません。消費者の間では、各権利者団体の配分方法は「不透明」だという印象が一般的であり、現状の情報公開では全く足りていないということだ。説得力にも欠けています。
補償の根拠についても、なぜ著作権者(および著作隣接権者)の権利を保護しなければならないのかを、もっときちんと説明すべきです。
確かに権利者が正規商品を売ることで得る利益が保護されるべきとの考えには、国民の理解が広く得られていると思います。しかし私的録音録画補償金制度については、これで「補償」される「利益」と権利者の本来の「利益」との因果関係が曖昧なまま議論されています。
ここで改めて再検討し、消費者の理解を得られるような明解な根拠を示す必要があります。
具体的な資料と論理的な説明についても、補償金制度の周知については、制度の論理的検討も並行して行なわれることが望まれます。
いままでどこまで真剣に論理的検討を重ねたのかはわかりません。しかし、「不利益」などというマジックワードに頼った観念論に陥ることなく、具体的・論理的・実証的に検討されねば、消費者の理解などは得られませんし、ここで著作権・著作隣接権で保護されるべき権利者の経済的利益の範囲を明確にせねば、今後も権利制限のバランスを崩すような権利者側の要求が続くことは明白です。

経済的不利益についても、権利者の経済的不利益の具体的な根拠、および、検討なくしては、消費者の理解を得ることはできない。このまま私的録音録画補償金制度が続けば、著作権制度自体への不信感を強めることにもなりかねません。
既に対価が支払われている著作物(正規に購入されたもの・レンタルされたもの・配信楽曲など)の私的複製や、一時的な録音・録画(主にハードディスク・フラッシュメモリ等に記録するようなもの)、アーカイブとして保存されている私的複製物との明確な区別が必要です。
返還制度の簡略化についても、返還制度の簡略化は絶対に行なうべきです。
私的録音録画補償金を一部でも存続させるのであれば、返還制度を実効性あるものに改善しなければなりませんし、制度の周知徹底はもちろん、管理協会側の迅速な対応が可能となるように文化庁が監督していくべき。(返還制度に目立った改善が見られないときは、補償金制度を廃止すべきである)
なお、既に対価を支払い済みの著作物(自ら買い求めたCD・レンタルCD・ネット配信楽曲など)の私的複製に使った指定機器・記録媒体についても補償金返還への道を開くべきです。
共通目的事業の扱いについては、共通目的事業を国の予算で行なうようにすることについては、それが実現可能であれば望ましいことでしょう。どのように国民全体のコンセンサスを得るかという問題があるにせよ。しかし、もともとは分配の粗さを吸収するために共通目的事業(権利者全体への間接的分配)が設けられたのであって、これと同じ事業が国の予算で行なわれるようになったからと言って、補償金分配からこぼれた権利者への「間接的分配」をストップしても良いという根拠にはなりにくいです。

経過措置については、理想的な個別徴収が実現する見通しが立つまで、補償金制度自体を存続するのはやむを得ないでしょう。とは言え、現行制度の問題点は放置できず、改善していくべき。また、消費者とのコンセンサスの形成(補償金を課すべき私的複製の特定と、その根拠の論理的・実証的説明が必須である。現状では全くそれが為されていないと言っても良い)に努力しなければ、この制度は存続不可能ですね。
いずれにしても、補償金の配分に関しては、積極的に情報公開するとともに、配分比率等を固定せず、補償金の管理団体において、適宜見直す必要があります。
また、製造業者の協力を得て消費者が負担する補償金の額を表示するなど、補償金の管理団体において、消費者に対して、制度の内容及び実態について一層の周知を速やかに図る必要があります。
補償金の管理団体も、補償金返還制度を簡素化して、実際に利用可能なものに改めるよう検討すべき。第104条の8及び著作権法施行令第57条の6において補償金額の2割に相当する額を支出することになっている共通目的事業については、消費者から徴収した補償金ではなく国の予算で行うことを含め、その縮小・廃止について検討する必要があります。
さらには。適法録音録画と違法録音録画との区別が容易ではなく。たとえば現行法上企業内の録音録画はすべて違法行為であるので、企業が購入した機器・記録媒体からは徴収できません。企業と私的使用の区別をどう付けるのか、企業からの払い下げの場合についても考えなきゃいけないでしょう。
CDレンタルは業者が報酬を権利者に払っており、ユーザに転嫁しているのであって、二重払いさせられることになってしまいます。いずれにせよ、費用の負担は受益者負担が原則であり、それを無視してすべての機器・機材に上乗せして徴収するやりかたには問題があり、もう少し権利者側に受益を確定するための努力があってもいいのではないでしょうか?

私的録音録画補償金制度については、既に破綻を来しており、速やかに廃止すべきとの意見に賛成します。
理由としては、私的録音録画補償金がコンテンツにかかわらず一律課金されるのに対して、補償金の対象ではないコンテンツもかなりの比率で存在しており、その比率を特定する方法がないため、いわば「やらずぼったくり」的な不当課金が放置されることが予想されるためです。
またこういった課金を推進する著作権管理団体の利権問題や制度的腐敗が大きな問題となっており、そのことが不当課金放置の原因になっていると思われます。従って、この制度を廃止すると同時に、JASRAC(ジャスラック)など著作権管理団体の体制をみなおすべきだと思われます。

「私的録音録画補償金」の制度自体が、元々公平ではない。
「音楽用CD-R」「録画用DVD-R」と表示されているものだけに掛けられているが、実際には補償金がかけられていない、区別して言うと「データ用」のCD-R、DVD-Rでも音楽、動画を焼くことができる。その上、音楽用、録画用にも普通のデータを焼くことができる。
iPodなどのデジタルオーディオプレイヤーも、中に自作の曲を入れる人もたくさんいることは間違いないし、パソコンのデータストレージとして使う人もいる。どちらの例も、私の知り合いたちの使い方だ。
皆が違法に著作物を複製しているわけではないのに、こういった制度を導入していることは間違いであり、消費者が不公平を被っている=消費者に不利益が出ている。この制度は消費者から金を徴収して、著作者に送金し、結果的に消費者の利益になるような制度だったのではないのか。
少なくとも、これ以上対象商品を増やすようなら制度自体を終わらせるべきだと考える。

私的録音・録画補償金は、「再複製時に劣化が無くかつ複製無制限な形式」への複製に限って請求可能とすべきである。

前提認識:
私的録音・録画補償金は名前に反し、レンタル屋や友達から借りてリッピングするなどの「私的ではない」複製行為による著作者の利益損失を補償している。

主張:
私的録音・録画補償金については、「再複製時に劣化の無い複製無制限な形式」への複製に限るべきであると考える。
なぜならば、再複製時に十分な劣化が生じれば複製による著作権者の損失リスクはアナログ複製と同等であると言え、また複製に制限のある形式であれば著作権者のコントロールの影響下であるため損失リスクがあるとはいえないからである。
DRM管理下での複製のみ行える機材やコピーワンス対象データのみ扱える機材においては、補償の必要性は存在しない。
また、DRM管理下のデータ及びDRM管理下でないデータを両方利用でき、かつDRM管理下のデータをDRM管理下のまま扱う機材については、DRM管理下のまま扱えない機材に対し補償金の金額を減免すべきである。

私的録音録画補償金制度を全廃することは難しいと思われるが、少なくとも縮小の方向で検討を始めるべきである。また、「当面の運用」における「改善」は速やかに行なわねばならない。
理由
対価支払い済の私的複製の権利制限:一度対価が支払われた著作物については(私的利用の範囲において)自由かつ無償で利用できるとすべきである。
個別課金・個別分配の方向をとる:本来補償金を課すべき私的複製につき個別に課金(コピーされた著作物の権利者を特定することも含む)する制度を確立することが理想である。
情報公開:補償金配分の比率の見直しに関連し、各権利者団体は配分の方法等情報公開をより詳細に進めていくべきである。たとえばレンタルなどを基準とした配分に関し、その具体的な数値(表)や計算式を公開しなければ消費者の理解を得られることなどない。消費者の間では、各権利者団体の配分方法は「不透明」だという印象が一般的である。現状の情報公開では全く足りていないということだ。
補償の根拠:なぜ著作権者(および著作隣接権者)の権利を保護しなければならないのかきちんと説明すべきである。権利者が正規商品を売ることで得る利益が保護されるべきとの考えには、国民の理解が広く得られているものと考えられる。しかし私的録音録画補償金制度については、これで「補償」される「利益」と権利者の本来の「利益」との因果関係が曖昧なまま議論されていると言わざるを得ない。ここで改めて再検討し、消費者の理解を得られるような明解な根拠を示す必要がある。

具体的な資料と論理的な説明:補償金制度の周知については、制度の論理的検討も並行して行なわれることが望まれる。いままでどこまで真剣に論理的検討を受けたのかが定かでないが、「不利益」などというマジックワードに頼った観念論に陥ることなく、具体的・論理的・実証的に検討されねば消費者の理解など到底得られない。ここで著作権・著作隣接権で保護されるべき権利者の経済的利益の範囲を明確にせねば、今後も権利制限のバランスを崩すような権利者側の要求が続くと考えられる。その際の検討に資する論理的検討の蓄積が必要である。
経済的不利益:権利者の経済的不利益の具体的検討なくして消費者の理解を得ることはできない。このまま私的録音録画補償金制度が続けば、著作権制度自体への不信感を強めることにもなりかねない。既に対価が支払われている著作物(正規に購入されたもの・レンタルされたもの・配信楽曲など)の私的複製や、一時的な録音・録画(主にハードディスク・フラッシュメモリ等に記録するようなもの)、アーカイブとして保存されている私的複製物との明確な区別が必要である。
返還制度の簡略化:返還制度の簡略化は絶対に行なうべきである。私的録音録画補償金を一部でも存続させるのであれば、返還制度を実効性あるものに改善しなければならない。制度の周知徹底はもちろん、管理協会側の迅速な対応が可能となるように文化庁が監督していくことが求められよう(返還制度に目立った改善が見られないときは、補償金制度を廃止すべきである)。なお、既に対価を支払い済みの著作物(自ら買い求めたCD・レンタルCD・ネット配信楽曲など)の私的複製に使った指定機器・記録媒体についても補償金返還への道を開くべきである。

共通目的事業の扱い:共通目的事業を国の予算で行なうようにすることについては、それが実現可能であれば望ましいことではある(どのように国民全体のコンセンサスを得るかという問題が残っているが)。しかし、共通目的事業への支出を減らしていくためには、補償金の分配が利用実態へ近づけていく努力が必要である。もともとは分配の粗さを吸収するために共通目的事業(権利者全体への間接的分配)が設けられたのであって、これと同じ事業が国の予算で行なわれるようになったからと言って、補償金分配からこぼれた権利者への「間接的分配」をストップしても良いという根拠にはならない。
経過措置:理想的な個別徴収が実現する見通しが立つまで、補償金制度自体を存続するのはやむを得ない。とは言え、現行制度の問題点は放置できず、改善していくべきなのは言うまでもない。また、消費者とのコンセンサスの形成(補償金を課すべき私的複製の特定と、その根拠の論理的・実証的説明が必須である。現状では全くそれが為されていないと言っても良い)に努力しなければ、この制度は存続不可能である。

そして委員の意見として
補償金の配分に関しては、積極的に情報公開するとともに、配分比率等を固定せず、補償金の管理団体において、適宜見直す必要がある。
製造業者の協力を得て消費者が負担する補償金の額を表示するなど、補償金の管理団体において、消費者に対して、制度の内容及び実態について一層の周知を速やかに図る必要がある。
補償金の管理団体において、補償金返還制度を簡素化して、実際に利用可能なものに改めるよう検討する必要がある。
第104条の8及び著作権法施行令第57条の6において補償金額の2割に相当する額を支出することになっている共通目的事業については、消費者から徴収した補償金ではなく国の予算で行うことを含め、その縮小・廃止について検討する必要がある。とある。

又、半田正夫「私的録音と補償金請求権」から要約するとこういう意見が出ている。
録音録画しない者に補償金を支払わせることは私法理論としては馴染まない。また、録音するかどうか分からない段階で支払い義務が生じるのは、法理論的に承認される性質のものが疑念が生じる。録音録画しない旨の立証はほとんど困難であるうえ、わずかな金銭の返還請求訴訟は費用倒れになることは明らかであり、訴えの提起は不可能ではないかと思われる。著作物の利用者が補償金の負担者であるとして、著作権の私権としての建前を維持しながらも、実際にはその枠を越える措置を認めるものであり、実務処理の便宜上の要請のまえに、なにゆえに機器・記録媒体の購入者すべてが補償金の最終的負担者とならなければならないかの説明を放棄したものと評せざるをえないといえよう。
複製者が負担者であるにもかかわらず、購入者が負担することになっている。
メーカーに協力義務が付されているが、メーカーが著作物の録音録画を可能ならしめる機器・記録媒体を購入者に提供した点に協力義務の原点を求めているのだとすると、メーカーのみに限定するのは妥当ではなく、放送事業者も有線放送事業者も、CDレンタル業者も録音を可能にならしめている点では同等である。
適法録音録画と違法録音録画との区別が容易ではない。たとえば現行法上企業内の録音録画はすべて違法行為であるので、企業が購入した機器・記録媒体からは徴収できない。企業と私的使用の区別をどう付けるのか、企業からの払い下げの場合はどうなるのか。
CDレンタルは業者が報酬を権利者に払っており、ユーザに転嫁しているのであって、二重払いさせられることになってしまう。
共通目的事業の支出は、私法としての域を超え、従来の理論に大きな変更を強いるものである。

最後に「文化審議会著作権分科会法制問題小委員会審議の経過」に対する意見募集についてだが、なお、本意見募集の趣旨は、本小委員会における検討を行う際に有益な意見を求めることにあり、個別の論点に係る賛否の数を問うものではありません。したがって、いただいた御意見については、原則としてそのまま本小委員会に付し、個別の項目
に係る意見提出数の集計・公表は特段いたしません。と書いてあるが、9月30日の法制問題小委員会第8回の中間報告で167件、iPodなどのマルチメディアプレイヤーを私的録音録画補償制度へ含むことに賛成の意見が17件、反対が80件と、反対意見が賛成意見の4倍超となっている。

そのほかの意見としては現行の私的録音録画補償金制度への反対意見が16件、制度を遵守すべきという意見が2件、政令での指定に賛成が2件、反対が2件、そもそも制度自体がおかしいという意見が6件、現行制度を廃止すべきとの意見が27件あった。

という記事がWeb上で掲載されている。これは、パブリックコメント募集最中に出す物では無く、中間集計を出す事自体に疑問を感じる。つまり、この中間集計が出された事に依り、賛成側が劣勢である、というイメージ的な植え付け、反対側は「これだけ差があるのだからパブリックコメントを自分が出さなくても良いだろう」というイメージを一般の人に植え付けかねない。

何故中間集計を公表したのか、又、文化庁著作権課は「個別の項目に係る意見提出数の集計・公表は特段いたしません。」と書いたにも係わらず、現に公表している。これは国民を愚弄する物であり、ルールをそちらの方で破っている。この点に付いてちゃんと国民が納得出来る回答をして頂きたい。

制度の形骸化は既に限界まで来ていると思う。既得権の拡大が大半の適用範囲拡大の申し入れは、消費者の立場からすると非常におかしな考え方であると思う。本制度が制定された時代には現在のようなDRM技術が存在せず、本制度にも存在する為の根拠が合ったと思うが、2005年の現在においては既得権者団体の闇雲な請求としか理解出来ない。私自身もアップル社のiPodを日々利用しているが、HDDに仮固定(保存)している音楽コンテンツは自分自身のお金で購入した音源がら取り込んだ物か、きちんとDRMが掛かっている正規のオンラインショップ(iTunes Music Store)から購入したものである。繰り返しになるが、いくら権利を主張しても、実際の権利者へ還元できている事が保証されていないような状況と、保証金の使途が監査を経て正確に公開されていないような制度は、2005年の現在において本制度の存在意義は廃れたと言って支障がないと考えている。既得権者の団体が、実際の権利者と消費者の利便性と実効性を叫ぶのであれば、いったん本制度を廃止して、広く受け入れられる別の制度を新たに作る必要があると思う。

「権利制限の見直し」及び「私的録音録画補償金の見直し」についてですが
指摘録音録画保証金についてはまず消費者がそれを払っている事をほとんど意識していない。
消費者は1円2円の為にわざわざそのメディアをコピー用途に使わなくても返金をしようとは思わない。
このような制度は問題があると思う。
自分も最近この問題が取り上げられるまで知らなかった。
物理的に同じであるのにCD−Rメディアも音楽用とデータ用で、価格が違うと言うのは納得がいかない。

物を作り出した人に正当な対価を支払う事が出来る窓口が必要なのであって権利団体の私腹を肥やす為に制度が使われてはならないと思う
かけるならばレンタル店に対して上乗せする、等の方がより的確になるだろうと思うし善意を期待してそういった還元窓口を作ってはどうか。
ネットを使って消費者が簡単にアーティストに還元できるようにするとか。
買うのとレンタルするのは違うので、買った物は自分の物にしたいし、ある程度のコピーは利便性のために認めて欲しい。
DRMだってコピーの出元が判ればそれで十分だと思う

分配されるべき立場でありますが消費者としても立場もあります。
健全な文化の発展のために安価で適正な課金システムが望まれます。
課金システムの構築に過度な投資が必要なのは問題があります。
製品に課金するよりは使用頻度に応じて個別に課金するべきだと思います。
これからの文化や情報は(インターネットを中心に)集約された情報ではなく拡散した文化情報になっていきそうです。
それと同時に文化や情報の価値や価格は限りなく無料に近づく事が大きなトレンドです。
これを否定する事はほとんど不可能です。
文化や情報などのコンテンツに対してお金と払わないで手に入れるのが当たり前です。
徴収や課金が困難である以上広告などの別の収入を分配するシステムの構築も考えていくべきです。
そのために公的機関としてよりも営利法人化も必要かもしれません。

【意見】私的録音録画補償金制度を全廃、すくなくとも縮小するよう要望します。
【理由】なぜ著作権者(および著作隣接権者)の権利を保護しなければならないのかきちんと説明すべきである。権利者が正規商品を売ることで得る利益が保護されるべきとの考えには、国民の理解が広く得られているものと考えられる。しかし私的録音録画補償金制度については、これで「補償」される「利益」と権利者の本来の「利益」との因果関係が曖昧なまま議論されていると言わざるを得ない。ここで改めて再検討し、消費者の理解を得られるような明解な根拠を示す必要がある。
現況では、権利者の利益が守られているのかあいまいなまま、私的録音録画補償金制度を運用、代行するものが不当な利益を得ているように国民の目には映る。

この度の「私的録音録画補償金の見直しについて」の審議は、デジタル機器の目覚しい技術革新を背景に、非常に意義深いものを感じております。即ち、著作権法の第30条第1項の理にかなった制度の考え方と、応急処置的な第30条第2項、第104条の5などの制度を、見直すよい機会であると考えております。平成4年当時のデジタル技術と平成17年のデジタル技術では比較しようの無いほどの発展が見られます。この時代背景の差をよく見つめた上で、抜本的な見直しが必要と考えます。
大きな矛盾は、複製を行わない消費者に複製する消費者と同価格を強要することであり、返還制度があると言うものの疲弊した粗雑な制度であり、関係各位の知るところであります。この制度は受益者負担を損ねている制度であることを認識しなければならないと考えます。
この現実を踏まえ、「審議経過」(P40)の(5)その他(私的録音録画補償金制度の課題について)で、「早急に対応すべき課題として、私的録音録画補償金制度の縮小・廃止の是非を含めたどう制度自体の根本的な見直しについて、期限を設定した上で検討すべき」との意見は、的を射たものと高く評価されるものです。
通信ネットワークを介した音楽配信サービスが利用されることにより、著作権権利者により近いところで販売されるため、著作権問題はクリヤーにされる。また、デジタル技術を駆使しデジタル権利管理(DRM)と技術的保護手段(TPM)の発展に伴い著作権権利者の近いところでのハンドリングができる状況が到来している。既に、通信ネットワークを介した音楽配信サービスでは、DRM的な契約を実施しており、この点も認識しなければならない。
この状況を考慮すれば、次のように考えるべきでしょう。
1)世界最高のデジタル技術のメッカである日本国では、一時しのぎの制度に輪をかけた不透明な制度にしがみつくような結論であってはならない。権利者の保護を図りながら、消費者や受益者の納得感のある著作権本来のあるべき制度に、戻すことを目指さなければなりません。
2)著作権法の本来のあるべき制度に戻すことを、目指すための具体的な道筋を検討し、国民に示すべきことを強く訴えたいと思います。
こんな時代背景をから、海外での制度の検討状況は、補償金の拡大を検討しないことや(ドイツ)、制度の審議をしても拡大の否定が決定されているところ(ノールウェー、スペイン、ギリシャ、スペイン、オーストリア、オーストラリア、カナダ、メキシコ)が多く、変化しつつあり、参考にすべきと思われる。むしろ日本は、リードすべきでしょう。

私的録音補償金制度が「既に破綻を来しており、速やかに廃止すべき」という意見は全く持ってそのとおりだと思う。
(1)違法コピー等の著作権者の権利を侵害する行為の正確な実態が明らかでない。現在聞かれるのは、音楽ソフト販売不振の原因を、諸外国に比べ音楽ソフトが高価であること、ソフト自体の魅力低下、などではなく違法コピーのせいにすり替えようとするレコード会社の一方的な言い分のみである。
(2)補償金が適切に権利者に分配されていない。中間搾取される金額が多すぎる。管理団体の運営のための努力がなされていない。営利目的でないのに億単位の黒字が出ていたり、役員報酬が高額であったりする実態は、実質的な独占業務によって腐敗した姿そのものだ。
(3)本来徴収されるべきでないケースでも一律の徴収されており、そのための変換精度も実質上機能していない。徴収団体は返還請求に対してすみやかに対応する努力を一切行っていない。このような状況でハードディスク等の汎用機器にまで徴収対象を広げるのは極めてナンセンス。
(4)市販される音楽ソフトは再販制度によって保護されている。国内に様々な業界がある中で、音楽出版に関してのみ、このような厚い保護機構があることはバランスを欠く。
私的録音補償金制度を推進する立場の著作権管理団体の横暴ぶりは目に余るものがある。本来の権利者の意思が反映されているか不明。
第三十二条に基づいた正当な引用であっても、歌詞であれば一方的に請求する、Jazz喫茶などからのむちゃくちゃな取り立てが行われているなどの実態を聞くと、法的に無知なもの、弱者から一方的に取り立てる強権な団体というイメージしか浮かび上がってこない。大音量で市中で音楽を垂れ流しする右翼団体の宣伝カーからきちんと徴収しているのであろうか。
また、権利をゆだねているもの達はこういった実態を理解しているのか。
その著作権者にしても、補償制度等の実態に無自覚であり、やたらと権利のみを主張しているように見えるものも見受けられる。

そもそも著作権という権利は文化的発展に寄与するために認められる権利である。たとえば、ある独りの音楽家が、文化的価値のある作品を製作できるようになるまでに、どれだけ、他者の作品に助けられてきているのであろうか。自分がアマチュアバンドをやっているときには、自分で聞き取って楽譜に起こした有名ミュージシャンの作品を模倣して演奏したりしなかったのか。音楽仲間同士で録音済みテープの貸し借りをしたことはないのか。商業音楽の作成のために、レコード会社内で、一般では違法コピーと目される行為を働くことは一切無いのか。後進を育てるため、才能のあるものをのばしていくために多めに見られてきたものが、権利を行使するものになったとたん、自身の権利のみを追求するようになってきはいないのか。本来の趣旨から言えば、著作権そのものは保護されるべきではあるが、文化的発展のためには必ずしも厳格に規制されるべきたぐいの権利ではないはずだと思う。民法1条には権利濫用禁止がはっきりとうたわれている。
この点については、フェアユースの概念を認める米国などの諸外国の制度を見習うべきである。現行の日本国の著作権法下ではフェアユースが認められていないが、フェアユースには「著作権法の硬直的な適用が、この法律で育成することを企図している創作力そのものを、時として、抑圧してしまう場合に、裁判所がこれを回避することを認めたもの」という原則があるように、創作力、文化的発展に寄与する目的がある。条文としてフェアユースの文字を使う必要は無いと思うが、著作権法そのものを改訂して、フェアユースに近い概念を導入すべきと考える。
フェアユースを導入すれば、この私的録音補償金制度が如何に不適切なシステムか、よりはっきりと判るであろう。最初から消費者を泥棒扱いし、一律にお金を徴収し中間搾取するシステムからは文化的発展等望むべくも無い。この制度を推進していけば、行く先は日本の音楽文化の滅亡である。

意見 私的録音録画補償金制度を全廃することは難しいと思われるが、少なくとも縮小の方向で検討を始めるべきである。また、「当面の運用」における「改善」は速やかに行なわねばならない。
●対価支払い済の私的複製の権利制限:一度対価が支払われた著作物については(私的利用の範囲において)自由かつ無償で利用できるとすべきである。
●個別課金・個別分配の方向をとる:本来補償金を課すべき私的複製につき個別に課金(コピーされた著作物の権利者を特定することも含む)する制度を確立することが理想である。
●情報公開:補償金配分の比率の見直しに関連し、各権利者団体は配分の方法等情報公開をより詳細に進めていくべきである。たとえばレンタルなどを基準とした配分に関し、その具体的な数値(表)や計算式を公開しなければ消費者の理解を得られることなどない。消費者の間では、各権利者団体の配分方法は「不透明」だという印象が一般的である。現状の情報公開では全く足りていないということだ。
●補償の根拠:なぜ著作権者(および著作隣接権者)の権利を保護しなければならないのかきちんと説明すべきである。権利者が正規商品を売ることで得る利益が保護されるべきとの考えには、国民の理解が広く得られているものと考えられる。しかし私的録音録画補償金制度については、これで「補償」される「利益」と権利者の本来の「利益」との因果関係が曖昧なまま議論されていると言わざるを得ない。ここで改めて再検討し、消費者の理解を得られるような明解な根拠を示す必要がある。

●具体的な資料と論理的な説明:補償金制度の周知については、制度の論理的検討も並行して行なわれることが望まれる。いままでどこまで真剣に論理的検討を受けたのかが定かでないが、「不利益」などというマジックワードに頼った観念論に陥ることなく、具体的・論理的・実証的に検討されねば消費者の理解など到底得られない。ここで著作権・著作隣接権で保護されるべき権利者の経済的利益の範囲を明確にせねば、今後も権利制限のバランスを崩すような権利者側の要求が続くと考えられる。その際の検討に資する論理的検討の蓄積が必要であろう。
●経済的不利益:権利者の経済的不利益の具体的検討なくして消費者の理解を得ることはできない。このまま私的録音録画補償金制度が続けば、著作権制度自体への不信感を強めることにもなりかねない。既に対価が支払われている著作物(正規に購入されたもの・レンタルされたもの・配信楽曲など)の私的複製や、一時的な録音・録画(主にハードディスク・フラッシュメモリ等に記録するようなもの)、アーカイブとして保存されている私的複製物との明確な区別が必要である。
●経過措置:理想的な個別徴収が実現する見通しが立つまで、補償金制度自体を存続するのはやむを得ない。とは言え、現行制度の問題点は放置できず、改善していくべきなのは言うまでもない。また、消費者とのコンセンサスの形成(補償金を課すべき私的複製の特定と、その根拠の論理的・実証的説明が必須である。現状では全くそれが為されていないと言っても良い)に努力しなければ、この制度は存続不可能である。
以上、よろしくお願いします。

制度の見直しおよび縮小・廃止について早急に検討を開始すべきです。
その際、次の点を議論していただきたいと思います。
1)利用者の公正な利用方法
2) DRMで保護可能な機器およびデータの複製は私的録音録画補償金の対象としない

[理由]
・私的録音録画補償金制度の導入時と利用状況が変化しています。
iTune Music Store(以下、iTMS)のようにオンライン配信が始まり、今までよりも録音する音源に多様性がでてきてます。私的録音録画補償金制度は、このような状況を想定しておらず、制度そのものの見直しを行う必要があると考えます。
・利用者の公正な利用方法が明確でないため、今回のような権利者と利用者の間に意見の相違が発生し、議論がかみ合わない。したがって、公正な使用方法を検討することは、議論が平行線をたどることを防ぐ効果があります。
・私的録音録画補償金よりもDRMで保護し、コンテンツデータに課金すし、複製をコントロールするほうが理にかなっていると思います。現状はDRM技術が発達してきており、将来はコンテンツデータそのものの保護が可能となります。保護されたものに対する私的複製は権利者の利益を侵害しないのだから、補償の対象とならいのは当然です。

デジタルの時代だからこそ、守りたいものが、忘れてはならないものがあると思います。
そもそも日本の娯楽コンテンツの料金は高すぎます。高くて買えない人はどうしたら大衆音楽を聴くことが出来るのでしょう。海外に比べて高い料金を設定しなければいけない仕組みを作ってしまった人たちがいたことが、貧乏人から音楽を取り上げ、安いコピー製品でガマンさせる方向へ追いやったのではないですか?
誰にでも買える価格で音楽や映画が配信されていれば、コピーしようなんて姑息なことを考える人はもっと少なかった筈だと思います。
店頭でDVD映画ソフトをとってみても、日本映画は値段が高く、比べてアメリカ映画は安くて面白い。極端に言えば、日本の文化的芸術的成長を妨げているのは、まさしくそういった仕組みが影響していると言えるでしょう。自分の国にいるのに、自分の国の映画のほうが高いなんてばかげている。レンタル店で安く借りてコピーしようなんて考え方が生まれるのは、むしろ自然な流れのように思います。
一方、作り手側も、可能な限りすべての人に向けて配信されるのを希望しているのではないでしょうか。ただの金儲けと、とにかくお金だけ儲かればいいと思って作っている人もいるかも知れませんが、より多くの人の支持を得ることに喜びを感じ、その結果としてそれ相当の報酬を得ることが自然な流れです。
普通に考えれば、未来の日本も、音楽をはじめとするエンターテインメント業界の未来も、育てていくのは今まさに携帯デジタル音楽プレイヤーで音楽を聴いたり、なけなしの小遣いをはたいてでも新しい娯楽コンテンツに少しでも多く触れたい接したいと望んでいる若者たちです。
こうした若者たちからさらにお金を巻き上げるなんて、本当に日本の未来を考えての行動だとは思えません。むしろ日本の文化・芸術を後退させる力の発動にも思えます。
デジタルミュージックの価格は安いのではなく適正価格。もともとの価格が高いことの方が問題です。作り手と聞き手の中間で何らかの搾取が行われてはいないか、もう一度考えるべきです。少なくとも音楽や料金は、その中間にいる人たちのものであってはなりません。
若い世代の人たちが少しでも「夢」を持って生きられる時代を、少しでも犯罪に走らせずに済む時代をめざし、デジタル社会の今だからこそ人間味のあるシステムづくりをするべきだと思います。

時代の流れと共に新しい技術を使った商品が製品化され、どんどん世の中に出てくる中、何時までも過去の制度「私的録音録画補償金」等に縛られていては、時代に取り残されてしまいます。
事実、レコード会社を中心とする著作権管理者は、デジタル機器向けのオンライン配信を配信業者と契約し、始めています。
この事実の中で著作権使用料の問題は、解決されているのではないでしょうか?
今新たに、デジタル機器に対して「私的録音録画補償金」を求めるのは、ユーザーから見れば、既存利権を守るための戯言に聞こえます。
元々、カセットテープや、MDディスク、CD-R等というコピー制限のないメディアに対して、考え出された「私的録音録画補償金」を独自のDMRで利用制限やコピー等をかけているデジタル機器に対して、一元的に補償金を求める事は不公平です。
デジタル機器にコピー出来ないコピーガード付きのCD等が販売されている中で、ユーザーから見ればコピーガード付きのCDは利用範囲が限定されているので安いのか?と言えば決して他のCDに比べて安くは有りません。
レコード会社を中心とする著作権管理者が、独自にデジタル機器に対する対応は個別のルールで行っている現状をふまえれば、市場原理に基づき個別に任せるべきです。
基本的には、デジタル機器メーカーがしっかりしたDMRを提供する事と、著作権者もしくは、管理者が、個別に契約をして確実に著作権料が権利者に届くように支援するべきである。
逆にDMRを破ろうとす者に対して、制裁事項を考え不法な使用や、流通を阻止する事を考えるべきである。
現在のデジタル機器の普及は、レコード、CDと言った楽曲流通メディアの革命と考えられる中で、何時までも既存利権を守り古い枠組みに当てはめようとする行為は、音楽業界にとってデメリットである。
まず最初に補償金額をどうするかでなく、新しい流通形態のデジタル機器の発展を支援する方向で物事を考えて貰いたい。

現在の私的録音録画補償金制度は、早急に、廃止を含めた見直しを行なう必要があると考えます。
徴収された補償金の分配については、とくに著作権者に対して分配された金額など、プライバシーの保護を理由に一切公開されていません。通常の、明確に著作権者が特定される著作権利用料とは別に、このように広く徴収される制度においては、より厳格に、その利用・分配については監査・管理される必要があると考えますが、現状では団体の自由裁量によって分配されているように見受けられます。
まずは、徴収された補償金が、何に、どのような目的で分配され、利用されたか、過去数年に遡り、可能な限り明確にすべきです。その際、信頼がおけると思われる第三者機関による厳格な監査を行ない、その情報が保証されるべきです。
その上で、廃止も視野に入れた見直しが検討されるべきだと考えます。

意見:私的録音録画補償金制度の改善、抜本的な見直しを行うべきである
理由:
私的録音補償金制度はiPod等の製品が登場する前に考えられたものであり、それらがこれからの主流になりつつある今、現行制度では対処できない問題が多数あるものと考える。それはDRMの問題しかり、私的複製の範囲の問題しかり、すべての面に於いて再検討されるべき点が非常に多い。
知財大国 日本を目指す上でこのような時代遅れの法制を持っていることは、これからの日本の発展の妨げになりかねない。早急に法制を整備し、正しい著作権管理と運用が行われることを望むものである。

本制度は、創設時より新しいメディアへの対応が遅れる制度である。
私的録音録画補償金の課金が必要であるならばデジタルtoデジタルで録音録画できるソフトに対して課金し、コピーが出来ないソフトに対しては課金しないと言った制度の方がよっぽど納得がいく制度である。
しかしながら、私的に購入したものを私的に利用するために課金されるそもそもの理由が納得できない。
私的録音録画補償金制度が成立した当時から本制度は納得のいかない制度であった。
今では著作権管理システム(DRM)も普及しつつあるのに本制度をさらに強化していくのはおかしい。
以上の点から本制度は廃止すべきと考える。

私的録音録画補償金制度は一般の認知度が極めて低く、補償金返還制度も実質的に機能していない。著しく不合理・不公平な制度となっており、事実上破綻している。よって、同制度は可及的速やかに廃止すべきである。
廃止できない場合には、私的録音録画補償金が課せられている録音録画機器・記録メディアなどのパッケージに、同制度の存在および補償金の具体的な金額を充分に目立つ大きさの文字で告知し、補償金返還方法についても具体的に表示すべきである。
また、本来支払う義務のない補償金を徴収した場合、それを返還するのに必要な費用をユーザーに負担させるのは不合理である。従って、補償金返還に必要な費用はユーザーでなく、管理団体がすべて負担すべきである。

一度対価が支払われた著作物については私的利用の範囲において自由かつ無償で利用できるとすべきである.
現行の私的録音録画補償金制度では、著作権者の権利を保護してなく、権利を過剰に拡大しているだけである.
著作権者の権利を侵害していると思われる海賊版等は、私的録音とは無関係である.著作権は特許権等の他の知的財産権に比べて保護されすぎているように感じる.

いくつかの問題点が指摘されているが私が感ずる最大の問題点は、消費者と著作権管理団体が相互に信頼していない、という点にあると思う。
管理団体はいかにも消費者が不正コピーばかりしているかのような物言いをするし、消費者側は著作者に対して敬意は払っても管理団体に対してはその活動の内容に対して正当性を疑っている。
これを解消するためにも項目中にある「補償金配分等の情報公開」をいっそう進めることが重要と思う。
また、日本の消費者の著作権に対する理解は今や世界でもトップクラスにあるものと思うが、なおいっそう啓蒙することが必要であり、それを推し進めるためにも相互の信頼関係は重要であると信ずる。

元々、私的録音録画補償金制度そのものが「デジタルコピーに対する個別課金が不可能なための緊急避難」的な存在だったのではないでしょうか。DRM等の著作権保護技術の活用によって個別の課金が可能になった現在、私的録音録画補償金制度はその役割を終えたと考えます。

<意見>
私的録音録画補償金制度を全廃することは難しいと思われるが、少なくとも縮小の方向で検討を始めるべきである。また、「当面の運用」における「改善」は速やかに行なわれるべきである。
<理由>
本来補償金を課すべき私的複製につき個別に課金(コピーされた著作物の権利者を特定することも含む)する制度を確立することが理想である。もっとも、一度、対価が支払われた著作物については(私的利用の範囲において)自由かつ無償で利用できるとすべきである。
ただし、そうした理想的な個別徴収が実現する見通しが立つまで、補償金制度自体を存続するのはやむを得ない。とは言え、現行制度の問題点は放置できず、改善していくべきなのは言うまでもない。また、消費者とのコンセンサスの形成に努力しなければ、この制度は存続不可能である。
返還制度の簡略化は絶対に行なうべきである。私的録音録画補償金を一部でも存続させるのであれば、返還制度を実効性あるものに改善しなければならない。制度の周知徹底はもちろん、管理協会側の迅速な対応が可能となるように文化庁が監督していくべきである。なお、既に対価を支払い済みの著作物(自ら買い求めたCD・レンタルCD・ネット配信楽曲など)の私的複製に使った指定機器・記録媒体についても補償金返還への道を開くべきである。

利用者により対価が支払われた著作物については(私的利用の範囲において)自由かつ無償で利用できるとすべきである。また、私的録音録画補償金を存続させる場合、返還制度を実効性あるものに改善する必要がある。返還制度の周知徹底、返還の際の迅速な対応が可能となるように文化庁が監督していくべきだと考える。返還制度が機能しない時は、補償金制度を廃止を検討するべきと考える。

○制度のあり方自体の見直しを早急に検討すべきであると考えます。これは小委員会でも多数の意見として出されており、そうした検討なしに、前記のような個別論点の改定を行うことは、制度そのものの矛盾を拡大するだけであると考えます。
○制度そのものに係わる前提問題として、
第1に、私的録音録画補償金は、指定管理団体を通じて1年間に得た著作権料に比例して著作権者に配分されるとのことですが、どの程度が各著作権者の収入となっているのか不明であり、補償金の使途・配分状況について明確にすべきです。こうした情報開示は指定管理団体の最低限の社会的責任であり、これができないような団体は指定すべきではありません。
第2に、本制度自体が知られておらず、ビジネスソフトウェアアライアンス(BSA)が本年実施した「ポータブルデジタルプレーヤーに関する消費者調査」によると、国内の私的録音録画補償金制度の「内容までは知らない」という回答は82.8パーセントに上り、消費者のほとんどが制度を知らぬまま補償金を徴収されている状況にあります。制度の認知がされていない状況を放置しているのは、行政の責任が重く、著作権教育における重要な課題として位置づけて、認知度を高めるための具体的な施策の検討を図るべきであると考えます。制度のあり方そのものに関する議論を国民的に広げていくこと(地方公聴会やシンポジウムを企画するなど)自体が、制度の認知を広げていくことになりますから、こうした具体的な検討が必要だと思います。
第3に、購入者が私的な録音・録画を行わなかった場合の補償金返還制度はほとんど活用されておらず、今年初めて利用されたケースを見ても、8円の返金を受けるために切手代等それ以上の費用負担が消費者に生じるなど、実効性に乏しい制度です。この点も基本的な見直しが必要です。
以上3点は、前提的な問題であり、これらの点を含めて、制度そのもののあり方に関する国民的な論議を広げていくよう、文化庁及び文化審議会著作権分科会の取り組みに期待します。

私は法的に定められた範囲で、私的な音楽複製を日常的に行っています。
音楽CDを購入したらそれをコンピュータに圧縮記録し、コンピュータにスピーカーをつないで音楽を聞く。
また、それをiPodにコピーして、外出中に音楽を聞く。
これを「購入した音楽CDを直接再生する」という、つまり私的複製を行わないで済むような手法に切り替えるつもりはまったくありません。なぜなら、そんなやり方は非常に不便だからです。
私の場合、手段がどうであろうと、購入した音楽を聞くのは常に私一人です。
権利者団体の方々は私的複製により利益が害されていると主張されていますが、私のような場合、権利者の利益を害しているとはとても思えません。
購入した音楽に対して、それを楽しむ人間の頭数はまったく増えていないのですから。
そして、私の例のように、購入した音源をより楽しむために自ら複製するという行為は最近始まった事ではありません。
ラジオをエアチェックしたり、レコードをカセットテープに録音してウォークマンで聞いたり...
結果、私は現行の私的録音録画補償金制度に大きな不満を感じています。購入した音楽を楽しむ手段を変えようとすると「権利者の利益を害するから」という理由で金を取られるのは理不尽だと思います。
従って、この制度を速やかに廃止していただき、DRMなどデジタル技術を最大限利用して、音楽の作り手に正しく利益が還元されるシステムを一から作り直していただきたいと思います。

私的録音録画保証金制度自体の(廃止を含めた)根本的な見直しについての検討をすみやかに行うべきだと思います。
[理由:1]
「ディジタル記録方式は高品質」とは必ずしも言えないから。
注釈理由:1の解説の前に、社団法人私的録音補償金管理協会(sarah)のホームページに「デジタル機器については、高品質の録音が可能」と記載されておりますが「高品質」の具体的な定義はあるのでしょうか?
定義が見当たらないのでここではとりあえず「高品質」という言葉を使わせていただきます。
理由:1の解説
ディジタル方式で記録できる媒体に限って私的録音録画保証金制度を適用されているようですが音楽に関して言えば、どの圧縮方式であれ低ビットレート(64キロビット・パー・セコンドなど)で記録すれば、「高品質の録音が可能」とはいえその品質は記録したときの低ビットレートでの情報でしかないからです。
ハードディスク内蔵型録音機器等を購入した音楽使用者の皆が皆、高ビットレートで記録しているという根拠はどこにもありません。
[理由:2]
大多数のハードディスク内蔵型録音機器等の所有者は、本当の意味の「私的録音」しかできないと思われるから。
理由:2の解説
a)ハードディスク内蔵型録音機器等を購入する人たちが必ずしもPCに精通しているわけではないことは御理解いただけると思います。むしろPCの知識に乏しい層が増えているといっても過言ではないと思います。これはネット上で交わされるハードディスク内蔵型録音機器等の使用法に関する話題の多さで証明されています。また、ハードディスク内蔵型録音機器等を購入する人たちのほとんどは機器を持ち歩くことに主たる目的があり、そこに記録されたデータの再頒布に対する関心は少ないと思われます。そのような状況で再頒布を懸念する必要性はあまり感じられません。

b)一方で、昨今Napstarが裁判沙汰になるニュースが流れたり、WinMxの公式サーバが運用を停止したりと、インターネットを介した違法なファイル交換はPC初心者にとっては利用環境が閉ざされ、しかも心理的にも罪悪感を持たせるものになり、その利用から遠ざかる状況にあります。
これは著作権者の利益を著しく侵害する要素(ファイルの違法交換)が減少傾向にあることを意味します。
以上a)、b)より、ハードディスク内蔵型録音機器等を利用するには正規の方法でしか音楽データを記録できない傾向にあるということが言えます。言い換えれば本当の意味の「私的録音」しかできないユーザがほとんどであることの証明になりますから、私的録音補償金の存在意義がなくなりつつあると思います。*国民の大多数はMD等に課金してハードディスク内蔵型録音機器等に課金しないからといって公平性に欠くとは考えません。それは[理由:3]に述べる広報・啓蒙の少なさに起因するものです。
[理由:3]
私的録音録画保証金を管理するためだけに社団法人を設立していることは、私的録音録画保証金とその管理団体の存在意義が著作物利用者にとって非常に難解であり、納得のいかないものになっているから。
理由:3の解説
私的録音録画保証金を管理する団体に限らず、音楽著作権に関わる団体はなぜもっと定常的に国民に対して著作権の重要性を啓蒙しないのでしょうか?社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC(ジャスラック))をはじめとする著作権管理団体や、sarahは国民に対しての広報・啓蒙活動があまりにも少なすぎます。
国民に広く知られていないのに著作権にまつわる金銭徴収のときだけ名前が出てしまうから、国民から反発の声が多数出てくるのだと思います。
今回の私的録音録画保証金に絞って言えば、私的録音録画保証金を管理するためだけの団体(としか国民に認知されておりません。団体側の広報・啓蒙活動が少なすぎがもたらした結果です)が存在しているがために、国民から見ると、「私的録音録画保証金制度」=「その団体維持のための制度」、と受け取られてしまいます。
あまりにも素人的な思考で恐縮ですが、私的録音録画保証金制度を廃止すれば、私的録音録画保証金を管理する団体は不要になります。
そのほうが広報・啓蒙の少なすぎる現状なので国民の納得が容易に得られます。

また、私的録音録画保証金管理団体が無くても、文化の発展、著作権の管理等は既に団体が必要十分(必要以上?)存在するので支障は無いと判断します。
また、9月30日に開かれた第8回文化審議会著作権分科会法制小委員会で、JASRAC(ジャスラック)関係者から「極端な話だが、PCを通じた音楽のコピーをできないようにすれば(iPod課金に関する問題は)解決する」という発言まで出た、という報道も流れています。
これは明らかにテクノロジーと文化の共存・進化を否定する発言ですので聞き流せません。
またハードディスク内蔵型録音機器等が発端となり新たな音楽ソフトの需要が見込める、という現状を把握されていない発言であると思います。
インターネットで配信されているディジタル音楽はまだ曲数に限りがあります。ネット配信されていない音楽をハードディスク内蔵型録音機器等で聞くためには一般的にはCDを入手するしかないのです。
そこに新たな音楽ソフトの需要が見込めます。音楽ソフトの需要が増えたほうが、私的録音補償金制度継続より著作者にとって利益になると思います。
ネットワーク化が更に進めば、記録する情報によらず媒体が統一されていく(音楽も映像もPCを介しハードディスクやメモリに記録される)現在の流れは更に加速します。著作者の利益保護もその流れに合ったものになるよう、国民と共に議論を進めていって欲しいと願っております。
以上長くなりまして申し訳ございません。失礼な表現等ありましたらお詫び申し上げます。このような未熟な意見でも日本における音楽文化の発展と著作者の保護に少しでも寄与すれば幸いです。

私的録音録画補償金制度は速やかに廃止すべきだと思います。
理由
自分自身で買ったCDを、自分が所有しているiPod等のハードディスク内蔵型録音機器や、iPod nano等のフラッシュメモリ内蔵型録音機器、ポータブルMD、据置型MDで聞くのに、権利者の著作権が侵害されているとは、思えません。
課金をされたくないなら、同じCDを用途に分けて何枚も購入しろとは、あきれて言葉も出ません。
あと、現在の返還制度も知名度が低く、手続きも大変面倒です。

私的録音録画補償金制度や返金に関する周知の努力も、返金の煩雑で非効率的な手続きも改良されないままで一律に料金の徴収を拡大し推し進めようとするなら、それこそ徴収側が泥棒扱いされても仕方ないと考えます。

・また、現行の私的録音録画補償金の在り方の見直しを支持します。

僕は月に何枚ものCDを買い、これからも音楽を聴きたいと思っています。
しかし、私的録音録画補償金の課金などのお金が本当に音楽家たちの役に立つのかクリアにならないのであれば、音楽を聴くこともやめようと思います。
僕は自分で働いて稼いだお金を、わけのわからないものに投資したくはありません。

まず、当然のことながら私的録音録画保証金は、その性質上、私的録音・録画が音楽・映像の権利者の権利を侵害する場合にのみ適用されるべきである。例えば、個人的に録音した独自の音声などを録音するために利用したCD-Rやハードディスク(以下HD)に関しては権利者の権利を侵害する可能性はなく、全てのメディアについて保証金を一律に課すという行為そのものが著作権の拡大解釈であると考えられる。また、パーソナルコンピュータ(以下PC)に内蔵されるハードディスクも、音楽を扱う可能性がある、という程度の存在であり、課金の対象とはなりえない。
最近流行しているポータブルプレイヤーに関しては、個人的な利用に関する限り、複製の回数については無制限でよいと考える。理由は、音楽・映像とも、その性質上同時に再生して観賞することが事実上不可能だからである。例えばPC、ポータブルプレイヤー、CD-R上に同時に同じ音楽ファイルが存在していたとしても、ユーザが同時に視聴できるメディアは常に単一である。複数の場所に同一の音源が存在することは、ユーザにとって利便性を増すことにはなっても、音源を複数同時に所有していることにはならない。ユーザからすれば、機材を変更するたびにファイルを複製するという行為そのものが無駄であり、労なくしてファイルを機材間で「移動」できれば、複製などする必要がない、というのが正直なところであろう。これは機材側の問題であり、権利者やユーザの権利とは別の次元の問題だと考えられる。
著作権は権利者の創作活動を保護するために整備されたものであって、権利の仲介業者を益するために存在するわけではない。法制を扱うものは、法のなんたるかをもう一度考え直してほしいものだ。

私的録音録画補償金制度に反対致します。

そもそも補償金とは何に対する補償でしょうか。思うに、著作権を持っている人に本来なら支払われるべき対価が支払われないことに対する補償だと考えるのが自然だと思います。例えばCDレンタルの場合、本来なら1利用者がそれぞれ1枚ずつのCDを購入することによって著作権を持っている人に利用者分の対価が支払われるところ、不特定多数の利用者が1枚のCDをレンタルすることでその対価が支払われなくなっているのは明らかです。この場合、当然補償金は必要であると考えることに異論のある利用者はいないでしょうし、既にCDレンタルには補償金が課せられています。では、正当な対価を支払って各利用者ごとにダウンロード販売なりCD販売なりで購入したものをCD-RやMD、iPodのようなデジタルオーディオ機器にて利用するためにコピーするという行為ではどんな対価が損なわれているのでしょうか。仮に購入しないでCDレンタルなどにより得た音楽データをコピーするにしても、既にCDレンタルという部分にて、損なわれた対価に対する補償金は支払済みです。一般的に1度購入したあるいはレンタルしたソースを、再生環境ごとに何度も何度も購入するとは考えられないので、1利用者につき1度の購入あるいはレンタルがその制作物に対して支払われるべき対価であると判断してよいでしょう。現状議論されているデジタルソースによる制作物に対する補償金というものが、仮にデジタルデータなので1人がデータを作成すれば簡単に多くの人がそれを利用できるようになるから、ということを想定しているとしたらそれは大きな間違いです。そのような不正行為を働く可能性のある一部の心無い人のために善良なその他大多数を占める利用者をも容疑者扱いよろしく”可能性”だけで悪として補償金を課すということになるからです。不正に利用する極一部の利用者を取り締まるのが大変だから全員にちょっとずつ反則金を負担してもらおうというのは、著作権を管理している側や不正行為を取り締まる側の手抜き以外何ものでもありません。そう考えると、私的録音・録画のデータ形式(アナログかデジタルかなど)や録画・録音媒体(ディスクメディアやハードディスク、デジタルオーディオ機器など)とは無関係に、著作権を持つ人の一般的に想定される受け取るべき対価が損なわれていかどうかだけを論点にするのが当然という結論に至ります。

現状の著作権に関する補償金、とりわけJASRAC(ジャスラック)に象徴される音楽関係の補償金は、著作権管理団体の資金源確保のための補償金としか見えません。本来の著作権を持つ人たちに対する支払われるべき対価に対する補償金という観点から考えれば、審議会で議論されているような無駄な議論は不要であると感じました。
最後に、私は普段から音楽を鑑賞する習慣がありませんのでiPodなどに課金されても何の影響も受けませんし、CDの値段が補償金のせいで倍になろうが全く気にしません。そういう利害関係に関わらない第三者的な立場から見ても、現在審議されているデジタルオーディオ機器等に対する補償金課金問題はおかしいのではないかと思い意見を送ることにしました。

私的録音録画補償金制度立法の基礎となったベルヌ条約パリ改正条約9条(2)の記述に則り、権利者の正当な権利を不当に害する録音録画がある限り私的録音録画制度は維持されるべきである。対象機器等指定を先延ばしにすることは制度の破綻を促す。早急の指定を望みたい。
著作者等権利者の力が強すぎる場合、著作物の利用が困難になり文化の衰退に繋がる。一方、ユーザーのエンターテインメントを享受する権利が行き過ぎて著作者等の権利を不当に害することになっても文化の衰退を招くことになる。両者の欲求の程良いバランスが必要である。
ここで日本でのメーカー等の立場が気になってくる。音楽・映像をユーザーに伝達する機器・記録媒体のメーカー・輸入業者は、その利益の多くを著作者等のつくりだした著作物から間接的に得ている受益者である。著作物の隆盛が即メーカーの利益に繋がると言っても過言ではない。諸外国で補償金の支払い義務者がメーカー等になっている大きな根拠はそこにある。我が国の補償金制度は、メーカー等をユーザーの納める補償金をとりまとめるご苦労な協力義務者と位置づけとしている。このことが補償金制度に対するメーカー等の消極的な第三者的姿勢を生み出しているのではないかと思う。補償金制度の廃止を言う前に、諸外国が機器メーカー等を支払い義務者としていることの意味合いを考え、我が国での補償金支払い義務者の変更を検討課題として挙げるべきだと思う。
制度自体は開発される録音録画技術、プロテクト技術に即応しユーザーの利用実態を把握し柔軟に変化して良いと思う。制度の運用も改善が必要な点が当然生まれているだろう。

●下記条件が揃うまで私的録音補償金対象機器の拡大は行うべきではない。
・著作権法30条1項の根源からの見直し
・私的録音補償金に対する国民の理解と合意
・仮に上記が得られた場合、その徴収方法の再考
□理由
●法自体が前時代的である。
○「私的録音補償金」とは一体何か。
○どういった行為が私的録音にあたるか。
○果たしてその行為には「補償」すなわち権利者に対し補い償う義務があるのか。
と言った根源的な哲学が論じられないまま、新たな音楽再生機器が出現するたびに手当たり次第課金対象機種を拡大するのでは、現在すでに時代から取り残され大きな破綻を期している私的録音補償金の「理屈」にさらなる無理が発生し、私的録音補償金の増額を考える諸団体に毎度「理屈になっていない理屈」を編み出す労力を強い、国民の抵抗を煽るだけである。
iPodなどへの課金理由はすでに破綻している。
私的録音補償金対象機器の拡大が議題になり、いわゆる「iPodなど」をどう扱うかが話し合われはじめて1年もしないうちに
iPodを内蔵した携帯電話(米モトローラ社)
・あらかじめ音楽が記録されているシリコンメディアが供給されると同時に、パソコンに取り込まれた音楽ファイルを転送することも可能な携帯音楽プレイヤー(米ディズニー社)
などが次々と発表、発売されている。
これらの機種は補償金増額を望む諸団体の「理屈」を逸脱したものであり、今後想像もつかないような様々な機器が市場に投入されることは容易に予測できる。
●概念の構築がまず先である。
哲学不在のまま法のみがその運用で暴走することは多々ある国家であることは理解しているが、だからといってそれが法治国家として、民主主義国家として正しいとは全く言えない。
今後どのような「転送された音楽を聴く方法」が現れても国民が広く納得できる哲学をまずしっかりと築くべきであり、それが玉虫色でどうとでも解釈ができる、といったものではならない。
●「録音」から変更するべきである。
「録音」という言葉さえとっくに意味をなさなくなっている以上、その用語の選択から始める必要もある。

●徴収方法と金額算出方法を根源から洗い直すべきである。
また、仮に「録音」という用語から見直され「私的な音楽利用」とそれにまつわる「補償金」の概念が明文化され、国民からの理解と合意を得られた場合でも、それは即「機器に対する課金」を意味するものではない。
・私的な音楽利用がなされる可能性のある音楽ファイルそのもののみに課金する。
・ハードディスクやシリコンメディア、MD、CD-R、DVD-Rなどのメディアのみに課金する。
・音楽ファイルを移動させることができるソフトウェア(単目的機器に内蔵されているものを含む)のみに課金する。これによって「行為」に課金が行われる。
・単体で音楽ファイルを移動させることができる機器のみに課金する。これによって「道具」に課金が行われる(ただしiPodなどは単体ではファイルの移動が行えないので対象とはならない)。
など、考えられる全ての方法に関して検証し、「二重取り」や「利用しない人間からの徴収」が最小限の方法を選択するべきである。
現在すでにそのような事態となっているが、上記課金方法を数種類合わせることは「二重取り」や「利用しない人間からの徴収」を増大してしまうこととなるため考えられるべきではない。MDのように「機器からもメディアからも」といった徴収にはなんの整合性もなく、国民の理解を得られているとは言い難い。
メディアとソフトウェアとメカニックのいずれかが搭載された音楽ファイルを移動できる機器の概念はアナログテープレコーダーの頃とは異なる、ということさえ理解されずに「音楽が聴けるから課金」といったような方法では国民が納得するはずもない。
また現在の不明点の多い(不明点しかない)金額の算出方法に関しても国民の理解と合意が得られるようなものに変えなくてはならない。

●最後に3点記しておきたい。
1.私的録音補償金対象機器拡大を提案する諸団体について
このたびのパブリックコメント募集にあたり、それらの団体に対する国民の不満がさらに膨らんでしまったことに対して管轄省庁としての文化庁と文部科学省はどう考えているのか。
それらの団体(加えて管轄省庁)のありように国民の不信感が高まっている中で私的録音補償金対象機器拡大を当初の計画通り強行に執り行うことは民主主義を謳う以上許されない。
「文化庁役人の天下り先の利権団体」として認識されてしまったからには、これからどんなことを行うにしても国民の目がつきまとうことを充分知り、これ以上国民に不利益をもたらす事態になれば解体論など存在そのものを問う声が大きくなることは覚悟するべきである。
ただでさえ「国際化」「デジタル化」に全く追随できていないばかりか新たな産業の妨害まで行っているそれらの団体の未来は悲観的なものでしかないが、それを助長するような働きを省庁が行っていては「省益」にすら反するのではないか。
そうなる前に大幅な、国民が納得できる形への改革を指導することは管轄省庁の務めである。また、それは最近の様々な文化庁の失態の汚名を返上する機会にもなりうる。
2.パブリックコメント中間発表について
今回のパブリックコメント募集に関し「なお、本意見募集の趣旨は、本小委員会における検討を行う際に有益な意見を求めることにあり、個別の論点に係る賛否の数を問うものではありません。したがって、いただいた御意見については、原則としてそのまま本小委員会に付し、個別の項目に係る意見提出数の集計・公表は特段いたしません」と記しておきながらその数字を中間発表という形で公表することに一体どういう意味があったのか。
不快感を禁じ得ない。
二度とこのようなルール違反を行うことのないよう、猛省を促したい。
3.パブリックコメントのPDF化について
パブリックコメントを公表するにあたりPDF化されたファイルが利用されているが、一度紙に出力されたものを再度スキャンするような、単に「やることが古くさい省庁」といったイメージを国民に植え付けるだけの前時代的かつ無駄な労力を伴うものはやめていただきたい。スキャンする労力は無駄であるばかりかそれらは盲人読み上げ用ソフトウェアにも対応できていない。
電子メールで受領したものは当然、FAX等で受領したものもテキスト化し公表するのがより正しい労力(税金)の使われ方である。

私は、私的録音録画補償金制度はそもそも廃止すべきであると考えます。
なぜならば、私的使用目的の録音録画がデジタル形式で行われたとしても、そのことは、権利者の経済的利益を何ら害しておらず、したがって、「補償」の対照となる損失が何ら生じていないからです。
より詳しく述べると次のようになります。
まず、私的使用目的の録音録画は、音楽CD等の売上げを一般に減少させません。
iPodを例にとって説明すると、iTunesというソフトウェアを用いて市販のCDからパソコンに接続されたハードディスク等に楽曲データを複製し、上記ハードディスクに蔵置されている楽曲データを同じくiTunesというソフトウェアを用いてiPod内蔵のハードディスクに複製するということで2回の私的使用目的の複製がなされることになりますが、この2回の複製がなければ当該ユーザーは同じCDをさらに2枚余分に買ったであろうかといえば、ほぼ100パーセントそんなことはないと言い切ることができます。
また、ハードディスクタイプの家庭用ビデオ機器においても、通常は、その番組が放送している時間帯にはその番組を視聴することができないので時間をずらしてそのテレビ番組を視聴するために番組を録画する「タイムシフト」視聴目的の録画のために用いられています。現在、見たいテレビを見逃してしまった視聴者のために、放送直後からその番組を収録したDVD等を販売するような利用方法は一般に行われていないのですから、このような「タイムシフト視聴」目的の録画が著作物等の通常の利用を妨げていないことは明らかです。
また、仮に私的録音録画補償金制度を維持しまたは対象を拡大する場合、音楽CD等に収録された他人の著作物等の複製に用いない対象製品について補償金相当額の返還を受けるために要する費用については、指定管理団体の側で負担すべきであると法律に明記すべきです。

なぜならば、対象製品を私的使用目的の録音録画に用いない者はそもそも私的録音録画補償金を支払う義務を負わないところ、権利者側の事務負担を軽減させる目的で権利者側の要求に応じて対象商品の製造業者が補償金相当額を購入者に無断で製品価格に上乗せしてしまっているわけで、当該製品の購入者が補償金相当額の返還請求をせざるを得ない状態に陥ったことについて、購入者はこれに何ら寄与していない一方、権利者側は多大な寄与をしているからです。また、権利者側がそのような手続に要した費用を負担しなければならないとなれば、私的使用目的の録音録画以外の目的に用いられる蓋然性の高い製品について補償金の支払を求めることを控えたり、補償金相当金の返還を受けるための手続を簡略化したりするインセンティブが権利者側に生ずることとなり、法の趣旨に反して過剰に補償金が徴収される事態をある程度抑制することができます。

「同制度は既に破綻を来しており、速やかに廃止すべき」という意見に賛成します。
しかしながら、同制度しか現実的な解が存在しない、ということであれば存続もやむを得ませんが、見直しは必須と考えます。委員から提出された意見(1)(2)(3)(4)に対してコメントします。
・改善を速やかに図る必要があるとの意見(1)に対するコメント
補助金の配分ついて、各権利団体に配分される割合等は公表されているが、共通目的として使われる20パーセントの内訳が全く不明であることは問題と思われます。どのような啓蒙活動が行われ、どのような効果があったのかをデータとともに説明できるようでなければ、補償金を支払っている消費者としては納得できません。
・改善を速やかに図る必要があるとの意見(2)に対するコメント
周知を図る活動は必要かもしれませんが、電車内吊り広告や雑誌広告等、効果に疑問を持たざるを得ない活動に費用が費やされるのは納得できません。効果があるならばデータで示していただきたい。
補償金徴収の対象となる商品に、補償金が含まれることやその額を明示することは、公正であると考えます。
・改善を速やかに図る必要があるとの意見(3)に対するコメント
私的録音録画補償金の制度が始まって以来、ほとんどまったく返還制度が機能してこなかったことこそがこの制度の歪みを象徴していると考えます。
煩雑な手続きや、通信費用の負担など、少額な補償金の返還を防止するための方策ではないかと勘ぐりたくなるほどです。
実質的に返還が不可能であるという状態は消費者の財産権を侵しているという議論もあり、その状態を長期間改善しようとしなかった文化庁にも責任があるのではないでしょうか。
・改善を速やかに図る必要があるとの意見(4)に対するコメント
国の予算で行うことには必ずしも賛成しませんが、縮小・廃止に向けて検討する必要はおおいにあると考えます。

・現行の補償金制度においては、自分が払った補償金の全額が、私的複製した音楽の権利を保有する権利者に渡るわけではありません。一部でも必ず渡るという保証もありません。また、管理団体という本来なら不要な団体が利益を上げています。私は現行の補償金制度は廃止すべきと主張するものですが、利用者から直接の権利者に補償金が全額渡らない現行の制度は誤っているといえます。
・CD等を購入した場合には、私的利用するのであれば追加の費用は一切不要であるべきで、現行の著作権法第30条第2項は削除されるべきであると考えます。その根拠は次の通りです。
(a)本制度の導入において、「デジタル方式の複製は音質が変わらない」という理由がありました。しかし、MD等現行のポータブル機器の多くは、データ量を小さくするために音質を落として複製します。その点ではアナログ方式の複製と同じです。従って、音質が変わらないから、という根拠は成立しません。
(b)私的録音録が補償金制度が導入されるもととなった理由「デジタル方式の録音・録画機器の普及に伴い、著作権者等の経済的利益が損なわれるようになった状況に対応するため」は、CD等を購入している場合には該当しません。CD等を購入していればその段階で著作権者に対する義務は果たしており、その後でアナログ方式で複製するか、デジタル方式で複製するか、あるいは複製しないかということは全く無関係だからです。
例えば、CDのまま自宅で100回聞くのと、MD等にコピーして自宅と車で100回聞くのとは同じで、著作権者の不利益になることはありません。が、現行の制度では後者の方が費用がかかることになります。これはおかしいといえないでしょうか。
よって、購入者が私的利用のためにいかなる複製をしても、音質・画質の劣化の如何に関わらず補償金を支払う理由はありません。
(c)コンピュータのソフトウェアにおいては、同一人が使う場合に限って何台にインストール(登録)しても同一ライセンスで利用できるとしているものが多数あります。この現実的な考え方を踏襲するのがよいと思います。

意見 私的録音録画補償金制度を全廃することは難しいと思われるが、少なくとも縮小の方向で検討を始めるべきである。また、「当面の運用」における「改善」は速やかに行なわねばならない。
理由 現状では、補償金使途、配分が不透明であり、現状のままでは不信感が増すだけである。また、私的録音録画補償金制度の周知も不徹底であり、消費者のコンセンサスを得ているとは思われず、現状では、この制度の存続は不可能である。

主として上記項目に関して、と云う事になりますが、総論として設置当初は必要であったのであろう機関が、技術の進歩によって代替手段を講じる事が可能となったにも関わらず、その組織なり既得権益を守らんが為に強弁をしているとしか見えません。
正規に購入し保有しているCDを、パッケージやブックレットが傷まない様に、ましてや記録面が傷む事が無い様に、と複製して普段使いとするのに対して「保証金を払え」と云う、それが一般消費者の感覚からどれだけ乖離した考えであるかに気付いていないと云う事が音楽出版業界の凋落を招いたのではないでしょうか?
業界、団体が導入に際して、そして今に至っても説明責任を果たさず、殆どの一般消費者がパッケージに書かれた『音楽用』『TV録画用』の文字が何を意味しているかを理解しないままに『保証金』をかすめとってきた現行制度は、撤廃を希望します。
以上。

要旨:
私的録音録画補償金制度は即座に廃止に向けた議論を開始すべきである。
コメントの背景:
私的録音録画補償金制度(以下本制度という)はDATなどの出現によりデジタルで品質劣化することなく複製が可能になったため、私的複製による著作者の権利侵害を補償する目的で平成4年の著作権法改正で盛り込まれた制度である。
デジタルコピーができるようになれば、それまでCDなどのパッケージメディアを買ってくれた人が買わなくなってしまう恐れがあるため、このような補償金の必要性について概念的には理解できる。しかし実際の補償方法を議論するためには(1)損失額の定量評価、(2)損失補償方法の妥当性 について議論し国民に対し説明されてしかるべきであるが、そのような説明はこれまでなされたことがなく、「デジタルコピーがはびこると著作者の創作意欲がそがれ、良質なコンテンツが創造されなくなる。」云々の概念的な説明に終始しているのが現状である。
従って、本コメントでは、本制度の見直しを含めた議論をするにあたり、どの程度の損失が発生しうるか、その補償方法は妥当かどうかと言う点について、デジタルコピーツールの利用形態のち代表的な下記に示す4つのケースについて考察した。その結果、いずれのケースについても私的録音録画補償金制度によって補償する方法が妥当であると思える利用形態は存在しなかった。よって、本制度は制度的に破綻しており、即座に廃止に向けた議論を開始すべきである。(なお、ここでは音楽に特化してケースを挙げているが、本質的には映像に関しても同様である。)
ケース1: 購入したCDをコピーし家庭内で利用する
ケース2: 購入したCDを別媒体にコピーして利用する
ケース3: レンタルCDショップで借りたCDをコピーして利用する
ケース4: エアチェック(放送の録音・録画)を行い家庭内で利用する
考察:
(1)ケース1 購入したCDをコピーし家庭内で利用する
【想定される状況】
家庭内で兄がCDを持っていて弟もそのCDを聞きたい、という状況を想定する。CDを複製する機材があれば、弟はいちいち兄の了解を得るのは面倒なので、兄のCDを複製して自分の好きな時間に利用すると思われる。

【デジタルコピー機材が存在しない場合の状況】
デジタルコピー機材がなければ、兄の了解を得るのは煩わしいが限られた小遣いの中で同じCDを購入しようとは考えず、カセットテープにダビングするか高品質で聞きたければ手間をいとわず兄の了解を得てCDを借りるだけである。機材がない場合でもよほど裕福でない限り弟は兄と同じCDを買おうと思わない。
【デジタルコピー機材が存在することによる権利者の損害はあるか?】
上記のとおりデジタルコピー機材が存在しないからといって、新たに同じCDを購入する可能性はほとんどない。従って、ケース1においては権利者の損失は発生しないと考えるのが妥当である。
【本制度は本ケースにおいて適切か?】
損失が発生しないのであるから、本制度は不適切である。
(2)ケース2購入したCDを別媒体にコピーして利用する
【想定される状況】
(a)CDを購入しそれを外で聞きたい場合
CDからMDにコピーする機材があれば外で扱いやすいMDを持ち出す。
(b)パソコンで音楽を聴きたい場合、ハードディスク型のデジタルプレイヤーで音楽を聴きたい場合MP3に変換できる機材があればファイルとして扱いやすいMP3で聞く。さらにハードディスク型のデジタルプレイヤーがあればMP3をプレイヤーにコピーする。
【デジタルコピー機材が存在しない場合の状況】
(a)CDを購入しそれを外で聞きたい場合
デジタルコピー機材が存在しないならば、CDポータブルプレーヤーを購入してCDごと外に持ち出す。(MDがまだ一般的ではなかった90年代初頭はそのような使い方をしていた。)
(b)パソコンで音楽を聴きたい場合
デジタルコピー機材が存在しないならば、ステレオやCDポータブルプレーヤーを使ってパソコンをやりながら聴く、CD-ROMドライブにCDを挿入して聴く、といった代替手段がある。
【デジタルコピー機材が存在することによる権利者の損害はあるか?】
上記で示したとおり、外でCDを聴く、パソコンをやりながら音楽を聴く、という行為についてはデジタルコピー機材が存在しない場合においても代替手段がある。従って、デジタルコピー機材があっても無くても、上記の目的のために新たに持っているCDと同じ音楽の別メディア版を購入する可能性は低い。従って、ケース2においては権利者の損失は発生しないと考えるのが妥当である。

【本制度は本ケースにおいて適切か?】
損失が発生しないのであるから、本制度は不適切である。
(3)ケース3 レンタルCDショップで借りたCDをコピーして利用する
【想定される状況】
レンタルCDショップでレンタルしたCDをデジタルコピー機材でCD-ROM等にコピーしCDを返却する。
【デジタルコピー機材が存在しない場合の状況】
レンタルCDショップでレンタルしたCDをダビングなどの手段でカセットテープなどに録音しCDを返却する。
【デジタルコピー機材が存在することによる権利者の損害はあるか?】
デジタルコピー機材のあるなしに関わらずレンタルしたCDについて私的複製が行われる可能性は高く、その結果新たにそのCDを購入する可能性が低くなる。従って、CDレンタル業界が存在することで何らかの損害が発生することは間違えないと考えてよい。
【本制度は本ケースにおいて適切か?】
(a)CDレンタルによる既存の損失補填手段
CDのレンタルについては、1985年に著作権法が改正され、CDリリース後1年間のレンタルの許諾・禁止を決定できる「貸与権」とその後著作権が消滅するまでの49年間にレンタルすることによる報酬を取得できる「報酬請求権」とがレコード製作者に認められ、それと引き換えにレンタルCD事業が合法とされた。
『貸与権』については日本コンパクトディスク・ビデオレンタル商業組合(CDV-JAPAN)が管理しており、1レンタルあたりアルバムであれば50円、シングルなら15円をCDレンタル事業者から徴収し、権利者に支払われる仕組みになっている。
『報酬請求権』については日本レコード協会(RIAJ)が管理しており、1枚のCDアルバムあたり使用料として330円をCDレンタル事業者から徴収し、権利者に支払われる仕組みになっている。

(b)損失補填額の妥当性
CDアルバム1枚の営業利益を売り上げの3パーセントと仮定(大手レコード会社の実績値より類推)すると、3000円のレコード1枚あたりの利益は90円程度となる。CDリリース1年未満であれば1レンタル毎に50円が補填される。これはCDレンタルという業態が存在しないならば、レンタルされたCDの2枚に1枚は購入されていたであろうとも解釈しうる額である。レンタルされたCDの中には、必ずしも購入の代替手段としてレンタルされたものだけではなく、レンタルされているからこそ試しに聴いてみるがレンタルされていなければ手に取ることもないものも相当程度存在することが予想される。そのような状況の中で2枚に1枚の割合で営業利益が補填されるこの制度はそれ自体で十分権利者のことを配慮していると考えられる。
一方CDリリース後1年以上経過したものについてはCDレンタル5〜6回分に相当する額が補填される。これについて、リリース1年後のCDの貸し出し回数が不明なため、多いか少ないかは議論できないが、仮にこの額が不足なのであればこの額を改定すればよい。
(c)本制度の導入の妥当性
上記(a)に示したとおり、CDレンタル業の存在によるレコード会社の損失については、すでに補填する仕組みが存在する。また(b)に示すとおり、特にCDリリース後1年未満のレンタルについては、十分手厚い損失補填がなされている実態がある。リリース後1年以上経過したCDのレンタルについては、損失補填額が妥当かどうか不明だが、もし不十分であるならばどの程度の損失が発生しているか国民に開示した上で補填額を改定すれば良い。いずれにしても既存の枠組みの中で損失の補填は可能であるから、本制度によって損失の補填を行うことは権利の二重行使になり不適切である。
(4)ケース4エアチェック(放送の録音・録画)を行い家庭内で利用する
【想定される状況】
放送番組をデジタルコピー機材によってCD-R等にコピーし、放送時間帯以外の時間帯に視聴する。
【デジタルコピー機材が存在しない場合の状況】
放送番組をダビング等によってカセットテープ、ビデオカセット等にコピーし、放送時間帯以外の時間帯に視聴する。

【デジタルコピー機材が存在することによる権利者の損害はあるか?】
(a)権利者は誰か?
放送の権利者は放送事業者であり、放送で使われるレコードの権利者は放送事業者に対し権利を行使できるが、放送の視聴者に対し権利を行使できない。
放送事業者はその中で流される音楽などについては事前にJASRAC(ジャスラック)に使用料を支払っている。(放送事業者の年間収入の1.5パーセントと決められている)従って放送事業者と音楽の権利者との間では、権利処理が双方合意のもと済んでおり、以降の議論では音楽の権利者のことは切り離して議論することとする。
(b)放送事業者の権利とは?
 放送事業者の権利は下記のとおり。
 放送の複製権(著作権法第98条)
 放送の再放送権・有線放送権(同第99条)
 送信可能化権(同第99条の2)等
(c)デジタルコピー機材の存在によって、権利者の損害がどのように発生するか?
・放送の複製権
放送番組を後にパッケージ化して販売することが放送の複製権行使の具体的な例として挙げられる。放送の私的録音が存在することによって、録音をした視聴者に対しパッケージメディアを売ることができないため、ビジネス機会の損失となる可能性がある。しかし、放送番組を権利を行使するか(パッケージ販売するかしないか)は放送時点(=私的録音を行った時点)で決定していないことが多いため、私的録音を実施した時点では損失の有無は不明である。
むしろ放送番組のパッケージ販売を行う時は、放送の特性上、以下の条件が不可避であると認識した上でビジネス戦略を組み立てるのが適当であろうと思われる。
前提条件1.既に内容は放送され、多くの一般大衆に知れ渡っていること
前提条件2.放送内容は私的に複製されている可能性があること
このような前提条件下でビジネスを行うにあたっては、例えば未放送部分の特典映像をつける、豪華ポスターをつける等によって、私的複製と差別化を図る、などの戦略をとる必要がある。

・放送の再放送権・有線放送権
再放送することで再度スポンサーから広告収入を得るという放送事業者のビジネスにおいて、私的複製の存在によって視聴率が低下し思うように広告収入が得られない、という形の損失が考えられる。
しかしこの件についても、「放送の複製権」で述べたのと同じ論理が適用できる。すなわちビジネス上の前提条件として、上記の1.2.を想定して広告枠の販売戦略を考えるのが適当であろうと思われる。このような前提条件下でビジネスを行うにあたっては、例えば平日ゴールデンタイムに流した番組を休日の昼に再放送することで、異なる視聴者層に対して見せるなどの戦略をとるべきである。
・送信可能化権
この権利についても上記2つの権利に対する考え方と同様であり、パッケージメディアや再放送がインターネット上でのオンデマンドサービス等に代わっただけである。
これもどの放送番組を送信可能にするかを決定するのは放送終了後であり、また放送番組の特性上、上記の1.2.を前提条件としてビジネス上の戦略を考えなければならない。
【本制度は本ケースにおいて適切か?】
以上述べてきたように、放送事業者が有するいずれの権利についても、私的複製実施時には損失の有無が判断できない。また上記の前提条件1、2はビジネス上の前提条件として認識すべき性質のものであり、その中の一つである前提条件2(放送の私的録音)の存在によってビジネス機会が損失したとまではいえないと考える。
このようなエアチェックの私的録音に対し、本制度によって損失を補填しようとする考え方は不適切であると考える。(ビジネスとして実施しない分まで「補填」することになりかねない。)
まとめ:
以上考察(1)〜(4)で述べてきたとおり、ここに挙げたすべてのケースにおいて、本制度で損失を補填すべきケースは見当たらなかった。上記の(1)〜(4)はデジタルコピーの利用形態の主なものを取り上げており、その中で本制度で損失を補填すべきケースが存在しないことから、本制度は制度的に破綻していると考えざるを得ない。本制度については、即座に廃止に向けた議論を開始すべきである。

私的録音録画補償金制度については、将来的に廃止すべきとの意見に賛成します。
私的録音録画補償金制度は、録音されたコンテンツに無関係な課金であり、コンテンツ作者や制作に関わった方々に、著作権使用料が公平に還元されているとは言えません。
例えば、国内盤CDが流通しない海外作品やインディペンデント・レーベルの作品を録音しても、私的録音録画補償金は主にJASRAC(ジャスラック)をはじめとする「権利者団体」や大手レーベルの収入になると考えられ、本来著作権使用料が支払われるべき作者の権利を、なんら保証するものではありません。
私的録音録画補償金制度によって集金された「お金」の分配(使途)は公表されず、既得権益に関わる腐敗や汚職の温床になっていると思われます。
さらに私的録音録画補償金制度がコンテンツに無関係である性質を拡大解釈し、JASRAC(ジャスラック)をはじめとする「権利者団体」が、ジャズ喫茶や零細ライブハウスに対し、数百万円もの著作権使用料請求を行っているとの報告があります。
その結果、ジャズ喫茶等は廃業に追い込まれ、音楽文化の草の根は刈り取られていきます。
以上より、私的録音録画補償金制度の存続および拡大は、音楽文化の発展に寄与いたしません。
音楽文化の発展のためには、私的録音録画補償金制度見直しだけではなく、慢性的に高コスト過ぎるJASRAC(ジャスラック)など著作権管理団体の体制を見直し、コンテンツ作者や制作に関わった方々に公平に分配できる制度に再構築するべきと考えます。

私的録音録画補償金制度を全廃することは難しいと思われますが、少なくとも縮小の方向で検討を始めるべきであり、また、「当面の運用」における「改善」は速やかに行なわねばならないと思います。
○一度対価が支払われた著作物については(私的利用の範囲において)自由かつ無償で利用できるとすべきである。
○補償金配分の比率の見直しに関連し、各権利者団体は配分の方法等情報公開をより詳細に進めていくべきである。たとえばレンタルなどを基準とした配分に関し、その具体的な数値(表)や計算式を公開しなければ消費者の理解を得られることなどない。消費者の間では、各権利者団体の配分方法は「不透明」だという印象が一般的である。現状の情報公開では全く足りていないということだ。
○なぜ著作権者(および著作隣接権者)の権利を保護しなければならないのかきちんと説明すべきである。権利者が正規商品を売るこで得る利益が保護されるべきとの考えには、国民の理解が広く得られているものと考えられる。しかし私的録音録画補償金制度については、これで「補償」される「利益」と権利者の本来の「利益」との因果関係が曖昧なまま議論されていると言わざるを得ない。ここで改めて再検討し、消費者の理解を得られるような明解な根拠を示す必要がある。
○補償金制度の周知については、制度の論理的検討も並行して行なわれることが望まれる。いままでどこまで真剣に論理的検討を受けたのかが定かでないが、「不利益」などというマジックワードに頼った観念論に陥ることなく、具体的・論理的・実証的に検討されねば消費者の理解など到底得られない。ここで著作権・著作隣接権で保護されるべき権利者の経済的利益の範囲を明確にせねば、今後も権利制限のバランスを崩すような権利者側の要求が続くと考えられる。その際の検討に資する論理的検討の蓄積が必要であろう。

○権利者の経済的不利益の具体的検討なくして消費者の理解を得ることはできない。このまま私的録音録画補償金制度が続けば、著作権制度自体への不信感を強めることにもなりかねない。既に対価が支払われている著作物(正規に購入されたもの・レンタルされたもの・配信楽曲など)の私的複製や、一時的な録音・録画(主にハードディスク・フラッシュメモリ等に記録するようなもの)、アーカイブとして保存されている私的複製物との明確な区別が必要である。
○返還制度の簡略化は絶対に行なうべきである。私的録音録画補償金を一部でも存続させるのであれば、返還制度を実効性あるものに改善しなければならない。制度の周知徹底はもちろん、管理協会側の迅速な対応が可能となるように文化庁が監督していくことが求められよう(返還制度に目立った改善が見られないときは、補償金制度を廃止すべきである)。なお、既に対価を支払い済みの著作物(自ら買い求めたCD・レンタルCD・ネット配信楽曲など)の私的複製に使った指定機器・記録媒体についても補償金返還への道を開くべきである。
○共通目的事業を国の予算で行なうようにすることについては、それが実現可能であれば望ましいことではある(どのように国民全体のコンセンサスを得るかという問題が残っているが)。しかし、共通目的事業への支出を減らしていくためには、補償金の分配が利用実態へ近づけていく努力が必要である。もともとは分配の粗さを吸収するために共通目的事業(権利者全体への間接的分配)が設けたのであって、これと同じ事業が国の予算で行なわれるようになったからと言って、補償金分配からこぼれた権利者への「間接的分配」をストップしても良いという根拠にはならない。

・ 家庭用デジタル録音・録画機器の技術進歩に伴い、私的録音録画補償金制度の制定時には予測し得なかったほど、高品質な私的複製が広範に行われている。その結果、“当該著作物の通常の利用を妨げず、かつ、その著作者の正当な利益を不当に害しない”(ベルヌ条約9条2項)という私的複製を許容する条件が崩れかねない状況にある。著作権者の利益を保護しつつ、利用者による私的複製を今後とも可能としていくため、私的録音録画補償金制度の維持は必要不可欠である。
・ 民放事業者の行う広告放送においては、DRM(デジタル・ライツ・マネジメント)による個別課金が行われるとは考えられず、これが私的録音録画補償金制度に代わる著作権者の利益保護策になるとは想定できない。また、デジタルテレビ放送のRMP(コンテンツ権利保護)のコピーワンジェネレーション(コピーワンス)について、“録画行為を制限するものだから、将来的には補償金の対象とする必要がない”との意見があるが、補償金制度は私的なデジタル録画そのものを対象とするものであり、これが可能である限り、補償金の対象から外す必然性は全くない。
・ 私的録音録画補償金制度をめぐってさまざまな意見があるが、「審議の経過」に触れられている“補償金制度の立法を基礎づけた事実、すなわち私的なデジタル録音・録画がどのような実態で行われ、権利者の利益にどのような影響を与えているのか”という点について、行政として早急に調査すべきであり、その結果を踏まえ、適切な施策を講ずるべきである。

まるで音楽税ですよね、過去の道路公団と全く同じ事をやりはじめていることに気が付きませんか?
商用レベルの著作権(譲渡された著作権など)に省庁が深く関与することはいらないと思いますよ。
既に成熟した産業は保護するより競争をさせることでしょう、競争を阻害している公益法人を解体あるいは分割することで間違いは未然に回避できそうな気がします、公益法人の関連がなぜ被害者のふりをしてまで個人の財布から金を取ろうとするのでしょうか?、この点が凄く疑問です。
歴史的な法律要素を持ち出しては保身をしていますが、公益法人周りは協会を含め、効率が悪くなる方向へと肥大化しています、肥大化した利権団体を特別に扱えば、その財政を負担する為の課金になるだけでしょう、音楽業界はリストラできる要素を多くもちながら寄生を続けていますよ、へたな言い訳があまりにも多すぎるのです。

この問題は、当協会にとって直接関係するテーマではないが、ドイツにおけるように課金の対象機器が将来複写機、FAX、スキャナー、プリンタに広まることにならないか懸念を持っている。従って、この問題についての当協会の基本的スタンスは下記の通りである。

私的録音録画補償金制度は、多くの問題をかかえており、審議経過における、早急に対応すべき課題として私的録音録画補償金制度の縮小・廃止の是非も含めた同制度自体の根本的な見直しについて期限を設定した上で検討すべきである、また同制度については、既に破綻を来たしており速やかに廃止すべきとの意見に賛成する。
この主な理由として、1この制度自体ユーザーに知られていない。2私的録音・録画を行わないユーザーからも課金のおそれがある。3前記(2)2に述べたような二重課金の問題がある。4徴収された補償金が権利者に実態に即した正しい分配が行なわれていないおそれがある。5技術的保護手段の開発・普及によりそれら技術を保護する環境が格段に整備されてきており、ユーザーが自由に録音・録画できる範囲が極めて狭くなっているか、殆ど自由に録音・録画できる状況がなくなってきている。

意見 私的録音録画補償金制度を全廃することは難しいと思われるが、少なくとも縮小の方向で検討を始めるべきである。また、「当面の運用」における「改善」は速やかに行なわねばならない。
理由 何よりも第一に、なぜ著作権者(および著作隣接権者)の権利を保護しなければならないのかきちんと説明すべきである。権利者が正規商品を売ることで得る利益が保護されるべきとの考えには、国民の理解が広く得られているものと考えられる。しかし私的録音録画補償金制度については、これで「補償」される「利益」と権利者の本来の「利益」との因果関係が曖昧なまま議論されていると言わざるを得ない。ここで改めて再検討し、消費者の理解を得られるような明解な根拠を示す必要がある。
さらに、補償金制度の周知については、制度の論理的検討も並行して行なわれるべきである。いままでどこまで真剣に論理的検討を受けたのかが定かでないが、「不利益」などというマジックワードに頼った観念論に陥ることなく、具体的・論理的・実証的に検討されねば消費者の理解など到底得られない。ここで著作権・著作隣接権で保護されるべき権利者の経済的利益の範囲を明確にせねば、今後も権利制限のバランスを崩すような権利者側の要求が続くと考えられる。その際の検討に資する論理的検討の蓄積が必要であろう。
また、権利者の経済的不利益の具体的検討なくして消費者の理解を得ることはできない。このまま私的録音録画補償金制度が続けば、著作権制度自体への不信感を強めることにもなりかねない。既に対価が支払われている著作物(正規に購入されたもの・レンタルされたもの・配信楽曲など)の私的複製や、一時的な録音・録画(主にハードディスク・フラッシュメモリ等に記録するようなもの)、アーカイブとして保存されている私的複製物との明確な区別が必要である。

意見
1.私的録音録画補償金制度は縮小の方向で検討を始めるべきである。
2.「当面の運用」における「改善」は速やかに行なわねばならない。

理由
1.一度対価が支払われた著作物については(私的利用の範囲において)自由かつ無償で利用できるとすべきである。私的録音録画補償金制度はあくまで例外的措置としての制度たるべきことを確認し、その拡大を防止する方策を検討すべきである。
私的複製に課すべき補償金は、個別に課金する制度の確立に向けた改善が恒常的に為されることを前提として、現行制度の存続はやむを得ないと考える。
また、補償金を課すべき私的複製の特定と、その根拠の論理的・実証的説明が必須である。現状ではそれが十分とはいい難い。
2.補償金配分の比率の見直しに関しての情報公開は、各権利者団体は配分の方法等を含め、詳細に進めていくべきである。各権利者団体の配分方法は極めて不透明だという印象である。現状の情報公開では全く足りていない。
補償金制度の内容の周知については、当然速やかに行うべきである。現状、この制度の内容、実態は、利用者にはほとんど知られていないといってよいと思う。今までの方法は全く機能しておらず、無意味であったということである。
返還制度の簡略化は絶対に行なうべきである。私的録音録画補償金制度の存立基盤は、返還制度の実効性ある、有効な存在のみに求められるのであって、そうでなければ、返還対象者の財産権の侵害行為に過ぎないことになってしまう。制度の周知徹底は言うまでもないが、管理団体側の迅速な対応を文化庁が監督していくことが求められる。返還制度に目立った改善が見られないときは、補償金制度を廃止すべきである。尚、既に購入済み、つまり権利者に対して対価を支払った著作物(ディスク、配信データ等コンテンツの媒体を問わず、有償レンタルも含め)の私的複製に使った指定機器、記録媒体についても補償金返還への道を開くべきである。
共通目的事業を消費者から徴収した補償金ではなく国の予算で行うことについては、基本的には望ましいことではあるが、もともとは分配の粗さを吸収するために共通目的事業(権利者全体への間接的分配)が設けられたのであるから、補償金の分配を利用実態へ近づけていくことが重要であり、それなくしては、国の予算で行なわれようが、そうでなかろうが、権利者への正当な補償金分配には関係がない。

結論
私的録音録画補償金制度については、利用者の理解と協力が絶対不可欠と考える。その為、これで「補償」される「利益」と権利者の本来の「利益」との因果関係を明確にすることが最も重要である。
ここで改めて再検討し、利用者の理解を得られるような明解な根拠を示す必要がある。そうでなければ、制度に対する不信は拡大し、権利者の正当な利益の保護という著作権法上の趣旨が反故になりかねない。つまり「文化の発展に寄与する」趣旨をもつシステムをも反古にすることになるのである。

補償金制度については、現状ではやむおえない点もあり、全廃するのは難しいと思われる。しかし、今後の技術の発達により、より正確な利用状況の把握が出来るようになることを考えると、将来縮小に向けて検討を進めるべきであると考える。
また、以下の問題点については早急な改善が必要と考える。
1.正規に購入したCDや音楽配信で購入した楽曲を、携帯用プレイヤーで使用するためのコピーなどは、権利者の利益に損害を与えるものではなく、これらの用途で使用された場合には補償金の対象から外すべきと考える。
2.現状の返還精度は、返還される金額よりも、その手続きにかかる金額の方が高くなるという、実質全く機能しないものとなっているため、早急に改善される必要がある。
3.収集した金額の分配について、極めて大ざっぱな内容しか発表されておらず、実際に利用者が支払った補償金がどのように権利者の元に渡っているのかが不明である。現状のままでは個々の利用について対価を支払っているという意識が得られず、かえって利用者の著作権に対する理解を妨げることになると考える。
意見 私的録音録画補償金制度を全廃することは難しいと思われるが、少なくとも縮小の方向で検討を始めるべきである。また、「当面の運用」における「改善」は速やかに行なわねばならない。
理由 一度対価が支払われた著作物については(私的利用の範囲において)自由かつ無償で利用できるとすべきである。また、CDにコピーコントロール、配信楽曲にはDRMといった複製の制限がされているものが多く、こうしたシステムが全廃されない限り、私的録音録画補償金制度は縮小の方向で検討を始めるべきである。

意見 私的録音録画補償金制度を直ちに全廃することは難しいと思われるが、今後は縮小、廃止の方向で検討を始めるべきである。また、「当面の運用」における「改善」は速やかに行なわねばならない。

理由 対価が支払われた著作物については、いわゆる「タイムシフト」「メディアシフト」「プレイスシフト」などの私的利用の範囲において、自由かつ無償で利用できるとすべきである。補償金を課すべき複製につき個別に課金するデジタル著作権管理のシステムは既に実用化されており、これらの技術の進歩に対応した補償金制度を確立することが必要である。
技術の進歩に対応した補償金制度を確立する努力を怠り、いたずらに技術進歩を補償金の拡大理由として利用することは権利者の一方的な奢りである。
費用の負担は受益者負担が原則であり、それを無視してすべての機器・機材に上乗せして徴収するやりかたには問題がある。権利者側に受益を確定するための努力が必要である。
一方で、補償金配分の比率の見直しに関連し、各権利者団体は配分の方法等情報公開をより詳細に進めていくべきである。たとえばレンタルなどを基準とした配分に関し、その具体的な数値(表)や計算式を公開しなければ消費者の理解を得られない。消費者の間では、各権利者団体の配分方法は「不透明」だという印象が一般的であり、週刊誌などでも喧伝されているところである。現状の情報公開では全く不足であり、この状態のままで運用を続けること自体、大きな問題である。
‐‐‐
最後に、「文化審議会著作権分科会法制問題小委員会審議の経過」に対する意見募集についてにおいて、『いただいた御意見については、原則としてそのまま本小委員会に付し、個別の項目に係る意見提出数の集計・公表は特段いたしません』と記載されているが、9月30日の法制問題小委員会第8回において『…私的録音録画補償制度へ含むことに賛成の意見が17件、反対が80件と、反対意見が賛成意見の4倍超となっている…』などの中間報告がなされいる。
このような個別の項目に係る意見提出数の集計の中間報告を、国民に対してパブリックコメントを募集している期間中に、意見募集に書かれている原則に反してなぜ公開したのか、文化庁著作権課はパブリックコメントの募集と同様に国民にわかり易く説明する必要がある。

意見
私的録音録画補償金制度を全廃することは難しいと思われるが、少なくとも縮小の方向で検討を始めるべきである。また、「当面の運用」における「改善」は速やかに行なわねばならない。

理由
費用の負担は受益者負担が原則であり、それを無視してすべての機器・機材に上乗せして徴収するやりかたには問題があるのではないか。もう少し権利者側に受益を確定するための努力があってもいいのではないか。

最後に
「『文化審議会著作権分科会法制問題小委員会
審議の経過』に対する意見募集について」の本文中に「〜個別の項目に係る意見提出数の集計・公表は特段いたしません。」とあるにもかかわらず、9月30日の法制問題小委員会第8回の中間報告記事がWEB上で掲載されているのはどういうことか。なぜ公表したのか。この点に付いて納得出来る回答をいただきたい。

(一)私的録音録画補償金制度は、私的使用のための複製の自由を維持しつつ、権利者の経済的不利益を解消させるためのものということができる。したがって、私的録音録画補償金制度自体の根本的な見直しを議論するにあたっては、補償金制度の前提となる著作権法30条1項が定める私的使用のための複製の自由そのものの在り方についても併せた議論が必要である。このことは、私的録音録画補償金制度の導入に向けた検討にあたった著作権審議会第10小委員会においても、次に見る報告書の記述から、私的使用のための複製の自由そのものについて議論があったと言うことができる。すなわち、「一つの考え方としては、旧法が規定していたような機器を用いての私的録音・録画は権利者の許諾を要するとし、結果としては禁止するという考え方もあるが、現行法制定後20年以上が経過し、機器を用いての私的録音・録画が広く普及している現状に照らし、この考え方が国民の理解を得るのは困難であると考えられる。」(『著作権審議会第10小委員会(私的録音・録画関係)報告書』61頁(平成3年12月))。
(二)しかしながら、補償金制度の前提となる、私的使用のための複製の自由については、現行の著作権法が制定されてからも、私的使用のための複製の自由を制限する法改正が行われている。例えば、昭和59年改正による、公衆の使用に供することを目的として設置されている自動複製機器を用いて複製する場合である(著作30条1項1号)。この規定が設けられた背景について、次のように述べられている。「近年の複製機器の発達によって、複製がより簡便になったことは、複製主体を限定するだけでは、複製のゆきすぎに十分な歯止めがかからない事態を生じさせることとなりました。・・・このような事態は、本条[著作権法30条−意見者注]がそもそも家庭のような閉鎖的な私的領域における零細な複製を許容する趣旨のものあって、業者に依頼する複製のように外部の者を介在させる複製を認めていないことから見まして、私的複製の名の下に容認し難い事態であります。」(加戸守行『著作権法逐条講義〔四訂新版〕』227頁以下(著作権情報センター、2003))。著作権法30条1項1号は、平成4年改正による私的録音録画補償金制度の創設以前の規定であるが、次に述べる私的複写に関するわが国とドイツとの法制度上の比較から、私的録音録画補償金制度と、その前提となる権利制限の在り方を議論するにあたっても、少なからず示唆を与えるものと考えられる。

(三)ドイツでは、1985年の著作権法改正により、私的録音・録画に係る報酬請求権制度に加えて、私的複写についても報酬請求権制度を導入した。すなわち、ドイツ著作権法第54a条第1項第1文では、「複写の方法による複製の報酬支払義務」として、「著作物が、その性質上、複写または類似の効果を有する方法により、第53条1項[私的利用およびその他自己による利用のための複製−意見者注]・・・における複製が行われることが予測されうる場合、その著作者は、複製を行うことを目的とする機器の製造者に対し、機器の販売やその他の取引によって生じる可能性について、相当な報酬の支払請求権をする。」(三浦正広「パソコンに対する私的複写報酬をめぐって−ミュンヘン地裁2004年12月23日判決−」コピライト534号31頁(2005)の訳による)と定めている。
(四)私的使用のために行われる複写に係る制度について、わが国とドイツの法制度を比較した場合、わが国では、私的複写について公衆の使用に供することを目的として設置されている自動複製機器を用いた複製については、私的使用のための複製の自由という権利制限から除外し、著作者の許諾が及ぶこととした法制度を採用したのに対し、ドイツでは、私的使用のための複製の自由を維持しつつ、わが国における補償金制度に類似した報酬請求権制度を採用しているものと位置付けることができる。なお、わが国では、30条1項1号については、文献複写の分野において必ずしも集中管理の体制が整っていないことから、附則第5条の2において、集中管理体制が整備されるまでの当分の間の暫定措置として、使用が認められない機器について、専ら文書又は図画に係る複製に供する機器を含まないものとしている(加戸・前掲228頁以下参照)。今後、文献複写についても附則第5条の2を削除するか、又はドイツのような報酬請求権制度に類似した補償金制度の創設の可能性を議論する必要があろう。
(五)わが国とドイツとの法制度の比較から、私的複写の分野ではあるが、私的録音録画補償金制度及びその前提となる私的使用のための複製の自由の在り方について、今後の議論に向けた素材を提供しているものと考えられる。現在の私的録音録画補償金制度の見直しに関する議論は、個別的な機器の追加指定の可否を問うような流れにも見受けられるが、私的録音録画補償金制度自体の根本的な見直しを議論するにあたっては、大局的・体系的な視座から、その前提となる私的使用の複製の自由、延いては権利制限のあり方を含め議論する必要がある。

現行制度は、私的複製によって著作権者に経済的損害が生じることを前提としているが、その根拠は非常に曖昧なものであり、具体的な損害内容すら未だ国民に対して説明がなされていない。
これは制度の存在意義そのものが不明確であることを意味する。
具体的な損害が存在しないのであれば、この制度は国家的な詐欺であり、これにより消費者や複製機器製造業者に生じた損害は莫大な額にのぼると推定される。消費者である国民はsarahSARVH等の団体に対して損害賠償を請求する権利があるものと思われる。
そもそも著作権法で定められている私的複製の範囲は、著作権者の権利を害さない範囲を規定したものであると考えられる。この考えに従えば損害など発生しえない。
またアナログ・デジタルの違いで損害の有無が変化するのも不自然極まりない。
加えて、近年では複製防止機構を備えた媒体および再生機器が市場に多数出現している。複製できないのであれば、もはや損害は発生しえない(消費者としては、私的複製権および引用権の侵害行為であり、容認できないが)。
このような理不尽な制度は即時廃止するべきである。対象とする機器の議論など時間の無駄である。
この制度を今後も継続するのであれば、私的複製の大幅な範囲拡大を消費者として要求する。この場合の補償金とは、現在不正とされている複製行為に対するものとして解釈する。
出版業者の利益ばかりを優先し、文化の利用に対する束縛を強める政策には、国民として断固反対する。

※補足
ここでは「文化の利用者=消費者」としたが、この考え方も大いに疑問である。

意見 私的録音録画補償金制度を全廃することは難しいと思われるが、少なくとも縮小の方向で検討を始めるべきである。また、「当面の運用」における「改善」は速やかに行なわねばならない。
理由 経済的不利益:権利者の経済的不利益の具体的検討なくして消費者の理解を得ることはできない。このまま私的録音録画補償金制度が続けば、著作権制度自体への不信感を強めることにもなりかねない。既に対価が支払われている著作物(正規に購入されたもの・レンタルされたもの・配信楽曲など)の私的複製や、一時的な録音・録画(主にハードディスク・フラッシュメモリ等に記録するようなもの)、アーカイブとして保存されている私的複製物との明確な区別が必要である。

・私的録音録画補償金制度は制度疲労を起こしている。その最たるは、補償金返還制度の実効性の低さ、徴収の不公正、不透明な分配である。また、そもそも許容される私的複製の範囲が明確でないという問題もある。こういった問題の解決を(制度の拡大についての議論よりも先に)早急に手を付けてもらいたい。

「私的録音録画補償金制度が導入されて以降に生じた、放送コンテンツに関する録画制御技術の進展や音楽コンテンツのオンライン配信の普及といった技術革新やコンテンツ流通等にみられるような社会事情の大きな変化の中で、早急に対応すべき課題として、私的録音録画補償金制度の縮小・廃止の是非も含めた同制度自体の根本的な見直しについて、期限を設定した上で検討すべきとの意見」に賛同する。また、「既に破綻を来たしており、速やかに廃止すべき」との意見も十分に検討すべきである。
「さらに私的録音録画補償金制度の当面の運用に関しては、次のような改善を速やかに図る必要があるとの意見が出された。
(1)補償金の配分に関しては、積極的に情報公開するとともに、配分比率等を固定せず、補償金の管理団体において、適宜見直す必要がある。
(2)製造業者の協力を得て消費者が負担する補償金の額を表示するなど、補償金の管理団体において、消費者に対して、制度の内容及び実態について一層の周知を速やかに図る必要がある。
(3)補償金の管理団体において、補償金返還制度を簡素化して、実際に利用可能なものに改めるよう検討する必要がある。
(4)第104条の8及び著作権法施行令第57条の6において補償金額の2割に相当する額を支出することになっている共通目的事業については、消費者から徴収した補償金ではなく国の予算で行うことを含め、その縮小・廃止に向けて検討する必要がある。」
という点もまさにそのとおりで、その他の記載事項については全面的に賛同したい。

現在の法律での著作物はデジタルデータを反映したものではない。
一般の消費者が著作物を求める際自分の管理範囲における自由な閲覧であったり自由な視聴である。著作物がデジタル化した場合同じ内容のものを複数の場所に保管することもありうるが、一般常識にてらして考えた場合保管する先に合わせて個別に購入するなどありえない。個人が同じものを同時に別々の仕組みを用いて閲覧、視聴することなどありえないため著作物購入の際、これら複数の場所への保存も想定した使用許諾であり著作物購入費であるべきだと考える。
つまり著作物購入の際にあらかじめ必要なコストはすべて盛り込まれた上での販売が望ましく、その保存先に対しても別途コストが発生するなど今後のIT市場に対して悪影響しかないと考えます。
カメラもデジタル化し、そのカメラに音楽データなどを保存できるならカメラにも課税しますか?メモ帳代わりに用意した機器に一時的に音楽データを保存し、自宅のPCにそのデータを保存しなおすことが可能であればメモ帳代わりの機器とPCの双方に課税しますか?
現在そして将来情報(デジタルデータ)を保存できるものは飛躍的に増加していきます。これらに対して個別に課税していくなど産業発展の妨げ以外何者でもないと考えます。
既得権を強く主張し、著作権利者や消費者をおきざりにし、自己が存在するためだけの課税を要求する組織に関してはそもそも今後の著作物の流通をさまたげるだけでその組織にのみ利益があるようにしか感じられない。

私的録音の制限について、以前の普通人がする私的録音はアナログのものである、音質の悪い粗悪品でよりよい音楽を聴きたい人は完全品を購入するしかなかった。完全品に近い録音ができる者は一部の専門的な人に限られていた。しかし高度な機械の発明により普通人もデジタル録音をすることができ完全品もしくは少しの劣化で音楽を複製できるようになった。これはコピーが蔓延し非常に危険な状況である。極端に言えば将来よい機械は経済的にうるおうので生み出されるが音楽等ソフトは経済的に苦しくて生み出されない状況になるのではないかと思われる。だがら、そのようなデジタル私的複製を規制できないのならば、それに変わる権利者への補償をすべきであり拡大はすれども廃止もしくは縮小すべきではない。もし廃止するのならば権利者への経済的な今までの補償金に変わる制度を創設してほしい。

私的録音録画補償金制度の維持を希望します。
メーカーの技術力がどんなに向上したとしても、全てのメーカーが対応できるわけではないと思いますし、権利者団体から個々に課金されるのはカンベンしてほしいです。

インターネット利用機会が非常に多い私にとって、ipodは大変興味があり購入を検討中です。
当然、CDの購入枚数は減る、いや全くCDを購入しなくなる可能性も高いと思います。
レコード業界は大丈夫なのかと少々心配です。現行の補償金制度は、特定の機器に対し数千円を1度だけ支払えばどれだけダウンロードしても良いということになる。
やはり、安くて分かり易い現行の制度に賛成であり、対象の機器を広げて更に安い補償金額を定めることに賛成です。

意見
現行の「私的録音録画保証金制度」は全面的に撤廃・もしくは見直すべきです
理由
そもそも「私的録音録画」に、何故権利者への「補償金」を払うような「経済的不利益」があるのでしょうか。
著作権法第30条の私的使用の複製に関わる条文は次のとおりです。
著作権の目的となつている著作物(以下この款において単に「著作物」という。)は、個人的に又は家庭内その他これに準ずる限られた範囲内において使用すること(以下「私的使用」という。)を目的とするときは、次に掲げる場合を除き、その使用する者が複製することができる
この30条において問われるべきは、著作物の複製物を使用する事が「個人的に又は家庭内その他これに準ずる限られた範囲内」を逸脱しているかどうか、その点であることは論を待ちません。
この「個人的に又は家庭内その他これに準ずる限られた範囲内」における問題、すなわち「範囲の逸脱」に関してすぐに想起されるのは、パソコンの普及とP2P技術によって一般的に利用・使用可能となった、Winny等の共有ソフトによる複製データの流通でしょう。
もちろんこれは「個人的に又は家庭内その他これに準ずる限られた範囲内」を逸脱しているのは間違いないので、その共有ソフトによって複製データの不特定多数への流通を可能とした者が、権利者からそれ相応の罰則を与えられても致し方ありません(ただし、その共有範囲を何らかの方法で「個人的に又は家庭内その他これに準ずる限られた範囲内」に抑制されている場合はこの限りではないでしょうし、またここでの共有ソフトそのものが、犯罪を幇助するものでもないことは、ここで明記しなくてはならないでしょう)。
では、以上のような逸脱した複製以外の、「個人的に又は家庭内その他これに準ずる限られた範囲内」での複製を可能とする「録音・録画専用機器および記録媒体」を入手(購入・記録媒体の場合はレンタルも)するに際して、何故その購入者=消費者が等し並に、権利者へ保証金を支払う理由=権利者の経済的不利益があるのでしょう?

ここで考え直すべきなのは、権利者団体の多くが仰る「著作物を複製した数がそのまま『購入されるべきだった著作物の数』である」という発想そのものです。この発想は、すでにアナログ技術の頃から始まっている複製行為の実体を著しく欠いた、言わば思いつきといっていいものです。逆に今までの私的録音録画の「歴史」を思い起こせば、この複製によって、どのような広告宣伝よりも強く、権利者、及びその著作物が新たなユーザを獲得=新たな利益を起こさせる方法であったし、現在も同様だと言えるでしょう(また翻って、私的録音録画による著作物の「新たなユーザ獲得」方法として、先の「『個人的に又は家庭内その他これに準ずる限られた範囲内』を逸脱した共有ソフトによる複製データの流通」を考え直した時、アメリカのシンガーソングライター:ジャニス・イアンの例をあげるまでもなく、廃盤等といったコンテンツ・ホルダー自身の経営的・経済的判断によって一般市場で入手出来なくなった著作物に、共有ソフトが光をあてる役割を果たした、という事実も看過すべきではないでしょう)。
そもそも著作物は、古典的な文学作品や哲学書などと同様、人類の英知であることを自ら欲するものであり、広く多くの人々に共有されてしかるべきものであります。そして著作権法は、その著作物を生み出すための下支えとして、著作者を支えるべき法律として存在しています。まず共有される事が前提にあり、そのための保護なのです。
現行の著作者団体の方々は、その著作物を保護するにあまり、共有されるべきものという著作物本来のあり方を見失い、バランスを逸していると言わざるを得ません。
インターネット情報サイト「ITMedia」上に掲載されている、小寺信良氏によるコラム「補償金制度廃止論にまつわる明と暗」によると「最近になって、補償金制度の内容を知らない消費者が8割を超すとの調査報告が出た」と記してありますが(http://www.itmedia.co.jp/anchordesk/articles/0509/20/news002_3.html)、私的録音録画を可能とする「録音・録画専用機器および記録媒体」を入手する消費者に等しく課せられている「保証金制度」が、消費者にここまで知られていないという事実は、そもそもこの「保証金制度」が消費者不在のまま稼動されてきたと問われても返答しようがないと思います。

ではその「保証金制度」を、消費者すべてを「個人的に又は家庭内その他これに準ずる限られた範囲内」を逸脱する不正複製者=悪者扱いをすることなく、消費者が納得するような保証金を支払うべき理由とそれを支える明確なデータをもとに説明出来るのでしょうか。出来ないとわたしは思います。
先の小寺信良氏によるコラムには次のような一文もあります。
「仮にこの補償金制度が廃止へと向かった場合、権利者団体は著作権第30条とともに心中するつもりだ。つまり、私的複製を全く許さないよう、潤沢な資金を使って現行法の改正へ動き出すだろう。もちろん30条には、テレビ録画も紙コピー機による複写もいっしょくたに含まれているので、音楽だけの事情で全廃できないだろうが、例外を追加するという形は有り得る(http://www.itmedia.co.jp/anchordesk/articles/0509/20/news002_4.html)」
このような疑心暗鬼に駆り立てられるのは、何も小寺氏ばかりではありません。ここまでわたしが書いてきた文章において「権利者」というのは、実情では「権利者団体」を指しています。その「権利者団体」が、消費者と、そしてクリエーターである権利者自身を不在のままに運営されてきた「実績」があってこそ、このような疑心暗鬼が生まれている事を、監督官庁たる文部科学省は重く受け止めるべきです。
例えば音楽著作者の権利団体であるJASRAC(ジャスラック)を例にとれば、音楽販売等を主たる業務としていない喫茶店・ダンス教室等への唐突な課金業務、歌詞掲載サイトへの恫喝にも似た通告、一般の利用実体を無視した楽譜コピーの差し止め活動など、その目覚ましい「活動」を知るにつけ、わたしを含めた消費者が疑心暗鬼になるのは止めようがありません。
このような状況の中で、さらに「保証金制度」を強化することは、あまりに近視眼的なものであり、最終的にはその著作物と我々を引き離すものにしかならない、すなわち経済的不利益を生じさせるものと考えます。
以上が「現行の『私的録音録画保証金制度』は全面的に撤廃・もしくは見直すべき」とする理由です。

【意見】
私的録音録画補償金制度の縮小・廃止の是非も含めた同制度自体の根本的な見直しについて、期限を設定した上で検討すべきとの意見に対して、大いに賛同する。
また、『(3)補償金の管理団体において、補償金返還制度を簡素化して、実際に利用可能なものに改めるよう検討する必要がある。』の意見に賛同すると同時に、以下を要望する。
(1)管理団体における返還制度への対応状況の確認と、適切な指導の実施。
(2)返還に必要とした費用は、基本的に管理団体側が負担するものとすること。
(3)情報公開の徹底

【理由】
'05年6月に、DVD-Rでの私的録画補償金返還が行われたが、その際の私的録画補償金管理協会(以下SARVH)の対応を聞く限り、適切な活動が行われているのか疑問視せざるを得ないものであった。
(1)返還手続きに必要な書類等が一切公開されていない。
返還希望者はSARVHに対し用紙送付の希望を連絡して用紙を送付してもらわなければならず、双方に無駄なコストが発生する状態である。(この時点で既に返却金以上のコストを要する)
これに対しては、返却手続きの際に返還希望者から問題提起され、SARVH側からの回答もWebへの掲載を進めていくというものであったが、回答のあった'05年4月から既に半年近く経過している10月7日現在でも、SARVHWebでは未だに未対応のままである。
この事は、SARVHの補償金返還に対する消極的な姿勢や消費者に対する対応への軽視を如実に表している。
各管理団体の対応状況を今一度再確認し、適切な指導を行う事を要望する。
(2)経費削減に対して努力しているとは思えない。
返還希望者は、再三にわたって連絡のための通信コストが最小化される電子メールでのやり取りを希望していたが、「情報の流失」や「ウイルスの進入」を懸念するという理由で電話やFAXまたは封書での対応を強いられた。
しかし、電子メールは適切な運用をすれば問題は生じない事は周知の事実であり、それに対応できないというのは、単にSARVHが適切な運用を行っていく努力を怠っているという事を露呈するものである。
このような経費削減に対する関心の無さを改善するためにも、返還手続きに要した費用は管理団体側の負担とするものとする事を要望する。

(3)情報公開に対しての否定的な対応
返還希望者は、SARVHとのやり取り内容を全面公開する事を希望したが、SARVHからは「プライバシー保護の観点から公開は了承できない」との理由で拒否された。
しかし、プライバシーを保護すべき対象の返還希望者自身が公開するのだから問題は無いとして再度公開を希望したが、今度は明確な説明もないまま公開を認めない事を決定したという旨を一方的に連絡している。
本来、当事者が希望するのであればSARVH側に公開を認めないとする理由は何も無い(あってはならない)筈であり、公開を認めないという決定を下すという事は、SARVHの運営に対する公明性に疑問を持たざるを得ない。
運営が健全に行われている事を明示するためにも、各権利団体に対しては情報公開の徹底を要望する。

録音録画機器製造者は著作権保護の立場を明確にし、CCCDでの失敗のようなことを二度と起こさぬように消費者にも配慮しつつ、著作物の複製を可能にする機器を製造している責任を持って機器、媒体を含めた著作権保護技術の確立と補償金制度の充実を図るべきである。
機器をどんなに製造してもその機器で再生する著作物がなくては無用の長物であり、そもそも著作物を再生することを目的とした機器であるのであるから、その著作物に関わる著作権者の権利を機器製造者が保護するということは当然の責任ではないであろうか。
よって、著作物の複製が可能な機器に対しては恒久的に私的録音録画補償金制度の対象とすることを前提に、制度を時代に対応できるように常に考えていくべきである。
また、情報公開は進められるべきであり、管理団体の透明性や、その存在を社会へ周知することはより必要である、と思われる。
今後この制度の内容を消費者、権利者、製造者が等しく理解し、三者の納得のうえで運用されることを期待します。

私的録音録画補償金制度を全廃すべきです。
[理由]
一度対価が支払われた著作物については、私的利用の範囲において自由かつ無償で利用できるとすべきです。著作者が制限を課したいと言うことであれば、DRMなどの仕組みを導入するなど努力すべきです。そもそも、現在の私的録音録画補償金は、補償金の分配が実際の著作者に分配されているとはその仕組み上考えられません。私的録音録画補償金を徴収することにだけ着目するのではなく、本来の著作権者に分配される仕組みも議論しなければ、片手落ちです。
しかし、音源を複製した際、どの著作者のどの音源を複製したかを複製毎に報告することは現実的ではありません。したがって、私的録音録画補償金を徴収しても適切に分配できない私的録音録画補償金制度自体が現実に即していません。また、現在ではDRMなど著作者によって利用制限を課す技術も存在することから、私的録音録画補償金制度を全廃すべきと考えます。
なお、DRMを採用するか否かは、著作者が決定すべきものであり、法律でDRMを採用すべきと規制するものではないと考えます。

審議で記述しているが、本制度はすでに破綻しているのは間違いない。
基本的な考えとして、デジタル録音.録画するものは著作物であるという考えからして間違っている。
なによりも、なぜ著作物を私的利用範囲で複製することに金をかける必要があるのだろうか?
現在、音楽.映像などのデジタル著作物には複製できなくするいわゆるコピープロテクトがかかっている。
私的利用範囲で使用するほとんどの方はそのプロテクトのために著作物を複製できない。
だが、一部の方が複製しており、またそれを不特定多数の方々にばら撒いているのも事実である。
本制度は、そういった方による被害金額を普通に著作物を買って楽しむ人から保障してもらおうというあきらかに不公平なものであるとしか言えない。
なにより、なぜプロテクトがかかっているために複製できないものに関して、複製用の補償金をかけるという矛盾したことをしているのだろうか?
それとも、本制度は国民全員がデジタル複製を行う犯罪者であるというつもりなのであろうか?

このような点を含め、現行制度は著作物に群がるアーティスト以外の人々を潤すためだけの制度であるとしか言えず、また考え方からして、破綻しているといわざるを得ない制度である。
以上から、本制度は廃止すべきと考える。

権利者の利益侵害について緊急性は存在しないため、制度の拡大については慎重な検討が必要である。
「百四条二以下」の制度については、明らかに問題があり、早急に撤廃すべきである。
「百四条二以下」の制度に変わる制度の検討に入る前に、補償金そのものの必要性について検討する必要があり、補償金の根拠となる不利益とは何を指し、何に由来するか、また今日のデジタル技術がどのように著作物の複製・私的領域での複製に関係しているかを明らかにした上で、適正な調査を行う必要がある。
以下に意見の理由を示す。
★権利者の利益侵害について緊急性はない
MD機器の国内出荷台数は、02年が308万台、03年が317万台、04年が296万台(著作権分科会法制問題小委員会:第7回議事録:資料1掲載の電波新聞平成17年4月8日。掲載時は総出荷台数に占める割合の減少傾向を強調)、私的録音対象記録媒体も01年度1930億枚、02年1810億枚、03年1810億枚(著作権分科会法制問題小委員会:第3回議事録:資料2−2:参考資料1掲載sarah(サーラ)2005年4月)と、いずれもほぼ横ばいであり、急激にMD、CDRからHDD内蔵型音楽プレイヤーに移行しているとは言えない。補償金額は減少しているが、これは各メディアの単価の減少に起因するもので、定率を採用した時点で想定されたことである。
したがって、拙速な課金対象の拡大などを行うべきではなく、今必要なのは、現行制度の問題点の洗い出しと検討である。
★104条と30条
私的録音録画制度は、同時に成立したが異なる意味合いを持つ二つの項目から成り立っている。すなわち、「三十条の二の2」と、「第五章 私的録音録画補償金」つまり「百四条の二以下」にある例外的な徴収・分配の制度である。

「三十条の二の2」では、複製者は個々の権利者に対して補償金を支払うとされており、私的目的外の複製との違いは、権利者の許諾が必要かどうかという点にある。権利者の許諾が必要とされないのは、実際上個別に許諾を得るのが困難であること、複製行為の把握が困難であることに依るが、どこの困難は個々の補償金の支払いについても同様である。
補償金の根拠は、複製権の制限に対する補償とされる。はたして、この補償が妥当なものであるかという問題が一つある。すなわち、補償すべきは、純粋に権利制限に対しての補償なのか、はたしてそれは妥当なものなのか。あるいは、補償すべきは経済的不利益であり、だとすればその不利益の額はどのように算定すべきであり、現行ではどのように算定されているのか。
「百四条の二以下」の制度については、小委員会でも多くの問題が指摘されているが、「三十条の二の2」の根拠が不明であることから、混乱が生じていると思われる。
★「百四条の二以下」の制度
いずれにしても、「百四条の二以下」の制度は矛盾を抱えている。反対意見を列挙する。

委員の意見
★補償金の配分に関しては、積極的に情報公開するとともに、配分比率等を固定せず、補償金の管理団体において、適宜見直す必要がある。
★製造業者の協力を得て消費者が負担する補償金の額を表示するなど、補償金の管理団体において、消費者に対して、制度の内容及び実態について一層の周知を速やかに図る必要がある。
★補償金の管理団体において、補償金返還制度を簡素化して、実際に利用可能なものに改めるよう検討する必要がある。
★第104条の8及び著作権法施行令第57条の6において補償金額の2割に相当する額を支出することになっている共通目的事業については、消費者から徴収した補償金ではなく国の予算で行うことを含め、その縮小・廃止について検討する必要がある。

半田正夫「私的録音と補償金請求権」から要約
■録音録画しない者に補償金を支払わせることは私法理論としては馴染まない。また、録音するかどうか分からない段階で支払い義務が生じるのは、法理論的に承認される性質のものが疑念が生じる。
録音録画しない旨の立証はほとんど困難であるうえ、わずかな金銭の返還請求訴訟は費用倒れになることは明らかであり、訴えの提起は不可能ではないかと思われる。著作物の利用者が補償金の負担者であるとして、著作権の私権としての建前を維持しながらも、実際にはその枠を越える措置を認めるものであり、実務処理の便宜上の要請のまえに、なにゆえに機器・記録媒体の購入者すべてが補償金の最終的負担者とならなければならないかの説明を放棄したものと評せざるをえないといえよう。
■複製者が負担者であるにもかかわらず、購入者が負担することになっている。
■メーカーに協力義務が付されているが、メーカーが著作物の録音録画を可能ならしめる機器・記録媒体を購入者に提供した点に協力義務の原点を求めているのだとすると、メーカーのみに限定するのは妥当ではなく、放送事業者も有線放送事業者も、CDレンタル業者も録音を可能にならしめている点では同等である。

■適法録音録画と違法録音録画との区別が容易ではない。たとえば現行法上企業内の録音録画はすべて違法行為であるので、企業が購入した機器・記録媒体からは徴収できない。企業と私的使用の区別をどう付けるのか、企業からの払い下げの場合はどうなるのか。
■CDレンタルは業者が報酬を権利者に払っており、ユーザに転嫁しているのであって、二重払いさせられることになってしまう。
■共通目的事業の支出は、私法としての域を超え、従来の理論に大きな変更を強いるものである。
「ジュリスト」93年6月1日「座談会:私的録音・録画と報酬請求権」から
■費用の負担は受益者負担が原則であり、それを無視してすべての機器・機材に上乗せして徴収するやりかたには問題があるのではないか。もう少し権利者側に受益を確定するための努力があってもいいのではないか。

ほか、一部重複するが以下のような反対意見もある。
●対価支払い済の私的複製の権利制限:一度対価が支払われた著作物については(私的利用の範囲において)自由かつ無償で利用できるとすべきである。
●情報公開:補償金配分の比率の見直しに関連し、各権利者団体は配分の方法等情報公開をより詳細に進めていくべきである。たとえばレンタルなどを基準とした配分に関し、その具体的な数値(表)や計算式を公開しなければ消費者の理解を得られることなどない。
消費者の間では、各権利者団体の配分方法は「不透明」だという印象が一般的である。現状の情報公開では全く足りていないということだ。
●補償の根拠:なぜ著作権者(および著作隣接権者)の権利を保護しなければならないのかきちんと説明すべきである。権利者が正規商品を売ることで得る利益が保護されるべきとの考えには、国民の理解が広く得られているものと考えられる。しかし私的録音録画補償金制度については、これで「補償」される「利益」と権利者の本来の「利益」との因果関係が曖昧なまま議論されていると言わざるを得ない。ここで改めて再検討し、消費者の理解を得られるような明解な根拠を示す必要がある。

●具体的な資料と論理的な説明:補償金制度の周知については、制度の論理的検討も並行して行なわれることが望まれる。いままでどこまで真剣に論理的検討を受けたのかが定かでないが、「不利益」などというマジックワードに頼った観念論に陥ることなく、具体的・論理的・実証的に検討されねば消費者の理解など到底得られない。ここで著作権・著作隣接権で保護されるべき権利者の経済的利益の範囲を明確にせねば、今後も権利制限のバランスを崩すような権利者側の要求が続くと考えられる。その際の検討に資する論理的検討の蓄積が必要であろう。
●経済的不利益:権利者の経済的不利益の具体的検討なくして消費者の理解を得ることはできない。このまま私的録音録画補償金制度が続けば、著作権制度自体への不信感を強めることにもなりかねない。既に対価が支払われている著作物(正規に購入されたもの・レンタルされたもの・配信楽曲など)の私的複製や、一時的な録音・録画(主にハードディスク・フラッシュメモリ等に記録するようなもの)、アーカイブとして保存されている私的複製物との明確な区別が必要である。

●返還制度の簡略化:返還制度の簡略化は絶対に行なうべきである。私的録音録画補償金を一部でも存続させるのであれば、返還制度を実効性あるものに改善しなければならない。制度の周知徹底はもちろん、管理協会側の迅速な対応が可能となるように文化庁が監督していくことが求められよう(返還制度に目立った改善が見られないときは、補償金制度を廃止すべきである)。なお、既に対価を支払い済みの著作物(自ら買い求めたCD・レンタルCD・ネット配信楽曲など)の私的複製に使った指定機器・記録媒体についても補償金返還への道を開くべきである。
もっとも大きい問題は、小委員会で既に中山主査から「これはコピーに対する補償金ですから、コピーをしない人から強制的にお金をとって全然返しませんというのは、他人の財産権を侵害したことになる可能性は多分にあると思います。これは罰金でもなければ、税金でもないわけで、著作権使用料という私的請求権ですね。あと、誰が支払うかという点についてももちろん問題あるのですけれども、違憲になる可能性はあると思います」というところにある。違憲になる可能性がある制度を放置することは、許されるべきではなく、早急に対処すべきである。

また、後に検討する通り私的録音録画が権利者に経済的不利益を与えるとしたらもっとも厳密な「私的」の範囲である自分の所有する音源からの複製ではなく、広義の(あるいはグレーゾーンの)「私的」の範囲でなされる複製であにもかかわらず、「私的録音録画補償金制度」という名を冠し、また私的複製の目的外の複製、著作権を持たない著作物の複製、著作権者の許諾を得ての複製などについても課金され、それが「放送やレンタルレコードのサンプリング調査、CDなどの生産実績調査、また、ユーザーの皆さんからのアンケート調査など専門の統計学者の指導による手法」という、商業用レコードの販売や二次使用のデータに基づき権利者に分配されるという、捻れがあり、それぞれの矛盾を解消しなければ妥当な制度とは言えず、また一般に理解されることもない。
さらに、DRM技術の発達によって、現在市場には複製が完全に不可能な技術、回数や複製の数を制限する技術、複製が不可能であると謳いながら可能である技術、複製を制限しない技術が混在し、さらに新たに技術が生まれている。こうした著作権保護技術を配信ファイルやメディアに対して積極的に導入するか、導入しないか、という判断は、レコード会社やミュージシャンがそれぞれに判断している。個々の著作物の配分の詳細や配分方法の根拠は明示されていないが、放送や貸出の頻度や売り上げを元に、その数が多いほど配分が多くなるというのが基本となると思われる。

ところが、著作権保護技術の導入は、コピーがCDやファイルの購入を阻害するという発想の下にあり、複製が困難なかたちで販売などがなされるものは、私的複製の機会は少なく、売上が増えるという逆転現象がおこると想定される。同時に、複製管理技術の軽重によって消費者の購買・複製の頻度も変化する。
コピープロテクションがかかったCDと、かかっていないCDの違いをどのように考慮すれば適正に著作権者に分配できるのか、まったく複製が不可能であれば、分配対象から除外するなどの措置ができるとはいえ、何回までは複製できるといったかたちのDRMでは、どのように分配すべきなのかという点は、示されていない。既に多くのタイトルについて導入され、多くのCDを売上げたタイトルもあるコピーコントロールCDについて、どのような配分を行ったのかについての資料が提示されることが望ましい。複製不能(再生も困難ですが)な技術を使ったものが、複製可能なものと同等に扱われているとしたら権利者にとって不当な配分であり、これは補償金を支払うユーザにとっても重大な関心であると同時に制度への信頼に関わる問題である。
いずれにしても、包括的な課金・分配という制度を取る限り、不完全な複製制御技術を導入したCD・配信音源等が混在した中で妥当な分配方法を採ることは不可能であると思われる。

以上のことから、少なくとも「百四条二以下」の制度については廃止に向けて検討が必要であり、経過的に維持する場合は、返還請求を行うことが現実的に可能になるような返還制度を設置すること、暫定的にDRM技術の導入を禁止することの二点が不可欠である。
また、並行して、より妥当な代替案を探すことが必要である。
一例として、以下の案を示す。
著作権審議会第10小委員会(私的録音・録画関係)報告書[1996(平成3年)12月 文化庁]で検討されていた源泉払いを再考する。
_____________以下引用
これに対して、著作物等の放送、商業用レコードの貸与又は販売などによって、ユーザーの私的録音・録画の目的となる素材を提供する者(放送局やレコードレンタル業者、レコード会社等)も、放送使用料、レンタル使用料、録音使用料等への報酬の上乗せという方法で協力すべきであるとする「源泉払い」(ペイ・アット・ソース)とも言われる考え方もある。
この考え方は、ユーザーが私的録音・録画を行うためには、機器又は機材の入手だけでは足らず、録音・録画の目的となる素材の入手も必要であり、権利者の報酬取得の実現について協力すべき者を判断する場合には、それら素材の提供者も考慮すべきであるというものである。この「源泉払い」の考え方は、1988年にヨーロッパ共同体(EC)委員会が作成した著作権に関するグリーン・ペーパーにおいても紹介されている。

しかし、これについては、次のような問題点が指摘されており、この考え方は採用すべきでないとする意見が大勢であった。
1)著作権法の基本的な考え方は、著作物等の利用態様に応じて、複製権や放送権などの支分権を行使し、権利者の利益確保を図るということであり、その考え方からは、ユーザーの私的録音・録画に利用される可能性はあるとしても、ユーザーの私的録音・録画とは区別される別途の利用者であり、その利用について別途権利処理を行っている放送局等が協力を行うという源泉払いの考え方は、関係者の理解を得にくいものである。
2)また、これら放送局等の協力による徴収方法は、ひいては、料金転嫁等により録音・録画機器又は機材を有せず、私的録音・録画の可能性のない公衆に対しても広く報酬支払義務が課されることになり、公平性、妥当性の面からも問題が大きい。
特に、視聴者から視聴料を徴収していない民間放送局の場合は、全く対応しがたい。したがって、これらの者にも協力を行わせるのは難しいと考えられる。
3)放送局やレコード会社は、素材の提供を行いつつ、一面では、権利者の性格も併せ持っており、このような両面性を持っている者に協力を行わせるのは難しいと考えられる。
なお、この点に関連して、貸レコード業者については、放送局やレコード会社に比べて、その提供するレコードが私的録音に利用される可能性が高く、現に、貸与権成立の経緯から、これらの業者の支払っている使用料等は、実質的には貸レコードの利用者による私的録音を勘案しながら定められているのではないかとの考え方もあり、貸与と私的録音とは別の利用態様であるとしても、今後の実態を良く踏まえながら、報酬請求権制度との関わりあいを整理すべきであるとする意見があった。

○著作権審議会第10小委員会(私的録音・録画関係)報告書
1996(平成3年)12月 文化庁 http://www.cric.or.jp/houkoku/h3_12/h3_12.html
________________________________________引用ここまで
二次的な複製のうち、厳密な意味での「私的複製」は、零細であり、深刻な不利益を及ぼしているとは言い難い。また、私的使用について過度に権利が及ぶことは、次世代の文化発展にとって必要な、さまざまな経験や試行錯誤を可能にするために好ましくない。
複製技術が一般化し、また各種DRM技術が存在する現在においては、権利者の経済的不利益を放送使用料やレコード会社の使用料、貸与についての使用料に対して加算することは、再考の余地がある。すなわち、複製可能性を勘案して使用料に補償分が加算される。この補償は、複製可能性を残したまま公衆に向けて放送あるいは頒布することに対しての補償である。

放送局、レコード会社と権利者は、現行著作権上、使用についての許諾を確認する機会を持つ。どのようなDRM技術を用いてどの程度制限をつけるか、技術導入のコスト、複製可能性による使用料の差、を勘案し、消費者の動向を見ながら、それに応じた価格をどう設定するかを決めることができる。
ユーザは、制限の程度や価格を設定することは出来ないが、購入するかどうかということで、その価格や制限の程度に対しての判断を示すことができる。それぞれが自然な判断を行えば、そのやりとりのなかで、制限の程度や価格は、妥当なところに落ち着くはずだ。
この意見は第5小委員会でも採り上げられているが、そこでの反対意見は以下の三点。
[1]録音・録画機器の普及に伴い問題が生じてきたことを考えると、著作権者等の経済的不利益を著作物の放送使用料等に補償費を加算することによってカバーするという考え方は、筋違いであること。
[2]この問題に関しては、レコード製作者や放送事業者はむしろ経済的不利益を被っている立場であること。
[3]著作物の放送使用料やレコードの二次使用料は、著作物やレコードを放送により利用することに対する対価であるから、私的な録音・録画に対する補償をその中に含めることは、不合理であることなどである。

[1]については、複製を制限する技術が存在するにもかかわらず二次複製の可能性がある複製物を公衆に放送・頒布することへの負担であり、たとえば複製不可能な技術を用いれば負担金は支払わなくてもよい。
[2]については、経済的不利益を自ら回避する(あるいはしない)ことができる。
[3]についても、上記の通り、複製可能性を放置したまま公衆に放送・頒布することに対して負担金を課すという考え方は不合理ではない。
他方、第10小委員会(私的録音・録画関係)報告書にある批判については
1)については、放送、複製、貸与にかかる使用料が、ユーザの複製と区別されるとしても、権利者が許諾している範囲を超えて使用されないような努力を行うことは当然である。複製可能性を放置したまま公衆に放送・頒布することに対して負担金を課すという考え方は不合理ではない。

2)については、私的複製に対する補償ではないかたちで導入することによって、個別の複製の様態によって区別する必要はなくなると思われる。民間放送局については、視聴料はそもそもスポンサーの広告費がめぐりめぐって商品価格に反映している訳で、直接視聴者に転嫁することができるかどうかは問題にならない。経済的損失を与える可能性がある貸与については、その分を使用料に課すことが可能である。複製が容易かつ高精度だとしても零細なものにとどまる私的録音・録画については権利が制限されるとしても、複製についての権利はこれまで通りであり、複製に対する補償金ではないため、補償金の支払いを以て自由に複製できるというような誤解が生じる余地もなくなる。
3)については、両面性は当初より持ち合わせている性質であり、権利者として得るべき利益は、自らの判断で確保することが出来る。
また、ユーザの負担を肩代わりするのではないため、「協力」する必要はない。
と、DRM技術が存在する現在においては問題点は軽減されている。
返還制度の決定的不備を抱える現行制度と比較して、複製を制限することで権利者を保護し、かつ複製によって生じていた経済的不利益を解消するか、ユーザの利便性を勘案して売り上げが大きくなるようにするか、などの選択が負担者側に可能であるという利点がある。

★補償金とは何か
さて、私的録音録画補償金制度の補償金とは何の「補償金」なのか。この点については、小委員会の議事録を見ても委員間で混乱が見られ、また過去の報告書などを見ても判断に苦しむ点が多い。
JASRAC(ジャスラック)は、http://www.jasrac.or.jp/shiteki-rokuon/05/09_2.html のFAQで
<4.自分で買ったCDからiPod等に曲を入れるだけのユーザーもいるのに、補償金の対象にしようとするのはおかしいのではありませんか?
私的使用目的の複製が自由とされている(著作権法30条1項)のは、立法当時の状況として、個人レベルの複製が零細なものであり、著作権の行使対象とするほどの実態がなかったからです。しかし、その後の技術の発達、特にデジタル技術の普及によって、個人レベルの複製は量の面でも質の面でも立法当時の想定を超えるようになったため、私的録音・録画を法定の範囲内で自由とすることの代償として、補償金制度が導入されました。
つまり、本来であれば、複製物が一つ作られるたびに著作権者は権利を行使して使用料を得られるはずのところ、その権利を制限して使用料を得ることができないようにしていることの代償が補償金なのです。
複製物を作るための使用料が支払われることなく複製が行われるという意味では、iPod等に保存される音楽の音源が自分で買ったCDでも、レンタルしたCDでも、ダウンロード購入したファイルでも変わるところはありません。
http://www.jasrac.or.jp/shiteki-rokuon/05/09_6.html
と書いている。

すなわち、あらゆる複製は、本来権利者の許諾を得て使用料が権利者に得られるはずであるが、それを制限することに対する代償である、と。
ただし、「本来」ということについては、以下の解釈がある。
権利制限規定は、権利者の本来の権利内容を、公益性等特別の観点から特例的に制限するものであり、その解釈の在り方としては「厳格性」(自由利用が許容される条件を厳格に解する)が求められ、また、本来権利が働くべき著作物の利用行為に対しての制限は「限定的」(権利制限は法文に具体的に列記されているものに限定)でなければならないということが、従来の一般的な考え方である。
ここで留意すべきことは、複製権や演奏権など、どのような範囲で権利内容を設定するかは、国民的コンセンサスの下に政策的に判断されるべきものであり、当該権利があるからといって、「本来全ての複製等に権利が及ぶべきものである」ということではなく、制限規定による縮減分をも織り込んだ内容として複製権等が排他的な権利として規定されている、ということである。
著作財産権についてみると、法第21条から第28条までに無制限に各支分権を規定した上で、第30条以下の制限規定により権利内容を縮減するか、あるいは、支分権の権利内容を規定する際に正面から排他的内容を縮減した上で規程するかということは、立法技術的な相違であり、前者の手法を採ることにより、複製権等は全ての複製等に本来及ぶべきであるとの立法思想があるわけではない。(作花文雄・著『詳解著作権法〈第3版〉』ぎょうせい:311ページ21行目から)

したがって、単に複製権の条文をもって補償金の根拠とすることには疑問がある。
また、営利目的の複製であれば一つ一つに権利者は利用料を得られるべきであり、複製物を作ることが一般的に行われない著作物(絵画の複製など)についても一つ一つに使用料を得られるべきである。「複製権」があらゆる複製に対して権利が及ぶとされているのは、今挙げたような複製に対して権利が及ぶようにするからではないだろうか。
この補償が、経済的不利益を必要とせず、もっぱら複製権の制限についての補償であるとするなら、補償金額は通常の複製についての使用料を超えない程度に権利者側が設定できるということになる。
報じられるところによると、9月30日の法制問題小委員会で日本音楽著作権協会と日本芸能実演家団体協議会、日本レコード協会の3団体が提出した資料は、このような前提で算出しているように見受けられる。
しかし、経済的不利益を必要とせず、もっぱら複製権の制限、あるいは享受について埋め合わせが必要であることについての補償であるとするなら、音楽や映画などの私的複製に限ることには根拠が必要となる。また、権利が制限されることに不利益が存在すると言うことであれば、あらゆる権利制限には権利者の不利益が存在し、いわゆるスリーステップテストは実効性を持たず、権利制限を規定しているあらゆる国際条約加盟国は、条約違反となるか、権利制限には常に補償金制度が必要であることとなる。また、これまで不利益とされていなかったタイムシフトなどについても不利益があるということになる。



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