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7. 自由記載

  大渕委員
1については、特許法のみならず、実用新案法、意匠法、商標法についても、基本的に同様である(ただし、1−Dについては、意匠法に関しては、情報提供の制度は法令上定められていない)。

  末吉委員
ADRが「裁判手続」に含まれることを明確にする改正も必要。

  中山委員
1.  著作権を天賦人権のように考え、絶対的なものと考える向きが一部にはあるが、著作権制度といえども、所詮は他の制度と同様、社会の中の一制度であり、他の社会的要請との調和を図る必要がある。著作権に限らず、知的財産権一般に言えることであるが、新しく人工的に構築された権利であり、社会における他の理念、制度等との調和の上に成り立っているという点を忘れてはならない。世界的に反著作権の思潮・運動が台頭しつつある現状を鑑みると、著作権者が著しい損害を被るような場合(ベルヌ条約の言葉を借りれば、正当な利益を不当に害する場合)は別として、社会的必要性に応じて権利を制限されることは、著作権法がこれからも社会的認知を受けてゆくためには必要なことである。社会的必要性は、時代によって変わりうる。例えば、身体障害者に対する社会の見方は、相当大きな変化をしており、著作権法においてもこれらの社会の変化に敏感でなければならない。

 身体的弱者が健常者に近いレベルで享受できるようにすることは、現在社会の最低限の義務であり、かりそめにも著作権法がその妨害となるようなことはすべきではない。一昨年の拡大教科書のように、弱者保護は徐々に改正されつつあるが、様々な機器の発展等に応じた措置を速やかに講ずるべきである。審議会に参加している健常者には理解できないかも知れないが、身体的弱者が健常者に近いレベルで文化を享受できるということは、著作権者が被る微々たる金銭的損害に比して、比べものにならないほど大きいものである。

 現在問題となっている特許関係・医薬関係の複製に関しては、権利が制限されたとしても、権利者の受ける被害は極めて軽微であり、反面、社会の受ける利益は大きい。特許の例で言えば、特許権という極めて強大な独占権を付与するに当たり、その正確性を担保することは社会全体の利益となる。無効理由を内包している特許が世に出ることのマイナスと、著作権者が被る損害(ケースにもよるが、100円程度のものであろう)とを比較すれば結論は明らかであろう。また、医薬関連の例で言えば、製薬会社が医師等に正確な情報を速やかに伝達することは国民の生命身体の安全のために必要なことであり、著作権法がその妨げとなるようなことがあっては本末転倒である。

 特許関係・医薬関係ともに、複製を差し止めることは余りに不合理である。その複製を認めるとしても、有償とするか無償とするか、という議論はあり得る。その判断には種々の要素が絡んでくるが、最大の要素は、仮に課金するとした場合の徴収コスト(交渉コスト)であろう。これは、権利制限規定の問題に止まらず、マイクロペイメントにおける最大の問題である。

 元来著作権は完全無欠な独占権を持っていて、制限規定はその権利を奪うものであるという発想は誤りであり、著作権とは元来が他の社会的要請との調和の中で存在しているものであるという認識を持つべきである。

2.  金銭的にみれば、現在問題となっている特許・医薬関係による権利者の受ける損害は極めて微々たるものであり、仮にそこまで権利が及ぶとしても精神的な満足という意味しかない。権利者のために真に考えなければならないことは、弱者、国民の健康、特許制度の維持等のために若干の複製を禁止することではなく、インターネットを通じた侵害を如何にして防ぐか、といったデジタル時代の大きな問題である。現在、著作権法は大きな脅威にさらされているが、権利制限を拡大しないことにより、結果的に弱者が健常者に近い生活を送ることを妨げているようなことがあるとすれば、国民の反著作権思想に火を付けるだけであり、真の著作権保護のための改正や施策すら危うくする可能性がある。

  山地委員
技術進歩の恩恵が、現行法の存在により享受出来ない場合もあり、最大限に被益すべきクリエーターと消費者不在の文化施策となっている面も見られる。世界一のIT国家を目指している中、文化的にも世界一豊かな国家を目指すため、文化的所産の公正な利用も最大限に尊重した文化国家として、技術の発達を享受できる、長期的視野に立った行政を期待する。

  山本委員
権利制限規定へのアプローチ方法は、別紙「権利制限の法理について」のとおりと考える。



(別紙) 権利制限の法理について




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