第1章 4.2.(12)追加提案

1 直線的な学習進度を、複線型に変える。

 現在の国語教科書は、どの社のものであれ、直線型である。つまり、一例をあげると、物語単元→話し聞く単元→作文単元→説明文単元→物語単元のように、ある期間の学習は、ひとつの単元にとりくむ。それがすむと、次の単元にとりかかる、という具合である。単元であるから、その中に、他の領域に関する学習も含んでいるはずであるが、目下のところ、活動よりは教材性が強い。そこで、読む単元なら、読むことに集中する。話し聞く単元なら話し聞く活動ばかりとなる。その結果、物語の読みについては、次の教材までに、話し聞く・書くといった単元がはいり、せっかく学習した技能も数か月の間、活用の機会がない。毎日毎時間の練習が技能向上に欠かせない話し聞く領域、書く領域、つまり表現領域にあっては、数か月の空白は向上させるどころか、一定の水準にとどまらざるをえない条件となる。特に、書くことは、学校以外では習得の機会がないので、空白は致命的である。
 この弊害を除くには、単元学習であっても、いくつかを併行していく時間割編成を設けるべきである。一週間の国語科の時間のうち、読むことの単元をたとえば半分にし、残りの時間を話し聞くこと、書くこと、言語事項などの単元・教材にあてる。理解と表現の学習が、いつも関連しあいながらも、それぞれの必要項目を集中して学習させる。それが、真の意味での国語科ではないか。明治中期に領域別だったのを国語科ひとつにまとめた歴史的な狙いをもう一度、原点にかえって、国語科を成り立たせている諸領域を有機的に統合していく方策を提案しなくては、学力向上の効果があがりにくい。
 この領域別学習の併行的実施には、教科書の分冊、つまり、領域別教科書の編集が前提となる。読みの力も向上させたい。同時に表現の諸力もつけたい。それらを統合して初めて応用できる力となり生きる力となる。一つひとつの力を育て、それらを協働させ、統一してこそ、国語学力の育成に効力を発揮するのではないか。

2 多様な学力に応じた教材配置の国語教科書を。

 義務教育は、誕生年月を基準に学年が設定されている。いわば肉体年齢が基準である。しかし、どの学年でも学習するのは、能力の向上・育成である。国語科でいえば、言語能力の育成である。ところが、その学習を始める学年から、すでに言語能力の個人差は歴然としている。同じ水準にしても、学ぶ速度はそれぞれに異なる。領域によっても相違がある。経験的には、ある学年にとって、3年から4年の差がある。飛び級が語られるのも、その表れである。これだけの能力差は、公立学校にあっては、どの学級にもみられる現象といってよい。この相違を無視して、ひとつの教材、つまり、一つの教材文(例えば、物語教材一つ)だけで読みの基本を育てようとした場合、どれだけの学習者にとって、適切な教材となるのか。大部分の児童には適していても、数名の児童には程度が高すぎることになろう。また、数名の児童には、レベルが低すぎて力がはいらず、もてる力の向上に寄与しないであろう。説明文教材となると、この差はさらに顕著になろう。表現単元では、さらに困難度が高まる。
 落ちこぼれといった汚名の存在がなくなるように、教科書での学習は、だれでも、自分の能力に応じて、開始することができ、進度も自分のリズムをまもることができる、というようにありたい。単元にふくむ教材数を、最低限の一つ二つではなく、格差に応じた数があるようにしなくては、いつまでたっても成就感はもてず、意欲にむすびつかない。これらの結果、学力調査の成績の、平均を大きく引き下げるように働く。今、決意を固めて、児童全員の水準を向上させる教科書づくりに取り組むべきではないか。

(中西 一弘)

-- 登録:平成21年以前 --