第1章 4.2.11の個別テーマについて

(1)朗読・暗唱教材(詩・古典・その他)を開発し充実させる

 児童にとって暗記・暗唱など体験的な活動を通した基礎・基本的な知識・技能の理解、習得は重要である。現職教員や保護者向けのアンケートの自由意見にも暗唱教材の充実、追加についての意見が出ている。また暗記・暗唱などの活動は、児童の学習成果を目に見えるものとすることで意欲も喚起する。詩や古典などの暗唱などを通して言葉の美しさやリズムを体感させ、基礎・基本の充実を図っていくことが重要である。

1 朗読教材と暗唱教材

 朗読を主目標とする教材を「朗読教材」とよび、朗読を前提とし、それにとどまることなく、さらにそれを暗唱にまで持っていくことを目標とするものを「暗唱教材」とよぶ。
 朗読教材として設定されたものも、教員によって、また児童によって、暗唱を目的として学習されるなら暗唱教材となる。言い換えると、暗唱を目的とする学習も、それは朗読を基礎として成立する。したがって、暗唱教材は、まず、朗読教材でなければならない。しかし、ここで強いて「朗読教材の拡充」とせず、「暗唱教材の拡充」としたのは、朗読の段階にとどまることなく、それを暗唱することで、さらに徹底して言語の音声的側面の感受力を高め、日本語の特質に関する言語感覚を育てることのできるような作品を教材として開発し、設定することが望まれているからである。

2 朗読・暗唱の意義

 改めて言うまでもないが、言語は意味と音声とによって成り立っている。つまり、音声(それを知覚可能な記号とした文字)を媒介として意味を伝達するのである。
 言語教育は、音声(あるいは文字)の意味するものを理解する能力、およびそれを使って思想内容を表現する能力を養うことを目的とするものである。したがって、これまでの国語教育においては、記号としての言語の意味するものを理解する方法や、言語による表現の方法の習得に重点が置かれてきた。それは決してまちがいではないのだが、意味を媒介する記号面の重要性についても見過ごしてはならない。たとえば、これまで読むことの学習として行われたのは、ことばの解釈や文章構造の分析であった。しかし、ことばは、音声面の表徴として、リズムやひびきを伴って人の感性に訴え、言語感覚を触発して一定の印象を与えるものである。朗読や暗唱は、言語の意味の知的分析がややもすると理屈にはしりがちな読みから読者を解放し、言語記号の音声的側面に触れさせるものである。特に今日の情報化社会において、言語教育は実利実用のコミュニケーション能力の育成を第一義とするものだが(それが重要なことは言うまでもないが)、音声化することで初めて知覚される言語の音声的側面の受容も軽く見てはならない。言語は、音声的な印象をもって知覚・受容されるものなのである。

3 朗読・暗唱の言語教育的意味

 朗読・暗唱は言語教育としてどのような意味があるか、次に整理しておこう。

  • 1:言語のひびきやニュアンス、リズムなどの快さを、音声化を通して体験させる。
  • 2:音声面の印象を通して、作品に込められた書き手の思いを直感的に把握させる。
  • 3:言語感覚を育て、日本語の味わいを感得させる。
  • 4:言語の音声的側面の受容力・感受力を高める。

4 暗唱教材の現在

 朗読を主目標とし、教師によって暗唱にまで展開してもよいような教材は、これまでも数多く取り上げられてきた。しかし、必ず暗唱しなければならないということになると、それほど多くの前例はない。特に、これまでの国語科で、暗唱は、朗読・鑑賞の発展として位置づけられており、それ自体を目的とした教材の設定は、特に教科書の上ではほとんどなされてこなかった。これから、教科書教材として、改めて暗唱教材の発掘・設定をはかろうとするならば、まず、朗読学習と暗唱学習との関わりを明確にした上で、どのような作品を、暗唱自体を目的とした教材とするかを考えなければならないだろう。
 これまで、教科書の上ではあまりなかったが、教科書以外のところでは、暗唱を目的とする学習もかなり広く行われてきている。

〈事例1〉
 東京都内のある小学校では、小学校の1年生から6年生まで、全校児童が、父母もいっしょになって、宮沢賢治「雨ニモマケズ」の暗唱をしている。
〈事例2〉
 同じように、低学年では、谷川俊太郎「ののはな」をはじめ、「あいうえおうた」、「さよならさんかく」などのことば遊び歌の暗唱、中・高学年では、金子みすゞ「わたしと小鳥とすずと」「星とたんぽぽ」など、工藤直子『のはらうた』、島田陽子『大阪ことばあそびうた』所収の詩の暗唱、さらに高学年では北原白秋などの日本の名詩の暗唱を、学年ごと、あるいは学級ごとに実施している学校も、全国各地に見られる。
〈事例3〉
 かなり多くの小学校で、漢詩を高学年の児童に暗唱させている。また、落語を、既に小学校の教科書に収載していることもあり、暗唱から語りへと展開させている学校も多い。なお、中学校の国語教科書には、現在でも、日本の名詩や漢詩をはじめ、古典の冒頭部分やすぐれたエッセイの一節などが、暗唱を主目標とした教材として収載されている。
〈事例4〉
 朗読・暗唱のテキストとしては、東京都世田谷区の「教科日本語」の教科書『日本語』がある。また、副読本として刊行されたものには、各学年の『音読詩集』(文溪堂)がある。なお、朗読のための児童書として刊行されたものに、各学年の『子ども朗読教室』(国土社)がある。
 そのほか、全国各地の学校で、学級・学校用の教材として、私家版の「朗読詩集」が、現場教師によって編集されている。

5 朗読・暗唱教材の開発・充実の視点

 上記のような実態をふまえた上で、今後、改めて教科書教材としての暗唱教材の意義と位置とを明確にし、その拡充を図ることがのぞましい。特に教科書教材とするからには、次のような視点から、適切な教材を発掘し、選定する必要があるのではないだろうか。

  • 1:文の構造やレトリックなどの上で、無駄のないすぐれたことばの仕組みを持ったもので、言語による表現として、一つの典型ともなるようなものであること。
  • 2:日本語の表現としての結晶度が高く、伝統的なことばのひびきやリズムを持った作品で、確かな規範性をも有したものであること。
  • 3:音声化によって豊かなイメージを描かせ、読者の言語感覚を触発するようなものであること。
  • 4:暗唱までも視野に入れた朗読教材としては、次のようなジャンルを視野に入れて、その開発を図るようにする。

    近代の詩、短歌、俳句、古文、漢詩
    「語り」の教材として-落語のほか、小話、昔話など

 なお、朗読・暗唱を目的にする場合、児童の発達段階に応じて、意味的にも受容可能なものであることが望ましいことは言うまでもない。
 齋藤孝氏の『声に出して読みたい日本語』が広く教育現場でも読まれて、教室での朗読活動を刺激している。教育現場は、朗読・暗唱を求めているのである。教科書に載せる教材数には限度もあろうが、教師や児童・生徒が現場の実態に応じて自ら教材を発掘する視点を教科書上に示してやるような工夫がほしい。

(田近 洵一)

-- 登録:平成21年以前 --