第4章 人文学の振興の方向性

 前章までに指摘した人文学の課題、人文学の特性やその役割・機能を踏まえ、今後の人文学の振興の方向性として、以下の4つの方向性を指摘したい。行政や大学等にあっては、これらの方向性の上に立って、様々な施策を実施していくことを期待したい。

第1節 「人文学者」の養成

 先に指摘したとおり、我が国の人文学が抱える主な課題として、1.欧米の人文学者の独創的な研究成果を学習するという研究スタイルの克服、2.研究の細分化に伴い幅広い視野を喪失しがちな研究スタイルの克服を挙げることができる。
 そして、これらの課題を克服していくためには、まずは、人類の知的資産を増やすことを目指し、幅広い視野を前提とした上で独創的な研究成果を創出できる「人文学者」を養成していくための取組を進めていくことが必要である。ここで言う「人文学者」とは、新しい視点から通史を書くことのできる歴史学者であったり、「存在とは何か」とか「正義とは何か」といった本質的な問題に対して、新しい視角から根拠付けを行いうる哲学者であると言ってよい。
 このような「人文学者」を養成するためには、次の2点の取り組みが考えられる。ただし、行政が取り組むべきものもあるが、アカデミズムや大学が自ら取り組むべきものもあることに留意が必要である。
 第1は、幅広い視野を醸成するための基礎訓練期間の確保である。
 このためには、まず、短期的な研究成果が性急に要請される研究環境の緩和が必要である。一般に、このような研究環境の下では、短期的な研究成果を創出しやすい研究テーマを選択しがちであり、長期的に取り組むべき大きなテーマの研究が行われにくくなることが危惧される。例えば、「西洋文明」や「中国文明」を基層からしっかりと理解するためには、ギリシア、ローマの古典や漢籍等を自由に読み込める能力の育成が必要であるが、このような能力の育成は短期間では困難である。この結果、西洋古典学や中国思想といった他の学問の基礎となる視点を提供するような学問を志す者が減少するのは、ある意味で自然のことである。
 次に、専門を決定する時期をある程度遅らせてでも、若い時代に幅広く多様な学問を学ぶ機会を確保することが必要である。多様な学問を幅広く学ぶ機会を有することにより、幅広い知的基盤に立って研究テーマを設定することができる。異分野との「対話」の結果形成された幅広い知的基盤に立つことにより、当該研究テーマが有する重要性や解決可能性についての判断力がしっかりと培われた上で、研究に取組むことができる。確かに、専門化の時期が早ければ、大学院生の段階で国際水準のジャーナルに掲載されるような論文を執筆できる場合もありうる。しかし、その後の研究の展開がはかばかしくないというケースも、時に見受けられるのである。
 最後に、「原典」を重視した教育の重要性である。研究の原点としての「原典」が重要な役割を果たしている分野の場合には、何がその分野において本質的な問題であるのかを判断する能力を育成するためには、「原典」を重視した教育が行われることが必要である。
 第2は、独創的な研究成果を創出した「人文学者」を評価するための「評価」の観点の確立である。
 「評価」については、別途、「節」を設けるが、結局のところ、「人文学者」の養成のためには、研究成果における独創性が適切に評価される環境の整備が必要であることは、当然のことである。むしろ問題なのは、「評価」の観点が「人文学者」の養成にとって意味のある実質を備えているかということ、及び「評価」を実施するためのシステムが適切に構築されているのかということにある。
 前者については、短期的な研究成果を性急に求めるべきではないということとともに、これまでに存在しない知を創造したり、新しい認識の枠組みを提示するという人類の知的資産を増やす方向での研究成果に対する「評価」が行われることが重要である。また、そのような「評価」に見合ったキャリアパスを整備することも必要である。
 後者については、まずは、幅広い視野に立った上で独創的な研究成果を創出し、人類の知的資産を増やすことに多大の実績を有する「知の巨人」と言いうるような「人文学者」の見識への信頼を前提とした「評価」を実現できるシステムの構築という視点を持つことが重要である。これは、かつて学術審議会の建議において指摘された学術の発展に果たす「名伯楽」の存在の重要性という考え方と同様の考え方である。
 そして、このような考え方を踏まえた上で、自然科学のような「査読論文」というシステムを導入するべきなのか、また「大学の紀要」という学内の評価システムを改善するべきなのか、それとも「書籍の刊行」といった学術成果の市場への流通を評価システムと考えるのか、アカデミズムや大学を中心に検討することが必要である。

第2節 共同研究の推進

 先に見たとおり、人文学の研究方法の特性として、研究プロセスが他者との「対話」を通じた「普遍性」の獲得への道程であることを指摘した。ここでは、人文学における他者との「対話」を通じた「普遍性」の獲得への道程を、「共同研究」という研究体制の問題に変換し、「共同研究」の推進という施策の方向性を提起したい。

(1)国公私立大学等を通じた共同研究体制の推進

 「審議経過報告(その1)」(平成19年8月22日)においての指摘したとおり、人文学及び社会科学の分野では、研究者は国立大学のみならず、私立大学等に数多く在籍しており、また少数の研究者が多数の大学に散在していること、さらに、研究に必要な学術資料等も国公私立大学に広く散在していることが特徴である。我が国の人文学等が置かれたこのような条件は、「対話」による「普遍性」の獲得という人文学の本来的な特性とは必ずしも相容れない条件と言ってよい。
 自然科学分野では、大型プロジェクトの総合的推進、先端研究施設の共同利用促進等の観点から、多数の共同研究拠点が整備されているが、人文学等が置かれた物理的条件と今日的状況等を踏まえれば、国立大学、公立大学、私立大学等を通じた共同研究の促進及び研究者ネットワークの構築、並びに学術資料等の共同利用促進等など、研究体制や研究基盤整備を抜本的に強化することが必要である。さらに、このような取組は、若手人材の養成、国際共同研究の観点からも有益である。
 以上の趣旨を踏まえ、平成20年度から、人文学及び社会科学分野における共同研究拠点の整備を私立大学等にも拡大することを目的とした「人文学及び社会科学における共同研究拠点の整備の推進事業」(文部科学省事業)が開始されたところである。
 今後とも、共同利用・共同研究の組織整備を強化する中で、研究者ネットワークの構築、学術資料等の共同利用促進等による私立大学等も含めた共同研究を一層促進し、人文学及び社会科学の新たな研究体制の構築を目指すことが重要である。
 なお、国公私立大学等を通じた共同研究拠点の整備に当たっては、研究者のネットワークを構築する観点からの取組と、学術資料等を中核とする研究拠点を確立する観点からの取組の両側面への配慮を行うことが必要である。その際、調査データや資料等の集積がある大学や、規模は小さくとも特色ある研究が実施されている大学等をハブ機関とするなど、多様な視点から研究の拠点を育成していくという視点が重要である。

(2)国際共同研究の推進

1.基本的な考え方

 我が国の人文学の学術水準の向上を図り、国際的な通用性をもった研究成果を創出するためには、国際共同研究を推進することが重要である。これは、「他者」との「対話」を通じた「普遍性」の獲得という人文学の本質からの要請である。
 また、国際共同研究を通じた日本の「人文学者」の国際的な場での活躍は、これを単に研究者間の「対話」からだけでとらえるべきではなく、知的に高い水準における日本の文化と諸外国との文化との「対話」という文化史的な意義を本来有していると言うべきである。
 以上を踏まえ、人文学の国際共同研究を推進するに当たっては、学術水準の向上という観点に加え、国際文化交流という観点を視野に入れて考えることが適切である。

2.国際文化交流の基盤としての「日本研究」の推進

 学術水準の向上という観点と国際文化交流という観点から、人文学における国際共同研究の場を考えると、最も適切な研究領域の一つとして「日本研究」を設定することができる。
 まず、学術水準の向上という観点から「日本研究」を考えると、先に、人文学の役割・機能において指摘したように、「グローバリゼーション」の潮流の中で、地域や社会集団の「個性」やそれら諸「個性」の共存状態としての「文化の多様性」の確保、即ち根拠付けに対する人文学の果たす役割への期待は大きい。このような役割・機能を、日本の人文学者が果たすための研究領域としては、まずは「日本研究」、しかも国際共同研究を通じた「日本研究」を推進することが自然であると考えられる。
 次に、国際文化交流の観点から「日本研究」を考えると、「日本研究」を通じた「人文学者」の交流が、日本と諸外国との国際文化交流そのものであることは言うまでもないが、さらに重要なことは、「日本研究」を通じた国際共同研究の他の研究領域にはない意義なのである。即ち、「日本研究」を諸外国から見た場合、「日本研究」とはまさに「日本理解」であり、「日本研究者」とはまさに「日本理解者」であるということである。そして、「日本研究」を通じた国際共同研究の推進とは、要は「日本理解者」の獲得を意味しているのである。このような「日本」をトータルに、しかも一定の専門性を持って理解する「日本理解者」を自国の外に獲得することは、国際社会の中で我が国が諸外国と関係を構築していく上で極めて有意義であることは言うまでもないことである。
 ここでは、以上のような「日本研究」の意義を踏まえ、具体的な振興方策を二点を指摘したい。
 まずは、諸外国の「日本研究者」が「日本」において研究を行いうるための拠点の充実である。残念ながら、近年、諸外国において研究分野としての「日本研究」の地盤沈下が著しい。例えば、「日本研究所」が「東アジア研究所」に改組され、「日本研究」が「アジア研究」の一部という位置付けになっているような例もある。このような現状を踏まえ、諸外国の「日本研究者」を育成し、彼らに「日本研究」の機会を確保する観点から、「日本」において研究を進めることのできる拠点の一層の充実を図り、国際共同研究を通じた「日本研究」を推進することが必要なのである。
 次に、「日本研究」の一環として、海外の美術館、博物館等で手付かずのまま保管されている日本由来の美術品、古書等の文化資源に対する研究を行うことも考えられる。例えば、大英博物館やボストン美術館等には有数の和古書が保管されている。これらの文化資源を研究対象として、内外の研究者が共同研究を行うなどの取組みを進めることは、日本的な人文学知への関心を喚起するという意味や「日本研究」の推進という研究としての意味に加え、文化発信や諸外国の日本研究者の育成にもつながり、様々な側面から見て、総合的に有意義な取組みと言うことができる。

(3)異質な分野の「対話」型共同研究の推進

 先に指摘した人文学の課題のうち、「研究の細分化に伴う課題の克服」のためには、「他者」との「対話」という観点から、異質な分野の研究者との共同研究を推進することが必要である。
 このような、異質な分野との「対話」という観点に立った共同研究を推進するに当たって、踏まえておくべき観点として、ここでは二点指摘しておきたい。
 第1は、「対話」の相手は「異質」でなければならないということである。例えば、歴史学者が、新しい視点から通史を書くといった場合に、新しい視点を獲得するには歴史学に深く沈潜することに加え、環境科学や生態学といった異質な分野との「対話」が有益と考えられる。また、哲学者が、「存在とは何か」といった問題に対して新しい視角から根拠付けを行うといった場合には、量子力学や宇宙論といった異質な分野との「対話」が不可欠と考えられる。
 第2は、原理・原則や方法論といった学問の存立基盤に関わるレベルでの「対話」の必要性である。社会科学の例になるが、経済学における限界革命や、政治学や社会学における行動科学的アプローチの確立などは、それぞれ経済学と数理科学、政治学、社会学と心理学との「対話」の結果と言いうるであろうし、また、かつての「構造主義」に影響を受けた人文系諸学の登場には、それら人文系諸学と言語学や文化人類学との「対話」が先立って存在していたと言うこともできる。
 このように、異質な分野との「対話」という意味での共同研究には、原理・原則や方法論といった学問の存立基盤に関わるレベルでの相互作用を通じて、学問の根源的な変革や飛躍的な進化を促す契機が内包されていると考えることができるのである。
 以上を踏まえ、異質な分野との「対話」という観点から共同研究を推進することにより、そこに内包された学問の転換への契機を刺激する可能性があると考えられる。もちろん学問の転換を学問外の人為的な力で起こすことは容易ではないが、学問の転換を視野に入れた共同研究を推進することにより、人類の知的資産を増やす方向での研究成果の創出への期待は高まるものと考えられる。

第3節 研究成果の発信

(1)基本的な考え方

 人文学が「他者」との「対話」を特性とする学問であるという観点から、研究成果の発信について、2つの視点を提起したい。
 まず、社会との「対話」という観点から、研究成果を受容する「読者」を社会において獲得するという視点である。また、このような視点の延長として、大学等における教養教育の充実が、未来の「読者」の涵養に資するという視点が生まれる。
 次に、海外に向けた研究成果の発信という視点である。学術的にも、歴史や文化の面でも異質な文脈の下で(反論も含めた)理解と関心を獲得することの意味は大きい。
 このように、「他者」との「対話」の機会を拡げていくという視点に立った取組みがなされれば、研究成果の発信の量が増えるということにとどまらず、人文学の質を高めるという意味での振興につながると考えられる。

(2)研究成果を受容する「読者」の獲得

 まず、研究成果としての著作物や翻訳作品等を受容する「読者」を社会において獲得するための取組みについてである。
 ここで、「読者」とは、思想や歴史、文学作品といった諸「古典」の「読者」や、人間や社会を取り巻く諸問題を題材にした新書などの「読者」といった、いわゆる社会における「教養層」とでも言いうる一群の人々が想定される。
 これらの「読者」を獲得するためには、「教養」の社会的拡がりの確保が必要であり、また、「教養」の社会的拡がりは、学術論文とは別に著作物や翻訳作品等の刊行を通じた「人文学者」自身の社会との「対話」の努力と、メディア関係者の理解と協力を得ることにより実現されていくものと考えられる。
 また、大学等において、「他者」との「対話」という観点から国際的な通用性を持ちうるような「教養教育」が確立され、そのような「教養教育」を担う教員の講義や演習における学識と熱意が学生の人格や知的履歴の形成に与える影響によって、将来の「教養層」の厚みが決まると考えることもできる。もちろん「教養」の形成は、個人に属する事項であり、本来は個人のモチベーションとアクティビティーによって担われるべきものではある。しかし、それが単なる知識の習得ではなく、人格や知的履歴の形成につながるものであるとすれば、教員と学生との「対話」としての「教養教育」が果たす役割は、決して小さなものではない。

(3)海外に向けた研究成果の発信

 次に、海外における研究成果の発信のための取組みについてである。人文学が「他者」との「対話」を特性とする学問であるならば、異なる歴史や文化の文脈において、また、異なる学問分野の文脈において、研究成果が(反論も含め)受容されることが、学問として意味を持つことは言うまでもない。
 海外発信の取組みも、一義的には、「人文学者」自身の努力によるところが大きいのであるが、日本語で執筆された著作物の中で、現在又は将来における「古典」となりうるような質の高いものを体系的に翻訳して、出版するといった取組みや、そのための体制整備や人材育成等について、今後の検討が必要である。
 なお、人文学の研究成果の海外発信については、国際文化交流という観点から、即ち、文化のレベルでの「対話」という観点から考えることも重要である。

第4節 研究評価の確立

(1)基本的な考え方

 「研究評価」とは、学術水準の向上等を通じて学問の発展を促すことを目的として、研究プロセスの適切性、研究成果の独創性等の観点から、主として専門家相互間で行われる研究の検証システムである。
 従来、定量的な指標になじみにくいなどの理由から、人文学の「研究評価」は困難であるという見方が多かったように思えるが、ここでは、人文学の学術水準の向上を目指す観点から、人文学についても、その特性を踏まえた上で「研究評価」をシステムとして確立させることが必要であることを提起したい。そして、さらに、このような問題意識を踏まえ、人文学の特性を踏まえた適切な「研究評価」を考えるに当たって、いくつかの留意すべき事項を指摘しておきたい。

(2)「知の巨人」による「評価」

 まず、幅広い視野に立った上で独創的な研究成果を創出し、人類の知的資産を増やすことに多大の実績を有する「知の巨人」と言いうるような「人文学者」の見識への信頼を前提とした評価システムの構築という視点を持つことが重要である。

(3)定性的評価

 次に、評価指標の設定については、定量的な評価指標を設定できるものは可能な限り設定しつつも、定性的な評価指標が評価の実質を担うべきであることを確認することが必要である。このような基本的な考え方を踏まえた上で、初めて「新規性」、「独創性」、「国際的通用性」、「検証可能性」等々の具体的な評価指標を設定していくことができるのである。

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