第3章 人文学の役割・機能

 人文学は「理論的統合」、「社会的貢献」及び「『教養』の形成」という三つの役割・機能に立脚した学問である。これらの役割・機能のうち、どれか一つが欠けても人文学は成立しない。

第1節 理論的統合

 人文学は、「精神的価値」、「歴史的時間」、「言語表現」及び「メタ知識」を研究対象とする立場から、諸学の基礎として、個別諸学の基礎付けを行うという役割・機能を有している。また、「『対話』を通じた『認識枠組み』の共有」という「共通性」としての「普遍性」の獲得への道程という研究方法上の特性は、個別諸学間の「対話」を通じた「普遍性」の獲得の可能性を導くという意味で、方法上、個別諸学の基礎付けとなりうると考えられる。
 具体的には、1.知識についての「メタ知識」の学という役割・機能、2.個別諸学がそれぞれ前提としている諸「価値」の評価、及び3.個別諸学の背後にある「人間」という存在そのものへの考察という役割・機能があると考えられるが、ここでは、専門分化してしまった個別諸学を俯瞰するという観点から、これらの役割・機能を合わせて「理論的統合」と名付けることとしたい。

(1)「メタ知識」の学

 人文学には、「精神的価値」、「歴史的時間」、「言語表現」といった個別領域の知識に加え、自然科学や社会科学が研究対象とする諸知識、また技術的な知識も含め、知識に関する知識、即ち、論理や方法自体の研究、あるいは個別諸学が前提としている基礎的な概念の研究といった、いわゆる「メタ知識」を取り扱うという機能がある。
 例えば、哲学は、本来あらゆる学問の基礎を考究する学問と言ってよい。「ナレッジ(知識)」が単なる「オピニオン(憶見)」ではなく、「サイエンス(真知)」でありうるための根拠を探求する学問であり、いわば諸学が「サイエンス(真知)」として成立する条件を探求する、学問の根本に関わる学問であると言うことができる。
 そして、更に重要なことは、このような考え方を突き詰めたとき、あらゆる個別諸学の根底には哲学の営みが存在しているということである。即ち、個別諸学の根拠を考究していけば、どの分野であれ必ず哲学の問題にぶつかるのである。例えば、物理学であれば「物質」、「運動」、あるいは「1」という概念、医学であれば、「病」、「異常」という概念について考究すること、また、歴史学であれば、「現存していないもの、即ち不在のものについて科学的に探求する根拠は何か」といった問題について考究することは、まさに哲学と言いうるものである。
 このような観点から、人文学は、個別の研究領域や研究主題を超えて、社会科学、自然科学及び技術に至るまで、個別諸学を基礎付け、もしくは連携させるための重要な位置を占めていると考えることができる。
 なお、個別領域の知識が人間、社会又は文化等に対してどのような意味を持っているのかといった知識社会学的な問題関心もここに含めてもよいかもしれない。

(2)諸「価値」の評価

 人文学には、個別諸学がそれぞれ前提としている諸「価値」自体の評価を行う役割・機能がある。即ち、個別諸学は、ある「価値」を前提にして、その「価値」に基づいて当該個別諸学の適用可能範囲の中で「真偽」、「優劣」等を判断していくが、人文学、特に哲学の立場は、その「価値」自体が本当に正しいのかどうかの論議を行い、判断をしていくのである。
 例えば、哲学は、我々が、普段これは当たり前のことだ、自明のことだと考えている「ものの考え方」とか、「価値」というものを揺るがしていく、あるいは疑ってかかるという性格の学問であり、常に「ものの考え方」のルール、土俵を絶えず更新していくような性格の学問なのである。
 このような役割・機能を人文学が果たすため、「人文学者」は、様々な社会、様々な時代の考え方や価値観を学び、自己の価値観、自己が帰属する社会の価値観を相対化している。また、異文化の社会や過去の文明に、現代とは異なる価値観を発見し、学び、自己にフィードバックして自己の価値観、自己が帰属する社会の価値観を練り直しているのである。

(3)「人間」の研究

 人文学には、個別諸学の諸知識の背後にある「人間」を高次の視点から俯瞰的に研究する「人間」研究を担う役割・機能がある。これは、主として文学研究や芸術研究などにおいて典型的に見られる。
 例えば、「文学研究」とは、「研究者個人の精緻な読解力」、「イマジネーション」そして「人間そのものへの洞察力」を通じて重層的かつ派生的な複合体として存在するテクストから、新たな読みの可能性を引き出すことであり、当該テクストの内に、隠された文脈と世界のモデルとを発見し、それを限りなく更新していく知的な営みであって、これを一言で言えば、「人間の多様性の解明」と言いうるものである。
 このような「人文学」における「人間」研究は、「人間」の一側面の研究を行う個別諸学における「人間」研究とは異なり、俯瞰的な視点に立ってはじめて成立するものである。

第2節 社会的貢献

 人文学の第二の役割・機能は、「社会的貢献」である。もちろん、あらゆる学問が「社会的貢献」という役割・機能を担っているのであるが、「他者」との「対話」という人文学の特性から、1.グローバリゼーションの時代における「人間」や「文化」の文明史的な位置付けといった「多様性」と「普遍性」との架橋といった観点、2.個別諸学の成果を一般市民に対して伝達するという個別諸学の専門性と市民的教養との架橋という観点からの社会的貢献が期待される。

(1)「人間」や「文化」等の文明史的な位置付け

 人文学は、人間観、社会観、宇宙観といった「文明」を根底において構成している諸「価値」を基礎付ける役割・機能を有している。このため、人文学は、現代文明における諸状況の変化に対応した「人間」や「文化」その他の諸「価値」の変革、あるいは場合によっては、文明を先導するような形での諸「価値」の創造を担うことが期待されている。
 特に、現在、情報技術やバイオテクノロジーといった科学技術の飛躍的な発展や、産業の発展に伴う生活スタイルの変化に伴う大量消費社会へと文明社会が展開していく中で、改めて現代文明を基礎付けている「人間」という価値そのものが問い直されている。
 また、「画一性」の論理を軸とする「グローバリゼーション」の潮流が、政治、経済、文化といった文明社会のあらゆる領域を覆いつつある中で、地域や社会集団等における「個性」及びそれら諸「個性」の共存状態としての「文化の多様性」の確保が大きな課題となっている。このような文明史的な課題に対して、「精神的価値」、「歴史的時間」及び「言語表現」というまさに文明の構成要素を研究対象とし、「他者」との「対話」を通じて「共通性」としての「普遍性」を獲得することを目指す人文学の果たす役割はきわめて大きい。
 このような観点から、人文学は、異文化コミュニケーションの可能性の探索や、多文化が共存可能な社会システムの構築に向けた考究といった社会的な役割・機能を担うことが大いに期待されている。

(2)専門家と市民とのコミュニケーション支援

 人文学は、専門家である大学等の研究者が創出した知識・技術を、様々な活動を行う一般市民が理解し活用できるよう、両者を架橋する役割・機能を担うことができると考えられる。意見が異なる人々が、一つの事柄について論理的に議論ができる、そのような場を設定してそれを促進していくという社会的な役割・機能を担っていると言える。
 大学では、専門家共同体内での知識のための知識の競争という学術研究活動と、技術的な知識については、いわゆる産学連携というような形での研究成果の社会還元が行われているが、他方、市民は、一般にそれらの活動とは関係を持たないのが現状と言ってよい。
 このような状況を前にして、人文学、特に哲学は、両者を架橋し、例えば、科学技術の社会への適用の場面において発生する市民と専門家とのコンフリクトの調整や、コンセンサスの形成といったコミュニケーションの問題に対して、一定の役割・機能を果たすことができると考えられる。哲学は、諸学を基礎付けるという性格と同時に、「教養」という意味での一種のアマチュア性という性格を有している。このような二義的な性格を有している哲学は、専門家と市民との間のコミュニケーション支援を行いうる可能性を有しているのである。

(3)政策等の形成支援

 人文学の社会的貢献として、第三に、政策の形成や制度等の設計に当たって、行政や医療、教育といった公益的な活動を支援することが考えられる。
 例えば、言語表現が、人々のコミュニティー形成にどのような役割を果たしているのか、再生医療や終末期医療等のいわゆる生命倫理の問題に関し価値や倫理の問題からどのような考え方を提示できるのかといった試みを通じて、人文学の知見が、政策の形成や、社会における価値観の形成に一定の役割・機能を果たすことができると考えられる。

第3節 「教養」の形成

 人文学の第三の役割・機能として、「教養」の形成を挙げることができる。
 なお、ここでは、人文学が「教養」の形成に果たす役割に限定して論を展開しているので、いわゆる学問の基礎的知識としての教養について触れていないが、一般に「教養」と言う場合には、人文学的な教養のみならず、社会科学的な教養や自然科学的な教養もあり得るものと考えている。

(1)文化や社会の「共通規範」としての「教養」

 「教養」とは、世代間の「対話」及び共時的な「対話」という観点から、異なる価値観を有する人々をつなぐある種の「対話」のための基盤、即ち文化や社会の「共通規範」と言うことができる。そして、このような社会的な機能を有している「教養」の充実のためには、教養知と最先端研究の結合という観点から、「共通規範」となり得る「古典」の研究への集中的な知の投資が求められる。「古典」こそが「共通規範」の典型であり、人文学を通じた「古典」に対する理解の共有が「対話」を通じた文化集団の形成を促すことにつながるのである。
 言うまでもなく、歴史的にも、「世界」や「人間」について考察するための教養や理念といったものは、「古典」を読み、これを理解することを通じて修得できるという考え方が、例えば西洋や中国において受け継がれてきたと考えられる。現代においても、高等教育や生涯学習の場面において、古今東西の「古典」を読むことが推奨されることが多いが、このことは、歴史的な経緯に鑑みれば、容易に理解できる。

(2)「教養」の文化的多様性

 文化や社会の「共通規範」としての「教養」の具体的な現れ方は、それぞれの地域、時代に固有であって、歴史的には多様な「教養」が存在してきた。これは「共通規範」としての「古典」が、当該「古典」を生んだ文化集団の「固有性」を背景としているからである。しかし、「古典」が特定の地域、特定の時代における文化集団の構成員にとって「共通」の「規範」となりえたことからも理解できるように、「共通性」という意味での「普遍性」を獲得した「古典」は、更にそれぞれの「古典」間で、「共通性」を獲得できる可能性を十分に有していると推測できる。むしろ、実際の歴史のプロセスの中で、そのような「教養」における文化的多様性が生き残ってきたことを十分に考慮し、多様性を多様性として尊重すべき立場を採ることこそが要請される。
 例えば、西洋におけるリベラル・アーツが、西洋の学問研究、学問教育の基礎をなしてきたことは言うまでもない。また、中国では四書五経の読解が世界や人間を考えるための教養や理念を提供したものと言うことができる。さらに、これらリベラル・アーツや四書五経は、それぞれの文化圏において、物事を考える上での思考のパターンや学術上の概念の使用方法といった方法的な基礎を与えるものでもあり、これらが、法律学や医学といった専門の学問を学ぶ上での前提にもなっていた。
 おそらく、我々は、歴史的に形成されたきた諸「教養」を十分に継承しつつ、諸「教養」間の「対話」により「共通規範」を練り上げたり、「価値」についての判断力を磨いていく永遠の努力を行うこととなる。

(3)諸「価値」についての判断力としての「教養」

 「共通規範」としての「教養」が「文化や社会のレベル」における「教養」とすれば、「普遍性」のレベルにおける「教養」とは、文化や社会のレベルにおける諸「教養」の間の「対話」を通じたより普遍的な「共通規範」の練り上げを含めた、様々な諸「価値」についての判断力と考えることができる。
 例えば、「哲学」を考えた場合、幅広い視野と深い考察とを通じて様々な諸「価値」の間の評価、判断を行っていくことが「教養」としての「哲学」の役割・機能と言うことができる。具体的には、様々な諸「価値」について、「なくてはならないもの」、「あってもよいが、なくてもよいもの」、「端的になくてもよいもの」、「あってはならないもの」といった高次の基準を設定して判断をなすことなどが考えられる。
 また、「歴史学」を考えた場合、中国史とか西洋史といった枠組みを超えて「世界史」という立場を設定するなど、文化や社会のレベルにおける枠組みをより高次の枠組みの中で位置づけるという思考などが考えられる。

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