第1章 人文学の課題

 人文学の特性や役割・機能を明らかにする前提として、日本の人文学が抱えていると思われる諸課題を大きく2つ指摘しておきたい。第1は「輸入学問」という性格に伴う課題、第2は「研究の細分化」に伴う課題である。
 これらの課題の背景には、近代化の過程で、日本が欧米の「学問」を受容した、いわゆる「輸入」したという歴史的経緯がある。また、その際、特に重要なことは、日本が欧米の「学問」を受容した時期が、欧米において学問が概ね専門分化を遂げた直後の19世紀後半であった、という歴史的事実である。即ち、日本が受容した欧米の「学問」とは、総合の学としての「科学」ではなく、既に専門分化を遂げた後の「個別科学」であったのである。そして、おそらく、このような歴史的な経緯が、その後の日本の「学問」の在り様を規定していると考えられる。このことは、「サイエンス」の訳語として、専門分化を前提とした「科の学」としての「科学」という日本語が当てられたということにも現れていると言ってよい。
 以下で述べるように、「個別科学」を受容したことが、「輸入学問」という性格と相まって、日本の人文学や社会科学において、人間や社会を俯瞰した総合的な視点を確立することを結果的に阻害する要因として作用した可能性を考えることができる。この問題は、一種の歴史の宿命であり、いかんともしがたいものではあるが、日本の「学問」の在り方を考えるに当たり、踏まえておくことが必要な視点と考えられる。

第1節 「輸入学問」という性格に伴う課題

(1)欧米の研究者の研究成果を学習するタイプの研究からの脱却

 近代化の過程で、日本が欧米の「学問」を受容したという歴史的経緯は、人文学を含む日本の「学問」の在り様を規定し、その影響は今に至るまで継続していると考えられる。その影響の結果として、欧米の研究者の研究成果を学習したり紹介したりするタイプの研究が、日本において有力な研究スタイルとなってしまっており、このことは日本の人文学が克服すべき大きな課題となっていると考えられる。
 例えば、日本の哲学研究は、百数十年間、「西洋思想史」の研究に必死に取り組んできた。西洋の偉大な哲学のテキストについて、まず言語を学ぶことから始め、クリティークを精緻に行い、草稿、マニュスクリプトまで丁寧に読み込むことを通じて、「西洋思想史」を正確に理解するという営みを続けてきた。もちろん、このことは学問の受容という観点から重要なプロセスであり、その後の日本の哲学の展開のために重要な知の営みであったと評価することができる。ただし、問題は、それはいわば「哲学学」ではあっても「哲学」ではないというところにある。

(2)社会的な言説との乖離からの脱却

 「輸入学問」という歴史的経緯のためか、日本の歴史や文化、そして社会から乖離したところで人文学の営みが成立してきたように思える。
 例えば、本来、「哲学」とは、社会的な言説が生成するその場所に関わって営まれる知の活動である。欧米の哲学者であれば、「自由」、「法」、「権利」といった概念が形成される社会の現場において発言し続けてきたと言ってよい。また、現在でも、社会のオピニオン形成の場であるジャーナリズムや、初等中等教育に対しても深く関わっていると言ってよい。
 このような観点から見ると、日本の哲学研究は、ある哲学者の思想の文献学的研究に始まり、思想史の文脈の中での位置付けを行い、そして、研究対象とした哲学者の著作の解釈を更新していくことにほとんど全てのエネルギーを注ぎ込んでいるという状態にある。また哲学教育にしても、思想史研究としての哲学研究の専門家を養成することに専ら関心があり、社会の中で活かしうる哲学的思考を育むという関心はあまりないように思われる。
 ここでも哲学を例に挙げたが、「受容」という段階を乗り越えて、研究者が置かれた社会や人々の在り様から人文学を構築することが求められる段階に至っている。

(3)日本的な人文学知への関心の低下

 近代化の過程で欧米の「学問」を受容して以降、日本的な人文学知に対する関心が、アカデミズムにおいても、また一般社会においても、低下してしまっている。ある意味で、歴史の中で日本人が選び取ったということになるのかもしれないが、その結果、明治以前の日本の「学問」としてのいわゆる「和学」を継承しうる学問領域が狭まってしまった。おそらく今では、いわゆる「国文・国史」という学問分野においてのみ生き残っているという状態になっている。
 後にも触れることになるが、このことは、日本の「人文学者」が、暗黙のうちに前提としている知恵、発想、工夫といった日本における知の伝統や文脈に対して、あまり自覚的ではなかったということを意味しているのかもしれない。

第2節 「研究の細分化」に伴う課題

 先に述べたとおり、日本が受容した欧米の「学問」は、総合の学問としての「科学」ではなく、既に専門分化を遂げた後の「個別科学」であり、そのことが人文学を含む日本の学問の在り様を規定し、その影響は今に至るまで継続しているのではないか、という指摘がある。
 そもそも、人文学に対する人々や社会の期待は、個別的な実証研究の積み上げだけではなく、「『人間』とは何か」、「『歴史』とは何か」、「『世界』とは何か」、「『真理』とは何か」といった文明史的な課題に対する「認識枠組み」の創造にある。ここで「認識枠組み」とは、文化集団や社会集団において共有されうるような基本的な「価値」を含んだ諸概念の体系であり、これは、歴史や社会における「対話」(又は「対話」の結果としての「選択」)を経て、共通の了解を促すという意味で、一定の「普遍性」を獲得する潜在的な可能性を有するものと言ってよい。

 しかし、一方、日本において、人文学がこれら「認識枠組み」の創造という役割・機能を果たしていくには、あまりにも研究分野、研究課題の細分化と固定化とが進んでしまいすぎているのではないか、という指摘もある。もちろん、「新しい世界像」といった「認識枠組み」の創造の前提には、個別的な実証研究の積み上げが存在しており、これを着実に推進していくことも重要ではある。しかし、このような人文学に対する期待に応えるという観点から、研究の細分化が克服され、「歴史」や「文明」を俯瞰することのできる大きな研究への取組がなされることが、大いに期待されている。

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