第2章 学術振興上の課題とその解決のための取組

 振興会は、学術を取り巻く環境の変化を踏まえ、我が国のみならず世界的視野で学術振興施策を展開する法人として機能強化を図り、その役割を今後も十分に果たしていくことが必要である。
 前章に述べたように、振興会が大学を中心とする学術研究に果たしてきた役割及びその結果を考えるとき、従来行ってきた事業についてはその目的を堅持して充実に努めるべきことは前提である。すなわち、世界レベルの多様な知の創造、強固な国際協働ネットワークの構築、次世代の人材の育成と大学の教育研究機能の向上は、当然今後も掲げ続けなければならない目的であり、これらの事業展開の在り方については次章以下で述べる。
 しかし、振興会の貢献にもかかわらず現在様々な課題が生じており、それらの解決は学術を振興する上で避けては通れない。まず前章で浮き彫りとなった課題を列挙する。

学術への期待の変化
激化する国際競争
論文統計等における低迷
人文学、社会科学における社会的課題への対応
国際的な研究者交流の低迷
基盤的経費から競争的研究資金へのシフトと支援の集中
若手研究者の過酷な状況
女性研究者人材の活用
イノベーションにおける大学・振興会の役割

 本章では、これら学術振興上の課題の解決のため、国と振興会が一体となってなすべき取組について提案する。

(1)学術への期待の変化

 世界規模から局所地方規模に至る、人類の予期しえなかった自然状況及び人間活動による自然・社会状況の変化に対応するための新しい知が求められており、そのために有効な学術研究を進展させることが期待されている。このような変化への対応は、学術研究のみで達成されるものでなく、より広範な研究を含む総合的な社会的活動によってなされる必要があることは言うまでもないが、その中で学術研究の果たす役割は大きいと言わざるを得ない。それは新しい状況の発見や同定は、学術研究の課題であるからである。したがって、このような課題への挑戦が研究者に求められるのであるが、それに取り掛かる動機を研究者の知的探究心のみに求めるのは無理がある。それは研究者の知的探究心とは基本的に研究者の属する専門領域に関わるものであり、一方新しい課題とは、一般に既存の専門領域の内部に収まるものではないからである。もちろん研究者は自己の専門領域を超える可能性を常に求めるものではあるが、その機会は必ずしも多くない。既に述べたように、新しい課題が急速に起こっているのが現代の特徴であり、知的探究心が課題の発生に追いつかないことが現代の学術の問題の一つなのである。
 このような状況の下で、研究助成事業を行う振興会に新しい使命が与えられていると思われる。既に述べたように、振興会は個々の大学、研究者の見地を超えた独自の立場に立って我が国の学術全体を視野に入れつつ、国家的な学術研究の進展を考えてきたのであるから、ここで述べるような状況下では、研究助成の計画において研究者群の声量に対応するだけでなく、研究課題への独自の洞察に基づく計画が求められることになる。それは急速に発生する諸課題に対応する知を、既存の専門領域を超えて創出する研究の計画である。ここで強調すべきことは、このような計画あるいは研究課題は、従来の領域群の最後に“その他”として位置付けられるものではなく、全ての領域と階層を異にする俯瞰的な視点に立つ研究計画であるという点である。その結果、振興会は、これら自然状況や人間活動の変化により学問や社会が直面することとなった新たな課題に対応した研究への支援、助成を通じて、学術研究の領域の重心移動を駆動する代表性を持つこととなる。それは広義の研究機能であり、振興会がその機能を持つことを提案する。なお、重要な問題は、この機能を遂行するのは誰かである。それは、学術の第一線に立ってなお先に行こうとする研究者の熟議であるに違いない。すなわち学術研究の領域の重心移動は、政策主導型研究のように研究者コミュニティの外から研究者にテーマを与えるということではなく、研究者が自らの創造性に基づき、既存の学術にとらわれない取組を重点的に支援する新たな工夫によって達成されるべきものであることに留意すべきである。

(2)激化する国際競争

 学術研究における国際競争に勝ち抜くためには、研究者を増やし、研究費を増額し、研究環境を充実することが必要条件である。それは振興会の努力範囲を超えた国全体として取り組むべき課題であるが、振興会としても国際的優位性を保つために多様な努力を長年にわたって続けてきたと言ってよい。これまで振興会は、我が国の大学の研究の場としての魅力を増すことを目的として、大学における卓越研究拠点の樹立、先進的な研究分野の支援、優れた研究に対する研究費の重点支給などを行ってきた。また学術の国際交流や研究者養成についても、様々な施策を実施して効果を上げてきた。近年の国際環境の変化に対してもこれらの施策は有効であり、ますます強化することが望まれる。しかしながらこれらの強化のみでは解決できない問題が明らかに存在する。環境変化の下で、我が国が世界における魅力的な研究の場として世界の研究の主導的存在であり続けるためには、新しい試みが必要である。
 まず近年の国際的な学術研究を考えるとき、新興国に代表されるように、国の状況に応じて様々な目標がある。特に地域的固有性に基づく学術への期待の国際的多様性を考えるとき、このことは明らかとなる。世界から多様な研究者の参加を得つつ、世界に有用な研究成果としての知を提供し、国際社会の中で魅力ある研究拠点として求心力を持ち続けるためには、国際社会に広がる多様で動的な価値観に応える学術研究を遂行する卓越研究拠点を持つことが必要である。世界で競争が行われている学術研究の先端に焦点を当てた拠点形成のための事業に加えて、世界のいたるところで胎動する未来の先端分野をも考慮した先見的な卓越研究拠点創出への努力を始めることを提案する。

(3)論文統計における低迷

 研究者の論文執筆能力を計量することはほとんど不可能であるが、我が国の研究者の研究能力が低いという徴候は全くなく、研究能力の平均水準は世界で高い方だと言える傍証は、学術的な国際会議や世界の委員会等での活躍に多く見ることができる。したがって、研究能力の高い研究者が研究実施及び論文執筆において効率を低下させている何らかの要因が我が国にあると考えざるを得ない。
 まず指摘すべきは、研究者の「時間の劣化」である。研究以外の活動により研究者の研究時間が減少することに加え、90万人の研究者、あるいは20万人余の科研費申請資格者に対して、研究支援者の数が不足していることにより、研究時間の質が劣化しているのである。研究の遂行には、研究作業実行者としての直接の研究支援者だけでなく、研究準備者、実験装置作成・操作者、研究分野調査者、成果整理者、研究組織管理者などの研究支援者が必要である。また、これらの研究支援者は、それぞれが独立した専門家であり、“拡大定義による研究者”と呼べるものである。我が国においては、研究支援者に対する評価が低いばかりでなく、研究者として出発した者が研究支援者として育っていく職業経路がない。そのために研究支援者として意欲を持つ者が育たず、結果的に数が少なくなっている。このような状況の下で、研究者は雑多な仕事を抱え込み時間が劣化する。より深刻なのは、若手研究者が研究支援者の仕事を引き受けざるを得ない状況を生むことであり、研究効率の低下どころか将来の大学の研究機能の低下を招く致命的な結果につながる恐れがある。これを解決するために、研究助成事業や研究者養成事業において、これら“拡大定義による研究者”である研究支援者の社会的認知に基づく増加の方策を実施することを提案する。

(4)人文学、社会科学における社会的課題への対応

 人文学、社会科学について考える際には、人文学と社会科学を一括して論じることは適切ではない。「文科系」として、しばしば一括りされるこの両者は、問題設定、分析方法等、様々な面で、それぞれ独自の学術分野を構成している。
 人文学(humanities)は、純粋型としては、研究者の知性に駆動された、人間(human beings)の生き様と人間の合理性に基づく論理の展開や感性から生まれる創作の分析、言語で表現される意識や認識の分析と解釈を行う知的探求活動である。この定義では、人文学とは、人間の知的探求心が、自分自身に向けられたところに生まれた、ある意味で究極の知的活動である。人文学は、芸術的活動や哲学的認識に関する分類・理解・解釈のレベルを高める知的分析である。
 このように人文学は、人類に共通した“人”に関する発見の営みであるが、その営みの途上で、国や民族の文化を反映しやすい。一国は、しばしば、その人文学で表現されるとも見られる。人類社会がグローバル化し、相互に交流を深めながら、新たな営みを生み出している中で、今こそ人文学についても国際的な発信を進める諸施策が期待される。
 社会科学は、今人びとが生きる社会で生起している事象をもたらしている原因を探求し、その成果として独自の発見を目指すが、同時に、発見の応用的側面も重要視し、経済的・社会的・国際的紛争、過去から未来へと続く世代間の利害のコンフリクト等、我々が日々体験し、苦悩し、意見を闘わす諸問題について解を見つけ出すことも期待されている。社会科学は、人類社会の複雑化に伴って生起する諸課題の原因を探り、解決にも資することを究極の目標とする知的営為と言ってよい。本章の(1)で述べた俯瞰的な研究は、当然ながら自然科学とともに社会科学の研究者にも期待されるところである。したがって、人間社会に生じる諸課題の原因を探り、解決に資するために、社会科学の研究者が異分野の研究者や企業、行政、政治等における専門家と連携を持つことは、重要なことである。このような連携が社会科学の学術研究においてこれまで以上に促進されるような研究の仕組みを創設することを提案する。
 なお、大学図書館・資料館は、学術情報基盤として重要な機関であるが、とりわけ人文学、社会科学はこれらの施設に依存するところが大きい。さらに言えば、政府諸機関の保有する資料・統計データや裁判所の判決を英文でウェブ上公開し、国内外の研究者からのアクセスを容易にすることは、グローバリゼーションの時代には不可欠となっている。このほかに、大学博物館は研究対象となる文物を収集することを本来の任務とするものであるが、それに加えて、大学における研究成果を添えて社会に還元する場としても重要な意義を持つ。大学図書館・資料館、大学博物館などの諸施設の機能強化のための支援に国を挙げて取り組むべきである。

(5)国際的な研究者交流の低迷

 国際的な研究者の交流が全般的に低調となっていることは問題であり、振興会が現在実施している事業の充実が望まれる。その一方で、ここでは特に我が国の若手研究者のいわゆる“内向き”の傾向が問題にされなければならない。これは既存の事業の充実だけで解決されるものではなく、より本質的な問題をはらんでいるように思われる。基本的には本章の(2)に述べたように、世界の難問を学術研究を通じて解決する決意を我が国が諸国と共有することによって対応すべき問題と思われる。すなわち学術研究を駆動する若者の知的探究心が、世界の問題の発見と同定という作業に向かうという状況が必要ということである。その中で振興会が果たす役割は決して単純なものではないが、少なくとも研究助成を通じて若者が国内の既存の研究世界から解放されることを助けることは可能であると思われる。本章の(3)で述べたように若手研究者に自主的研究の可能性を与える、あるいはより強く義務付けることを通じて、より広い世界を求める動機が若手研究者に生まれることを期待する。加えて、帰国後の研究ポストに対する不安が“内向き”傾向の要因の一つとなっているが、若手研究者の海外における研究活動の経験を正当に評価し研究職への就職につなげることは他国では常識である。我が国の大学等も“自前主義”に陥ることなく、国際的標準モデルに沿って人材を活用し、幅の広い柔らかな研究組織を作っていくべきである。これらも含め、若手研究者の研究環境の改善は我が国の学術研究にとって喫緊の課題であり、これは以下の(7)項でも述べる。

(6)基盤的経費から競争的研究資金へのシフトと支援の集中

 これは本来大学自身の問題であるが、(1)で述べたように、振興会は大学における学術研究を支援するだけでなく、俯瞰的視点で学術全体の重心移動を主導するものである以上、振興会においても深く検討しなければならない問題である。第一に、大学への資金供給全体の増大が望まれるのであるが、これは振興会の責任範囲を超えた国が取り組むべき問題である。
 振興会としては、2000億円を超える科学研究費助成事業の意味を明確にすることから始める必要がある。事業の詳細を見れば明らかであるが、それは大規模研究から小規模研究に至るまで緻密な構成となっている。事業の原資が公的なものである以上、事業により支援を受けた研究者が自らの知的探求心に基づいて研究することができることの根拠は、費用を払う主体である国民の研究者あるいは研究コミュニティへの負託であると考えなければならない。したがって、科学研究費助成事業には、国民の学術を尊重する気持ちと学術に対する期待が、国民の負託に基づいた公的研究費を“媒体”として研究者に伝達されるという本質がある。
 学術研究の成果は必ずしも社会的価値に直結したものではないことから、国民の学術に対する期待は具体的なものではない。しかし、国民が持つ本質的な期待、例えば我が国固有の文化の保存と発展、個人の尊厳の確保、若者が明日を期待できる社会、異文化との共存、紛争のない国際社会、豊かで安全な社会、憂いのない生活、地球の持続性確保などは、いずれも人類の知性なしには実現不可能なものという認識のもとに、学術の貢献が必要不可欠であることを国民は知っている。そして学術の側も、その期待の正当性を十分に認めている。
 だが、ここに問題がある。それは、研究者が上述のことを概念的に理解していることは十分に認められるにも拘らず、期待が研究費に“乗っている”ことが実感されていないという現実である。言い換えれば、研究費の申請が採択されたとき、研究者が激戦を勝ち抜いて自分のやりたい研究ができるようになったと喜ぶ中で、国民の抽象的な期待を実感する余裕を失ってしまうことである。もちろん採択された研究課題は上述の抽象的期待と直接には関係するものではないから無理もないと言える。しかし、国民の期待が研究者に伝達される唯一の経路である研究助成においてこのことが意識されないことは、学術政策上の問題と言わなければならないであろう。なぜなら、研究と期待の個別対応はともかく、公的資金による研究助成が社会的意義を持つための根拠としての、期待と研究との全体的調和が成立しなくなるからである。この問題は公的研究費を使用して研究する研究者の倫理性に関係する。したがって、まず振興会は公的資金による研究助成の意味を研究者に理解させるべく努力することが必要である。しかしそれだけでなく、研究助成の方法の工夫を通じてこの問題を解決することも可能であると思われる。ここでは一つの例を示す。
 世界的に関心を集める研究課題で優れた業績を上げた研究者には、大規模な研究費が支給されることが多い。その場合、研究費を受ける研究者は自らの業績の評価に対応して支給されたと理解する。しかし、研究費に“乗っている”国民の期待は違う。その課題が我が国において、ある場合には世界的にさらに発展することを期待して公的研究費は支給されるのである。この両者は一見同じように見えるが違う。なぜなら、公的研究費の支給は国民の負託に基づくものなのであり、そのために研究費を支給された研究者を中心としながら、参加可能な研究者を結集して国民の期待を最も効果的に実現し、それを通じてその分野の研究者の育成が図られ、将来さらに展開することが求められているのである。言い換えれば、研究費を支給された研究者は、他大学を含め散在する研究者の協力体制を樹立して研究に臨むことが求められていると言える。このことは研究の本質から言って当然であるだけでなく、研究と教育の不可分性から言って当たり前のことであるが、現実にはそうならず、ともすれば大規模研究費は研究者間あるいは大学間の分断を招き、俗に言われるように、大学間の格差を助長することになる。このような悪しき結末を回避するために、研究助成の結果として異なる大学の研究者間のネットワークが強化され、他の大学からも研究者が参加することによってそれらの大学の研究の活性化が図られることを確認することとする。これが可能となれば、研究助成をすればするほど大学間の研究者の連携が深まり、この積み重ねが我が国の大学全体の学術研究水準の向上につながる。
 これは一つの例にすぎないが、決して非現実的ではない。研究助成の目的はもちろん助成対象である研究の発展であるが、それに加えて我が国全体のその分野の研究水準の向上が図られることが必須であり、振興会がこのような向上の実現を可能にする制度の開発に注力することを提案する。

(7)若手研究者の過酷な状況

 現在我が国の若手研究者の置かれている状況にはいくつもの問題があり、それらが限界に達し危機的状況を呈しているというべきである。既に述べたように、大学における「時間の劣化」のしわ寄せが若手研究者の研究環境を悪くしている。それ以上に問題なのは、若手研究者の多くを占める任期付き雇用であるポストドクターが、任期終了後に新しい職を得ることが困難となっているという事実である。
 この両者の間には、構造的な関係がある。現在の研究者は、研究費獲得競争にさらされ、競争に勝つために研究成果を上げることが“至上命令(定言的命法)”となった。特に我が国の研究の進展の主役である代表的な研究者において、このことは顕著である。そこでは、主要研究者(PI)のもとで研究を続ける研究者群がいて、同じ研究の目的に向かって分担課題を担当する。この分担課題の選定は、課題の尖鋭性が高まれば高まるほど組織的となり、分担する研究者の“研究の自由”は減少する。競争的な環境に置かれている主要研究者は、やむをえず研究組織を細分化して構成し、分担研究者は自身の知的探究心とは関係ない狭い関心にとどまることが求められてしまう。これが第一の問題であるが、これが第二の問題である任期終了後に新しい職を得ることが困難であることと関係する。すなわち狭い関心を持つ研究者にとって可能性のある職は当然多くないのであって、それが職の獲得を困難にするのである。
 ここに述べたことは極端な例ではあるが、程度の差はあるにせよこのような構造的困難は明らかに存在している。それはポストドクターを終えた多くの若手研究者の実態を見れば明らかであり、また一方で職を提供し彼らを採用する側の批判の内容からも察知される。
 この問題の解決は、関係する事項が多岐にわたることから容易ではない。しかしその解決は一刻の猶予も許されない課題である。まず関連事項を上げる。

研究理念:主要研究者の意識、若手研究者(ポストドクター)の意識
研究動機:激化する研究資金獲得競争、求められる研究効率
研究環境:基盤研究費や間接経費の不足、若手研究者が就く研究職ポストの不足、研究支援者の不足
社会の期待:学術に関する国民の期待の拡散

 これらの問題は相互に関係しているが、直接的には若手研究者を管理する主要研究者の態度を変えることが、この複雑な構造問題を解決する上で重要であるように見える。すなわち主要研究者が若手研究者に対し、研究課題を十分に考え分担を主体的に選択し、その上で自らの知的探究心に基づき研究を遂行することが可能となるような環境を与え、また指導・誘導することができればよい。それをしないのは“大人の懈怠”である。
 しかし、研究を取り巻く環境を変えずにそれを実現することに無理があることは、問題が繰り返し主張されながら改善がなかなか成功しないことから明らかである。したがって、その解決は上記の各事項を一つずつ改善していくしかない。言い換えれば、個々の研究現場では解決することが困難な内容を含むこの問題は、我が国全体の学術研究を俯瞰的に見る振興会が取り組むべき課題である。それゆえ、振興会は、若手研究者の意識と研究への関心の変化を起こすような研究助成、研究者養成に向けて、主要研究者や若手研究者から自らの利害を離れて俯瞰的視点で考察する資質を持つ者を選出して組織し、問題を解決する現実的方策を案出する検討を主導するべきである。これを怠れば、我が国の学術研究に明日はない。振興会がこのような組織を立ち上げることを提案する。

(8)女性研究者人材の活用

 知を創造する研究者の能力を存分に活用することは、学術振興における最重要の課題である。しかしながら、現時点で我が国における研究者人材の活用は十分と言えるだろうか。例えば、我が国の科学技術分野の女性研究者比率は、平成22年度でやっと13%を超える程度であり、欧米、東ヨーロッパ、アジア等の諸外国の中でも例年最下位である。つまりこれは、我が国にはまだ活用しきれていない研究者リソースが豊富にあることを示している。
 そこで、特に女性研究者に光を照らし、研究者としての能力が性差を超えて発揮できるような環境を整備し、より多くの研究者人材を確保することが学術の振興にとって有効な手段であると考えられる。実際に、男女共同参画の観点から平成11年の科学技術基本法施行以来、国を挙げて様々な取組が行われてきた。例えば平成18年以降は、大学・研究機関を対象とする研究者育成モデル事業とその後の加速化プログラムにより、現在までに全国67か所での環境整備が進められてきた。その結果、学内保育園設置や、ライフイベントによって研究実施に困難を抱える研究者をサポートする研究補助員配置等の支援体制が充実し、新たな人材の発掘とポスト確保等、研究者人材のすそ野の拡大が進んできた。これら支援事業の成果は年々顕在化してきており、支援前後で女性研究者数が著しく上昇した大学の好例もある。しかしその一方で、2万人余の女性研究者を対象に二度にわたり実施された研究実態に関する大規模アンケート調査の結果は、ライフイベントに直面する女性研究者の現状や、様々なバイアスに阻まれるポスト獲得の困難さ等、女性研究者が厳しい研究環境に置かれている現状を明らかにした。我が国は十分に女性研究者の活躍する場を提供しているとは言えない。
 さらに、先端分野の学術の振興という観点からは、研究のリーダーとして役割を果たす上位職の女性研究者を育成し顕在化させることが重要である。しかし、国内の学会活動におけるリーダーシップという観点から行った調査では、学会員に占める女性研究者比率に比べ、シンポジスト、役員等リーダー的立場に占める女性の比率は極端に低く、能力評価の場に女性が少ないことや、評価に影響を及ぼす意識の側面からも改善すべき課題があることが明らかとなっている。すそ野を広げる時代から、今はいかに上位職の女性研究者を増やしリーダーシップを発揮させるかという時代に突入したと言えよう。
 こうした課題を解決するためには、女性研究者が活躍する大学・研究機関における常勤職を増やす等の環境整備にあわせて、意識改革への取組が必要であるとともに、特別研究員事業等の適切な運用により研究者の流動性を高めることでキャリアアップを支援することも現実的と考えられる。異なる環境で切磋琢磨し、研究者として秀でた能力を有する上位職の女性研究者の増加によってロールモデルを増やすことができれば、研究環境が活性化されることも期待される。このためには、真の国際競争力を磨き、世界で活躍しようとする女性研究者側の意識改革も求められる。
 また、有能な人材が性差を超えて社会へ参画する仕組みを作るためには、大学・研究機関だけではなく、研究者として活躍する場である学会、居住する地域をも含めた多面的な取組を工夫する必要がある。また、無意識のバイアスといった文化的な課題をも克服するためには、多様な意見を集約し、学童期からの教育、中等教育の教員と保護者の意識改革等もおそらく必要となるであろう。
 加えて、(3)で述べた研究支援者の増加は、ライフイベントに直面した女性研究者が研究活動を継続していく上で重要な要素であり、女性研究者人材への支援という観点からも取組が急がれる。
 だが、これらは決して短期間に成し得るものではなく、研究者の個々のニーズと多様な生き方を尊重した上での長期にわたる支援が求められることを忘れてはならない。実際に米国では、1960年代に始まった女性研究者支援活動は、それぞれの時代のニーズを反映して進化しつつ、現在も精力的に推進されている。学術研究の発展が自国の産業力を強化し国際的なリーダーシップを恒常的に保つことにつながると考えられることから、優れた女性研究者人材の活用は重要かつ急務の課題であると言える。

(9)イノベーションにおける大学・振興会の役割

 第四期科学技術基本計画では、科学技術はその成果が社会の価値に還元されるべきであるとの立場に立ち、従来の科学技術政策を新たに「科学技術イノベーション政策」と呼ぶようになった。それは基礎研究も含めて、科学あるいは技術の研究の社会にとっての有用性が意識されるべきであることを主張していると思われる。それは社会の発展が科学や技術の成果に依拠する場合が多くなり、しかも人類が様々な地球的課題に直面する中で、科学や技術による課題の解決が望まれるという状況に置かれていることから、当然の主張であると言える。しかも国民を出資者とする公的資金によって研究が行われることからも重要な主張である。したがって、この主張は、国民の多様な期待を背景として研究者に発せられたメッセージであると考えなければならない。
 しかし、これは学術研究の重要性を低く位置付けることを意味するものではない。事実、科学技術基本計画では研究者の知的探究心に基づく研究の重要性が大きく指摘され、それなしには社会への優れた貢献はできないと強く主張されている。
 このことは振興会にとって慎重に対応すべき内容を含んでいる。振興会は伝統的に研究者の知的探究心に基づく学術研究の振興を目的としてきたのであるし、しかも政策主導のイノベーションを直接目的とする研究開発機関が他に存在するのであるから、振興会は従来通りの方針で学術研究の振興を図ることで国民の期待に応えると考えるのはもちろん正しい。
 一方、国民の期待は、知的探究心に基づく研究と政策主導のイノベーションを目的とする研究とを明確に区別し別々にかけているわけではなく、研究全体に向けられているのである。研究の専門的な区別は国民には理解できず、また関心がない。したがって国民の期待に応えるのは、このような区別を超えた研究者全体の責任である。
 このことから、研究者には次のような責務が生じてくる。それは知的探究心に基づく研究と政策主導のイノベーションを目的とする研究とがそれぞれ依って立つ原理とミッションを明確にしつつ展開され、その総和が社会に最大の価値を還元する方法を考えることである。これは、研究者が責任を持って行うべき仕事であり、しかも研究者にしかできない。そして研究がその最大の価値を生み出すためには、知的探究心に基づく研究を中心に行っている研究者と政策主導のイノベーションを目的とする研究を中心に行っている研究者とが、それぞれの独自性を保ちつつ研究方法も含めた連携協力関係を作っていくことが不可欠である。
 しかしながら、近年の我が国の研究において、基礎研究が実用に結びつかない、産学連携がうまくいかない、基礎的な科学に基づくベンチャーが少ない、物理研究とシステム研究の統合的成果がない、といったことが問題とされていることを考えると、それぞれの研究の性格を踏まえた新しい連携協力関係を作る努力を怠っているとしか考えられないのであって、その解決が急務である。
 この問題は学術全般を俯瞰する立場に立って検討すべきことであるから、振興会にとって重要な課題になる。

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研究振興局振興企画課学術企画室

(研究振興局振興企画課学術企画室)

-- 登録:平成25年05月 --