長期的展望に立つ脳科学研究の基本的構想及び推進方策について(第1次答申案(中間取りまとめ))(案)の概要

(1) 国内外における脳科学研究の現状と問題点について

1.現代社会における脳科学研究の意義と重要性

  •  脳科学は、脳の構造と機能に関する知見から真に人間を理解するための科学的基盤を与えるのみならず、関連諸領域の成果を融合・活用していくためのプラットフォームを築く役割を果たしていくことが期待される(科学的意義)。
  •  脳科学研究は、少子高齢化社会を迎える我が国の医療・福祉の向上をもたらすこと等から、社会からの期待が大きい。脳科学がこうした期待にこたえつつ、持続的発展を遂げるためには、脳を人間・社会・環境といったマクロな仕組みの中でとらえ、研究を推進することも極めて重要である(社会的意義)。

2.これまでの脳科学研究の主な成果

  •  我が国は、神経細胞機能及び神経回路、発生・発達、システム神経科学等の研究分野において優れた成果を生み出している。

3.国内外における脳科学研究政策の現状

  •  平成9年に、我が国における脳科学研究開発の戦略目標タイムテーブルが策定されて以来、脳科学研究の支援基盤の充実や推進体制の整備等が行われたが、平成12年度以降、大規模なプログラムやプロジェクトが一部を除き推進されることはなく、脳科学研究の成果を、社会への貢献を見据えた研究に、重点的に取り組む方策が実施されなかった。
  •  こうした中、平成18年12月より、これまでの脳科学研究の動向を踏まえた今後の脳科学研究の在り方について検討を行い、「社会に貢献する脳科学」の実現を目指し、脳科学研究を戦略的に推進するため「脳科学研究戦略推進プログラム」を平成20年度より開始した。
  •  我が国の脳科学研究を支える政府予算規模は、年間3百億円程度で、ライフサイエンス関連予算の7%程度にとどまっており、英国19%、米国17%と比しても著しく低い現状である。

4.脳科学研究推進に向けた課題

  •  科学的・社会的意義が高い脳科学研究を効果的に推進するためには、学際的・融合的な研究領域が確立できるような研究体制・研究組織を構築して、我が国における脳科学と関連諸科学の飛躍的発展を目指すことが急務である。
  •  次章以降で述べる脳科学研究の基本的構想としての「脳科学研究が目指すべき方向性」と「推進についての考え方」等の提言を、現状の課題、目標、発展段階に沿ってまとめたものがロードマップである。
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  •  脳科学委員会としては、本ロードマップの概念が、広く脳科学に携わる研究者等に普及されること、並びに本内容が研究現場における具体的方策に反映されることを強く望むものである。

(2) 我が国における脳科学研究の基本的構想

1.脳科学研究が目指すべき方向性

  •  脳は、遺伝子に基づいて作り出された分子機械が重層的に組み合わさり、階層構造を形成して、個体の認知、行動、記憶、思考、情動、意思や、他の個体との相互作用による社会的行動の基盤を成している。こうした脳の活動は、哲学、宗教、教育、政治、経済、芸術等、人間の精神活動の所産である様々な文化の生物学的基盤となっていることが広く認識されてくるとともに、従来は脳科学と距離があると考えられてきた学問諸領域との結びつきが注目されている。こうした脳科学の学問としての特徴を意識し、脳の構造と機能についての知見を学問として究めるとともに、従来の専門分化型の枠組みに縛られることなく、異分野や関連諸領域との連携・融合を積極的に進めながら、人間の総合的理解を目指す「総合的人間科学」の構築を目指すべきである。
  •  少子高齢化が進む現代社会において、患者数の急増が大きな社会問題となっている精神・神経疾患の解明等、脳科学が信頼される形で社会に還元されることに対する期待が高まっている。こうした社会からの期待の高まりに比べて、多数の研究領域が未だ萌芽的な段階に留まっているという現状を踏まえ、自然科学としての基盤が脆弱なまま、その技術が拙速に社会へ導入されることがないよう、基礎研究を一層強化した上で、社会への貢献を明確に見据えた研究に取り組んでいくことが重要である。
  •  自然と調和して共生する人間観に基づいた文化的伝統を備えつつ、その中に近現代科学技術を巧みに導入するといった我が国の強みを活かし、科学技術と人間との新しい関わりを形作る先導的な学問として、我が国発のオリジナルな脳科学を展開し、世界をリードする国際連携の枠組みの構築を目指すことが必要である。

2.脳科学研究推進についての考え方

  •  多段階の階層構造をもつ複雑な生体システム、ことに分化した機能素子間の「相互依存・相互作用による全体性」を特徴とするシステムである脳を対象とし、学際性・融合性の高い学問である脳科学の発展のためには、必然的に包括的・全体的・融合的なアプローチが求められる。こうした観点から、(1)基礎研究、(2)基盤技術開発、(3)社会への貢献の3つの軸に基づき、長期的展望に立つ脳科学研究の基本的構想を整理するとともに、脳科学の特徴を背景とした、(4)学際的・融合的研究環境についても、その実現に向けた脳科学研究の推進体制や人材育成の在り方等を同時に考えていくことが必要である。
  •  分子・細胞レベルから神経回路、機能コラム、脳領域といった階層構造を介して個体レベルの認知、思考、情動、意思形成といった心のメカニズム、さらには社会的行動が生み出される機序、発生・発達の原理、情報処理の様式等の解明等につながる基礎研究は、あらゆる関連諸領域の基本となり、心を備えた社会的存在としての人間の総合的理解を目指す「総合的人間科学」を可能とする生命科学的基盤として、継続的かつ強力に推進する必要がある。
  •  基盤技術は、科学技術創造立国の実現を目指す我が国における科学技術全体の共通財産として、脳科学分野に留まらず、他の研究分野にもイノベーションをもたらし得るものである。したがって、基盤技術の開発は、他の自然科学諸領域と緊密に連携しつつ、継続的かつ強力に推進していくことが必要である。
  •  基礎研究と社会への貢献を見据えた研究とは、双方向にフィードバックを行い、相乗効果を与えつつ発展していくものである。こうした観点から、脳科学の基礎研究の成果を、信頼性の高い形で社会に還元していくためのみならず、脳科学研究に対するより深い理解をもたらすためにも、社会への貢献を見据えた研究を戦略的に推進することが必要である。
  •  社会へ貢献する脳科学の実現を目指す研究として重点的に推進すべき研究領域として、(1)脳と社会・教育、(2)脳と心身の健康、(3)脳と情報・産業の3つを設定し、各領域等における明確な戦略目標に沿って効果的に研究を推進し、上記の基礎研究との双方向フィードバックを実現していくことが必要である。

(3) 脳科学研究の効果的な推進体制について

1.研究者の自由な発想に基づく学術研究、政策に基づき将来の応用を目指す基礎研究及び政策課題対応型研究開発の役割

  •  脳科学研究に寄せられる社会からの期待の高まりに応えつつ、脳科学が長期的展望のもとで持続的な発展を遂げるためには、研究者の自由な発想に基づく学術研究、政策に基づき将来の応用を目指す基礎研究及び政策課題対応型研究開発を並行的かつ相補的に推進し、効率良く成果を社会に還元するとともに、脳科学研究に対する国民理解の増進に向けた取組を強化することが期待される。

2.我が国における研究推進基盤としての大学

  •  脳科学の持つ最大の特徴である学際性・融合性をいかし、多様な視点から自己組織的に融合を試みる場として、個々の大学が適度な競争環境の中、得意とする部分で研究を推進するとともに人材を養成するといった、多様な自由発想に基づく「自己組織型」の研究教育体制をさらに発展させることが望ましい。
  •  大学の独自性や特色をいかし、学部間連携を進めて分野融合型研究教育の拠点となる組織を構築し、今後は、大学における研究の多様性を活かしつつ複数の研究拠点における研究活動を大規模化することで、研究活動を活性化しその効率を高めることが重要である。

3.研究機関等における研究推進体制と効果的な連携の在り方

  •  大学共同利用機関法人は、大学共同利用機関による大型研究機器等の共同利用の仕組みの提供や国内の脳科学研究者を大規模に組織化する研究者ネットワークを構築する等の取組を支援し、大学等を中心とする「自己組織型研究」を有機的に結びつけるべく新たなネットワーク型の共同研究拠点を形成する等のイニシアティブを発揮することが望ましい。
  •  研究開発独立行政法人は、その規模や柔軟かつ戦略的な制度の特長をいかし、個々の「自己組織型研究」では実現不可能なクリティカル・マスを越えた「集約型・戦略的研究」を行う役割を担うとともに、国際的研究拠点として、我が国の国際競争力の維持・強化に資することが期待される。
  •  学際性・融合性を特長とし、医療・福祉・教育・産業等へ幅広い応用の可能性が期待される脳科学については、その裾野を広げ、新たな研究領域の開拓・醸成をも視野に入れた研究展開を図ることが重要であり、様々な特色をもった研究機関の独自性を活かしながら、相互に密接な連携を図り、人材の交流を積極的に推進することが望ましい。

4.グローバル化への対応

  •  研究のグローバル化が急速に進展する中、長期的・定常的な人材の交流と教育に基づく国際連携を積極的に展開し、国際共同研究や情報交換を迅速化・効率化することが、我が国の国際戦略として必要不可欠である。
  •  最先端の研究者を糾合した国際競争力の高い拠点を強化することにより、我が国における先進的な国際的研究環境を構築し、世界のトップレベルの研究拠点との戦略的な国際ネットワークを形成することが必要である。

5.人材の流動化促進

  •  我が国全体の研究水準の向上を目指して、各機関がそれぞれの特徴をいかし、我が国からより多くの最先端の研究者を輩出すべく協調していくことが必要であり、そのためには、人材の効果的な流動性を確保することが重要である。

6.社会還元を目指した取組

  •  脳科学研究は、現代社会が直面する様々な課題の克服に向けて、社会からの期待や関心が極めて大きいことから、社会への貢献を明確に見据えた脳科学研究を戦略的に推進するとともに、脳科学研究に対する国民理解の増進に向けた取組を強化することが必要である。

7.脳科学委員会の役割

  •  脳科学委員会は、平成19年11月、科学技術・学術審議会の下、研究計画・評価分科会と学術分科会学術研究推進部会との合同により設置され、長期的展望に立つ脳科学研究の基本的構想及び推進方策について、脳科学研究を戦略的に推進するための体制整備の在り方のほか、人文・社会科学との融合、さらには大学等における研究体制等の調査審議を行った。
  •  本第1次答申後、答申に基づいた我が国の脳科学研究の振興や、研究開発の実施状況等の定期的な評価の実施、さらには研究の進展や社会状況の変化等に伴って生じる諸課題の検討が求められる。このため引き続き、科学技術・学術審議会に脳科学委員会を設置し、本第1次答申の見直しを含めて、脳科学研究の基本的構想や現状の問題点、さらには緊急に必要な事項などを定期的に検証・検討していくことが望ましい。

(4) 脳科学研究人材の育成の在り方について

1.脳科学における人材育成の目標と理念

  •  学際性・融合性を特徴とした脳科学の人材育成には、広範な学問分野を系統的に教育する体制の維持や、効果的な教育体制の構築が必要である。また、多様なキャリアパス構築の体制整備にも取り組むことが望ましい。

2.脳科学大学院教育

  •  当面は、大学内や大学間の連携を強め、広範な学問分野に対応した脳科学教育プログラムを実施するとともに、将来的には、大学において脳科学研究教育センターや脳科学に関する専攻等を段階的に設けることが重要である。こうした脳科学研究教育センターや脳科学専攻は、米国等においては既に多数設置されている一方で、我が国においては組織的整備が遅れている。こうした取組みを通して、全国的な脳科学教育ネットワークを形成するなど、継続的な推進体制の整備がなされることが期待される。

3.若手脳科学研究人材育成とキャリアパスの多様化

  •  若手脳科学研究人材の育成に当たっては、ポストドクターの支援体制の整備や脳科学研究専門技術者等の育成など、多様なキャリアパスの構築に適した体制の整備に取り組むことが望ましい。

(5) 脳科学研究と社会との調和について

1.脳科学の倫理的・法的・社会的課題

  •  脳科学研究の進展に伴い、「心を操作すること」、「心を読み取ること」、「能力を高める」ことなどが可能となることも将来的には考えられることから、これにより引き起こされる可能性のある倫理的・法的・社会的課題に対して、継続的に、かつ、注意深く検討していくことが必要である。

2.脳科学研究の社会応用の前提

  •  脳科学の倫理的・法的・社会的課題の中でも、研究成果の社会への還元を推進する上でとりわけ重要となるのは、被験者保護と倫理審査であり、ヒトを対象とする研究の推進に当たっては、常に人間の尊厳や個人のプライバシーを守ることを大前提とし、科学的に妥当で正当な考え方に基づき慎重に研究を進めることが極めて重要である。
  •  科学の倫理性は、研究者個々人の倫理観のみに還元されるものではなく、慎重な倫理的検討を要すると思われる個々の問題に対応していくための仕組みを整備することが重要である。したがって、倫理学、法学、社会学などの人文・社会科学における調査・研究の成果等も踏まえ、学会や政府レベルにおける議論を積み重ね、問題の発生に備えた対処策を、問題の性質に応じて適時的確に講じていくことが肝要である。

3.脳科学と社会とのコミュニケーション

      
  •  脳科学の基礎研究における成果を確実に社会への貢献につなげるためには、科学技術のガバナンスを超えて、医療、福祉、教育、産業などのそれぞれの制度の中で脳科学をどのように適用するのかについての検討が期待される。
  •  社会からの期待が高い脳科学研究が長期的な展望のもとで持続的な発展を遂げ、その成果が信頼される形で社会へ還元されるためには、脳科学研究と社会との調和に向けて、研究者、報道メディア、産業界、行政、消費者等が、継続的にコミュニケーションを進めていくことが肝要である。

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