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Home > 政策・施策 > 審議会情報 > 中央教育審議会大学分科会 > 大学の教員組織の在り方に関する検討委員会(第5回)議事録・配布資料 > 資料6


(参考資料)

国際級研究人材の養成・確保に関するアンケート調査における回答例

(1) 子供時代
小学校低学年のころに父に連れられて、ある高名な海洋生物学の教授が講師であった臨海実習に参加する機会を与えてもらった。内容などは覚えていないが、一流の学者に身近に接し、幼い身にも知的興奮を呼び覚まされたことを覚えている。他にも、機会あるごとに科学や最新技術に接する機会を、両親が与えてくれたことに感謝している。

(2) 大学学部生時代
私は大学2年の夏休みに伝染病研究所へ行って細菌学の実習を受け、それ以来、夏休みは伝研で専ら実験をしていたし、毎月研究所を訪れて、教授の先生に質問をしていた。先生は私に答を教えて下さることをせず、本や文献を渡されてそれらを読むように言われ、どんな実験をすれば、私の疑問に対する答を得られるか?考えてくるように言われた。私の答を申し上げた後の先生とのdiscussionで、私は先生のlogicalway of thinkingを知り、自分でもlogicalな考え方が出来るようになったと思う。

(3) 大学院生時代
教授の指導方針は、大まかな研究テーマを設定するのみで、細かな点にはこだわらないおおらかな指導を受けた。実際の研究指導は、研究室所属の直属の助教授や助手の方から密接な指導を受けることができた。研究の結果について、必ず自分自身で解釈を試みて研究室全員の前で成果報告を行い、結果解釈についての議論と次のステップへの方針検討を行う機会が設定されていた。
大学院生の「教育」という観点を研究者はもっと強くもつべきだと思う。「研究補助者」「労働力」と思っているシニアスタッフが少なくないのは残念である。

(4) ポスドク時代
海外の一流の研究室でポスドク時代をすごし、周囲や訪問してくる一流の研究者たちと直接接する機会に恵まれ、強い刺激を受けることが出来た。また、研究室の中で、世界中から集まってきた研究室の卵たちと競い合うなかで、彼らに決して負けていないという自信を得ることも出来た。
一方で、米国の若い研究者たちが、独立を勝ち取るために如何に多大な努力を払い、リスクを背負って頑張っているかを目の当たりにし、ともすれば帰国後はボスの傘の下で安楽さを求めがちな日本の若手研究者特有の甘えを払拭することが出来た。

(5) 助手・講師時代
私は幸いにして、上司に恵まれ、助手に就任した当初から、まったく自由に研究を進めることができた。これはもちろん、研究の正否は完全に自分が責任をとるという前提のもとであった。私は講座の研究テーマにとらわれることなく、さまざまなテーマの検討を行い、何年か後に理論化学のある分野が非常に生産性が高いことを見出した。このような自己責任にもとづく判断・行動は、あらゆる意味で非常に大きなプラスになった。多くの研究者は、講座制のもとで滅私奉公的に年輩の教授に仕え、自分の能力が衰えるころ、忠誠を尽くした見返りとして教授にしてもらう。教授になれば、従来通り部下が仕えるというシステムが好ましく見えてくる。これでは新しい発想が生まれるわけはない。

(6) 助教授・教授時代
所属組織を動くことは学問的にはメリットが多いが,個人および研究室運営を見てもデメリットのみである。私が転任した場合でも移動だけで2000万円くらいの資金を必要としたが,これは自前で稼ぎださなければならなかった。このようなことは世界の目で見れば有り得べからざることである。転任によって,給与の2−5割アップ,研究環境の整備資金の提供(5000万から一億円程度の引っ越し代)などを大学が保証し,移動先学科は「教授を迎える」という態度を示すのではければお話にならない。文科省は,アメリカ,ドイツなどではジュニア,シニアとも外から教官を迎える教官には最大限の誠意を示せるだけの金銭的背景があることにこそ注目すべきである。
全く研究時間がなくて研究できない。法人化に伴う大学改革に関連して,プログラム制の導入,客観評価体制の確立、中期目標の作成をさせられ、「地域・社会貢献」の名のもとにスーパーサイエンス高校に出前授業をさせられ、市民公開講座の講師をし、就職担当教官を命じられて広島・東京の企業を5件回り、その報告書を提出する。研究成果のソフトウェアをホームページで公開している関係で毎日問い合わせのメールが来るが、その応対すらままならない。自分の研究業績報告を科研費と学部とReaDで3回計算機に打ちこむ。秘書がのどから手が出るほど欲しいが、学科事務の人達も年々業務が増えており、仕事を回せない。

(7) シニア時代
現役時代研究をバリバリし、今後も研究に旺盛な人に、小規模でよいから研究が続けられるように配慮。5年単位で、国内又は国外で自由研究をさせる制度があれば良い。勤勉であれば何回でも更新可能にする。アメリカでは、85歳になっても一線で研究費をとって研究をしている人あり。40歳でも駄目な人は駄目、80歳でも良い人は良い(日本でもアメリカでも)。日本では優秀な人材を定年で捨てている事が往々。実にもったいない。

(8) その他
世襲的にその研究室出身者で固めていくことは斬新かつ革新的な新しい研究テーマを常に芽生えることは少ないと思う。現在の研究室のスタッフは皆外部の大学・研究室出身者であり、私の研究室出身者は皆無である。このようなヘテロな研究室の運営がぜひとも必要である。
大学評価等と称して教官に膨大な資料作成を強いるようなことをせず、もっと教育・研究に専念できるようにすべきである。評価項目に「教官が教育・研究に専念できる体制を整えている」というのがあったのは、ジョークとしか思えなかった。

(9) ほめられた経験
米国の有力雑誌に論文が連続的に掲載され、研究内容ではなく、米国の有力雑誌に論文が連続的に掲載されたという事実が国内で評価されるようになった。海外の研究者によって、私が関わる分野の有史以来の100の業績の1つに選ばれたり、招待講演者に選ばれたりした。海外の高名な研究者から激励されたことは何度もある。福井謙一氏を唯一の例外として、日本の高名な研究者からは誉められることはなく、誹謗中傷されることが多かった。これは、私の研究分野が、当時日本でまだ認知されていなかった理論化学という非伝統的な分野であったことにもよる。



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