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中央教育審議会大学分科会将来構想部会

2002/02/19
中央教育審議会大学分科会将来構想部会(第6回)議事要旨

中央教育審議会大学分科会将来構想部会(第6回)議事要旨
   


1   日時       平成14年   2月19日(火)10時30分〜13時

2   場所       文部科学省別館大会議室

3   議題
(1) 大学等の設置認可の望ましい在り方等について
(2) その他


4   配付資料
資料         1    将来構想部会(第5回)議事要旨(案)   (略)
資料         2 大学の質の保証に係るトータルシステムの構築について(骨子案)
資料         3 新たな設置認可の対象のイメージ
資料         4 大学分科会の今後の日程について

参考資料   1    諸外国における大学のアクレディテーションについて
参考資料   2    大学院における高度専門職業人養成について(論点案)

5   出席者 (委      員) 鳥居泰彦(会長),吉川弘之(部会長),高倉  翔(副部会長), 中嶋嶺雄の各委員
   (臨時委員) 天野郁夫,猪口邦子,荻上紘一,黒田壽二,島田Y子,関根秀和,山崎正和の各臨時委員
   (専門委員) 青山善充,大南正瑛,越原一郎,鈴木  忠,中津井泉,松本浩之の各専門委員
   (文部科学省) 御手洗文部科学審議官,結城官房長,林大臣官房審議官,工藤高等教育局長,石川私学部長,清水高等教育審議官,板東高等教育企画課長 他

6   議   事
     
(1)   事務局から資料について説明があり、その後大学等の設置認可の望ましい在り方について自由討議を行った。
     
(○:委員,●:事務局)
     
    設置認可を緩める場合には第三者評価が必要だが、第三者評価機関を国が認証することに違和感がある。現在でも大学基準協会や大学評価・学位授与機構があるが、それらは文部科学省と直接の関係はない。新たな第三者評価機関が、国の認証後に公的な存在になるというが、国のコントロールを受けずに自由に活動する目的で敢えて認証を求めない大学への対応はどうするのか。設置認可の形態について、従来の認可から届出に変わる場合が出てくるが、その内容が法令に適合しない場合に変更その他国が必要な措置を取れるという趣旨が不明確だ。届出を受理しないのか、それとも受理後の措置を考えているのか。
      
    設置認可と第三者評価は、時系列的に同時スタートなのか。それとも、第三者評価は設置認可後一定期間経過後にスタートするのか。適格認定は設置認可と絡むものなのか、評価と同義でよいのか。設置認可後のアクレディテーションで認可されなくても大学として存在できるのか。
      
    評価機関に対する国の認証は、存在する機関全てに係るものではない。希望する団体について、国が基準に適合するかを認証するものだ。アメリカでも連邦政府が認定するのは、全ての団体ではなく強要するものではない。届出に不備がある場合には再度の届出を促す制度を考えており、事後確認的な措置をイメージしている。第三者評価と設置認可の時系列については、前者は大学が教育活動を始めて一定期間経ってから評価するものだ。国家試験受験資格につながる法科大学院等は別扱いとしても、一般的にはまず設置認可し、その後適格認定となる。第三者評価と設置認可の基準は別物になる。
      
    基準には最低基準、向上基準、競争的基準と3種あるが、どう考えればよいのか。アクレディテーションは向上基準で、最低基準ではないのか。
      
    適格認定基準は最低基準である設置認可基準とは異なるので、分けて考える必要がある。適格認定基準は各評価機関が独自に考える基準になるので、設置基準と異なる場合もあり得る。国が定める最低基準たる設置基準と、各評価団体が考える独自の基準が共存することになる。
      
    国の関与と言うが、この場合の国とは何を意味するのか。
      
    具体的には教育行政を預かる文部科学省が、国の権限を行使する行政機関だと思う。
      
    文部科学省の権限とは何か。
      
    設置認可の関係は、各国毎に事情に違いがある。イギリスでは、国王によるチャータリングシステムが生まれたが、ヨーロッパでは同様のものが進められてきた。アメリカでは連邦政府が教育・文化に余り関与しないため、大学の成立は各州政府の関与となる。国が審査するのではなく、アクレディテーションは、同業者である各大学による審査システムを前提にしている。日本は当初ヨーロッパ型のシステムを参考にしたが、戦後アメリカ型を参考に大学基準協会を作ったが、それは育たなかった。日本の大学の評価は国内外を問わず低い。評価を高めるためにシステムを変え、各大学を活性化する必要がある。公的機関が関与しない形のアクレディテーションシステムを大学人自身が育てていく必要がある。設置認可の一部下請けではなく、国の関与を出来るだけ少なくし、自主的に評価する団体が育つ仕組みにするべきだ。アクレディテーション団体は複数あり、各々が切磋琢磨するのが一つの在り方かもしれない。大学は公教育に位置付けられるので、その性格を形成し水準を維持・向上するための仕組みをトータルにご議論いただきたい。
      
    現在、大学の設置については大学設置・学校法人審議会で議論されている。設置された大学・学部の教育に関しては、アクレディテーション団体等が評価する。従来からある学問体系が比較的確立している分野は議論しやすいと思うが、新しい分野の大学等ができた場合には、その目的・理念や新たな学士号、それに関する教育プロセス等に関する議論はどのように行われるのか。新たな分野が今後増えると考えられるが、その場合のアクレディテーションの内容はどうするのか。
      
    大学設置・学校法人審議会は、学校法人に関する分科会と大学設置に関する分科会に分かれ、大学設置分科会の下に運営委員会、特別審査会、審査会、23の分野の専門委員会が設けられている。審査については、4月に大学からの申請を受け、5月に文部科学大臣から審議会に諮問がある。審議会では全体の構想を見、審査会で構想審査、書類審査、面接審査等を行い、必要に応じて追加書類の提出を求め、専門委員会でカリキュラムや教員組織等の審査をしていただく。その結果を大学等に伝えながら、必要に応じて実地審査や面接、専門委員会での補正審査を行う。最終的にその結果に基づいて分科会で答申をいただく。新たな分野についての申請があると、その理念・目的、設置の構想、名称、位置、カリキュラム、教員組織、校地校舎等の仕組みを様々な観点から審査する。近年、環境や情報等の様々な新しい分野の申請があるので、従来の委員会の中にその分野の委員を置き、新たな分野の委員会を設置し審査いただいている。
      
    その場合に、委員の選定は誰がするのか。
      
    運営委員会や分科会で意見をいただき、前任者がいる場合にはその推薦をいただき、各委員会の主査の意見により決定している。
      
    主査の役割は大きいが、主査はどのように決定するのか。
      
    主査を含む委員は、分科会や運営委員会の了解を得て決定している。主査については、委員会で互選を行っている。
      
    例えば国連大学では地球環境の問題等様々な研修をしているが、日本の大学のカテゴリーには入らないのでその意味で大学ではない。国連大学を受け入れながら、他の国公私立大学と関係なく存在させることに問題がある。外国の大学の日本校では、日本の国公私立大学が見習うべき授業を行っている例もあるが、日本では大学としての位置付けはない。UMAP(アジア太平洋大学交流機構)等で教育機関ができれば、日本のためにも留学生のためにもよいと思う。今後はますます国内に国際的な要素が入ってくるだろう。企業が学校法人を作っている間接的なケースはあると思うが、多国籍企業等は現制度では日本で大学を作ることができない。大学設置の在り方を再考しなければ国際社会に遅れをとるのではないか。国の公教育自体に問題があると思う。個人的には様々な部分で更に規制緩和するべきだと考えている。
      
    第三者評価の義務付けには総論的論理を構築するべきで、第1回からの議論を集約すれば足りるだろう。その論理が質の保障であるならば、大学に係るマーケットが保障するのではないか。監査システムが必要だろう。文部科学省にはアクレディテーションについての大学関係者の創意・工夫を信頼していただきたい。公共性を有する各種のアクレディテーション団体を認証するのは大切だが、文部科学省の役割をそれに限定してはどうか。最低基準とアクレディテーションの基準は性格的に違う。アクレディテーションは向上基準だが、各大学が望むような評価機関がなければ、外国に求めることもあり得るのではないか。アクレディテーションがうまく機能することにより、日本の大学は国際的な競争にコミットでき、元気になるのではないか。それらの条件整備については、義務化を行う時点を明示・予告するのが大事だ。トータルシステムへの円滑な移行について、この分科会でどう認識するのか。アクレディテーションに対する国の支援方策は、どのような法整理の中で可能なのか。設置認可について今後5年間に向けての準備のプログラムが大事だろう。設置認可は案の1が適切ではないか。
      
    大学の規制緩和について、100%自由にするのがよいとは言えないと思う。大学が切磋琢磨して向上すればよいが、安易に流れる可能性もある。教育研究水準を維持向上させるために、株式会社を母体とする大学の在り方も考える必要がある。国連大学やアメリカの分校の例については、各国には各々の法制があり、各国内の法制はその国に従うのが一般的だ。市場原理に任せる場合には、各大学の自覚と創意工夫を活かす努力が必要だろう。
      
    設置認可での規制緩和と適格認定の関係について、具体的な考え方が不明確だ。適格認定に関し、大学全体を組織体として評価するとしているが、それでは今までの設置認可と同じになる。全大学に適格認定を義務付けるのであれば、自発的という趣旨に反するのではないか。アメリカでは認定を受けない大学もある。希望する大学が認定を受けるのが本来だろう。
      
    第三者評価の結果として、研究者の学問の自由がどうなるのかが気になる。教育の質の確保は重要だが、研究機能も大切だ。自発的な大学関係者の動きが理想だが、日本は学閥が激しいので第三者機関で評価するべきだと思う。学者の社会が公明性のある形で育っていく必要がある。自分の国を構築している要素は何かを把握しなければ本当の改革は出来ない。ある程度外形標準的な基準で評価するのも、仕方がないのではないか。学問の自由が規制されるようなことはしないでほしい。
      
    新たな設置認可の対象のイメージとして、案の2ではA大学は医学部の中に看護学科を新設するので届出、B大学は看護学部を作りその中に看護学科を置くので認可制となっている。その場合に、A大学医学部看護学科を出た人とB大学看護学部看護学科を出た人の学位称号や、教育内容に違いはあるのか。
      
    どちらも学士(看護)になる。
      
    同じ学士(看護)だが、どういう必要条件の違いが生じるのか。
      
    現行制度では、学位の括弧の中は大学の自由になっている。
     
     医学部看護学科と看護学部看護学科の実質上の違いがないにも関わらず、認可と届出という違いがあるのは、首尾一貫していないのではないか。
     
     両者の教育課程に関して、看護の場合は資格との関係もあるため、主要な部分については、大学毎に大きな違いはない。
     
     医学部から切り離して看護学部を作る意味は、医学部のマターに影響されない看護教育をするということだ。医学部はその差配の元で看護教育をすることを望むが、新たな時代の看護教育を行うために、我が大学では独立した看護学部とした。学部の新設になるので、現行の設置基準では認可になる。新規に申請を出すことは面倒でもあるが、新しく教員にふさわしい者を集めることもできる。
     
     学士号にふさわしいプログラムを誰が規定するのか。看護は社会通念として何をすべきかが明確だが、文学部から社会学部を独立させるような場合には、流動的で議論の余地があるだろう。看護学部看護学科と医学部看護学科では、実質上どこが違うのか。その学士号に対するプログラムの一貫性を誰が担保するのか。従来の大学設置・学校法人審議会に係る場合に議論の余地がなかったが、今後それを柔軟化してアクレディテーションに移すと議論百出になるのではないか。
     
     一学部の中に複数の学士というのは、既にある。
     
     特定の分野の学士の理念とは何か。それは誰が決めるのか。
     
     かつては、各学部毎に必要科目等に関する厳しいルールがあったが、近年は設置審査の在り方も見直され、特定の型に当てはめる方法は採らなくなっている。中身の幅がありすぎて、議論になることもある。業績や教育的評価等を、いかに複合的に見ていけるかが大切だ。学士号やそのプログラムは、大学毎に異なる。学科か学部かという捉え方と、新しい組織を作ることのどちらが各大学にとって合理的かが問題だと思う。
     
     現時点では認可に関して合意はできていないが、共通の理解はできたと思う。これまでは大学は設置認可だけで規制され、国がその権限を持ち行使していた。設置認可と学問の自由がどう抵触するのかの議論がされないまま、外形的な一定の基準を大学が守るという暗黙の了解があり、一定の大学のレベルをそれにより守ってきた。現在は、民の力で大きな社会の変化を勘案しつつ、排除的な性格を持つ設置認可を緩めてきたが、大学の向上的な性格がそれにより担保されてきたのかについては疑問がある。設置認可を受けても向上しない大学もある。大学人も社会も、国際水準では日本の大学は遅れを取ったという認識を持っており、制度を変えなくてはならない。排除的性格を緩和すると同時に向上的性格を付加する目的で、二重の構造の制度になるが、それは我々の共通の理解としてよいのではないか。設置認可と異なり、アクレディテーションは本来は相互認定なので、第三者評価による認定というように国の認可を民間に移すような表現には誤解がある。両者は質的に違うことを明確にする必要がある。相互認定は多様性を生み出すものなので、それに反する評価や認定ではならない。評価による認定の枠組みの策定が課題として残されている。将来は国の関与をなくすことを考えているのか。近い将来に関する限りは変更せず、このまま行くという最終案を作ろうとしているのか。制度を変える時にそこを明確にしなければならない。議論の軸足や、将来のターゲットをどこに置くのか。時間差による対立を避けるためにも、現在の問題か将来の問題かをこの報告書に明記するべきではないか。最終的には大学改革がうまく進展するために、誰が何をどのように評価するかについての将来のイメージが想定され、その中から現在の適格認定だけという状態からどう踏み出すのかという報告書にできればよいと思う。
     
     規制緩和・自由化は大学にとって向上を目的とするものだ。日本の大学が向上したかどうかは、最終的には国際比較によって測るべきだと思う。外国の大学が日本に進出してきた場合には、それがはっきりするだろう。外国の大学が法律上認められる大学を日本に設置しようとした場合には、まず学校法人を設置すればよいのか。また、実際にそういう動きが現在あるのか。
     
     学校法人を置いて設置認可を受けることが、海外の大学が日本の大学として位置付けられる最低条件である。教育サービスとしてインターネット等で簡単に国境を越えることができるe-Learning等をどう位置付けるか等についても、新たな問題として考えていく必要もあるだろう。海外の大学と組んで、海外と日本の双方での共同設置を考えている所もあるようだ。
     
     外国の大学が共同ではなく、独自に分校を設置するという動きは現在ないのか。
     
     既に分校を設置している所はあるが、我が国の中の大学として位置付けられているものはない。
     
    資料2「3設置認可関係,その他の検討事項」は、大学にとって大きな問題だが、これについてはどのようなスケジュールを持っているのか。
     
    他の問題と併せてここで議論し、方向性を出していただきたい。
     
7   次回の日程
   次回は、3月12日(火)に開催することとなった。


(高等教育局高等教育企画課高等教育政策室)

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