日本水頭症協会

学校教育で求められる合理的な配慮について

日本水頭症協会
柴田 靖子

 わが家では、生まれつきの性質によって「全くしゃべることが出来ない/自力で移動することができない、常時車いす使用/日常生活上必要なさまざま動作に介助が必要」というそっくり同じ障害のある子が育っています(長女14歳と長男9歳)。

 長女は、1歳になる前から「支援者」「専門家」と言われる方々こぞっての勧めに従って、「重複障害のある子の王道」ともいうべき道を歩みました。「発達保障」の名の下で、療育センターに親子で通園し、理学療法・作業療法を受け、ホームプログラムを実践し「歩行」や「発語」の「獲得」を目指しました。小学校も勧められるがまま、自宅からスクールバスで20分のところにある肢体不自由児特別支援学級に入学。同じような目標(加えてADLの向上―排泄だの摂食だの最もプライバシーに関わることが「評価」され通知表にこまごまと書かれるようになりました)が「教育内容・目標」とされ6年間「スモールステップ」を合い言葉に繰り返し変化のない、およそ子どもらしくない、小学校時代を送りました。帰宅しても近所に友だちはひとりもいません。おりにふれて努力して大人が設ける「交流」というむなしいつきあいでは友だちと呼べる関係は作れません。そこに中等部もありましたが、中学は少しでも変化を、と期待して、80年の歴史を誇る都立の特別支援学校に入学させました。しかし、期待は見事に打ち砕かれ、十数年なんの益ももたらさなかった「教育内容・目標」がまた継承され、さらに、閉鎖社会だからなのでしょうか、職員にも、そして悲しいことに多くの保護者の方にも、現代に見合った人権意識が全くない(何十年も前に時間が止まっているかのような)ことが、日々見受けられ愕然としたのです。これらの「重複障害のある子のための障害児教育」なるものの専門性や必要性を疑ったり、子ども時代に隔離された時間を過ごすことの無視できないはずの弊害と向き合うことは全く無く、生徒たち(重複障害にある子)はまるでペットか何かのように扱われています。授業では、中学生の生徒相手にマペットや幼児の玩具が使われ、幼児に話しかけるような言葉で常時話しかけられます。自立訓練と呼ばれる時間は、もっぱら「自分がどうしても生来できないこと、できないことがそのひとにとって普通であること(手伝ってもらえば生活できる、本人にとって、そして社会にとっても何の課題とも言えないこと)」を「少しでもできるようになる」ことに執拗にこだわり、まるでアシカの調教のような方法がとられています(このような処遇は、小学校時代を送った特別支援学級においてはありませんでした。やはり小学校の敷地の中にあり、普通級の教員も配属されていたので、少なくとも子どもは子どもとして扱う感覚が失われていなかったのでしょう)。本当に端から見ているとおぞましい光景です。もちろん「発達」も保障されませんでした。専門性自体が疑わしいのですから。
 今、中学三年生の長女は、行く宛もないのですが、この学校の高等部に進学することはどうしても考えられないので、義務教育を終えたら進学せず、この社会でこれから暮らして行く力と出会いを得るためのチャンスを、与えてあげたいと思っているところです。しかし、もう遅いのかも知れない、という思いも強く、親としてやりきれない気持ちでいっぱいです。

 一方長男は、長女とは全く違う道を歩みました。母親である私が仕事に復帰するため、生後7ヶ月で無認可保育園に入り、1歳の春からは、自宅から徒歩2分の公立保育園に入りました。保育士さんは「ひとりの子ども」として長男を受け止めてくれ、同じ歳の近所の子どもたちと一緒に日々「成長」していきました。それを見守る保育士さんや、お母さんお父さんのあたたかいまなざしと細やかな手を見るにつけ、子どもがどんなにひとりひとりの「当たり前」を認められて、丁寧に心を込めて育てられるのか、育てられることが必要なのか、教えられ目が覚める気持ちでした。私も夫も自然に、「発達保障」などという言葉を全く気にすることなく、「ひとりの子ども」として長男に愛情をそそぐことに集中していました。小学校にあがる前の5年間、わたしたち家族には知人・友人が一気に増え、地域に「紛れて」いくことの、なんと心地よかったことでしょう。保育士さんたちを「安心させる」ため、区の療育園に、週一度くらい「つきあい」で通っていましたが、それも年中のころ、本人が拒絶する強い意思を認め、やめてしまいました。
 小学校就学は、わたしたち家族はもちろん近所の人も「当然学区の小学校に一緒に進学」と気持ちは強く、自信もありました。本人の気持ちもある出来ごとから確認することもできていました。しかし、教育委員会の判定は、肢体不自由児学校(長女が今通っている学校)に通うべし、というものでした。どんなに話しあいを重ねても、まず結論ありきという態度に当時、正直うんざりしてしまったのですが、私も夫も、まさか「障害種別の学校に措置するように」決まっている、というそんな無茶なことが法律で定められているなどと、そんなことがまかり通っているなどと、当時夢にも思わなかったのです。ここ15年、本当に社会は(ひとりひとりの生活の中で)努力されて、「みんな同じ人間だ。みんな等しく人権をもつ」ということをかなえるため意識を変えたり、環境整備をすすめたりしてきていることを実感しながら、勇気をもらいながら、十分に未来に期待して子育てをしてきました。けれど初等教育という「未来を育む場」が、現状にそぐわない根拠(法律)をそのままに、すっかり社会から立ち後れてしまっているというのです。非常に焦燥感のようなものを覚えました。
 小学校入学の時は、周囲のどの立場の人も、私や夫さえ、「言葉を発しない、手指で十分にものが扱えない」長男が、「学習できる」とは思っていませんでした。私や夫は「それでも長女が歩んでいる道は何の益もない。だったら近所にたくさん友だちや知り合いが増えた方がよほど生きる力がつく。楽しく過ごしてくれればそれでいい」という気持ちだったのです。しかし、みなと一緒にひらがなを覚え、数を覚え、・・・・・・と学習して行ったのです。今4年生ですが、どの教科も「とりたてて出来がいいわけではないし、箸にも棒にも乗っからないというわけでもない、平均的な4年生として(校長先生・談)」楽しそうに勉強しています。しゃべれない、立てない、その他色々・・・・・・な持って生まれた性質そのままで。例えば長男は鉛筆の持ち方は、他の子と一緒に覚えてきましたが、細かくそれを動かすことは難しい。しかし介助者が手を添えるとかなり微調整が増えます。また、字を覚える時、小さなますに書くと筆先の移動が細々しすぎて何を書いているのか分からなくなってしまうことも分かりました。こういうときは書く欄を拡大してやることが助けになりました(かれは弱視でもあるので、学年がすすんで、拡大教科書が供与されたことで、ダブルの恩恵を受けました)そうして「字」を覚えていったのです。もし、教育委員会の療育相談なるものの判定にしたがって、長女の通う特別支援学校に入っていたら、4年生になった今も「さあ、自分でぐるぐる書きをしてみようね」と手を添えないで自力で鉛筆を動かす練習を来る日も来る日もさせられていたことでしょう。
 思えば、脳性麻痺で手足や体幹の支持が不自由なのだから、構音のための口の中の動きが不自由で言葉をしゃべることができない人がいてもおかしくない、というか、原因は同じ、と考える方が普通です。よく顔の表情がないことから「反応がうすい」などと言われることもしかりで、表情をつくることが不自由なのだと考える方が自然です。でも体が不自由な子が無表情で口をきかなかったりよだれを垂らしていたりしたら、現状では100パーセント「重い重複障害児」として「そういう子のための専門の」と言われている教育を措置されてしまう。
 例えばダウン症の子たちが「学習困難」とされて「そういう子のための専門の」教育を措置されているけど、手指が不自由だったり視力や視能に違いがあったりするだけで、長男のように「状況に対する支援(手の介助、拡大教科書)」を保障されさえすればいいのではないか、と思えてなりません。
 今となっては、今「重複障害児・肢体不自由児用の特別支援教育が必要」と判定されるお子さんたちのほとんどが長男と同じ状況なのではないかとさえ思います。

 長女は、生まれてからこのかた「あなたは欠けている人間だ」「これができるようにならないと人間としての権利は一切認めない」と言われ続けて育って来たようなものです。一方、長男は、生まれてからほとんどそのような目線にさらされることなく、普通の小学4年生として人権を守られながら愛されながら、日々子どもらしくのびのびと育っています。
 「生来持つ性質をそのままに」一緒に暮らせる社会こそ、今日本の社会が求めている理想の姿ではないでしょうか。そして、それを「学級」の中で実現している長男と子どもたちと職員の方々、地域に暮らす方々を本当に誇りに感じていますし、将来に希望が持てます。
 教育が社会に及ぼす影響は膨大なのに、それに比して社会が教育に求める機会が少ないのは大きな問題です。このような機会に恵まれ、教育に新風が吹き込まれるのは大変喜ばしいことです。

(1)子どもの成長のために学校教育に期待すること

 子どもはひとりでは決して成長できません。どんな事情のある子でも、生まれてから、同じ年ごろの子どもと、同じように大人に見守られながら、社会集団の中で、一緒に育って行くことで成長していきます。
 (私はその専門性自体疑わしいと思っていますが、それは脇においておいても)どんなに効果的と言われる学習法や教育論によるものでも、ある事情によって、子どもを分類したり、意思や生活状況を無視して分離したりするおそれのあることは、公教育としては控えるべきです。また、子どもたちひとりひとりの持つ性質それそのものを否定したり、矯正しようとする怖れがあることも同様です。
 以上の二点は現状においては法律によって今でも措置されていることで、教育現場ですでに子どもたちに提供されている人権教育そのもの(現状の社会通念に見合った意識)と、大きく乖離・矛盾していることからも、その問題の大きさが分かります。

(2)早期からの教育支援についての配慮事項

 早期療育ということであれば、(1)と同じおそれがあります。分類し分離することは、その子とその子を支える家族の生活をずたずたにします。社会との接点が希薄になり想像力や協調する力を失っていき、ひとつの生活様式を押し付けられ、個性を剥奪されます。
 乳幼児期の子どもたちは本来、豊かに細やかにお互い影響し合って育って行きます。その成員のバリエーションこそがどの子どもの育ちを健全にします。
(障害の)早期発見ということの唯一の「良さ」は、「どういうことを配慮すれば一緒に生きられるか(状況支援)」ということを、予想して周囲に現実的な言葉で伝えることにつきます。それを材料に、隔離したり矯正したりしようとすることは、何の益も生みません。
 早期から教育支援を行うというのなら、なおいっそう「分けない」ことにこだわるべきです。
 また、子どもは自然に変化していきますが、いわゆる「鋳型」にはまっていないと、それを見過ごしがちであるばかりか否定する向きもあります。生まれてから学童期にいたるまでは、「這え、立て。しゃべれ」の大合唱の時期でもあるからです。「鋳型(スタンダード)」ということに対する意識の変化も必要かも知れません。色々な人がいて、全て自然なことなのだ、バリエーションにすぎない、ということを念頭におくこと、そのための教育関係者からの積極的な啓蒙活動も必要かもしれません。

(3)教育内容・方法についての配慮事項

 同じ内容(同じ教室、同じ教材、同じ先生と同じクラスメートと一緒に、同じように保護者不在で)ということに、どん欲になるべきだと思います。そして、その成員ひとりひとりの個性に応じたバリエーション(状況支援)を模索して行くことが、そのベストな方法と言えましょう。
 「なになにメソッド」「なんとか教育法(特別支援教育、という考え方もこれに含まれる)」という体裁になった時点で、現場では何の効果もない、子どもや社会にとって何の益も生み出さない「教育学のための教育(自己満足)」に陥ってしまうのです。
 本来、学級というのはとても有機的なものだし、教育も昔と違い「子どもが自ら喜んで学習する環境を整える」という部分に、教師のかなりの力量がそそがれているように(うらやましく)思います。そのことに自信をもっていただきたいです。

(4)学校における支援体制についての配慮事項

 現行の自立支援法における介助者は現サービスでは、大原則として「職場と学校では、このサービスは使えない」ということになっています。その理由は、「職場で障害のある人に介助が必要だったら職場が用意すべきだし、学校だったら学校管理者が用意すべきである」ということのようですが、実際はそんな親切な職場や学校はまれです。また、提供されたとしても、介助というのは人間同士の関係からはじまることですから、会ってその日からだれとでも、というわけにはいきません。非現実的です。結果として、この原則が、障害のある人の教育の機会を奪い、仕事をするということでの社会参加の機会を奪っています。
 長男の学校へは「介助のため保護者が終日付き添うように」と教育委員会から言われましたが、ある児童の保護者が学級にいつもいて学級運営がうまくいくわけがありません。長男にとっても大きな打撃です。保護者かわりの近所のおじさんおばさん(ボランティアさん)でも同じことです。わたしたちは、それまで居宅介護や外出支援ですでにお世話になっていたヘルパーさんに自費で学校内介助を依頼しました。教育委員会にもかけあい、給料の三分の一だけ教育委員会から支払われることになりましたが、残りは全て自費です。意味のあることだと信じているので後悔はしていませんが、年間百万円くらいの出費です。初等公教育は無償で子どもたち自身にプレゼントされるという日本の誇らしい「当たり前」があります。このお陰で、保護者の経済的理由によって、教育を受ける機会を奪われる子はいなくなったはずです。しかし、現状では「日常生活でさまざまな介助が必要な子」はその「当たり前」が通用しません。
 今、まさに法整備がすすんでいますが、職場と学校でこそ、パーソナルアシスタントという方向で、介助派遣の制度を使えるようにする必要があります。
 学校でも同じ介助者を伴うことは、障害のある子にとってどんなに安心か知れません。子どもらしく存分に力を発揮できるでしょう。また、周囲の子どもたちも「どこでもいける、一緒に学べる、遊べる」と安心でき、分け隔てないノーマルな人間関係を築いて行けるのです。

(5)施設・設備についての配慮事項

 学校は、すべての場所にだれでもアクセスできるようにバリアフリー化しなくてはいけません。したがって平屋でない限り、エレベータが設置されなくてはなりません。在校生に車いすの子がいるからエレベータを早急に設置してください、と言うと、「たったひとりの子どものために何千万もする設置工事はできない」と決まって言われます。財政難だ、不公平だ、と。しかし階段しか垂直の移動手段のない建物の意味を考えてください。高齢化社会を迎えて、孫の授業参観に来ても教室にいけないお年寄りが大半です。学校が努力して地域社会と結びつこうと、ゲストティーチャーを招こうにも、高齢の方や障害のある方、他階段を使えない人以外でないと招けない。骨折などで一時的に階段が使えなくなった生徒は、教室待機を求められる。身体障害のある教職員が採用できない、身体障害が生じたら解雇される・・・・・・そして、災害時の中長期的な避難所になっても機能できない。・・・・・・このように、障害のある子以外でもみなに関係する問題であるということもあります。しかしそれ以前に、「移動する権利」は人権そのものです。
 今までのように「だってこの学校を利用するのは階段が使える人に限られている」とは言えないのです。外国の方や識字のない方も訪れるからピクトグラムを提示したり、目の不自由な方が迷われないように点字プレート・・・・・・。一歩学校の外に出れば当たり前に実現していることです。命と人権にかかわることです。「まず。しなくてはいけないこと」なのです。

(6)学校外における支援体制についての配慮事項

 ふたつのことをお願いしたいです。
 ひとつは、一般の社会資源は、すべての人が使うものだという認識でいなくてはならないということです。たとえば児童館は子どもがつかう施設です。そこには目の不自由な子も、車いすの子も使うということです。(7)と同じことを言いたい訳ですが、学校の外の方が、このことについてはすすんでいると思います。
 しかしまだまだ想像力がはたらかない部分もあります。わたしたち家族や当人が日々「これは困る」「これ、いいね」と発信するのが一番ですが、なかなかそれだけでは足りません。そこで、支援者といわれる方―「私は自閉症の子に詳しい療法士だ」だの「肢体不自由児教育にたずさわって何十年だ」―だの言っている人がいらしたら、是非、一般の社会資源をみなで使う時、こういう人が使う時現状では何が不自由か、こういう工夫で解消される、ということを発信し、より現実的なものにする手助けをすることに職務意識をシフトしてほしいのです。「障害を治す」仕事がなくなっても、まだまだ専門を活かす場面はあります。

 もうひとつは、ひとりの人間として先入観を持たずにつきあってほしいということです。
 長女が学校でもらってくる「個別の教育支援計画」の表紙には、大真面目にこう書かれています。
「個別の教育支援計画とは、生涯を見通して、児童・生徒のニーズを把握し、必要な支援を行うための計画書です。保護者・学校が協力して作成し、地域で生活する個人として、教育・福祉・医療などの関係機関が連携をとり、支援していくためのツールです」・・・・・・
 特殊教育から、特別支援教育への転換、と言われたころからだったと思いますが、しきりに生涯を通じた支援を、とか、「就学前施設」から「学校」へ、「学校」から「通所先」へ教育的課題の資料の引き継ぎを充実させる、とかいう声がよくきかれるようになりました。
 これは、迷うことなく(いや葛藤することを放棄して)療育施設から特別支援学校に進学して小中高と12年間子どもを過ごさせて来て、外の世界から取り残されてしまったような保護者の方々とお子さんたちにとってはともかく、そうでない私たち家族のようなものには大変不愉快なものです。
 内容のなさについても問題ですが、いまは脇に置いておきましょう。それよりも何よりも、なぜ、障害があるからというその理由だけで、このように、公の複数の機関に無条件に(半強制的に)個人情報を渡さなければならないのか理解に苦しみます。また、施設入所というかつての王道は次第に否定されて来たけれど通所だろうが、通学だろうが、行き先は「障害種別」で決められており選択肢もない中、このような情報提供で処遇されようというのですから、「いき方を決められて押し付けられている」と言わざるを得ません。それが「あなたのために」という福祉サービスのように提供されていることが、本当に不愉快なのです。
 このような学校からの発信が、どれほど、地域とのつながりや生活の自「律」をさまたげているか知れません。障害があるからといって、それが重かったり沢山あったりするからといって、「これが幸せである」「こう生きるのがよい」という思い込みを「学校外」の支援者、支援機関まで持ってしまっては困ります。
 その人その人、その子その子と丁寧に人間同士として対峙するという姿勢をおろそかにしないでください。

(7)幼、小、中、高等学校の各段階における配慮事項

 高等教育は、教育の機会ということを考えると、学ぶ意欲があってもさまざまな障害から断念する人が多いと思います。障害というレベルまでいかなくても、学習意欲とセンスがあるのに「あがり症」で受験がことごとく失敗、ということも多いのではないでしょうか。
 それから、受験して偏差値のよい大学に入ったらゴール、というようなことも含めて何か高等教育が「職業訓練校」のようになっているのも気になります。
 いつも「長女は教育の機会を奪われた」「勉強する喜びを奪われた」というような気持ちでいるからか、このことがいつも心にひっかかります。
 機会の均等というのは、大切な発想だと思います。女性の社会進出のさいもそうでした。諸外国や先進国でも無受験で望めば高等教育を受けられるところは少なからずあるようです。日本もそうなれば、バラエティにとんだ成員による豊かな学習環境が保たれて、新しい発想が生まれたり、職業選択の動機づけがスムーズになったり、沢山のことがよい方向に向かうような気がします。
 今のようにある「鋳型」どんどんグループ分けして、それによって優位に立つ人と隷属する人というように人生が決まる、という誤解を与えるようなシステムは望んでいない人が圧倒的だし、それによって生きる気力を失っている若者もとても多いように思います。
 教育の仕組みが変わると、世の中も大きく変化します。前向きに考えていただきたいです。

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初等中等教育局特別支援教育課

(初等中等教育局特別支援教育課)