資料1 中央教育審議会初等中等教育分科会 教員養成部会 教員免許制度ワーキンググループ(第6回) 議事要旨

1.日時

 平成17年5月26日(木曜日) 14時~16時30分

2.場所

 九段会館 4階 「桐の間」

3.出席者

 野村主査、角田副主査、天笠委員、門川委員、甲田委員、渡久山委員、八尾坂委員、山極委員

文部科学省関係者

 銭谷局長、山中審議官、板東審議官、徳永審議官、戸渡教職員課長、勝野視学官 他

4.議事

(1)教員免許制度の改革、とりわけ教員免許更新制の導入について

 事務局から配付資料の説明の後、資料3~5の論点ごとに自由討議が行われた。主な発言は以下のとおり。(○:委員、●:事務局)

委員
 資料3ページ4の2つ目のまるについて、後段部分に「広く豊かな教養」とあるが、実践力等の記述があると良い。また、教員養成についての大学の責務に触れているが、素晴らしい実践をしている大学と、最低限のことすらできていない大学の格差を、どのように検証していくかについて、触れた方が良い。

委員
 教員養成・免許制度の現状について、こうあるべきという記述と、現状の記述とが混在しており、整理すべき。5ページが総論となっているが、その後に続く更新制の導入部分に当たるため、それとの関連付けが必要である。総論では、なぜ更新制を検討しなければならないのかという問題意識を記述すべき。また、教員養成・免許制度の現状の中で、カリキュラムの問題が指摘されているが、国立大学法人化以降、各大学では財政面を考えざるを得なくなってきているため、カリキュラム編成等にも影響が出てきている。ここで指摘されている課題としては、法人化後の運営経費も含めた、教員養成における財政上の問題も課題としてあるのではないか。

委員
 大学全入時代が近づき、定員割れしている大学もある。大学によっては、学力の低い学生も受け入れなければならないのが現状である。しかし、国民から教員養成を任され、立派な教員を教育現場に送り出す約束の下に、課程認定をしている。今後、学力の低い学生も受け入れる中で、検証制度が重要になってくるのではないか。4ページの2つ目のまるに、「教員養成を行う大学には、哲学、倫理学、歴史学等の人文科学や基礎科学等を幅広く履修し」となっているが、教養教育と専門教育が二分されているのが問題である。これまでは、全国一律の画一的な教育が求められたが、今は地域に根差す教育が求められている。地域に生きる子どもには、地域の自然や歴史、文化、市民性等を捉えて、教育しなければならない。社会学や歴史学、民俗学、自然科学等は、単なる教養科目ではなく、それらを通じて、地域に根差した教育を行う基礎がつくられなければならないが、教員養成とは無関係に行われている。

委員
 国は、学習の到達度を評価する方向で進んでいる。同様に、教職課程についても、国がカリキュラムをつくり、きちんと教育されているかを実地視察等で評価することも検討して良い。

委員
 教員は、教育実習や現場での教育活動を通じて、教員としての専門性や適格性が深まる。5ページの2つ目のまるに「教職生活全体を通じて、教員としての専門性の向上が図られる」とあり、その前に「教科等の指導力や適格性等を含めた教員としての全体的な資質能力」とあるが、教職生活を通じての専門性だけでなく、適格性や、同僚性のような共同作業として教育活動ができる資質についても、触れた方が良い。

委員
 免許法の改正のたびに、免許取得のための科目が大まかになり、大学に任されるが、実際は担当教員に任されている。今回の免許法の改正に合わせて、免許取得に必要な科目で教えるべき内容を詳細に定めても良いのではないか。日本では、米国や欧州と比べて、いまだに教育評価に関する理論は培われていない。教育評価理論に限らず、カリキュラム理論や教授学習理論でも担当教員任せとなっている。開放制の原則の下、法律等で縛るのは慎重にしなければならないが、最低限必要な内容を定めることができないか、また、免許状ごとにどのような内容の講義を受けるべきかを定めることができないか。科学的根拠を持った教育研究の蓄積が知られていないのは、嘆くべきところである。

委員
 これまでも、二種、一種、専修免許状で、必要修得単位数は増えているが、質の違いがあるのかという意見が出されていた。単位の評価についても、最小限必要な資質能力を持った者が可で、それより上の者が良や優であり、また評価の判定基準の前に、内容の問題があるのではないかという意見が出されていた。

委員
 現場における教育と大学の教職課程の乖離をどうするのか。実地視察をしても、必ずしも改善されない実態を厳しく指摘しなければならない。また、専修免許状を取得しても現場で評価されないが、これは、単位の内容が現場における教育と乖離しているということである。フィンランドでは、修士課程まで教員養成を行っているが、日本でも、そのようなことを検討する必要があるのではないか。

委員
 教養審の第1次から第3次の答申を受け、免許法が大改正されたが、各大学は必ずしも答申を理解して教員養成を行っていない。改正された教科を設定するだけで、設定の趣旨も検討せず講義を行っている大学がある。課程認定の際には、できるだけ事前チェックは厳しくせず、事後チェックを厳しくするようにしているが、完成年度を過ぎれば、教員の入れ替えを行うような大学もある。このため、申請時に、大学が養成しようとする教員像を明確に持ち、カリキュラム編成をしているかどうかを厳しくチェックし、その上で、実地視察を行い、チェックしていこうとしている。

委員
 これから、小学校教員の養成が重要となるが、音楽や美術、体育等も教えられなければならないというのは無理である。専科制や交換授業、教科担任制を検討しなければならない。それを踏まえた免許状があっても良いのではないか。幅広い教養と実践力を持ち、全ての教科を完璧に教えられることが、仕上がり基準の建前になっているが、負担ばかりが増えては、教員を目指す者がいなくなる。

委員
 免許状の授与の仕組みの見直しについて、大学においても、適格性を身に付けさせるために努力しているが、十分ではない。適格性は、実践的な活動から身に付いてくる。その意味では、案1は必要条件であり、案2の考え方まで含めて十分条件という形が検討できないか。採用試験や初任者研修の段階で適格性を見て、正規の免許状を授与するという形で良いのではないか。

委員
 教職の意義等に関する科目が新設されたが、これは、教職に対するモチベーションとしてどのような勉強をすれば良いのかという意識を持たせるという解釈と、案1の「教員としての適格性に関する科目を新たに設けて」という場合の、適格性に関する科目という考えから、むしろ4年次に持ってくるべきではないかという意見があった。

委員
 案1は適格性に関する新たな科目となっているが、どのような形であれば適格性を養成できるのか。現行の教職課程を全体的に見て、適格性を養成できるものが全くないとは言えないのではないか。案2の暫定的な免許状は難しいのではないか。多くの者は免許状を取得するのみで、教職に就くことはない。免許状を取得し、自分の子どもの教育に役立てられるかもしれないという考えの人もいる。ペーパーティーチャーは、一定期間後に消滅することを想定しなければならないが、現行制度の中でそこまで踏み込めるのかを検討する必要がある。案3は、採用試験がある中で、国家試験を導入することが良いのかという問題になる。また、栄養教諭の場合、栄養士や管理栄養士の国家資格を持つ教員であり、これを前提にして、教諭も国家試験により資格を与える形が取れるのかが問題である。

委員
 案1と案2について、現行の教職課程のどこまでを前提とするのかによって結論が出てくるのではないか。例えば、現行の教職課程の中に、長期間の教育実習を組み入れたカリキュラムができるのであれば、適格性を判断できるのではないか。教育実習が数週間程度で、それ以外の現場体験がほとんどない現行の教職課程では、適格性を判断するのは難しい。現場での教育実務で、どこまで対応できるのかが、適格性の判断基準になるので、現行の教職課程を前提にするのであれば、案1と案2を一緒に行う形になる。現行の教職課程を前提にするなら、より教育現場に学生を置かせるようなカリキュラム開発を行い、そこで適格性を判定すべきではないか。また、適格性の養成に関する科目については、学級経営や生徒指導といった科目の中で、それらを相互に関係させながら適格性を判断するものであり、特定の科目のみで適格性を判断するのは難しい。

委員
 更新制がない場合、免許状授与のハードルを高くすることが大切だが、更新制や教員評価等を重視する中で免許状授与の仕組みを考える場合には、免許状授与のハードルが高すぎると、外部の多様な人材を集める際に、プラスに作用しないのではないか。

委員
 参考資料によると、上越教育大学は、6つの評価項目を設けて、それぞれに2~4の観点を示して評価する形になっている。この形式で、実習先の校長が評価するとされているが、実際には、校長が適切に評価を行うことは難しいため、評価に未熟な指導教員が行うことになる。このため、評価者としての指導教員の訓練が必要となる。また、一定の勤務実績を評価するとなると、今の勤務評価のようなものであれば制度的に運用しやすいが、評価期間が、例えば5年となった場合、ほとんどまるの評価とされてしまうのではないか。ばつの評価とされた場合には、不服申立や審査請求といった制度もつくらなければならない。

委員
 制度をつくるのは良いが、どの程度機能するかという問題がある。案1の教育実習での評価の念頭にあるのは、附属学校のある国立大学である。私立については、中・高等学校はほとんど母校実習であり、また、小学校は同じ系列の附属学校で行うのがほとんどである。母校実習は、受け入れが決まった段階で、実質的に評価が○とされるのが決まっている。制度としては良いが、評価を○としないことがあり得るのかどうか、実態を念頭に置きながら詰めなければならない。

委員
 人事考課制度は、勤務状況等も含んだ広い概念であるため、更新制と人事考課制度は直結しない。更新制を前提とした免許状授与の仕組みを考えると、案2の考え方が妥当。大学が自己評価をして、実習を良い方向に高めていくとしても、完璧ではない。このため、教職生活を通じて、専門性を高めるために、更新制と上進制が考えられる。案2で、暫定の免許状を付与し、その後、正規の免許状を授与することは混乱を招く。大学卒業者に対しては、5年間の有効期限付の正規の免許状を授与する方が良いのではないか。また、初任者研修は別制度であるため、更新制と絡めると複雑になる。仮に5年の有効期限とした場合、2回目の更新では、10年経験者研修と重なるが、自治体の判断で更新の仕方に工夫があっても良い。

委員
 案2とすると、大学における教員養成の原則と矛盾するという指摘があった。現行の1年間の条件附採用期間が機能せず、そのまま採用されていることが問題であり、的確に運用すれば、現行の免許状の授与の仕組みでも対応できるのではないか、ということであった。また、教育実習についても、期間を広げることは問題であるとのことだったが、1~4年生の間に、学校現場に触れさせる仕組みはできる。現行の教職課程で対応できるものは、進めていかなければならないが、母校実習や附属校実習、単位の二重履修等の問題で限界がある。また、各大学で、どのような教員を養成するかを話し合うことなく、教員が勝手に授業を行っている現実を踏まえて、養成する教員像を検討する組織をつくり、その基で授業を行い、最小限必要な資質能力を持った者を送り出すべきとのことだった。

委員
 より優れた教員の養成や研修を行うために、更新制や専門職大学院を利用しようとしているが、それを起爆剤として、現行の教員養成や研修の在り方を変えようという期待がある。更新制については、前回答申で見送ったが、その後の状況変化を踏まえ、今回打ち出すのは良い。しかし、更新制を打ち出すにあたり、新たな制度設計のみを検討するのであれば、不完全燃焼となるため、更新制等をてこに、現行の教員養成や研修を根本的に問い直すことが必要になる。

委員
 9ページの案1について、例えば、大学における教員養成の意義、教職課程の履修全体を通じて身に付ける専門性や適格性等を備えた資質能力、そこで身に付けた資質能力を総合的に評価する仕組みとともに、教育実習の改善を記述したらどうか。教育実習については、第三者の評価委員会をつくり、一定基準の下で、客観的な評価ができるようにしても良い。また、教職に就く入口のハードルは低くした方が良い。教職に就いた後の実践を通じて、適格性や専門性を向上させていくことを前提にして、更新制や分限処分等を検討してはどうか。更新制を導入する場合、現場での経験がなければ適格性を評価できないので、一定期間、教育職実践を見て、更新を検討する形にしてはどうか。また、案3の新たな国家試験は採用する必要はない。

委員
 適格性に関する科目は、座学的な科目であれば、適格性の判断は難しい。教育実習の長期化は、学校現場の負担が大きいので、1~2年次の段階に2週間程度、学校現場でのインターンシップやボランティア等を行い、そこで教員に向いているか自己判断させ、3~4年次に、改めて進路を考えさせるのはどうか。1~2年次の早い段階で、適格性を見極める機会をつくる必要がある。新規採用教員を見ると、頭が良く、知識もあるが、子どもとうまく付き合えない、一緒に遊べない者がいる。これらは、中学・高校生くらいから身に付くものなのではないか。その意味では、自分自身が適格性に気付いていくような履修形態や仕組みを考えることが必要である。その上で、教育実習や採用、更新制につなげていけば良い。免許状の更新は早い時期に行い、適格性については、ハードルを低くしながら、自分自身が判断する仕組みを取れないか。

委員
 教育実習を通じて、子どもをより好きになったという学生もいることから、早い時期に子どもに触れさせることが重要である。

委員
 案3に関連して、教員免許は本来的に国家試験にした方が良いが、国家試験は筆記試験であるため、適格性は判断できない。現在、大学は自己評価や第三者評価を行い始めたが、教員養成大学・学部についても、教員養成に係る自己評価や第三者評価を行い、その公開も含めて義務付けるなど、国家試験に代わる検証システムが必要ではないか。例えば、教職に就いて3年後に、一回目の更新を設けても良いのではないか。また、教育実習は、母校や附属校、一般校というように、複数校で行う必要がある。学校現場の負担は大きいが、現在、小・中学生が職場体験として企業や福祉施設に受け入れてもらう中で、学校も教育実習を受け入れることの抵抗が薄れてきた。後輩教員を育てるために学校現場も汗をかかなければならず、行政もフォロー体制を築かなければならない。

委員
 教員養成大学・学部は、科目ごとの計画や評価ではなく、Plan-Do-Check-Action(計画・実施・評価・改善)やManagement Cycleといった広い視点の組織マネジメントの発想が必要である。自大学の教職課程にどのような特色があり、何を目指して、どう実行していくのかといったものを示す必要がある。

事務局  大学院については、今後、専攻ごとに養成すべき人材像、それに必要な修得させるべき知識・技術・体験を、あらかじめ大学が公開することを設置基準上義務付けたいと考えている。専門職大学院、特に法科大学院については、設置認可後のアフターケアについて、大学別の留意点を全て公開しており、厳しく行わなければならない。

委員
 教職課程に焦点を当てた自己評価等を、一般大学でも取り組む必要がある。

委員
 免許状の授与の仕組みの見直しについては、免許状の仕組みそのものの見直しも含めて検討するのか、明らかにする必要がある。現行の免許状の仕組み自体を問うことなく、授与の仕組みだけ検討すれば良いのか。

委員
 更新制や免許状授与の仕組み等は、小学校と中・高等学校で異なる。小学校教員については、国語・社会・算数・理科の4教科は全て教えられなければならないが、他教科については必ずしも全て教えられなくても良いというような免許状があっても良い。また、二種、一種、専修の免許状についても、それぞれ検討しなければいけない。

委員
 米国のみが更新制を導入していることを考えれば、基本的には、教員養成段階のハードルを高くして、更新制を導入しないということも考えられる。また、現職教員への更新制の適用については、現行法の下で、免許状を授与されているので、慎重に検討しなければならない。現在の学力低下や不登校、いじめ等の問題は、教員の資質に原因があるという論調が多く、更新制を導入することが、日本の教育を良くするという見方が多いが、そのような趣旨で導入するのは問題ではないか。大学における自己評価や第三者評価等の取組みにより大学が活性化してくると、教員養成も改善されていく可能性があるが、すぐに実現するものではない。

委員
 更新制とは、専門的な職務を行う者に対して、職務の質の向上を促すものである。更新を何段階も行う必要はないが、初任者の段階、その後の勤務実績や適格性に基づく段階があるのではないか。そこでは、高いハードルは設けず、研修等で資質能力の向上が見られ、適格性があれば、上級免許状に上進していくというイメージを持っている。現職教員への適用は慎重にならざるを得ないが、日本の教員のために、更新制をどう役立てるのかという視点から検討しなければならない。また、わいせつ行為を行った一部の教員を取り出して、日本の教員に問題があるという議論をしても、日本の教育は良くならない。日本の教員は、使命感と情熱で頑張っており、これを評価し、サポートする仕組みをつくらなければならない。

委員
 免許状の再授与の在り方について、適格性が欠ける教員であれば、本来、懲戒免職処分や分限処分となる。懲戒免職処分となれば、免許が失効するので、更新制において不適格と判断されて、免許状が失効することとの整合性が問題となる。更新制で免許状が失効する判断は、懲戒処分や分限処分における不適格の判断よりも軽いものなのか、検討の余地がある。

委員
 不適格教員が出た時点で、その教員に教えられた子どもは犠牲になっているので、一人も不適格教員を出してはいけない。そのために、更新制を検討しなければならない。また、社会が変わり、子どもの様態も変わってきており、その研究も進歩しているので、それらの新しい知見を持って教育に当たらなければならず、そのための研修を重ねることは専門職として当然のことである。知識を積み重ねる仕組みをつくり、新しい知見等に対する資質能力が備わっていることを保証することで、教員が尊敬され、信頼されるようにする中に、更新制を位置付けられるのではないか。研修は同僚と学び合うことや、行政研修が体系的につながるような仕組みができれば良い。一方で、研修修了者に対する評価システムも検討しなければならない。

委員
 更新制の基本的な在り方については、最低限必要な適格性だけではなく、専門性を高めていく努力を緩やかに評価するというイメージであった。「一定以上の勤務実績」に、非常勤講師等としての勤務実績を含めたことは良い。また、例えば、いのちの電話の相談、子ども相談センター等における相談員のボランティアを行いながら、大学の公開講座等を受けている場合も、評価して良いのではないか。失効後、3~5年程度経過するまでは、再授与の申請を認めないとするのは良いが、再授与にあたっては、再教育・再訓練を義務付けなければならないのではないか。

委員
 若い教員は、その後の指導によって、指導力を改善できる場合があるが、40歳過ぎの教員では再教育でも復帰させることは難しい場合がある。案1では、理由の如何に関わらず、再授与の申請を認めるとなっており、再教育等が必要という記述も盛り込む必要がある。学級崩壊等を引き起こしたことにより不適格とされる教員が出てくる可能性があるので、再授与の仕組みは必要である。

委員
 更新制の導入を前提にした場合、例えば3~5年の間に、専門性や適格性、同僚性が身に付くということが前提となるが、初任者研修では指導教員が忙しすぎて、指導できない状態であったり、研修にかける予算も少ないなど、現行の研修の在り方では、これらを向上させることは難しいのではないか。

委員
 教壇に立って適格性が高まり、本人の努力により専門性が磨かれるというのであれば、有効期限の5年は長い。1回目は3年、2回目以降は10年で良いのではないか。また、免許状の種類によって有効期限に差をつける必要はない。

委員
 京都市では、教育委員会が主催する研修とともに、研究会が行う自主研修や、研究会と教育委員会の共催の自主的な研修を奨励している。さらに、教育センター内にカリキュラム開発支援センターをつくり、現場の優れた実践を集めている。これを基に、カリキュラム相談会や校内研修サポートチームをつくり、相談を受けたり、学校現場を支援する体制をつくっている。ホームページ等で情報公開もしており、他府県の教員も多く集まってきている。

委員
 都道府県の研修センターの多くは最低限の研修をするところになってしまっている。東京都でも、以前は、地域に根差した教材やカリキュラムを開発していたが、現在はない。研究開発が途絶えると、教材の内容が廃れてしまう。更新制は導入しなければならないが、更新制が教員の最低限の資質向上のためだけに利用されるのでは、教員の向上意欲を刺激しないし、優れた教員を生み出すことはできない。更新制の導入と同時に、研修制度を改め、また、地域に根差した研修・研究・教材開発を充実させる教材開発支援センターのようなものを整備しなければならない。

委員
 校内での研修や提案授業、研修センターでの自主研修、教育雑誌への投稿や研究会での提案発表、さらには、教員が教員養成大学・学部の教員と一緒に、授業実践の研究発表をすることも、更新制における評価のポイントに換算していくべきではないか。また、教員を目指す学生が参加して、研究発表を手伝うことで、教職への理解を深めることも重要である。研修ばかりに参加して、子どもへの指導に力を注がない教員もいることから、行政研修だけで更新を行っていくのは問題である。

委員
 大学教員に研究費があるように、小・中・高等学校の教員の研修活動についても、財政的に支援する必要があるのではないか。この機会に、国で研修に係る費用負担の制度を設計し、財政支出してもらうことも必要ではないか。

委員
 都道府県等に、地域カリキュラムセンターを設置するように訴えてきた。米国でも、いくつかの州ごとに、教育研究センターをつくり、地域の教育研究等を行っている。そういう取組みに人を配置し、予算を配分しなければならない。学校現場と大学、教育委員会をつなぐ機能、教員が集まる場にして、様々な研究開発ができる機能を持った教育センターの仕組みを、更新制の議論に絡めて、書き込めれば良い。

事務局  市町村は比較的研修に意欲があるものの、研修の場が近いか遠いかによって、教員の研修意欲は変わってくる。現在、義務教育改革が検討されており、その中で、様々な権限を市町村や学校に移すことも検討されているが、教員研修についても、他の施策とともに総合的に取組む必要がある。財政保障については、全体的な義務教育の改革の検討の中で考えていくべきである。

委員
 校長や教頭の資格については、学校運営に責任を持つ教育委員会に任せて欲しい。校長や教頭を免許状の種類によって拘束するということは適切ではない。

委員
 4年間の教員養成と1年間の初任者研修、その後の4年間の合計9年間が、教員を育てる意味で大切な期間であり、このつながりをどのようにしていくのか検討すべきである。その意味で、教職に就いた5年目が、制度的な面でも一つの区切りになるのではないか。1回目の更新は5年目辺りが良い。その点で、現行の10年経験者研修はポイントがずれている。むしろ、5年目辺りに10年経験者研修を重ね合わせることが大切ではないか。また、教員養成・免許制度の改革の基本的な考え方の中に、教職の専門性は、教職生活全体を通じて向上されていくものであるという文言があるが、更新制は、それを促進し、社会に対して証明していく一つの手段という考え方であるべきである。その意味で、専門性は常に時点更新しながら維持していく性格のものであるという位置付けで良いのではないか。

委員
 更新制は、専門性向上の契機にした方が良い。不適格教員の取扱いは他制度で対応できる。教職生活の節目ごとに、どのように職能成長を図っていくかということである。節目によって、教員の置かれている立場も異なるため、職能に応じて、様々な研修が求められ、研修内容もそれぞれに対応したものが必要となる。米国では、様々な研修提供者がおり、研修内容も多様となっている。また、研修の問題点として、教員が文献の探し方を知らないことが挙げられる。カリキュラム開発センターのような組織をつくるのであれば、大学の紀要等も含めて幅広く情報検索できるシステムをつくり、センター間で情報交流ができる形をつくらなければならない。そのようなセンターでの研修も、更新制における自己研鑽の一つとして考えて良いのではないか。

委員
 校長は、専修免許状を取得しているのが望ましいが、校長になる前に、大学院に行って上級免許状を取得するのは難しい。例えば、都道府県等の研修センターの研修も、大学院の授業と同じく単位認定することが必要ではないか。大学院に行かなければ、専修免許状を取得できないというのではなく、研修センターの研修で、専修免許状が取得できる仕組みをつくることで、原則として、校長は専修免許状を有することが望ましいとなれば良い。

委員
 専門職大学院ワーキンググループでの議論も並行して進んでいるが、両ワーキンググループでリンクする課題もあるので、整理する必要がある。また、将来的には、校長や教頭、教育長の免許状の在り方についても議論する必要がある。

委員
 専門職大学院が更新制とリンクするのであれば、教員養成部会での報告に限らず、このワーキンググループでも情報提供して欲しい。

5.閉会

お問合せ先

初等中等教育局教職員課