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80年代初当は少なくとも緊縮財政ではなかった。実際、バウチャー導入時には、バウチャー額を従来の一人当たり経費の30パーセント増で設定していたようだ。したがって、財政削減目的で行われたわけではない。
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当初、バウチャー単価は物価スライド制を考えていたようだが、82年の財政危機以降バウチャー価格が下がり、実際、私立の設立数が減少している。
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90年代後半から助成私立の設立が増えているのは、文民政権になって以後、助成私立について、学費を徴収することができることとしたことが要因であろう。
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授業料を保護者から徴収するようになった背景は、バウチャーだけではやっていけないということがあったのだろう。
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公立では入学試験が禁止されている。しかし、バウチャー対象校(助成私立校)や一部の人気公立校では事実上の抽選をしていたのだろう。したがって、極端に問題のある生徒は、心理テストや面接などを通じて排除できたのかもしれない。
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公立で解雇された教員を私立が安い給与で雇うということはあったのだろうが、率先して公立から私立に行った教員は少ないだろう。少なくとも、私立が優秀な教員を雇うということではなかったようだ。
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文民政権移行時、既に多くの(3,000近くの)助成私立校が存在していたため、既得権益が存在しており、もはやバウチャーをやめるわけにはいかなかった。これが、文民政権に移行した以後も、制度を継続した理由だろう。
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教育効果についての分析はデータ読み方によって分かれており、評価が収斂していない。
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当時は軍事政権下だったので、完全に上から一方的に且つ強制的に押し付けたようなものである。特に、教員の非公務員化などは普通の国ではまねできない。
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参入障壁については、ほとんどフリーパスであり、企業での参入も可能であった。
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特別支援教育を受ける生徒のバウチャー価格を当初、通常の単価の3倍を払っていたようだ。そのため、多くの学校が参入してきたが、現在では、そのような生徒のバウチャー価格が減ってきて、逆に学校側から拒絶されるということもあるようだ。
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99年に初めてTIMSSに参加したとき、相当自信をもって望んだらしいが、結果は芳しいものではなかった。このことに対し、国内では改革が教室まで及んでいなかったという評価を受けている。
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通学費は親が払うことになっている。チリの場合、バウチャーの支払い対象は、在籍者でなく、出席者であるため、スーパーバイザーは公私ともに設置されている。
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株式会社日本総研から調査計画について説明
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イギリスはバウチャーなのかどうなのかという議論もある。基準はどうなのか、整理した上で調査すべき。
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数多く行われている定量分析の元になったデータを入手できればよいが、なかなか入手は困難である。
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