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教育バウチャーに関する研究会(第6回)議事要旨

1. 日時
  平成18年9月8日14時〜15時

2. 場所
  三菱ビル M1会議室(地下1階)

3. 出席者
 
<有識者>   小川座長、金子元久委員、新見委員、渡邉委員
<文科省> 清木生涯学習総括官、大槻生涯学習局政策課長、徳久初等中等教育局企画課長、小松高等教育局企画課長、澤川行政改革推進室長、
<オブザーバー> 金森総括審議官、尾崎初等中等教育局財務課長
<外部有識者> (規制改革・民間開放推進会議)草刈委員、白石委員、安念専門委員、戸田専門委員、福井専門委員
その他担当官

【小川座長】 予定は2時からということでしたけれども、若干予定の時刻よりおくれましたが、ただいまから教育バウチャーに関する研究会、第6回目を開催いたしたいと思います。本日は、ご多忙中ご出席いただきましてまことにありがとうございます。
 今日は、規制改革・民間開放推進会議の委員の皆様から、教育バウチャーについてのヒアリングを行うということで、本日は推進会議の草刈委員、白石委員、安念専門委員、戸田専門委員、そして福井専門委員にお越しいただいております。本日はありがとうございました。
 今日の予定ですけれども、まず最初に規制改革・民間開放推進会議の草刈委員のほうから一言ごあいさついただきまして、その後に福井委員のほうから約30分ほどご意見をお伺いし、その後に30分ぐらいの時間を使って質疑応答を行っていきたいというふうに考えておりますので、よろしくお願いいたします。
 まず最初に、草刈委員のほうからどうぞよろしくお願いいたします。

【草刈総括主査】 今ご紹介いただきました規制改革・民間開放推進会議で教育問題の担当をしています草刈でございます。よろしくお願いします。今日はこういう機会を与えていただいて、お招きをいただいてありがとうございます。
 今年の5月に一度だけ教育バウチャー、この件について文科省の皆さんと公開討論というか、オープンな討論をやらせていただきました。その際にそちらの研究会の検討状況についてご説明をいただいて、引き続き研究検討を行っていきますというお話でございました。伺うところによると、皆さんお忙しい方ばかりなので、5月以降本研究会が開設されておられないようですけども、閣議決定に本年度中に結論を得るということになっておりますので、残された期間もかなり限られたきた、こういう時間軸になっております。本日は検討に資する有意義な意見交換をさせていただきたいと思っています。
 それから、これから9月半ば以降、新政権が誕生するということで、その新政権は教育問題というのは重要な施策というふうにとらえられておって、バウチャーの話もわりと頻度が高く出ておりますので、この辺も踏まえながら議論していかなければいけないんじゃないかというふうに思っています。
 それから、今日は今からこの会議側を代表しまして、福井先生からヨーロッパの件、海外調査を行ったということで、その辺の話にも触れていただきますが、私どもとしてはアメリカの最新情報についても、これから現地を見てスタディをしていくつもりでおります。そのことだけつけ加えさせていただきますが、本日はお忙しいところありがとうございます。よろしくお願いいたします。

【小川座長】 どうもありがとうございました。
 早速、福井委員のほうからご報告よろしいでしょうか。よろしくお願いいたします。

【福井専門委員】 福井でございます。本日はお招きいただき、こういう機会を与えていただきましたこと、まことにありがとうございました。バウチャーについては、政治の上でも大変重要な課題に位置づけられつつあると認識していましたが、こういう意見交換の機会は大変貴重なものだと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
 それでは、教育バウチャーについてという本日付けの教育研究ワーキンググループのレジュメに沿って、現在の私ども規制改革・民間開放推進会議で検討しておりますバウチャーの概念、会議として行いました海外調査のエッセンスなどについてご紹介をさせていただきます。
 まず1番の教育バウチャーの意義等です。教育バウチャーについてはさまざまな概念規定があるようですが、私どもは、ここに書きましたように考えています。オリジナルの意味としては、教育に使途を限定して換金できる切符を生徒1人当たり一定額として、児童生徒保護者に交付するという概念です。転じて現在では、学校選択によって、その学校に通う児童生徒数を確定させ、その数に応じて教育予算を配分する予算の配分方式である、というのが私どもの理解です。
 この場合、どういう教育機関に対してバウチャーを使えるのか。一定水準の確保はもちろん図るわけでありまして、文科省がやっておられますような学習指導要領、あるいは最低限の教育の水準を担保するような諸基準、こういうことは当然必要なわけですが、現在よりもはるかに緩い基準で可能ではないだろうか、と一般的には考えられます。政府が最低限の外部性、外部性というのは市場取引を通じないでほかの人に及ぼす利益又は不利益のことですが、それを管理することは重要です。義務教育などでは、読み、書き、そろばんの基本ができるということが、その子のためになるだけではなくて、将来仕事についたときなどに国民間の基本的なコミュニケーションのネットワークを成立させるうえで必須のものになるという意味で外部経済があり、その徹底は大変有益です。
 また、教育には価値財という性質があります。子供に学校に通うかと聞いたらいやだと言って行かないかもしれない。あるいは昔だと、あるいは今でも一部の途上国などでは、親が教育を受けさせずに子供を労働力に使ってしまうかもしれない。そうすると、当事者の意思にかかわらず、とにかく後でやり直しの効かない勉強を子供のうちに身につけておいてあげないといけない、という一種の温情主義的な教育の消費を強いるという要素もあるわけです。こういった要素からの基準作成は当然必要なものですが、さらにより重要であるのは、教育機関が真実の情報のみを広く公開するように厳格に監督することですとか、あるいは教育現場に責任と権限を一体的に付与して各学校の自主性、自律性を尊重することであり、こういった政策とパッケージになることで、バウチャーの効果が一層発揮できることになります。
 次に、教育に関しては、学習者の選択を完全に自由にすることがこのバウチャー制度と裏表で重要です。言いかえれば、学習者主権を確立するということがバウチャーとセットで大きな意味を持つと思います。
 また、憲法89条には、公の支配に属しない慈善、教育、博愛の機関に対して公金支出をしてならないという制限がありますが、これについて、例えば株式会社学校、NPO学校に公金助成をする場合に、機関補助としてそれを直接行うと、この憲法89条に抵触するのではないか、という議論が存在しているところです。議論の当否については、私どもは基本的に学校法人、株式会社、NPOなどの主体によって89条の解釈が分かれるわけではない、と考えておりこの議論は当たらないと理解していますが、仮にこの議論を前提にしても、バウチャーとは基本的に消費者に対する補助ですので、89条で想定されている機関補助の問題にはならない。したがってバウチャーは憲法論を回避できるというメリットがあると考えています。多様な補助制度を支えるインフラストラクチャーとしてバウチャーの意味があると理解しています。
 バウチャー制度のもう1つの意味合いですけれども、学校ないし教育機関が補助金を獲得するためには、補助金を交付する官庁を向くのではなくて、学習者側の満足度を高めなければならない、ということです。この点は消費者主権という観点からも大きな意味がある効果だと考えます。諸外国には多数の事例があるわけです。ここにオランダの例を書いていますが、実際に200人の生徒さえ集まりますと、学校はだれでも自由につくることができることとされています。教会や自治体はもちろんのことですけれども、例えば住民の自治組織である町内会などでも学校を自由につくることができる。設立の自由度がきわめて広い国です。当然、オルタナティブ教育と言われるますモンテッソーリ、シュタイナーなどといった学校もバウチャーの対象になっています。そして、設立した後は200名の最低人数を維持することが基本的な責務であり、それが可能な限り、すなわち一定人数を満たしている限りは、生徒1人当たり一定額の公的助成を自動的に交付するという仕組みです。ちなみにオランダの場合、校地、校舎については自治体の責任で手当をして、主に教職員の人件費についてこのバウチャーを充てるという制度がとられています。オランダのバウチャーは1917年から90年近くの歴史があります。世界でも先駆的事例として、現場調査等も行いましたが、弊害もなく制度が定着して大変うまくいっている国の1つだと思います。英国でも基本的に同様の制度があります。また、米国では低所得者対策として多数の実例と効果の検証論文もあります。
 この点について、別添資料1というものがありますが、こちらの4ページにもうちょっと詳しい解説がありますのでごらんいただきたいと思います。
 欧州の教育バウチャー制度という2という欄ですが、最も徹底しているのはスウェーデンです。これは生徒の人数に応じて配付された予算の範囲内で、人件費や教材費や設備費などのすべてを支出するというものですが、さっき申し上げましたように、オランダの場合は施設費は別途ということになっています。このあたりはバリエーションか幾つかあります。
 順番に上からいきます。イギリスですが、これは1990年ごろから発足した制度で、公立学校の予算額ですが、実際には公費助成学校という、私立でも公的資金が入っている学校については、バウチャーがすべてに及んでいるのがイギリスの実情です。日本でいう学校法人、私立学校も全部この拘束を受けているとご理解いただければと思います。公費助成学校は、主として生徒の人数をもとにして地方教育当局で総額が決められ、運用については学校に任されているというのが実態です。
 それから、オランダはさっき申し上げましたように、90年近い歴史があるわけですが、200人の生徒を集める予定があればだれでも学校を設置できて、その人数に応じて年間1人当たり一定の金額を交付します。85パーセント程度が人件費に回っています。
 また、スウェーデンは自治体の判断で行います。国家的制度としてイギリスやオランダがやっているのに対して、スウェーデンは自治体の自律的制度という違いはありますけれども、有名なナッカコミューンなどでは、徹底したバウチャーがとられています。特にここの目的としては、私立学校の促進と、公立学校中心であった教育界に私立学校の参入促進を促すという意味があったと言われています。
 イギリス、オランダ、スウェーデンについて、向こうでいう教育行政当局や、あるいは学校現場にも実際に訪問してインタビューをしていますが、その詳細につきましては別途お配りしております参考資料2のほうに詳細がございますので、ごらんいただければと思います。
 実際にイギリスでも目ざましい成果があったわけですが、ロンドンのイーストエンドの、移民や低所得者の多い地域のトールゲート小学校というところを訪問しました。ここは数年前までは問題校の1つで、学校が荒れていて学力も低い、また周辺の親たちもあまりそこに子供を通わせたくないということで、不人気校の典型例だったわけですが、現在の校長が、学校の教育方針を刷新して、教員の人事、運営方針、施設、設備等についてそれまでの転換を行い、魅力を高めまして、実際今ではかなりの人気校になっています。学力水準も非常に高くなっているのですが、その現場を訪問したこともあわせて申し添えます。
 もとの資料に戻りますけれども、このようにヨーロッパ諸国では、学校選択制とバウチャーとがセットになって、うまく運用が進んでいると理解しています。いろいろ批判があるかと思って、我々も根掘り葉掘りバウチャー制度に対する問題点の提起、懸念ですとか、さまざまな批判を投げかけて、現地の方々に詳細なインタビューを行っていますけれども、日本で検討するに際して十分念頭に置いておかないといけないようなシリアスな批判は、私どもが調査した限りでは発見できなかったというのが結論です。
 一番下の段ですけれども、現在は日本の場合、私学も国公立学校も教育の基本的内容はかなりの程度似通っているわけです。もちろん私立ですと建学の精神にのっとって宗教的教育を行うというような部分が付加的にはございますが、少なくともミニマムとして教えないといけないことは、文科省の指導によって全国あまねく一律の基準が保たれているわけで、その部分については基本的には同じ内容を念頭に置いているのです。しかし、私学の選択者は、みずからに対してやってくる公的助成は非常に低いので高い授業料を払っている。それに加えて、公立学校通学者の授業料の助成分まで納税で二重に負担しているのが実態です。憲法の平等原則から見ても大変問題ではないかと考えます。
 続きまして、レジュメの2枚目、内閣府の議論ですけれども、保護者アンケートについてです。詳しくはさっきの資料1の2ページをごらんいただきたいと思いますけれども、児童生徒数に基づく予算配分制度への賛否を聞いていますが、賛成の方が大変多い。「賛成」が14.5パーセント、「どちらかといえば賛成」が32.1パーセントということで、約半数近くが賛成です。次の3ページで理由を聞いておりますけれども、例えば「競争が促進されて学校の質が向上する」58.4パーセントですとか、「所得格差にかかわらず自由に学校を選択できるようになる」62.3パーセントですとか、かなりの程度ニーズは強いし、期待も大きいものがあると認識しています。
 続きまして、教育バウチャー制度に対する批判で、よく言われるものについてお答えし、解説させていただきます。まず手続が煩雑になるというご批判が一部にあるようですが、バウチャーといっても実際に「切符」を交付するのではなく、生徒数を基準とする予算配分方式への転換にすぎませんから、機関補助と手続的な外形はあまり変わらないわけでして、きわめて簡単と言えます。それから、機関補助は教育や研究の基盤づくりに必要不可欠という議論がありますが、これも研究については政府の介入の根拠も違うし、実際にも研究独自の政府関与は助成も含めて形態が全く異なりますので、これは教育と研究とを混同した議論であり、必ずしも当たらないと考えます。
 さらに、過疎地の学校ではバウチャーによる競争は成り立たないで不平等であるという議論があります。しかし、これは実際にスウェーデンのバウチャーなどでは、例えば過疎地の北極圏地帯など非常に人口密度の小さいところではバウチャーの単価を増額しています。あるいは諸外国共通ですが、障害者、あるいは低年齢児の場合にはバウチャーの基準単価を増額するといった、臨機応変で、また人権にも配慮した手当を行うことが当然視されています。こういったことは、当然、日本でバウチャーを考える場合も前提とすべきことであり、諸外国を通じて共通といえます。きめ細かな、いわば地域特性や子どもの属性に従った一定の増減は当然あり得るわけで、その前提のもとで、原則としての「人数当たり配分」は、学校や教員のインセンティブを引き出す点で意味があるし、また低所得者などの教育弱者の保護という観点からもメリットの多い制度と考えられます。
 学校間で教育格差が生じるというご批判も一部にあります。私どもは、現在の割り当て制こそ格差をもたらしていると考えています。すなわち、現在は選択制がなくてバウチャーもないため、それこそ人気校のそばの学区にお金持ちだと引っ越してしまっているという実態が現に日本でも生じているわけです。低所得者が選択肢を持てないでいる。こういう格差のほうがむしろ不公正ではないかと考えるわけです。さらに、機関補助では、生徒や保護者に真摯に応えて授業のやり方を是正させたり、水準を向上させるというインセンティブが生じにくいという点が非常に問題ではないかと考えている次第です。
 また、学術研究の政策的な誘導ができなくなるというご批判があるようですが、そもそも教育に関する政策の介入根拠と研究の場合とは違うわけで、研究の場合には成果についての一種のフリーライダーが生じざるを得ないことを前提とした公共財の供給という位置付けができますが、その場合はもちろん国が責任を持って、研究の一定の水準保つために一定の主体に対して研究費を交付することで過少供給が生じないよう確保する。これは当然ですが、教育の場合にはそれとは違う社会に対するメリットという意味での外部性とが根拠ですので、介入の根拠や形態が違う以上、学術研究を持ち出して教育に関する機関補助を正当化することはできません。これらは区分して考えたほうがよいということです。
 最後に、教育バウチャーに関する文科省の研究会の今後の検討には、私ども前向きな意味で期待申し上げているわけでして、ぜひさまざまな見解を公正かつ中立的に取り上げていただいて、それぞれの意義や問題点を公平に評価していただくよう、くれぐれもお願いしたいと考えています。これも先般、樋口審議官が規制改革・民間開放推進会議にお見えになられたときに、中間的なとりまとめについて、私どもとご議論いただいたわけですが、若干懸念を持ちましたのは、報告書とりまとめのトーンが、大変ネガティブな意見に重点を置いてとりまとめられたのではないかという懸念をぬぐえないようなものに見受けられました。ぜひいろいろな見解を中立的に土俵、遡上に乗せていただきたいと考えています。
 また、現に、非常に肯定的な見解や具体的な成功事例、あるいは数量的な実証に基づく評価も随分たくさんございますので、そういったものも咀嚼していただいた上で、日本に導入する際の具体的な制度設計や環境整備のあり方についてもご検討いただければと思います。日本に導入する際には、諸外国での前提となる法制度や社会経済実態と日本のそれらとは違いますので、当然それにあわせた適切な制度導入が望まれるわけです。そういったきめ細かな検討について協力し合って前向きの制度の立案ができればと思っています。
 実際の行程についても、具体的な作業として私どもともご相談いただきながら、ご議論をいただければと念じています。

【小川座長】 ありがとうございました。
 およそ30分という予定だったんですけれども、少し早めにご報告を終わらせていただきましたので、意見交換ないしは質疑応答の時間を少し多めにとれそうです。これから今の福井委員のご報告に対するご質問やご意見、また意見交換等を開始したいと思います。これは研究会というようなことですので、私たちの研究会のメンバーは、いわゆる有識者の他に文科省の方々も入っておられまますので、文科省の方々もご自由にご意見なりご質問を積極的にお願いいたしたいと思います。

【金子委員】 金子でございます。よろしくお願いします。先ほど外国の事例で、特にヨーロッパでは学校選択、あるいはバウチャー制というのは一般的であるというふうにお話がありましたが、私の印象は必ずしもそうではないのではないかと思っておりまして、特にオランダとイギリス、スウェーデンの例が出ておりましたけれども、スウェーデンもごく一部だと理解しております。何よりも主要国、ドイツ、フランス、その他の国ではむしろこういったことが行われていないというふうに考えれば、少なくとも一般的とは言い難いのではないのかと思うんですが、そこら辺はいかがでしょうか。

【福井専門委員】 ヨーロッパ全体で一般的というわけではございません。ヨーロッパの中でも先進的な一部諸国における過去からの普遍的な制度であるということで、おっしゃるように、フランスとかドイツについてはまた違う方式であるということは私どもも認識しています。

【金子委員】 それから、学校選択制についてはいかがでしょうか。確かにイギリスについては、80年代初めに選択が行われたというようなことがありますが、ドイツ、フランス、その他の国では必ずしもそういった方向に動いているというふうに理解しておりませんし、全体としてヨーロッパがそちらのほうで動いているということはあるのでしょうか。

【福井専門委員】 学校選択制ですか。

【金子委員】 学校選択制です。

【福井専門委員】 学校選択制については、ドイツ、フランスについて、我々まだ現地調査等をしたわけではございませんが、一般的な議論として、例えば日本の学区選択制と比べると臨機応変な学校の選択がドイツ、フランスの場合には一般的には認められている。それは、固定して、そこの学校が大原則であるというほどの強い拘束ではないと理解しております。

【金子委員】 私は特にフランスの例などを見ていますと、むしろ日本よりかなり厳しいのではないかというふうに思いますけれども。

【福井専門委員】 それは例えば移民の多い地区とかで、移民差別につながるのではないかというような政治的な配慮が必要な特別な地区のことではないでしょうか。

【金子委員】 そうではないというふうに私は思いますが、これは調べた上で。1つは公平なというお話でしたから、こういった制度を導入している例だけではなくて、導入していないというやつが非常に私は重要だと思うんです。
 もう1つ、私はたまたまこの間本を読みましたニュージーランドの改革に関する本で、これは非常におもしろかったんですけど、ご存じのように、ニュージーランドは徹底的な学校選択制をとりまして、結局それはやめてしまったんですね。そこら辺のことについてどういうふうにお考えですか。

【福井専門委員】 ニュージーランドについては、必ずしも具体的な調査をしたわけではありませんが、やめたケースについては、バウチャー自体、ご承知のように、非常に政治的な背景でもって、バウチャーの実利なり、政策効果という観点以外の観点での政治的なイシューになっているということが多いと理解しています。例えばアメリカがその典型例でありまして、アメリカで現在バウチャー実験を十年以上も続けている一部都市がある一方で、全国的な議論としてはなかなか政治日程にのぼらないのは、民主党と共和党のバウチャーに対する政治的基盤の違いということが大きいことが理由であると指摘されています。政治的な問題が導入に関する議論の妨げになっています。バウチャーの政策効果についての論議とは別のところでそういった論議が進んでいる。それから、ニュージーランドについても、バウチャー制度そのものにネガティブな評価がなされたわけではないので、バウチャーをやっているか、やっていないかということは、直ちにバウチャーについて国民的支持を得られなかったからだとか、あるいはバウチャーそのものに政策効果がなかったのだということには必ずしもつながらないと考えています。

【金子委員】 まず最初にニュージーランドの例ですけれども、これは必ずしも政治的な背景で廃止になったというふうには私は思っておりませんで、少なくともその本に書いてありましたのは、効果があまりなかった、むしろ逆の効果をねらったという判断があったというふうに私はその本では読みました。確かに数字的な問題はあるのかもしれませんけれども、公平にと見るということであれば、この報告は先行例が書いてあるんですけど、必ずしも失敗例といいますか、ネガティブなケースについてほとんど書いていない。私どもの委員会は、かなりそちらのほうを見ているということだと思うんです。

【草刈委員】 ネガティブを見るのか、ポジティブを見るのかというところはあると思いますし、ネガティブばかり見ていてもこれまたしようがないわけですよね。それと、ニュージーランドの例は、日本のことを考えたときに、全然シチュエーションが違う。つまりニュージーランドは、ご存じのとおり、羊の数が人口の何十倍あるというような国で、人口が極めて少ない、領土は非常に広い。だから、言ってみれば、過疎的な部分が非常に強い国ですよね。そういうところと日本と比べるというのは、極めて無理があるというふうに私は思いますし、ドイツ、フランスはあれだというふうにおっしゃいますけど、イギリスというかなり日本とある意味で環境的に似ているところでそういうことが行われているということは、事実としては明快ではないのかなというふうに思います。

【金子委員】 そこが議論になるところでありまして、どこが似ていてどこが日本にとっていい例か、これはいろいろな議論があり得るところだと思いますが、おっしゃられているのは、先ほどからのお話では、ヨーロッパでは大勢であるとか、資料でも成功している例だけが出ているというのは、私はそれはおかしいのではないかということを申し上げているわけです。

【福井専門委員】 ちょっと基本的な考え方が違うのではないかと思うんです。金子先生のおっしゃることは。こういう新しい制度を試みるときには、現に存在する世界中の制度の大勢を見ても仕方がないわけで、いろいろチャレンジングな試みをして、成功しているとか、あるいはチャレンジングなことをやったけども、失敗したとか、そういった特定の素材を調べないといけない。例えばニュージーランドなどは確かに調べる必要があるかもしれませんが、挙証責任がバウチャーを主張する側にだけあるなどということはあり得ないわけで、教育行政所管省庁である文科省にもやはりバウチャーの適否を自らフェアに調べるべき責任はあるわけで、それが重要な課題であるはずなんですね。全体として、今ある大勢の問題意識のない国を調べても仕方がない。成功しているところでは、なぜそれが成功しているのか、成功していて、しかも弊害がないのはなぜか。日本と似通った事例、あるいは似通った条件、あるいは異なった条件とは何か。そういうことについてできるだけポイントに光を当てて調べることこそが、バウチャーという現に成功裏に行われている制度を念頭に置いて内閣として検討することに方針が決まっている以上、政府機関の当然の役割だと我々は思っています。

【金子委員】 先ほどでこの委員会でネガティブな面のみが強調されているというお話でしたので、それは私は両面見るのは当然ではないかということを申し上げたかったので、申し上げたわけです。

【福井専門委員】 両面というのは、我々もフェアに検討する上で、失敗例とか、あるいは導入していない国の議論は重要だと思いますが、少なくともバウチャーの導入可能性を議論するのであれば、バウチャー導入して成功していると言われている幾つかの国について、特に、いわば濃淡で言えば、濃いほうの調査のウエートを置いて調査する、検討の素材にするということはあまりにも当然のことではないでしょうか。これが我々のスタンスです。

【小川座長】 私たちの研究会のほうも、その辺はかなりバランス感覚を持って、成功している例、失敗している例、いろいろこれまで努力をして調査しておりますので、その辺はご了解ください。
 ほかにどうでしょうか。自由にご意見をいただければと思いますけれども。どうでしょうか。

【金子委員】 もう1つ、教育バウチャー制度に関する批判についてというところですけれども、このような批判があるということで列挙されているわけですが、この中に1つ含まれていないかなり重要な批判というのは、学校というのは子供にとって勉強する環境でありますけれども、勉強する環境というのは学校と先生だけではなくて、やはり同じクラスで勉強する子供、これが非常に重要なリソースであるというふうに思います。バウチャー制に関して、アメリカなんかの議論で、非常に特殊な地域からだけしか今のところ導入されず、さっきおっしゃっていましたように、実はかなり導入の長い歴史があるにもかかわらず一般的にならないというときには、私は基本的な議論は、子供というのはある程度、多様な子供が1つの学校にいるということが重要なので、それを一定の子供だけ特定のところに集めてしまうということによって、そういったリソースが失われるということが問題なのではないかというものだと思います。お越しの先生なんかの議論もそういったことだろうと思います。これはスキミングだけではというふうに一般的に言われています。スキミングだけではなくて、そのスキミングされたほうがよくなるということだけではなくて、スキミングされたほかがリソースすることが非常に重要な問題点であるというのが我々の認識するところなんですけれども、そこら辺についてはいかがでしょうか。

【福井専門委員】 ここには書きませんけれども、そういうご議論があるということはよく承知しております。これについても、我々は、実際にオランダ、イギリスに行ったときにも、バウチャーによって子供たちの社会階層などが非常に単一なものに、あるいは同質のものになるというようなことはないのか、ということについてかなり調べてきたつもりですが、実際は、イギリスにしてもオランダにしても、もちろん住む地域で多少社会階層や所得階層が似通っているということがあるにしても、その中で選択可能な複数な学校がある場合に、どこかにお金持ちだけが集まるとか、どこかに特定の好みを持った子供を集まるというのではなくて、非常に父兄がバランスよくいろいろな学校の特色などの要素を勘案しながら、一生懸命、選択制の前提としての情報を有効に活用しているというのが実態でした。したがって、こういったところで、我々は、どこかがまさにスキミングされて非常に劣悪な教育環境になるのではないか、そういう仮説も成り立つのではないか、ということについて丁寧に調べてきましたけれども、かえって、どこかが人気がないとなると、そちらも非常によく頑張って、創意工夫で別の魅力を持ってくるという形で、その魅力に集う集団をうまく引きつけるためのさまざまな経営戦略的な教育政策によって多様化と底上げがなされていました。どこかだけが悪くなるとか、どこかだけが非常に同質的で特殊な社会になるというようなことがなく、うまく選択制とバウチャーを運用しているというのが総じての印象でした。結局やり方によるわけでありまして、バウチャーにして、何か特定の集団だけを形成するようなことを助長するようなことがないよう留意していくことで十分回避可能な問題ではないかと考えています。

【金子委員】 スウェーデンと日本と最大の差、あるいはアメリカとの違うところだと思いますけれども、スウェーデンの高等教育では、いわゆる受験的な競争というのがほとんどないということなんですね。そういう意味では、競争のインセンティブがあまりない教育システムの中に、アメリカも日本もそういう意味では、上のほうで非常に競争的なために、競争的なシステムがある意味では隠蔽にされているために、小学校、中学校でもって一旦こういったバウチャー制度みたいのが始まると選別されているのではないか。そうすると、危険だというのが一般的に言われているんだと思いますが。

【福井専門委員】 進学競争的なところに特化するような集団が出現するのではないかというご懸念だと思うんですけれども、それも私どもは、実際の調査のときにかなりの程度念頭に置いて、学力重視で親が学校を選ぶのではないか、についても随分調べているんですけれども、ちょっと前提認識が違います。私どもの調査した限りでは、上級学校である大学に対して進むのに有利な学校があったり、あるいは大学に進むために補習をするとか、予備校に行くというようなことが、特にイギリスでは一般的に見られます。学校に対して、学力は、かなりの程度期待の大きな部分を占めているという点で、日本とそれほど差はないと思うんですけれども、ただ、それを学校選びの基準にするかどうかというところで見ると、学力至上主義で選ぶということは、いずれも、我々の訪問した教育学区や、あるいは学校では、ほとんど考えられない。むしろ子供にあった学校か、学校の雰囲気がいいか、先生たちが真摯に子供に向き合ってくれるか、というような、いわば通常の日本人でも考えるような極めてリーズナブルな選択肢が上げられていたことでが強い印象を受けました。もちろん学力については、どこの国でも大事な関心事でしょう。日本はその程度が強いということはあるかもしれませんけれども、これまでの先進国の辞令に照らしても、学校選択がそれでゆがんでいるということにはなっていないのが実態だと見ています。

【小川座長】 何かございましたら。どうぞ。

【渡邉委員】 福井先生からご説明いただきました海外での調査のご報告によりますと、ほとんど海外の導入事例というものが大体所得の格差とか、いわゆる社会的な階層な格差を是正することを目的として導入されてきたというふうな歴史があるというふうに解釈しておりますけれども、例えばこういったものというのが、現在日本でも格差というものが出ているのではないかというふうな議論が出ておりますけれども、日本で教育バウチャーを導入する際のインセンティブといいますか、モチベーションですね、現在ではそれほどの所得格差はない。ただ、大きな違いというのは教育に対するインセンティブだと思うんですよね、その家庭とか個人のインセンティブがどれだけ違うかによって、小さいころからの教育レベルというか、教育の質というものを異なった形で追求していくというふうなことになっているのが日本の状況ではないかと思うんですけれども、その際に、日本で教育バウチャーをもし導入した場合に、どういったものを1つの大義名分といいますか、目的として導入すべきなのかということについて1点教えてください。

【福井専門委員】 日本のモチベーションとかインセンティブのコントロールとしてバウチャーを見たときの一番大きな意義は、学ぶ側がその学校の校風とか教育方針とか、クラブ活動とか、先般の規制改革・民間開放の推進に関する第2次答申、閣議決定でも示されたような、学校独自の活動という観点に則して、家風、子供の個性にあった学校を選びとることができるという点が一番重要ではないかと思います。おっしゃった格差の問題は日本でも大変重要な論点になりつつあるわけですけれども、格差の点は、むしろバウチャーはこれを是正する方向に確実に働くと見ています。といいますのは、これもまさにオランダ、イギリス等の例がそうなんですけれども、もしバウチャーや選択制を認めないという制度に対して何かコメントがあれば、と先方の教育行政担当者に聞いたときに、それはまさに格差を助長するのではないか、というのが大体異口同音の反応なんですね。アメリカでのバウチャーの議論でもそうなんですけれども、選択制やバウチャーを認めないということは、いわば所得などによって劣悪な居住地区や学習環境のエリアに閉じ込められた人たちの中で、もっといい教育を受けたいという人たちを、一種のゲートの中から出させないことになるじゃないか、という議論だと思うのです。バウチャーとは、本人の選択によってよりよい教育環境をみずから選びとらせることで、あてがわれた劣悪な教育環境に対してだけしか選択を許さないというのではない広い選択肢を許すところに意味がある。とりもなおさず、教育を通じて所得階層移動は容易にできるわけですから、長い目で見た社会の安定に寄与するものではないか。そういう意味で、格差是正に役に立つことがあっても、その逆ではなかろう、というのがヨーロッパの担当者の中でも広く見られた考え方であり、私どももそのような観点は正当な見方ではないかと考えています。

【草刈委員】 私、1つだけ申し上げておきたいのは、学力、学力と言っていますけど、私は経営者の立場から申し上げると、学力というのは一定の水準以上でなきゃ当然いけないわけですよ。だけど、それでは、受験勉強をして東大に入ったやつが企業としてよいかと言えば、昔はそうだった。いまやそういう人や女の人だけを求めているなんていうことは決してなくて、いろいろな多様な考え方をできる人材を求めているわけですね。だから、日本では違っているわけです、求めているものの。そういうことで、あるいはまた父兄のほうも、今の状況、全部大学に入れるとか、そういうような需給関係もありますから、父兄のほうも、別にがちがちに勉強できるやつに、うちの子供をつくろうなんていう人ばかりではないので、そこの基準がちょっと誤解されたりすると違うんじゃない。学校のほうも、バウチャーと選択と情報開示というのがパッケージになっていますよね。つまり学校のほうは情報開示をしてもらって、自分の学校はこういう特徴があるよということを言ってもらわないと選択できないわけだから、そういうような構造の中で、学力というものだけにハイライトをするということではないというふうに思いますが、その点だけ申し添えます。

【福井専門委員】 学校選択で保護者がどういうことを重視しているか、というのは、参考資料2の4ページにアンケート結果がございますので、後ほど参考にしていただければと思います。自分の子供の幸せとか教育の質、学校の安全など、学力だけではない要素が決め手になっている。これはロンドンの例ですけれども、データがありますので、ご参考にしていただければと思います。

【小川座長】 わかりました。戸田委員のほうから何かご意見はございますか。

【戸田専門委員】 内閣府の学校制度に関する保護者アンケートというのがございますけれど、私、これが1つの尺度になると思うんですね。現在の学校制度に対する保護者の不満が非常に高い。文科省のほうは別の調査をなさっていますが、これはかなりバイアスがかかった結果になっていると思いますけれども、こちらのは第三者的に客観的な調査なんですが、相当不満があるわけですね。その不満があるというのは、学ぶ側が学校を選べないということが根本にあると思うんですね。先ほどちょっと主査のほうからも申し上げましたけれども、もうちょっと限定的に考えてみると、日本は民主社会でして、政治家も国民が選ぶわけですし、今度は裁判員のような専門家も国民がなるわけですね。ですから、学校の教師や学校を国民側が選ぶというのは当たり前のことで、そして選んだほうが、例えばどこの私立へ行ってもちゃんとバウチャーがついていれば私立も選ぶこともできる。今は公私の格差というのは現実にあるわけですね。だから、さっきから日本の現実、公私の格差だとか、あるいは不登校の子供たちなんかは二重に税金を払っているようなところがありますよね。学校に行っていないんだけど、税金をとられている。そして、サポート校とか、そういう私立の単位制の学校なんかに行くと、ものすごい高い授業料を払うわけですね。だから、そういうような現実をどういうふうにお考えになっているかということもお聞きしたいし、大体、民主社会における学校教育の基本的なあり方、つまり学習者の選択権というものをどういうふうにお考えになっているのかということもお聞きしたいですね。もちろん文科省の方々は、教育というのは我々が上から、国が画一的にやるんだという明治時代のお考えからあまり抜けておられないようですけれども、教育学部の先生方は必ずしもそうじゃないんじゃないかなというふうに思って、ちょっとその辺の見解をお聞きしたいです。

【小川座長】 どうでしょうか。ほかに自由にいろいろ質問されて構いません。どうぞ、安念先生。

【安念専門委員】 学校選択にせよ、バウチャーにせよ、成功しているか失敗しているかは、学問として議論するのだとすれば、実証データによる統計的な分析以外の方法はないわけでして、結局、それに尽きると思うんですね。そこでいう成功とか失敗というのは、事実そういう制度が導入されていて、今も生きていれば成功しているとは言えないし、廃止されたからといって失敗しているとは言えないわけでして、さまざまに考えられる交絡因子、これは学校のパフォーマンスにどんな要素が貢献しているのかということは、おそらくほとんど無数にあると思うんですが、できるだけ学校選択制とかバウチャー制による貢献、あるいはだめになったらだめになったというものだけをできるだけ抽出する努力をして、その結果、どうであったという実証研究がどれだけあるかということに尽きるわけでして、それ以外の議論をしても私は仕方がない。それ以外の議論をしても、好きか嫌いかといっているだけだろうと思うんです。そして、私どもはもちろんですが、先生方も失礼ながらおそらく、外国に行って、実証研究を新たに起こすというだけのリソースがもしおありにならないんだとすれば、既存の外国の研究データを批判する、それによってどういう知見が学問として言えるのかということをまず確定していただくのが先決であって、率直に言って、それ以外には学問と言えるレベルの議論というのはおそらくできないだろうと思うんです。私どもはもちろん教育学そのものについては素人でございますので、その手の知見について、信頼できる知見というものを確認していただければ、それは非常にありがたいことだなというふうに考えております。
 それから日本についてですが、これは金子先生、大変励まされたと思うんですが、大学において非常にセレクティブな環境なので、初等、中等教育の段階で学校選択制、あるいはバウチャー制にすると非常に受験志向の人間だけ集まると、こういうことだとおっしゃるんですが、そうだとすると、対処方針は非常に簡単ではないか。それは東大をやめてしまえばいいということですね。つまり税金で出世する人間を養うなんていうのは全くナンセンスなことですので、税金で養うところはだれでも入れる大学にする。少なくとも東大と京大はだれでも入れる大学にして、大学入試競争を緩和するというのは、これはバウチャー制や学校選択制を初等、中等教育で導入するよりもはるかに簡単なことでございましょうから、まずそこからやればいいという、こういうわかり切った結論。私も含めまして、東大やって百数十年、東大出た人間はろくじゃもんじゃないということは十分経験的にわかっていることですので、そこからお始めいただくのが一番よろしいのではないかと、甚だふざけたような言い方でございますけれども、率直な感想として申し上げておきます。

【小川座長】 ほかにどうでしょうか。
 私のほうから、今日は規制改革の教育ワーキンググループの教育バウチャーの内容というのはどういうことだということをきちっと理解するということが目的の1つですので、その点でお尋ねします。福井委員から、基本的には学校選択制と一体的に教育バウチャーを考える、ないしは学校選択を財政的にサポートする仕組みとして教育バウチャーを考えるというふうなことがお話しされましたが、現実的に、日本でこういう教育バウチャーを具体的なプランとして考えた場合に、例えば規制改革会議からもご指摘がありましたが、今、市区町村で学校選択を義務教育段階で実施しているパーセンテージは非常に少ないですよね。東京は23区中の19ぐらいやっていますけれども、全国的に見ると義務教育で学校選択というのは極めてわずかなパーセンテージですよね。それについては善し悪しいろいろ評価があるかと思いますし、実際にいろいろな自治体に聞くと、学校選択はだめだというふうな確信のもとで義務教育の学校選択をしていない自治体というのはかなり多くあるんですよね。そういうふうな現状があるときに、教育バウチャー、今日のお話では一律ですべての児童生徒を対象とした学校選択を導入しろ、実施しろというふうに私には聞こえたんですけれども、そうはいっても、現実的に今の学校選択の普及状況を考えると、そういうふうな教育バウチャーを一律にすべての子供を対象というのはかなり難しいことだと思うので、現実問題として、すべての子供を対象とした教育バウチャーというふうなことを本気で考えておられるのか。それとも先ほどお話されたように、例えばフリースクールなんかに通っている子供たちの経済的な負担の軽減をするという、そういうような限定したバウチャーとしてまず始めようとしているのか、ないしは私学に通学している家庭の、いわゆる二重の負担の軽減のために私学の授業料負担を軽減するようなバウチャーを考えるとか、ないしはアメリカのような低学力とか、さまざまなハンデを背負った経済的に困窮のある家庭への就学援助の充実ということでバウチャーを考えるのか、その辺のところがはっきりしません。ある限定的な目的で、あるハンデを背負った方々への教育費負担軽減ということでバウチャーを考えるということであれば、日本でもかなり現実的な可能性というか、検討されてもいいのかなというふうに思うんですけれども、全児童生徒を対象とした一律の教育バウチャーというのは、私はどうも現実性が無いように思われます。一般論はわかるんですけども、日本の現実を踏まえた上で、実際その辺はどういうふうな展望で考えられているのかということを少し教えていただければと思います。

【福井専門委員】 究極のターゲットは、全国一律のバウチャー制です。オランダが憲法で義務づけているように、日本だって、憲法かどうかはともかくとして、法令で学校選択制を、教育バウチャー制度をやらない自由は認めないというぐらいのことは最終的には、当然国法秩序の中で行っても、人権の観点からも全くおかしくはないと思っています。なぜならば、我々の調べた例からも明らかなように、バウチャーを全国的に行っている国で、それに基づく固有の弊害の報告がないからです。さらに、今までのアプローチで判明した限りでは、それらの国と日本とで、うまくいく、いかないに関する決定的な社会経済的、ないし制度的な違いが発見できていないからです。ということは、うまくいっている国の制度は、うまくいっている条件と同等なら日本での導入は何ら支障がないと基本的には思っています。ただし、先生がおっしゃったような、フリースクール、あるいはオルタナティブスクール、私学、低学力、低所得といった切り口は、バウチャーをとりあえず実験的に始める際には極めて有効な切り口だと私どもも認識しております。例えば私学の一定範囲、公立の荒廃の是正、あるいはある自治体の公立全体でバウチャーの実験をやるというようなことは、アメリカの各種自治体でかなり行われていることですし、また低学力とか低所得に着目するという切り分けもあります。導入のためのフィジビリティスタディとして、さまざまな切り口で、小川先生がおっしゃったような、幾つかの切り分けをスタートラインにすることは大いにあってしかるべきだと思いますが、それはあくまでも一般化するときの一種のステップでありまして、最終的には、例えば私学か公立かなど主体の属性の切り口だけではなく、バウチャーは国民一般や学習者にとって普遍的に重要なことだろうと思いますので、最終的にはできるだけ選択制もバウチャーも広く普及させるほうがよいというのが我々のスタンスです。
 それから、先生から冒頭に、全国で選択制を取っている学校が少ないというご指摘がございましたが、確かに今は全国の自治体の10パーセントぐらいなんですね。少ないと思っていますが、これについては、先般の年末の文科省と規制改革・民間開放推進会議との議論で、事前の選択制ではないものの、実質的には事後の選択で、就学校指定があってから部活動など学校独自の活動という、リーズナブルな理由が示されたときには、積極的に事後的な選択を認めていこうということになりました。少なくとも行政施策としては共通の基盤があります。少なくとも政府としてはできるだけ選択の自由を認めていこうということが規定路線になっていますので、現在は、事前の、狭義の選択制としては実例が少ないのはそのとおりですが、今後、来年の入学生とか、あるいは転校生からは、かなりの程度実質的な自由度が高まることが予定されていますので、そういう意味でもバウチャーの導入環境はますます整っていると考えています。

【草刈委員】 続きなんですが、今小川先生がおっしゃった中で、原則としては、さっき福井先生が言われたような考え方ですけど、もう既に学校選択をやっているところがありますね、東京都なんかで品川区もそうでしょう、あるいはほかのところも。そういうところからひとつ始めてみるという手はもちろんあるわけですから、必ずしも例外的な、いわゆる障害を持った人とか、あるいは経済的に恵まれない方等々、さっきおっしゃられたような事例ではなくて、選択制を導入している市町村のところでそういうものを始めるというやり方もあるのではないかというふうに思っています。

【白石専門委員】 白石でございます。よろしくお願いします。
 私ども規制改革・民間開放推進会議側も、最初から「バウチャーありき」であったのではなくて、検討の過程で、保護者の方や教育現場、校長先生を初めとしてさまざまな方々の意見を非常に広く、そして何度も聞いてまいりました。ご説明申し上げたように、アンケートも実施させていただいて、選べるということは、ほんとうに保護者や学習者の願いであるということを強く実感をしながら検討を進めてまいったわけでございます。非常に失礼な言い方になると思いますが、そちらさまの研究会の論点を拝見しますと、学習者主権とか、保護者の権利、だれのための教育なのかという点が非常に希薄だというふうに感じました。私はある県の教育委員をさせていただいておりますけれども、教員の不祥事がない会はほとんどない。指導力のある教員を本当に選べるなら明日でも選びたいというような思いを保護者としても実感しているわけでございます。教員の不祥事や教育現場への不信感、そして永久切符のように教員資格をとったのであれば、それでずっと働き続けるという民間では信じられないような今の制度を変えていくには、何か一歩踏み出していかなくてはいけないと思うんです。そのときに、今草刈主査が言ったように、諸外国でいろいろ問題があるからだめというのではなく、やはり新しい制度を始めるには何らかの弊害は生じてまいります。そのときに文科省さんと厚生労働省さんでおやりになった認定こども園、あれはモデル事業をおやりになって試行的に始められたわけです。それぞれスタンスが違う中ではずっと平行線でございますので、地域を限定して試行的にやってみて、もしそれでだめであれば修正をしていけばいいわけでございます。保護者が選べない、学習者にとって選ぶ権利がないというのは、だれのための教育なのか。これをそちらの研究会の中でどのように話し合いをされたのか。私どもがしたように、広く声を聞く機会がおありになったのどうか、ここを少しお教えいただければと思います。

【金子委員】 この研究会でだれのための教育だという形で問題を設定したことは多分ないと思うんですが、ただ私は、先ほど戸田委員からもありました、教育学者としてどういうふうに考えるかということですが、私は教育学者の基本的な考え方は、公教育というものは保護者がつくっていくもの、保護者と子供がつくるものである、そこで社会の主体性が発揮されるのであって、選択することによって主体性が発揮されるのではないというふうに私は思います。そういった社会的な契約として公教育というのは今まで存在してきましたし、そこの中で今非常に大きな問題を生じているということは、私もそのように思いますけれども、それは参加の仕組み、それからそれをとりまく枠組みというものが現在の時点であわないというところが出てきている。それは事実だと思いますけれども、私は基本的には保護者がつくっていくのが学校だと思います。

【福井専門委員】 つくることにうまくいっていないから現にいろいろな問題が起きているというのが我々の理解なんですが、つくることはなぜ正しくて、選ぶことはなぜ正しくないんですか。

【金子委員】 先ほどから申し上げているように、選ぶのであれば、それは一定の人たちが一定の学校に集中し、それに取り残される人たちが出てくるからだと思います。

【福井専門委員】 諸外国でそういう例が発生していないという事実はどうお考えになるんですか。

【金子委員】 諸外国で発生していないというふうには私は必ずしも考えておりません。先ほどスウェーデン、オランダの例は、必ずしも、さっき申し上げたように、日本と条件が非常に違うところですから、そういった例が起こってないということでしたけども。

【福井専門委員】 違っても結構です。どこかで失敗した、先生のおっしゃる弊害が起きた事例を1つでもいいから教えていただきたい。

【金子委員】 私は先ほど申し上げましたように、ニュージーランドはそういう弊害があるというふうに読みました。

【福井専門委員】 ニュージーランドで具体的に先生のおっしゃるクリームスキミングや、あるいは所得階層の格差が生じたんですか。

【金子委員】 所得階層の格差まではわかりませんけれども、スキミングに近いようなことは起こったというふうに書いてあります。

【福井専門委員】 それは伝聞ですね。ご自身でお調べになったわけでもないのに、どうしてそんなに自信満々におっしゃれるんですか。

【金子委員】 ですから、私はそれを読んだというふうに申し上げているので。

【福井専門委員】 逆に、オランダ、スウェーデンで弊害が報告されていないというのは事実かどうか、信じられないとおっしゃるのかもしれないけれども、オランダ、スウェーデンの例はどうお考えになるんですか。

【金子委員】 そうであれば、私たち自身が調べなければ話にはなりませんけれども。

【福井専門委員】 先生は1個でも弊害があったら否定すべきだとおっしゃりたいようですが、それでは政策論にはなりません。そうじゃなくて、バウチャーのことを考えるのであれば、さっき安念教授が申し上げたように、うまくいっているかうまくいっていないかを見るのは、やったところのデータによる解析によるしか判定のしようがないんです。

【金子委員】 やったところのデータの解析を読んで、私は今申し上げたんです。

【福井専門委員】 やったところについて、例えばクリーブランドやミルウォーキーの部分、実証の研究は、先生はご自身で読んでおられますか。アメリカ人が英文で書いたものを。

【金子委員】 読みました。

【福井専門委員】 それのどこに欠陥がありますか。実証研究ではだれのを見ました?

【金子委員】 資料を見ましたら、確かにいろいろと丹念に見ておられるようですけど。

【福井専門委員】 原典を読まれていないんですか。

【金子委員】 原典も一部は読んだものもありますし、読んでいないものもあります。

【福井専門委員】 論証の経過を教えていただけませんか。

【金子委員】 ですから、私は両方あると思います。プラスといっている研究もありますし、マイナスといっている研究もあります。それから、アメリカの例は日本とは全く……。

【福井専門委員】 実証研究で成功しているかどうかについて批判されるのであれば、失敗しているとする根拠をお聞きしないと説得的ではないですね。

【金子委員】 私は両者だと思いますよ。特にミルウォーキーなどは両者だと思いますね。否定的なほうもあると思いますよ。

【福井専門委員】 全く理解できないんです。先生のご議論は。要するに、そもそも選ぶものでなくてつくるものだというが、それは宗教の教義ならわかりますけれども、我々は政策論を議論しているわけです。要するにつくるのか選ぶのか、一体どっちが適切だろうかということは、事実とロジックに基づいて判断する必要がありますね。

【金子委員】 その2つは違うレベルの議論だと思いますね。私は少なくとも原則論としては、公教育というのはつくるべきものだというふうに思っています。

【福井専門委員】 それは先生の信念としてはわかりますけれども、政策論として全国に号令をかける根拠にはなり得ないことだと思います。

【金子委員】 しかし、それは公教育というものは、ある意味では社会的な契約ですから、やっぱり社会的に……。

【福井専門委員】 ただ、公教育でも、全国一斉に選ぶものだとやっている国が現にあるじゃないですか。それについてはどう考えるのでしょう。

【金子委員】 やっている国もあるし、やっていない国もあります。

【福井専門委員】 先生が、両方あるうちの片方を選ぶなら、それは実証とロジックに基づいて根拠がないとまずい。

【金子委員】 それは、福井先生はやっているほうだけを選ぶとおっしゃっている。

【福井専門委員】 いえ、違います。

【小川座長】 ちょっといいですか。もう時間もオーバーしていますので。今の議論というのは、きっとアメリカとかヨーロッパもそうですけども、最初、住民が教育を選ぶとか学校を選ぶというときは、参加システムの創造から始まったんですよね。アメリカでも60年代以降、父母協議会とか、ヨーロッパなんかでもそうですよね。そういうふうな参加の形態で学校づくりというのを、地域と学校、保護者が連携してやるという、そういう議論や取り組みの中でさらに学校づくりの選択肢の一つとして選択というものが出てきたように思います。今はどちらがよりベターかという議論よりも、参加の形態と選択のシステムをどういうふうに効果的に組み合わせていくかという、そういうふうな論議が進んでいると思います。

【福井専門委員】 バウチャーとは、究極の選択の形態です。選択というのも、要するに学校や教師が嫌なときに、嫌な中にいて、当事者として何か労力の負担をとにかく割け、ということを強いないでほしい、という多くの保護者の願いです。それについて選択をさせないということが合理的であるという論拠は、我々が今お聞きした限りでは理解できませんでした。そういう視角、要するに選択させるべきでないのは公教育の当然の前提だというような金子先生のようなスタンスで研究会をやられるんだったら、検討作業自体全く意味がないと思います。

【小川座長】 それはいろいろな考え方がありますし、実際、私たちの研究……。

【福井専門委員】 だから、両方計る。

【安念専門委員】 いろいろな考え方があるのは当然なんです。いろいろな考え方のどれか1つを強制していいかという問題なんです。いいですか、この2つは全然違うことなんですよ。いろいろな考え方があるのは当然なんです。そうじゃなくて、いろいろな考え方のオプションの中の1つを国家権力によって強制することが正しいかどうかが唯一の論点なんです。ここの点をお間違いのないように。つくりたい方はどうぞおつくりなればいい。それを国家権力によって他人に、同意しない人に強制していいかどうかが唯一の論点です。

【小川座長】 時間をオーバーしていますので、ちょっと待ってください。
 ほかにご質問とかご意見ございましたら、どうぞ。文科省の方も遠慮されないでください。どうぞ。

【渡邉委員】 海外の事例を研究して、それを統計的に分析するというのは僕は重要なことだと思います。ただ、私は別に推進派でもないし、反対派でもなく、1研究者として非常に中立的な立場でこの教育バウチャーというものをアメリカにいたときから、あるいは日本に帰ってきてから見ているわけですけれども、例えば各家庭の教育に対する満足度とか、そういったものというのは非常に統計としては取りにくいわけですよね。ただ、成果としましては、例えば成績、学力が上がったかどうかということで、ハーバード大学のキャロライン・ホックスビーとか、あるいはプリンストン大学のアラン・クルーガーという人たちがやっているわけですけれども、ただ、彼らの研究の中で、例えばこういった回帰分析なんかで、私、もともと教育学者というよりは経済学者なので、実際に統計学と計量経済学をかなり使ってやっているわけですけれども、キャロライン・ホックスビーの研究の内容も、あるいはアラン・クルーガーの場合にも、テスト成績に対して、それを充足変数としてさまざまな影響、対比係数として求め出しているわけですけれども、どうしても2人の研究の中でコントロールされていないというのは、教育バウチャーが全く違った地域で導入されていて、教育バウチャーのシステム自体がどういうふうに効率的に、非効率的に運営されたのかということがコントロールされていないので、必ずしもその統計的なものが、ホックスビーとクルーガーの場合には全く反対の結果が出てきている、成績に関してはというふうなことも出てきていますので。僕はもともとキャロライン・ホックスビーと実際に会って話をしたこともあるんですけれども、彼女はどうしても推進派なんですね。アラン・クルーガーというのはもともとプリンストン大学にいる時代に、彼の学生歴でデイビットカードというふうな、その後でプリンストン大学の助教授になって、今バークレーの教授になっていますけれども、彼らがクラスサイズ・リダクションということで、1つのクラスの中の子供の数を減らした場合に教育効果があるかということに対して、そのころからお金をつぎ込むこと、あるいはそういうふうにすることがプラスにはならないんだというふうな感じで、もともとクルーガーというのが教育に対してそういったスタンスですので、そういったコントロールがされない場合に、やっぱりそこに研究者としての主観的な立場が入ってくるわけですから、統計とか計量経済のモデルを使ってやった場合でも、結果的には慎重に、その文献を、バックグランドとかを十分に理解して、その上で海外調査とか現地調査というのも大切だと思います。申し上げたいのは、統計的なものだけを見て、それで判断するというのも危険性があるではないかというふうにも考えております。

【福井専門委員】 渡邉先生は結構論文も書かれていて、我々も興味深く読ませていただいているんですが、先生の今まで紹介されている論文では、少なくとも、実証をやったものの中で、方法論に決定的に欠陥があるものは、我々はいろいろな文献で発見できていない。おそらく先生も、特定のデータの取り方等について、あるいは結論が逆に出るかもしれないということをご指摘されていますけれども、大数の法則から見て、バウチャーに結局は意味がなさそうだというまともな実証研究は、我々はないと認識しているんですが、その点先生のご見解はどうですか。

【渡邉委員】 無いと思います。

【小川座長】 この後、またいろいろなご予定が入っている方も多いため、10分ぐらいオーバーしてしまいますけれども、今日の規制改革からのヒアリングはこの辺で終わらせていただきたいと思います。

【草刈委員】 こうやって正面切ってわっとやると、わりとロールプレイ的だったかもしれないですね。あとはやっているうちにいろいろ出てくると思うので、ぜひ文科省の人、皆さんそんな嫌がらないで、ぜひ機会をいただきたい、これだけお願いしておきます。

【小川座長】 今後の日程を含めて事務局のほうで何かあれば。よろしいでしょうか。

【事務局】 一応年度内に研究会としてのある方向をまとめなきゃいけませんので、その辺は粛々と私たちはやらせていただきたいと思っています。その過程の中で、またこういうふうな機会を持つようなことがあれば、またその辺はご相談していきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

【小川座長】 今日はこれで終わりたいと思います。ありがとうございました。

以上

(生涯学習政策局政策課)


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