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教育バウチャーに関する研究会(第4回)議事要旨

1. 日時
  平成18年4月13日(木曜日)15時〜17時

2. 場所
  三菱ビル地下1階M2会議室

3. 出席者
 
有識者: 小川正人委員(座長),新見一正委員,渡邉聡委員(50音順)
文部科学省: 樋口政策評価審議官,佐久間調査企画課長,永山行政改革推進室長,その他関係官

議事については、以下の通り。

事務局から人事異動の紹介があった。
事務局から規制改革・民間開放推進会議等に関する最近の動きについて報告があった。
事務局から、資料1(これまでの研究会の指摘事項)について説明があった。

【主な発言は以下の通り】

アメリカの制度

初めにバウチャーの考え方を提唱したフリードマン自身のバウチャーモデルが、そもそも曖昧であったということが、バウチャーの定義が現在に至るまではっきりしなかった一つの要因である。

アメリカにおいては、低所得者と高所得者の間に極めて大きな格差が存在するという背景の下、所得格差が教育格差につながっているという明確な問題意識があった。そのような問題意識からバウチャーを導入するに至った訳で、我が国にどうしてもバウチャーを導入しなければならないのかという、明確なビジョンは無いように感じる。

アメリカの例からすると、バウチャー導入のメリットとしては、学業成績の上昇と親の満足度の上昇が、また、デメリットとしては、格差が広がると言うことが挙げられるだろう。しかしいずれも、未だに意見が分かれておりはっきりしたことは言えない。このように、バウチャー先進国のアメリカですら、バウチャーの効果については、賛否両論様々である。

クリーブランドの例をみると、バウチャーと授業料の差額分は保護者の負担になるため、結局、差額分を払える裕福な家庭しか私立に行けないのではないか。

アメリカでバウチャー導入が現実化され、機能できているのは、州が裁量権を持っているためである。我が国は、アメリカとは状況が異なるため、バウチャーを導入するのは難しいのではないか。

アメリカにおいて、何故バウチャーを実施したのかと言えば、宗教系の学校に補助をしてはならないという憲法上の制約を回避するための一つの手段であったという理由がある。

バウチャー趣旨・目的、定義・形態

特定層に対するバウチャーと児童生徒の全体を対象とするバウチャーとを2つに分けて定義づけるのは、一つのものを部分的に見るか全体で見るかという視点に過ぎないため、難しいのではないか。

仮にバウチャーを定義づけるとするのであれば、競争原理の導入と選択の自由という2つの観点を考慮することが重要。

全国的にバウチャーを導入するとなると、国がいくら払うのか、地方がいくら払うのか、その割合はどのくらいか、地方差はどれくらい考慮するのか、など、相当考慮しなければならない事項があり、現実的には、公平なバウチャー価格を設定するのは不可能。

バウチャーという言葉自体が非常になじみにくい。例えば、「学校選択のための個人補助制度」等と行ったように、新しく名前を考えてみてはどうか。バウチャーという定まった定義の無いものをいくら議論しても前に進まない。

バウチャーに関する研究とバウチャーの実施の間には相当大きな乖離が見られる。

バウチャーを導入する際のコストを考えた場合、バウチャーの額や、整備のための諸経費のほか、スクールバスの運賃等の通学費に関しても考慮する必要があるため、非常に複雑である。

基本的考え方の整理

競争原理を働かせるためには、例えば、学校選択制の導入等、バウチャー以外の方法も多数考えらるのではないか。バウチャーを我が国の教育に導入した場合、局所的にはうまくいっていても、全体で見ると必ずしもうまくいかないといった合成の誤謬ということもあり得るかもしれない。

バウチャーの議論は、教育制度の根幹に関わる問題であり、慎重に検討しなければならない。

競争原理を働かせるためのバウチャー以外の施策も色々考えられるだろう。例えば、アメリカで言えば、チャータースクールやコミュニティスクール等がある。

コストを減らすために教育の分野に競争原理を導入するというのは問題があるだろう。そもそも、チリでは、コストが減らなかったようでもあるが。

専門分野に特化した教育(音楽教育等)や職業訓練など、特定のものであれば、バウチャーを導入してもうまくいくのかもしれない。

少なくとも我が国の義務教育段階においては、お金が無いから学校に行けないと言うことは無い訳で、全国的にバウチャーを導入するという必要性は感じられない。

以上

(生涯学習政策局政策課)

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