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上田薫・元都留文科大学学長ヒアリング関連資料

上田薫先生からのヒアリング(概要)

日時:平成25年2月4日(月曜日) 午前10時20分~午後12時10分

対応者:安彦忠彦座長,文部科学省事務方2名

概要: 
1.御説明に当たり,上田薫先生より冒頭の御発言 
  ・私が生まれたのは大正9年であり,学徒出陣で戦地に赴き,実際の戦場を経験した。
この経験を踏まえて感じたことが,その後,教育を考えていく時の基底にある。
  ・戦後,昭和21年から5年間文部省(当時)に勤務し,学習指導要領(社会科)の作成に2度(昭和22年及び26年)携わった。 

2.上田薫先生よりの御意見
  「視点」を3つ,大事な「ポイント」を3つ,考えていくときの「流れ」のようなものを3つ,お話ししたい。

【三つの「視点」について】
(1)個性的な人間として一人一人の子を(教師も親も子ども相互も)
  ・ 親も教師も,子どもを人間として見ているかどうか。教師や親の鋳型にはめていくだけで,子ども一人一人の人間性,個性を生かしていく,という観点が薄いのではないか。教師も親も,子どもが独立した人間だということを考えてほしい。そして,子ども相互でも,そのようなことを考えてほしい。
  ・ 相手を人間として全体として捉えるということができていないために,いじめの問題が生じる。体罰の問題も,本当に相手を人間として認識していれば,簡単に手を上げることはできないと思う。
  ・ 幼稚園や保育園の頃から,一人一人の子どもの個性を互いに子どもが認識しあうように指導していく必要がある。そのように育って初めていじめは克服できる。
  ・ カリキュラムや目標についても,30人いれば30通りのものとなる,というくらいのつもりで考えていくことが大切である。
(2)速効を求めれば後日裏切られる(ゆっくりと試行錯誤しつつ進むことが肝要)
  ・ 一般的に,「速いことは良いこと」であると思われがちだが,それではどこかに無理がかかるため,長い目で見るとかえって大きな「マイナス」を負うことになる。
  ・ 速効を求めると,ゆっくりと,自分で試行錯誤しながら取り組むことができなくなるため,物事を一面的に見ることになり,視野が狭小になる。
  ・ 本当に効果のある動きは速くてはできない。このことはカリキュラムを考える上で重要な問題である。簡単に分からない方が真の発展のためにはベターなのである。
(3)世界の未来を厳しくとらえる
  ・ 東日本大震災のショックで感じたような危機感は,これからの世界では絶えず維持されなければならない。
  ・ 人類は核兵器を作ったが,これは究極には人間がコントロールできないものであり,非常に大きな問題だと思う。同様のことが,現在,原発の問題として続いている。
  ・ そうした問題だけではなく,環境問題も生じている。環境問題は年々深刻化しているが,そのことを我々は余り感じなくなっていはしないか。例えば,平均気温が3度以上上昇すると,我々の生活や産業などが大きく変わらざるを得ないと思うが,止める手立てがない。
  ・ もし今日の異常気象が環境問題として激化すれば,海面上昇・超大型台風・大洪水・大干ばつなどが次々現れて,もう国家もほとんど成り立たなくなってしまう。世界は大混乱に陥る。そういう破天荒な事態に今の人間が立ち向かうことは到底できまい。人類は破滅に向かっていく。
  ・ このとき頼みにすべき国も宗教も民族も身を挺(てい)して助け合うなどという殊勝な姿勢は全くと言ってよいほど持っていないのではないか。今既に国,宗教,民族の非協力,対立は限界にあるとも言える。
  ・ このような厳しいことを踏まえて,今後,教育目標などを根本から改めなければならないと思う。果たして今日の人にその覚悟はあるか。
  ・ 例えば,避難訓練については,以前は,ゆっくりと校庭の一隅に移動すれば良かったが,今は,大地震や津波,洪水など,様々な緊急事態を想定した訓練が大切になっている。教師も,子ども自身も,自分で判断し行動しなければならないが,そうしたことが可能になるような教育目標やカリキュラム,評価はどうあるべきかを考える必要がある。
  ・ こうした世界の未来の厳しい状況について,教育者としてどのように対応するかということが,次の学習指導要領では問われると思う。先延ばしは絶対許されない。

【三つの「ポイント」について】
(A)想定外と正対しうる子を
  ・ 「ポイント」の(A)は,「視点」の(3)と関連するが,「想定外に対応できる人間」こそが必要になってくる。これから何が起こるか分からないが,何が起こっても教師は子どもを守らなければならないし,子どもも教わっていないからできないという訳にはいかない。したがって,既成の社会に合わせてしつけをし,必要とされている知識を与えるだけでは事は済まない。そうしたことをよく考えて,教育の目標を改めていく必要がある。
  ・ 今の評価は,一定の基準に合っているかどうかを点数化しているものであるが,そのようものは「想定内」の自己満足的なものであり,いざというときに十分役に立つものではない。
  ・ 「ポイント」の(A)は,非常に難しいことであるが,学校が教育目標をどのように考えていくか,あるいは,先生が子どもにどのような指導をしていくか,ということに根底で直結する。これからの人間像について深く考えなければならない。
(B)抽象的基準での競争を克服
  ・ 「競争をして,ただ勝った」というのでは良くない。例えば,大会で優勝したところが,「一番強い,一番努力している」とは必ずしも言えないと思う。目前の栄光は単なる通過点である。「一回戦で負けても一番すばらしい学校かもしれない」という考え方が必要である。視点の多様性が不可欠である。
  ・ それではやる気が失われるのではないか,ということもあるかもしれないが,やはり勝ちにこだわらないことが大切である。そうでないと教育は変わり得ない。社会も深まらない。強靱(きょうじん)さを失う。
  ・ 教室でも「勝てば良い,点を取れば良い」という単純な考え方がもし支配的であるのであれば,こうしたことについて抜本的によく考える必要があると思う。
(CS)失敗への評価(失敗をこそ評価せよ)
  ・ 「失敗は成功の母」ということわざがあるが,失敗の中に価値が出てくる。どこに問題があったかを知ることで,個人も世界も前進していける。教室でも失敗をもっと大事にして,失敗を叱るのではなくむしろ評価することが大切である。
  ・ 先生が言うとおりできた,というのは表面の形式にすぎない。不完全な状態こそが基本であり,本来の生きた姿であり,完全というのは目指された見せかけだけのものだと思う。失敗があってこそ発見も改革もできる。
  ・ 総点や平均点での把握はそれ自体発展性がない。

【三つの「流れ」について】
  ※「流れ」とは,これまで申してきた「視点」や「ポイント」に伴うものである。
(ア)結果だけでなく過程をより重視(プロセスこそ貴重)
  ・ 正解であるか,誤答であるかという「結果」は,ある一面を表しているだけであり,その過程で,うまくいかなかったこと,あるいは,努力して成し得たことなどが絡まっている状態が非常に大事である。それは子どもごとに個性的なものであり,そうしたことを見てやれると子どもは本当に伸びる。
  ・ それを,一括して点数等の評価で扱ってしまうと,子どももただそれに対応するだけになる。どうしても過程をより重視していく必要がある。
(イ)バランス・ずれ・間への着目
  ・ 「今,この子どもの成績はこれだ」,「この子どもはこうだ」という実態があるわけではなく,実際にはいろいろと動いている。ある子どものある状態を見てみると動的な「バランス」がある。この「バランス」が大事である。それを平面的に点数化することはできない。「バランス」が生きていなければいけないから,それをどのようにして教育目標に入れるかということが重要である。
  ・ 「間」を取ることも大事である。例えば,弁舌さわやかだけれども話が全然面白くない,というのは「間」が働いていないからである。「間」によって事柄が生きてくる。
  ・ 「ゆとり」とは漫然と遊んでいることではなく,今申したような「バランス」,「間」,「ずれ」等が生きている状態のことである。人間には「ゆとり」が大切である。それがなく,四角四面に教えたり,教えられたりというのでは,創造性が育たず,誠に望ましくない。
  ・ 「時間を減らせばいい」と単純に考えたから「ゆとり」の評判は悪いが,真の「ゆとり」がなければ,人間は平面化し立体性を失い,迫力が欠けて全く駄目である。だからこのことが教育では特に大切なのである。
(ウ)形にとらわれず大胆に捨てよ(カリキュラムは重点的に,動的に)
  ・ カリキュラムは「形が整っている」ことよりも,「ポイントが押さえられている」ことが大事である。子どもによって重点は異なるものであり,そうしたことを洞察するのが先生であると思う。
  ・ 学習指導要領に記述されていることをそのまま目標にして,それをどの子にも同じ形で評価するのでは,ただ,「なでている」だけであって,本来の人間には触っていない。
  ・ 捨てたものが逆にかえって生きるカリキュラムを考えるべきである。落ちをなくそうとすると全体がぼけ重点が消える。それが生きた立体の在り方である。
  ・ 私は,学習指導要領の作成に2度携わったが,当時の学習指導要領は教師のための「試案」であり,手掛かりであって,それをヒントにして,教師が子どもごとに成果を狙っていくというふうに考えていた。
  ・ その後,そのような考え方がなくなった。でなければもっと一人一人がやる気をもって頑張っていけるように人間を育てることができたはずと思うが,無考えで,そうしたことには失敗したのだ。

3.質疑応答
(問)目標として「個性的な人間」ということをイメージしつつも,育てるときの目安として,量的に測ることができる形ということも念頭に置くところではあるが,そうした量的又は数量的に見ることについて,どのように思われるか。

(答)数量については意味がない訳ではなく,ヒントとして役立てることはできる。しかし,答が初めから決まっているような,形だけの問題を出して,それに対する答えを求めるようなことの結果については,それを手掛かりにしない方が良いと思う。そうではなく,日常の学習の場において先生が質問をして,その子らしいニュアンスの答えがあったときに,先生は貴重なことを「マーク」できるのではないかと思う。その子に即して考えながら積み重ねていくべきである。
  公平だということで,大学入試等の入試は点数で行われているが,こうした点数がそれぞれの人間にとってどのような性質のものであるかということを考えて判定する必要がある。各教科の点を平均して比較することなどは概してくだらない。
  それに対して,各教科の関係付けをそれぞれの個に即して考えていくことはすこぶる大切である。私が指導した学校の中には,例えば,中学校の国語の先生が他の教科の授業を見るということを行っている学校があったが,そうしたことを行うと得るところが実に多い。あの子がこのような環境ではこのようなことが言える,ということが分かると,その子に対する認識も変わるし,先生の教え方も変わる。一人の生徒について,各教科の授業を行っている先生たちが集まって,その子について自由に討論するのは極めて重要だと思う。
  点数化がやむを得ないという事情は一応分かるが,今申したようなことに重点を置けば,学校も,子どもも,教師も変わる。数学は数学で,英語は英語で,というように個別に点数化し,その点数をまた平均したりするのでは,力のある子どもは育たないと思う。この子どもについてはこのことを中心にいく,この子どもについてはこのことについては少し減らしていく,というようなことを大胆に行って初めて力は出てくるのであり,どの子どもも同じようにやっていけば良いというのは,生きた人間のありように矛盾していると思う。

(問)公教育については,税金を使って学校を運営しており,税金使っている以上,それなりの成果を上げよ,という意見もある。そうなると,どうしても数量化ということに目が行きがちになるのだが。

(答)それは,やはり急ぐから出てくることである。人間の能力が簡単に向上すると考えることがおかしいのであり,ないものねだりである。そこでは人間より行政の都合が重んじられている。それこそ税金の無駄使いだ。
  例えば,10年~15年とゆっくりとしたスパンで取り組み,10年間は成果が上がらなかったとしても,11年目で上がってくる,というようなことが本当は重要である。その場合,成果が上がるまでの間,教師も子どもも怠けている訳では決してない。数量化ではそういう重要な機微が全く見えてこないのだ。

(問)結果だけでなく過程(プロセス)を重視する場合,プロセスについては具体的に何を見ていけば良いか。子どもの体験,つまり活動を見るということか。

(答)見るのは子どものつまずき,迷いである。プロセスというのは試行錯誤であり,そこでどのような問題解決をしているかを見るということだと思う。
  例えば,「結果として勝った」,「定められている正解を当てた」ということは,ある意味では偶然という面もある。むしろその途中で,どこで迷って,何を手掛かりにしたかということの方が,その人間を理解する上で大事なことだと思う。
  プロセスを先生が見てることが分かると,子どもは本当に緊張して先生の話を聞くし,いろいろと先生に質問できる。そうした質問のやり取りの場において,先生と子どもがぶつからなければいけない。結果は,たまたま生じ得たというのは言い過ぎかもしれないが,教育とは過程なのであり,失敗したときに,良いアドバイスがあると,それが生きてくる。

上田薫先生作成資料

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-- 登録:平成25年06月 --