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資料2
未定稿

子どもを守り育てるための体制づくりのための有識者会議(第4回)主な意見

 ○委員  ◎マスコミ関係者

【事務局からの検討状況報告】
(木岡児童生徒課長より資料6に基づき説明)
(質疑)
委員  私たちがいろいろなところ、行政に対しても、学校現場に対しても、報道や、あえて申し上げるが、政治の世界に対しても、我々の方から言わなければいけないことがあると思う。

委員  本有識者会議は、省内の推進本部や教育再生会議とは違い、いろいろな活動を具体のレベルで行っている方が入っていることが非常に違うところであり、良いことである。したがって、視点も違うだろうから、有識者会議としての報告を、3月に有識者会議の責任で出さなければいけない。

委員  「重点的な取組」に「2いじめのサインを見逃さない・いじめを許さない教職員の意識の徹底と取組の支援」とあるが、いじめを許している教職員はいない。学校の先生方がどれだけ今、苦労してやっているのか、これに対する温かいものが全然感じられない。

【牟田委員説明】
委員  今の子どもと昔の子どもとは違うという認識は、本会議で合意があったと思う。子どもを管理していくという発想は子どもに見破られる。付け焼刃になるような制度を提言するのではなく、有識者会議では本質的な方向で、どうしたらこれから子どもが良くなるかという方向で提起してはどうか。

委員  今、子どもから大人の生き方が問われている。大人が変わらないと子どもは変わらない。

委員  他者というものが子どもの中から非常に薄れた。他者あっての自分という意識を大人がもっとしっかりと持つ。人間というのは一人ひとり違う、違うから人間は面白いということを、子どもにまず伝えるべきではないか。違いをお互いに認め合ったり、感じ合ったりしたときに平等がある。平等は同じになることではないということを、大人たちは言うべき。

委員  行政の場合は解決することが前提となり、解決しようと思うと、子どもたちに向かっていろいろなことを言ってしまい、結果、そっぽを向かれてしまう。民間ならば、解決までいかなくても良い。とにかく、子どもの心をひたすら聞くことによって、大人に対しての信頼を少しずつでも高めていく方向、そして、子どもが自分の問題として考えていく方向にサポートするということでチャイルドラインをつくった。

委員  「受け手さん」のトレーニングに1年かけて養成している。「受け手さん」は全くの無償で、研修費は「受け手さん」から払っていただいている。そのような財政状況でやっているので、是非とも配慮いただきたい。

委員  スポーツはルールがなければ面白くない。面白くするにはルールだということで、ルールづくりを子ども自身にやらせたらどうか。

委員  現在、外で遊べる状況にない。それを解消するため、プレーパークというものを世田谷に4か所つくった。それは、市民が行政にお願いして、スペースを確保してやっている。

委員  スクールカウンセラーの身分を保証すべき。この際、スクールカウンセラーよりは、子ども専用のソーシャルワーカーの制度をつくったらどうか。最低2年くらい研修をし、学校や児童相談所に派遣する。そういう制度をつくることによって、少しずつでも改善していくことができるのではないか。

【灘邊委員説明】
委員  担任が一人で対応する、一人で困った状況をつくらないことが大事。生徒指導専任教諭を中心とした生徒指導部、学年主任、当該担任、スクールカウンセラー等によってチームをつくりながら対応していく。情報の共有化、共通理解が一番大事だが、実際にはとても難しい。それをまとめていく中心的な役割を果たしているのが生徒指導専任教諭である。

委員  横浜市では、各中学校146校に生徒指導専任教諭が1名いる。各区で月に1回、専任教諭が集まって協議会を開いている。学校間の問題と、暴力、器物破損、いじめ、不登校、不審者情報等学校内の問題をペーパーにし、項目ごとに各学校が出す。それから、月に1回、各区の代表が集まる協議会を持っており、教育委員会の児童生徒指導担当の指導主事、教育相談センターの指導主事等が入っている。各区がまとめたものを市全体で情報交換する。そのため、月ごとの問題行動の件数はすべて分かり、4月からの累積もわかる。暴力もいじめも横浜は件数が多いが、その数字を校長が認めて表に出している。その数字は実際に対応した数字で、解決したものもあれば、継続中のものもある。でもまだ見つけていないもの、見つかっていないものもある。

委員  外部機関との連携については、区の専任会には、地元警察の生活安全課の担当、県警の相談員、児童相談所の相談員、区担当の指導主事が入っている。横浜市の場合には県警と協定書を結んでおり、子どもを犯罪から守るということでの情報交換は、協定書に基づいて行っている。

委員  児童相談所では、相談員が今、1人100件以上持っているため、対応がうまくいっていない。一時保護所も満員の状態で、子どもを保護所で素早く保護してほしいということがあっても、すぐに対応できない状況がある。今、それが少し抱えている課題と思っている。

委員  学校生活は、わかる授業、楽しい授業が大前提である。子どもたちに対して、放課後を使って学習相談をしたり、長期休業日に子どもたちを集めて、苦手な教科を個人的に指導することをしている。

委員  学校生活に潤いのあるものを持たせるために、教科指導ももちろんそうだが、学校行事が非常に大きな役割を果たしていると思う。ただ授業時間の確保ということでかなり精選している。前回、見学に行った横浜市の学校の合唱コンクールの話があったと思うが、本校も同じである。クラスでまとまって1位を取るんだというようなものを持たせるような行事が非常に重要な役割を果たしていると思う。

委員  個人的に思っているのは、学校生活全般を通して、一人ひとりの子どもがどこかの場面で主役になれたら良い。教科もそう、部活もそう、委員会活動もそう。それがすごく大事で、楽しい学校、行きたい学校になっていくと思う。

委員  最近、保護者が少し変化してきている。例えば以前であれば、母親と少しこじれてきても、父親が違った視点で、少し幅広く意見をすることでうまく収束したケースがあるが、最近は父親がかなり感情的に話をするケースが少し増えてきている。個人的な意見としては、家庭の中で父親としての存在がないのかもしれないが、一つは父親の存在をこの場面で示したいというのがあるのではないか。もう一つは、昭和50年代後半のいわゆる中学校が非常に荒れた時期の中学生が今、保護者になっている。そのときの学校の対応として、暴れている子には手をかけてきたが、そうではない子たちは見捨てられたと思っているのではないか。それが例えば公教育に対しての批判になっているのではないか。

委員  ボランティアに関しては、積極的に、例えば合唱コンクールでは9月から10月までボランティアの方が合唱の指導に入っていただくとか、個別支援学級に年間を通して入っていただくとか、いろいろなことをやっている。

委員  地域との連携でいえば、横浜では学校・家庭・地域連携事業が各中学校区ある。これは昭和58年の屋外生活者襲撃事件があった。その反省に基づいて、学校と家庭と地域が手を結んで、子どもの健全育成をやろうということでスタートした事業で、現在も続いている。

委員  私が一番大事にしているのが小学校との連携である。本校の場合は、小学校6年生と中学校1年生が総合的な学習の時間の中で、年間を通して交流を行っている。今の中学校1年生については、クラス分けを小学校でやってもらった。小学校のときに50日以上の欠席がある子どもというのは、中学校1年生の段階でかなり不登校になる可能性が高いが、今年の1年生に関して言えば、そのおかげだと思うが、不登校になっていない。クラスの中の人間関係づくりがうまくいったのではないか。

委員  いじめで子どもが話をしないのは、子どものプライドもあるが、自分の中に入ってきて良いよという教員に対しては、多分話しができると思う。しかし、そういう関係ができていないと無理である。日常的な、本当に地道な積み重ねだが、子どもとの信頼関係づくりをどう進めていくのか。特効薬はないと思う。日々の積み重ねだと思っている。

(質疑)
委員  学校の外の支援組織、支援活動が非常に大事だと思う。同時に、学校はまた少し違う視点があると思う。学校というのは直接に、そこの学校の秩序を保てなければどうにもならないから。いじめというのは、いじめている子といじめられている子という見方だけをしていてはだめで、人間関係のネットワークのゆがみだと思っている。

委員  生徒指導専任教諭がいる中学校と小学校とは体制として異なるのか。

委員  小学校は児童指導担当という、校務分掌の一つである。中学校は加配1名があり、荒れの時期を経験しており体制づくりができている。

委員  中学校に専任がいるのは、横浜以外にあるのか。ほとんどないのではないか。

【マスコミ関係者との意見交換】
(日本テレビ放送網株式会社報道局社会部長・杉本敏也氏)
マスコミ関係者  今回の一連の問題のきっかけは北海道滝川市のケースで、学校や教育委員会が遺族に不誠実な対応をとっていたのではないか、いじめを隠し続けたのではないかということがマスコミによって発覚したもので、その後も責任逃れを続けた。教育現場で死亡事件が起きた場合、学校や教育委員会は事実を解明し、原因をつきとめ、関係者に説明し、遺族にも謝罪し、情報開示することによって再発防止・予防のための施策を提案することが使命だが、そのいずれもできなかったケースである。

マスコミ関係者  この問題の背景には、文科省の統計で、99年以降、いじめ自殺は1件もなかったというデータが実態を反映していないのではないかという指摘がある。極端に言うと、「国を挙げて隠蔽していたのではないか」という疑念を国民が持ったのではないか。

マスコミ関係者  そのさなか、福岡県筑前町ケースでは、教師がいじめに加担していたのではないかという問題が発生し、教師や教育委員会が遺族から叱責される事態となった。

マスコミ関係者  さらに自殺が相次ぐ中、大臣に自殺予告の手紙が届いた。この対応は危機管理上ベストの選択をしたと思う。最悪の事態を想定し、迅速な調査とそれを防ぐためにどうしたらいいのか、情報開示することについて、ベストな選択をしたと思う。

マスコミ関係者  何よりも迅速・的確な情報開示が重要で、それを怠って報道が先行し、対応が後手になることが問題を拡大させていることは明らかである。今問われているのは、情報公開・情報開示のあり方であって、第1回会議の主な意見の中で、「学校・教育委員会が何でも発表するという姿勢を変えなければならない」という意見もあったが、基本的には情報公開をどんどん進めていただきたいというのが私どもの立場である。

マスコミ関係者  本来、いじめ自殺といじめは全く別次元の問題である。いじめ自殺は滅多にないことであり、あってはならないことだからニュースになる。一方、いじめは滅多にないとは言えない問題なので、いじめ自殺ほどのニュースにはならないが、重要な社会問題としてわけて扱うべきもの。

マスコミ関係者  いじめ自殺はいじめという氷山の一角であることから、もともと自殺報道は慎重に行ってきたが、いじめという事実が隠されてきたのではないかという疑念もあったため、「いじめの可能性がある自殺」を各社とも積極的に報道するようになった。

マスコミ関係者  教師がいじめに加担したり、学校・教育委員会の隠蔽が社会問題化している中であったため、それらの責任を追及するというのがマスコミのスタンスとしてクローズアップしてきた。

マスコミ関係者  もちろん、いじめ自殺が問題解決にとって成功だったと視聴者や読者が感じるような報道は、厳に慎まなければならないと肝に銘じている。

マスコミ関係者  民放連も民放各社にWHOのガイドラインを配付した。それを受けて各社とも対応を考え、NNNニュース系列では、関連の報道部長を集めてガイドラインを作成した。

マスコミ関係者  各社ともいじめと自殺を防止するためのキャンペーンにつながるような報道をしている。早い時期の過熱ぶりとは報道の状況も変わってきて、どうしたら防げるのかということに力点が置かれている。

マスコミ関係者  福岡のケースで、保護者が学校側を一方的に叱責する場面が流れた。そういう構図を描き出そうとした報道ではないが、分かりやすい構図でその場面が報道されたことについては、冷静に検証をしてみる必要があると思う。

マスコミ関係者  しかし、全体としては、教師の心の問題や親の虐待の問題についても各社とも報道しており、必ずしもいじめ自殺報道に偏っているわけではない。

マスコミ関係者  ちなみに、問題が起きた場合、第三者機関による検証が重要だと思うが、長野県の「飯田高校生徒刺殺事件検証委員会」では、学校で死亡事件が起きたときに、どういうふうに被害者のサポートをするべきかを含めて具体的な提言が出ている。

マスコミ関係者  情報公開はますます重要になってきており、それができなかったことが今回のすべての出発点である。情報は出すべきではないという形に議論がならないように、ぜひお願いしたい。公開された情報をどう扱うかについては、メディアも今、十分議論をしており、新聞協会でも「実名と報道」という冊子を出し、啓蒙しているところであり、理解いただきたい。

(株式会社日本経済新聞社編集局社会部編集委員兼論説委員・大島三緒氏)
マスコミ関係者  情報公開を徹底してほしいという大原則は、メディアの立場として変わりない。

マスコミ関係者  常に事件報道は、試行錯誤を繰り返して、自問していることは理解いただきたい。

マスコミ関係者  いじめ自殺がある種のアナウンス効果を生じている、連鎖反応を呼び起こしているという指摘そのものは謙虚に受け止めたいが、報道とそれに対するその後の展開というのは、現在のいじめの問題だけでなく、常に問われている問題であり、実態は歴史的にもある。

マスコミ関係者  メディア側にも配慮が必要だということはわかるが、もしガイドラインをつくるとしても、あくまでもマスコミの自主的なルールにしないとだめであり、譲れない一線である。

マスコミ関係者  事実関係を究明し、国民に知らせることがメディアの責務であると考えると、法的なガイドラインを上から押し付けられるということは、いじめ自殺のようなテーマに関しても、到底賛同できない。

マスコミ関係者  学校や教育委員会が何でも発表するという姿勢を変えなければならないという意見があったようだが、事実を隠したり、公表を遅らせることで、メディアと学校や教育委員会との関係は悪化する。

マスコミ関係者  分かっていることと調査中のこと、本当に分からないことは切り分けて、きちんと発表していただきたい。それがなくて、説明が二転三転したり、場合によっては打ち消したり、責任の主体がはっきりしないことがある。

マスコミ関係者  会議の発言の中で、先生・学校が右往左往している姿や、嘘つきや隠蔽体質と糾弾される姿を見て、子どもの大人不信が高まり、その後の教育指導が難しくなるという意見があったが、心情的には分かる面もあるが、我々の立場はあくまでも事実を究明することで、その中で何がおきているか知らせる。

マスコミ関係者  一方で、例えば、遺書をあえて実名で公開してくれというケースもある。どう対応するか悩むが、基本的には遺族がむしろ積極的に出してほしいと言っていることもあり、対応せざるを得ない。

マスコミ関係者  試行錯誤する中でやっているが、基本的にはセンセーショナルな報道や、エモーショナルな報道は避けなければならない。

マスコミ関係者  WHOの基準を参考にしようとする動きがあり、WHOの基準が完璧なものではないが、こういうことを含めていろいろなものを考えている。

マスコミ関係者  いろいろな試みをメディアとしてもしており、日経や朝日では、子どもに直接呼びかけるものを出している。20年前にはなかった。

マスコミ関係者  日経新聞では、相談窓口をなるべく知らせようということを最近やっている。過去にはそういうこともなかった。

(質疑)
委員  有識者会議の委員は少なくとも報道の問題について3点は認識を共有していると思う。
 1点は、情報公開は大事だということである。無条件に隠せという意見はここにはない。学校でのいろいろな問題状況・問題現象については、いつもせめぎ合いがあるが、これはもう少しオープンにすべき。情報公開は民主主義の土台だと思う。
 2点目は、新聞もテレビも今はすごい影響力がある。センセーショナルな取り上げ方、一面的な取り上げ方をされると、記者や番組制作者の思いもよらないところまで影響がいってしまう。情報は出しても、報道の仕方についてはいろいろな形でお考えいただきたい。
 3点目は、ガイドライン的なものをつくっていただきたいが、あくまでも自主的なものでなければならない。役所や政治が統制するような、外的に報道機関を統制するようなものは民主主義の自滅行為だと思う。しかし、新聞各社、テレビ各社でよほど入念にガイドラインをつくらないと、どこかで報道のあり方をコントロールすべきだという話は繰り返し出てくるだろうと思う。
 影響力が大きいので考えていただきたいことを2点だけ申し上げておきたい。
 1つは、バランスを欠いた社会正義の追求がある。いつの間にか社会正義を我々が実現するという、これはとても怖いことであり、そうすると、全社会的なつるし上げになる。
 もう1つが、安易なカテゴリ化によるレッテル張りがあるのではないか。事柄はそう簡単に割り切れないものがいっぱいあると思う。いじめっ子といじめられる子というのがなかなか難しい。ガイドラインは、あくまでも子ども一人ひとりが大きく傷つかないという大前提でつくっていただかなければいけないと思う。

委員  マスコミは最大の勢力ではないかと思う。報道によって人々が翻弄され、世論が形成され、社会がつくられていく、という怖さがある。それと同時に、自助努力ではできないことをマスコミの力によって良い方向に向かっていくこともある。
 新聞に対しては、重要な問題は署名で報道してほしい。1年前、赤だと書いたことが、1年後に白だと書く。翻弄された国民が悪いといえばそうだが、これからの教育は、マスコミに負けない強さを持つこと。他人の風評などに負けない自己の判断力、思考力を培うことが、これからの教育現場で最も大切になっていくのではないか。そういうことも含めて、良い方向に持っていくマスコミであってほしい。
 子どもたちは友人同士で付き合う時間よりも、テレビの影響を受ける。あまりにひどいものはやめていただきたいという思いがある。大人は取捨選択することができるが、子どもは取捨選択ができない。大人の責任として、マスコミは世論を形成するだけの力を持っている責任として、自主的なルールに絶対入れていただきたい。

委員  問題はいじめ自殺よりも、いじめの方に本来は教育の問題としてはある。いじめはどう起きるのかということに対して、どこまでいじめ報道する側から追及されようとしているのか。メディア自体が加害者の一端を担っている部分は間違いなくあると思う。直接起こった事件に関してとは別として、背景にあるものとして。テレビメディアとして自己検証のシステムはどのようになっているのか。
 新聞は、影響力はテレビに負けると思うが、知識・情報の質としては、新聞はものすごく大きな力を持っていると思う。今回のことを含めて、違いをどのように認識しているのか。

委員  社会を形成する一つの大きな意味合いを持っているのが報道だと思う。個人的な意見だが、最近の報道を見ていると、政治的にも、社会的にも、マスコミが誘導していくという傾向が見られると思う。
 福岡の事件に対しては、いじめた側の子どもを捜しまくるというようなインタビューが続いて、その子どもや家庭がパニックになったということが言われているが、そうした過激な取材はいかがなものかと感じた。

委員  20年前もアナウンス効果と思われることはあったのではないかというご意見について、今と決定的に違うのは、いろいろな意味で映像が多くなっていることと、インターネットがさらに二次的に増幅させるというところが違うと思う。映像では、それを見た人は、その場にいなかったのに、非常に大きなトラウマを受けてしまう可能性がある。
 最近の研究では、映像は脳の記憶中枢のところに写真のように焼きついてしまって、本人が思い出したくなくても、そのシーンが繰り返しフラッシュバックのように脳裏によみがえってくることが、脳科学的に最近解明されている。いじめの問題、自殺の問題などでも、まだ脳が脆弱な子どもの場合は、連鎖自殺に若干関係しているのではないか。例えば自主的なガイドラインを設定されるときには、そういう脳科学的な知見を踏まえていただきたい。
 報道や社会面のところと、娯楽的なバラエティーや娯楽面・生活面との統一性はどの程度考えられているのか。報道では気をつけるが、娯楽やバラエティーでは助長するような、マッチポンプみたいにならないような歯止めのシステムがあるのかどうか。

委員  今年、本当に小中高生の自殺が増えたのかということについて、我々はわかっていない。報道で増えたような感じになっているが、実際に増えたのかどうか知りたい。

委員  確かに報道の自由や知らせるということはある程度やらなければいけないと思うが、ある一定の部分を何回も執拗に、しつこく映すのはどうかと思う。学校は子どもと先生の信頼関係が崩れたら何もならないので、そこら辺を自粛していただけたらということで、21日に広瀬民放連会長にお願いという文章を出した。

マスコミ関係者  どういう歯止めのシステムがあるのか、バラエティー番組との統一性はどうか、ということについては、民放とNHKはBPOという第三者機関があり、視聴者などの苦情や意見を受け付けている。そこには、特別に「青少年に関する委員会」もあるので、そこでも検討している。民放連等とも情報交換しながら取り組んでいる。
 また、各社とも考査部門がある。考査は、すべての部門を網羅する形で、番組の内容に問題がないかどうかということについて目を向けている。日本テレビでは、報道とは毎月定例の会議を持って点検をしている。
 それとは別に、視聴者の声を受けて、番組を検証するという番組を各社とも放送している。ちなみに、日本テレビでは来年の早い時期には、いじめ自殺、いじめ問題の報道のあり方を取り上げることになっている。

マスコミ関係者  テレビと新聞メディアの違いについて、私が基本的に同じであると言ったのは、メディアの責務という意味で同じということである。現実に報道や論評の仕方は随分違っていて、深堀する報道や論評、レビュー的なものは、テレビに比べれば新聞の方がいろいろな幅があると思う。
 社説は20何人の論説委員が議論して、いじめの問題などは本当に議論が終わらない。随分そういう論評する立場でも悩んでいる。
 ガイドラインに脳科学的な知見という話は、研究途上ではあると思うが、ゲーム脳の問題などもあるので、社内での議論に反映させていければと思う。
 同じ報道の枠の中でも立場の違う人がいっぱいいるから、それの統一性をどうとっていくかというのは、組織が大きいので、ケース・バイ・ケースで日々悩んでいるかと思う。


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