【学校評価の必要性・目的・意義(位置付け)について】 |
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今、学校への裁量権の移譲が進んでいる中で、学校が比較的自律的にできるようになる裏返しとして学校評価が必要ではないか。
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学校評価の目的について、県・市町村の教育委員会や学校それぞれに思いやレベルが様々であるので、きちんとした整理が必要。
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学校評価を通じて、三重県の取り組みにおけるベンチマーキングや、大学におけるGP(GoodあるいはBest Practice)、イギリスにおけるBeacon schoolなど、モデルとなる学校を浮かび上がらせて、他の学校がその実践を取り入れて改革を進めることが必要。
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英米型の学校評価が結果責任を問うのは、学校が経営主体となっているため。日本の現状からは現実的に難しく、望ましいかどうかもわからない。学校評価は、今は管理ツールというより、コミュニケーションツールとして認識すべきではないか。
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学校がアンケートや情報を流すことにより、提案が保護者から寄せられ、それがアクションにつながる。学校評価とは、評価自体が目的というより、その内容をいかに保護者が共有でき、学校に対して何ができるかということを引っ張り出す一つの手段ではないか。
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【学校評価に取り組む動機、評価結果を受けた改善策の在り方について】 |
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学校評価がこれまで定着しなかったのは、学校にかかわる様々な基準が定められるなど事前の管理が行き届き、それさえ遵守すれば一定の成果が生み出されて当然という見方があったからとも言える。また、マネジメントは管理職の問題であり、授業など教育活動は教職員の問題であるという分断が当然視され、両者が交わる視点をもたなかったことも挙げられる。
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評価結果の公表や外部評価について、現状では学校関係者は少し距離を置きたいという気持ちがある。しかし、公表や他者から評価を受けることが自分たちの改善にもつながるという認識を持つことが大事であり、学校関係者にとって意味あることという理解を得られるようにしたい。
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どのような課題も当事者が問題と認識しない限り、何も機能しない。どれだけ外から評価結果を突きつけられても、それをなるほどと思わない限り、むしろ、それを糊塗する動きが加速する。したがって、いかに内発的な動機づけをとりながら、自己評価を徹底していくかが重要。
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学校が抱える課題に対応するために、学校側からの提案に応じて県が教員を加配する。次年度も続けようと思えば、税金によって特定の学校に特別な手当てをする以上、きちんとその評価をして成果を示す必要があるし、学校の方にも示すモチベーションが生じる。
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自己の裁量でアクションを起こし、それに対して保護者等のサポートや、教育委員会からの加配や特別な補助などを得る。そして直すべきところは直す。これがあれば、評価への取り組みを学校が続けられると思う。
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管理職ではない一般の教員は、いい授業がしたいと思っており、それを評価してもらいたいという思いが非常に強い。学校経営へのアドバイスという形では、なかなか一般の教員に伝わらないので、学校評価が浸透していくためには、これを通じて個々の教員の授業の改善・改革につながると位置づける必要がある。
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ある学校で学校評価の研究に3年ほど取り組んだ結果、1つは、初年度は毎月約20件ほど児童に関する苦情などが保護者や地域から校長室に直接電話がかかってきていたのが、今では2カ月に1件ほどまで減った。これは、学校評価の取組を通じて、教職員が一体的な取り組みをしているからではないか。
2つ目に、学力について、若干印象的ではあるが、国語・算数で平均約5点ほどアップしたと、教職員が1年を振り返ってみる中で結論付けている。
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県教委が学校を評価し、学校に児童生徒が集まらないので校長はリーダーシップを発揮すべきとなった時、その校長を任命したのは県教委の責任ということになる。教員評価をして、この学校にろくな教員がいないとなると、配置した県教委の責任に戻ってくる。コミュニティスクールなどのように、学校レベルで主体的に教員を採用するなどの状況をつくり出さないと、最終的に誰に責任があるのかが不明瞭になる。
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これまで細分化して学校に予算を配分していたのを全部やめて、学校規模に応じ2,000万とか3,000万を一括して学校に配分し、校長のマネジメントでその予算を好きなように使うという取り組みを行った。さらに、人事についても校長による教員公募、つまり本校にはこういう教職員が必要だという取り組みも始めた。これらを通じて目標管理の考え方が根づいてきたと思う。
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学校選択制を採り学校予算を児童生徒数当たりで決めている国、例えばイギリスでは、学校評価結果が児童生徒の増減にかかわり、それが学校予算に反映するなど、仕組みは単純である。日本で今のところそのようなシステムをとらないとすれば、評価結果による「ご褒美」や「ペナルティー」をそもそも考える必要があるのかないのかという問題がある。
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評価結果に基づき、少しメリハリのある予算配分など、人事・財政面での「ご褒美」があってもいいと思うが、義務教育については、地域性があり、校長の責任ではどうしようもない部分があるので、高等学校と義務教育とで分けたほうがよいかもしれない。しかし、少なくとも現状よりはあってもいいのではないか。
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【学校評価の用語の定義(位置付け)について】 |
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学校評価の用語をめぐる混乱があり、言葉の定義を整理する必要がある。
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自己評価にいう自己とは誰なのかという問題などもあり、概念を整理するのであれば、当事者や受益者といった言葉がより妥当かと思う。
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これまでの定義では、学校がみずからやれば自己評価、学校が外部の評価者を任命して実施すれば外部評価、学校の意思とある意味無関係に、学校以外の主体、例えば教育委員会などが実施すれば第三者評価、と区別してきた。
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ガイドラインでは外部評価は設置者が設けた外部評価委員会が行うとあるが、これは学校からみると、外部評価なのか第三者評価なのか混乱する。例えば、外部評価は、学校が評価する人を決めて実施する外部の評価、第三者評価は、学校の意思と無関係に第三者がその学校を評価する場合などと区別する必要がないか。
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第三者評価は、自己評価・学校関係者評価・仲間うちの評価の質を担保したり、内部だけではわからないから第三者の助言を必要とするため、と定義できる。第三者評価の位置づけは、ベストプラクティスを発見・分析したり、あるいは改善支援が必要なところに対して専門的に分析するような位置づけが妥当。その観点から、自己評価、学校関係者評価あるいは地域の評価、それに専門的な第三者評価、の3つの位置づけとしてはどうか。
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自己評価の信頼性を確保するために外部評価を行い、さらに第三者評価が入ってくるとなると、外部評価でもだめなのかということになり、そうなると3つの評価を段階づけから、一番大事なはずの自己評価が一番だめな評価ということになってしまうのだろうか。このような構造的な問題について留意する必要がある。
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今後、個別の学校評価の実施から、組織的・体系的、あるいは継続的・発展的な評価に評価システム全体として進化をさせていく必要がある。
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【外部評価(学校関係者評価)の定義(位置付け)について】 |
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自己評価・外部評価に加えて、第三者評価が入ると、外部評価とは何かという説明が必要。外部評価について、何らかの整理をしてわかりやすい別の呼び方にする方が、あまねく全国でこれらの評価を実施する以上適切だと思う。
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自己評価の対概念は他者評価であり、外部評価の対概念は内部評価である。自己評価と外部評価を並べるのは概念がねじれている。その点で、学校関係者評価と言いかえるのは妥当な方向。
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保護者や地域住民が学校評価に加わった場合に、それを外部ととらえるのが適切かどうかは検討を要する。一方、教職員と保護者を対峙的にとらえると、保護者は外部という位置づけもわかりやすく、これまで現場での受けとめ方は、そのように位置づけて評価を実施してきた経緯もある。
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保護者による評価をどのように位置づけるのかとなると、それは全体的な評価システムをどういうように組み立てるのかという話に行き着くところがある。
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学校評価について検討する中で、学校関係者評価という用語は、学校の教員や、従来外部評価者と呼ばれていたメンバーにとって、非常にわかりやすくなったと感じる。教職員の視点からは、保護者や地域の方を学校関係者とシンプルなとらえ方ができる。さらに第三者評価は専門家による評価と位置づけられ、以前よりわかりやすい。
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【学校評価に関する研修の重要性について】 |
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学校評価の手法に関する学習機会が不足しており、多くの教職員が客観的な評価を行うことは難しい。特に豊かな心とか、いじめなどについて、これを学校評価でどう表現したらいいのか悩むなどの問題がある。
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学校評価を進める上で、研修重視の導入が重要。校長・教頭や、主に教務主任を対象とした学校評価に関する専門性を高めるための研修など、色々な研修を組み合わせながら、懐の深い導入の仕方を考えないと、何のためにするのかわからない評価が、数字の上だけでは進んでいくことになる。
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学校評価の結果が評価者により違うのは、個々人が持つ教師としての力量の相違からくる評価感の違いにある。ベテランになるほど、あまりブレが出ない。もしも力量が高い者同士で評価結果に差がある項目があれば、それは客観的な評価が難しい項目か、そもそも評価項目として不適切という考え方も出てくる。
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これまで学校現場での学校評価にかかわってきた経験からは、意外に評価者によって評価は違わない。そもそもトップ校と定員割れしている学校を同じ基準で評価するわけではなく、また、マネジメントを評価するものであるので、実態をどう把握し、それに対して校長をリーダーとして最大の効果を上げるためにどう努力しているかを評価するので、それほど違いは出ない。
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第三者評価においては、評価者の研修やトレーニングが信頼性にかかわるので、それが第三者評価システムの成否にかかわってくる。
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指導主事の在り方について |
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各学校は、これまで数年間学校評価に取り組み、ノウハウも相当蓄積したが、教育委員会の指導主事は必ずしも学校評価を理解していないという逆転現象がある。また、教科指導の際に、学校経営について学校の方が知っているという状況で指導できない状態になっている。県・市町村の教育委員会が、学校評価について学校経営との関連で指導主事をいかに研修するかが一番の課題。
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学校で教職員が評価の経験を積み、学校の優位性が高まると、教育委員会の指導主事をどう鍛えるかが課題。県レベルで第三者評価システムをつくる際には、特にそれが問題。指導主事の他に学校評価のノウハウを持った専門家を集めたとなると、指導主事の通常業務でもその存在意義にかかわるため、優先的に指導主事を鍛えたり、学校評価の経験のある者を指導主事にすることにより、補っていく必要がある。
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【学校の情報の公開について】 |
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評価の公表以前に、学校の基礎的状況や、地域の教育の情報などが共有されないと、学校から公表された情報を判断もできないし、関心も持てないというのが地域の状況。
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今まで学校要覧や学年だよりなどで学校の情報が提供されてきたが、さらに一歩進んで、施設を開き、授業を開くように、情報を開き共有するということを学校は目指すべき。
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そもそも評価とは何かというのが、一般の保護者や地域の感覚。まずは学校に関する基礎情報を保護者・地域で共有し、それから評価へつなげないと、このままでは保護者等を対象としたアンケートが来ても、その回答結果が学校を本当に理解しての数字なのかどうかが問われる。
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情報の共有化が学校評価でも重要なポイント。保護者は、アンケートの依頼がきても、わからないことを聞かれても回答できないので、適当につけておく、と言う。果たしてそのようなアンケート結果が有効な学校の改善につながる資料になるのかどうか疑問。
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広く保護者や地域と情報を共有することは非常に重要だが、例えば学校は、こういう取組をするという情報は非常によく出すが、その結果、児童・生徒がどうであったかについてはあまり具体的なデータをもとにした情報を出していない。何を共有する必要があるのかという情報の質の検討が、学校評価においては重要。
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保護者との連携について |
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学校の自己評価について、存在自体知らない保護者がほとんどであり、PTAなどの役に何も就いていない者は全く知らない。学校の現状や取り組みについて全く無関心の保護者が非常に増えてきているのが実情。
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学校は、家庭からも放り出された子どもへの対応に真摯に取り組んでいる現状がある。家庭や地域に対しても多くを期待できないという事実を認めるところから、学校と家庭、地域の役割分担や協力関係を考えていく必要がある。
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【学校評価への教育委員会のかかわりについて】 |
○ |
学校評価を通じて、国、都道府県・市町村の教育委員会、学校がそれぞれ何を担うべきかという戦略をしっかりつくる必要がある。
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学校の自己評価結果を踏まえた具体的な改善策を考える際に、その中には、学校の努力で改善できる部分と、例えば人事や予算など、教育委員会がその学校にどのような支援をするのかが問われる部分がある。教育委員会は、評価結果を踏まえた取り組みが求められる。逆に言えば、自己評価結果から教育委員会の支援が妥当かどうか見る必要がある。
また、教育委員会は、学校が具体的な改善策を立て、それが次年度の教育活動にどう反映しているかということを見る必要がある。例えば、学校によっては、教育課程届や学校経営方針等に具体的な改善策が全く反映されていない例もあるので、教育委員会の相当な指導が必要。
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市町村教育委員会や都道府県教育委員会などの教育行政が、学校現場にどのような支援をしているのかということを評価しない限り、学校現場は納得しない。学校にばかり取り組めというより、教育委員会が支援やサポートを適切に行うことでうまくいく部分もある。
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【私立学校における取組について】 |
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私学は、たとえどんな小さな学校でも、その建学の精神に賛成して、父母や子どもが来ている。これらの私学を比較したり、標準化を図ることは無理ではないか。
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何のためにそれぞれ独自の私学が同じように学校評価の実施・公表に取り組まなくてはならないのか。
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私学も公教育であり、唯我独尊というわけにはいかない。しかし、公立と私立の区別はあり、単に私学も入れておかないとおかしいという理由で一緒にされるのは困る。何かはっきりとした理由が必要。
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私立学校の場合、公立が念頭に置かれているガイドラインを見ても私学とは違うところがあり、これまでの取り組みが学校評価なのかどうか、評価の調査の回答に迷いがあるのではないか。私学団体としても取組を始めたところであり、現在は調査の数値は非常に低いが、私学の現状についても理解願いたい。
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私学の場合、生徒が周辺各県から通学してくるとなると、どこを地域として考えるか。学校の所在地として、地域美化運動や、最寄り駅までのバスマナーなどや、医療機関との連携とか、バザーの収益金を地域に還元するなどしかできない。これらの取組を大変ありがたいと言ってくださるのが、外部評価となりうるのか。
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知事部局の私学担当部局は、設置基準の適合性は見られるが、指導主事もおらず、都道府県・市町村教育委員会が公立学校に対して行うような様々なサゼスチョンを私学は得られない。
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【義務教育諸学校と高等学校との違いについて】 |
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義務教育と高等学校とでは異なり、高等学校は既に選択が前提であるので、高等学校の学校評価は、受験者である中学生に対する選択のための情報として、できるだけ正確な、学校評価に関する情報を出す必要がある。
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評価結果に基づき、少しメリハリのある予算配分など、人事・財政面での「ご褒美」があってもいいと思うが、義務教育については、地域性があり、校長の責任ではどうしようもない部分があるので、高等学校と義務教育とで分けたほうがよいかもしれない。(再掲)
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【学校評価と教員評価の関連付けについて】 |
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学校には、学校評価と人事評価との混同や、さらにはその根底にある評価そのものへの拒否姿勢があり、特に一部の地域ではそれが非常に強い。
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新しい教員評価制度において、各教職員が年度当初に学校教育目標を踏まえた自己目標を設定して、その達成のために主体的に取り組んでいく中で、学校評価と教職員の人事評価制度をリンクして、お互いに学校の質を高める、教職員自身もその質を高めていく評価にしていこうと取り組んでいる。
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学校評価と教員評価のリンクについては、ガイドラインでも、県レベルでも困難な内容。学校評価の取り組みの中で、組織の方向性や、力の入れ方などを色々とチェックすると、生徒指導や教務などの学校組織の誰が悪いというところまで、取り組もうと思えば突き詰めることができる。しかし、このように教職員の人事評価とのリンクが前面に出過ぎるのは、ガイドラインでも分離しているが、少々まずい。
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学校評価と教員評価とのかかわりについては、学校評価は学校の質を高めるために行うためのものであり、人事の個人的なプライバシーのところは外しており、ガイドラインに示された考え方に心がけて取り組んでいる。
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学校という組織の評価は、どうしても教員の評価とつながりが出てこざるを得ない。しかし、例えばBest schoolやGood schoolを構成するスタッフ個々の評価、あるいは、校長の評価であれば、一般の教員は抵抗が少ないと思うが、学級担任や学年主任レベルの教員の評価になると、大変難しい問題。
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学校の結果責任を誰がとるのかを考えると、学校評価は教員評価に行き着かざるを得ないかもしれない。例えば、県教委が学校を評価し、学校に児童生徒が集まらないので校長はリーダーシップを発揮すべきとなった時、その校長を任命したのは県教委の責任ということになる。教員評価をして、この学校にろくな教員がいないとなると、配置した県教委の責任に戻ってくる。コミュニティスクールなどのように、学校レベルで主体的に教員を採用するなどの状況をつくり出さないと、最終的に誰に責任があるのかが不明瞭になる。(再掲) |