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資料2

新しい学校評価を創る−学校組織マネジメントの展開−

【第3回学校評価の推進に関する協力者会議】

平成18年9月26日(火曜日)
木岡一明(名城大学大学院 大学・学校づくり研究科)

はじめに

  <問題1>学校は、企業体のように、組織存続の必須問題として変化や挑戦が自動運動化されていない。むしろ「不易」を重んじ、現実にそこで学んでいる子どもたちの存在を与件としてリスクを回避しようとし、現状肯定に陥る傾向にある。しかも、計画の遵守・予測の確実性が重視される。つまり学校では、完全なる計画とそれに基づく完全なる成果が建て前になっているのであり、その建て前が成り立たない現実をカッコに入れて少なくとも外向きには「完全」を装う。それだけに、クライシスやリスクに対する認識が甘くなる。そして、「改善を図る」というテーマが正面には位置づけられにくい。

→長く保護されてきた学校は、環境の変化に対して自ら適応していくことの必要性を自覚せず、社会現実との距離を大きくしてきた。そのギャップが、いっそう子どもたちには欺瞞を感じさせ、家庭や地域からの理解を遠ざけている。

<問題2>学校の正当性が揺らぐ中、学校と家庭・地域との連携を求める声は強い。しかし、家庭や地域から十分な協力が得られるのなら、その余力が家庭や地域にあれば、学校がここまで深刻な事態に陥らなかったはずである。むしろ家庭や地域に対しても多くを期待できない。この事実を認めるところから、学校と家庭・地域の役割分担や協力関係を考えていくことが必要であろう。

1. これまでの学校評価史が示唆するもの

 
(1) 学校評価には半世紀以上の歴史がある
 この間、昭和20年代後半、昭和40年代前半、昭和50年代前半、昭和60年代、そして今日とブームを繰り返してきた。
 その時々において、学校評価の普及・浸透に費やされた尽力はおびただしい。
 しかし、ブームが繰り返されたのは、学校評価が定着してこなかった証でもある。
 また同じ歴史(形骸化)を繰り返してはならない。

(2) なぜ定着してこなかったのか?
 結局のところ、その必要性が認められなかった。
 形式的な対応に終始していれば事足りた。(基準による事前管理)
 経営と教育が分断されていた。(不幸な対立)
 「あるべき学校経営」「あるべき学校評価」でしかなかった。(研究遅滞)

(3) 基盤的な問題
<疑う>ということの難しさ(暗黙知)
学習された無力感とコミュニケーションの断絶
→果たして「迫られて」、学校は動くだろうか????
 見通しイコール動いていってしまう(空洞化/形骸化の極みに)
→「あるべき学校評価」に至るまでの段階、過程を区切って今後を展望する必要
→現在はその初期段階で、「学校評価」を学校の日常にコミットメント(浸透)させていく基盤づくりの過程を重視すべきとき。

(4) 問題を乗り越える視点
 学校の「現実」からの出発、試行錯誤戦略
 「学校組織開発の一環としての学校評価」という位置づけ

(5) 新しい学校評価を創る
1. みかけを取り繕うことなかれ!   <自己アピールとしての評価>
2. できる時に、忘れないうちに行おう! <ポートフォリオ>
3. 焦点をしぼって評価しよう! <重点化>
4. 問題に向き合う耐力と自己効力感を! <達成動機とコンピテンス>
5. めざす姿を明確にし達成感を得よう! <達成指標・行動指標>
6. 目的と手段の関係を明確に! <目標管理システム>
7. 教育の「成果」を見定めながら! <教育の質保証>

2. 学校組織マネジメントに立脚する視点

 
(1) 組織マネジメント;目的は環境適応
組織内外の刻々と変化する環境からの規制作用や影響に対して、それをうまく受け入れたり回避したりしつつ、求める目的に向かって効率的・効果的に組織全体が動くために、内外の資源や能力を統合あるいは開発し、人々の活動を調整すること(活動や機能)/一人で担うことも、それ以上の人々が協働して取り組むこともある。

(2) 学校における組織マネジメント=
学校の有している能力・資源を開発・活用し、学校に関与する人たちのニーズに適応させながら、学校教育目標を達成していく過程(活動)
学校経営といわれてきたもののなかで、環境との相互作用、計画(Plan)−実施(Do)−評価(Check)−更新(Action)のマネジメント・サイクル、その過程を円滑化するスキル(技術)やストラテジー(方略)、これらのあり方を基本的に方向づけるミッション(職責)とビジョン(目指すところ)を強調する概念(認識枠組み)。

計画(Plan)→実施(Do)→点検・評価(Check→更新(Action
そのために;学校経営計画(経営方略)の策定と創造的思考
 →そして、行動計画(Action Plan)の策定へ

めざすは学校組織開発;
1   共同(コラボレーション)の推進
2   創造(クリエーション)の促進
3   考究(リフレクション)する組織づくり
4   外に開く(オープンマインド)学校づくりの展開

(3) 学校評価前提
1  評価が改革を導くのではなく、評価をもとにした人々の知恵と現状打破の意志が改革へのネットワークを形成する。
  目標管理システムの限界1;複雑系システムとしての学校
2  問題を問題と捉えられる組織認識がないと評価は機能しない。
  自己評価による認識の深まり;内発的動機づけ
3  外部評価に意味があるのは、校内では気づきにくい事柄への向性と学校では調達できない知恵が備わっているときである。
  客観性追究の限界
4  これらが噛み合うのは、職責に対する専門職的自覚と、自らの職分が脅かされるとの危機意識が組織に働くときである。
  目標管理システムの限界2;自律的な主体によるセルフコントロール依存
5  そのもとで、組織の何が活かせるのか、どんな機会を設けたらよいのかを各場面で評価し、知恵を集め考え、可能な策を実行していくことが、学校改革を導く。
  学校組織マネジメントの展開

(4) M県内の「学校自己評価」を義務化したK市のH小学校の実態
  H小学校の学校自己評価は、市の学校管理規則による規定に基づいて始まった。しかし、
同校の学校経営方針;例えば「子どもが生き生きと輝く学校生活を送れる教育環境を整える」など、抽象的なものが記されている。
 これは、教育上、きわめて当然の内容を記しているわけであり、学校教育目標としてみればもちろん否定すべきものではない。しかし、これを学校経営方針としてみると、学校で組織的に仕事を進めていく上では、たとえば上記の「生き生きと輝く」という「経営方針」は、個々人間の解釈の幅が大きすぎる。この「生き生きと輝く」の内容が誰にとっても必ずしも同じではないという問題は、個々の教職員の経験や常識に委ねるのではなく、本来は「経営」によってクリアされているべきである。
1  具体的に何をすることが学校教育目標の達成として位置づけられるのかを明定し、
2  事後評価が可能なように、現状で「できること/できないこと」を把握した上で、今後の(長期/中期/短期)教育課題を設定すること
3   12によって得られた教育課題について、それを具体的にどのような方法で達成するかを表明すること
自己評価のあり方について;いずれの評価報告においても、子どもの様子を中心に述べている。それによれば、共通に「(子どもの)主体性を育てたい」ということで仕事をしていることは伺い知ることができる。だが、どのような体制で行ってきたのか、今後どのような役割分担をするとか、学校全体/各部/個々の教師で、どのような手段を講じるか、といった次の成果を生み出すための課題がみえてこない。
1  評価対象を決められていない。具体的な取り組み―「子どもの主体性」のためにとった仕組みや体制―が評価対象として設定されるべきである。
2  評価報告では、子どもの活動そのものを評価している。各部の活動の結果としての子どもの活動、という論理的つながりはあるのだが、それが全校の取り組みの結果なのか、各部の取り組みの結果なのか、担任の教師の努力の結果なのか、子どもの努力の結果なのか、ブラックボックスになってしまっている。
3  後に改善策を講じることを前提として評価を行うならば、ある結果につながった取り組み・プロセスを明らかにしておかなければならない。要するに、計画がないままに評価だけを行ってはいけない。
4  「全員が公開授業をやること」は評価対象でもなく、目標にもならない。やれば済んでしまうというような話になっている。「全員が公開授業をやれた/やれなかった」では、後の改善策につながらない。どの程度行うのか、段階を明記すること、やはり計画が必要である。

3. 学校組織マネジメントに立脚した取組事例−鳥取県米子市立淀江小学校

 
(1) 基本的な考え方
 
1 淀江小学校の学校評価の考え方
ア. 子どもがより伸びるための教育活動の改善・更新と活性化を図る。
イ. 開かれた学校づくりにより、保護者・地域の学校教育への参画意識を高め、特色ある学校づくりをともに進めていく。
ウ. 自己評価と他者評価の比較・検討等により教員の意識改革と組織開発を図る。
エ. 学校や地域の実態や特色を生かした学校づくりをすすめる。
2 学校評価に当たっての留意点
ア. できるところから取り組む。
イ. 評価方法や集計等は多様で柔軟性を持たせる。
ウ. 教職員の雰囲気づくり・関係づくりを大切にする。
エ. 保護者や地域住民は学校の協働者であるという認識で取り組む。

(2) 実践の内容
 
1 集計法の見直し
   本校では、昨年度の1学期末の教育反省のやり方を従来のものと変えてみた。それは、今までのように教育活動全体を評価しようとすると、細項目主義に陥り、その各項目を評価することにとらわれてしまい、項目間の関係を見失ってしまうと思ったからである。今までは、アンケートの結果を平均値で集計し、集計した結果を「成果」と「課題」としてまとめてきた。しかし、そのことは、評価の分かれた事項については平均化されているため「問題」として捉えられずに議論の対象から除外する傾向にあったのだと気づいた。
2 自己認識と問題共有
   まず、教師の自己評価と振り返りに重点をおいた。初めての取り組みなので、あまり無理をせず、各人が、自分の教育評価を具体的な言葉でにシートに書き込むだけで、集計した結果を数値化して公表しないことにした。そして、その結果を学年部会等で意見交換することで、今後に向けての具体的な改善点等を考えるようにした。
 そのときの話し合いで、2学期には「読む・聞く・話す・書く・計算する力」などの基本的な力を伸ばす取り組みの必要性が出され、学年ごとに基礎学力向上に向けての具体策を話し合った。また、2学期の行事については、プロジェクトチームをつくって取り組み、内容や情報発信の方法等を検討した方がよいという意見が出された。。
 2学期末の教育反省の項目は、1学期のものとは項目を変えて提案した。1学期よりも多くの成果と課題を見つけ、そのことへの改善策や向上策が具体的に記入してあった。結果を考察して話し合う場面では、活発に意見交換することができた。職員間で自由に意見が言える雰囲気ができつつあり、職員の動きが活発になってきているのを感じた。
3 重点化と焦点化
   翌年度の1学期の自己反省資料は、前年度の反省をもとに、項目をしぼって書きやすくした。また、分掌の自己反省だけでなく、担当者以外からの分掌アドバイスを行い、記入された内容を集計して全体で話し合った。分掌アドバイスの話し合いも、今後のプロジェクトの取り組みの参考になるものが多くあった。
 2学期末の学校評価では、来年度の取り組みを重点化したり焦点化するために、8つの評価項目を評価の観点も示して提示した。そして、具体的な取り組みや改善策を「誰が」「いつ」行うのかについても記入するようにした。このやりかたは、終日参観日の自己評価のときに経験していたので、抵抗なく記入できた。さらに、「その他」の評価項目を設け、8項目以外のことを自由に記入するようにしたが、校内研修に関する提案が多かった。2月の研究会では、アンケート結果を集約したものを元に意見交換し、重点化したものを3学期中に、プロジェクトや学年会などで話し合い、来年度の取り組みの方向性を出すようにした。

(3) 校内研修を通じた学校組織マネジメントの展開;問題の整理と解決への取り組み
 
1 問題の整理
   本校では、「鳥取県スーパーバイザー派遣事業」による講師を招へいして、年に3回程度の指導や演習を受けた。その内容は「本校の学校評価に対する専門的アドバイス」「学校組織マネジメント研修」「保護者への働きかけ」などが挙げられる。
 学校組織マネジメント研修の内容は、「自校のミッション探索」「自校が抱える問題の整理」「SWOT分析」「学校活性化に向けた実効策の検討」などであった。
2 演習結果の活用
   「自校が抱える問題の整理」を例に挙げると、この演習のねらいは「自校が抱える問題点を明確にし、職員がこれを共有化することで学校の改善・更新に向かう」というものである。これは、問題を探り、共有化・明確化し、問題の解決策づくりをし、実践・評価、そして新たな問題を探るというサイクルの中の、問題を探り、共有化・明確化する部分である。本校では、具体的な解決策や実践・評価の部分は、プロジェクトチームによる運営を行うという動きをしている。
 自校の抱える問題プロジェクトは、解決できて当然、解決できても新たな不満が生まれてくる。問題解決は重要なことだが、こればかりでは学校や教職員に元気が出てこない。特色ある学校づくりプロジェクトを推進することで、保護者・地域に、「学校は、こんなすばらしいことに力を入れて教育している」という満足感をうみ出し、学校への協力体制へと向かうようになり、学校に元気が出て、学校が動き出すことにつながると考える。
3 解決への糸口;次の4点が考えられる。
 
ビジョンを示す(ビジョンの共有)
できるところから取り組む(効力感の確保)
改善より改革志向で自校の特色を生かす(顧客満足の視点)
保護者や地域住民は学校教育の協働者(批判的友人関係の構築)
4 プロジェクトチームによる組織改革
   今まで職員会で提案される学校行事や各教科の取り組みなどは、その分掌に当たった担当者が提案していた。そして、前年度の内容をあまり深く検討することもなく、日付を変える程度で提案されることが多かった。提案を聞く側も、あまり問題意識を持たず、ほとんど意見交換されることもなく採択されることが多かった。しかし、実際に取り組んでみると、各人の捉え方や取り組み方に微妙なずれが生じてきて、スムーズに行かないこともあった。そこで、担当者が一人で問題を抱え込まないで、いろいろな資料を参考にしたり何人かで意見をまとめたりして方向性を示すようにしたいと考え、プロジェクトチームを作って取り組むようにした。また、プロジェクトの話し合いには、職員会での意見も参考にするが、職員会での話し合いは、その場で無理に結論を出すのではなく、いろいろな考えを出し合う場として捉えるようにした。
 全職員を「自己評価研究部」「他者評価研究部」「情報発信研究部」に分けて、それぞれの部会で話し合いを持った。自己評価研究部と他者評価研究部は、教職員と保護者に対するアンケートの項目について検討した。保護者へのアンケートの項目は、昨年の反省から、あれもこれも聞くのではなく、評価してほしいことがらを絞って問うようにした。教職員のアンケートは、結果の反省ではなく今後の取り組みについての改善点や更新すべき点について記入するようにした。情報発信研究部では、参観日への参加を保護者や地域の方へ呼びかける町内防災無線の呼びかけ文の作成や全戸配付するチラシを作成したり、参観日当日に配付する学級の様子を紹介した「学級アピール」の作成を提案した。また、参加の呼びかけや日程、アンケート結果などをホームページに掲載した。

(4) 成果
 
1 教育に対する思いを自由に話し合える雰囲気が教職員に生まれてきた。
2 学校のシステムや方向性を教職員の力で変えられるという思いを持ち始めた。
3 全職員で子どもを支援していこうとする体制ができてきた。
4 保護者、地域住民の学校教育に対する協力体制が整いつつある。
5 動きのある学校の体制作りができてきた。

(5) 展望;モデルなき創造
 
1 「貧に処する教育」(欠乏欲求)から「富に処する教育」(自己実現欲求)へ
2 「模倣」(先進校モデル)依存から「応ずる」(自校主義、眼前主義)指向へ
3 「あてがい」(やらされる)実践から「納得」(やりたい)実践へ
4 「古い革袋」から「新しい革袋」へ(組織体制の見直し)
5 「閉じた世界」(校内主義)から「開かれた世界」(地域主義)へ
6 「よそゆきの装い」から「普段着」(等身大)の実践へ
7 「縦割り」(教科主義)から「縦横」な関係づけへ


<補論>

新しい学校評価の基本的な視点−べき論を超えて

1. みかけを取り繕うことなかれ
 従来の学校評価研究が問題としてきたのは、わたし自身によるものも含めて、民主的で合理的な「あるべき学校経営」のもとで展開されるべき「あるべき学校評価」であった。そこでは、学校経営上の阻害要因が解決されたことを前提に、いかに「あるべき学校評価」を実施するかが論じられてきた。その結果、膨大な、あるいは羅列的な観点によるチェック・リストが様々に開発されてきた。しかし、そう簡単に阻害要因が解消されるはずはなく、したがって重要性が説かれ幾度となく試案が示されても、なお学校評価の定着は阻まれてきたのである。
 今、求められている学校評価は、こうした問題の反省に立って構想されねばならない。そのためにも、みかけを取り繕うのではなく、やらされる評価とするのでもなく、まず自分が(学校が、である前に)評価したい、あるいは評価されたいと思うことについて取り組み始めることである。そして、その取り組みの渦に共鳴する人々を巻き込んでいくことが期待される。

2. できる時に、忘れないうちに行おう
 これまでの学校評価が徒労感を募らせてきたのは、一つには、年度末の慌ただしい時に、この一年間の学校活動のすべてにわたって評価し、実際に誰がその学校に残留するかも明確でない新年度に向けて改善策を立てようとしてきたからでもある。
 そんな時に、深く分析したり考察できるとは思えない。新年度になって、去年の評価結果をもとにした改善策が参照されるよりも、異動にともなう引継きもそこそこに新年度関係の書類づくりに追われて、結局、昨年度当初の書類が上書きされ、ほとんど同じことを繰り返してきた。だから、評価が次の計画に活かされてこなかった。
 こうした轍を再び踏まないためには、年度末とか学期末など一定の周期末に実施するだけが学校評価なのだと捉えるのではなく、できる時に実施し、その結果をファイルしていわばポートフォリオのように累積的・形成的に取り組んでいくことこそが大切である。
 むしろ慌ただしい時期には、累積データをもとに概括的に実施するのが実際的であろう。

3. 焦点をしぼって評価しよう
 いつも学校の全体を評価しようなどと考えるのではなく、力を注いでいきたいこと/注いできたこと、あるいは学校がその時に当面している具体的な問題に絞って評価していくことが、継続できる取り組みとなろう。
 全体を緻密に捉えようとするから細項目主義に陥り、その各項目を評価することに忙殺され、全体のプロフィールを描こうとして項目間の関係が見失われ、どの項目も同じ重みづけであるために平板な分析で終わってしまう。誰もが「良い」あるいは「悪い」と思うことは評価する必要もなく、むしろ意見が割れる事項こそが問題となる。
 しかし、それらを平均値で集計し、いかにも集計した結果、分かったかのように「成果」「課題」としてまとめられてきた。評価の分かれた事項については「中程度」に平均され、かえって「問題」として見えなくなって議論の対象から除外される傾向にあった。
 確かに異論が大いにありうることを承知で論議をしようと思うと、覚悟がいる。だから、差し迫った事情がない限り避けられがちであった。体罰問題、いわゆる「学級崩壊」問題、学力問題なども、そうした問題であったのだろう。追い立てられる焦燥感や多忙感が、その傾向を助長してもきた。しかし、それが学校や教職員に対する社会からの不信感を募らせて、「開かれた学校づくり」ついには「信頼される学校づくり」などの諸提言を引き出してきた。

4. 問題に向き合う耐力と自己効力感を
 児童生徒や保護者、学校評議員などにアンケートを実施するところが増えてきている。しかも、それで学校評価を行っていると錯覚していると思える事例も少なくない。
 しかし、いくらアンケートを実施して結果集約しても、そこから見えてくる問題を掘り下げ、いかなる手だてを講じうるのかは、依然、学校の、あるいは教職員の自己解釈に委ねる以外にない。せいぜい、評価者による評定のズレを取り出して、理解の促進や指導不足・対応不足を補うという発想しか生まれてこないであろう。そもそも、アンケート回答者の認識(回答)の妥当性を検証しうるものは何も示されていない。しかも、その促進や不足を学校や個々の教職員の努力で果たしうるのかどうかも明らかではない。むしろ、遅々とした学校改革に対してかえって学校への不信感を募らせることにもなりかねないし、なかなか理解されない状況を前に保護者や地域住民に対する批判が学校内にくすぶる危険性もある。
 必要なことは、まず「問題」に向き合うことである。そして、向き合う覚悟が整った事項について、広く意見を求めながら、深く議論を重ね、事態を打開する手だてを講じていくことである。
 しかし、自信のないままでは問題に向き合えない。周りからの協力が得られないままでは、問題に立ち向かえない。いわゆる「学級崩壊」も、そのために対応を遅らせてきた。
 その背後には、学校の内においても外との関係においても、コミュニケーションの断絶がある。だからこそ、まずは自力で解決できると思える所、よく取り組んできたと思える所から始めて、周りとの関係を再構築し長所を伸ばしながら同僚性や自己効力感を高め、長続きできる耐力と方法を身につけて、より困難な問題を解決していく道筋と同僚関係を築いていくことである。

5. めざす姿を明確にし達成感を得よう
 高邁な教育目的や抽象的な教育目標は、評価の指標として役立たない。しかし、めざす姿が明確でなければ評価もできない。そのめざす姿を評価できるように明確にするには、行動や認識(考え)のレベルで達成状況を明示することである。
 それをしてこなかったから、「十分に」「だいたい」「しっかり」「積極的な」「すすんで」という曖昧な言葉が評定尺度として多用され、印象評定を引き起こす元になってきたのである。こうした尺度をなお用いるのなら、その根拠を具体的な数字や事象で示すことが評価の信頼性を高める上で必要となる。そもそも目標には、そのようにして測れる達成目標、常に高みをめざしていく向上目標、そして何らかのものの獲得を期待する体験目標の区分がある。その区分を忘れて、ただ達成をめざそうとすると、いつまで経っても達成感を味わえなくて疲労感が溜まってしまう。
  ただし、新しい公共経営論や企業経営論の影響を受けて、漠然とした評価ではなく数値化して実態を精確に把握することが求められているため、それを皮相的に理解して何を何回実施したかとか、何パーセントの実施率あるいは支持率かといったことで「数値化」したとして、そのことがどれほどの教育的な意味や学校経営上の効果をもたらすのかを不問しているところもある。これでは、見せかけの「数値化」であるといわねばならない。
 問わねばならないのは、それで学校や教育がよくなるのかの見通しである。だからこそ、しっかりとした達成目標と達成水準を明らかにしていくことが期待される。その意味では、数値化だけでなく、いつまでに何を実施するのかといったスケジュール化や、こんな状態になったらねらいが達成されたといえるといった定性的表現による尺度化が考えられていくとよい。


6. 目的と手段の関係を明確に
 目的に至るには、そのための手段が必要になる。その手段を講じるためには、さらにそのための手段が必要になる。つまり、目的と手段の連鎖が綿々と繋がることになる。
  その点からすると、目的・目標系列とそれを実現する条件系列を識別していくことは、一見、合理性があるように思えるかもしれない。また、経営活動は教育活動の条件系列に位置づくとの論説がなされることもある。しかし、そのような目的・目標系列と条件系列を分けて実態を捉えようとすると、とたんに現実の複雑な関係を前に認識不能に陥るであろう。
 ある目的を達成する手段は一つではなく、また種々の活動は、一つの目的のためになされるのではなく、複数の目的に向かうこともあるからである。しかもまた、教育も経営も機能でしかなく、ある活動が教育活動なのか、それとも経営活動なのかということを、実際の活動に対して識別することは不能である。たいていは両者の機能を発揮するからである。

 ある活動を評価しようという時に問題となるのは、教育活動なのか経営活動なのかということではなく、その活動が次のいかなる活動や事態にいかなる影響を与えているのかを分析することである。そこに教育効果が見られるならば、教育成果として評価できるのであり、同時に経営効果も見られるならば、経営成果としても評価しなければならない。
 大切なことは、そうした効果によって、当初の目的や目標にどれほど近づけたのかという点である。少なくとも、ある活動や取り組みが、ある効果に一意的、一元的に作用するなど、人の関係である組織や教育には考えにくいということが踏まえられねばならない。

7. 成果とは何か?
 ところで、その成果とは何か?確かに教育の成果は、最終的に学習者の姿(認識や知識・技術の変容)になって表現される。しかし、そのような結果が導かれるまでに、幾重にも介在する効果や影響がある。
  その中間的な効果・影響を捉えずに、最終的な成果だけを評価しようなどと考えると、教育が本来的に有する無限の時間的展望と崇高なる理念の海に放り出され、目的と手段の関係を見失うことになろう。そして、強引な関係づけによって大きなブラック・ボックスを抱えるか、あまりの複雑な関係に圧倒されて認知不能の事態に陥ってしまう。
 必要なことは、目的と手段の連鎖をできるだけ明確(識別的)に分析しながら、その複雑系の総体を認識でき操作できる単位に分割して、試行錯誤しながら、よりよい事態に向かっていくよう自らの活動を意図的に統制していくことなのである。
 だからこそ行動計画と戦略的計画という違いがあるのである。


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