「脳科学と教育」研究を支える研究方法論についての研究
新たな研究分野である「脳科学と教育」研究を効果的に進めるためには、本研究に適した方法論に関する研究、例えば、社会学、心理学、統計学などを活用した調査手法、あるいは脳機能観察のための手法の開発などに早急に着手することが重要である。また、非侵襲脳機能計測技術の発展が、脳科学の急速な発展に大きく貢献している事実を踏まえ、脳機能計測技術開発の進展を図るとともに、実験心理学や行動科学などの手法も取り入れつつ、得られた情報を理解するための情報処理・解析の手法を開発することも重要な課題である。
方法論の研究開発の振興は設備投資にも似て、想定される結果と必要性が明確な場合には、早い時機にまとまった投資をするほど高い投資効果が得られる。開発成果によって応用分野が広く進展し、また、より長期間にわたって投資成果を活用できるからである。また、同時に、世界に先駆けた応用研究で分野の先端を走ることができる。
以上を踏まえつつ、研究方法論からみた重点研究領域をあげると、次に示すとおりである。
胎児期の行動と脳の計測手法の開発
人の生涯にわたる教育において、初期の段階での脳の発達の機構や環境が脳に及ぼす影響を調べることは不可欠である。近年、超音波断層法による胎児の行動観察手法が進歩しつつある。また、脳磁場計測や磁気共鳴描画などによる胎児の脳の非侵襲計測の試みも始まっている。このような計測手法の改良や新たな研究方法論の開発が課題である。
乳幼児から高齢者までの脳の計測手法の開発・応用
過去約10年間の脳科学研究においては、様々な非侵襲脳計測法が進歩し、成人の脳の活動については多くの知見がもたらされてきた。しかし、こうした計測手法を乳幼児や学童に適用した例はまだ少なく、脳の発達や学習における経時的な変化や環境による影響などを捉えるには至っていない。その原因としては、成人と同様な条件での実験が一般には困難であることによる。したがって、乳幼児や学童などの計測に特化した安全で拘束性の少ない非侵襲脳計測法の開発が必要である。具体的には、脳電位計測、脳磁場計測、磁気共鳴描画、近赤外分光描画などの改良と発展、新たな計測手法の開発があげられる。
行動、認知、学習などの機能の行動学的・心理学的測定法の開発
これまで主に心理学において、人の行動や心の働きを定量的に分析する研究が行われていた。近年、そうした研究の一部は脳科学と結びつき、大きな成果をあげつつある。例えば、成人において、統制された条件下で測定される知覚、運動、言語、思考、記憶、注意、意識、情動などの行動学的・心理学的指標と脳活動との関連が明らかにされつつある。成人と同様な手法を用いた研究は、最近、学齢期の児童や高齢者でも試みられつつあり、今後、多くの知見が得られる可能性がある。新生児・乳児については、実験の指示を与えることができないため、成人での実験手法とは異なる行動の計測や評価が行われてきたが、それらが脳の計測と結びついた研究は非常に限られている。したがって、乳幼児の行動の発達の評価法、学齢期児童の学習の評価法、高齢者の能力の評価法などの改良や開発が、重要な課題としてあげられる。
脳の発達と学習に関する理論的研究の推進
教育における学校制度や効果的な教育課程などは、人の発達の基本的な特性によって裏づけられることが望ましい。発達の基本的な機構に関しては、領域固有性(例えば、運動機能と言語機能は独立に発達する)と領域一般性(感覚運動のような基本的な機能から認知言語のような高次機能へと発達が全体として段階的に進む)という二つの説の間での論争がある。また、発達には個性があり、発達のしかたも個人によって多様であるという考え方もある。こうした問題を研究するには、脳活動の計測や行動学的・心理学的測定に加えて、脳の発達過程での変化や脳全体の統合的な働きなどを説明する理論やモデルの構築が必要である。例えば、動的システム論や神経回路網モデルの構築、発達の個性や多様性を説明する複雑系理論などがあげられる。
脳関連遺伝子の解析とその発現に関する研究
学習障害などの発達障害の原因を特定するには、遺伝的要因と環境的要因の双方の検討が必要である。したがって、発達障害に関係する遺伝子の解析とその発現の機構の解明が必要である。
教育学・社会学・脳科学における統計手法の開発
多くの要因が関連する実験や調査からある結論を導くには、統計的な処理が必要である。しかし、統計手法の適用方法、あるいは、統計手法自体について様々な問題点が指摘されている。特に、コーホート研究に必須なデータ処理と統計手法の開発などが重要である。また、単純な平均化によって多様性を排してしまわず、個性を抽出できるような手法の開発も重要である。
脳の発達に影響を及ぼす環境要因の分析
化学的環境、情報的・社会的環境、近未来の仮想環境などが脳の発達に及ぼす影響を知る上で、人間を取り巻く環境自体の分析が必要である。例えば、情報通信機器の開発に携わる産業界と連携した研究などがあげられる。
「脳科学と教育」研究に関連すると考えられる動物実験の推進
「脳科学と教育」研究には、直接人間で調べることは難しいが、動物を用いた実験によって本質的な理解が得られると期待される課題があると考えられる。例えば、特定の化学物質が神経回路網の構築に与える影響や、感覚剥奪などの対照実験による臨界期の機構の解明などがある。動物実験の実施にあたってはいうまでもなく、実験動物に対する倫理的問題などに対しても、十分に配慮されるべきである。
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