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1.はじめに

    (1) 本報告書について

   「脳科学と教育」研究に関する検討会は、平成14年3月以来、教育学、心理学、行動学、生物学、医学、脳科学などの専門家によって、人類の安寧とより良き生存(Human Security & Well-Being)を目的として、人の生涯にわたる学習の仕組みを明らかにし、人が本来有している能力の健やかな発達・成長や維持を目指すこと及びその障害を取り除くことを目指す「脳科学と教育」研究の進め方について検討を行ってきた。平成14年7月には、研究の意義、今後の検討の進め方などについて「脳科学と教育」研究に関する検討(中間取りまとめ)として取りまとめを行った。
   本検討会においては、この中間取りまとめを踏まえ、ワーキンググループ(作業部会)を設置して教育分野、脳科学分野、及びそれらを架橋する諸分野の研究者からの意見を聴きつつ検討を進め、今般、今後の研究の推進方策について本報告書のとおり取りまとめた。

(2) 「脳科学と教育」研究の目的と背景

   近年、科学技術の加速度的な発展による情報化や少子化及び高齢化などにより、人を取り巻く生活環境や社会環境が不連続かつ劇的に変化している。他方、人の脳は長期間の生物進化の産物であり、このような急激な変化にどのように対応すべきかといった人類にとって新たな問題が生じている。このような状況下において、社会・経済の発展基盤である人の知性と感性が健やかに育まれ、人が本来有する能力と個性を適切に発揮することを支える新たな視点からの研究が必要である。
   これまで、教育の場における課題に対しては、保育学・児童心理学や教育学などの知見、また教育現場などでの様々な試みの蓄積を活かしながら取組がなされてきた。近年では、社会・経済の変化などの影響を受けて教育をめぐる環境条件も大きく変わり、教育・学習を阻害する様々な現象への対応なども大きな課題となっている。こうした中で、脳科学に基づいた能力開発や教育手法、あるいは、教育における障害の軽減や克服のあり方が模索されてきた。
   一方、わが国では、観照知・実践知・制作知(アリストテレス)の視点から、脳を「知る」、「守る」、「創る」という研究が推進されてきた。近年、基礎研究の蓄積と、人の脳機能の非侵襲計測*が可能となったことなどから、脳科学研究は飛躍的な進展を遂げつつある。また、分子生物学の進展は、遺伝子解析並びに発現解析を可能にしつつある。これらに加え、心理学、社会学、行動学、医学・生理学、言語学などの広範な分野にわたる研究や実践を架橋・融合し、人が本来有している能力の健やかな発達・成長や維持、あるいはそのための障害を取り除くことを目指した総合的な視点に立った研究が可能となってきた。
   これらの状況を踏まえ、日本では世界に先駆けて平成13年度より、科学技術振興事業団(JST)において、社会技術研究の一部として「脳科学と教育」領域を設定し、具体的な研究を開始した。
   また、国際的な動向としては、経済協力開発機構(OECD)とアメリカにおいて顕著な動きがある。OECDの教育研究革新センター(CERI)では、「学習科学と脳研究(Learning sciences and brain research)」に関する取組を、専門家による自由な議論の形で平成11年に開始している(第1期)。平成14年4月からは第2期として、幅広い分野の専門家による研究ネットワークにより、1脳の発達と生涯にわたる学習(日本による調整)、2脳の発達と計算能力(イギリスによる調整)、3脳の発達と読み書き能力(アメリカによる調整)に関する調査検討を進めることとなった。こうしたOECDの動向に対して、中国などもこの分野の研究について強い関心を示している。
   アメリカは、OECDの取組への参加とは別に、学習研究の位置付けを明確にし、独自の取組を本格化しつつある。医学・生物系の国立研究所群であるNIH(National Institutes of Health)に初めての工学系の研究所であるNIBIB(National Institute of Biomedical Imaging and Bioengineering、国立生体イメージング・生体工学研究所)を、平成13年に設立した。この分野においてアメリカは先行しているが、本分野の研究の重要性に鑑み、「脳科学と教育」研究を可能とする脳機能の非侵襲計測をはじめ、さらに積極的に本分野の研究を推進すべく注力している状況である。
   以上のような状況から、脳科学及びそれと関わる様々な分野の研究と、人の生涯を通じた教育の場やそれに立脚した教育学とを架橋・融合することにより、新たな視点に立った「脳科学と教育」研究への期待が高まっている。特にこの分野については、高度な研究手法や計測技術などの開発によって飛躍的に発達してきた「脳科学」という研究分野に対して、「教育」の場における課題の解決という社会からの要請に応える視点が求められているということができよう。
   本検討会では、こうした視点から、「脳科学と教育」研究における研究の推進に当たっての基本的考え方、取り組むべき研究課題、及びその推進に向けた体制整備の必要性について検討した。


*( 注釈):人の脳機能の非侵襲計測
人間の生きた脳活動を安全に観察できる非侵襲脳機能計測技術は、この5〜6年間に急速に進展した。機能的磁気共鳴描画(fMRI)、脳磁図(MEG)、近赤外分光描画(NIRS)などがある。


(3) 「脳科学と教育」研究の対象について

   「脳科学と教育」研究は、中間取りまとめにも示したように、従来の脳科学でも教育学でもない新たな研究分野であり、脳科学、教育学、保育学、心理学、社会学、行動学、医学・生理学、言語学、体育学などの研究分野を架橋・融合した取組が求められる。本報告書においては、「脳科学と教育」研究の対象を次の通り整理した。
   「脳科学」については、中間取りまとめで述べたように、神経生理学を中心とした動物実験や、損傷を受けた人の脳を対象とした研究から発達してきたものであるが、近年では、分子生物学、医学、行動学、心理学、工学などを基盤とした脳に関する研究の進展と相まって、飛躍的な発展を遂げつつある。また、小児医療、障害児教育、高齢者福祉の現場などとの連携による研究も進展している。こうしたことから、「脳科学」は、神経科学を中心としつつ、様々な科学分野がその一部を構成している研究領域としてとらえることができよう。
   「教育」については、中間取りまとめで述べたように、人の胎児期を含む生涯を通じた教育、即ち、乳幼児教育、小・中・高等学校教育、高等教育、高齢者教育、また、職業人を対象とした新たな技能習得などのための能力開発や再教育、さらには、リハビリテーション、語学教育、芸術教育などを包含した広義の概念とした。このように「教育」は、保育、医療、学校、リハビリテーション、職業教育・訓練などの場、及びそれを対象とした教育学、医学、発達心理学、行動心理学などの研究分野によって支えられているということができる。
   こうしたことから本報告書では、「脳科学と教育」研究の対象範囲を「脳科学と教育の新たな架橋・融合領域」として設定している。(図1)

 
図1関連分野を架橋・融合し「脳科学と教育」分野を創生する過程
     分野1、2、3、4、5、...からNは、「脳科学と教育」研究を担う脳科学、教育学、保育学、心理学、社会学、行動学、医学・生理学、言語学、体育学などの研究分野を意味する。「脳科学と教育」研究はこれらの諸分野を架橋・融合した取組である。すなわち、社会からの要請を駆動力にして、異なる研究領域を有する研究者が研究目標や研究規範を共有しつつ、単なる研究分担ではなく、融合的な体制を構築して、統合的目標である「脳科学と教育」研究に取り組むことになる。従来、融合型研究では異分野を併置した研究所や研究組織が試みられてきたが、多くの異分野を併置しても架橋・融合は積極的には起こらないことが明らかになってきた。「脳科学と教育」研究では、社会からの強い要請によって、異分野が実際に融合する研究組織の実現と具体的な架橋・融合に向けての枠組みの開発を目指す。

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