近年、科学技術の加速度的な発展による情報化や少子化及び高齢化などにより、人を取り巻く生活環境や社会環境が不連続かつ劇的に変化している。他方、人の脳は長期間の生物進化の産物であり、このような急激な変化にどのように対応すべきかといった人類にとって新たな問題が生じている。このような状況下において、社会・経済の発展基盤である人の知性と感性が健やかに育まれ、人が本来有する能力と個性を適切に発揮することを支える新たな視点からの研究が必要である。
これまで、教育の場における課題に対しては、保育学・児童心理学や教育学などの知見、また教育現場などでの様々な試みの蓄積を活かしながら取組がなされてきた。近年では、社会・経済の変化などの影響を受けて教育をめぐる環境条件も大きく変わり、教育・学習を阻害する様々な現象への対応なども大きな課題となっている。こうした中で、脳科学に基づいた能力開発や教育手法、あるいは、教育における障害の軽減や克服のあり方が模索されてきた。
一方、わが国では、観照知・実践知・制作知(アリストテレス)の視点から、脳を「知る」、「守る」、「創る」という研究が推進されてきた。近年、基礎研究の蓄積と、人の脳機能の非侵襲計測*が可能となったことなどから、脳科学研究は飛躍的な進展を遂げつつある。また、分子生物学の進展は、遺伝子解析並びに発現解析を可能にしつつある。これらに加え、心理学、社会学、行動学、医学・生理学、言語学などの広範な分野にわたる研究や実践を架橋・融合し、人が本来有している能力の健やかな発達・成長や維持、あるいはそのための障害を取り除くことを目指した総合的な視点に立った研究が可能となってきた。
これらの状況を踏まえ、日本では世界に先駆けて平成13年度より、科学技術振興事業団(JST)において、社会技術研究の一部として「脳科学と教育」領域を設定し、具体的な研究を開始した。
また、国際的な動向としては、経済協力開発機構(OECD)とアメリカにおいて顕著な動きがある。OECDの教育研究革新センター(CERI)では、「学習科学と脳研究(Learning
sciences and brain research)」に関する取組を、専門家による自由な議論の形で平成11年に開始している(第期)。平成14年4月からは第期として、幅広い分野の専門家による研究ネットワークにより、脳の発達と生涯にわたる学習(日本による調整)、脳の発達と計算能力(イギリスによる調整)、脳の発達と読み書き能力(アメリカによる調整)に関する調査検討を進めることとなった。こうしたOECDの動向に対して、中国などもこの分野の研究について強い関心を示している。
アメリカは、OECDの取組への参加とは別に、学習研究の位置付けを明確にし、独自の取組を本格化しつつある。医学・生物系の国立研究所群であるNIH(National Institutes of Health)に初めての工学系の研究所であるNIBIB(National Institute of Biomedical Imaging and Bioengineering、国立生体イメージング・生体工学研究所)を、平成13年に設立した。この分野においてアメリカは先行しているが、本分野の研究の重要性に鑑み、「脳科学と教育」研究を可能とする脳機能の非侵襲計測をはじめ、さらに積極的に本分野の研究を推進すべく注力している状況である。
以上のような状況から、脳科学及びそれと関わる様々な分野の研究と、人の生涯を通じた教育の場やそれに立脚した教育学とを架橋・融合することにより、新たな視点に立った「脳科学と教育」研究への期待が高まっている。特にこの分野については、高度な研究手法や計測技術などの開発によって飛躍的に発達してきた「脳科学」という研究分野に対して、「教育」の場における課題の解決という社会からの要請に応える視点が求められているということができよう。
本検討会では、こうした視点から、「脳科学と教育」研究における研究の推進に当たっての基本的考え方、取り組むべき研究課題、及びその推進に向けた体制整備の必要性について検討した。